Once Upon A Dream.



夢を見た。

いつも通り、簡素なベッドの中で眠りに落ちたその後、私は気づけば、見たことのない森の中に立っていた。
ああ、これはきっと夢なのだろう。理屈はわからないが、明晰夢という────夢の中で「これは夢だ」と自覚してしまう現象が、その時の私に冷静な判断を下させた。

ここはどこだろう。見たことのない森だ。元々私が住んでいた世界に、こんな鬱蒼とした自然溢れる森なんて存在していなかった。幻想的で、まるでお伽噺に出てくるような木々に取り囲まれたその場所で、私はこの後どんな夢を見ていくのだろうと、好奇心に胸を躍らせさえしていた。

どちらにしろ、これが夢であるのなら、ちょっとくらい散策してみたってどうせ害はない。そんな謎の確信と共に、私は右も左もわからない森の中をうろうろと歩き回ってみることにした。

鳥の鳴き声が聞こえる。風のさざめきと共に、枝葉の擦れる音も聞こえる。
不思議なのは、そこに人の気配が全くないことだった。

もしかして、この夢の世界に人類は存在していないのだろうか。視界の端でリスがちょろちょろと駆け回っているのが見える。ふくろうの鳴き声も、どこか遠くで聞こえてきた。
ああ、ここには人間がいない代わりに、動物がたくさんいるんだ。生き物の息吹を感じながら、私は暗い森の中をあてどもなく歩いていた。

その時だった。

「〜〜、〜〜〜〜」

どこからともなく、それまで全く気配もなかった"人間"の声が聞こえてきた。歌っているのだろうか、それにしてはどこか調子外れで、歌というよりは、小さな独り言のように聞こえている。

誰だろう。私の知っている人だろうか。
私はその拙い歌声に引き寄せられるように、声の出元を探していた。

そうして、どのくらい歩いただろう。
近くに聞こえるはずなのに、歌を歌っているらしい人の姿は、なかなか見つけられなかった。

会ってみたい、と思った。
これは私が見ている夢だ。言ってしまえば、私の脳内で勝手に都合良く変換されている、欲望の成れの果て。
そんな"私だけの世界"に、他人が存在している。そうであれば、それが誰なのかということを知りたいと思うことも当然のことだろう。

好奇心に突き動かされるまま、私は歌声の聞こえる方向へと足を止めることなく進んで行った。

すると、それまで私のことなど歯牙にもかけていなかったはずの動物達が、私の周りをうろうろし出すようになった。まるでこの先にいる"誰か"の元へと案内しようとしているかのようだった。

私は動物達に急かされるがまま、森の最深部へと進んで行った。

そうして────。

「────…わあ…」

私は、つい言葉を失ってしまった。

そこにいたのは、お伽噺で語られる光景なんて簡単に凌駕してしまうほどの、幻想的な景色だった。

木々に囲まれた中でも少し開けた場所。ひとりの人間が座るにちょうど良い岩の上に、"彼"は座っていた。周りにはさっきまで自由気ままに走っていたリスやふくろう、ウサギや鹿までいる。まるで彼という人間に魅せられ、吸い寄せられずにはいられないといった風に。

────岩に座って、低い声で歌っていたのは、シルバー先輩だった。
私はあまり彼と1対1で会話をすることがなかった。だからどうして彼が私の夢に出てきたのかはさっぱりわからない。でも、確かに先輩はそこにいた。

木々の隙間から差し込む陽光に、シルバー先輩の綺麗な銀髪がきらめいている。伏せられた睫毛が、この遠目からでもわかるほど美しく伸びていた。彼はまるで詩を読むように、動物達に自分の歌を聞かせていた。時折相槌を打っているかのように、小鳥達が囀る。

ああ────この人は、こんなに美しい人だったのか。
今まで大した交流もなかった先輩が、どうして今になってこんなにも鮮明に私の夢の中へ刻まれていくのかはわからない。

────元から、綺麗な人だとは思っていた。
謎の多いディアソムニア寮で、寮長のマレウス・ドラコニアさんを守護しているというシルバー先輩。いつもキリッとしていて、動きに一切の無駄がなくて、その様はまるで歴戦の戦士のよう。

でも、その時ばかりは勝手が違っていた。木立の中、そこだけ空間が切り取られたような岩の上で小動物達に歌を聴かせている先輩の姿は、戦士というより、まるで────。

「王子様みたい…」

思わず呟いてしまったその言葉に、先輩が耳敏く反応する。こちらを見て歌を止め、一瞬驚いたような顔をすると、逃げ出そうとするかのように手をぴくりと動かす。

「ま、待ってください」

私はそれを見て、思わず逃げないでと手を前に突き出していた。

だって、私、その歌を知ってる。どうしてかは知らないけど、でも、なぜだかこの光景も────見たことがあるような気がする。

「私はあなたを知っているの、一緒にいつかの夢の中で歩いたよね」

知らず、自分の唇からシルバー先輩の歌の続きが漏れた。どうしてそれを歌えるのかと問われたら、それはきっと自分の夢の中の出来事だからだろうとしか言いようがない。
それでも私は、知っていた。

「私はあなたを知っているよ、あなたの目のその煌めきを私は知っているよ」

すると、シルバー先輩がふっと笑った。夢の中の世界によく似合う、今にも消えてしまいそうな儚い微笑みだった。先輩は岩の上から立ち上がり、優しく私の手を取った。

その時の感覚が、嫌にリアルだったことだけはよく覚えている。

鍛えられた手。無駄の一切ない筋肉。歴戦の戦士が讃えているのは、王子様のような微笑み。
先輩は実に優雅に私をリードし、ワルツのステップを踏んだ。どこかで聴いたことのあるメロディーを共に口ずさみながら、私達は動物達が足元を駆け回る野を軽やかに舞う。

どうしてここにいるのがシルバー先輩なんだろう。
一番夢に現れそうな人なら、仲の良いエースやデュースの方がよっぽど可能性は高いのに。ああ、でもあの2人に、こんなお伽噺のワンシーンのような幻想的な景色はあんまり似合わないなあ。

だからなのかな。
先輩と踊っていると、まるで自分が身をやつしたお姫様のようだ。変身願望があるつもりはなかったけど、この小さな自然の宮殿で踊ってみたいって、どこかで思っていたのかな。そして、私が知る限り一番理想的な"王子様"に近かったのが、この人だったっていう────そういうことなのかな。

まあ、でも、なんでも良いや。
これはどうせ夢の中の話。私以外が知ることはないし、これが私の密かな願望だったというのなら、習ったこともないくせに勝手に踏み出してくれる足が動くまま、彼と夜が明けるまで踊っていよう。










夢を見た。

俺はいつものように、寮の周りの警備に当たっていた。基本的に学校の敷地内であれば、故郷にいた頃よりかは格段に警戒レベルは下がっている。しかし自分がお守りしている方は、いつどこにいようともその身を狙われるであろう最重要人物。ご本人の力がずば抜けて高い事実がある以上、護衛と言ってもそこまで我らに危機が迫ることはなかったのだが────。

だからだろうか。
この温かな日だまりの中、平和という概念を体現したような明るい森の中で、俺はいつものようについうたた寝をしてしまっていた。

その時に、夢を見たのだ。
どこかで見たことのあるような、しかし顔のかたちがハッキリとしない女性がいた。森の中で動物達と戯れながら、美しい歌声を響かせている。優雅な足取りでワルツのステップを踏み、楽しそうに舞っているその姿は、とても美しかった。

そして不思議なことに、彼女の歌は────聞いたことがないはずなのに、なぜか俺も知っているもののような気がした。

「私はあなたを知っているわ、一緒にいつかの夢の中で歩いたもの」

彼女の歌は、夢の中にいる俺に、なお夢見心地を与えるような優しい声だった。

「私はあなたを知っているわ、そのあなたの目ときらめきを私は知っているわ」

一体それは、誰に向けて求愛している言葉なのだろう。

「それが本当だって知っているわ、見えるものの全てが、見える通りではないと言うことを」

彼女は俺の存在に気づかず、朗々と歌い続けている。賢そうなふくろうと、たくさんの動物が折り重なって、まるで成人男性の高さにまで押し上げられたその手を取りながら、実に楽しそうに歌っている。

────思わず、目を奪われていた。
その時ばかりは自分の任務も忘れ、これが現実でないことすら忘れ、俺は彼女の姿に釘付けになってしまっていた。

こんな出会いが、こんな夢の中であるなんて。

「でももし私があなたを知っていたら、あなたが何をするか知っているわ。一度私に恋に落ちるのよ、あなたが夢の中で私に恋に落ちたように」

彼女の言う通り、これは夢の中の世界の話だ。
なんて夢想的な話なのだろう。それともこれは、夢の中で起きているからこそ起きている現象なのだろうか。
夢の中に淡い恋心を求めるなんて、いかにも童話の中に出てくる夢想家の言いそうなことだ。

「でももし私があなたを知っていたら、あなたが何をするか知っているわ。すぐに私に恋に落ちるのよ」

誰に掛けるとも知れない、恋の歌を口ずさむ彼女。
俺はその美しい姿に、つい引き寄せられて俺は彼女の手を取っていた。

「────君が夢の中で俺に恋に落ちたように」

知らないはずの歌の続きが、唇から零れる。
彼女は驚いたように目を見開き、慌てて俺から距離を取った。

ああ、でも、もう遅い。

きっと俺は彼女に恋に落ち、彼女も俺に────。

こんなに簡単に心が動いてしまうのは、ひとえにこれが夢であるが故なのだろう。夢の中の出来事だからと言えばなんでも許されると思っているわけではないが、どうせこれは俺しか知らないただの妄想。
だったら、心の赴くまま、この心地良いリズムに少しくらい浸ってみたって罰は当たらないだろう。

逃げないで、と言わんばかりに、知らないはずのメロディーを低く繋げると、やがて彼女は俺に心を許したのか、そっと差し出した手を取り返した。
親父殿から教わった時にはどうにも慣れないと思っていたはずのワルツが、今日ばかりはやけに体に馴染む。うすぼんやりとした彼女の動きは洗練されていて、どこぞの国の姫だと言われても疑わなかったことだろう。

動物達が、俺達の即席のダンスに合わせて綺麗な鳴き声を上げる。さながら、自然に取り囲まれた劇場のステージに立っているかのようだった。いや、もっと言ってしまえば、王宮の舞踏ホールのようにすら思える。

そんな夢のような空間の中で、俺は彼女といつまでも踊り続けていた。
何度も繰り返し、同じ歌を。何度も繰り返し、同じステップを。
そして、何度も繰り返し俺は、彼女の朧げな顔を見て────そして、心の底からこみ上げる優しい気持ちに乗せられるがまま、微笑んでいた。










目を覚ますと、私はなんてことのない、いつものオンボロ寮のベッドで横になっていた。
時計を見ると…ああ、大変だ。あと20分で授業が始まってしまう。

私は慌ててグリムを叩き起こし、10分で最低限の身支度を済ませると、校舎へと猛ダッシュした。「廊下を走るなー」という先生の声が聞こえたような気もしたが、ごめんなさい、1限はトレイン先生の授業なので絶対に遅刻できないんです。

息を切らしながら階段を上がる。最上階まで上がってしまえば、あとはすぐ右に曲がって最初の教室に滑り込むだけ────。

そう思って、階段の一番上の段に足を乗せた時だった。

「あ」
「……」

右に曲がりながら、私は、出会った。

夢の中で見た、美しい銀髪の王子様に。

「シルバー、先輩…」
「おはよう」

先輩はいつも通り、表情の一切ない顔でこちらを見降ろしている。強いて言えば、全速力で走って来た私を見て若干驚いているようだ。
そこに、夢の中で見たあの笑顔はない。

そりゃあ、そうだ。
あれは私が勝手に望んだ、ただの無意識による欲の具現化。自分でもどうして彼と手を取り合う夢など見てしまったのかわからないが、いくらなんでも現実との区別くらいはついているつもりだった。

でも、なんだろう。
下手に夢など見てしまったからだろうか。昨日まではいつどこでシルバー先輩を見かけようとも、「あ、シルバー先輩だ」以上のことなど思わなかったというのに。
今の私、きっと頭がぼさぼさだ。メイクもろくにしていないし、制服のボタンもどこか掛け違えてしまっているかもしれない。
こんな状態で、どこからどう見ても完璧な先輩には会いたくないな、なんて思ってしまった。

「怪我には気をつけろ」

先輩はそれだけ言って、私の前から簡単に去ろうとした。

「あのっ、シルバー先輩…」

声を掛けて、私は一体何をしたかったんだろう。
先輩に会いたくないって、今さっき自分でそう思ったばかりなのに。それなのに、先輩を見たら、呼び止めずにはいられなかった。

全部全部、夢のせいだ。
あんな夢があったから、私の心臓が大きく跳ねて────これは、きっと走ったせいだけじゃない。
あんな夢を見たから、私の手が震えて────これは、授業に遅刻しそうで緊張しているわけじゃない。

「その、昨日────」

昨日、なに?
昨日、あなたの夢を見たんです、とでも言うつもり?
そんなことを言って、一体私は────。

先輩は私の声に応じ、ぴたりと足を止めた。
そして、肩越しにゆっくりと振り返る。色素の薄い瞳が、私の心を真っ直ぐに貫いた。

「────ああ、夢で逢ったな」

それだけ言って、先輩は今度こそ階段を降りて消えてしまった。
最期に残されたのは、彼も口にした"夢"の中で見た、あの儚い微笑みだった。

「ゆ、め────…」

私はチャイムが鳴り、グリムに「やいこら、いつまで突っ立ってるんだゾ!」と怒られるまで、その場に棒立ちになってしまった。
どうして先輩までもが夢のことを知っているんだろう。
どうして私があなたの夢を見たことを、知っているんだろう。

仕掛けたのは自分の方からだというのに、すっかり私は彼のペースに呑まれ、呆けていた。何よりあの微笑みは────"現実"では見たことのないもののはずだった。あれはただ、自分が描いた都合の良い先輩の緩んだ姿でしかない。
本当にあんな顔をする先輩を見ることがあるなんて、思っていなかった。

「…やだなあ」

昨日まで全く気にならなかったのに。たくさんいる先輩の中の一人でしかなかったくせに。
たった一晩、奇跡のような夢を見てしまったがために、今日の私は昨日までとまるきり違った自分になってしまったかのようだ。

────夢の続きを見ているようだと言ったら、笑われてしまうだろうか。
いや────もっと言えば私はその時ようやく、夢が始まったような気がしていた。









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