5.不幸に縛られる



「三好と別れたんだってな」

当たり前のように2人で歩く帰り道、携帯を弄りながら花宮は唐突にそう言った。
相変わらず耳が早い。さっき別れたばかりだというのに…まぁつまりそれは、私が何かを言うより早く三好君が自分に都合の良い話を流したということなんだろうな。

「よく知ってるね」
「なんで?」
「…好きになれなかったから」

散々三好君のことが好きだなんだと嘘をついた後のことなのに、花宮はそんな私のお粗末すぎる答えにも興味なさそうにふーんと小さく返事をしただけだった。恐らく最初から私の嘘なんて簡単に見抜いていたんだろう。それから少し沈黙して、

「三好、別に今回だけじゃなくてずっと前から何股もしてるような奴だったんだよ」

…そんな、今更過ぎる真実を口にした。
別に花宮がそのことを知っていたからって、私は驚かない。私でさえ知っていたようなあんな穴だらけの秘密、この男が知らない方がおかしいというもの。むしろ私が驚くポイントがあるとするならそれは、今まで花宮がその真実を私に告げなかったことだ。言えば私が傷つくとでも思っていたのだろうか?

「…どこから聞いたのそんな話」
「聞いたも何も、知ってるから知ってんだよ」

相変わらず要領を得ない返答に小さく溜息をついて、別段嘘をつく必要もないと思った私は静かに頷きを返す。

「私も知ってたよ」
「……いつから?」
「三好君と付き合う前から」

答えるなり花宮は僅かな苛立ちを滲ませてこちらを睨みつけた。その視線は"それを知っててなんで付き合ったのか"、という意味で間違ってないだろうか。

「…そういう人でもないと、申し訳なくて恋愛ごっこなんてさせられないし」
「…なら、わざわざ好んでそんなクズを選ばなくても良かったじゃねーか。適当にお前のこと好きな奴とかにしとけば…たとえただの利用関係でも良い夢見れんならそいつにとっても本望だろ」
「それは物凄く花宮らしい理論だとは思うけど、まず前提としてそんな人いないからね。三好君だって私のことが好きだったわけじゃなくて、ただの利用しやすいバカとしか思ってなかったわけだし」
「お前………それ本気で言ってんのか」
「冗談でこんな悲しいこと言わないよ…」

半ば呆れながら返した言葉だが、花宮はまだ納得のいっていないような顔をしている。
別に私が三好君と付き合おうが別れようがこの男には関係も、そして何の意味もないと思うのだけど。というか、そもそも花宮への気持ちをリセットしたくて三好君を利用したという背景を踏まえれば、結局リセットどころかリフレインしてしまったこの2ヶ月は私にとっても無意味だったくらいなのだ。

ねぇ、だからそんな――――私のために怒ってくれているんじゃないか、なんて勘違いしたくなるような顔をするのは、やめてほしい。

「――――お前がバカ過ぎて反吐が出る」
「出せば? でもここ道路のど真ん中だから、吐くならあっちの茂みにしてね」
「どうせ好きになんてなれないってわかってんのに付き合って、クズだとわかってたくせに体を許して、結局限界が来て別れた? お前自殺でもしたいの?」

畳み掛けるような罵倒なのに、心配されているように聞こえてしまう。
そんなわけないのに。花宮にはきっと、私の頭の足りない非効率的な行いに純粋に苛立っているだけなのに。

そりゃあ、「好きになれるかも〜」などというふにゃふにゃした理由だけでそこまでリスクを考えない行動をとったなんて言ったら、このリスクヘッジの塊はそれだけで吐き気を催すんだろう。
でも私は、”好きになれるかもって思えるような行動を取ること”自体に意味があると思っていた。むしろ相手が慣れていれば慣れているほど、下心があればあるほど、恋人ごっこはスムーズに進むと思っていた。それで良い気になれれば良い、本当に好きになれるならなお良い、とにもかくにも花宮のことを忘れられるならなんだって良い――――って思っていた。
そんな動機で近づいた相手のことなんて好きになれるわけがないと、いくら私でも少し考えればすぐわかったはずだけど、むしろそんな動機でしか動けなかったからこそ私はああいうクズを選んだ。
それに――――

「私、体は許してないよ」

そんな投げやりな気持ちの中でも、完全にリスクを考えなかったわけではない。それは流石に脳味噌を与えられた生き物として(仮にその性能がいくら足りてなかろうと)余りにお粗末が過ぎる。

「……え」
「この間首の痕に気づかれた時のことだと思うけど、私、一言も寝たなんて言ってないからね」

三好君が迫ってきたあの時。彼の本能に身を任せながらも、私は最初から彼に全てをさらけ出す気などなかった。

「け、けど、途中まで行ったのは事実だろ、なら三好は…」
「止める気なんてなかっただろうけど、血だらけの穴を見たらさすがに萎えたみたい」

下世話な話で申し訳ない、と心の中で謝りながらも躊躇なくそう言うと、花宮は少しだけぎょっとした顔で視線を横に逸らした。
そう、あの日三好君は、わかりやすく興奮しながら慣れた手つきで私の服を脱がしに来た。しかし私の下着に手をかけたところで、どうやら違和感に気付いたらしい。少しだけ中を覗いて、それからあからさまに落胆した顔をしていた。

なぜなら私の下半身は大量出血を起こしていて、とても何かを突っ込めるような状態ではなかったから。「…ごめん、まさか今日来るって思ってなくて…」などと白々しく言ってみせると、彼は嫌悪感を隠そうともせずに溜息をついた。

ま、これに関しては私が悪いから仕方ない。とはいえ帰り際でその時の対応を取り繕うかのようにいくつもの気遣いの言葉をくれた三好君に、女の価値は穴にしかないとでも言うようなあの表情を忘れてまで感謝できるほど、私は単純ではなかった。

「ば、おま…運任せじゃねーか!」

それにしても花宮のこの反応。血まみれの私と対峙したのは花宮じゃないのに、こっちの方が余程焦っている。

「ううん、確定してたよ」

最近は医療も発達して、月経困難症の薬…いわゆる医療用のピルもかなり普及してきた。
元々生理不順で病院の診察を受けていた私は幸か不幸かその薬を処方されており、それによって日頃から生理周期をある程度コントロールしていた。簡単に言えば、その薬を飲んでいる間は生理が来ないし、飲むのを止めれば生理がくる…というように。
それを服用していることそのものが私の体質という"運"によるものだと言われたら返す言葉はないが、今回はその服用期間を調整し、三好君の家に行く日に生理が来るよう計算していたというわけだ。

まぁ本当に体の不調で受診をしている以上、こんなことは絶対にやってはならないことだったけど、自分の身を守る為ならそれでさえ安いもの。ごめんね医者の先生。

「それに、出血してたところで三好が止めない可能性だって────…」
「んー、まぁその時は余程自分の普段の行いが悪かったのかなって諦めてたかも」

男性にこういう話をすることがあまり配慮のなってない行為というのはわかっている。でも花宮は、確実に怒りを…というより感情を忘れているようだった。

「お前…なんでそこまでして………」
「言ったでしょ、恋愛がどんなものか知りたかったって」

私にとってリスクヘッジだったその行為は、花宮にとってはむしろリスクを取りに行ったようにしか見えなかったらしい。賢い花宮にとって、きっと女の"感情で動いた理論"は理解しがたく、苛立つものでしかない。一瞬驚きに色褪せた彼の表情は、その後まるで私を矮小で無価値な存在だと嘲るかのように笑みを浮かべた。

「…だったら、俺で良かったじゃねぇか」

…いや、なんて?

その言葉に嘘や演技は感じなかったけど、そもそも意味がわからない。私を馬鹿にするのはいつものこととはいえ、三好君との引き合いに出してきたのはまさかの"自分"。私は眉をひそめることでしか反応を返せなかった。

「誰でも良かったなら俺と、あのまま恋人ごっこでもなんでも続ければ良かったじゃねぇか。なんであんな訳のわかんねぇ別れ方しといて、お前はまた同じようなこと繰り返してんだよ、ほんとバカで、非効率だよな」

ああ、そのこと。

そうだよね、私はあんな別れ方をした"のに"同じことをしたんじゃなくて、あんな別れ方をした"から"同じことを繰り返しているんだってことを、花宮は知らないもんね。

でも、花宮がそんなことを言ってくるなんて、少し意外だった。あの人の中では私との1年は完全に"なくなったこと"になっていて、なんの価値もなくて…そう、よりによって「続ければ良かった」なんて言わせるほどの何かが残っているなんて思ってもみなかったから。

花宮の考えていることがわからない。中学の時のように私をマークする理由はもうないはずだし、もし今彼が私に何らかの利用価値を見出していたとしても、既にこんなに近い距離にいるんだから更に恋人ごっこなんて称してわざわざ自分を拘束するような真似をしなくとも、どうにでも行動できるはず。

わからないからこそ、私はその悔しそうな顔を冷静にしか見てはいけない。
心を動かされても、顔に出してはいけない。

「花宮は…私を喰い潰すでしょ」

絆されていることに気づかれたら最後、壊れるまで利用され、そして捨てられる。

「…そんなこと、初めて会った時からわかってただろ」

そりゃその通りだけど、あの時は付き合おうが付き合うまいが私の不利な状況は変わらなかったから。受け入れたって拒絶したって私の情報を探られ、弱みを握られるというのなら、せめて付き合うことで客観的な関係だけでも対等にしていたかった。たとえ無理とわかっていても私も彼を探る理由が欲しかった。
でも今は圧倒的に付き合うデメリットの方が大きい。ある程度互いの素性も情報も割れている現状の中で私が彼に握られて困る情報はもはや一つしかなく、その一つとはまさに「私が花宮に執着している」ということ。付き合わずに距離を取り続ければ嘘をつくことができても、関係を持ったらきっと私の拙い演技なんてすぐに瓦解する。

あの時とは、もう何もかもが違う。
そう、だから――――だからこそ、この状況は理解しがたい。

「花宮こそ、なんで今更私なんかに近づいてくんの?」

花宮は散々私の行動を意味不明だと揶揄するが、私からすれば花宮の行動の方が奇怪なのだ。
昔ならともかく今の私には利用価値など全くないだろうに、どうして彼は私と完全に縁を切ってしまわないのか。過去見ていた限り、花宮は利用した人材はもれなく無残に捨ててきたというのに。

「私のこと、利用するにしても目的が見えないんだけど…」
「……………」

なんでだろう。何がしたいんだろう。
考えたところでその意図は彼に及ぶはずがないと本能は言っている。でも、そこで真実を知ることを諦めてしまったら、私はずっとこのまま気持ちの悪い執着心を引きずることになる。花宮の一挙手一投足に思考を奪われ、発言のひとつひとつに心を揺さぶられることになる。

「この間、私が自分の気持ちをはっきりさせない限りあなたは私の質問に答えないって言ってたよね。でも今こうして私の気持ちははっきりしたよ。だからもう言い逃れはできないんじゃないかな。今度は花宮が質問に答える番」

私と今でも関わりを持つ理由…知りたいのはそれだけじゃない。

三好君の家に行った日、聞いたこと。
花宮は、心からの好きっていう気持ちを知ってるの?

いやそれ以前に、花宮が私に近づくようになったきっかけの日のこと。
─────どうして、私にキスをしたの…?

花宮への疑問は募るばかり。その全てを口にすることはなかったけど、きっと花宮には伝わってる。

「…お前が俺を今でも警戒してるのはよく知ってる。なら、俺のことを知ろうとする…俺に近づこうとする理由はねえはずだ。それとも、そんな深入りするような真似をして、お前こそ俺を利用しようとでもしてんのか?」

花宮は、開き直ったように唇の端を吊り上げた。
この人は頑なに自分の考えを話してくれない。私は彼みたいに賢くないから、言いたいことなんてまるでわからないのに。察せないのに。

…それが却ってひどく、私の彼への想いを拗らせるのに。

「…知ったところで、近づいたところで、利用なんてできるわけないじゃん。…私はバカなんだから」
「よくわかってんじゃねーか」

突き放すような、冷たい言い方。さっきまで彼は確かに気持ちが波立っていたはずだけど、今はまるで嵐が去った後のように静かで、そしてそこにはもう何もなかった。

「…それでも、理由なんてなくて…ただ純粋に知りたいだけだって言ったら…教えてくれない?」

花宮の言うことは全てがもっともだ。
しかし彼への執着を少しでも薄めるには、心の中でくすぶる疑問を解消する必要がある。いくらバカにされても良いから、私は知りたかった。

「…………」

花宮は、探るように私の目を見つめていた。少しの間黙って、何かを考えている。
ああ、この目。暗い海の底を映したように透き通っていて、どんなに覗き込んでも闇しか見えない。

「…今はまだ言うつもりねぇよ、バァカ」

勇気を出して踏み込んだ私の言葉は、穏やかな花宮に緩く追い返された。
普段あんなに意地の悪い顔が、この時だけは優しく…そして切なく見える。

「…花宮…………」

今は、ってどういう意味なんだろう。いつか言うべき時が来るのだろうか。
そしてその時まで私は、この男に緩やかに拘束され続けるのだろうか。

「愛想尽かしたんなら縁切っても良いんだぜ」
「…別に、そんなつもりはないよ」
「残念だな、ここで縁切るって言われたら笑って"んな真似許すわけねぇだろ"つって絶望させてやったのによ」

でも確かに、あの冬の日に別れた時、私達の縁は一度は切れたはず。あの時はそんな真似許すわけねぇだろ、なんて言わず、彼は切れていく縁をただ黙って見ていたはず。

それなのにどうして今更そんなことを。
こんなまどろっこしい宣言をしてまで。

…………まさか。

いや、ありえない。

────その時、決して願ってはいけないことを期待した私を、許してほしい。

…花宮が、私を好きになってくれるんじゃないかって。
………私が花宮のことを好きであることを、認めてしまっても良くなるんじゃないかって。

そんなことあるはずないって、私は何年も前から知っている。いくら可能性の一つとはいえ、これは私が惨めになるだけだ。

「…花宮も物好きだね」
「自分が色物なのはわかってんだな」
「類友と言いますか」
「あ?」
「じゃあ私はここで」

家に帰る分かれ道。平気な顔をしていられるのもここいらで限界が来そうだ、ちょうど良かった。
私はそそくさと花宮に別れを告げ、自分の家へと足早に去った。

――――わかっているのだ、そんなに花宮が怖いなら、理解できないなら、さっさと離れてしまえば良いのだということは。私が握られて困る情報が”花宮に執着している”ということだけなら、いっそ完全に距離をとってしまえばその唯一の秘密に気づかれる恐れだって今よりずっと減る。
でも、どうしてかそんな簡単なことができずにいる。私を呼ぶあの低い声に応えないということが、 私を見るあの綺麗な目から視線を逸らすということが、何も楽しいことなんてなかったはずのあの思い出を忘れることが、どうしてもできない。

一度は離れたはずなのに。
一度は別れられたはずなのに。

今度は、今度こそは、何かが変わるんじゃないかって、馬鹿な期待をしている自分が――――きっと、どこかにいるのだ。
ああ、馬鹿らしい。







※本文中に出てくる医療用ピルですが、薬を飲んでいる間は生理がこないし飲むのをやめれば生理がくる…というのはあくまでイメージを簡単にするためあえて雑にしている表現です。一口にピルと申しましても症状により処方される薬も異なるようですし、決してこの情報が正確というわけではありませんので、勝手ではありますが鵜呑みにされませんようお願い申し上げます。
そろそろ皆様おわかりかと思いますが、本作のヒロインはあまりこう…なんというか…少なくともド清楚でド誠実なタイプ、というわけではありませんので…!



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