1971/11/3
※1年生
【05:00】
鶏が首を絞められたような声…というか、もはや声といえるレベルをこえた爆音に、わたし(と、おそらくグリフィンドール寮の全員)は驚いて目を覚ました。ホグワーツの防音設備がどれほどのものかは知らないけど、下手をすると先生達の何人かも起こしてしまっているかもしれない。
「な、なにごと…!?」
リリーが寝ぼけまなこをこすりながら、きょろきょろと辺りを見回す。わたしもそれにならって女子用寝室の中から音の出所を探るが、そこには同じように驚いた顔、あるいは敵が来たんじゃないかと怯えた顔をしているルームメイトしかいなかった。
「…ここで起きた音じゃないの?」
おそろしい。聞こえたギィエー! って声(音?)はまるで耳元で聞こえたかのようだったのに、どうやらわたしたちの誰も、その音には関わっていないらしい。
「どこか爆発したのかも。それか、考えたくないけど…わたしたちを襲おうとした誰かが、ここに侵入しようとしてるのかもしれないわ」
冷静なリリーが杖を取って、早くもベッドから抜け出していた。
「り、リリー?」
まさか、音の出所を探しに行くつもりなんだろうか。
「イリス、あなたも来てくれる? もしものことがあった時、あなたがいてくれると心強いわ」
ええ…わたしだったらこういう時にわたしだけは連れて行きたくないけど…。
しかし、リリーがわたしの答えなんて待たずにガウンを引っかけ、寝室を下りて行こうとするので、わたしも内心ビクビクしながら慌ててその後を追った。
どうしよう、なんか…こう、怖い殺人犯とかが侵入してたら。
殺人犯じゃなくても、なんだろう…動物とか…そう、獰猛な動物が窓を破って入ってきたりしてたら。
色々な悪い予感に頭を痛めながらリリーについて、そろそろと階段を下りる。
すると、談話室には同じように騒ぎを聞きつけて下りてきたらしいパジャマ姿のグリフィンドール生が何人かいた。その中心にいたのが────ポッターだ。ちょっと離れたところに、呆れた顔をしているルーピンとワクワクした顔をしているペティグリューが立っていた。わたしはその周りを見回してみたが、そこにはブラックの姿だけがなかった。
ポッターは続々と集まるグリフィンドール生を見て、ニヤリと実に満足そうに笑った。中でもわたしの姿を見つけると、「やあリヴィア! 最高の朝だね!」と声をかけてくる。
………音の出所、わかったかも。
わたしはおそるおそるリリーの方を見る。するとリリーは、案の定わたしと同じことを考えていたようで────「ポッターがこの騒ぎを起こしたってんなら、わたしはこれをマクゴナガル先生に報告してくるわ」と言って談話室をさっさと出て行ってしまった。
「…ポッター、今日は一体何をしたの…」
マクゴナガル先生が来る前に、せめてこの群衆だけでもはけさせた方が良いだろう。そう思ったわたしは、人混みをかきわけてポッターのところまで行った。
およそまともな人には出せない音、それを捕まえて「最高の朝」と言って浮かべた笑顔。
どうやら、あの音を出したことにはポッターが関わっているようだ。というより状況証拠的に(あと普段の素行的に)、もう彼が音の出所の張本人なのではないかと思っていた。
「ちょっと喉に魔法をかけてね。本当はもっと立派な鬨の声を上げるつもりだったんだけど、ちょっとミスっちゃった」
「鶏が首を絞め殺された断末魔にしか聞こえなかったよ…」
「でも、目覚めはばっちりだったろ?」
決して自分の失態を認めないポッターは、ふふんと胸をそらしていばっている。
確かに一瞬で目が覚めたが、決して寝覚めが良かったわけではない。とはいえ、ここでそのことについて突っ込んでも仕方ないので、私はここにいない彼の親友の所在を尋ねることにした。
「ところでブラックは?」
「ああ────そろそろ来ると思うよ。何しろこれはあいつのために上げた声だからね」
「ブラックのために────?」
するとその時、ポッターの言った通り寝室の階段をドスドスと不機嫌そうに下りてくる音が聞こえた。見えたのは、ブラックの、足音以上に不機嫌そうな顔。
「おい、僕に黙って一体何を────」
バーン!!!
「ハッピーバースデー、シリウス!!」
クラッカーの爆音、そして間髪入れずに降り注ぐ、ポッター、ルーピン、ペティグリューの大きな祝福の声。
「!?」
ブラックが階段の途中でぴたりと足を止めた。目を白黒させて、グリフィンドール生の輪の中にいる親友たちの顔を見る。
「な────」
「おいおい、まさか自分の誕生日を忘れたとは言わせないぞ! 入学した日にきみの誕生日は聞いてるんだからな!」
「僕たちの中ではきみの誕生日が一番早かったからね。ちょっとしたお祝いをしようって相談したんだ」
「どう!? シリウス、このために僕たち、先月からずっと準備してたんだ!!」
ポッターたちは手がちぎれんばかりに拍手をしている。それを見て、周りのまだ眠そうなグリフィンドール生たちもまばらに拍手を始めた。中には、まだ"スリザリンの名家の長男"がグリフィンドールに入ったことを受け入れられていない人が「なんだよ、人騒がせな奴ら」と文句を言って寝室へ戻ってしまうこともあったけど────男子も女子も、「誕生日なら」「ジェームズたちのやることなら」と早々に状況を受け入れて、ブラックに口々に「おめでとう」と言っていた。
「ささ、本日の主役くん。今日は一日、きみを喜ばせるプランをたくさん練ってあるんだ」
「とりあえず朝食に行こう。エバンズがマクゴナガル先生を呼んでくるって言ってたから、あまりここで集まってるとまずい」
「え、そうなの? なんだってこんなおめでたい日に余計なことをするかなあ、あの子は…」
「リヴィアも一緒においでよ!」
ルーピンがまだ戸惑っている様子のブラックの腕を引いて、ポッターとペティグリューと一緒に談話室の外へ出て行く。
「い、いや…わたしはリリーを待って適当に言い訳しておくから…」
朝の5時からグリフィンドール生が談話室に集合している光景なんて、誰がどう見ても異様に映るに決まってる。しかもこの騒ぎを起こした本人がトンズラしてしまっているのだから、マクゴナガル先生が来た時にいらない混乱を招くのは間違いない。
リリーの行動が間違っていたとは言いたくない。でも、他のグリフィンドール生が余計なことを言う前に、わたしが「すみません、わたしが間違って爆発スナップを落としてしまったんです。その音でみんなを起こしてしまって」とでも言って、なんとか場を収めよう。
「こんなのがあと19時間も続くのか…」
最後に聞こえたのは、ブラックの眠気と絶望にまみれた情けない声だった。
【8:00】
次に騒ぎが起こったのは、朝食を食べ終えたブラックたちが帰って来た時だった。
彼らが談話室を出て行くのとほとんど入れ違いで、リリーとマクゴナガル先生が入ってきた。わたしは予定通り、適当な言い訳をして先生を追い返し(リリーには「どうしてあの人たちを庇うのよ!」と怒られた)、授業時間の直前まで二度寝をしようとベッドで心地良い眠りについていたのに。
バーン!!
またも、爆発音。
「今度はなんなの!」
わたしと同じようにベッドで眠っていたリリーが、今度こそばっと跳ね起きて怒りの声をとどろかせた。しかしもう犯人も目的もわかっているわたしには、それに反抗する気力など残っていない。
「どうせみんなと同じように二度寝してるブラックを起こそうとでもしたんじゃないかな…」
あまりろれつの回らない舌で適当なことを言って、わたしは布団の中にもぐりこむ。
「ああ、もう…。ほら、イリス。あの人たちに起こされたのはしゃくだけど、もうすぐ授業の時間だからあなたも起きて準備しなきゃ」
「ううーん…」
一度思いもよらないところで起こされたせいで、私の寝起きは最悪だった。ぼーっとする頭をふらふらさせながらなんとか着替え、顔を洗い、歯を磨いて授業の支度をする。
「今日の授業ってなんだっけ…」
「防衛術と呪文学、それから魔法薬学に飛行訓練、最後は夜に天文学よ」
「ウワ…いかにもポッターたちが喜びそうな科目ばっかり…」
多少の騒ぎを起こしても気に留められない防衛術、呪文学、飛行訓練。それからすっかり彼らが先生のお気に入りになっているお陰で大抵のことはお目こぼしされる魔法薬学。加えて夜に授業があるということは、その後に彼らが"寄り道(つまり規則破り)"をする可能性も大きいということだ。
これから起こるであろう数々の爆発(ないしそれに似た何か)を思うとまた頭が痛くなるが、全ては親友を真剣に祝いたいという、ポッターたちの誠意がしていること。それを考えると、どうにもわたしは彼らを呪う気にはなれないのだった。
大事な友達がお誕生日を迎えたっていうんなら、そりゃあお祝いしたいよね。ただ、あの人たちの場合、それが規格外すぎるってだけで。
【13:00】
「もうウンザリ!」
午前中の防衛術、呪文学、魔法薬学ではもうお約束のように毎回"騒ぎ"が起きた。
防衛術ではその日、対象物を粉々にする"レダクト"という魔法を習った。私たちはまだ人に対して影響を与える魔法を使うには早いからといって、意思のない"物"に対して有効な魔法を教わっているところだ。ところが────。
「ポッター! 私はこの"ガラス玉"を粉々にしろと言ったのだ! 勝手に持ってきたその"木箱"を粉々にしろとは一言も言っていないはずだがね!」
ポッターはなんと、授業に勝手に中身の見えない木箱を持って来ていた。それをブラックに手渡すと、「これを粉々にしてみて」と言ったのだ。
寝起きドッキリには不機嫌な顔を見せていたブラックも(しかも機嫌を損ねたのは、「自分が悪戯に混ぜてもらえない」と思ったかららしい)、この時はもういつも通りのニヤリ笑顔を浮かべ、木箱に向かって「レダクト!」と唱えた。
するとその途端、木箱は木っ端みじんになり、中からてのひらサイズの風船がふわふわと浮きあがった。
風船はブラックの目の前までふわふわ浮き上がると、バン! と派手な音を立てて破裂した(ちなみに言うと、その時の衝撃に驚いたペティグリューは、ガラス玉を"落として"粉々にしてしまった)。
割れた風船の中から飛び出したのは────。
「おめでとう、シリウス!」
「12歳、おめでとう!」
「めでたい! めでたい!」
────何人もの小人…の人形のようだった。壊れた機械のように繰り返し「おめでとう、おめでとう」と言うものだから、先生が怒り狂ってその人形を全て消失させてしまった。
そして、ポッターは減点を食らった。
続く呪文学もほぼ同様。
習っていたのは浮遊呪文の"ウィンガーディアム・レビオーサ"。わたしたちはまず簡単な羽根ペンから浮かすように練習をしていたのだが、とっくにそんな呪文は習得していたポッターは、今度は"ブラック本人"を浮かして遊び始めた。
「そーれ、わっしょい! こらしょい!」
よくわからない掛け声でブラックを一人で胴上げしている(しかも魔法で)。ルーピンとペティグリューは自分の課題に取り組みながらも、ポッターの掛け声に合わせて手拍子をしていた(ここでもまた、手拍子に夢中になっていたペティグリューが間違った呪文を唱えてしまい、羽根ペンはなぜか爆発した)。
フリットウィック先生は「今すぐ下ろしなさい! ポッター!」とキーキー叫び、ポッターが何をするより先に自分がブラックを床に下ろした。ついでにペティグリューの羽根ペンの火も消し、「何かを祝いたいなら授業外でやりなさい!」と正論でポッターを叱る。この時ばかりは魔法で空中を舞わされたのが嫌だったのか、床に下りたブラックが「ここまではしなくて良い」と言い添えてた。
そして、ポッターは減点を食らった。
午前最後の授業、魔法薬学は…リリーに言わせれば、"最低最悪のやり方"でお祝いが行われた。
授業が始まるなりポッターは手を挙げ、発言を許可したスラグホーン先生にこう言ったのだ。
「先生、今日は実はシリウスの誕生日なんです。僕、彼が喜んでくれるような薬を調合したいんですが…」
当然、それをスラグホーン先生が喜ばないわけがない。ブラック家の長男をスリザリンに入れられなかったことを未だに悔しがっていることなら、みんなが知っていた。
「ほっほう! それはめでたい! よろしい、それでは────今日は鎮静薬を作る予定だったが、少しカリキュラムを入れ替えよう。今日作るのは、高揚薬だ! さよう、その名の通り、気持ちを高揚させる薬だがね。私も今日はみんなの手本として、一緒に薬を作っていこうと思う。そこで────今日一番出来の良かった生徒と、そしてすくすくと健康にひとつ年を重ねたブラック少年に、その薬を進呈しよう!」
…というわけで、騒ぎらしい騒ぎが起こらなかった代わりに、午前中で一番誰もがブラックのことを意識する時間が生まれてしまった。
魔法薬学はスリザリンとの合同授業。グリフィンドール生は朝の騒ぎがあったせいで「またあいつらがバカやってるよ」と軽やかに笑うだけだったが、スリザリン生はそれが全く面白くないようだった。「ブラック家の面汚しのくせに」「たかが誕生日でここまで贔屓されるなんて、良いよな、名家の出身は」という悪口があちこちから聞こえてきた。
ちなみに、先生お手製の高揚薬は、魔法薬学に長けたリリーとスネイプ、そしてお誕生日のブラックに手渡されることになった。この組み合わせは実に最悪だった。リリーとスネイプは不機嫌そうに、「ありがとうございます」と薬を受け取っている。どちらもブラックに良い印象を持っていないので、実力でその薬を手にした2人にとってはあまり納得のいかないご褒美だったのだろう。
そして、ポッターは今日初めて減点されずに授業を終えた。
そんなこんなで午後の授業────飛行訓練を受けるために校庭に出た時、リリーが遂にがまんできなくなったように言ったのが、「もうウンザリ」である。
わたしはむしろちょっと面白くなってきたところだと思っていたんだけど、ブラックとポッターのことを入学時から嫌っているリリーにとっては、あの2人のために授業が引っかき回されるのはとても腹の立つことらしい。まあ、初対面の(スネイプも含めた)いざこざのことを考えれば、そう思うのも仕方のないことだと思う。
「今までの授業全部よ!? 何かしら絶対やらかして────しかも次は飛行訓練! ポッターの大好きで大得意な飛行訓練なのよ! 何も起こらないわけがないわ!! 絶対────史上最悪で────胸糞の悪くなる────」
「リリー、落ち着いて」
慣れない悪態を一生懸命つこうと唸っているリリーをなんとかなだめながら、わたしたちは校庭に並んだ箒の隣に立つ。わたしたちから少し離れたところで、ブラックたちは何か笑いながら話しているようだ。ブラックの声だけなんとか聞き取れた────「次は何をしてくれるんだ?」────完全にもう、楽しんでいる。
やがてフーチ先生が現れたことで、授業が開始される。
今日は"旋回"の訓練だった。入学してからの二ヶ月で、なんとか全員空中で右左折まではできるようになったので、今度はもっとスムーズに、校庭を周回できるように訓練します、とのこと。
わたしはあまりこの授業が得意じゃないので、列のかなり後ろの方でなんとかみんなについて行く。リリーがわたしに合わせて隣に並んでくれたのはありがたかったけど、今日ばかりはブラックたちへの文句しか出てこないので、申し訳ないんだけど正直気が散って仕方なかった。
飛ぶのがとてもうまいポッターは、早速列の先頭に躍り出たかと思うと、猛スピードでぐんとひとりで校庭を一周し、再び列の先頭に戻って来た。わたしの横を通り過ぎる時、「見てて、今から面白いことするから」とウィンクしてきたせいで、リリーの機嫌が更に悪くなる。
面白いことって…一体なんだろう。
「ポッター! 隊列を組んで飛びなさい! 今はクィディッチの選抜試験をしてるんじゃありません!」
フーチ先生からの喝が飛んでくるけど、ポッターはそんなことお構いなし。何周か校庭をひとりで回ってみせると────だんだん、その箒の穂が白く光り始めた。
わたしは最初、彼の飛びっぷりがあまりにも速いせいで、残像でも見えているのかと思った。でも、違ったのだ────ポッターの箒の穂先から、白い光がクネクネとほとばしり、それはやがてひとつの文章を描く────"シリウス お誕生日おめでとう"。
すごい。箒から噴射された雲が文字を描くさまを見て、わたしは素直に感動してしまった。急いでブラックの表情をうかがうと、満更でもなさそうに「フン」と鼻で笑っている。ルーピンはもっと顔いっぱいに笑顔を浮かべていて、ペティグリューは後ろの方で「わーっ!」と喝采なのか悲鳴なのかわからない声を上げていた。…たぶん、だんだん声が遠くなっていったので、ポッターの技に興奮した勢いで落ちて行ったんだと思う。
ただ、ここでもやっぱり喜んでいたのはわたしたち生徒だけだった。
フーチ先生はもうこれでカンカン。箒に細工をするなだの、そもそも勝手に飛び回るなだの、その厳しい目を更に鋭く光らせて、わたしたちに地上に下りるよう指示した後、残りの授業時間を全てポッターへのお説教に使ってしまった。
そして、ポッターは再び減点を食らった。
【20:00】
大広間で夕食を取り終え、最後の天文学の授業に行こうとした時だった。
わたしがリリーと一緒に天文塔へ向かっている途中、後ろからやってきたポッターに声をかけられる。ブラックたちはなんとか姿が見えるくらいの後方で、何やら楽しそうに話している。
「リヴィア、ちょっと相談があるんだけど良いかな」
「うん? 良いよ」
ポッターがわたしの気を引くと、リリーはツンとして「そういうことならわたし、先に行ってるわね」と言ってスタスタ歩いて行ってしまった。
「…エバンズ、また何か怒ってる?」
「あー…ほら、今日の授業で散々先生の手を止めさせちゃったから…。ねえポッター、ブラックのお誕生日を祝うのはわたしも楽しいけど、次の天文学だけちょっとがまんしてくれない?」
そろそろリリーの胃に穴が空きそうだったので、わたしはポッターに下手に出ながらお願いをする。
ポッターは「うん、わかった」といとも簡単に頷いてみせた。…その簡単さが、おそろしい。これまでどの授業でも欠かさずブラックを祝ってきたポッターが、最後の最後で何もしないなんてことが本当にあるのだろうか。
「あ、疑ってる? でも本当に授業中は何もしないよ。お楽しみは授業の後だからね、リヴィア。で、僕はその楽しみの準備をする上できみの魔法を少しだけ借りたいんだけど────」
「授業の後…? しかもわたしがそれを手伝うの?」
一体何をするつもりなんだろう。大抵のことならひとりでできるポッターが、わざわざわたしを頼るなんて…うん、やっぱり私が彼の役に立てるとはとても思えない。それに、授業が終わったら生徒はまっすぐ寮に帰るのが規則だ。ブラックのことを祝いたくないわけじゃないけど、規則を破って何かまた減点を食らうような話の片棒を担ぐくらいなら、正面切ってブラックに「おめでとう」と言った方がずっとマシだ(そういえば私、まだブラックに直接おめでとうを言っていなかったな)。
「…内容次第で、考えさせて」
考えさせてと言っているのに、ポッターはまるでわたしがもう協力を承諾したかのような笑顔を見せた。
「ありがとう! あ、大丈夫だよ。もちろんきみに迷惑をかけるようなことじゃないから。あくまでこれは僕らのパフォーマンスとしてやるだけ。きみにはその影のアドバイザリーになってほしいだけなんだ」
さっきからどうにもうさんくさいのは気のせいだろうか。ひとまずポッターからその「わたしの魔法を借りる」件について詳細を聞いてみると────。
「…って感じで、盛大にやりたいんだ」
「────うん、まあそれなら…」
────意外や意外、思った以上にその提案はまともであり、確かにわたしが役に立てそうな話だった。
ポッターから持ちかけられたのは、間違いなく今日最大のパフォーマンス。しかも決行は今日の23時59分。日付が変わるそのギリギリまで待って、今日という日を永遠に刻み込みたいのだと言っていた。
わたしが助ける部分は、本当に"わたしが手を加えたとはわからない範囲"にとどまっていた。だからこそ、わたしはその作戦に乗ることを決める。とりあえずわたしが規則を破らずに済むなら、あとは自己責任でやってもらえればそれで良い。
もちろん万が一ここにわたしも関与していることがバレたら、それはそれはとんでもないことになりそうだけど…うん、まあ、友達のお誕生日を祝いたい気持ちなら同じ。ただ、わたしが目立たず、あくまでこっそりと誰にも気付かれずおめでとうの気持ちを伝えられるというだけなら、そこに断る理由はなかった。
「ありがとう! じゃあ、仕込みを22時頃にするから────」
「オーケー。談話室で待ってる」
ポッターは心から嬉しそうに笑っていた。まるで自分の誕生日以上に喜んでいるようなその顔に、そして今日という日を(入学してから)間違いなく一番派手な日に仕立て上げているその行動に、わたしは純粋な疑問を持つ。
確かにポッターは友達思いで目立ちたがりだけど、今日はそれがあまりにも度を越しているような気がしたのだ。
「…なんでそんなに張り切ってるの? 朝から晩まで、ずっとブラックのことばっかり…」
祝いたい気持ちはわかるのだが、何がそこまで彼を突き動かしているのかがわからない。だってポッターはこれまで既に3回減点を食らって、小さな爆発を起こすたびに先生に叱られているのに、一向にそれをやめようとしないのだ。
ポッターはきょとんとした顔をしていた。
わたしの質問の意味が、わからないらしい。
「────だってあいつ、ろくに誕生日を祝われたことがないんだぞ」
その言葉を聞いて、はっとする。
スリザリンの名家ブラック家の長男でありながら、グリフィンドールに所属し、スリザリンを嫌っている異端児。あまりおうちの事情を聞いたことはなかったけど、スリザリンの寮生からの白い目や、どうにもおうちを嫌っているらしいブラックの言動から、なんとなくその境遇は察していた。
「ブラック家の純血主義に反対してたシリウスは、家の鼻つまみ者だった。当然、生まれてきたことを喜ばれたことなんてない。だから僕が、あいつに誕生日の素晴らしさを教えてやりたいんだ。生まれてきてくれてありがとうって、一日かけて全力で伝えたいんだ」
その眼差しは、キラキラしていて眩しかった。友達を想う誠実な心に、わたしは胸をうたれる。
わたし自身はそこまでブラックと仲が良いわけじゃないけど────ポッターたちとブラックの気高い友情を守り、ブラックが「生まれてきて良かったと」一瞬でも思えるためなら、わたしも協力を惜しまないことにしよう。
【22:00】
指定された時間通り、わたしは寮の談話室でポッターが戻って来るのを待っていた。本当ならとっくに門限を過ぎているので、ポッターがまだここに来ていないことをもっと心配しなければならないんだけど…もうあの人たちに限っては、そんなことを気にかけるだけムダだと、わたしは入学早々にして学んでいた。
それから10分ほど経った後、ポッターは現れた。談話室の穴をよじのぼってくると、すぐにわたしを見つけて「遅れてごめん」と駆け寄ってくる。
「材料は調達できた?」
「ばっちり。これで日付が変わる直前にドカンと一発やれれば、きっとあいつにとって忘れられない誕生日になるぞ」
「ホグワーツの全員がブラックの誕生日を覚えるだろうね」
「それ、良いな。シリウスの誕生日をホグワーツの記念日にするんだ!」
ポッターほどの目立ちたがりでないブラックが果たしてそれを喜ぶかは疑問だったが、わたしはポッターが両手に抱えてきた"材料"の箱を見る。
「それが、最後の"一発ドッカン"?」
「そうそう。あとはこれを正しく組み立てて、魔法をちょびっとかけるだけなんだけど…」
「その仕上げをわたしがやるんだよね」
「うん。どう、お願いできそう?」
「わたしが"できるよ"って言える数少ないことだよ、幸いにも」
ポッターはわたしの返答を聞いて、今日一番の笑顔を見せた。
リリーには、「ポッターと待ち合わせてるから先に寝てて」と言ってある。もしかするとこの"最後の一発"でまた起こしてしまうかもしれないけど────リリーは、「どうか規則にだけは気をつけてね」と心配そうに言って、先に寝室に行ってくれた。
談話室の隅で、ポッターが"材料"を組み立てるのを見る。
いくつかの薬品の粉、大きな筒、それから何枚かのもう使えなくなったボロボロの羊皮紙。彼が持っているのは────"花火"の材料だった。
彼の話はこうだった────つまり、日付が変わる直前、自分の寝室の窓から校庭に向けて、大きな大きな花火を打ち上げると。
全校生徒がきっとそれを、自分の寮の窓から見ることだろう。あるいは地下に寮があるハッフルパフやスリザリンの生徒はそれを見られないかもしれないが、ポッターは「最後の最後で"ホグワーツ"にも祝わせたい」と言っていた。
確かに仕掛けているのはポッターかもしれない。ブラックを全力で祝っているのは彼らの親しい友人だけで、ほとんどの生徒や先生にとって今日という日は何てことのない365日のうちの1日かもしれない。
でも、ポッターはそれを変えたがった。
別にみんなから「おめでとう」という言葉を引きずり出したいわけじゃない。
そんなことはしなくて良いから、みんなに認知してほしいのだそうだ。
ブラックがこの世に生まれて、ここに生きていることを。そしてそれを────どんな減点も罰則も厭わない無鉄砲な(彼らからすればサイコーにクールな)やつが、心から祝福しているのだと。
わたしが任されていたのは、花火の最後の"調整"だった。
ポッター曰く、その花火はとても幻想的でキラキラとした美しいものにしたいらしい。花火自体なら作れるし、そこに"おめでとう"というメッセージを込めることだって、彼にとってはお茶の子さいさいだ。
でも、彼はちょっとばかり繊細さに欠けていた。例えば、文字にきらめく星の輝きを付け足したり、風に吹かれて妖精の粉が舞っているように見せかけたり────。
ネオンでビカビカに光らせたりするならポッターの専門領域。でも、そういった儚くて美しくて、見る者全ての目を奪うようなうっとりとする情景を作ることにおいて、彼はどうしても「うまくやれない」らしい。
そこで呼ばれたのが私。
変身術と呪文学を得意とし、豪快な魔法が苦手な代わりに、繊細な魔法なら学年の中で誰よりも秀でている(と先生に評価していただけている)私なら、ポッターが望む"深夜のお祝いに相応しいロマンチックな演出"ができるだろうと踏んで、最後の仕上げを頼まれたというわけだ。
1時間も経つ頃には、ポッターお手製の花火が完成していた。
「ブラックたちは今何してるの?」
「リーマスが足止めしてる。僕らのプレゼントを渡して、それで一緒に遊んでるんだ。まあ、僕がいない時点でまだ何か企んでることはわかってると思うけど、それでもびっくりさせたくて」
「…ブラックはきっとすごく嬉しがってるんだろうね」
ポッターのやる悪戯に無理やり首を突っ込むでもなく、まるで次から次へと(人に迷惑をかけながらも)浴びせられるサプライズを待ち侘びているみたい。わたしには今日のブラックが、"クリスマスにサンタさんがおもちゃを持ってくるとわかっていながら、本当に来るかな、いつ来るかな、とわくわくしすぎて眠れない子供"のように見えていた。
「さーて、これで花火は完成だ。この中見てもらえる? この白い液体が、空で爆散した時に"シリウス 生まれてきてくれてありがとう"って文字に変わるから、きみが思いつく限り一番綺麗な魔法をかけてほしいんだ」
「そうだなあ…文字が白いならまずは雪を降らせようか。それで、その結晶がだんだん大きくなって、文字を覆い隠したら、今度はそれを深紅と金色の粒子に霧散させて、空に向かって一直線の道を描いてみるのはどう? ちょうど今日はとっても綺麗な月が出てるし────きっと、最後はとても素敵な赤い星になるよ」
思いつく限りの、と言われたので、難しいだろうことはわかっていつつ、私にできる最大限の提案をしてみる。ポッターは「わお! きみってやっぱサイコー!」と喜んでくれた。
主催者の承諾が得られたので、わたしはいくつもの魔法を合わせながら、慎重に白い液体に細工をしていく。雪の魔法、そしてそれを粉塵に帰す魔法、色変え魔法、粒子を空に打ち上げひとつの星に見えるよう収束させる魔法。
「────時間通りに必ず打ち上げてね。この魔法、私の力じゃ1時間しか保たないから」
そう言っている時点で、時間は23時20分。時間通りなら、あと39分でこの魔法が効果を発揮することになる。
「任せて。時間になったら男子寝室から打ち上げるから、良かったらそっちも窓から見ててよ」
「うん、わかった。じゃあ一旦────おやすみ」
「ああ、本当にありがとう。おやすみ!」
わたしが手を加えたことは本人にはきっと伝わらないだろうけど、ブラックのお誕生日を心から祝う気持ちを、わたしは花火にこっそりと込めていた。
だって彼は、リリーほどじゃないにしろ、わたしの大事な友達だったから。
ポッターほどの度胸はないけど、こんな形で自分も彼のお祝いに参加できたことが嬉しかった。結局最後まで直接お祝いを言う機会はなかったけど、あの雪と光の魔法でこっそりわたしも気持ちを伝えられたと思えば、それだけで満足だ。
【23:59】
わたしは時計を見ながら、その時が来るまでまんじりともせずにベッドに座っていた。
23時58分になった瞬間、ベッドの上から窓の外を覗き込み、花火が打ち上がる瞬間を待つ。
そして────。
ドーン!!!!!
確実にホグワーツ中の壁をきしませるであろう轟音が、空に響き渡った。
「夜も眠らせてくれないってわけ!?」
すやすやと眠っていたリリーが、半ば寝言のようにそう言って反射で起き上がった。今日1日、相当なストレスでピリピリしていたのだろう。最後の最後でその片棒を担いでしまった負い目から、「ごめん、うるさいね」とわたしはつい謝ってしまう。
「あなたが謝ることなんてないわよ。それより、今度は一体────わぁ…」
文句を言っていたリリーだったが、窓の外を見た瞬間、その刺々しさが一瞬で萎えていくのがわかった。
"シリウス 生まれてきてくれてありがとう"
空に浮かんでいたのは、美しいイタリック体で綴られたブラックへの、"生まれてきてくれたことへの感謝"だった。
ブラックは一度も誕生日を祝われたことがないのだと、ポッターは言っていた。
幼い頃から家の伝統に従わず、最終的にグリフィンドールに入った時点で、家のつまはじき者になってしまったのだと、そう聞いていた。
だから彼はきっと、この言葉を選んだのだろう。
生まれてきてくれてありがとう。きみがここにいて、グリフィンドールで僕と一緒に毎日遊んでくれることが、何より嬉しいよ────と。
そしてやがて白いメッセージの周りに、ちらちらと粉雪が降り出す。
その時には、窓という窓から生徒や先生の唖然とした顔が覗いているのが見えた。みんな、わたしたちの作った花火の演出を呆けた顔で見ている。
雪がメッセージの下に降り積もると、その結晶体はだんだんと大きくなり、メッセージを覆い隠す。美しい文字が全て雪の結晶に変わると、それは一瞬の沈黙を保った後、パリンと軽快な音を立てて割れた。割れた雪の結晶からは、さっきの粉雪よりもっと細かい、深紅と金色に彩られた光の粒子が降り注ぐ。まるで妖精の粉のようなそれはふわふわと空中を舞うと、今度は光の速さで空の一点に向かって集まっていった。
「────光の絨毯みたいだわ────まるで、月に向かって一直線に伸びてる道のよう────」
リリーがうっとりとした声で言った。
「あの魔法────あなたがかけたものね?」
「えっ、なんでわかったの?」
「ポッターがあんな繊細な魔法を使えるわけないわ。わたしが知る限り、あの人の周りでここまで美しい景色を見せてくれるのなんて、あなたしかいないもの」
「そんな…」
でも、わたしが最後にかけた祝福を、美しいと思ってくれる人がいるのなら────もしそれを、本人も美しいと思ってくれていたのなら、それはとても嬉しいことだと思った。
お誕生日おめでとう、ブラック。
あなたが生まれてきたことを喜んでいる人は、たくさんいるよ。
だからわたしからも。
生まれてきてくれて、ありがとう。
「ポッター!!!!」
寝室のルームメイト全員で空のパフォーマンスの余韻に浸っていると、階下からマクゴナガル先生の怒鳴り声が聞こえてきた。
「いるのはわかっています、出てきなさい! 親友の誕生日を祝うことは大いに結構ですが、時間帯と場所と規模をもっと考えなさい! グリフィンドールから10点減点、更にあなたには来週いっぱい罰則を科します!」
────そしてポッターは、遂に罰則を食らった。
2020年度版シリウス生誕祭記念小説です。
恋愛要素はありませんが、その代わりに精一杯の友情を込めて。
ちなみに、文章のテンポの関係でジェームズが罰則を食らったところで話を終わらせておりますが、シリウスはこの花火にとても感銘を受けていました。
そして同時に、その魔法に主人公の手が加わっていることも、リリーと同じ理由で見抜いています。
翌日にはきっと、
「リヴィア、昨日はありがとう」
「えっ、わたし、なんにも…」
「ははは、ジェームズにあんなチマチマした綺麗な魔法が使えるかよ」
「あっ…そう…うん、喜んでもらえたなら良かった。おめでとう」
という会話を交わしていることでしょう。
孤独だったシリウスが初めて孤独じゃなくなった瞬間。
そして個人的には、"悪戯仕掛人"の存在が初めてホグワーツ中に露呈した瞬間でもあったら良いなあと思います。
ジェームズ・ポッターとシリウス・ブラック、あいつらはやべえぞ…的な。
何はともあれ、シリウス、お誕生日おめでとう!
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