監督生帰るってよ
ひとりは冷たかった。ひとりは暗かった。
腹も減るし、思うように魔法も使えない。
これが"さみしい"ってことなのか?
オレ様はずーっと、ひとりだった。でも、ひとりでいてもいいことなんてひとつもなくて、なんだか悪いものばっかり腹に溜まっていくようだったから、ひとりはキライだった。
大魔法士になれば、みんなが知ってるようなすっげえヤツになれば、ひとりじゃなくなるかな。
"みんな"にすげえって言われてみたい。
"みんな"ってものを、オレ様も手に入れてみたい。
だからオレ様は、NRCに入った。本当は誰かに何かを教わるとか、学生になるとか、そんなの全部イヤだったけど、そうすれば一番早く大魔法士になれるって思ったから。世界で一番になれば、二番目より下のヤツらがみんな、オレ様のことを見てくれるって思ったから。
そこで最初に出会ったのが、子分だった。
大魔法士のオレ様の一番の子分なんて、きっと泣いて喜ぶだろう。
それなのに。
「グリム! ツナ缶は2つまでって言ったでしょ!」
…コイツ、全然言うこと聞かねえんだゾ。
子分はもんのすごく口うるさいヤツだった。オレ様は正しいと思ったことをしてるだけなのに、いちいち文句を言ってくる。一番偉いのはオレ様なのに、まるでペットみたいに扱ってくる。
だからオレ様は、子分のことがキライだった。
「グリム、今日の飛行術、見てたよ! 誰より高く飛べてすごかったね!」
そんな笑顔で機嫌を取ろうって言ったって、ムダなんだゾ。
「グリム…私、いつ元の世界に帰れるのかなあ…」
泣き落としだって、通用しないんだゾ。
「グリム、力を貸して。さすがに寮長のオーバーブロットなんて、私じゃ対処しきれない」
まあ、ちゃんとオレ様がいないと何もできないってわかってるんなら、手を貸してやらないこともないんだゾ。
イヤなヤツだけど、このオレ様が子分にしてやった唯一のニンゲンだからな。子分の面倒を見るのはいい親分のお仕事なんだゾ。
「…ありがとう」
子分のことは、オレ様が守ってやる。
リドルの前に立ったオレ様を見て、子分は力強く笑った。オレ様が来たから安心してるんだろ。そうだ、オレ様は強いんだ。
「グリム、頼りにしてるよ」
おんなじようにしてレオナの前に立った時も、子分はオレ様を迷わず頼った。オレ様がいれば、子分はいつだって笑ってた。
「グリム」
アズールの前に立った時は、もうなんにも言われなくたって、子分の言いたいことがわかるようになってた。
「──── 一緒に戦うよ」
「おう!」
子分は当たり前のようにオレ様のことを呼ぶ。オレ様も、それに当たり前のように応える。
そうやって、オレ様にとっても子分はだんだん"いるのが当たり前"になってた。
ひとりから、ふたりになる。
それだけで、オレ様の腹に溜まってたイヤなモノが消えてくみたいだった。
「グリム、また拾い食いしてきて! ツナ缶なら寮にあるよって言ったでしょ!」
「うるせ〜、腹が減ったんだから仕方ないんだゾ!」
「それで悪いもの食べてお腹壊したら私が困るのー!」
言うことは全然聞かないけど、オレ様のことが一番大事なんだって言ってた。
「今日の錬金術、すごかったよ! 火加減最高ってクルーウェル先生が褒めてた!」
「へっへん、オレ様にかかればあのくらいトーゼンなんだゾ!」
「うんうん、じゃあ今日は奮発して高級ツナ缶パーティーしちゃおー!」
子分はどんどん、オレ様の機嫌を取るのがうまくなってった。
「私ね…もう帰れないんじゃないかって、諦めてるんだ」
わざわざ悲しそうな顔しなくたって、オレ様はどこにも行かないんだゾ。
帰れないんなら、ずっと一緒にいればいい。オマエの夢は別に"元の世界に帰る"ことじゃないんだろ? だったら、オレ様の夢を一緒に叶えればいいじゃねーか。
こっちの世界にいたって、オマエはひとりぼっちじゃねーんだゾ。
だから安心して、オレ様を頼ればいいんだ。
「大丈夫なんだゾ。どこに行っても、オマエにはオレ様がいるから」
そう言ったら、子分は涙をひとつぽろりとこぼした。
久々に涙を見たから親切で拭いてやったのに、子分はそのとたんボロボロとたくさん泣き始めた。
まったく、世話の焼ける子分なんだゾ。
オレ様が大魔法士になっても、コイツはちゃんとそばで面倒見てやんないと。
ふたりで、ひとりになる。
いつのまにか、"冷たい"も"暗い"も忘れてた。
子分と一緒にいる時間が、オレ様は大好きだった。
子分と一緒にいれば、なんだって乗り越えられた。
スカラビアのヤツらも、ポムフィオーレのヤツらも、イグニハイドもディアソムニアも、みんなみんなオレ様がぶっ倒してやった。子分を守るために、オレ様はいっぱいいっぱい頑張った。
そうしたら。
「グリム、あのね、聞いてほしい話があるの」
子分はある日、なんだか難しい顔をしてオレ様を呼んだ。
「なんだゾ? 拾い食いなら今日はちゃんと我慢して────」
「私、元の世界に帰ることになったの」
…え?
「さっき学園長に呼ばれたから、先に帰ってもらってたでしょ。その時、言われたんだ。元の世界に帰る方法が見つかったって」
「元の世界って…」
「私が来た場所だよ。私が元々、住んでた世界」
その時、オレ様は"オレ様が来た場所"を思い出した。
冷たい。暗い。何もない。
さみしい。
「っ…そんなとこに帰るのか!? 子分、オマエはオレ様と一緒に大魔法士に────」
「うん、私もすっごく迷った。グリムを置いて行っちゃうのは、やっぱり…寂しいから」
さみしいはイヤだ。さみしいはよくない。
子分がさみしいって言うんなら、さみしいを知ってるオレ様は何がなんでも止めなきゃ。
「だっ…ダメなんだゾ! 子分を"元の世界"になんて帰せるわけないんだゾ! 帰ったら…だって、子分は…さみしくなるんだろ!?」
「きっとすごく寂しいよ」
「じゃあダメだ! オレ様は子分の親分なんだゾ、子分がちゃんと笑って、エースとデュースとバカやって、"たのしい"って言ってるところをちゃんと見届けてやんないと────」
「ありがとう」
子分はすげえ優しい声で「でもね」って言った。
「私、それでも帰ろうと思うの。ここで過ごした1年は本当にかけがえのない時間だったけど、でも…16年育った元の世界を捨てることは、私にはやっぱりできない。あっちにも家族や友達がいて、きっと私のことを心配してるだろうから…。何より、私が会いたいんだ」
子分はそれから、子分が来た場所の話をした。
そこには、冷たいも暗いもなかった。
あったかくて、明るくて、なんでもあった。
そこに"さみしい"は、なかった。
「お別れを言うのが辛いから、本当は誰にも言わないで行くつもりだったんだ。でも、グリムにはちゃんと話しておこうと思って。…私の、大事な親分だからね」
子分がいなくなっちまったら、オレ様はどうしたらいいんだ?
子分がいなくなっちまったら…オレ様は、またひとりぼっちになる。
また、さみしいが戻ってくる。
そんなのイヤだ。
オレ様たちはふたりでひとつなんだ。
オレ様たちは…オレ様は…。
子分はオレ様のことをぎゅっと抱きしめた。あったかくて、明るい。優しい子分のにおいがする。
うまく見えないけど、子分の肩が濡れてた。それに、オレ様のほっぺたがなぜだかすごく熱い。鼻もツンとつまって、うまく言葉がしゃべれなかった。
「ありがとう、グリム」
震える声で名前を呼ばれた時、今まで何回も子分が言った「グリム」を一気に思い出した。
初めて名前を教えてやった時。
初めて授業を受けた時。
初めて誰かと戦った時。
初めて学園行事に参加した時。
たくさんの初めてがあったけど、どれも全部子分と一緒だった。
そのうち"初めて"が"いつものこと"になっていっても、それは変わらなかった。
ハーツラビュルでトレイのうんまいケーキを食った。
サバナクローでレオナの邪魔をして、オクタヴィネルのバイトでこき使われて、スカラビアの宴で盛り上がって…。
どんな時でも、誰と過ごしても、オレ様の隣だけは変わらない。そこにはずっと、子分がいた。
子分はいいヤツだった。どんな時でも笑ってて、絶対心が折れない、前向きなヤツだった。
でも、たまにこうやって────オレ様のことをぎゅっと抱きしめて、泣いてることもあった。
その時はたいてい、"元の世界"のことを考えてた。
だからオレ様は、"元の世界"ってとこはすっげえイヤなところなんだろうって思ってた。
そんなところ、帰らなくていいって思ってた。
だけど。
「…子分は、帰りてえのか」
そう尋ねたら、子分は「うん」と、小さく答えた。
イヤなところだから帰りたくないんじゃなかった。
帰りたいから、帰れないことがイヤで、泣いてたんだ。
さみしいから帰りたくないんじゃなかった。
帰れないから、さみしいんだった。
一番の夢じゃなかったかもしれないけど、一番の願いだったんだ。
子分はずっと────帰りたいって、そう、思ってたんだ。
「…元の世界に戻っても────」
子分が帰ったら、オレ様はまたひとりになっちまう。
それはイヤだった。さみしいは、もう二度とほしくなかった。
だけど。
「────オレ様のことを忘れるんじゃねーゾ」
子分のお願いを聞いてやるのが、いい親分だから。
オレ様はいい親分だから、子分が元の世界で"さみしい"を感じないですむんなら、それを笑って見届けてやるんだ。オレ様は強いから、子分がちょっとくらい離れたって、平気なんだ。オレ様はすごいから、子分がいなくたって…きっと、世界一の大魔法士になれちまうんだ。
それに、オレ様が大魔法士になれば、子分が"さみしい"になった時、いつだってまたこっちに連れ戻せるかもしれない。オレ様が頑張れば、何回だって子分に会えるようになるかもしれない。
「忘れないよ、絶対。忘れられないよ」
オレ様を抱きしめる子分の腕の力が、強くなった。すっごく苦しくて、心臓のあたりがぎゅうってなったのは、きっとそのせいだ。
その日、オレ様と子分は"いつも通り"一緒にメシを食べて、風呂に入って、同じベッドに入った。
でも、いつもならすぐに目を閉じて眠っちまう子分が、今日だけはずっと目を開けたまま、いろんなことを喋ってた。
出会った時のこと、毎日のなんてことない思い出、オーバーブロットが起きて大変だったって話────思い出すのもイヤになるくらい小さなことも、子分はいちいち掘り起こして喋る。でも、不思議だったのは、子分の言ってることを全部オレ様も覚えてたってことだった。テストに出てくる問題のことは全然思い出せないのに、子分の話はどれだけさかのぼっても、全部さっき起きたことみたいに思い出せた。
だんだん、子分の声がいつか歌ってた子守歌みたいに聞こえてくる。
そういえば、あの歌は聞いたこともないような変なメロディーだった。あれも子分の元いた世界の歌なのかって、そうだ、帰っちまう前に聞いとかないと────。
「────グリム、朝だよ」
「ふなっ!?」
子分の声で、飛び起きる。慌てて時計を見たら、もうとっくに授業が始まる時間だった。
「やい子分! オマエがいつまでもぺちゃくちゃ喋ってるから、寝過ごしちまったじゃねーか! 起こすのが遅い────んだ────ゾ……」
怒りながら、すぐそばにいたの子分の手をぱちんと叩いた…はずだった。
────そこには、何もなかった。
「…子分?」
きょろきょろと辺りを見回すと、部屋のドアに一枚のメモが貼られてることに気づいた。
急いでドアのところまで走って、背伸びをしてメモを取る。
『今までありがとう、グリム。世界一の大魔法士になってね。』
────よく知ってる、子分の字だった。"グ"の字に、ちょっとクセがあるんだ。それで、全体的に細っこくて、なんだか頼りないんだ。
子分のことなら、なんでも知ってるからわかる。
…あいつが、いつのまにか寝ちまってたオレ様を置いて帰ったことも、わかるんだ。
「………」
大魔法士になってねなんて、言われなくたってなってやる。
オレ様はすごいんだ。強いんだ。ここを卒業したらすぐに世界一えらい魔法士になって、みんなを────。
「…"みんな"なんて、いらないんだゾ…」
"みんな"にすげえって言われなくたって、よかった。
"みんな"なんてもの、手に入れなくたってよかった。
オレ様はただ、ひとりの相棒がすげえって言ってくれたら、それでよかった。
ひとりの相棒がずっとそばにいてくれたら、それでよかったんだ。
オレ様は優しいから、子分の願いを叶えてやった。そのことを、後悔したりなんてしてない。
だけど。
「グリム!!」
今はもうない、子分の笑う声が、どこかで聞こえたような気がした。
でもどこを探しても、やっぱり子分の姿はなかった。そこにあったのは、子分と過ごした"記憶"だけだった。
「…やっぱり、ひとりはさみしいんだゾ」
その声に応えてくれるひとは、もうどこにもいなかった。
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