19.幸福のはじまり



その日の夜は、なかなか寝付けなかった。
寝てしまったら今日のことが全て夢だったとかで、次に目覚めた時花宮がいなくなってるかもしれない、なんてことを考えていたら朝になっていた。

「……………ひどい顔」

花宮に会いたいけど会いたくない、そんな複雑な気持ちを抱えて支度をしていたら、ちょうど家を出られるようになった頃、玄関のインターホンが鳴った。

扉を開けると、そこにいたのは──────

「早くしろノロマ」
「………間に合ってます」

目の前に立つ悪魔の姿を見てすぐに扉を閉めようとしたものの、足先をドアの隙間に挟み込まれ、ガンッという痛そうな音と共に扉の動きは止まってしまう。

…朝から爽やかに怒っているのは、花宮だった。

「痛えんだけど、何すんだよ」
「いやいやなに、逆ギレ?」
「お前も昨日似たようなもんだっただろ」
「あれとこれを一緒にされたくないんだけど」

なんで突然迎えに来たのかわからず、しかし締め出しも叶わなくなってしまったので、仕方なく私の方が外に出ることにした。支度が終わっていて本当に良かったと思う。

「…暇なの?」
「お前はそんなに俺の迎えが気に入らなかったか」
「気に入らなくはないけど普通に怖いよ」
「…その様子じゃ俺がお前のこと好きだってのもまだ疑ってるだろ」
「花宮は信じたの?」
「…………」
「お互い様だね」

もちろん、私達はどちらも心の底では互いを好いていることを理解している。それほどまでに昨日の出来事は説得力のあるものだった。

でも、だから私達の関係や互いへの理解がすぐに深まるかと言えばそんなことはなく。むしろ形式的にとはいえ一度付き合っていたこともあるくらいなので、私の所感としては全く昨日までと変わらないというのが…

…いや、少しは変わったかな。
気分が軽くなった気がする。

「朝練ある日は早く起きろよ」
「無理」
「叩き起こす」
「えー…何時?」
「5時出」
「…無理」

それが花宮なりに"私を守る"ための行動だということはわかっていたし、私も一緒にいられる時間が増えるのは嬉しい。
でも、それはそれ。朝の時間はできるだけ寝ていたいと思うこれはこれ。

私が言うことを聞かないもんだから、花宮は頗る不満げだった。

結局教室まで喧嘩しながら一緒に来た私達。さすがに花宮の口調は外向けに穏やかなものだったから、喧嘩というよりはあまりにわかりにくい嫌味の応酬という感じだったわけだけど、途中でその様子を見ていた私の知り合いはみんな一様に驚いているようだった。
それもそうだ、私と花宮は疎遠になったはずなのに、ある朝見てみたら何事もなかったように、それどころか以前に増して親しげにしているのだから。

「花宮って色々と隠す気がないんだね、意外と」

教室に入った私を見た瀬戸が、楽しそうに笑っていた。

「………瀬戸」

それを見て、昨日のことを思い出す。
突然私に迫った瀬戸。俺にしなよ、と言うその顔は感情が読みづらいものだった。

「昨日のことなら忘れて良いよ」

すると、そんな私の戸惑いを感じ取った瀬戸が先手を打つ。

「えっ…」
「あれ、嘘だから」
「…………は?」

本気でも困るのは確かなのだが、嘘だと言われた私はつい間抜けな声を出してしまった。瀬戸は眠たげに欠伸をして、まるで天気の話でもしているかのような気軽さで言葉を続ける。

「昨日の朝、花宮に放課後話があるから、って話しておいたんだよね。…って言えば、あとはわかる?」

放課後話があるから…………って話しておいた………そうしたら花宮は、放課後瀬戸の元へ出向く…………そこで見たものは私に迫る瀬戸の姿で……………………

「………まさか」
「ま、そんなことしなくても柏田の奴らが起爆剤になってくれてたみたいだけど」

全ては、花宮をけしかける為の…?

「…………らしくないことするね」
「そう?」

瀬戸は最初から、花宮が私を遠ざけた理由を知っていた。だから私に動かせるため、様々なヒントを与え続けた。
それでも私達の距離は変わらなかった。そこで瀬戸が取った行動が、私に迫るという大きな嘘。

花宮が私を遠ざけた理由は、いわば私をバスケ部から遠ざけた理由と同じ。つまりバスケ部である瀬戸が私に迫る行為は"花宮が私から離れた"行為が全て無駄になる。

そこで花宮に見えるようにあえて彼の決意を無に帰す行為をし、彼の焦燥感、そして────…あるいはあったかもしれない、嫉妬心を煽った。

それは、私を守るために縁を切ると言いながら、どうしても私を忘れられない彼に何か行動を起こさせるため。バスケ部が傍にいることのリスクを再認識させて決別を確かなものにするでも良し、煮え切らない態度を改めさせ自分の想いを確固たるものにすることで"傍にいて守り抜く"選択肢を与えるでも良し。

私は知らなかったが、私を失った花宮の様子は散々だったらしいし、それに苛立っていたのは他のレギュラー陣の共通認識だったという。花宮の右腕として動いていた瀬戸ならその打開策を取るという行為も納得できるというもの。

「…もし私があなたに応じたらどうするの?」
「捨てた」
「……酷い男だね」
「あれだけ傷ついてたのを忘れてすぐ他の男に乗り換えるような女は好きじゃないんだ」

最初からわかっていたのだ、瀬戸は全て。

「…私はそういうなんでもわかった顔する奴が好きじゃないかな」
「花宮だけで十分って感じ?」

堪えきれずににやりと笑うと、同じような顔をした瀬戸の笑みが返ってきた。








「なんでお前らまでいるんだ」
「姫を守るナイトは多い方が良くなーい?」

ナイトという単語の恐ろしく似合わない原は、風船ガムを膨らませながら椅子ごと後ろに仰け反らせる。

「てか本来俺達と藤枝がどーしてよーが花宮には関係なくねえ? むしろ昨日までお前の言う通り藤枝と距離取ってた方を感謝してほしいっつーか」
「藤枝が自分の意思でお前の傍にいたんだから、俺達としてはその結果藤枝がどうなろうが関係ないと思っていたしな」
「……………」

山崎や古橋の援護射撃まで入ったせいで花宮の文句は不完全燃焼に終わる。

「てことだから、帰りたいんなら一人で帰ればー? あ、ねえマドンナ、ここわかんない」

原は花宮を素っ気なく突き放すと、呆れ返っている私の意識を引いた。
彼は放課後、帰りゆく生徒達の流れに逆らうようにこの教室に入り、会話もそこそこに私の後ろの席を陣取って「テスト勉強の面倒見て」と教科書を広げだしたのである。その後山崎や古橋も集まり、瀬戸も「面白そうだね」と言って帰るのをやめたので、花宮が"迎え"と称して教室に来る頃にはちょっとした勉強会が始まってしまっていた。

「……………」
「花宮、おいでよ」

空いている私の周りの席は、隣だけ。机をぽんぽんと叩いて呼ぶと、花宮は不機嫌そうな顔をしたままそこに座った。

「……おお…」
「花宮が、従ってる………」

私の声に素直に応えたことが余程珍しかったらしい。原と山崎は感心したような声を漏らした。この人達の中で花宮のイメージってどれだけお子様なんだろう。

「雪葉より俺の方が頭良いだろ」
「でも花宮の教え方は下手じゃん。あと瀬戸も」
「天才は凡才の気持ちがわかんないってやつな」
「おっと巻き込み事故」
「…………」

いつもに増して花宮が攻撃されている。さり気なく私が凡才と言われたことを悪口と捉えるべきか一瞬迷ったが、事実だったのと面倒だったのとで結局黙っていることにした。

「やっぱお前らと雪葉を会わせたのは間違いだったわ」
「今更すぎると思うが」

というか、別にこの人達は"私"に興味があるわけじゃないんだと思う。
完全無欠で世界を掌の上で転がすような男に、唯一感情を動かし思うように操れない人間がいた。────そんな人間に子供のように振り回される男の様子はさぞや面白かったことだろう。

いわば私は花宮という絶対的な存在を非絶対的にするスイッチのようなもの。私の傍にいれば花宮の人間らしい姿…それこそ情けない姿なんかを見ることができるんだから、彼らにしてみれば愉快なおもちゃを見つけたくらいの認識でいるんだと思う。

「花宮、愛されてるね」
「は? キモいんだけど」
「愛されてるって何に? マドンナに? なに惚気?」
「原君そこの公式違う」
「んげ」

かといって、私は別に花宮経由の友情が嫌なわけではない。彼らの態度を見ていれば、彼らが私に悪い感情を持っていないことはわかるし、そもそもどんな友情であれ人が人に無関心以外の感情を抱くためには大なり小なり理由があるというもの。私達の場合はその理由が"花宮"だったという、それだけだ。

まぁ最初は"花宮が私に近づいている理由"を知りたがって私を色々探っていたみたいだけど─────…と、そこまで考えて、彼らは彼らで意味深な発言を度々繰り返していたことを思い出した。

「ねえ…古橋君が言ってたのって、このこと?」
「? どのことだ?」
「…目の前の事象を素直に受け止めても良いって、花宮の気持ち、最初から知ってたの?」
「ああ…そんなことも言ったか。お前があまりにも花宮から目を逸らしてるのが哀れだったからな」
「哀れって……」

すると原と山崎も便乗して好き勝手に言い出す。

「気づいてないのは藤枝だけだったと思うんだけどな」
「花宮が理由もなく近づいているというのが一番の理由だったろう」
「なのにそれはありえないからって一瞬で切り捨てちゃってさ〜、いやー花宮が可哀相で仕方なかったね〜」

………こいつらも最初から花宮の言動の理由をわかっていたのか。

「おい、黙って聞いてりゃ随分楽しそうな話してんじゃねーか」

可哀想と言われたことで我慢ならなくなったのだろう、花宮が憤慨して口を挟んでくる。しかし私はそこまで花宮が"わかりやすかった"ことに不審感を覚えてしまい、彼の不満を遮って口を開く。

「だって花宮が私みたいな凡人好きになるとか信じられないじゃん。むしろみんななんでそんなに簡単そうに言えるのかがわからない」
「んっふっふっふっ」
「…………」
「………………………」

ガムを膨らませながら原が体を揺らして笑う。古橋は呆れたように私の顔を見ていた。山崎は目を伏せて肩をすくませている。
終いには横にいた花宮に思い切り頭をはたかれてしまった。

「!?」
「お前一回マジで死ね」

怒りの矛先が完全に私に移ったことを感知し、気持ち分の距離をとる。私からしたら信じられないこととして切り捨てたその選択肢は、余程客観的には明白なことだったらしい。だとしたら私はとてももったいないことをしたと思うが、花宮にももう少し普段の言動を改めてほしかった。という、責任転嫁。

「ま、良いじゃん。今幸せになったんだからさ」

場を収めてくれたのは瀬戸だった。

幸せ、ね。

口を真一文字に結んでいる花宮を横目でちらりと見る。
ああそうか、今はもうこんなに近くにいるんだ。

傍にいるために何の理由もいらず、自分の気持ちを必死に隠す必要もない。
当たり前になったこの状況は、私がどうしたって手に入れられないものだと思っていた。

「…何見てんだよ」
「別に。機嫌悪そうだなって」
「誰のせいだと…」

そうね、花宮は確かに素直なのかもしれない。

私達が抱いたこの感情は、残念ながら恋と呼べるほど綺麗なものではなかった。だってこれはあまりにも利己的で動物的な、いわば無意識の衝動から生まれたようなただの欲望でしかない。
それでも私にとっては大切な感情だった。何度も回り道をして、立ち止まって、それでも諦めきれずにやっと手に入れた唯一の譲れないものなのだ。

心の底で、ずっと不幸ぶって泣いていたそんな私のイドを救ったのは、あなたの残酷なイド。そうして、歪な私達はやっと満たされた。

きっと、どこまでも身勝手な私達にはこのくらいでちょうど良い。
私はそっと、苦い幸福の味を噛み締めた。



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