幸福の義務



「おい、明日空けとけ」
「部活は?」
「ある」
「えー、夜まで待った挙句またどっか連れ回されるの?」
「嫌なら帰れよ」
「帰る選択肢はあるんだ」
「その場合一回帰ったお前をまた家から引きずり出す」
「鬼なの?」

花宮の誘いはいつも唐突だった。

付き合い始めてから、そこそこの時間が経った頃。
私達は相変わらずの距離感と温度感で、隣にいた。

あれだけ回り道をして、たくさん傷ついたというのに、蓋を開けてみれば現実はスタート地点に立ったまま何も変わっていなかった。私も花宮もお互いのことが好きで、お互い幸せになってほしいと願っていて、それがうまく噛み合わなかったというだけで。

最初から、私達の気持ちは同じだった。

だから別段生活が変わるようなことはない。花宮は2年前初めて会ったその時からずっと上手に表と裏の顔を使い分け、表では私のことを溺愛しているスバラシイ彼氏を演じ、裏ではこんな粗雑な扱いをしてくる。

どちらかというと、変わったのは周りの方だった。
バスケ部の面々がよく絡みに来るようになったのは言うまでもない。花宮による接触禁止令が解除されて以降、彼らは以前にも増してよくうちのクラスを訪ねるようになっていた。その内容は瀬戸目当て半分、私目当て半分といったところ。
私達の話題はやはりそのほとんどが花宮に関連するものだった。
どうやったら花宮に言うことを聞かせられるのか、どうやったら機嫌の悪い花宮を元に戻せるか…と言った具合に、まるで私は花宮対策マニュアルかと言いたくなるような問合せが最近は特に殺到している。

花宮と一度喧嘩別れした時に慰めてくれた友達は、私達の復縁(そもそも高校に入ってからは付き合ってすらいなかったが、いちいち訂正するのが面倒になった)を心から喜んでくれた。

「雪葉なら絶対幸せになれると思う!」
「だって相手花宮君だし!」
「でもまた喧嘩したらいつでも戻っておいでね! 別れた時のやけ酒パーティーの準備はしておくから!」
「こら!」

どこかで花宮を狙っていたらしいごくごく一部の女子からの怨恨の視線を除けば、私の環境は前より格段に快適なものになっていた。
別にあの関係に名前なんてないままでも良いとは思っていたけど、やはりそこに"恋人"という客観的な名分を与えられると過ごしやすくなるのは事実らしい。

それにしても、明日か。またこれは突然だな。しかもいつもなら一週間くらい前には告知してくれているのに、今回は前日に急に思い立ったとでも言わんばかりの様子だった。
何か明日起こるようなイベントでもあるのだろうか。一通りネットで検索してみるが、明日うちの地元で何かあるというような情報はなかった。
私の誕生日? は明後日だし…花宮がその辺りを勘違いしているとは思えない。というか、誕生日祝いなんてそんな世間一般のカップルがやるような楽しいことを進んで花宮がやるとは思えない。

…そんなこんなで私自身も、今まで通り花宮の挙動を疑い続けるばかりだった。

翌日、夜21時。
慈悲深い私はちゃんと学校が施錠される時間ギリギリになるまで教室で待ってあげていた。
…というよりはまあ、20時には課題も予習も全て済ませてしまったので、机に突っ伏して居眠りを始めたというのが正しいところではあるが。

うとうとと微睡ながら、夢と現実の狭間にいるような心地良い感触に浸る。
そろそろ本格的に意識を手放すかといったところで、「雪葉」と自分の名を呼ぶ声が聞こえ強制的に私は現実に引き戻された。

「ああ、おはよう」
「こっちはおはようじゃねえんだよ」
「私もだよ。もう少しで眠れそうだったのに」
「そりゃ悪かったな。置いて帰ってやろうか」
「何のためにこの時間までここにいたと思ってんの」

教室の入口にもたれて不機嫌そうに立っている花宮にこちらもぶつくさ文句を言いながら、鞄を肩に掛け近づく。

「で、どこに行くの?」
「公園」
「こうえん」

意味がわからずついそのまま訊き返してしまったが、花宮が答えることはなかった。
公園? どこの?
そんな部活後にわざわざ行くような場所とも思えないようなところに、何をしに行くつもりなのだろう。

訊いたところで無駄なのはわかっているので、私もそれには触れず他愛のない話ばかりしながら普通に家路につく花宮について行った。いい加減ここまでの時間で私も学習したよ、そういう時の花宮は頑なに本題を語らないなんてことは。

花宮は道中にあるマジバに立ち寄った。わけがわからずきょろきょろと周りを見回している間に「お前は?」と促されてしまったので適当に目についたメニューを伝えると、テイクアウトでバーガーセットを2つ、花宮は買った。
…奢られている、ようだ。

でも花宮はテイクアウトと言った。この場で食べるつもりじゃないらしい。
いよいよ不気味になってくる。元々私達は互いにそこまで口数が多いわけではないので、一緒にいる間も沈黙か喧嘩するくらいしかやることがない。普段は別にそれでも良かったのだが、その日は苦し紛れに今日の昼休み原と山崎がおやつの取り合いであやうくマジ喧嘩に発展しそうになったなんていうどうでも良すぎる話まで引きずり出さないといけないくらい、私の心中が穏やかではなかった。

突然のアポ。場所が公園とかいう謎。目的は未だ不明。
途中で食事(?)を奢られるという挙動。喧嘩にすら発展しない静かな会話。

何もかもが不自然すぎる。特に途中で挟まれたマジバのシーン。
花宮が何も考えず誰かに何かを施すなんて考えられない。何か後で余程の対価を求められるのはまず間違いない。でも行くのは公園って…公園で何をさせるつもりだ?
また何か厄介事に巻き込まれるのは御免なのだが…流石に花宮が今更自ら私を差し出すような真似はしないと思うので、その線を消すと…これが余計にわからなくなる。

連れて行かれたのは、私達が一度別れ、そして先日もう一度付き合うことになった因縁の公園だった。案の定人は誰もおらず、ただ街灯に照らされた遊具が不気味に鎮座しているだけ。風に吹かれ揺れたブランコがギィ、ギィ、と軋んだ金属音を立てているのも相俟って、そこはちょっとしたホラースポットとすら言えそうな雰囲気を醸していた。

…いや、無駄なのはわかってるけどやっぱり気になる。
花宮はなんでわざわざこんな場所に私を連れてきたのか。

「ほら」

定位置と化してきているブランコとベンチ。ブランコに座った私に、花宮は乱暴な動作で紙トレーに収まるバーガーセットを手渡してきた。

「ここで食べるの?」
「家に持ち帰りたいなら袋くらいはやるけど」
「いや本当にそれこそ意味わかんないから」

注意深く花宮の挙動を観察しながら、バーガーを口にする。
正直、味はしなかった。

時間はその時点で22時半を回っていた。青少年なんとか法だか条例だか、その辺の関係で私達はきっと今然るべき人に見つかれば通報なり指導なりされる羽目になる。花宮もそれはわかっているだろうに、その場から動こうとはしなかった。

「そろそろ話してくれる? ここで何すんの?」
「いやまだだ」

何がまだなんだ。

「で? 昼休みに一哉とヤマがガチ喧嘩始めてどうなったって?」
「…この頑固者」

何か時間が関係してくるのだろうか。あと10分でここに爆竹が放たれるとか。
いや流石にない…よ、ね?

仕方なく、2人の喧嘩を煩わしく思った私が自分のために買っていたチョコを原にあげたことでその場が収まったことを話した。

「やった! マドンナ印のチョコレート!」
「ぷっ…つーか今の藤枝の顔、俺らが騒いでる時の花宮の顔とそっくりだった」

そう言われたことを話すと、花宮はわかりやすく嫌そうな顔をする。何もそんな口半開きにしてまで嫌がらなくても。

「どんな顔したんだよお前」
「知らないよ鏡なんか見れないもん。でも山崎君曰く、"虫ケラを見下す目"だって」
「…俺が言うのもなんだけど、お前相当染まってんなぁ…」
「本当にどの口が言うか」

彼らはよく"私と花宮"は似ている、と言ってきた。
確かに人を疑う癖やあまり感情を乱さないところは似ていると言って良いかもしれない。でも、私と花宮じゃそもそものスペックが段違いだ。
今だって、放課後に呼び出される理由すらわからずに私は呑気に夜遅くまでこの化物と一緒にいる。

正直、全く疲れないわけじゃない。
今のところ私は自分の予定も予想も全て度外視して来るこの悪童(全く誰が付けたんだか、この単語ほどこいつによく似合っている言葉を私は知らない)に振り回されるがままだ。元々そこまで人の事情を慮る方とはいえない私にとって、突然現れては訳のわからないことを言い出し連れ回してくるこの男はさながらゲーセンのワニを叩くゲームと対峙しているかのような気持ちにさせてくるばかりだった。

だけど、じゃあそれが気に入らないかというと、そういうわけでもなく。
あれだけ散々迷ったのだから今更後悔などしたくないという意地もないわけではなかったが、私は少なくとも自分が思っていたよりはそんなワニ叩きを楽しんでいるようだった。

花宮との会話は頭の体操のようで脳が活動している充実感を抱く。花宮の外面と内面の差を見る度に初めて会った時の不思議な高揚感を思い出す。そして完璧に演じられた"花宮真"という人間の素が垣間見えた時、それを思いっきりハンマーでぶっ叩くのが楽しい。

…もちろんぶっ叩くなどというのはただの比喩であり、それは時には"記憶によく刻み込む"ことだったり"ちょっと茶化して彼の怒りに点火してみる"ことだったりと様々な行動になって表れているだけだ。でもそんな僅かな隙を見せてくれるその瞬間が、私は存外好きだった。

いつだったか話の流れでそんなことを言った時には、「お前も大概良い根性してるな」と怒られたけど。

だから、今のところ私が花宮から離れるという選択肢はまだない。
不安だらけで、ただ必死に一緒にいようと叫んだあの日のことはまだよく覚えている。やはりあの時に声を張ってでも彼を止めて良かった、と思うばかりだ。

内容のない話をしながら内心でそんなことを考えているうちに、どれだけの時間が経ったのだろう。そろそろいい加減話題も尽きるという頃になってようやく、花宮は立ち上がった。

「お、"その時"が来た?」

冗談めかして言った私の言葉は無視された。
花宮はそのまま私の前まで来ると─────なんと地面に片膝をついてみせた。

え、待って。

何、これ。

「靴下脱げ」

花宮は私を見上げながら、威圧的にそう言った。目線は私の方が上にあるはずなのに、重力で頭を地面に押し付けられているような感覚に陥る。

「いや、なぜ」
「良いから」

私が頭にいくつもハテナを浮かべながらも靴と靴下を脱いでいる間に、花宮も脇に置いたスクールバッグからそこそこ大きい箱を取り出した。赤い箱に赤いリボン。どこからどう見てもそれは、女性向けブランドのものだった。

子供のように公園で裸足になった私。その前で跪いて見せている花宮は、するりとリボンを解き、黙ったまま箱の蓋を開けた。

「─────…」

その瞬間、思わず私は声を失う。

そこに入っていたのは、靴だった。
赤いピンヒールの踵の高さは7cm程度といったところだろうか。装飾も他の色も一切入っていない真っ赤な靴を、花宮は私にそっと履かせた。
足首をくいと持ち上げ、爪先から丁寧に差し入れて踵の部分に靴をはめる。

─────その靴は、私の足のサイズにぴったり合っていた。

「花宮…これ…」
「誕生日プレゼント」

花宮の口調は静かだった。靴を履かせたまま、こちらを見ようともしない。さながら今の彼は女王の前にひれ伏す騎士のようだ。

「………なんで私の足のサイズ知ってるの?」
「…まず気になるのはそこなんだなお前は本当に……」

いや、だってこれすごくぴったり合う。今の裸足の状態では若干大きめに感じないこともないが、例えばこれがストッキングを履いてのことだったら…あるいは歩き回って浮腫んだ後のことだったら…その時こそ、何の違和感もないくらいこの靴は私の足にフィットするのだろう。
試しにブランコから立ち上がってみた。高校の制服に赤いピンヒールなんてそれはそれはとても似合ったものではなかったが、私は足元だけ急に大人になったような気がしていた。

「可愛い」
「…クリスマスの時は…色々あったろ。元々今日だって祝うつもりがなかったわけじゃねえけど、それはそれでいつか何かの形で返さないと気が済まなかったからな─────だからこれは、クリスマスと誕生日を合わせた俺からのプレゼントだ。わかったら素直に泣いて喜べ」

泣くわけがあるか。泣くわけはないが…うん、あれは確かにひどかったな。
一週間くらい前に予約を入れておいて、直前に雑な嘘で私と縁を切り、肝心の当日は他の女とデートに勤しんでいたわけですからね。まあその辺りを今更どうこう言うつもりなど全くなかったのだが、花宮の中ではそこそこ気になることとしてずっと心の一部を占めていたらしい。

「それでこんな素敵なものを……日付が変わるまで待って、贈ってくれたんだ」

公園の地面に刺さっている時計は、ちょうど0時を回ったばかりのところを指していた。

「────思った通り、似合うな」

花宮は相変わらず私の足元ばかりを見ていた。でもその声はさっきまでの強気な態度から一転し、私を幸せにしてくれると言ったその時と同じ、切ないほどの優しさを持っていた。

「…ありがとう」

深夜の誰もいない小さな公園。ロマンがないどころかホラースポットと思ったばかりだったこの場所で、あまりにそれと不似合いな美しい靴を履く高校生カップルの姿は傍目に見ればどう考えても滑稽か、それを通り越して不気味なものでしかなかっただろう。

でも、最初から私達なんてそんなものだった。
周りがどう見たところで私達の在り方は歪でしかない。そんなことは最初からわかっている…し、何なら私はそんな歪さすら楽しむつもりで現状を受け入れた。

だからこのお祝いは、ある意味私達に一番ぴったりな形だった。

「────じゃ、サツに見つかる前に帰るぞ」
「うわ、本当にこの為だけにずっとここにいたの?」
「なんだよ、夕飯も奢ってやったろ」
「あ、ごちそうさまでした。でも正直あれほんと怖かったからもう少し事前に小出しにしてほしかった感はある」
「少しでも匂わせたらお前それはそれでまた色々余計なこと考えるだろ。俺がそんなことするわけないとか」
「うーん…否めない……。マジバ奢られた時は本当に何か対価を求められると思ってたからなあ…。でも今素直に嬉しいよ」
「それでいんだよ。でもそうだな、もし対価を求めて良いって言うんなら」
「言ってないけどね」
「せいぜい幸せにでもなっとけ。対価としちゃそれで十分だ」

─────まあ、それなら払えないことも、ない。

家に帰った後、私は早速ヒールの裏底を念入りに拭いてからそれを箪笥の上の空いたスペースに飾った。
今の私にはまだ少しだけ大人っぽすぎる靴。だから私が履くに相応しくなるまで、この靴はここに置いておこうと思う。

…そう、この靴は確かに可愛いのだが、私が持っている服と合わせると少々目立ちすぎてしまうのだ。
似合うと言ってくれたものの、正直(足のサイズまで知っている)花宮がその辺のバランスを何も考えず店員の言うままに買ってくるとは考えづらいと、ずっと思っていた。

だからこれは、また私の勝手な深読みに過ぎないかもしれないが─────
いつかこんな真っ赤なヒールが似合うような、そんな女になれと。
そんな彼のどうしようもない身勝手な命令が聞こえてくるような、そんな気がしていた。

上等じゃん。
花宮こそ、このヒールが似合うようになった私の隣で霞んでしまわないよう、せいぜいその悪行に磨きをかけていれば良い。

────────────お互いそうなれるまで、一緒にいられたら良いね。



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