Swindler



異世界から来たというその仔犬は、年の割に落ち着いた少女だった。
いや、少女らしくないほどにくたびれた顔をした女だった。

そもそも異世界から来たというその日から、彼女の様子はどこかおかしかった。
普通、持ち物も友人も常識も全て"別の世界"に捨てさせられ、ある日突然魔法の世界に飛ばされた、なんて言われたら、もう少し取り乱しても良いような気がしたのだが。

「えっ、もう働かなくて良いってことだよね…? やった」

学園長から制服を支給された時に、小声でそう言っていたことを、俺は聞き逃さなかった。
もしかしたらこの仔犬が元いた世界は、子供を劣悪な環境で働かせるようなところだったのかもしれない。

クラス担任ということでよく目をかけておくよう学園長に言われた時には、厄介事を押し付けられただけとはわかっていても、教師としてきちんとこの教育を受けられなかった(のであろう)少女を一人前に育ててやろうと決心したものだった。

────というのに、だ。

彼女は全く手のかからない生徒────どころか、すぐに他の生徒の模範となるような才覚をめきめきと現した。
筆記試験はほぼ全科目満点。実技試験は流石に魔法が使えない身として参加資格すら与えられなかったものの、彼女が連れている小さな猫に何かを吹き込んだのか、試験当日、その猫は日頃の授業からは想像もできないような成果を見せてきた。

学年がひとつ違えば、この生徒はローズハートやアーシェングロットとも対等に渡り合えたことだろう。

「お前は普段どんな勉強をしているんだ? 他の仔犬どもにも教えてやってくれ」

試験を返却しがてら、そう言って褒めつつ探りを入れる。
すると彼女は口角だけ器用に持ち上げて、作り物のような笑顔を浮かべ、

「理論を叩きこめば、応用できない実践はないと思っただけのことです」

────などという生意気なことを、平然と言ってのけた。

その日から、俺のクラスの成績が底上げされたことは言うまでもない。
「他の仔犬どもにも教えてやってくれ」と言った俺の言葉を、彼女がそのまま実行しているようだと気づくのに、そう時間はかからなかった。
自分の勉強だけでなく、他人の勉強の面倒まで見て、全体の平均点を上げる。
俺でさえなかなかできなかったその手腕には、正直舌を巻いた。
同世代の友人の言葉だからこそ頭に入るのだろうか? いや、それにしたって"教えたことを真に理解させる"というのはそう簡単なことではない。

学園の何人かが彼女を指して"猛獣使い"と囁いている噂は小耳に挟んでいたが、確かにその様は────同じ生徒のはずなのに──── 一段上から生徒を導く、立派な調教者のように見えた。

「お前も教師になる資格があるんじゃないか?」

それは、彼女が入学してから数ヶ月が経った頃のこと。
翌日の授業の準備を彼女が厚意で手伝うと申し出てくれたので、その言葉に甘えて化学準備室に2人でこもっていた時、沈黙を紛らわすためにそんなことを言ってみた。

「そうですねえ…こっちの世界でなら、それも考えてみても良いかもしれないですね。生徒はみんな可愛いし」

あの悪ガキどもを総称して「可愛い」と言える度胸にもそうだが、俺はその言葉自体に違和感を持った。生徒はみんな可愛いだなんて、まるでお前が一歩大人になっているみたいな言い方をするじゃないか。

「生意気を言う前にまず卒業しろ」
「はいはい。あ、これどうぞ、コーヒー淹れたので。砂糖は2つで良いですね?」

手際良く差し出されたのは、一度も言ったことのない、俺の好みに合わせられたコーヒー。ご丁寧に、後で買いに行こうと思っていた購買のバターサンドクッキーまで添えられている。

「そろそろ作業を始めてから2時間経ちますよ。休憩にしたらどうですか?」

時計を見ると、確かに彼女をここに呼んでから2時間経過していた。

「────…」
「どうかしました?」

テストの採点結果、明日配布する予定のプリント、それらの書類も全て綺麗に整頓された机の周りをうろちょろとしながら、呆気に取られている俺の顔を彼女が覗き込む。

入学した時からやけに落ち着いているとは思っていた。自分の状況を即座に受け入れただけでも立派なものなのに、そこに"安心"したような雰囲気すら見せたのは、立派を通り越してやはりどこかおかしい。
俺は異世界に飛ばされたことなどないので、彼女の気持ちを推し量ることはできない。しかし例えば────明日の朝起きた時、そこが知己も仕事も全てなくなっていて、魔法が一切使えないような不便極まりない世界だったら────全く動じない、ということはありえないだろう。少なくとも、彼女が見せたような安堵の表情だけは絶対に浮かべられないという自信があった。

そうでなくとも、彼女は────これは持って生まれた性格のようだが、とても気の利く生徒だった。そしてそのせいか、クラスの中でも(決して目立つわけではなかったが、)他の生徒から一目置かれていた。もちろんそこに、異世界から来た魔法の使えない仔犬だから、という悪い意味は全く含まれていない。彼女の持つこの独特な雰囲気には、自然と他の仔犬どもからの尊敬を集めるに値するだけの気品が伴っていた。

学園長直々に面倒を見るよう言われているので、俺と彼女がよく一緒にいたところで何かを言う者はいない。暇なのか心細いのか、彼女は何かと俺の周りで仕事を手伝ってくれていたが、例に漏れず俺も彼女の気遣いには感謝するばかりで、今のところそれを迷惑だと思ったことは一度もなかった。

「いや…なんでもない。ありがとう」

そう、迷惑だと思ったことはなかったが────。
なんだろう、この違和感は。
彼女と関わるほど、日に日に増していく漠然とした疑念。高校生らしからぬその言動と、大人でさえこうは回らないであろうと思われるほどの気遣いに、俺は恥ずべきことに翻弄されるばかりだったのだ。

何度も自分の高校生時代を振り返り、自分はもちろん、周りにもこんな風に変な大人び方をした子供はいなかったことを思い出す。彼女のその振舞いは、むしろ卒業し、成人してからよく見るようになった"完全な大人"のものだった。
一体どう生きていれば、こんなにも"不自然"に"自然"な大人になれるのか。

彼女がここを手伝いに来るペースは、だいたい週に3度くらい。聞けば、それ以外の日にはオクタヴィネルのカフェでバイトをしているらしい。本来なら教師の雑務も生徒がやるべきことではないので、そこに賃金を乗せようかと提案したこともあったのだが、「このくらいは身に染みついた習慣と同じようなものなので」とあっさり断られた。

…確かに難しいことは何もやらせていないが────書類整理に教材の発注、果ては植物の世話に至るまで────難しくはなくとも確実に"面倒"なこれらの雑用を、「身に染みついた習慣」と言えるその神経を疑った。

「こちらは助かっているが────お前もよく飽きずに来るな」
「飽きてないですからね」

そんなことを言う頃には、初めて会ってから半年程度が経過していた。彼女の様子は入学した時から全く変わらないし、俺の疑惑も日々募るばかり。
この年頃の仔犬は、大抵3日も離れれば良くも悪くも変化しているものなのだが────。
半年経って、確信したことがある。
この少女は、最初から"完成していた"。彼女には変化がないのだ。他人の成績を伸ばすことに勤しんだり、連れている猫の知育を熱心に行ったりと、"進歩"する様子なら見られるのだが、思春期特有の悩みや迷いが、彼女には一切なかった。俺が知らないだけで実は…という話でもない。自信を持って、彼女にそういう"青さ"はないと言えた────そう言えるだけの、熟した人間性を感じさせられた。
その様はまるで生まれたばかりの赤子が難解な言葉を発しているかのよう。すっかりこの世界に順応してしまった彼女に対し、こちらはいつまで経ってもその"熟した青い果実"という矛盾に慣れることができずにいた。

「ずっと思っていたが、お前は随分達観した物の味方をするんだな」
「そうでしょうか? あんまり意識していなかったんですけど────まあ確かに、"普通"に生きていたら今の高校生とはちょっとズレちゃうかもしれないですね」

"今の"高校生? お前だって、今の高校生じゃないのか?
その言葉はどういう意味だと────そう尋ねようとした時、

「お前マジそれはないわ!」
「はあー!? ありえねえのはどっちだよ!」

────ちょうど廊下から、仔犬どもの騒がしい声が響き渡ってしまったせいで、会話は強制的に中断させられてしまった。すぐさま隣の部屋から、トレイン先生の「廊下で騒ぐな!」と一喝する声も聞こえた。すぐに外は静かになり、嵐が過ぎ去った後のような痛い沈黙が部屋に訪れる。
考えたことは同じだったのか、大声に驚いて手を止めていた彼女があははと乾いた笑いを漏らした。

「元気ですねえ」

まるで小さな弟を見守る大きな姉のようだ。彼女の調子から、先程までの会話を蒸し返すつもりはないようだったが、俺の胸に燻る疑問はそのせいで余計に募るばかりだった。

「お前も同じ年だろうが。ああいう連中には混ざらないのか?」
「いやあ、私にあのノリはちょっと」

言ってから、確かに下品な言葉の飛び交う男子高校生の中にこの歩く花のような少女を放り込もうとするのは些か配慮に欠けていたか、と反省する。

「お前にも女性の友人がいたら良かったのにな」
「どうでしょうかねえ。言ってもこの年頃の女子なんて、あの子らと何ら変わらないですし。ついて行けるとは思えないです」

その時ちょうど書類から目を離して彼女を見ていなければ、きっと俺は今同世代の友人とでも話しているかのような錯覚に陥っていたことだろう。彼女の顔を見ていても、思わず目を擦ってその姿が本当の女子高校生なのか確認したくなるほど、その言葉と表情はくたびれていた。

「そうでもなきゃ、先生のところにばっかり顔を出すわけないじゃないですか」
「まあ…それはそうかもしれないが」

またこの違和感。「どうしてそんなにお前は達観しているんだ」という問いが、有耶無耶なまま宙に浮いている。
最初の頃は、"子供"も"大人"の役割を担わされなければならないほど過酷な世界からやってきたせいで、こんなにも年不相応な言動を見せるのかとばかり思っていた。しかし、半年も経てばそうではないことくらい、俺にもわかってくる。
例えばあまり文明の発展していない地域で、子供が強制的に"大人のふり"をさせられるような環境に身を置いていたと仮定するには、彼女は些か"文明的"すぎた。こちらの最先端技術にも(ある程度だが)適応しているし、言語や学習の分野においてはもはや申し分ない。何より教師の雑用を進んでやるような仔犬なのだ、"向こうの世界"にも"学校"があり、彼女がそこに通っていたということはほぼ間違いないといえる。

教育が行き届いている国なら(そして彼女もそれを享受しているなら)、子供は子供らしくあれるはずだ。大人の数だって十分にいるはずだし、そんな中でどれだけ背伸びしたところで、それはあくまで"社会を知らない子供"が見様見真似で大人ぶっていると、簡単に看破できる程度の底上げに過ぎない。例えばアーシェングロットのように(喩えとして彼を用いるのは些か過激だが)、早く大人になりたいという願いから無理に背伸びをする仔犬はたくさん見ているし、それこそキングスカラーのように、環境のせいで変に擦れた仔犬も多く見て来ていた。しかし────彼女の瞳がたたえる厭世的な深みは、いくら靴の踵を上げても、理想的な大人の姿を思い描いても、到底出せるような色ではなかった。

彼女は確実に、大人の世界を知っている。

この少女は、元の世界で何をしていたのだろうか。
外側と内側のかけ離れた姿に、どうしたって興味を持ってしまう。最初は単に「担任だから目をかけておく」という程度の距離感を保つつもりでいたのに、俺はいつしか、"彼女自身"のことをもう少し深く知りたいと思うようになってしまった。

結局彼女は、その日も門限ギリギリまで手伝ってくれた。徹夜で片づけることも覚悟していたが、この調子ながらあと1時間もあれば一通りの作業は終わるだろう。いつものことながら、彼女の手際の良さと温かい気遣いには、本当に助けられる。

同僚にこんな女性がいたらきっと、互いに高め合って、互いに良い教育を施せるのだろう。そんなことを自然に思えるほど、彼女は俺と同じ目線を持っている稀有な人間だった。

「それじゃあ、そろそろ戻りますね。お疲れさまでした。明日の1限、3年生の授業用のプリントはそこの戸棚の上です。4年生からの定時連絡は13時の予定ですが、報告担当の生徒はリストアップしておいたので、参考にしてください」
「あ、ああ…」

情けない、たかだか16歳の小娘にここまでお膳立てされることが。
これじゃまるで、本当に同僚、あるいは自分と対等な立場の助手のようではないか。

「…お前は本当に優秀だな。そのスキルはどこで身に着けてきたんだ?」

それから数日後、戸棚の上に置かれた書類をぱらぱらと捲りながら、この程度の質問なら彼女の気持ちを害さないだろうと思い、慎重に尋ねる。

「元の世界でも働いてたんです、私」
「ああ…やはりお前の元の世界は、子供にも労働を強制するようなところだったのか。高等教育を受けられる程度には発達した世界だと思っていたんだが」
「そうですね、どちらかというと環境はこっちとよく似てますよ。でもほら、学校を卒業したら、基本的には皆働くじゃないですか」
「────…」

そこで、いよいよ俺は彼女の素性について"ぼかしたまま見過ごす"ということができなくなってしまった。「学校を卒業したら働く」、「元の世界でも働いていた」────遂に彼女自身の口からその言葉が出た。
彼女はやはり、既に一度元の世界で学校を卒業した後、普通に"大人として"働いていたのだ。

────いや、待て。
普通に、大人として働いていた?
この高校生が? 元の世界で既に────少なくとも、高等学校までは卒業している?

────彼女は、実は────本当は高校生なんかじゃなく、成人してこんな風に働いていた大人だったのだろうか────?

思ってから、それがどれだけ突飛な発想だったのかということに気づき、急いでその考えを頭から振り払────おうとしたのに、うまくそれを追い出すことができなかった。
達観した物の見方。大人の業務を当たり前にこなす姿勢。高校生と対等に付き合うというより、もう少し年を取った姉のように接する態度(むしろ俺との接し方の方が、余程彼女は対等に物を言っているように思えた)。

それらを合わせて考えた時、"彼女が本当は大人だった"という仮説を立ててみせると、見事にその全てに辻褄が合う。

いや、でも、そんなことが本当に起こりえるのだろうか?
今まで漁ってきた文献やデータに、"体だけが幼くなる"ような現象はひとつとして残されていなかった。しかし、そもそも"異世界から誰かがやってきた"ということ自体がこの世界において、それこそ何の前例もないほどの異例事項なのだ。精神だけ元の世界の状態のまま残され、見た目だけが高校生のように若返るということも、(理論も実証もないが)もしかすると────。

"見えるものが全てではない"というのは、魔術における基礎中の基礎だ。俺はすっかりこの仔犬の"見た目"だけで全てを判断してしまっていたが、もし────もしも、その仮説が正しかったとするのなら────。

「それじゃあ、お先に失礼しますね。明日もよろしくお願いします」

ありえないと思いつつ、そもそもこの世界において"ありえない"ことの方が少ないことを思い出し、俺は思い切って口を開いた。
彼女の素性を尋ねることが彼女にとって負担になるようなら控えようと思っていたが────それにしては、あまりにも彼女が"違和感"を持たせるに十分な(隠すにはあまりに杜撰すぎる)行動を取っていたことから、俺はいよいよ黙っていられなくなってしまった。

「────お前、本当に高校生か?」

我ながら、間抜けなことを尋ねたとは思う。しかし、この違和感を拭えるかもしれないひとつの仮説に辿り着いたと思ったら、訊かずにはいられなかった。
俺がそう問いかけた時に返って来たのは────その幼い顔にはまるで似つかわしくない、こちらを揶揄うような…妖艶な、笑み。

「そうですねえ…一応高校生ってことで通ってるみたいですけど」

その時こそ俺は、彼女の表情の奥に、紛れもない"大人"の影を見た。"子供が大人のふりをさせられている"んじゃない。大人の世界を肌で知り、等身大に生きてきた"大人"そのものの顔だ。背伸びをさせられた子供に、こんな余裕の笑顔は浮かべられない。勝手に背伸びをした子供に、こんな蠱惑的な表情は浮かべられない。

「────本当は先生と5歳も離れていない…って言ったら、どうします?」

ごとりと、手に持っていたマグカップを机の上に落としてしまった。半分以上入っていたコーヒーが書類に茶色い染みを作る。慌てて魔法でその染みを取り除く俺を、彼女は半分細めた目で見つめていた。

「まさか────」

本当に、彼女は────?

「なんちゃって。そんなに私の年齢が気になるなら、自分の目で確かめてみたらどうですか? 魔法のキスでなら、本来の姿に戻るかもしれないですよ。ま、その"本来の姿"があれば…の話ですけど」

そう言うと、彼女は人差し指をとんと自分の唇に乗せ、ぱちりと片目を瞑ってみせた。それきり、思考が停止してしまった俺を残し、軽やかに部屋を出て行く。
姿が見えなくなる一瞬前、思い切り皮肉るように付け足された言葉は、その夜ずっと俺の頭から離れなかった。

「ね、"センセイ"」

────クソ。この、生意気な小娘が。







実は成人済(20代後半くらい)だった監督生とクルーウェル先生の話。
監督生がクルーウェル先生に懐いていたのは、単に一番年と境遇が近かったからというそれだけです(ディアソにも何人か年齢詐称してそうな生徒はいますが、社会人として働いている同世代は彼だけなので)。大人になるとどんどん高校生のノリにはついて行けなくなりますからね…。

短編の中には収まりきらなかったのでここで解説しますが、この監督生は元の世界で自殺してツイステッドワンダーランドに来た、という設定です。
ブラック会社で働く社畜OLで、元の世界での環境から脱却したいと願って死んだだけなので、何も考えずに今を生きられる学生に戻れたことを喜んでいます。

顔や体はツイステッドワンダーランドに来た時に捻れて退行しているので、周りからは「大人っぽいなあ」とは思われつつもわざわざ年齢までは訊かれない…といった具合です。なので本人も別に年齢を偽ろうとはしていません。

個人的にこの設定が気に入ったので、続編も出しました。
Swindler-2」、よろしくお願いします。









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