幸福の芽
※ヒロインの先輩(「彼女の幸福論」3、9話登場)と、先輩に想いを寄せる可哀想な後輩の話。前編です。
※「あとがき」にお目を通していただいた後に読まれることをお薦めします。
※本編ヒロインは出てきません。
※いつも以上に倫理観が欠如しています。
一目惚れだと言われた。
そしてこれは自惚れではなく、これまでの人生で何度も言われてきたことだった。
自分で自分を評価するより先に、私は"自分の顔は綺麗なのだ"ということを知った。
小さい頃にはまあ、「かわいいねえ」とか「将来は女優さんかねえ」なんて言う近所の大人の言葉も、"子供に目を掛ける優しい大人の贔屓目"に過ぎないと幼いながらに思っていた。
しかしそれも、中学に上がって周りの女子からは「あの子すごい美人…」と羨望と嫉妬の混ざった眼差しを向けられたり、男子からはひっきりなしに告白されるようになってくると、いよいよそれが"客観的な事実"なのだということも理解できるようになってくる。
自分の顔を特別綺麗だと思ったことはなかったが、それでもそこらにいる子より恵まれているものを持っていると皆がそう思っているのなら、それは素直にありがたいことだと思った。
だから、その日────まだ桜が散って青々しい葉が太陽に煌めく5月の頃、名前と顔をなんとなく知っている程度の2歳も年下の後輩から告白された時にも、大して心は動かなかった。
「あ、また顔で判断されたんだな」という、思ったのはそれだけ。
当然、入学してからまだ1ヶ月そこらのこの子との直接の接点など私にはなかったが、自分の評判が校内中でそこそこ噂になっているのは聞いている。大方、そんな"3年の美人の先輩"を興味本位で見た結果可哀想なことにドキッとでもしてしまったんだろう。
浅はか極まりないね。
「突然スイマセン…困らせてしまうだけなのはわかってるんですけど、先輩のことが好きです」
「わあ、ありがとう。…でもごめん、付き合えない」
にっこり笑って、申し訳ないと思っている気持ちが伝わるよう、少しだけ口調を萎ませる。
後輩君は、漫画でしか見られないようなわかりやすいショックの受け方をしていた。涙さえ目尻に浮かべ、────私とそう身長が変わらないから余計にそう見えるのだろうか────細く小さな体を委縮させる。
「でっ、ですよね…ボクなんかじゃやっぱり先輩には釣り合わないですよね…」
「釣り合うとか釣り合わないとかはわかんないけど…私、まだ君のことよく知らないからさ。そんな不誠実な気持ちで簡単に付き合えないんだ。ごめんね」
私は、自分を一言で表現するなら"不誠実"という言葉が一番相応しいと思っている。
そんな自分から"誠実"を説くような真似をするのはかなり嗤えることだったが、それでも"誠実"なフリをして、可愛らしい顔をした茶髪の子を優しく振る。
「…わかりました」
私の表面を見て好きになってくれたのなら、どうかそのまま綺麗な"憧れ"としてその気持ちを自然消滅させてください。私は君のことをよく知らないけど、きっと君にはもっと素敵な女性の方が似合うことでしょう。顔とかじゃなくて、人間としてね。
なのに。
「じゃあ、もっとボクのことを知ってもらえるように努力します! そしてその時、また告白します! 勝手でスイマセン! よろしくお願いします!」
一方的にそう叫んで、後輩君は走り去ってしまった。
後に取り残されたのは、ぽつんと取り残される私。
…いや、諦めてよ。
翌日の昼休み、次の生徒総会で出す資料を作るべく生徒会室へ向かうと、そこには先客がいた。
「あ、今吉」
「おう、お疲れさん」
部屋にいるのは彼ひとりだった。ちらりと手元を見やると、そこには私の目的と同じく、生徒総会用の資料が広がっている。もちろん細かい業務の担当分けはしていたものの、今の生徒会役員は全員が専ら生徒総会への準備でかかりきりになっている。私は暇を持て余して来ただけだったが、今吉のように放課後などの時間を部活に取られてしまう生徒は、こういった合間の隙間時間を利用して業務をこなしていた。
「総会の準備か?」
「うん、この間まとめた議題の資料起こし、そろそろしとかないとな〜って思って」
「こんな昼間っから精が出るなあ」
「ははは、お互いにね」
今吉は、生徒から寄せられている意見書に目を通しているようだった。片や私は、総会当日にスクリーンに映し出す資料データを作成するべくパソコンを立ち上げる。
「────そうだ、そういえば昨日なんだけど」
お互いに仕事をしているので、別に沈黙を無理に破る必要はなかったのだが、一応私は"報告事項"として昨日の告白劇を彼に伝えておくことにした。
「おたくが可愛がってる桜井君に告白されちゃいました」
昨日私にまっすぐな告白をしてくれたのは、1年生の桜井良という名の子。
直接の接点がなかった私の中で、それでも彼の名前と顔が一致していたのは、彼がバスケ部という────今ここにいる今吉と同じ部活に所属し、更にそこそこ目を掛けているといった話を聞かされていたからだ。
今吉とは、もう交流が生まれてから6年目になる。
中学1年生の時に初めて同じクラスで顔を合わせて以来、"クラスメイト"としてそこそこに距離のある付き合い方をしてきた私達。3年間同じクラスだったのでまあ仲は悪くなかったし会話をする機会もそれなりにあったのだが、所詮それは互いに"40人近い集団の中の1人"という認識の域を出ないものだった。
しかしこれが高校に入ってまで顔を合わせることになると、一気に話は変わってくる。
高校入学後初のクラス顔合わせの場に、今吉がいた。
あの時の衝撃を、私は忘れない。向こうも珍しくその時ばかりは動揺していたようだった。
当然だ、以前から"クラスメイト"として表層的に仲が良くても、私達にプライベートでの交流があったわけではない。お互いの進学先なんて知らないどころか興味すらなかったのに、蓋を開けてみればまた同じ空間にいるのだから、驚かない方が無理というもの。
だから私は、この6年間によりもたらされた境遇こそ、"腐れ縁"という言葉を説明するのに最も最適な言葉だと思っている。
慣れ親しんだ中学を卒業し、改めて知らない人しかいない環境に放りこまれた。…と思ったら、そこには唯一よく知った顔があった。
そんな成り行きで、高校に入ってから私達の距離は急速に縮まった。
もちろん互いに恋愛対象としての興味や、必要以上の人としての好意はなかったので、まさに他人より3年長く知り合っていたという時間のアドバンテージがあるから"なんとなく一緒にいるのが楽"だと思っていただけに過ぎないのだが。
そこに加えて、示し合わせたように同じ生徒会に所属するという始末(本当に示し合わせてなどいない。断じて)。
そこまで偶然が重なってしまえば、彼が私にとって腹を割って話せる数少ない貴重な存在となるのもまあ、必然になってくる。
そして今吉も、(もちろん惰性ありきなのは前提だが)私のことをそこそこに買ってくれているようだった。まあもっとも、この妖怪人間に気に入られることを喜んで良いのかどうなのか、そこはずっと議論を醸すところではあるのだが。
────と、そんなこんなで私達は今や完全に"40人近い集団の中の1人"を越えた仲になってしまった。だから彼が統括するチームの子が、他でもない"私"に恋愛感情を向けてしまったという"悲劇"のことも、きちんと話しておこうと思った。
案の定、パソコンから目を上げて真向かいに座る今吉の表情を確認すると、あからさまに嫌そうな顔をしているのが見えた。
「…女の趣味悪っ」
そのまま先程食べたのであろうお昼ご飯を吐いてしまうんじゃないかと心配になるほど、今吉の顔色は悪かった。
そうそう、こういう反応よ。それが"私"を知る人間なら当たり前にできる"正しい"反応なのよ。
「もちろん断ったけど、なんか諦めないみたいなこと言い逃げされちゃったから、今吉からもちょっと口添えしておいてくんない?」
「えー、めんどくさ。最後まで自分で言えや」
「知ってる…? 惚れた相手には無敵のフィルターがかかって、本人からどんな悪い話を聞かされてもポジティブに捉えちゃうことがあるんだって…! 怖いね!」
「いや知らんわ。なんでワシがお前の性格の悪さを桜井に暴露せなあかんねん。つーかそんなディープな話したら、それこそワシとお前の仲を疑われるやろが。そっちの方が嫌やわ」
今吉の言葉には容赦がない。
でもそれは、紛れもない事実だった。
はっきり言って、私は性格が悪い。
中でも特に、男癖が悪かった。
「顔が良い」と感受性の豊かな時期に散々持て囃されたのが一因になっているのだろう、とは思う。
最初はなんとなく、告白されたから付き合ったという単純なきっかけだった。
そして、付き合ったから当たり前のようにセックスをした。
そうしたら、思ったよりそれが楽しかった。
結局私はその人のことを好きになれなかったのですぐに別れたのだが、男にチヤホヤされたりセックスというお遊びをするのは、割と楽しい思い出となって残ってしまった。
それが悪かった。
残念なことに、私は他人にあまり興味を持てない人間だった。
いや、興味がないということには語弊がある。興味はあるのだ、ただ"観察対象"として見ている分には。
見れば見るほど、人間というものは醜く泥臭い生き物だと実感させられた。探れば探るほど、人間の汚い本性が露わになった。そんな人間の業を遠くから見ることは大変に楽しかった。時には、決してこちらの隙を見せないよう、頭を思い切り働かせながら相手の本音だけを突いて回ることでさえも楽しかった。
でも、わざわざ自らこちらの心まで開いて誰か特定の人と関わりたいとは、なかなか思えなかった。
だから私は、"顔の良さ"を利用して、"お遊び"に興じることにしてしまった。
もちろんその行為が世間体的にあまりプラス要素のものとして捉えられることはない、ということは理解していたので、専ら知り合いにエンカウントしないよう、学校や地元のような"コミュニティー外"で動くことだけは徹底していたが。
情なんて要らない。絆なんて要らない。思い出も要らない。
楽しいことをして、自分の顔が武器になるうちはそれを存分に使って、汚い人間の性を暴くだけ暴いて────時が来た時には全て捨てて自立すれば良いや。そんな気持ちで不特定多数と浅い関係を持ちながら、私はずっと世界を俯瞰したような気になっていた。
そしてその悪癖を、目の前の男は知っている。
知り合いの前では徹底して"清楚で綺麗な女子高生"を演じている私の腐った腹の中を、この男だけは知っている。
もちろんこちらとて全てを語ったわけではないが、お互い"人間観察"を好み、頭を回転させる"腹の探り合い"を好んでいる者同士。腐れ縁だからと言われればそれまでなのだが、そのお陰でそこそこ深い話も共有するようになる頃には、私はそれなりにこの男との相性の良さを感じており、今吉が開示してくるレベルに合わせて自分の本音も漏らすようになっていた。
基本的に人間は好きだ。汚くても"観察対象"としてなら興味がある。
でも、頭の良い人間はもっと好きだ。勉強がどれだけできようができまいが関係なく、人の業というものを知る"真に賢い"人間は、"尊敬すべき対象"としての好意になる。
今のところ、この短い人生の浅い経験の中で尊敬できると思えた同世代の子は────目の前の今吉と、それから1歳下の、中学時代の後輩の女の子くらい(その子は今、別の高校に通っている。元気にしているだろうか。機会があれば近々また会いたいな、と思う)。
だからこそ、この賢い男とは絶対に肉体による"薄っぺらな関係"を持ちたくないと思っていた。
恋愛感情なんていう"脆い青春"を共にしたくないと思っていた。
私は私なりに彼を大切にした上でそう思っているのだが────どうやら今吉は、そんな私を純粋に蔑んでいるらしい。一応彼のお目に留まるくらいの頭の回し方は心得られていたようなので、私の悪癖さえ及ばなければ彼もよく私に絡んで来るのだが、いざその話となるとすぐこの顔になる。それがまた、面白いのだが。
もっとも彼が私の悪癖を蔑んでいるのは、"道徳的に問題があると思っている"とか、ましてや"消費されていくだけの私の半生を心配している"とか、そんな優しい理由じゃない。そもそも、やり方やそこに芽生える感情が違うとしても、ある種"人を人とも思わず、その心を折ることさえ厭わない"同類にどうこう言われたところで、「あなただけには言われたくない」と言い返して終わるだけなのだが。
単に彼は、私の行為が"何の生産性もない無駄な時間"でしかないと思っている。あるのは、その価値観の違いだけ。
人の業を知りたい、それを自分の手で自由に動かしてみたい。心に根差している思い自体は、私達どちらもが同じなのだ。
「ええやん、いつもみたいに適当に私も好き〜とか言うて、チヤホヤされとけば」
「仮にも大事な後輩がこんなクズ人間に食われそうになってるっていうのに…冷たいなぁ、主将は」
「知らんわ。桜井はお前のことが好きなんやろ、だったらもう当人同士でどうにかせえや。男癖の悪さを暴露してセフレにしようが、秘密を隠して真っ当に付き合おうが、それはワシの判断すべき領域を超えとる」
「ええ…どっちも微妙…。だってその子、あれでしょ? ちょっと負けず嫌いでプライド高いところはあるけど、基本的には純粋で素直な"良い子"なんでしょ?」
「そうやな」
「そもそも私の貞操観念の緩さはあんまり話したくないしさぁ、かといってそんな良い子に私みたいなクズをあてがうのは良心が疼くんだよね…あなたとは違って」
「え、今の攻撃必要やった? つーかそんなクズの矜持なんて知らんし。まずそもそも、こんな性根が腐りきった人間に見当違いの憧れを抱かせること自体が逆に可哀想やと思うで、ワシは」
「いやそんな私の力じゃどうにもならない話をされても。じゃあなに、私は男癖の悪いビッチだから付き合えませんって正直に言うの? よく知りもしない良い子に?」
「だから好きにせえって」
「それができないから今吉からもひとつ頼むってお願いしてるんじゃんか! ────去年今吉に付きまとってたストーカーの女の子を撃退するのに手を貸してやったの、忘れたとは言わせないからね!」
今思い出した"貸し"の話をすると、今吉の言葉がぐっと詰まる。
あれは去年の夏頃だったろうか。今吉には他校の女子から「ファンです」と言われてはつきまとわれていた時期があった。大事なIH前だろうが試験前だろうがお構いなし、基本的なプロフィールはもちろん、家や交友関係などの深いプライベートまで特定されそうになり、そろそろストレスが限界を迎えようとしていた彼を助けたのが、私だった。
やり方は簡単。恋人のふりをするだけ。
「ワシ、彼女いるねん」と紹介してもらう。当然その子は私に相当な恨みを持ったようで、ストーキングの標的が私に替わったことはもちろん、他校の生徒がどうやってそんなことをしたのか、下駄箱に呪いの手紙や大量の画鋲が詰め込まれるということも幾度となく起きるようになった。
結果として殺されなくて良かったと後から思ったが、そもそもやり方からして殺す気はなさそうだとは思っていたので、こちらも大して堪えなかった。
好意より悪意の方が扱いやすいというのは、これまでの人間観察でよく心得ている。好意による執着は、なまじその"悪い心"がないだけに実害を立証するのが難しいが、悪意による執着ならそこにあるのは害────つまり証拠だらけ。
直接的には徹底的な無視を貫きつつ、学校や近くの警察には"心当たりのあるこんな他校生から嫌がらせを受けている"という被害状況を話しておき、(当然この段階ではどちらも動いてくれないので)地道に被害を受けた証拠となる写真を集めた。画鋲はともかく、呪いの手紙は今吉に過去宛てられていたラブレターの筆跡と酷似していたので助かった。
そしてある日、何時間も昇降口で逆に待ち伏せた結果、遂に"彼女が私の下駄箱に生ゴミを投入している"証拠写真を獲得したところで、ずっと相談し続けていた先生を連れ、まだうちの高校の周りをうろついていた彼女の元へ向かった。
そうしたら、一瞬で全て解決した。
その後彼女がどうなったのかは知らない。もう散々人間の醜さについては見せてもらった後だったので、興味も失せた。
あれもよく考えればなかなかに酷い"お願い"だったと思う。
それこそ、今吉が私に"真っ先に助けを求めに行けるような頼れる相手だが、同意さえあればその後相手がどんな害を被ろうが構わないと思っている"という、ひどく倒錯した信頼感を抱いていることが明白になるエピソードだと思う。
そのことに比べれば、勢いの良い後輩を諫めるくらいの見返りは期待したいところだ。
「……一応言うだけ言うたるけど、桜井アイツほんまに頑固やからな。バスケに関係のないことでワシの言うこと素直に聞き入れるとは期待してへんで」
妖怪のような人間ではあるが、一応人並みの義理も情もある男、今吉。
渋々ながら、私の"綺麗なイメージを保たせたまま諦めさせたい"というお願いを承諾してくれた。
まあ、元々私がこの話を彼にしたのも、告白してきた相手が"今吉が目を掛けている後輩"だったからなのだ。これで相手がどこの誰とも関係のないモブだったなら、私は彼に何も告げず成り行きに任せていただろう。
これは何も、私のためだけの話じゃないつもりだった。
だから、このまま穏便に終わってくれれば良いな。
「先輩、この間は言い逃げしてスイマセンでした! あれからちゃんと改めて考えたんですけど、やっぱり先輩のことが好きでした、スイマセン…!」
…いや、なぜ?
あれから一週間後。
放課後、今吉に押し付けられた雑用(ミーティングで使う資料を持ってきてほしいとのことだが、有能なマネージャーがついているんじゃないのかね君達には)ついでに体育館に赴くと、ちょうど部活の休憩中だったらしい桜井君がたったと駆け寄ってきてそんなことを言ってきた。私の存在に後から気づいたらしい今吉が、くっくっと面白そうに笑っているのが見える。
「あの…いや、気持ちは嬉しいんだけど…」
「はい、まだボクのことを知らないから、ですよね! ボクもただ綺麗だからって理由で好きになってしまいましたけど、これ以上は困らせたくないので、付き合ってくださいとは言わないです、まだ!」
まだ、て。
「なので、もし今週の土曜日、お時間あったら…その…試合あるので、観に来て…くれたり…ってやっぱり無理ですよね! スイマセン!」
なんなんだ、勇気があるのかないのかはっきりしてくれ。
「どうせ暇やろ。行ったれや」
きちんと誘われたところで断るつもりでいたので、途中で自分の発言をひっくり返してくれたのはむしろありがたいことだったのだが────なんとそこで茶々を入れてきたのは、「諦めさせるのを手伝ってくれ」と頼んで承諾までもらっていたはずの、今吉だった。
「それでもなんや、デートの約束でも入っとるんか?」
「えっ、先輩、彼氏いたんですか…!?」
こんのクソ妖怪め…。
涼しい顔して、こちらが一番つつかれたくないネタで逃げ道を塞ぎに来やがる。
「いないし、そんな約束もないです…けど」
校内、もとい大方の知り合いの前では"清純ぶっている"私は、そう答えるしかない。
「! じゃあ…!」
「別に1日拘束されるわけやなし、午前中ちょーっと顔出して、その後2人でかる〜く茶でもしばいて来たらええやん」
「いや、そんなにボクのために時間を使わせるのは申し訳ないです…!」
「なんや桜井、自分のこともコイツのことも知り合う時間作ろうとしてるんやないんか?」
「そ、そうですけど…」
なんだ、これ。
諦めさせるどころか、積極的にけしかけに来ている今吉の笑顔に、厚い面の皮の内側で苛立ちが募る。
「ほな、そういうことで」
それでまとめたつもりなのか、今吉は言うだけ言って私に頼んでいた資料を受け取るとさっさと中へ戻ってしまった。
後に残される、私と桜井君。可哀想に、すっかり妖怪のペースに呑まれてまた涙目になっている。
「ええと、その…お茶しましょうとまでは言わないので…スイマセン、あの…まずはボクが普段どういうことしてるのかって姿だけでも見てもらえたら…」
ここまでお膳立てされてしまったら、もう断る隙がないじゃないか。
私は吐く息が溜息になってしまわないよう、辟易した本心が表出しないよう、最大限気を遣いながら桜井君に笑顔を向けた。
「うん、せっかくだから観に行かせてもらうね。お茶は…そうだね、私は良いけど、そっちも試合後にまたミーティングとか練習とか続くかもしれないから、今は約束しないでおこっか」
「はっ、はい! ありがとうございます! スイマセン!」
お礼なのか謝罪なのかわからない言葉を吐きながらも、まるで花が咲いたような顔をして桜井君は声を上擦らせた。「じゃああの、時間とか場所とか連絡するので、良かったら連絡先を…」とちゃっかりアドレスまで交換した上で、練習に戻って行く。
…桜井君の二度目の告白にも驚かされたが、それにしても今吉のあの態度は一体なんなのだ。
女の趣味が悪いと開口一番に吐き捨てたのを忘れたとは言わせない。彼がその日の会話で言った通り、本当に桜井君が"今吉の言うことに聞く耳を持たないほど頑固"だったのか…それとも何か別の理由で"桜井君が私を好きでい続けること"にメリットを見出したのか────真相はわからないが、いずれにせよ厄介だ。
今まで、一目惚れなんていう脆い理由で告白してきた人は、全員もれなく一度ないし二度断れば諦めてきた。所詮、上辺で浮ついた感情を持つ人間の"恋心"などその程度…の、はずなのだ。
そもそも相手の本質を知る前から好きだのなんだの言って深い関係に持ち込もうとする人間は、私が最も苦手とするタイプだ。まずは全部自己開示をしてもらってから、その上でこちらも開示するのに差し支えない情報を抽出するという順序でなければ、私は安心できない。人間を"観察対象"として好いているが故に、最初から同じ土俵に立つことなどできるわけもない。
これで蓋を開けてみたら桜井君もどこかしら腐った部分を抱えている人間だった、なんてことがあるなら、今吉と同じくらいの関係を築きたいと思えるようになるのかもしれないが。でもそうなってしまったら、却って彼の「好きです」という言葉に応える日は永遠に来なくなる。
思ったより長期戦になりそうだ…と、誰もいなくなってから、私は思い切り長い溜息をついた。
その夜。
「…昼のアレ、どういうつもり!?」
私は早速今吉に抗議の電話を入れた。電話口の向こう側から、腹の立つ笑い声が聞こえる。
『いや、一応手伝えって言われた次の日にはちゃんとワシも仕事したで』
「なんて言ったのさ」
『アイツはああ見えて結構人見知りするし理想も高いから、仲良うなるのは難しいと思うでって。ワシでさえ5年かけてようやく"心を開いて話せる友達"になったくらいやからな、ってそれっぽい根拠付きで』
「うん、無難な忠告をありがとう。で、なんでそれが今日のアレになるわけ?」
『いやあ…』
言葉を濁しながら、今吉はまた声を出さずに笑う。
何がそんなにおかしいのか全くわからない私は、無言で怒りを示しながら質問の答えが返ってくるのを待つ。
『………しばらく様子見てもええと思うで』
「…様子?」
『桜井、意外と良い目しとったわ。いや趣味が悪いことには変わりないんやけどな。桜井とお前の話をしてるうちに、初手からぶった斬るのはちょっともったいないやないんかな、とワシは思ったわけや』
なんだ、それ。
全く意味がわからない。
良い目? 主観はともかく客観的に見れば大抵の人間から"綺麗"と称されるこの顔を見て、そんな大抵の人間と同じように"綺麗"と思った彼の目が特に良いとは思えない。
それに…もったいない、って…。
「…観察のしがいはあるってこと?」
そりゃあ、経緯はどうあれ"うまいこと言い包めるのが上手"な今吉の忠告を聞いても意志を曲げなかった子なのだ。確かに、その心の内やそんな性格が形成された背景に興味がないことはない。
でも、私と関わってしまえば桜井君本人はもちろん、今吉にさえもデメリットをもたらしてしまうと思ったからこそ、先週ああやって相談したのに。基本的に相手を磨り潰していくだけの私の"人との関わり方"は、付き合う相手を見極めた上でするべき行為だと思っている。自分にとって利害関係のない赤の他人が相手なら何の問題もないが、"今吉の後輩"が対象となると話は別だ。数少ない友人の可愛がっている子であれば、できることならあまり私の褒められないような趣味に巻き込みたくない。そしてそもそも巻き込むな、と言われてしまうのであれば、私は最初から関わりたくない。
『そうやな』
「私は楽しいだろうけど、それじゃあんまり桜井君にとっては良い関係を築けないと思うよ。ていうか私の話って一体何の話をしたの」
『まあそれも含めて、時間をかけて知り合って行きや。桜井、あれでいてかなり粘り強いからな。ちょっとやそっとじゃ諦めんと思うし』
それだけ言って、一方的に切られてしまった。
静かになった自室で、私は再び長い溜息をつく。
今吉は一体何を聞いたんだろう。
私の腐った性根を「腐ってる」とはっきり言ってのけるあの男が「様子を見ろ」と言ったのだ、きっとそれに値するだけの深い事情がそこにあったのではないだろうかと思う。
しかしそれを問い質したところで、今吉が素直に答えるとは思えない。
…あいつの言う通り、時間をかけながら本人に聞くしかないんだろうか。
いや別に私は良いんですけどね?
知らないよ? 良い子の後輩がそれで傷ついても。可愛い後輩が私を嫌うことでその嫌悪が君にまで伝播しても、私関与しないからね?
最初は今吉への配慮もあったが、あそこまで言われたらこちらが義理立てする必要もない。本人には伝えきれなかった免罪符のセリフを自分に言い聞かせ、桜井君を"友人の後輩"から"観察対象"に格下げする。
それならそれで、もう楽しませてもらうことにしよう。
こちらが飽きるまでの間、思う存分観察させてもらうことにしよう。
ひとまず、次は土曜日の試合観戦か。
どうせ今吉のあの調子じゃ、なんとかうまいことして試合後に一席設けざるを得なくなる状況を作ってくるに決まっている。
さて、何を話そうか。そして何を聞こうか。
────これはまだ、"観察対象"の粘り強さと頑固さが完全に想定を超えることを思い知らされるより、ずっとずっと前の話────。
かなり人を選ぶ話だと思います…し、正直需要はないと思っています…すみません。
個人的に"作るだけ作っておいて深堀りしないオリジナルキャラクターがいる"ことにしこりが残ってしまっていたので、自己満足で派生させました。
夢小説がそもそも自己満足の上に成立つ代物だから…という身も蓋もない言い訳で目を瞑ってくださると幸いです。
(本音を言うと単純に今吉さんと会話させたかっただけです、尚更すみません)
ちなみに今回の主人公はいわゆる"夢主"ではないので、文中でも少しスペックを明確に表現しています。以下、補足です。
▼かなりの美人
イメージとしては"探せば他にもいるけど探す前に目に留まる"というレベル感です。
ミスコンのようなイベントに出れば何かしらの賞は取ってくるでしょう。
見た目の雰囲気は"可愛い女子高生"より"大人びたクールな美少女"の方が近いのですが、いかんせん口調があんな感じなので割と周りからも親しまれています。
もちろんそれも彼女にとっては"下手に敵を作らないための処世術"の一つなので、地の文(本性)はかなり冷めていますが。
▼身長高め
175cmの桜井と見た目の大きさがそこまで変わらないということで、168cmくらいと想定しています。
▼男癖が悪く性根も悪い
貞操観念の緩さは本編でも言及している通りです。
念の為申し上げますと、この点について作者個人としての意見は特に何もありません。それこそ他人が口を出す領分じゃないと思っています。
ただ、"世間からはあまり良いイメージを持たれない"という現代社会における客観的な評価を、彼女も"そういうもの"として特に何の感慨もなく受け止めているという具合です。
性格については、単に性格が悪いというわけではなく、"観察対象=外側の人間"、"尊敬対象=内側の人間"といったように両者の間に明確なラインを引き、相手がラインのどちら側にいるかによって対応をかなり変えるタイプです。本編で彼女がヒロインに親身になっていたのは紛れもない本心からの行動であり、それはヒロインが彼女にとって"内側の人間"だったからです。
なのでこちらも、"ライン引き"自体を取り上げて"性根が悪い"と呼んでいるのではなく、表層的にはあくまで"無害で純潔な美少女"を装いながら、その心に"一方的に相手の腹だけ掻き回す化物"を飼っている部分に"歪み"を見出しているという感じです。
話の中では"ヒロイン"と"今吉"という"内側の人間"とばかり会話しているので伝わりにくいのですが、"外側の人間"と話している彼女はそれはもう白々しい態度を取っています。自分の話題はうまくはぐらかし、相手の話は上手に根こそぎ掘り出し、飽きたら離れていく。表と裏で態度の変わらないソフト花宮と思ってください。
再三になりますが、イドの幸福にイイヒトは出てきません。
そんなこんなで後編へ続きます。
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