Marauder-Prelude
兄のことについて語る時、一体いつまで時を遡ればその真実に辿り着けるのだろうといつも悩む。
一番最初の記憶は、苛烈に両親と言い争う兄の猛々しい声と鬼のような形相。
「くだらない思想に心酔している愚かな信奉者」だの、「古臭い伝統に狂わされて時代に置いて行かれた廃棄物」だの、まだ10歳にも満たない子供がよくもまあそんな語彙力を駆使して大人と渡り合っていたものだと思う。子供の戯言に真剣な声で叱責を返していた両親も大人げないと言ってしまえばそれまでなのだが、彼らにとってはたとえそれが子供の戯言であったとしても許せない、ある種自身の存在価値を否定されるような内容だったのだろう。怒号と何かの壊れるような音の中で、僕は育った。
よくもまあ、あれだけ吠えることができるものだ、くらいにはずっと思っていた。
僕は別に、両親の言っていることが間違っているとは思わない。
そもそも人間という種族には、更に2つの分類が存在する。
"魔法使い"と、"非魔法使い"だ。
区別は単純。魔力を持っているか、持っていないか。
そこに優劣をつけるつもりはない。ただ、似て非なる生き物だというだけで。
だから"非魔法使いとも共存しよう"と語る笑顔の魔法使いの言い分は理解ができなかったし、"魔法使いは隠れているべきだ"と語る臆病な魔法使いの言い分も理解ができなかった。
"魔法使いにも表の世界で光を浴びて生きる権利がある"。
"魔力を繋いできた歴史ある家系は尊重されるべき"。
"魔法界にも、秩序のある正当な統治が必要である"。
これらを説くことの、何が間違っている?
僕からすれば、「血筋にこだわるばかりで影から出ようとしない偏向主義者」と実家を罵る兄の話の方が遥かに難解だった。魔法使いを邪悪なるものと決めつけ、影に追いやったのは誰だ? 血筋にこだわるも何も、僕達を先に排他しようとしたのは、一体誰だと思っている?
アメリカではマグルと魔法使いの接触が禁じられ、結婚などしようものなら即刻罰を与えられる歴史があったと言うが、それは何も純血主義に偏向した結果などではない。単に、魔法の存在が世に広まることを恐れているからなのだ。
まったく、本末転倒も甚だしい。魔法の存在が明るみに出ることを怖がり、もしかしたら血の継承に賛同してくれるかもしれない人材をも排他している。どうして魔法使いはこんなにも臆病で、元として持っている力の乖離が激しいにも関わらず、ハリボテの"平等"を求めようとするのだろう。
────だから僕は単純に、兄もそういった形骸的な人間と同じく、親に反抗したがる"そこらにいる子供"と同類なのだろうと思っていた。そこに何の根拠も思想もない、ただの詭弁が並んでいるだけだと。
だから僕は、ただ賢く生きることを選んだ。親の言うことには従い、血筋を重んじ、自らが持って生まれた魔力を正しく使おうと。
たとえ能力が劣っていると言われても良い。兄の影に過ぎないと言われても良い。
だって僕は、レギュラスだ。最も明るい獅子座の一等星シリウスに続いて生まれた子に、最も暗い獅子座の一等星レギュラスと名付けるということは────まあつまり、そういうことなのだろう。
僕がまず、自分に何も期待していなかったのだ。期待できるようなものは、全て既に兄が持っていたから。
正しければ良い。夢見た世界の実現に、何かひとつでも貢献できれば良い。
兄ならもっと違うことができるのだろう。それこそひとりで世界をひっくり返せるかもしれないし、簡単にその人望で仲間や信者を集め、ちょっとした勢力を持った団体のひとつやふたつを作ったっておかしくない。
だからこそ、それについては少しだけ残念だと思う。兄の思想が僕の思想と合致していたのであれば、僕は喜んで兄の下についただろうに。
悲しいことに、彼が僕の思想の片隅にでも掠る気配はなかった。駄目だ。闇の魔術は本来魔法使いを最も魔法使いたらしめる分野のはずなのに、"闇"という名がついている、それだけで多くの魔法使いからは慎重に使え────更に言えば"使うことが悪"とすら言われているのだ。
兄が一体どこまで確固たる意志として"光"を欲しているのかは知らないが、とにもかくにも兄が僕の考えに賛同するという希望はなかった。きっと兄は、僕が家のしきたりに従っているというそれだけで、"自分とは相入れない"と見ているはずだ。
「兄さん、また喧嘩?」
────夜遅くまで争う声が絶えないのは、いつものこと。今晩だって、別に兄を心配して声をかけたわけではなかった。ただ偶然トイレから出た時、こんなに狭い家のどこでこさえたのか、顔中を痣だらけにした兄が階段を上ってきたところに鉢合わせたので、無視するわけにもいかず仕方なしに言葉を発しただけだ。
「…お前も、僕がおかしいと思うか?」
「思うね」
その返答自体は、変わらない。ただ僕は、兄のことを真っ向から否定する気もなかった。
むしろ両親の言い分よりかは、納得できる余地があるとすら思ったこともあったのだ。
誰かの思想に染められたわけではない、それは"兄"自身の意見だと思っていたから。
多分僕がそこまで相手の個人的な思想に固執するのは、僕の存在にそこまでの価値がない、という先天的な事情に関わるのだと思う。レギュラス・アークタルス・ブラックは、ただ存在しているだけでは意味がない。ブラック家の血を繋ぐために生を受けた、ただの純血家系繁栄のためのシステムに過ぎない。
そういう意味では、僕も両親に反抗したいという気持ちがどこかにあったのかもしれない。
僕は単なるブラック家の"種"じゃない。僕は、レギュラス・アークタルス・ブラックだ。名前を持ち、心を持ち、人生という道を歩むひとりの人間として生まれてきたのであれば、僕は自分の信条を掲げたかった。僕も、僕にしか持てない思想を作りたかった。僕も────未来に対して、夢を持ちたかった。
…────話を戻そう。
兄についてはもちろん、どうしてそこまで反抗しなければ気が済まないのだろうと純粋に疑問に思うことはある。仮にも同じ屋根の下に住む者。ましてや僕達は、両親の援助を受けなければ生きることさえままならない子供なのだ。兄には子供ながらとはいえ兄の矜持があるのだろう、でもそれをわざわざ表に出し、わざわざ庇護者である両親と争い続ける労力をかける価値が一体どこにあるのか、それがわからなかった。実際両親の言うことに時折首を傾げることはあったものの、内輪で揉めたところで根本的な解決は望めないと思い、僕はいつも沈黙を貫いていたのに。
「兄さんには兄さんの思想がある。それは結構だと思うけど、わかりあえないってわかっている相手にどうしてそんなに執拗に突っかかるのかが理解できない」
「理解されないとわかっているからこそ、僕は主張し続けなければいけないんだよ。僕はこの家の教えには従えないっていうことを、明確に」
「…そんなことを続けて、何になるっていうんだ? 少なくとも僕達が未成年である限り、僕達の土台は両親の援助の基で成り立っているんだ。余計な争いを生んでいるようにしか見えないね」
思ったことを、そのまま正直に言う。
傍目から見れば、きっと僕達兄弟はあまり仲が良いようには見えないのだろう。
ただ兄は、僕に対して声を荒げることは決してなかった。それと同時に、僕も兄の言っていることに対して「理解できない」とは言いつつ、「それは間違った考えだ」とまでは思っていなかった。
ただ、わかりあえないだけ。違うものを見ているだけ。
両親と兄が争うのは、両親が兄を矯正しようとすることに兄が必死で抵抗しているからだ。思想の押し付けさえなければ、こうやって冷静に会話をすることもできるはずなのに。
だからこの家の中で兄と唯一冷静な会話が成り立つのは、僕だけだった。兄が僕のことを正確にどう思っているのかは知らないが────兄も一応、先述の"押し付け"さえなければ人の言葉を聞くという常識を持っていたらしい。
「魔法使いの存在は、もっと明るみに出されるべきだ。今の体制は、力を持っている僕達の方がマグルに怯えている…なんていう本末転倒なことになっている。僕達はもっと、堂々と光の下を歩くべきなんだよ。魔力を持つ、高次元の存在として。魔力を受け継いできたという伝統と歴史に裏付けされた、プライドを持って」
「魔法使いが光の下を歩くべきだという意見は否定しないさ。でも、お前達の考え方は、マグルを排他して魔法使いの独裁政権を敷こうとしているのと同義だろう。それじゃあ、昔マグルに排他された魔法使いの味わった屈辱を繰り返すだけだ。それじゃ、意味がない」
「────だから、共存なんていう夢物語を?」
「夢物語なものか。今やマグルの中からも魔法使いが生まれるのは当たり前の世の中になっているんだ。それを同じ"魔法使い"として扱うことの、何が悪い? 今やどの家系からも魔力を持った人間が生まれる世の中になっているのに、今更血筋にこだわることになんの意味がある?」
「その世の中を作ったのは、僕達のような純血の血筋の者じゃないか。身を隠しながら魔力を受け継ぎ、根絶されかけていた魔法使いの確かな魔力を後世に残してきたのは、僕達のような聖28族がいたお陰だろう」
「それが思い上がりだって言ってるんだよ。いつまでも昔の栄光に浸るな。そもそも親類間で婚姻を結び、血を残すためだけに子を産み続けるその体制の方がおかしいね。このままじゃ魔法使いの存在そのものが滅びるに決まってる」
ある側面から見れば、その意見は正しいのかもしれない。
ただ僕にはずっと、その言葉がただの偽善にしか思えなかった。
「その意見を全て否定するつもりはない。でも、僕達はもっと、自分達が魔法を使える人種であることに誇りを持つべきなんだ。いつまでもコソコソ隠れているべきじゃない。いつか必ず、魔法使いが光の下を歩ける時代は訪れる。僕達に人権があること、それは当たり前のことじゃないか。そしてその"魔法使い"の血を継承してきた歴史ある家系は、もっと尊重されて当たり前だ」
そう。全ての人に、相応しい人権があるべきだ。
当然、"できること"と"できないこと"がある以上、ある側面に優劣がついたりすることはある。であれば、その人あるいは生き物が"できること"をすることで権利を主張すれば良い。
そして僕は、この魔法が使える人間が存在する世の中で、マグルより高次元の原始的な力を使える魔法使いが高等であることは当然だと思っていた。マグルがチマチマとその手をかけなくても、僕達なら一瞬で怪我を治すことも、食事を作ることも、移動をすることもできる。
マグルにも相応の権利が必要だと言われたら、それはその時に考えなければならないのだろう。しかし現状、権利を奪われているのは我々魔法使いの方だ。それなのに、なぜ我々の権利を剥奪しようとする下種共とわざわざ手を取らなければならない? 魔法の神秘も真髄も知らない一般人がたまたま魔力を持ってきたからって、なぜ我々と同様に扱わなければならない?
皆、適材適所という言葉を間違えていやしないだろうか。どうして魔法を使えない人間に配慮をしなければならない? どうして魔法を使えない人間に主導権を渡さなければならない?
奴隷にしろとまでは言わない。でも、力のない者が力のある者に協力することの方が、余程効率的じゃないのか?
能力に差があるものを、"人間だから"という種族の括りで無理やり平等にしようとしている。その偽善が、僕には片腹痛くて仕方なったのだ。
「たかが10歳そこらの子供がお家柄のことを語るなんて、随分とおこがましいじゃないか。僕は少なくとも、そんな古臭いしきたりに従うつもりはないね。義務感だけの婚姻なんていらない。運命の定められた新しい命なんていらない。僕はただ、自由に生きたい────それだけだ」
自由、ね。
思った時に魔法が使えない(僕達には血や細胞と同じように、魔力が流れているのに)。
住める場所ですら限られ、自分が魔法使いであるという当然のステータスを紹介することすらできない。
それのどこが、自由だと言うのだろう。
結局制限された世界の中で、兄はそれでも本当に自由だと自信を持って言えるのだろうか。
あの兄が? どれだけ広く見える部屋の中でも、そこに壁と天井が視認できる限り"狭い"と文句を言う兄が?
「────お前は本当に優秀な子供だな、レギュラス」
兄の生き様があまりにも兄の幸せとは程遠そうだったので顔をしかめていると、それを見てどう思ったのか、兄は皮肉げに僕を優秀と呼んだ。口角は上がっているのに、目が一切笑っていない。
馬鹿にされているのだろう。
僕は僕で考えていることがあるのに、きっと兄の目に映る僕は"両親の言うことに全て従うブラック家に求められた子供"なんだ。
「生まれてくる順番が逆なら良かったのにって、何度も思ったよ」
そう。
結局僕は、次男だった。
どれだけ家の考えに賛同していても、自らの思想を持っていても、それが"ブラック家"の意見として権力を持つことはない。
結局家督を譲られるのは兄だ。せっかく百年以上に渡って築き上げられてきたブラック家の誇りが、たった1人の無鉄砲な次期当主によって全て壊されてしまうのかもしれない────そう思うと、確かに腹立たしいところはあった。
「まったくだ」と言って、兄は僕にはもう目もくれず自室に入ってしまった。言うのは簡単だが、僕の今言った言葉にどれだけの重みがあるのか、本当にわかっているのだろうか。
「私の息子でありながら混血思想を説くなんて……」
物心ついた時から、母が兄に手を焼いている様子は見てきた。ここ最近、その母の情緒は更に安定しなくなっているような気がする。原因は明白だった。兄の言葉に勢いとバリエーションが増える度、母の語彙は逆に「純血こそ正義」という一言に収束され、哀れにその一言を繰り返すからくり人形のようになっている。
その思想が確たるものならば、もっと根拠と自信を持って対抗すれば良いのに、と常々僕は思っていた。母の思想に賛同はしているものの、彼女の言い分はまるで誰かに表層的で深みのないキーワードを吹き込まれたがらんどうの看板そのものだった。
「お前はついていくべき人を間違えてはならないよ、レギュラス」
「わかっています」
────きっと、貴女よりも。
家督に興味があるわけじゃない。権力を求める気もない。それでも、本当にこの思想を継ぎたいのであれば、僕にその位を譲るべきではないのか?
聖28族の名字は、コネクション作りには最適だ。特にそれが、家長であれば尚更。
でも彼女は、そして父親も含めた彼らは、"思想"より"血"を選んだ。意志を継ぐのではなく、形骸化されたとすらいえる血を。もっと言えば、僕と兄には同じ血が流れているのに、彼らは生まれた順番を何よりも重んじた。
こういうところは、僕もこの家にいながら両親に賛同できない部分だった。一体彼らは、何を継承しようとしているのだろう。血さえ継げれば、その中身はどうでも良いというのだろうか。彼らは一体、何を後世に残したがっているのだろうか?
────しかしそれも、結局文句を言ったところで何も変わらない現実だ。
変えられないとわかっているものを変えようと足掻くほど、僕は愚かではない。
変えられるものから変えていく。生み出せるものから生んでいく。
時を待っている者を誘い出し、つぼみを見つけて花を咲かせる。
僕の思想は、僕の正義だ。誰にも曲げさせないし、誰にも邪魔させない。
僕はただの純血主義者には留まらない。母のようにうわごとのように純血と呟くだけでは、何の意味もない。かといって、兄のように出口のない口喧嘩をしていたところで、歩き出せるわけもない。
生まれてきた意味は、その者が何をなしえたかによって決まる。正義は、思想に行動が伴うことによって初めて形をなす。
ホグワーツに入ったら、まずは仲間を作ろう。同じ思想、あるいはそうなりえる想いを持った人間を集めて、"正義"を動かすに足る布陣を作るんだ。僕はきっと集団のトップになれるような人間ではないから、相応しい王を玉座に据えなければ。
「レギュラス、私達にはお前しかいないよ」
誰も僕に期待しなくて良い。
「レギュラス、どうか父さんと母さんの意志を継いでくれ」
誰も僕に託さなくて良い。
「レギュラス、お前も自由に生きろよ」
誰も僕に願いを懸けなくて良い。
僕には、レギュラス・アークタルス・ブラックには、僕だけにしか送れない人生があるのだから。
だから僕は、兄がグリフィンドール────"勇敢な寮"に組み分けられたと聞いても、驚かなかった。スリザリン以外の寮に入った者を家族とはみなさない、その話を聞いた時点で、兄はきっとスリザリンに入らないだろうと思っていたから。
むしろ、兄の組み分け結果を見て嘆いている両親を見た時の方が僕は冷めてしまった。
────まだ、彼らは兄にどこか期待を寄せていたんだ、と知ったから。
その頃ちょうど、世に新たなダークヒーローが生まれたことも、両親の感情を揺さぶる大きな要因になっていたのだろう。
闇の帝王──── 一般的には"名前を言ってはいけないあの人"と称され、その俗称の通り誰もが恐れのあまり名を口にすることすら憚る人が、兄の入学とほぼ同時期に力を誇示し始めた。
いつの世にも、そういった存在はいる。両親は少し前に欧米で猛威を奮っていたゲラート・グリンデルバルド氏がヌルメンガードに拘束され続けていることを度々嘆いていたし、その前にも、その更に前にも、そうやって"魔法界を脅かす人"は常に歴史の裏側で暗躍していた。
両親は、僕が入学した暁には積極的に純血家系の血筋を大切にする者とのコミュニケーションを強化し、闇の帝王の下にくだることを望んでいた。そして僕も、それを当たり前のものとして脳に刷り込んだ。
どれだけ世間で悪いものと見なされていようが、彼が歴史を変えようとしているのは事実。マグルや血を裏切る者を虐殺しているという噂はその真偽と大義を問う必要がありそうだが、親戚伝いに「闇の帝王は再び我ら純血の一族に権威を返そうとしてくださっている」と聞いた時から、自然と真の名も顔も知らない偉大な王に仕える喜びを欲するようになったのだ。
幼い頃から求めていた、形のない理想にようやく輪郭がついた、と。
────僕がそんな暗い志を秘める中、兄はといえば1年を通して僕ら家族に一度も手紙すら出さずに遊んでいるようだった。遊んでいる、という表現を使ったのは、ホグワーツから何度も何度も怒りの手紙が届いていたことで容易に想像できたからだ。
きっと兄は、やっと自分のいるべき場所にありつけたんだろう。そこからは何の目的も思想も伺えなかったが、ただただ"楽しそう"ということだけが伝わってきた。
あれだけ偉そうに両親に説いていた兄の正義は、一体どこへ行ったのだろう。やはりあれはただの、家に反抗したいがために適当なことを言っただけだったのだろうか。
「お前は家に泥を塗るようなことをしてはならないよ」
わかっていたさ。兄が楽しく生きれば生きるほど、自分の首が絞まっていくことなんて。
それでも僕は、誰の声にも耳を貸すつもりがない。誰の色にも染められず、誰の指図も受けない。
耐えなければならないのは、たったの1年。それが過ぎれば、僕も同じ土俵に立てる。
どれだけホグワーツからの手紙が送られて来ようが、たとえクリスマスに兄が戻って来なかろうが、僕には関係ない。何か起きる度に両親は少しずつ荒んでいくようだったが、僕はその全てを受け流す術を、10歳になる頃には完全に心得ていた。
夏休みになり、マグルのおもちゃと思われる荷物を大きな鞄が裂けるほど詰めてきた兄を見ても、僕は平然とした顔で「おかえり」と言うことができた。兄のことを本当の意味で"兄"あるいは"家族"と思えているのかは、自分でももうわからない。どうやらこうして耐えている時間が長引くと共に、僕の中で人に対する感情の起伏がいくらか麻痺してしまっているらしい。
隙間からチラリと見えた兄の部屋は、1年前とまるで違って見えた。壁に貼られている写真は動かないし、庭に出された怪物箒のようなものからは常に謎の黒煙が噴出している。兄の元に届くふくろうが咥えている手紙の差出人も、知らない人ばかり。僕達は幼い頃から"付き合いを深めるべき人"と顔を合わせていたはずなので、兄がその教えに従っているなら、全員名前くらいは聞いたことがあるはずなのに。
ろくでもない連中とつるんでいるのは明白だった。両親との喧嘩における兄の語彙力は遥かに増し、その言葉の中に幾度も「ジェームズは純血だがそんな古臭い考え方はしていない」だの、「イリスはマグル生まれだが尊敬すべき魔法使いの資質を持っている」だの、繰り返し友人と思われる人の名が出てくるようになった。
とりわけ母親の機嫌を損ねたのは、そのマグル生まれの優秀な魔女だという"イリス"の存在だった。マグル生まれというだけでもきっとその怒りは既に怒髪天を衝いていたことだろうが、"イリス"が女性だった────ということが、どうやら一番お気に召さないらしい。
くだらない。今時性別を超えた友人がいたって何もおかしくないのに、母親はイリスという女性が兄の恋人になるのではないかと恐れているようだった。こればっかりは、血を継ぐための男女関係しか知らない両親の世代に何かを期待する方が間違っているのだろう(実際それで両親の間には愛が成り立っているというのだから不思議だ)。
「兄さん、一応聞くけど、イリスって────」
「お前まで母さんと同じことを言うのか。ただの友達だよ。だいたい、イリスに一体どうやって恋をすれば良いっていうんだ。元々印象が悪かった奴が思ったより良い奴だった、だから友達になりたいと思った…その程度のものだぞ。マグル生まれの女の子だからって、皆意識しすぎなんだ」
────そればっかりは、僕も同意せざるを得なかった。
「お前が何を考えていて、どこの寮に入ろうが僕には関係ない。でも、友達を血で分けるようなバカな真似はするなよ」
知ったようなことを言われなくたって、僕は僕の考え方に基づいて友人を選ぶさ。
「大きなお世話だね」
そう言うと、兄はフンと鼻を鳴らしてあの居心地の悪そうな自室に戻ってしまった。
────それから約1ヶ月半。兄とはほとんど顔を合わせないまま、僕は夏休みの終わりを迎えようとしていた。
『レギュラス・ブラック様』
手元には、7月の終わりに来た僕宛の手紙がある。ホグワーツからの入学許可証────…兄が去年受け取ったものと同じものと、あわせてそこに書かれた必要な教科書類、調度品、衣服がトランクの中に大人しく収まっていた。
9月1日、午前。
キングズクロス駅で、僕だけが両親との別れの挨拶をする。
兄はどうやら、8月になる頃には家を出て友人の家に居ついていたらしい。今朝声をかけようと部屋を訪ねた時には姿がなかったので、ひとりでここを去ったことだけはなんとなく想定していた。
人混みの中、一際大きな笑い声が聞こえてきた。そのひとつにはよく聞き覚えがあったので、無意識のうちに振り返る。そこには久しく見ない笑顔で楽しそうにしている兄がおり、その周りを眼鏡の傲慢そうな男と、みすぼらしくやせ細った男、それから気が弱そうな男と────女が1人、囲んでいた。
「────レギュラス、お前はあんな面汚しとは存在が根本的に違うということを、頭に刻みなさい。そして、胸を張って闇の帝王の前にその顔を見せるんだよ」
優しい顔で、偏向的なことを言う母。僕が虚ろな気持ちで「はい」と答えると、慈愛に満ちた動きで僕を抱きしめた。
確かに、ここに愛はあるのに。両親は確かに、僕を愛しているのに。
どうしてこうも、満たされないのだろう。
いつの間にか、思ってもいない喜びを顔に貼り付けるのが巧くなっていたようだ。僕はとても自然に頬の筋肉を緩め、「じゃあ行ってきます」と歌うように告げ、ホグワーツ特急に乗り込んだ。
コンパートメントは、思った以上に混みあっていた。両親がなかなか僕と離れたがらなかったせいで、すっかり乗り遅れてしまったようだ。
ひとつひとつ、中を覗きながら空いている席を探す。
途中、兄達が占領するコンパートメントも見つけた。4人で使っているその室内は、詰めればもう2人くらいは入りそうなくらいに余裕があったものの、兄と目が合ってしまわないよう早々に立ち去ることを選ぶ。
知り合いと思われる上級生が乗っているコンパートメントもあったが、もう既にそこのコミュニティは出来上がっている様子だった。中に入ろうとすればきっと快く受け入れてくれるのだろうが、まだ組み分けも終わっていない段階からあまり偏った交流を作りたくない。
入学する時に、全てが決まると思った方が良い。
慎重に、身の振り方を考えろ。丁寧に、自分の地位を築き上げろ。
僕は"ひとり"になれる場所を探した。探して、探して、列車が発車してからも歩き続け、そして遂に最後方のコンパートメントに空席を見つけた。
ただし────…その扉を開けようとする手が、一瞬躊躇う。
中にいたのは、兄がその名を何度も呼び、そして先程一緒にいるところを目撃した────おそらく、イリスだ。隣に赤毛の女生徒を連れ、何やら楽しそうに談笑している。
戻って、スリザリンの上級生に混ざろうか。
────いや、彼女は僕のことをまだ何も知らない。そして僕も、事実上は彼女のことを知らない体になっている。
それなら、"ひとり"になれるのは確実にこちらだ。
「すみません。空いてるところがここしかなかったので、同席しても構いませんか?」
扉を開け、中の2人に誠実さを装いながら声をかける。すると、なぜかイリスが驚いたような顔をして────(まさか、僕のことを知っているのか? いや、そんなはずは…)膠着しかけたその瞬間、もう1人の赤毛が「どうぞ」と耳障りの言い声で僕を迎え入れる。
できるだけ空気を薄め、彼女達が僕に注目しないよう気を付けながら、そっと椅子の端に腰掛ける。幸いにも彼女達には積もる話がたくさんあったらしく、僕に興味を持たれることは終ぞなかった。
無事にホグズミード駅に着くと、真っ先に僕はコンパートメントを出て行った。聞いた話では、1年生だけは他の学年の生徒と違うルートでホグワーツ城に入るらしい。幸いなことだ、僕はイリスとも、他のスリザリンの生徒とも、当然兄達とも顔を合わさないまま、湖上を滑るボートに乗せられて、話に聞くのみだったホグワーツ城にようやく足を踏み入れた。
ここからの儀式はだいたいわかっている。1年生だけ大衆の目に晒され、全員の前で組み分けられる寮の名を呼ばれ、これから7年共に過ごす生徒と顔を合わせる。どこのレストランよりも美味しいらしいと聞く夕飯を食べた後は、すぐ就寝。そうしたら翌日からは、もうすぐに授業続きの日々が始まる。
入学する時に、全てが決まるんだ。
たとえあの古びた帽子が僕に対して何を言うか知っていたとしても、その時の僕の身の振舞いはきちんと考えなければならない。
威厳を備えろ。まだその思想が定まっていないとしても、僕には確固たる理念があると思わせるんだ。大丈夫、その先の未来なら見えているから。闇の帝王の前に跪く自分の姿だけなら、くっきりと映っているから。
ここで、僕は僕が懸けるべき道を探す。この魔術の結晶体の中で、命の使い方を見つける。
「────ブラック・レギュラス」
副校長のマクゴナガル教授が、リストの中から僕の名を呼んだ。ブラックの名を聞いて、スリザリンのテーブルから期待とも落胆ともいえるような二種類の表情が浮かび上がった。
理由はわかっている。聖28族の一員として、純血の家系からすれば僕は名だけで歓迎される人間だ。
しかし1年前、その確信を破る人間が現れた。────兄だ。
その"悪評"なら、こちらも散々聞かされている。そのお陰で、良くも悪くも今のブラック家は未知といって有り余る存在だった。
静寂の中、僕の靴音だけが大広間に響く。硬い椅子に座り、教授の持つ帽子が僕の頭に載せられるというその時────。
「────スリザリン!!」
視界が暗闇に遮られるより早く、帽子は僕の未来を決めた。
わかっていた、この名が告げられることは。
偉大なるサラザール・スリザリンの名を冠する者。その思想を受け継ぐに相応しい場所を与えられた者。
当然、スリザリンのテーブルからは割れんばかりの拍手が鳴り響いた。「真のブラック家の人間だ!」、「弟は兄より随分と賢いらしい!」という皮肉に満ちた歓迎が、僕を招く。
僕は一度も、他の寮のテーブルを見なかった。
大切なのは、"敷かれたレールをどれだけ美しく歩いてみせるか"、だ。
ただ前だけを見据える。知っている顔を見たら、会釈をする。親しげに肩を叩かれたら、笑ってみせる。
計算の末に動いている顔の筋肉、その中でも目だけは必死に周りの情報を集めようと変に思われない範囲で動かし続けていた。誰か、見ただけでも仲間だとわかるような同志はいないか。それか、新入生ひとりの組み分けになど左右されず悠々としている生徒はいないか。
ここから始まるのだ、僕の人生が。
血の教えに縛られた家を出て、僕だけの思想を作り上げる時が。
スリザリン寮に"帰った"後、上級生の話を聞きながら、ホグワーツのなんたるかをひとまず表層的に理解していく。目と耳だけは抜かりなく四方に意識を飛ばしていたが、おそらく僕の振舞いは"スリザリン"に相応しいものとなっただろう。
上級生が「新入生とは思えないほど堂々としてるな」と言ってきたところで、僕はその予想を確信に変える。
ここは僕の家であるともいえ、家ではないともいえる場所。
誰にとっても自由であり、そして誰にとっても制約だらけの場所だ。
僕はまず、学校の規則を学んだ。
どこまでなら、僕は好きに歩いても良いのか。どこまでなら、僕はここの内情に首を突っ込んで良いものなのか。
そしてその次に僕は、校内でいくつかできている派閥を学んだ。
スリザリンは、監督生であるルシウスを筆頭に聖28族の末裔がよくつるんでいる様子が窺えた。1年生達はまだ分け隔てなくスリザリンという冠に乗じて、その性格や理念が合っているのかもわからないまま一緒にいるようだ。
上級生にうまく媚びを売りつつ、他寮の動向も探りを入れる。
レイブンクロー、ハッフルパフ、そして────グリフィンドール。
いずれもスリザリンほど強い仲間意識は持っていないようだったが、そんな中でも例外がひとつ────僕が無意識に警戒していたせいなのだろうか────2年のグリフィンドール生の結束だけは、やたらと強いように思えてならなかった。
純血の家系でありながら、歴史の中でほとんど語られないポッター家の嫡子、ジェームズ・ポッター。
半純血の家系に生まれ、穏やかな物腰と優良な成績、態度で大人からの評判が良いリーマス・ルーピン。
同じく半純血の家系にあり…彼はどうしてそのグループに名を連ねているのかわからない…およそ勇気の寮とはかけ離れた姿の目立つピーター・ペティグリュー。
この4人は"悪戯仕掛人"というユーモアの欠片もない名を自称し、各教授陣達から確実に目を付けられると共に、同世代の生徒達からは絶大な信頼と希望を寄せられていた。
────そこに時折加わるマグル生まれが、ひとり。
それが、後になってそのファミリーネームを知ることとなった────"イリス・リヴィア"だった。
いつもどこか、他人を探るような目で見ている。言動は模範的で、そこらの大人より余程礼儀を学んでいる様子。僕が見る限りでは感情を大きく揺らすことも然程なく、全ての生徒に分け隔てなく穏やかに接している。そう、それこそ自身が軽蔑対象にされているとわかっているはずの、スリザリン生に対しても。
スリザリンという名を聞くだけで反射的に杖を構えるほどの兄と彼女が、一体どうして親交を深められているのかは知らない。常に行動を共にしているというわけではなさそうだったが、確実に夏休みの時兄から聞いていた話以上にその距離が近付いているのは事実のようだ。
どうしてあんなマグル生まれ1人の存在感がああも大きく見えるのかは知らない。ただ、僕にとって"マグル生まれの魔法使い"という存在が初めて相まみえる未知の存在であるということだけは、事実だった。だからその生態に不自然さを覚えている、というのはまず確かなのだろう。
命の在り方、血の流れ方からして僕と全く違うリヴィア。しかし彼女の振舞いは、どこか僕と似通ったようなところもあった。
どこかまだ、自分の生き方を見定めかねているかのような不安定さ。ひとまず都合の良い場所に腰を据えつつ、これから自らの居場所を探ろうとでも言うかのような、抜け目のない瞳。
気になる、というほど能動的な気持ちは持っていない。脅威になりうるかと問われたら、明確に"否"だ。
ただ、だから手放しに無視できるかと言われたら、そういうわけにもいかない。僕も含め、"成長"を明らかにその先に見据えている人間は、少し放っただけで全く違う人間になり果ててしまう可能性を秘めている。今は温和なマグル生まれの半人前な命だとして、それを侮って過ごしているうちに、何よりも獰猛な獣になっていた────なんてことになったら、それこそ僕は大きな過ちを犯したことになるのだろう(もちろんそれと同等に、警戒していた労力が無駄になるほど穏やかな虫のまま大人になる、という未来もあり得るのだが)。
全てはあの悪戯仕掛人が、下手に力を持っているせいで。カリスマ性と、それに見合う実力を持っているせいで。
彼らが脅威であるせいで────そこに付随するイリス・リヴィアのことも、見過ごすことはできなかった。
ただ、だからといって何か僕の行動が変わるわけではない。
敵の人数が1人増えるか否かというだけだ。脅威に立ち向かうという結末が変わらない以上、その相手がなんであろうとこちらの布陣も正確に整えなければならない。
僕は、僕が正しいと思うものを"正義"にする。純然たる血を引く者がどうしてそうでない者より優れているのか論理的に説き、真に公平な統治を行える者を魔法界の最上階に据える。
そこに説得力を持たせるための、勉強だった。僕が描く理想に相応しい者を探し、また自らを理想に限りなく近づけるための、7年だった。
別に僕は、僕が理想とする世界に適合する者であれば、新たな世界の構成員が必ずしも純血の家系でなくたって構わないと思っている。必ずしも、スリザリン寮に在籍している者でなくたって構わないと思っている。
ただそれだけに、今はまだ姿もない彼らには全員必ず僕の理想と合致してもらわなければならなかった。
そのためには、僕の感覚だけに頼るわけにはいかない。対話をして、場合によってはこちらから相手を誘い出し、精密な交渉を重ね、完全に利害が一致しているという確信の下の方が、団体とは機能する。
そう、人と人が真に手を取り合うために必要なのは、道徳や人望といった不確かで曖昧な"感情"などではない。根拠と実績に基づいた事実、それらを新たな世に浸透させることのできる人間を上に据えた"政治"だ。
規則を学び、派閥を学んだ。
では次は、"仲間"を作らなければ。
一体どうしたら良い? 僕がぼんやりと考えていた思想に、力を与えるためにはどうしたら良い?
────サラザール・スリザリンは。
あるいは、少し前に欧米で猛威を振るっていたゲラート・グリンデルバルドは。
闇の勢力と呼ばれ忌み嫌われながらも、確固たる信念を持って"新たな世"を作ろうとしていた彼らは、一体どうやって信者を集めたのだろう。そしてどうして彼らは、新たな世を作る前に志半ばで潰えなければならなかったのだろう。
今度こそ────ヴォルデモートと囁かれる闇の帝王に光を当てるためには、何が必要なのだろう。
今度こそ、僕達魔法使いにとって希望に溢れた世界を作るためには、一体どうしたら良い? 何が欠けている? 何を伸ばせば良い?
時間は有限だ。僕はこの城にいられる短い時間の中で、できるだけ早く具体的な未来への道を敷いていかなければならない。同じような授業と課題のルーティーンの合間にも、外の世界は刻々と変化を見せている。
────そもそも、"闇"とは一体どこから生まれ、どう定義されたものなのだろう。人に危害を加える魔法? それとも、今ある"正義"を覆す反対勢力?
やはり僕は、正しい歴史を知らなければならない。哲学や倫理の話と同じだ。どの時代で、どの歴史背景を基に誰が何を言ったのか。その主張が一体どんな根拠に基づくもので、その人はどんな未来を描いていたのか。
"僕"が目指す未来を明確に見据えるためにも、過去の歴史は正確に学んでおかなければならない。全ての出来事が起きた後、残された"結果論の正義"ではなく、もっと多角的かつ平等な目線で様々な人間の意見が必要だ。
人間の数だけ、正義は存在する。人生の数だけ、思想が存在する。
できるだけ多くの正義を、思想を取り入れるのだ。
そうして、過去に構築されたそれらを統合…あるいはそれを基盤に新たな理論を構築し、"レギュラス・ブラック"による唯一の未来を見出さなければ。
でも、どうやって?
学校に所蔵されている図書は、どうしても"結果的に残された歴史"しか語ってくれない。各個人の思想となると論文程度にしか留まらず、しかも闇の勢力として排他された側の人間の言い分など、ほぼ残されていないのが前提だ。────なぜなら彼らの主張は、既に"歴史を振り返れば悪"とみなされているから。言ってしまえば、それはこれからの時代において、世界を危機に陥れる新しい悪のカリスマを誕生させかねないと思われているのだろう。現にそういった蔵書がない状況下でも、闇の帝王は着実に力をつけているというのだから。
しかし、それこそ僕にとっては偏向的な意見としか思えなかった。
人殺しや犯罪を、無意味に助長するつもりはない。ただ、見据える未来を叶えるために、ある程度の犠牲は必要だ。だからこそ、様々な人間がそれぞれ勝手に"正義"として掲げる意見も聞かなければならないと思う。今の世間における"正義"をこれからも不動の正義としてしまえば、そこには何の成長もないのだから。
僕にはとにかく、公平な意見が必要だった。
ホグワーツの図書館には、そんな本は存在しない。かといって、スリザリン寮の在り方に肯定的な意見を返してくれる人も、なかなか見つからない。
この城を出ることすらままならない僕にとって、これ以上の情報を集めることにはそれなりの限界を感じていた。
これ以上の情報────ホグワーツともなれば、それこそ隠し部屋に、表には出せないような情報が貯蔵されているような気もするのだが…。
扉という扉に手を触れ、銅像という銅像を動かし、その先に何かしらの通路が繋がっていないか確認していく。
そうやって、誰も近寄ろうとしない城の8階まで辿り着く。そこまで来るともういい加減生徒、職員の行き交いもなくなってきており、完全にその石造りによる冷たい建物中は静寂に包まれていた。それこそ、自分の足音が嫌というほどぼ響き渡るほどに。
8階の廊下は、それほど目立つものがない。魔法処置が施されている形跡もないので、半ば諦めつつ、それでも頭の片隅に「魔法界に出回っている書籍が存在する部屋がほしい」という願いは置きながら、廊下の隅まで何かないものかとうろうろと歩き回ってみる。
────すると、どうしたことだろう。
廊下を3往復ほどして、そろそろこのエリアは断念しようかと思った頃、目の前に銀色に施された大きい扉が現れた。
「────?」
おかしい、ついさっきまで、こんな扉はなかったはずだ。少なくとも、これだけ天井が高く、仰々しい装飾が刻まれている大扉があれば、まず見逃すはずがない。
好奇心と、少しの不安。
それらを天秤にかけ、好奇心の方が勝る。ホグワーツにある全ての施設が安全とは限らないが、まあ…試す価値はあるだろう。いざとなれば、逃げ、るあるいは知っている限りの呪いで対抗して大人に助けを求めるしかない。
重い真鍮の扉を開け、暗い室内を見渡す。
一瞬音の明るさに目が眩んだが、目を慣らしてよく見てみると────。
「────本?」
ホグワーツの図書室の、比にならない。
見上げても足りないほどの、天井が見えない高さまで積まれた本。人一人が通ることですら難しそうな、たくさんの棚に阻まれた通路。
無意識のうちに、心が浮き立つ感覚を覚える。
ここになら、僕の知りたいものが全て詰まっているような気がした。
ここでなら、僕が作りたい思想の種が全て植えられているような気がした。
期待に胸を膨らませ、トンと一歩足を踏み出した時だった。
バサッ────…。
何か、本の動く音が聞こえた。それから、思わずといった風に後ずさる人の足音も。
────正直、この部屋が何の部屋なのかはわからない。
何かしらの条件があって扉が現れることは間違いないようなのだが、僕にはまだその条件も、その中に入れる資格を持っている人も区別できていない。
誰かしら人がいるようだ、という気配こそ感じているものの、それが一体誰で、僕にとって利あるいは害のどちらかをもたらす人間なのかすらわからず────いや、その前に"模範生"である僕がここにいることを許してくれるかどうかわからない、というところが一番の懸念だった。
…仕方ない、見つかったとしたら、「迷ってしまった」という言い訳を成り立たせることにでもしよう。ここで疑われないよう振舞ってきたのは、当然兄のやり方を見ていたからだ。普段から素行に気を付けていれば、時折小さな校則をもらったところでちょっとしたお叱り程度で済む。
────本当にこの本が、ホグワーツにない蔵書かつ僕の思想を育ててくれるものなのであれば、できればゆっくりとひとりになれる時間がほしい。
一旦僕は、本棚の奥にいるらしき人影を確認した後、すぐに退散することにした。この部屋については、もう少し調査が必要なようだ。この部屋がどういうものなのかもう少しきちんと判明してから、僕にとって利があると確信したところでもう一歩踏み入れることにしよう。
そう思い、人の足音が聞こえてきた棚の右側の方を振り向く。
すると、そこにいたのは────。
「あなた────」
杖先にライトを灯してこちらを驚いたように見つめていたのは────。
────ああ、できれば卒業するその瞬間まで、顔を合わせたくなかった────。
「イリス・リヴィア?」
まだその距離感を掴みかねている、それがもはや因縁となりかけているマグル生まれの女だった。
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