14.幸福を沈める
結論から言うと、1月の練習が始まる頃には俺の調子はすっかり戻っていた。
バスケさえまともにできるようになればチームメイト連中が雪葉のことをうるさく言うこともなくなるだろうと、こればかりは安心していたのだが―――現実はそういうわけでもなかったらしい。
「藤枝もなんか元気になってるから、お前らヨリ戻したのかと思った」
とヤマが言えば、
「ドライなのはお互い様だったようだな」
と康次郎が応え、
「マドンナに何の心境の変化があったのか瀬戸、聞いてない?」
と一哉が話を広げて
「いつまでも絶望してたら、花宮に喰い潰されまいと抗っていた昔の自分が可哀想だから…ってさ」
と健太郎がとどめを刺してくる。
「ねぇやっぱマドンナイケメンじゃね? 花宮より男前じゃね?」
「あんま感情の起伏が激しくないとは思ってたけど、ほんとアッサリしてるよなあいつ」
「最初は疑問にしか思わなかったが、確かに今思えばあいつは花宮の好きそうなタイプだ」
「それな」
やいやいと勝手に盛り上がっているこいつらを見る度、よく関わりを断った女のことで(健太郎は別だが)そこまで話を広げられるなと呆れと感心に二分された感情を抱く。
――――花宮に喰い潰されまいと抗っていた昔の自分が可哀想…か。
俺が本気であいつを嫌い遠ざけたのだとしたら、いつまでもめそめそしてるあいつの姿―――つまり嫌いな奴の悲しむ姿は、俺にとって甘い甘い蜜になる。雪葉は俺が張った蜘蛛の巣に引っかかるまいと必死で抗う奴だ。であれば、いつまでも悲しんで俺に餌を与え続けるわけにはいかないと考えるはず。
逆に俺があいつを嫌っているわけではなく、守るためにあいつを遠ざけたのだとしたら…もっとも、そんな真実は気取られないよう注意はしていたが、もし本当にあいつが俺の本心に辿り着いたのだとしたら、あいつは俺の身を切るような嘘に報いることなく悲劇のヒロイン面を続けることになる。ある意味悲劇のヒロインにするためにあそこまで残酷な言葉を放ったというのもあるのだから素直にそうしていれば良いのだが、きっとあの馬鹿女はそれを良しとしないだろう。俺の嘘を受け止めたふりをして、立ち直った顔をして生きていくことを決めるはずだ。
…これはほぼ確信していることなのだが、あいつの中でも、俺が本心でどういう意図をもってあいつを遠ざけたのかはわかっていないはず。健太郎が何かしらヒントを与えたらしいことは知っていたが、それにしてもあいつは俺の善意を基本的に信用しない。結局そのヒントはあいつを更なる混乱に陥れて終わっていることだろう。
――――ただ、俺の本意がどっちなのか判断できずとも、気丈に振る舞うという結論だけは変わらない。今のあいつはおおかた、それを良い事に"とりあえず行動する"ことにした…といったところだろう。
「それに比べて花宮は未だに女をとっかえひっかえ……1ヶ月も保たないくせに数ばっか重ねて…」
「むしろよくそんなに引っかかる女がいるな。どこからどう見ても性悪なのに」
「俺絶対マドンナはヤリチン嫌いだと思います!! 最終的にマドンナのとこに戻った時ドン引きされるオチだと思います!!!」
「いやそれがさ、知ってる? 花宮って童貞なの」
「ぎょえーーーー!!!」
「うるっせぇなお前らマジで!!!!!」
「きゃー童貞が遂に怒ったー!」
近かったところにいたその距離を離すのは初めてじゃない。要は俺達は、親しくなかった時に戻るだけだ。
彼女にとっての幸せの定義だとか、俺の望む生き方とか、現状を変える要因になりうることに頭を巡らせていたのはそう遠い昔のことではなかったはずだが―――でも、思ったより早く現状は安定してくれたようだ。それならそれで、良い。俺達は他人になったまま、お互いを過去にしていくだけだ。
「はい、花宮君、バレンタインのチョコ!」
2月中旬、その時付き合っていた女が一緒に下校していたその別れ際に小さな包みを寄越してきた。嬉しそうな顔をして見せてくるそれは、ピンクの包装紙に赤のリボンがかけられた、直方体の包み。
「ああ…作ってくれたの?」
「うん! 昨日から徹夜して作ってきたよ! レシピとかすごい調べて、材料もお取り寄せして、この日の為にお料理教室にも通ったんだあ〜」
向けられているのが好意であることはわかるのだが、静かに這い寄ってくるようなこの重みにはそろそろ我慢も限界を迎えそうになっていた。
クリスマスの日にもはや今となっては名前も忘れた女と別れて、1ヶ月半。類は友というか、クズの元にはクズしか集まらないというか、年明けから間もなくして言い寄ってきたのは、"一生懸命男に尽くす自分が好き"な勘違い系女だった。
「ありがとう。…でも…申し訳ないんだけど、それは受け取れないや」
まぁ、1ヶ月半は大人しく様子を見たことだし、そろそろ良いだろう。
悲しそうな顔をして俺がそう言うと、目の前の女は大袈裟に目を見開いた。ぷるぷると包みを持つ手が震えだし、「なん……で…?」と消え入りそうな声で尋ねてきた。
「うん…君が俺のことを愛してくれるのと同じくらい、俺も君を愛せる…その自信が、なくなってしまったんだ」
嘘じゃない。この重い愛に応えるのは、たとえ俺が仮にこの女を好ましく思っていたとしても難しい話だったことだろう。
「そ、そんなの…なんで? 私の何がダメなの? 私、だって、花宮君の為に一生懸命お化粧も勉強して、お洋服も毎回買って、他の男の人のアドレスも全部消したし、元カレに貰ったプレゼントも全部捨てたし…花宮君の為に、いっぱいいっぱい尽くしてきたのに!」
そうだな、それによって俺が得られたものが何かあったとするならそれは―――華麗なるスルースキルといったところだろうか。お陰様で無駄話とそうでない話の区別は前よりつくようになった…ような気がする。
「うーん…でも、俺はそこまでしてほしいなんて、一度も思ったことはなかったよ」
「え…?」
「俺の為、俺の為って言ってくれるその気持ちは嬉しかったけど……俺は、そこまで君の為に人生を懸けられない。そして、そこで不均衡が生じることを、無意識かもしれないけど…君は、不満に思ってた。だから俺達はきっと、もう一緒にはやっていけないよ」
何が皮肉かって、これにほとんど嘘がないことなんだよな。
最初から好意なんてなかった。重い気持ちは負担にしかなっていなかった。でも、他は本当だ。俺は何もこの女に望んじゃいないというのに、勝手に俺に尽くし、あろうことか同レベルでの献身を俺にまで求めてくる。
「ごめんね、だから…別れよう、君の為にも」
望んでいない"自分の為"という言葉がどれだけ苦痛になるか、最後の最後でこの女も思い知ったことだろう。行き場を失った派手な包みを一瞥し、俺はその場を去った。
「――――面白いのは、花宮からは一度も女に言い寄った試しがないってところなんだよね」
「…健太郎」
女から離れて数歩、道路の曲がり角を曲がったところで健太郎と出くわした。この口ぶりからして最初から最後まで俺達の会話を聞いていたのは明らかだ。
「…盗み聞きとは趣味が悪いな」
隠れていたわけでもなし、聞かれることで害があるわけでもなし、特段咎めることもなくそれだけ言うと、喉の奥で器用に笑われた。
「いつも良いタイミングで女の方から来るから、それに乗っかって利用させてもらってるって感じ?」
「だったらなんなんだよ」
「ヒールぶってるけど、結局は一途なんだなって」
健太郎の言いたいことはわかってる。寄ってくる女の告白を受け入れることはあっても、俺は今でも雪葉のことが好きだから、自分から誰かに好意を伝えることは絶対にないのだと―――そんな仮説を勝手に真実だと思っているのだ。
「…他の女と付き合ってる時点で一途もへったくれもねーだろ」
「まぁそれもそうだけど」
「つーか何、お前それを言う為だけにこんなとこで待ち伏せしてたのかよ」
「いや、なんか面白そうな会話が聞こえたから拝聴してただけ」
それからはなんとなく一緒に駅までの道を歩きながら、内容のない話ばかりをする。すっかり健太郎の頭の中から雪葉のことは消えているようだったが、俺の中では未だ、さっきの健太郎の言葉を通して彼女の存在が離れなかった。
…あの女のことを重いと言って振ったのは良いが、俺だって似たようなもんじゃねーか……胸糞悪い。
「あ、てかこないだ練習試合したとこ覚えてる? 柏田高校」
悶々とした気持ちに顔を歪めたその時、健太郎はふと思い出したようにそう切り出した。
「…あー、そんなんもいたな」
先週の週末に確か試合を組んだ気がする。頭脳派なプレイをする地区内ではそれなりに強いチームだと聞いていたので期待していたのだが―――どうやらそれは、先代までに限る話だったらしい。WCの予選で敗退し、旧レギュラーの半数以上を占めていた3年生が引退した後は、やる気のない2年生とそんな2年生を見て育ってしまった1年生による、果てしなく無気力なチームと化していた。
潰す価値もねぇ―――そう判断して適当に流してその日は終えたはずだが、何か今更思い出すべき何かがあったというのだろうか。
「なんか、そいつらが花宮ぶっ殺すとか言ってこの間騒いでたって聞いたんだけど」
「…質問は2つある。動機は何だ、あと情報源はどこだ」
「動機はただの逆恨み。試合に負けた上になんだっけ…お前らには何の価値もねぇみたいなこと言ってたろ、それが原因」
「むしろ潰されなくて幸福だったろ」
「実際には潰されてないんだから、自分達に価値があったらどうなってたかなんて想像もできるわけねーじゃん。あ、あと情報源は柏田の別の生徒。正確には、バスケ部に彼氏がいる女の子」
…なぜそんなところにそんな親密なコネクションを持っているのかは聞かないでおくことにした。あながち嘘とも思えないその情報を、一応心の中に留めておくことにする。
「ま、お前ならうまくやるとは思ってるけど、一応気をつけろよ」
「おう、悪いな」
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