わらって。
※3章後〜4章前
「クッソ、またラギーにやられた!」
「あのハイエナ野郎…油断も隙もあったもんじゃねえ!」
「今度会ったら返り討ちにしてやる!」
ああ、負け犬の遠吠えが聞こえる。
「シシッ、おまぬけさんっ。油断も隙も見せる方が悪いんスよ〜」
怒っている他寮の生徒から無事逃げおおせたところで、上機嫌になって独り言を歌うように呟きながら歩いていると、廊下の角で見知った顔と出くわした。
「うわ、監督生くん」
「あ、ラギー先輩…っふふ」
…なんスか、この失礼な後輩。人の顔見るなり笑いやがって。
上り調子だった気分が急速に萎えていくのを感じる。こちらの顔色の変化は流石に鈍感な彼女でもわかったのだろう、笑い声を漏らした直後慌てた様子で「すいません、悪い意味じゃないんですよ」と必死に弁解をしてきた。でも、まだ顔が笑っているから誠意の欠片も感じられない。
「悪い意味じゃないんなら今日は何がおかしかったんスか」
「いや本当申し訳ないです。ただあまりにラギー先輩が嬉しそうだったので、つられてなんか私まで嬉しくなっちゃって」
相変わらず意味のわからないことを言う子だ。
「ラギー先輩こそ、今日は特別嬉しそうな顔してますね。何か良いことあったんですか?」
「良いことっつーか、手に入れ損ねてたおやつのパンを"親切な人から貰った"んスよ」
「えっ、めっちゃ良いことじゃないッスか!」
口調、移ってるし。
自分に関係ないことでそこまで喜べるなんて、ほんとこの学校には相応しくないほどのイイコチャンだなあなんて、そんなことを思う。
この子はいつもそうだった。
オレと会うだけでいつも笑顔になって、どんな些細なことでもオレ以上に嬉しそうにはしゃぐ。
負の感情を向けられているわけではないから、こちらからもわざわざ敬遠したりすることはなかったものの、正直その能天気さがオレは苦手だった。
「ていうかアレですよね、貰ったっていうか、奪ったんですよね、それ」
「人聞きの悪いこと言わないでもらっていッスか? オレはあくまで"差し出された"モノを受け取っただけッス。暴力も振るってないし、弱味につけこんだわけでもないんスから」
「まーたまた、そんなコスいこと言っちゃって。"人に親切にしてもらえる"なんてとっても素敵なユニーク魔法ですよね…んっふふっ」
────能天気なクセに、笑いながらエッジの効いた皮肉を突然投げてくるところも、苦手だった。
この子との距離感はどうにも掴めない。純然たる尊敬の眼差しを向けて弟ぶるジャック君とも違うし、いらふわ空間を作って現実主義なオレらを辟易させるカリム君やシルバー君とも違う。いつもキラキラと目を輝かせて、表情だけなら幼い子のそれと全く同じなのに、その内側にはあのレオナさんですら脅せてしまうほどの狡猾さと度胸を秘めている。
ヴィランという風には見えない。リアリストというわけでもない。
さっきも言った通り、この子は基本的にはただの"イイコチャン"なのだ。
しかし、真っ当な魔法を使える生徒ですら簡単に陥れられるこの世界の中で、この子だけはどうにもうまく扱うことができずにいた。いや、逆に魔法を使える生徒が相手なら、復讐に来たところでその手段は"暴力"か"魔法"と相場が決まっているから対策のしようもあるところを、この子の場合そのどちらも備わっていないからこそ、こちらから仕掛けてしまった後に何をしでかすかわからない、という警戒心を解けずにいるのだ。
単純な"ちっちゃい子"であってくれたなら、それこそ見た目は子供でも賢く生き抜く術を模索しているスラムの子供達と同じように接することもできただろう。
でもそれができないのは、どこかでオレがこの子を"対等"な存在だと思っているから。
オレみたいな姑息な手は使っていないのに、この子はこの不平等な世界を上手に綱渡りしている。"賢く生き抜く術を模索している"なんてものじゃない。生来の性なのかそれともこの数ヶ月で急速に成長したのか────とにかく、今やこの子は"弱者"なんてレッテルをものともせず、学校のあらゆる"強者"から一目置かれる存在となっていた。
その様を、どうして見下すことができようか。
「んふふ…あ、やばいなんかツボに入った。カツサンド3つも両手に抱えてスキップしてるラギー先輩…かわい…」
……………かといって、絶対に尊敬もできないけど。
「つーかスキップはしてねッスから。勝手に脳内補完しないでもらって良いスか」
「すいません、でもあの表情ほんと…嬉しそうだなって…ほんとこっちまで感情が伝播するっていうか…」
「はー…君も毎回毎回人の顔見てよくそこまで笑えるッスねえ」
「ふふふふ…でも"Laugh with me!"ってラギー先輩もよく言ってるじゃないですか」
「人のユニーク魔法をサムいギャグみたいに言わないでもらって良いスか」
「ダメだ、もうここまでくるとツッコミまで笑える」
仮にも上級生に対してこの態度。
オレは人との上下関係において"絶対的トップに従う"こと以外のルールを持っていないから、このこと自体にどうこう言うつもりはないし、気にもしない。なんなら二度目になるが、オレはこの子を対等とすら思っているくらいなのだから。
ただ、とにかくこの子は毎回こんな感じなのだ。これじゃ対等どころか、逆にこちらがマスコットにでもされているんじゃなかろうかという気持ちになってしまう。
会うだけで気持ちが萎えるのも、おわかりいただけるだろう。
「あー、今日も上機嫌モードのラギー先輩に会えたので一日幸せです。ありがとうございました、お元気でー!」
わけのわからないことを言いながら、彼女はスキップして俺の前を通り過ぎどこかへと消えていった。これは脳内補完じゃない。本当に、スキップしていたのだ。
「…頭痛くなる…」
イイコチャンなのにイヤなヤツ。そういう意味では、あの子がこの学校に居座り続けられるのも頷ける話なのかもしれない。
居場所も安全も確保されてないなんてカワイソー、と、後輩の入学式騒ぎの時には一瞬思ったこともあった。
でも、この調子じゃそんな心配は無用なようだ。
オレに害がない限りこっちも敵意を向けることはないんで、あとはもうオレと関係ないところで勝手に幸せになってください、ドーゾ。
そんなことのあった、一週間後。
日に日に肌寒さを感じるようになってきた頃、そろそろ上着を着ようか迷いつつもまだシャツとベストの格好のままで外を散歩していた時だった。
校舎の回りを取り囲む森の中。人気のないその場所で、木にもたれて座っている彼女の後ろ姿を見かけた。
いつもなら、どこから目をつけてくるんだと恐ろしささえ覚えるほどの頻度で向こうが先に気づいてくるのに、今日ばかりは視界に入る距離まで近づいても、彼女はこちらの気配を察知した素振りを見せない。
日頃からあのバカテンションに唐突に襲われていることへの意趣返しでもしてやろうか、暇ついでにそんなことを考えながら、足音を忍ばせゆっくりと彼女に近づいた。
そして────
「わっ!」
後ろから、突然大声を浴びせる。
きっとこの子は素直に飛び上がるほど驚いて、そしてまたケタケタ笑いだすんだろう。そう思いながら反応を待っていると────
「────ラギー先輩…」
────え、待って。
泣いてんの?
これは予想外と言わざるをえなかった。
泣くどころか、彼女がオレの前で笑顔以外の表情を見せたことなんてなかったから。
気配も殺していたので、絶対に気づかれていたとは思えない。それなのに、驚くこともせず、彼女は困惑した表情で泣きながら俺を見上げていた。
「…何してんスか、こんなとこで」
結局、意趣返しは失敗に終わってしまった。かといって、その涙を拭ってやるために彼女の目線に合わせてしゃがんでやれるほど、オレは出来た人間じゃない。
これじゃまるで自分が泣かせてるみたいだ。そんな冷めたことを考えながら、俺は突っ立ったまま淡泊な口調で彼女に涙の理由を尋ねた。
「いや、これはあれです」
どれだよ。
「えー…その、あれです。…デトックス、的な」
散々迷った挙句、毒素排出ときた。
きっと何か嫌なことがあったんだろう。でもその理由をオレに話したくないから、誤魔化す言葉を探したといったところか。
「…てことは、涙で排出しないとやってらんないような毒素が溜まってたってことなんスね」
バカな子だ。そんな下手な言葉で誤魔化したところで、結局その涙が"ネガティブな感情"から流れたものだという真意が筒抜けになっている。涙の理由を悟られたくないならいっそのこと、「自然の美しさに感化された」とか言っておけば良かったのに。多分それでも騙されることはないだろうけど、「この生態不明な人間の言うことならありえる」と思えるくらいの余地はあったかもしれないじゃないか。
相変わらずこの子には呆れさせられてばかりだ。溜息をついて、オレはようやく彼女の隣に腰掛けた。
でも、遅れて彼女に目線を合わせたところで、涙を拭うことも、励ますこともしなかった。オレはただ、いつもバカみたいに笑っている子の泣き顔なんてレアだと思ったから、今後ずっとネタにしてやろうと思っただけ。
…そう、あまりにレア過ぎて、ちょっとそのまま立ち去るタイミングを逃してしまっただけ。
「…あの、ラギー先輩」
「なんスか」
「一週間お昼ご飯奢るんで、魔法をかけてくれませんか」
「は?」
泣いていても脳内回路は通常通り、イカれたままらしい。
突飛すぎるお願いを前に、今日はこちらが笑ってやろうという目論見は呆気なく崩され、結局いつものようにオレの方が面食らってしまった。
「魔法って…何のッスか?」
「ユニーク魔法です。無理やりで良いんで、笑わせてください。なんか知らないんですけど、涙止まんなくて。笑顔さえ作れたら気持ちもまた明るく戻るはずなのに、そんな簡単なことさえなぜか今はできないんです」
いつもはあんなに笑っているのに。
表情筋が笑顔のまま固定されてしまったんじゃないかと疑いたくなるほど、永遠に笑っているような子なのに。
そんな子にお得意の笑顔を忘れさせてしまうなんて、何か余程のことがあったんだろう。
その理由を尋ねようなんてことは思わない。それほどオレは、彼女と親しくない。
ただ一方的に見つけてきては一方的に笑われるだけ。
何かの恩があるならともかく、そんな"レオナさんに既に確保されている"対価を差し出されたところで、そんな失礼な後輩のお願いに応える義理なんてない。
それなのに。
「────ハア…無理に筋肉だけ吊り上げても気持ちなんて晴れるわけないじゃないッスか。どこまでバカなんスか、君って子は」
この子の泣き顔なんて見たくない、と思っている自分がいた。
対価がどうとか、情がどうとか、そんな面倒くさい理由なんてない。
ただオレは、この子の笑っている顔しか知らなかったから。
オレが知ってるのは、"いつも笑っている監督生くん"だけだから。
だから────オレはこんな、"涙に暮れてるただの女の子"なんて知らない。
そしてそんなただの女の子に、知ったような顔で名前を呼ばれたくなかった。
俺のこの便利な魔法の話なんて、されたくなかった。
ただ、それだけ。
「良いッスか? 落ち込んだ時はまず涙が枯れるまで泣く。それからうまいメシを食う。そんで好きな曲でも聴きながらゆっくりお風呂に入って、フカフカのベッドでよく寝る。時間がかかるように見えて、これが一番元気を取り戻すには効率的な方法なんスよ」
「………」
「ストレスとの付き合い方も知らないなんて、やっぱ君はおこちゃまッスね〜。オレの魔法になんて頼る前に、自分の力でそんくらいなんとかしてくれッス」
バカにしたように軽く言ってやると、彼女はようやく止まった涙の跡を頬に残したまま、ぎこちなく唇の端を持ち上げた。ほら、そんな風に無理に笑っても落ち込んだ気持ちが元に戻るわけなんてないって、自分で立証している。
「…そうですよね。日頃先輩のことバカにしかしてないのに、」
「オイ」
「自分が落ち込んだ時だけ頼ろうなんて虫が良すぎる話ですよね。すみませんでした、お散歩の邪魔して。もう行きますね」
立ち上がろうとした彼女の袖を、くいと引っ張る。
まったく、普段はどれだけ追い払おうとしても自分が満足するまで離してくれないくせに、どうしてこういう時だけあっさり去ろうとするのか。
「とりあえず涙を止めるって第一段階はクリアしたみたいなんで、次はうまいメシでも食いに行くッスよ」
「…え?」
「流石に風呂や睡眠の面倒は見られないんで、オレが見届けられんのはメシ食うとこまでッスからね。もちろん、君の奢りで」
彼女はわかりやすく戸惑いながら、中腰のままオレの言葉を反芻している。
「え、あの、ラギー先輩…?」
「はい?」
「ご飯、一緒に食べてくれるんですか? でもさっきはオレに頼るなって…」
「人の話聞いてました? オレは"オレの魔法に頼るな"っつったんスよ。元気になるために食うメシをひとりで寂しく食ってどうするんスか」
それに君は、オレの顔を見るだけで笑えちゃうんでしょ。
だったら、意外と一緒にいるだけでもまた笑えるようになるかもしれないじゃないッスか。
"俺の知ってる監督生くん"に、戻ってくれるかもしれないじゃないッスか。
「…ふっ」
ほーら、メシなんて食うまでもなく、彼女は笑ってくれた。
今度は筋肉に無理な負荷のかかっていない、自然に飛び出した笑顔だった。
「本当に一言一言に隙のない先輩ですね、あはは」
「はいはい、早速笑えて良かったッスね。メシも風呂も睡眠も必要なくなったかもしんないッスけど、オレは腹減ったんでメシだけは行きましょ」
「…私の奢りで?」
「君の奢りで」
「うくく、後輩にたかる先輩とか格好悪すぎる…」
さっきまであんなに絶望的な顔をして泣いていたのが嘘のように、彼女はいつも通り腹を抱えて笑い出してくれた。
ああ、良かった。"監督生くん"が、戻って来てくれた。
そのことに安心している自分に、少しだけ呆れてしまう。
別に彼女のことを気に入っているわけじゃない。なんならむしろ扱いづらい、鬱陶しいとばかり思っていたはずなのに。
ギャップ効果というか、普段穏やかな人が怒ると殊更怖く感じるのと同じ道理で、普段賑やかな子が静かに泣いていると、やっぱりどうにも落ち着かない気持ちになってしまうようだ。
「────ていうか今、やっぱりユニーク魔法かけました?」
「は? いやこの流れで魔法かけるバカいます?」
「いやだって、さっきまで私、笑うってどうするんだっけ、なんて考えてたくらいなのに、ラギー先輩と話してたらなんかだんだんおかしくなってきちゃって」
「オレの魔法はあくまで物理的に同じ動きをさせるだけ。精神にまで干渉できる力はないんスよ。君が笑えたのは…ムカつくけど、オレの顔を見ると笑うっていう条件反射がさせたことじゃないッスか」
何がおかしいんだか、本当に意味がわからないけど。
「じゃあ、先輩は先輩そのものがユニーク魔法なんですね!」
少しだけ目を充血させ、それでももう心配はいらないと確信させられるほどの軽やかな笑顔で、彼女は嬉しそうにそう言った。
「…なんスか、それ」
「ほら、"一緒に笑って"ってやつ。私、すごい素敵な名前だと思うんですよね。"オレに従え"でも"同調しろ"でもなく、"笑って"って言ってくれるの、すごく優しいなあって」
「…ま、専ら用途はスリや強奪ばっかっスけどね」
「でも私には、"一緒に笑って"ってちゃんとその言葉通りに聞こえますよ。ラギー先輩の存在自体が、私に笑顔をくれるんです。へへへ」
ラフ・ウィズ・ミー。
速い足と貪欲さを高めるために"考えること"の優先順位を下げたハイエナが、群れを作って同じ行動を取り効率的に獲物を仕留める。そんな"愚者の行進"は、まさに他の肉食動物から見れば"嗤う"に値する卑下すべき行為だと、いつか単体で狩りをする他の種族に言われたことがあった。
だからこれは元々、お前達もそんな"くだらない同調行為"で堕ちて行けよ────そんな皮肉から付けた名前だった。
でも例えば、家族とか、そういう大事な人に対してだったなら。
オレがしっかりやるから、君らの分までちゃんと賢く立ち回るから、一緒に"笑って"生き抜いていこうと────そう、思った日もないわけではない。
そんなこと、今まですっかり忘れていたけど。
「…監督生くん、サバンナに放り出されたら1日で食われそうッスね」
「その時はラギー先輩のユニーク魔法で助けてもらうので大丈夫です。それかもう一回レオナ先輩を脅して協力してもらいます」
「いやさっきオレ、オレの魔法に頼るなって言ったばっかなんスけど。つか対レオナさんに至ってはどこから溢れ出てくるんスかその自信」
ああ、あまりにバカバカしくて、遂にこっちまで笑えてきてしまった。
笑われることには辟易するばかりだったけど、度を超すと呆れる気力すら奪われてしまうのか。
でも、やっぱり彼女は笑っていた方が良いと思った。
初めて涙を見て、改めて思った。
彼女には、笑顔がよく似合う。
ユニーク魔法なんて使わなくても、魔力の消費なんてしなくても、オレがここにいるだけで笑ってくれるというのなら。
ね、監督生くん。
ウザッたいけど、面倒だけど、君はそのままどうかその腹の立つ笑顔のままでいて。
────そのままどうか、笑っていて。
「わらう」という言葉ひとつとっても、何の漢字を充てるかで意味が全く変わるのが、日本語表現の好きなところです。
「laugh」にも「楽しくてわらう」意味と「くだらないとわらう」意味の両方があると(一応学校のお勉強では)教わっていたのですが、日常生活において英語圏の人がどう使っているのか実はよくわかっていません。まあ、ツイステッドワンダーランドなのでその辺は日本語準拠でも良いでしょう。捻じれさせましょう。
ちなみに監督生が泣いていた理由は私も知りません。
そんなわけで夢小説という名のラギーのユニーク魔法についての考察でした。
ちなみにものすごく今更なのですがこちらは監→ラギです。
監督生はラギーのことが(恋愛対象として)大好きなので捕まえに行っていますが、ラギー君にはまだそんな気は全然ありません。
ただ、この後ラギーの気持ちも徐々に変わってくると思います。
なんせ「家族とか大事な人になら抱ける気持ち」を思い出させてくれた人なので。
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