7.不幸に護られる



―――私は友人を失った。

翌日学校へ行った時、すぐにその違和感には気づいた。
ノリちゃんの雰囲気がよそよそしい。恨みや怒りというよりは…恐怖、だろうか。花宮は彼女が私を恨むよう仕掛けたと言っていたが、まるでこれでは…そう、花宮と同じように私まで恐れるべき対象としているようだ。
友人として付き合えないという末路こそ同じなものの、変な噂を立てられたり、集団いじめに遭ったりするのではないかとさえ覚悟していただけに、この展開には動揺せざるを得なかった。

―――そしてそれと同時に、私は花宮との距離も見失った。
 
ノリちゃんの件で花宮と言い合って以来、私は彼を避けるようになった。昼休みも、下校時間も会いに行かない。冷静になれないことがわかっているのに顔を合わせたいとは…どうしても思えなかったのだ。
どういうつもりか、花宮の方からも私に近づいてくることはなかった。私の気持ちを悟ったか、あるいは―――愛想を尽かされたのだろうか。後者の可能性を思うと不安がないわけではなかったが、だからといってここで無理に距離を詰めたところで事態も私の気持ちも好転するわけがない。
むしろどちらかといえば、問題といえるのは事実として愛想を尽かされたかどうかということより、私が“愛想を尽かされたんじゃないか”なんていう不安を抱えているということの方だ。
 
正直、ああも身勝手なことをされた以上花宮のことを嫌いにでもなるんじゃないかと思っていた。しかし悲しいことに翌日起きてみても、翌々日起きてみても、私の花宮へのぐちゃぐちゃとした気持ちが変わることはなかった。変わらなかったからこそ、余計に悲しかった。
 
こうして私は2人の人間との関係性が悲しく変わっていくのをただ傍観しながら、日々を送り続けていく。
 
────三好君の浮気癖が噂になり出したのは、そんな時だった。
 
「三好君さ、雪葉と付き合ってた時に一瞬浮気の噂が流れたじゃん? あれ、あの時のことだけじゃないらしいよ」
 
女子とはまあ耳聡いもの。元々偶然とはいえ私もそれを知っていたくらいだから、いずれみんなにもばれることはわかっていたが、驚くべきはその流布速度だった。
 
「え、浮気が日常茶飯事…? 確かに格好良いけど、なんかがっかり………」
「てか普通にありえないんだけど、気持ち悪い」
「雪葉の時も見間違いとかじゃなかったんだね。可哀想」
 
あっという間に学年中にその噂は広まり、男子にまでその話が届くことになった。
男子はさすがに女子ほどあからさまな嫌悪を示さなかったものの、誰にとってもカリスマであった三好君の地位は暴落。
 
と、なると、元々性格の悪かった三好君の怒りの矛先は、
 
「………藤枝さん」
 
私に向くのである。災難。
 
 
 

 
 
 
連れてこられたのは屋上。今は4限の授業前―――休み時間は10分間しかないので、まずここに人が来ることはない。

「言うなって言ったよね!?」
 
三好君は屋上に着くなり怒りをマックスにして叫んだ。でもこちらは呼び出された時から内容がわかっていたから、大して動じたりしない。
 
「…私は言ってない」
「じゃあなんでみんな知ってるんだ!」
 
すごい自信だ。私だけが彼の本当の姿を知っていて、他の人には気づかれるわけがないと思いこんでいる。
 
「…あのさ、そもそもなんで私が知ってたか考えなよ。私は私の友達が三好君と付き合ってる時に、三好君が他の女とホテルに入っていくのを見たことがある。その友達から、散々浮気をされたって話も聞いたことがある。……これだけでもうがばがばじゃん」
「うっ……」
「それに、私と付き合ってる間も同じような噂、流れてたよ。私が言おうが言うまいが、三好君の浮気性は必ずばれてた。だってあんなに堂々と浮気してるんだから、気づかないわけがないんだよ」
 
振った時と同じように、三好君の顔はすぐに崩れた。悔しそうに、そしてとても怒って、私に迫る。
 
「俺は……! 俺はうまくやってたのに…………!」
 
冷静にバカにしていた私の余裕は、三好君に手首を強く捕まれたことで少し、消滅した。
あ、力に訴えられるのはまずいかも…
 
「女なんて穴があればみんな同じじゃないか! こっちは金もかけてやって、エスコートだってしてやって、気持ち良くもしてやってる。なのに女どもときたら、与えれば与えるほど付け上がりやがって………」

ああ―――これが、三好君の本性。
誰にでも優しくて、いつも笑っていて、気遣いを忘れない人。もちろんそれはただモテる為にやっていた演技で、本当は浮気性なことも、女を穴としか思っていないことも知っていたけど、いざこんな風に敵意を向けられてみた時、やはりどこか失望している自分がいることに気づかされる。
普段の人懐こい顔を思い出しながら、目の前の牙を剥いた顔を見る。だいぶ性能劣化はしているものの、もしかしたらこの男はタイプとして花宮に似ているのかもしれない、なんて所在無く思った。
 
一応、振り解けないかと腕を回してみる。しかしびくともせずに、逆に三好君は私のことをフェンスまで追いつめてきた。
レイプ80%、突き落とす20%、というところだろうか。
 
「馬鹿で無能な女ども、付き合うなんて言葉に惑わされて、自分だけのものみたいに驕って─────…俺がお前みたいな奴だけのものになるわけないだろ!」
 
フェンスに両手首を押しつけられたせいで、身動きが取れなくなる。蹴りでも入れられないかと思った矢先、下半身全体を使って私の腰を押さえつけられてしまい、足の自由さえも奪われてしまった。
 
「ちょっと、離して─────…」
「その中でもお前は一番腹が立つ。俺のことを見下して、利用して、満足できないから捨てた? お前の目的なんか知ったこっちゃないけど、そこまで自分本位にしか生きていけない下種の望みなんて何も叶うわけがないだろう!」
 
ああ、耳が痛いよ。
三好君の言うことはまったくその通り。私は人を利用して、自分のために捨ててきた。
本当はラフプレーに興じる花宮のことなんて責められないし、自分の幸せを願う資格だってない。
 
私は花宮のことが好きであるために色々な人を利用したのに、その好きという気持ちにすらまっすぐ向き合おうとしていない。
 
とても小さくて、卑怯な人間だ。
 
だから、今もこんなことになってるのかな。これはもしかして、罰なのかな。
 
三好君は乱暴に私にキスをした。空いた片手で胸をまさぐり、器用にボタンを外していく。
 
思ったより力が強くて、手も足も動かせない。
それにだんだん気力もなくなってきた。
 
抵抗するだけ無駄なら、もうひたすら自分を殺した方が楽だ。
 
シャツを開けられ下着も外された割に、私は冷静だった。
 
黙っていればきっとすぐ終わる。そうしたら、急いで病院に行こう。
大丈夫、最近は医療も発達してるから。警察…はあてになるかわからないけど、痛かったらそれも考えよう。
 
大丈夫、抵抗しなければさして痛くない。
大丈夫、大丈夫──────
 
「まずいもの見ちゃったなぁ」
 
呪文のように大丈夫と唱える私の意識を呼び戻したのは、聞き慣れたそんな声だった。
 
「!?」
 
三好君は勢い良く振り返る。そのせいで私を拘束していた手が離れ、力なく私はその場に座り込んだ。
 
「お、まえ…!」
「三好さぁ、好きな子につい手を出したくなる気はわかるんだけど、さすがにそれはまずいと思うな」
 
花宮だった。
 
爽やかな笑顔で、鋭い警告を放つ花宮。三好君はわかりやすく狼狽して、花宮の方へ歩み寄る。
 
「は、花宮―――ち、違う、これは藤枝さんが……!」
「雪葉が何をしたかは知らないけど、何をしたにしても性的な手段に訴えるのは卑劣じゃない?」
 
極めて冷静に詰めている。確実に慌てている三好君にその正当性がどのくらい通じているかはわからないが、とにかく三好君の頭には"この場をどう切り抜けるか"が駆け巡っていることだろう。
 
…花宮を相手にした時点で、そんな悪足掻きは逆効果にすぎないのに。
 
「俺、最近の悪い噂もさ、三好は良いやつだって知ってたから信じないようにしてた。でも…流石に友達が辱められようとしてるのを見過ごすことはできない」
「……何、する気だ…」
「まず雪葉から離れてもらって良いかな。それに、他の女の子にも。俺、悪いけどこういう卑怯なこと…許せない質なんだ。もう二度と彼女に近づかないって約束してくれるなら、俺は何もしないよ」
 
悪童が何を言うか、と思いつつ、確かに表宮は自分に関係のないことでも"道徳"に反していれば諫めるだろう。…それにしては笑顔なのが不気味だが、まぁ三好君はそこまで頭が回っていないみたいだし、良いか。

「でも、もし三好がまだ彼女に何かするって言うんなら――――」
 
たじろく三好君を前に、花宮はそのまま携帯を振りかざした。
 
「…さっきの、雪葉には申し訳ないけど写真を撮らせてもらった。もし三好がこれからもこういうことをして、抵抗できない女の人を苦しめるようなら、俺はこれを警察に持ってくよ」
「えっ…………」
「雪葉に謝れとは言わない。でも、金輪際近づかないことならできるよね?」
 
三好君には、断ることなんてできなかった。
何度も頷き、それからすがるように花宮の制服の裾を掴む。
 
「わ…わかった、近づかない! 近づかないし…もう何もしないから……そのデータを消してくれ……!」
「それは俺が判断することだよ。三好が卑怯なことをしない限りは俺もこの写真は絶対に警察に出さないんだからね。どうだろう、これは公正な取引だ」
 「にっ、二度と彼女に話しかけたりしないから…だから、頼む!」
 
花宮の悪魔のような微笑み。三好君はもんどり打って屋上から出て行った。
 
後に残ったのは、私と花宮と、僅かな静寂。
 
すぐに花宮の舌打ちする音が沈黙を破り、そして彼は私の元まで来た。
 
「無様だな、お前」
 
花宮はまっすぐ私のことを見つめていた。でもその目はいつもの見下しているような目じゃなくて…こう、もっと優しい色をしている。
 
「………花宮」
「………痛いこと、されてねえな」
 
花宮の手が私の頬に伸びる。花宮らしくない優しい手つきで目の下をなぞられ、そしてその手が離れた時に指先が濡れているのを見て、初めて私は自分が泣いていたことに気づいた。
 
おかしいな。
数ヶ月前、三好君の家で同じようなことになった時は、こんな風にはならなかったのに。
 
「早く服着ろバカ」
 
言われてから、乱れていた制服にも目を向ける。鈍い動きでシャツのボタンを留めると、そこで花宮は深い溜息をついた。
 
まるでそれが強ばった私の体をも解してくれたように、力が抜けていく。
 
「…なんでいるの」
「4限をサボるつもりで屋上に来たらお前と三好が揉めてんのが見えたんだよ。そんなことよりお前、なんで三好についてった」
 「…元凶が私だって思われてるのは、わかってたから」
「ついて行けば何をされるかもわかってただろ」
「………前家に行った時は大丈夫だったし、今回だってもう少し、冷静に対処できるつもりだった…」
 
花宮はその瞬間、勢い良く私の頭をはたいた。たいして痛くはなかったけど、驚いて呆然と彼の苛立った顔を見つめてしまう。
 
「バカ、前回はそりゃ大義名分でも恋人だからって諦めがあったからだろ。今回の三好はただの犯罪者だ。状況は変わって当たり前なんだよ。利用するつもりならそこまでちゃんと読めバカ」
「バカバカって………」
「なんだよ、怖かったならそう言えよ」
「…言わない」
 
言ってはいけない。
あれは三好君のことなんて責められないほど卑怯な私への戒めだと、さっき思ったばかりなのに。
 
被害者面してはいけない。
偶然とはいえここで来てくれた花宮に、甘えてはいけない。
 
「…さっき撮ったっていうデータ、消してほしいんだけど……」
「そもそもそのデータもねえよ」
「………え?」
「そんな写真、最初から撮ってない。信じられないんなら携帯、好きに見れば?」
 
花宮は私にロックを解除した携帯を投げて寄越した。急いで写真フォルダを見るも、確かにそんなデータは1つもない。
別の端末を使った? それとも素早くクラウドに保存して端末からは削除した?
様々な可能性が一瞬で脳を駆け巡ったのを見て取ったか、花宮は呆れた顔をして両手を挙げた。
 
「…流石に、よくつるんでる女のレイプ未遂の光景なんて俺でも気分が悪くなる。三好のことはあれだけ脅せれば十分だったし、わざわざ写真なんて撮んねーよ」
 
よくつるんでる女。
もしその言葉を言葉通りに受け取るなら、花宮は"私だから"助けてくれたことになってしまう。
 
…やめろって、言い聞かせていたばかりなのに。
封じようと必死になっていた感情が、再び去来するのを感じる。
 
だめだ、彼の優しさは善意なんかこれっぽっちも含まれていない。
だいたい私はノリちゃんのことをまだ根に持っている。だから花宮のことを避けていたし、まだ暫くは距離を置いていたかったのに。

「…私、花宮のこと避けてたんだけど」

私に救われる資格なんてない。今は花宮に会いたくない。そんな自己嫌悪と警戒心が渦巻いてうまく言葉が出なかった。やっと吐いた強がりだって、あまりにも稚拙だった。

なのに花宮は、
「避けてても寄んなきゃいけねえ時くらいあんだろ、なんだ、まだバカって言われ足りねーのか」
なんて真顔で返してくる。
私の葛藤も、動揺も、全て承知していると言わんばかりに。

「っ…私が傷ついたって良い、って思ってたんじゃないの」
「“傷つく”のレベルが違うだろ」
「それにしたって助ける理由なんかないくせに」
「たまたま見かけた犯罪を間抜け面して傍観する理由こそなかったからな」
「花宮がそんな人間の道徳身につけてるわけないじゃん…」
「お前俺のことなんだと思ってんだよ」

あまりに面倒で、陰気で、幼稚な私の言葉にも花宮はひとつひとつ言い返してくれる。

その間だって当然、理性は必死で警鐘を鳴らしていた。

この心配したような顔も、優しい手も、全てが演技かもしれないでしょう、と。
 期待するな、夢を見るな、現実を理解しろ―――私はこれ以上驕ってはいけない、と。

だって彼はついこの間"自分に纏わりついてきたら面倒だから"、ってそんな理由だけで私から友人を1人奪ったばかりなのだ。
だって私はついこの間 彼のその悪魔のような顔を見たばかりなのだ。

なのに、なのに。
これじゃあそんな努力の全てが台無しになってしまう。

頭が痛い。何を信じれば良いのかわからない。何も信じてはいけないとわかっているのに、何かを期待している心臓がさっきからどきどきとうるさい。

「…もう大丈夫だから…部活、遅刻するよ。行きなよ」
「お前が怖かったって言うまで行かねえ」
「なんで………」
「普段ムカつくくらい気の強い女が怖がってるブッサイクな面拝むくらいしねえと、割に合わねえ」
 
この男は、いつだってこんな風に簡単に、人の心を操ってきたんだろうか。
もうやめてほしい。優しいふりをしないでほしい。さっさとここから消えてほしい。
 
「……………………っ」
 
ぐちゃぐちゃと考えているうち、堪えきれずにまた私の目から涙が流れ出してしまった。
それをまた優しく指先で拭う花宮。拭われれば拭われるほどに新しい涙が出てきて、でもそれを拒絶する力すらなかった私は複雑な気持ちのまま花宮に涙を拭かせていた。
 
「…本当、バカな奴」
 
花宮はそう言って、私の涙を拭うことを一瞬止めた。そしてすぐに、その大きな腕の中に私を閉じこめた。
 
「……!」
 
花宮の体は思ったより温かくて、服からは優しい柔軟剤の香りがした。
そういえば私達、付き合っていた時はこういうこともしなかったんだっけ。おかしい、この間のキスといい今のハグといい、私達はなんでもない関係になってからの方が距離が近い気がする。
 
花宮の背に、おそるおそる腕を回してみた。拒まれたり文句を言われたりしたらすぐ離れるつもりで。
でも、花宮は何も言わなかった。黙って私のことを、強く抱きしめていた。

―――――…。
 
花宮に静かに体を預けてみたら、少し呼吸が楽になった気がした。
だから今だけ―――期待しちゃいけないとか、これは当然の報いとか、難しいことを考えることもやめた。

卑怯者同士が身を寄せ合っている様は本当はとても滑稽なんだと思う。でも私は、この危険すぎる蜜の味がどうしても忘れられなくて、こうして自ら捕まりに行ってしまった。
 
そうやって蜜を啜っている間に気づけば私はもう、すっかり私達の間に距離ができていた数日間のことを忘れていた。ノリちゃんのこともあるのに薄情だって思う。中学時代の自分のこともあるのに学習しないって思う。
 
「花宮…………」
「…あ?」
「ありがとう……………」
「……………バカだな」
 
本当に、私もそう思う。



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