6.幸福は磨り減る



「花宮〜、マドンナに会わせてよ〜」
「毎日毎日うるせえな」
 
練習終わりにしつこく絡んでくる一哉を押しのけながら部室に戻る。ここ2ヶ月、こいつはそればっかりだ。暇さえあれば雪葉をマドンナと呼んでは会わせろ会わせろとせがんでくる。
則本の件があった時には一度「愛想尽かされた?」と笑い交じりではありながら俺と雪葉の距離が開いたことに気づいていた一哉。それがまた三好の件以来緩くつるみ始めたものだから、いよいよこいつらにとっても"雪葉は花宮にとって特別らしい"という違和感に繋がっていったのだろう。
 
「なんでそんなにあいつに会いたがるんだよ。健太郎と同じクラスなんだから教室にでも行きゃ良いだろ」
「違うんだって、花宮と一緒にいるマドンナを見たいんだって〜」
「だいたいなんだよそのマドンナってふざけた渾名」
「名前忘れたから」
 
興味ねえんじゃねーか。
その呼称だってどうせ俺が唯一雪葉のことだけは気にかけてるものだから、面白がってまるで"マドンナ"のようだ、とでも言い出したのが始まりなんだろう。古いんだよ。
 
「俺も会ってみたい、マドンナ」
「興味はあるな」
 
ヤマと康次郎までもが悪ノリを始め、いよいよ収まる気配がなくなる。
 
「…わーったよ、明日の部活後少しだけ時間とるから、金輪際会わせろなんて言うなよ。それからあいつは俺らみたいな人を食い荒らす真似に慣れてねえんだから、面白がって近づいたりすんじゃねーぞ」
 
とうとうこちらが折れる羽目になった。条件つきで承諾すると、3人は揃ってぽかんと俺を見つめる。
 
「……んだよ」
「いや…相当大事にしてんだな、お前」
 
…そういうことか。
 
ヤマの指摘はまったくその通りだったが、口を開けば開くだけ面倒になるのはわかっていたので、俺は何も答えずに一足先に帰った。
 
翌日の昼休み、いつもの中庭のベンチで昼食をとりながら昨日の部員との約束を雪葉に持ち出す。
 
「雪葉」
「ん?」
「今日の放課後は帰るだけか」
「うん」
「なら、部活が終わるのを待ってろ」
「…はぁ?」
 
あからさまに嫌そうな顔をして雪葉が俺を睨む。
 
「なんでよ」
「…待ってろ」
「いやだからなんでって」
「なんでもだ」
 
会話にならないことを怪訝に思っているのはわかる。ただ、バスケ部の奴らに会わせたいなんて言ったら余計に怪しまれるのは目に見えている。
だいたい、俺だって本当はこいつをあいつらと会わせたくなんかないんだ。だから朝でも昼休みでもなく、本当に一瞬顔を合わせてすぐ手を引きながら帰れるような、そんな時間を選んだのだから。

「正直そんなわけわかんない命令聞きたくないんですけど」
「は? お前則本の件で相談があるからって前呼び出した時は普通に来たじゃねーか」
「あれは周りの目があると話せないって感じだったし、ノリちゃんのことは私にも少なくとも関係あったからでしょ。話があるなら今すれば良いじゃん、誰もいないよ」
「今回もお前に一応関係あんだよ。でも放課後じゃないと無理だからとりあえず待ってろ」

何を考えているんだろうと、できるわけもないのに俺の思考を探ろうとしている雪葉の疑い深い目。物事の道理を説明しないのはいつものこととして、馬鹿の一つ覚えみたいに「待ってろ」と繰り返す俺の様子は彼女にとっていつも以上に不気味だったことだろう。
 
「……明日、お昼のデザート買ってよね」
 
結局、余計な条件つきで雪葉は俺の要求を呑んでくれた。
 
 
 
 
 
 
 
 
部活終わり、一哉はいつも通りに着替えた後、俺の元までわざわざ駆け寄ってきた。
 
「ねねね、マドンナ呼んでくれた?」
「一応話はしたけど保証はしねーぞ」
「ザキ〜古橋〜行こ〜」
 
聞いちゃいねえ。一哉はヤマと康次郎を連れてさっさと部室を出て行ってしまった。後に残されたのは、呆れて動きの止まっている俺と、緩慢に帰り支度をする健太郎。
 
「俺は今更クラスメイトに興味なんかないから帰るわ」
「おー、帰れ帰れ」
 
最後に戸締まりをしてから、外へ向かう。
雪葉は一体どこにいるのか─────一瞬そう思ったが、探すまでもなかった。
 
校門の近くでさっきまで一緒だった3人の部員と、それから見慣れた雪葉の姿が視界に入る。何かを話しているようで、その会話の内容までは鮮明に聞こえないが、雪葉の戸惑ったような表情を見る限りろくな話なんてしてないんだろう。
 
「あ、花宮ー! 早く早く!」
「…ったく、ほんとにめんどくせぇ…」
 
俺の顔を見てほっとしている雪葉の隣に立ち、3人に端的に紹介する。
 
「こいつが藤枝雪葉。…これで満足したか?」
「はい質問! どうやって花宮を懐柔したんでしょう!」
 
間髪入れずにふざけた質問…いやもうこれは野次だな、野次が飛んできた。
 
「一哉、明日筋トレ倍にすっからな」
「げぇ、勘弁……」
「ちょ、ちょっと花宮」
 
脅して一哉を黙らせると、やっと隙を見つけた雪葉が口を挟む。呼ばれた名前のその一言だけで、こいつらはなんだとか、なんで先に言わなかったのかとか、自分と会わせてどうしたいのかとか、色々な疑問が読み取れた。
 
「…こいつらが、お前と会わせろってうるせえんだよ」
 
溜息混じりに簡単な説明をすると、奴らは揃って雪葉に話しかけ出す。
 
「花宮が唯一心を許してる奴がいると聞いて気になったんだ」
「見たとこフツーの女子なんだけどな」
「だから聞いてんじゃん、どーやって懐柔したのって」
 
一哉が雪葉にずいっと顔を近づけた。それは単なる好奇心からということは重々承知していたが、面白くなかったので彼女の肩を抱き寄せ一哉から引き離す。
 
「会わせろって望みは叶えただろ。これ以上こいつから何かを引き出すことを許す義理はねえ」
「知られたらまずいってことか?」
「康次郎、俺は二度は言わねえ」
 
これ以上、調子に乗らせる気もない。
釘を刺すなら最初が肝心だ。低く唸ると康次郎は両手を挙げて降参した。
 
「カノジョから何か聞くのがダメなら、花宮から直接聞くのはアリ? どうしてこの子を選んだのかめっちゃ気になるんだけど俺」
「なしに決まってんだろ。ほらもう帰れ」
 
最後の抵抗とばかりに食い下がる一哉を再び退けて、いい加減この馬鹿三人組を追い払う。ぶつくさ文句を言いつつも、俺がそれなりに苛立っていることに(おそらく最初から)気づいていた3人は大人しく校門を出て行った。
 
嵐が去った後のような妙な静けさが残る。俺は咄嗟のこととはいえ雪葉の肩を抱いたままだったことに気づき、不自然にならないように体を離した。
 
「…なんだったの、今の」
「話聞いてただろ、あいつらがお前に会わせろってうるせえから会わせただけだ」
「………質問が2つある」
 
ぐだぐだと問答を続ける気が俺にないことを察したんだろう、雪葉は息をつき、簡潔に2本の指を立てた。
 
「まずなんで彼らが私に会いたがるようになったの? もう一つ、どうして昼休みとかじゃなくてこんな遅い時間まで待たせたの?」
 
それはごく当然の疑問。でも当然ということは、俺にも理由があるということ。
 
「……一つ、俺達がよく行動を共にしてるのはいろんな奴らが見てる。俺の本性を知っていれば、誰か特定の人間とろく一緒にいるのは不自然でしかねえ。二つ、………俺は俺の時間を邪魔されるのが嫌いだ」
 
一つ目の理由はともかく、二つ目の理由は単に"俺が雪葉と2人でいる時間を大切にしたい"だけのこと。でもきっと、この疑り深い女はそんなこと考えもしないから、理解しきれないまま黙るしかない。
 
そう思ったからこそ嘘をつくこともはぐらかすこともなく答えたというのに。
 
「…つまり、私と2人の時間を大事にしたいなぁってこと?」
「………!」
 
少し考えた後、雪葉はいとも簡単に答えを導いてしまった。
 
雪葉は、俺が彼女に何の価値も見出していないと信じ切っていたはず。それなら、そんな答えなんて出せないはず。
 
……少しずつ、変わってきていると…希望を持っても、良いのだろうか。
いや、そんなわけはない。驕るな。俺が今までこいつにしてきたことを考えろ。
この短期間でそこまでこいつが自分の価値を自覚するわけがない。

…じゃあ、なぜ?
 
「…帰ろう、もう私がここにいる用はないんだよね?」
「ああ…」
 
即座に巧い反応ができなかった俺を見て何を思ったか、彼女はそれ以上この話をしなかった。並んで帰る俺達の間には、いつもより沈黙が多く訪れた。



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