17.幸福が現れる



校門前に雪葉の姿が見え、その周りを取り囲む柏田の連中が見えた─────たったそれだけの情報を脳が受容したその瞬間、何を考える間もなく体が駆け出していた。校舎の階段を全速力で降りながら、嫌な予感ばかりを胸中で並べ立てる。
もし、学校を出た時に彼女がいなかったら? もし、柏田の奴らがまさに彼女を傷つけている最中だったら? 際限のない"もし"が、留まることを知らずに俺から冷静さを奪っていく。

柄にもなく息なんて上げながら、外へ出る。校門前に向かうと、どういう状況なのかはわからなかったが─────とにかく彼女は、1人でそこに座り込んでいた。

「雪葉!」

大声で彼女の意識を引く。どこか疲れたような顔をしてこちらを見る雪葉は、自分を呼んだのが俺だということに気づくと、大きな溜息をついて…それから、少しだけ泣きそうな顔をした。

「怪我は…」
「してないよ」
「柏田の奴らは?」
「いなくなった」

思わずほっと息をつく。彼女の体の見える範囲に怪我の痕はない。言葉の通り柏田の連中も既に影なく、ということならば─────本当に、彼女は何の害も加えられなかったと考えて良いはずだ。

「………これも休戦期間?」

辺りを見回しながら状況を確認する俺に、雪葉は諦めきったような、そんな乾いた声で尋ねた。
そこで初めて我に返る。散々彼女を遠ざけて拒絶して、さっきなんてあからさまに無視までしたというのに、こんな風に慌てて駆け寄る俺のザマには確かに矛盾しかない。彼女が危険に晒されたからという理由でその距離を縮めたことは初めてじゃないが(それどころか、昨日は逆に彼女に同じ言い訳を使って助けられた)、"目障りだ"と言って嫌ってみせたのなら、その嫌いな相手が傷つくことは本当なら俺にとって願ってもない話のはず。

こんな風に取り乱して、無事なことに安堵している姿は─────彼女からしたら、不審でしかない。

「………」

咄嗟には答えが出せず、馬鹿みたいに俯く。さっきまで泣きそうな顔をしていたはずなのに、俺と同じようにだんだん冷静さを取り戻した彼女が次に見せた感情は─────怒り、に見えた。

「……………花宮が昨日やられたの、私のせいだったんだってね」

ハッタリには聞こえなかった。実際先程まで柏田の奴らと揉めていたわけだし、そこで俺の怪我の理由を聞かされてもおかしくない。

「私のこと、嫌いなんじゃなかったの?」

珍しく苛立ちを露わにしながら、畳み掛けてくる雪葉。

「私のことが嫌いなら、大事な手じゃなくて私を差し出せば良いでしょ。私のことが目障りなら、他校の奴らに絡まれてる私を見ても、ただ笑って通り過ぎれば良いでしょ。私のことなんてどうでも良いなら、瀬戸と私がどうなろうが、花宮が干渉する理由なんてないでしょ」

一つ一つ丁寧に挙げ連ねられていく俺の矛盾を聞きながら、ああその通りだ、なんて間抜け極まりないことを考えていた。

何の為に彼女を拒絶したんだか。もうここまできたら、うまい嘘すら思いつかない。
彼女を守る為に遠ざけたはずなのに、彼女は結局危険に晒されている。
悪童という名を守る為に遠ざけたはずなのに、俺は結局悪童になりきれず、彼女を尚も守ろうと自分の身を犠牲にしている。

「ねえ花宮…あなたは何がしたいの?」

冷水を浴びせるような声が、まっすぐ突き刺さる。彼女は当然"そんな矛盾した行動ばっかりとって、一体どういうつもりだ"程度の気持ちで言っているんだろうが、俺にはその問いが────"これからどうするつもりなのか"、"俺自身や彼女と、どう向き合っていくつもりなのか"────そんな未来へ向けた意味を孕んでいるように、聞こえた。

─────最後のチャンスだと思うよ、自分の幸せが何なのか、藤枝の幸せが何なのか、もう一度考えなよ。

同時に健太郎の言葉も脳内に反響する。

ああ、もう────どいつもこいつも、うるせぇな。

身勝手な他人の言葉がいやに耳障りに響くのは、他でもない俺自身が一番この状況に惑っているからなのだろう。わかっていても、苛立ちが収まるわけではなかった。

「良いか、何度でも言ってやる。俺はお前が嫌いだし、今こうして駆け付けたのは俺のせいでお前が傷つくっていう…そういう関わり方ですら虫唾が走るからってだけだ。俺は俺を傷つけたいなら雪葉を傷つければ良いって思ってるような馬鹿な奴らの勘違いを潰したくて仕方ねーし、そもそも俺が原因でお前に何らかの影響が及ぶことすら俺にとっちゃ我慢なんねーんだよ。とにかく俺はお前と完全に縁を切りてぇんだ、わかるか」

我慢なんねーのは俺自身だ。
理性ではああだこうだと文句をつけて俺と雪葉は一緒にいない方が良い、なんて大声を出しておきながら本能はこれだ。彼女に危険の影が迫ったというそれだけで、全速力で駆けつけている。

わかっている、わかっていると言いながら何もわかっていない。いつまでも未練を引きずり、執着し、迷っている自分が本気で気色悪い。そこまで自己嫌悪していながら、なおも自分の選択が誤っていた可能性を考えられないこの頑なな頭が腹立たしい。

────それなのに、なんと無様なことか、俺のすっかり馬鹿に狂った理性は彼女に暴言を吐き続ける。中身のない罵倒を繰り返し、彼女の傷ついた顔を求める。

いっそ憎んでくれたら良い。
お前の方から、俺を拒絶してくれたら良い。
他の奴らがお前を狙っても、お前が躊躇なく俺を差し出せるくらい、俺のことを軽蔑すれば良い。

そうでもしないと、俺は────

「さすがにそれは嘘…でしょ」

雪葉は、遠慮がちにそう言った。自信のなさそうな声だったものの、俺の言葉に感情を乱された様子は一切ない。冷静そのものの表情で、真意を探るように俺の目を覗き込んでいる。

「花宮の影響で私が怪我をすることが…そんな関わり方ですら嫌だっていうなら、むしろ徹底的に無視をすれば良いじゃん。私が例えば"あなたのせいで私は怪我したんだけどどう責任とってくれるの!?"とか言っちゃう系女子だったらともかく、私がそういう…自分からあえて花宮に害を加えたがる人種じゃないのは花宮の方がわかってるよね」

落ち着いていて、俺の空っぽの暴言なんかよりずっとずっと筋の通った意見だった。俺の反応などもはやあてにしていないといった然に、雪葉は話を続ける。

「花宮、いつもそう。私の身に何か困ったことがあった時、まず私の全身を上から下まで見るの。それから私の表情を窺って、それから必ず私自身に"大丈夫か"って確認するの。怪我がないか、もう危険は去ったのか、絶対私の口から言わせるの。もし私のことが目障りで、花宮と私を関連づけてる奴らの思考が気に入らないっていうそれだけなら…本当にそれだけなら、私の"今の安全"なんかどうだって良いよね、だって"何が起きたのか"、"どうしてそんなことが起きたのか"だけ確認すれば済むんだから」

意識していなかった本能の部分を、暴かれる。唇を噛み締める俺の表情を見て、彼女はそれが間違いでないことを確信したようだった。

「私はずっと、花宮は私のことなんて道具だとしか思ってないって思ってた。だからこの間拒絶された時も、本当に愛想をつかされたんだって信じてた。瀬戸達は、花宮は私を大事にしてるって言ってたけど…そんなこと、信じられなかった。だってあなたの善意は信じちゃいけないって、私の知り合ってからの3年間の経験がそう警告してきたから」

そう思わせたくて、彼女と共有した3年間は振る舞ってきた────それなのに、彼女の口からその言葉を聞くのが、辛いなんて。

「でも────でも、状況が、もう私に花宮のことを疑わせてくれない。事実として花宮は、私を守ってくれてる。…ねえ花宮、花宮は私に、嘘をついてるんじゃない…?」

彼女の声は消え入りそうだった。自己に頓着しない彼女が、そんな風に他者から想われていることを認めるのは、きっとそう簡単なことではない。

「…………」

だが、こちらだって決して適当な気持ちで彼女を拒絶したわけじゃない。今更────そうだ、今更まるであの日をなかったことにするなんて────あの日捨てた本心を(捨てられてなどいないのに)今更取り戻して口にするなんて────到底、できるとは思えない。

黙っている俺を、雪葉は無表情のまま暫く見つめていた。しかし俺が何も言葉を発さないのを見ると次第に顔を歪めていき、それから深い呼吸をした。

「……花宮、約束覚えてる?」

覚悟を決めたような顔に、一体何を言われるのかと身構えたが、彼女が次に口にしたのはそんな拍子抜けする言葉。
約束? こいつと何か、今持ち出されるような約束をしただろうか?

「………」

思い出せないままただ視線だけを返す。彼女は再び深い息を―――いや、今度は溜息を、ついた。

「……私がなんで花宮の隣にいるのか訊かれた時、もう色々諦めたからだって言ったでしょ。…その時同時に私、花宮に聞いたよね。私があなたに対して抱えてる疑問に答えてくれる日は来るのかって」

そうだ、それは────彼女が三好に襲われたところを助けた後のこと。まるで当たり前のように俺の傍にいる彼女を(半ば自分が無理にそうさせたにも関わらず)俺は不審に思い、そんなことを聞いたのだった。

「…なんで俺と一緒にいるわけ」
「勘繰るのが面倒になった、からかなぁ」
「…面倒?」
「今だから言うけど、確かに最初は花宮に言われたから一緒にいるだけですーっていうスタンスだったよ。でも今はこんな感じだから…それこそ花宮がもう私を呼ばなくなって、口先で私のこと要らないって言っても、たぶん私が本当に安心するまでは花宮の所へ通うんじゃないかな」


あの時のことならよく覚えている。彼女も俺の隣にいる理由がわからず、あまつさえそこに疑問や不自然さを感じているのに────それでもそれら全てを呑みこんで、待つと言ってのけた。

「……安心するまで、って…んだよそれ」
「個人的には花宮が幸せになりでもしてくれるのが一番手っ取り早いと思ってるよ」

そう、まるで俺の幸せを願っているかのような口ぶりで。

「その時同時に私、花宮に聞いたよね。私があなたに対して抱えてる疑問に答えてくれる日は来るのかって」

目の前の彼女は、記憶の中の彼女と同じように強い眼差しで訴えかけてきた。

「考えてることも言動の真意もわかんねえような奴の隣に、よく自分から行こうなんて思ったな」
「それしか選択肢がなかったとも言うんだけどね。そういうの、いつ教えてくれるの」


確か、そんな言葉だったと思う。
例えば簡単なものなら、去年クリスマスに突然誘った理由とか。
そうでなくとも、中学の時はあっさり離れておきながら、高校に上がった後のこのタイミングで再び俺が強引に彼女を傍に置きたがるようになった理由とか。
あるいはいつだったか雪葉の三好への気持ちを非難した時に感じたであろう、俺は心からの"好き"という気持ちを理解しているのか、とか。

────今思えば全ての始まりとなった、彼女にキスをした理由、とか────。

俺からすればそんなものは全てが────そう、彼女に惚れているという答えるまでもないほど単純な動機によるものだったが、そもそも"俺の好意"を信じない彼女にはそれが一番予想できないことだったのだろう。

首を傾げる彼女の姿が面白くて、そんな本音はいつかもっと計画が進んだ後で打ち明けて驚かせてやろう────そんな、浮かれたことを考えた俺はこう言った。

「…お前がいつか、俺から離れる時」

「………あぁ…」

そうか、そういうことか。

「私がいつ疑問に答えてくれるのか聞いたら、私があなたから離れた時に教えてくれるって約束したよね」

あれはそう、俺が幸せになったら雪葉は離れていくという彼女自身の言葉に、強い皮肉めいた未来を想像したから出た言葉だった。

俺の幸せなんてそもそも存在しない────強いて言うなら、幸せな奴らがする不幸な顔にただひたすら虚しい充足感を覚えるというだけで。
ただそんな俺にももし幸せなんていう痒い感情が芽生えるとするなら、それは自分の手で、隣にいる彼女を幸せにできた時じゃないだろうか…そう考えたところで、俺はそんな予想の行先に気づいた。

傍にいる彼女を幸せにしたとして。
それで俺が幸せになったとして。

彼女は幸せになった俺を見て"安心して"離れていく。
幸せだった俺は彼女を失い不幸せな気持ちになる。
幸せだった奴の不幸せな顔というのは、悪童たる俺が満足する顔だ。

幸福という弱者の縋る無様な夢を見てしまった俺は、そんな夢を見たが為に、本来の一番自分らしい自分に笑われる。なんてよくできた話だろう。

────もしそんな瞬間が本当に来るというのなら、全ての種明かしはその時にしてやろう。そうだな、きっと彼女は驚くだろう。驚いて俺の元から立ち去ることを一瞬でも躊躇したら、その時に彼女の腕を強く掴んで、引き戻してやれば良い────。

そんなことを考えた末の、あの約束を。

その時の俺の意図など、何も知らずに。

「私に隠し事をするのは、もう終わりにして」

こんな風に"その時"が来るなんて、思ってもみなかった。



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