Cercis chinensis



"彼"が、人として欠落していることならなんとなく察せられていた。
彫刻のような顔。絹のように柔らかな物腰。声は海のように深く、彼が着ている学校指定のありふれたローブでさえ、何か特別な魔法のかけられた高級布で織られたもののように見えていた。

そんな人のことを「欠落している」だなんて、一体どこを見てそう言うのだろうと大抵の人は思うのだろう。

それでも、きっと私以外にも"よく見てさえいれば"気づいている人はいるはずだ。
彼を称賛する時、その賛辞はあくまで"トム・マールヴォロ・リドル"という男の外皮にしか留まっていないということに。

彼は決して、自らを語らない人だった。巧みな話術で他人の言葉を引き出し、あたかもそれに対し深い共感を示しているかのような素振りを見せることで、まるで自己開示を完結させたかのように思わせているが。

彼は決して、誰にでも分け隔てなく手を差し伸べる人ではなかった。その人望の厚さ故に勝手に彼の傍へ辿り着こうともがく人が多く見えるというだけで、彼の方から誰かとの精神的な繋がりを持とうとしている場面などただの一度も見られなかった。

彼は慎重で、控えめで、決して驕らない。上品に笑い、優雅に歩き、蠱惑的な瞳で世界を射抜く。
まるでこの世の全ての魅力をかき集めたかのような人。

初めて出会った瞬間、既に私は彼の姿から目を離せなくなっていた。
そこに根差していた感情は────"好奇心"。

決して好意ではなかった。かといって、少数の鋭い人が本能的に抱いていた恐怖も、全くなかった。
単純に興味があったのだ。自分でこういうことを言うのはあまり褒められたものではないが、私はきっと彼の────そうだな、本質はおそらく永遠に理解できないのだろうが、それでも────限りなくその本質に近い部分を見抜いていたせいで。

彼には、生気がなかったのだ。
彫刻のよう、絹のよう、海のよう。それらは全て、命のない冷たい無機物ばかり。
そう、賛辞と捉えてしかるべきそれらは、揃えてみると彼の"人間味のなさ"を如実に示していた。

「トム」

そう声を掛ければ、彼は必ず動きを止めて振り返る。

「どうしたんだい、イリス」
「スラグホーン先生が呼んでたよ、なんでも次の授業のデモンストレーションで協力してほしいことがあるって言って」
「わかった、後で先生の部屋に寄ってみるよ。ありがとう」

どれだけ簡単なことでも、必ず丁寧なお礼が返ってくる。

私の微笑みに彼が応えた瞬間、彼に話しかける機会を窺っていたらしい同級生の女子が悔しそうな顔をしてその場を離れたのが見えた。
────それをわかっていてこのタイミングで話しかけたのだと知ったら、きっと私が数年かけて築いてきた評判は一瞬で地の底に落ちるのだろう。

腹の底でほくそ笑みながら、私はその会話を皮切りに自然な流れで彼の隣に並んで歩きだした。

────好意はなかったのだ。確かに、最初は。

「良かったら、僕と付き合ってほしい」

そう言われたのは、約4年前────3年生になった年の冬だった。
始めはどうして自分が選ばれたのだろう、と思った。

初めて見た時、彼はきっと恋愛などという俗物的なものに興味などないのだろうと思っていた。それほどまでに、高尚な存在に見えていたのだ。そしてだからこそ、私はそんな彼に関心を持っていた。

世界中のどこを見たって、完璧に"人間"の劣悪さを切り捨てた者など存在しない。私達には必ず感情があり、衝動がある。
理性で全てを管理することなどできないのだ────そう思っていたからこそ、彼の"人間味"を見てみたいと思っていた。

「────私で良ければ、喜んで」

だから、彼の白々しい告白を信じずともなお応えたのは、それがまさに「ちょうど良い」と思ったから。それだけのことだった。

恋人として傍にいれば、彼にどんな思惑があろうとも、彼を探る格好の口実ができる。トム・リドルという私の人生の中に初めて現れた人種について、研究することができる。

そうして付き合ってみたら、わかったこともあった。

彼はやはり、私のことを決して本気で愛しているわけではなかったのだ。

自分で言うことではないのだが、私はどうやら平均的なそれを比べれば美しいと言われる部類だったらしい。そして、これはひとえに円満な人間観察を実現するための手段でしかなかったのだが、そこそこに人当たりが良く、人脈が広い部分を評価されてもいたらしい。成績だって悪くはないし、不意のハプニングにもあまり驚いたりはしない。

要はそういった私の"全てにおいてそれなりに高いスペック"が、彼にとってもまた「ちょうど良い」ものだったというわけだ。
特に人脈の部分。私としては大人には気に入られておいた方が何かと都合が良いだろうと入学初期の頃からいわゆる"良い子"を演じ続けてきていたのだが、他の生徒にとってはどうやらそれが正義というわけでもなかったらしい。特に我らがスリザリンに在籍する者は良くも悪くも自我が強く、その分他者から反感を買うことも少なくなかった。

そんな中での、私。
もし私と彼の間に何か一つでも共通点があるとするなら、それは"誰にでも良い顔をして上手に世渡りしたい"というところだったかもしれない。もっともそこに根差すものは、私の場合"自分が不用意な傷を受けないために"というものだったし、彼の場合は…おそらく、"自分の信者を増やしたい"というものだったのだろうとは思うが。

それに付け加えるなら、彼がやたらと不特定多数の女子生徒に想いを寄せられていることも理由のひとつだったのかもしれない。言い寄られる度にやんわりと断っているそうなのだが、そもそも特定の人間との密な関係を疎んでいる彼にとってそれがストレスになっていることは明白だった。その点私であれば、自分に時間を割いてほしいとも、空いている時間の全てを使って自分のことを考えてほしいとも言わない。ここまでくるともはや彼に「私という"ちょうど良い"女がいて良かったね」と言いたくなるほどだった。
彼が私という人間に大いなる利用価値を見出していることならわかっていた。だからこそ、この関係は4年も続いたのだ。────おそらく、卒業と同時に解消されることだろうが。

彼とは主に授業後、夕方から就寝までの時間を共に過ごすことが多かった。その日出た課題を共にやり、共に食事を摂り、共にソファに腰掛けて本を読む。
会話はそこまで多くなかった。しかし彼が無駄話を好んでいないことなどとうに承知していたし、傍目にはそれが"会話がなくとも通じ合っている2人"に見えていることも察していたので、私はあえてあまり口を開かないようにしていた。

そう、彼の愛情表現は、"傍目には"完璧だったのだ。
誕生日には宝石を贈り、クリスマスにはお揃いのセーターを着、ホグズミードでは私の好みに合わせた店に付き合ってくれる。彼は私の頭をよく撫でていたし、他の人には見せない微笑み方だって熟知していた。

それを受けて私がどう思ったか。
もちろん、嬉しかったに決まっている。

だって────恋愛が絡んだ時においてのみ、トム・リドルは完璧"ではなくなった"から。

私は別に宝石になんて興味はない。お揃いのセーターより自分が好きな服を重ね着したい。自分の好みだって曖昧だから、話し合いながら行き先を決めたい。
そう思っていたのに、彼は完全に"女"とはそういうものだろうという偏見に支配されているようで、毎度私の意見も聞かずに自信満々な態度を見せてきていた。

「人間観察って、すっごく大事よね」

ある日、唐突にそう言うと、トムの不思議そうな表情が返ってきた。

「相手が何を望んでいて、何を言えば喜んでくれるのか────"女"や"男"、"子供"や"老人"なんて大きなカテゴリーじゃ人間を区別するにはあんまりにも情報が足りない。その人が何を見て、何を話して、何を日常のルーティーンにしているのか…"個"を徹底的に観察しないと、その人の心を掴むのって到底無理なことだわ」
「…つまるところ?」

"到底無理"、その言葉が自分に向けられているということを、聡い彼は早々に察したようだった。プライドの高い彼の声が少し強張ったことがわかったので、私は必要以上に高い笑い声を出し、冗談を言う時のように大仰に腰を曲げて下から彼の顔を覗き込んでみた。

「私、次にホグズミードへ行く時は、あなたと一緒に行き先を決めたいな。いっつも私の行きたいところに付き合ってもらってばかりなんだもの、たまには私にだって、観察する機会をちょうだい」

あなたに悪いところなんてない、今の発言は完全に私のためのものである────そう言えば、彼のプライドを傷つけることもあるまい。案の定、トムは「ああ、わかったよ」と簡単に頷いてくれた。

ああ、なんて調教のしがいがあるのだろう。
完璧にしか見えない人間の綻びを見つけ、繕っていく。この作業がこんなに楽しいのだと教えてくれた彼には、感謝をしなくては。

「ねえ、トム?」

────ホグワーツで過ごす最後の春。
ある日の夕食後、談話室で隣合って座りながら、甘えた声を出す。

「なんだい、イリス」

トムの声は、いつだって優しい。焚き過ぎたアロマオイルのような声で、心の奥が咽せ返る。

「知ってる? 校舎の北側、普段誰も立ち入らないところに小さな花園があるらしいの」
「へえ」

優しいのに、そこには微塵も関心のある様子が窺えなかった。わかっている、彼がそんなものに興味がないなどということは。

「私、行ってみたい。ねえ、明日の授業終わり、少しだけ見に行ってみない?」
「そうだね…」

彼は柔和に微笑みながら、断る理由を探しているようだった。そこで私はわざと少し頬を膨らませ、それが"わざと"である演技をしながら声を尖らせる。

「わかった、それなら明日の昼には、あなたが前から興味を持っていた禁書を借りてきてあげる。その代わりのデート、ってことでどう? あなた、あの本を借りたら自分が悪目立ちするって思って竦んでいたでしょ」

彼が遠い未来を見据え、信者を増やし、将来的に闇の世界で暗躍しようとしている…という朧げなビジョンなら、観察している間に見えていた。そしてそれを遂げるため、今はあえて優等生を演じ、地中で"その時"を耽々と待ち続けているということも。だから彼は、目立って闇の魔法に手が出せない。慎重に、目立たないように少しずつ、情報を集めていくことしかできないのだ。

それに対して私なら、未来に対する大望なんてない。普段からジャンルを問わずあれやこれやと広範な分野に手を出してもいるので、多少目立ったところで支障はない。彼が借りたがっていた禁書だって広義で言えば魔法薬の分野。スラグホーン先生を誑かすことなんて造作もない。あのトム・リドルと付き合っているということにおいてアルバス・ダンブルドアからはある程度警戒されているようだったが、残念だ、私はトムに一生ついていく気など毛頭ない。警戒されたところで、痛くもない腹を探られるだけなのだ。

「そこまでして僕と行きたいのかい?」
「もちろん。それにこういうのはなんでも等価交換が基本でしょ。人は"願っても何もしてくれない"人に"何かしよう"とは思わない。でも、"願わなくてもなんでもしてくれる"人に"何か返そう"とも思わない。身の丈に合った奉仕があり、奉仕に見合った報酬がある。それによって初めて"人と人との関係"は成り立つと思うのよ」

トムはその存在だけで人を魅了する存在だ。しかしただ魅了させただけでは、周りの人間は動かない。呆けたように突っ立って、遠巻きにその美しいモノを眺めているだけだ。
だから、動かす"理由"が必要なのだ。手を差し伸べたふりをして、その代償に願ったものを手に入れる。

奪うことしか知らずに生きてきた彼が、正当な方法で途切れない信者を作るためには、そういう方法を学んでもらわなければならない。

「────なるほど。でも、そんなことしてくれなくたって僕は喜んで君について行くのにな」

今更そんな繕ったような甘言を言わなくたって構わないから、だから。

「言わなかった? 願ってもないのになんでもしてくれる人に、何かを返そうとは思わないって。…まあ、何かをしたりされたりすることに"理由"が要らない関係が、"恋人"なのかもしれないけど」

────いつか他の女に色を仕掛ける時は、今の言葉を思い出してね。

翌日、私は約束通り禁書をトムに渡し、その夜は誰も知らない秘密の花園へと向かった。
そこに咲いていたのは、鮮やかなハナズオウの木。濃い桃色の花が咲き乱れ、幻想的な雰囲気を演出していた。

「これは────?」

流石にトムも、こういった"生きた美しいもの"への造詣は深くなかったらしい。ここに何が咲いているのかわかった上で連れて来ていた私はそっと微笑み、花の真下まで彼を連れて行った。

「ハナズオウ。ご覧の通り、春に咲く小さな花なの。花言葉は"裏切りのもたらす死"」

そう囁いた瞬間、トムの目が初めてハナズオウに向く。

「随分と縁起の悪い花言葉だね」
「ユダがキリストを裏切ったことを後悔してハナズオウの木で首を吊ったことに由来するんだって。でも、こんなに美しい花に看取られて命を終えるというのなら、十分贅沢な人生だったのだと思うけどね」

彼の黒真珠のような瞳に差す、小さな赤い光を見る。この程度の言葉でどれだけの影響をもたらせるだろう。将来彼が死に演出を求めるようになってくれたのなら、それはきっと私の功績だ。

こうやって、私は彼を育てていく。恋愛という歪な形の中に無理矢理収まって、互いに互いを利用しながら────きっと彼は学生生活の中で私を体の良い女避けと情報収集のために使い捨てる気しかないのだろうが────私は少なくとも、彼に一生消えない傷跡を残してやるつもりだった。

意識しなくて良い。自覚しなくて良い。
それでも、あなたの人生の端に、私の存在が刻まれていてほしい。自分でもわからないうちに、私という存在と共に生きる哀れな"怪物"になってほしい。

裏切りの花の下で、トムと嘘の口づけを交わす。彼の唇は冷たくて、まるで死人のようだった。

────そうして、私達は最後の日を迎えた。

卒業セレモニーが終わった後、どちらからともなく私達は人の少ない広場の隅の方で合流する。
7年間見て来ていたから、わかる。彼もまた、私と同じことを言おうとしているのだと。

私は────ここで、彼と別れるつもりだった。

元々卒業してまで付き合う気はなかった。付き合えるとも、思っていなかった。
彼が卒業後、ホグワーツの教員になろうとして断られた話なら聞いていた。その後の進路については、聞いてもはぐらかされるばかりだったので知らない。それでも、どこかには就職すると言っていた。どうやらそれは嘘ではないようなので────少なくとも、この箱庭から解き放たれた瞬間闇の帝王として猛威を奮う気はないらしい。まずは外の世界で"使える信者"を募る、というところだろうか。

彼が支配する世の中を見るのが楽しみだ、と言ったら、一体どれだけの人に非難されるだろう。上手に世渡りしたいと思って生きてきていたはずなのに、私はいつの間にやら彼の作る新しい世界を────それが多くの人々に悲しみをもたらすとわかっていながら────早く見てみたいと思うようになってしまっていた。そういう意味では、彼にあれこれと教示してきたつもりでいたのは完全なる驕りで、私も十分彼の影響を受けていたということになるのだろう。

すぐ隣に死が潜むことになる未来なら、なんとなく想像できる。これは決して他人事ではない。トム・リドルという人間であれば、かつて親交のあった────たとえそれが元恋人という関係であったとしても、躊躇いなく緑色の鮮やかな閃光を放つのだろう。

それでも構わない、と思っていた。

「イリス」
「今までありがとう、トム」
「────…」

トムの動きが、一瞬止まる。
わかっていたのかい、僕の言いたいことが。大方、そんなところだろう。

わかるに決まっているじゃないか。
だって、私は7年間あなたのことだけを見続け、あなたのことだけを想い続け、あなたのためだけに毎日を過ごしてきていたのだから。

私は微笑んで、杖を取り出す。彼のローブの胸元に向けると、くるりと一振り。
スリザリンの緑の紋章が刻まれたそこに、濃い桃色の花が一輪咲いた。

裏切りの花を、愛した人へ。
何の呪いかと問われたのなら、文字通り"人生を縛る呪い"だと答えよう。
しかし、彼は何も言わなかった。私と同じように微笑んで、私と同じように杖を出すと、私が咲かせた花と同じもので私の胸元を彩る。

お揃いのハナズオウを湛えた私達は、その時初めて心を交わした。

「とても好きだった、あなたのこと」
「ああ、僕もだ。君から得たものは、決して忘れない」

無理に理由をつけるなら、"あなたの目指す道と私の目指す道は違うから"。具体的な将来の話をしたことはなかったが、きっとお互いに"それを理解している"ことならわかっていたから、こうなる末路も想像していた。そのお陰で、余計な言葉は要らなかった。最初から最後まで、私達の間に無駄などひとつもなかった。

ありがとう、トム。充実した7年間をくれて。
私は名前もない無害な一般人として細々と生きていくから────あなたはどうか、力のままに、思うままに、世を作り変えていけば良い。

その心に、いつまでもハナズオウを咲かせたまま。呪いを受けたまま、せいぜい最後の日まで呪われた生を謳歌すれば良い。

さようなら、"確かに愛した"人。







Twitterのマシュマロで募集した際、いただいたリクエストです。
「トム・リドルとの恋愛系」

もう語るだけ野暮なので、いつもなら裏話をしているのですが今回はあえて控えようと思います。こういうテイストの話、大好きなんですよ…本当に大好きなんです…。ああ書いていて本当に楽しかった…。

素敵な機会をいただきありがとうございました。久々に歪んだ話を書くことができてとっても幸せです。









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