1.不幸のはじまり



「雪葉、三好君来てるよ」
 
長いHRが終わった後に帰り支度をしていたら、廊下の近くの席にいたクラスメイトにそう声をかけられた。彼女の言葉を受けてそちらを振り向くと、確かに言葉通り教室の後ろのドアにもたれて私の彼氏が立っているのが見える。教室4つ分くらい離れた向こうのクラスからいつものようにわざわざ迎えに来てくださった彼―――三好君は、私と目が合うと優しく垂れた目をにっこりと細めてみせた。

「あー…うん、今行く、ありがとう」
 
この時間が1日で一番憂鬱な私は、しかしそれを気取られることのないよう、あまり不自然にならないくらいの遅さで帰り支度を済ませて三好君の待つところへ行く。窓際最後尾の私の席から教室の扉まで一直線、距離なんてそんなにないのに、その短時間の間にも「三好君て本当格好良いな〜」「付き合って2ヶ月くらい、毎日これだよね」「雪葉ほんと羨ましい」というクラスメイト(図ったように全員女子)の呟く声が聞こえてきた。
 
大股闊歩で三好君の前に立つと、彼はさらさらの黒髪を細く白い指でかきあげて、私にもう一度微笑んでみせる。
 
「じゃあ、帰ろうか」
 
まっすぐ立つと私より頭一つ分大きい三好君。駅までの長い帰り道を並んで歩きながら、彼はいつものようにその長い足を小刻みに動かして私の歩幅に合わせてくれた。
 
「あ、藤枝さん、後ろから自転車来てるよ」
「あぁ…ありがと」
 
歩く速度に限らず、三好君はとても優しい。よく気が利いて、しかもそれが嫌味じゃない。今だってそう、後ろから自転車が来ていると言葉で教えながらも、そっと肩に腕を回して引き寄せてきた。
自転車が去った後は回した腕を解き、それからとても自然に、手を繋ぐ。どれもこれも完璧だ。彼の完璧なエスコートを目の当たりにするたび、私はなんとなくながら彼がモテる理由を実感する。
 
「これから夏になっちゃうから、こうして手を繋ぐと汗かいちゃうね」
「そうだね」
「俺、いつも勝手に手繋いじゃってるけど…そういうのとか気になったらすぐ言ってね」
 
三好君の方が身長が高いから、私の顔を覗き込んで来るその背はぐっと丸まっている。不安というほどではないけれど、私がここで嫌だと言えば絶対にしない、そんな弱さを感じさせてくる顔だ。
 
「………ううん、私もこうしてられて嬉しいよ」
 
三好君に告白されたのは、2年生に上がったばかりの4月――――つまりまだ2ヶ月前のことだった。きっかけは去年同じクラスだった時に、たまたま一緒に学級委員長を務めた縁で仲良くなったこと…らしい。
彼は顔も良く、そして何より優しく、人望が厚かった。勉強やスポーツは人並み以下らしいのだが、それすら却って嫌味がないと常に賞賛の対象にされているくらいなのだ。そのため言うまでもなく異性からの恋愛的な人気も非常に高い(彼女が途切れたことがないと言われてもまあ納得するくらいの素質は持っている人だ、というのは確かに私も去年一緒に仕事をしていて思った)。
そんな三好君が私のような(特別美人でもなければずば抜けて性格が良いわけでも突出した才能を持っているわけでもない)人間を好きになったのは、ある意味私が三好君と反対の…言うなれば"彼の持っていないモノを持っているような"性格をしていたかららしい。
 
私はあまり愛想が良い方ではなく、情だって沸くより先に冷めるタイプだ。だいたいの人間が三好君の好意にわかりやすい好意を返すのに対し、私がそうではなかったせいで三好君の関心を惹き、ひいては闘志を燃やしてしまったらしい。よくある少女漫画のような所感を持つ人だ、とそれを聞いた私は無感情に思った。
 
対してそんな私が完璧人間三好君の好意に応じた理由は単純で、もう高校生にもなったし恋愛の一つや二つ経験しておきたいなぁなんていうひどく不純なもの。「付き合ってください」「良いですよ」なんてとんとん拍子に話が進んだものだから、三好君の方が驚いていたくらいだった。
 
「じゃあまた明日、同じ時間に、駅で」
「うん、気をつけて」
 
それからこうして私達は登下校の時間だけ、駅から学校までの短い距離を毎日共にしている。デートもまぁ、数回はした…のだが、お察しの通り私はあまりこの関係に乗り気になれないまま2ヶ月過ごしてしまっているので、そんなに頻繁に出かける気にはなれなかった。
 
駅に着けばあとはお別れするだけ。使う電車が反対方向の路線を走っているため、先に来た方の電車に乗る相手をホームで見送るのがこの2ヶ月の慣習となっていた。今日は三好君の方の電車が先に来たから私がお見送り係だ。
 
「藤枝さんも気をつけてね」
 
最後まで優しさを振りまきながら、三好君は電車に乗り込み帰って行く。
 
「…はぁ」
 
自然と、小さな溜息が漏れた。別に三好君は嫌いではないのだが、残念ながら恋愛は"嫌いじゃない"くらいでは何も楽しめないらしい。
彼への感情は特になし…強いていえば"普通"なのに、どう考えても普通以上の距離を求められているこの感じ。恋人だから当然ではあるのだけど、なんだか自分に嘘をついているような気持ちになってしまうのだ。
 
「とても愛しの彼氏を見る顔じゃねーな」
 
そんな雑感に浸っていたらそろそろ私の電車も来る時間になっていた。ひとまず不義理な考えは余所へやって乗車列に並ぼうとした時、すぐ近くからよく知る声が聞こえた。
顔を向けると、そこには同じ制服を着た男子の姿。
 
「…花宮」

表情の一切浮かんでいない顔で、おそらく同じように表情の浮かんでいないであろう私を見ていたのは、見慣れた腐れ縁の男だった。

花宮真――――彼は中学の時から私と同じ学校に通っていた、いわゆる"天才"と呼ばれる部類の人間だ。初めて会ったのは中学2年生の時だったろうか、それから色々あって中学を卒業するまで多くの時間を共に過ごしてしまい、こうして高校に進学した後も未だに顔を合わせれば会話を交わす程度の関係が続いてしまっている。
腐れ縁、とはよく言ったものだと思う。中学の頃から私は花宮のこの冷たい目が苦手で、できるだけうまく距離を取れるよう奮闘してきたというのに、それが叶わなかった…どころか中学を卒業した後の進学先まで被ってしまったのだから。これを腐っていると言わずして何と言うのか。

とはいえこんな風に学校帰りに話すことは久しぶりだった。家の近所で偶然会った時や委員会(私が所属する学級委員と彼の所属する風紀委員はその性質上生徒指導に関わる部分で一緒に仕事をすることも多かった)の会議なんかで会話を交わすことはあったものの、そうでもなければ違うクラスの、まして運動部という忙しい生活ルーチンを繰り返す男子と落ち着いて話す時間など存在しないのが当たり前。それは私にとって不幸中の幸いともいえることだったが――――悲しきかな、ひとたびこうして話しかけられてしまえば、この花宮という人間をよく知る私には彼を無視することも避けることも最早できず、
 
「…別に、関係ないじゃん」

と冷たく返すのが関の山だった。

「ああ関係ねーよ。ただ感想言っただけだし…つまんなさそー、って」
 
本当に関係も興味もないと言った様子で手元の携帯を弄る花宮。
私と三好君が付き合っていることを彼は情報としてなら知っているが、実際に一緒にいるところを見られたのは今日が初めてのはず。それにも関わらず、つまんなさそうなどという知った口を聞いてくるのは、多分今の私の表情と、昔から知っている私の冷めた性格を併せて考えた時にその言葉が自然と辿り着くところにあったからだろう。
 
そしてそれは決して間違ってはいなかった。私だってこんな恋愛ごっこをしている自分はバカだと思う。でも仕方ないのだ、三好君の申出を承諾したのは私の意思。その理由がどれだけ不真面目なものでも、いや不真面目な理由だからこそ、私は恋愛を経験したと自分で納得するまではこの関係を続けた方が良いと思っている。
 
「いつまでそんなくだらねえ遊び続けんだよ」
「遊びじゃないよ」
「へえ、じゃあお前は本気で三好のことが好きだと」
「…うん」
 
バカだと思いながらも、好きだと言わなきゃいけないこの矛盾した気持ちが、心地良いわけはないのだが。
 
花宮は一度もこっちを見なかった。今の私の小さな返事だって、鼻で笑って一蹴しただけ。そんな顔を見るといつも、人前で浮かべる彼の表情との乖離の酷さを思い出してこっちが鼻で笑いたい気持ちになる。
 
「花宮こそ、そっちの方が楽ならそうすれば良いのに」
「そっちって?」
「その悪魔みたいな顔。下手に二重人格作ってもしんどいだけじゃん」
 
彼はどういうわけか、一部を除いた全ての人を対象に、"優しく、気が利き、爽やかで麗しい好青年"の姿を完璧に演じていた。まぁそのスペックが色々と生きていきやすいのはわかるんだけど、それにしたって素を隠してまでやることじゃない。というかまず普通の人なら、必ずどこかで綻びが生じる。
その綻びを絶対に生み出さないことが、私が"花宮真は天才と呼ばれる部類の人間だ"と思う所以である。私みたいに昔から近いところにいる人間や部活動のレギュラーメンバーに対しては素を出しているのに、それが"それ以外"に漏れないのも、きっと彼の"素を見せる"人選と、そして完璧すぎる彼の仮面がよく効いている証拠なのだ。
 
来た電車に乗り込む私と花宮。別に示し合わせたわけではないけど、ここで別の車両に乗るのも不自然だったので、仕方なく彼の傍に立つ。
 
「何を言ってるんだい? 俺のことを悪魔だなんて…悲しいなぁ」
 
…ほうらこの変わり身、まったく呆れたものだ。
そうだよね、駅みたいに広くて騒がしいところなら良くても、基本的に静かな車内で素を出したら霧崎生に見られちゃうかもしれないもんね。
 
「俺のことなんか良いんだよ。今は君の話をしてたんだから」
「私?」
「うん。三好君、格好良いよね。優しいし、女子からの人気も高いだろ?」
 
心にもないことを、と喉まで出かかった言葉をぐっと飲み込む。

「…そうだね、私にはもったいない」
「そうかな、雪葉も人見知りはするけど実は親切だし、可愛いし、お似合いだと思うよ」
 
爽やかな笑顔で言われているのに寒気がするのはなぜなのか。よくもまぁ、こんなに嘘くさい言葉を並べ立てられると思いながら、余計なことを言う代わりに今度こそ小さく鼻で笑ってやった。
 
「花宮みたいな人に褒められると照れるなー。でも突然どうしたの? 三好君の話をするなんて珍しいよね」
 
それにしても、今日の花宮はやたら三好君の話ばかり引きずってくる。恋愛どころか基本的に他人に興味のない彼がこうまで特定の人間の話を続けることにそこはかとない気味の悪さを感じたので、少し探りを入れてみた。だって花宮ときちんと三好君の話をしたのはこれが初めてだから。2ヶ月前、付き合い始めた時ですら「三好と付き合ったんだって?」っていう嘲笑を添えた一言しか言わなかったのに、なんで今更。
 
でも花宮は、平然と不思議そうな顔をして小首を傾げる。
 
「そうかな? 多分2人が一緒にいるのを見たことなかったから、面と向かっては色々聞けなかったのかもしれない」
「まぁ、それはそうかもしれないけど…」
 
花宮の真意がわからない。そりゃあもちろんここで、本当にただの世間話として私の恋愛をネタに持ち出してきただけだと割り切ることもできる。
でも私は、そこまで花宮真という人間が単純な奴ではないことを思い知っていた。
 
花宮の言葉には大抵意味があり、花宮の表情には大抵理由がある。
 
"中学からの幼なじみと世間話している爽やかな高校生"を演じたいなら、地雷の多い恋愛話などではなく次のテストの話でもしていれば良い。
 
楽しそうな花宮に反し、私の口数は少なくなるばかりだった。
 
そうして微妙な距離感のまま電車は私達の降りる駅に着き、揃って改札を出た。
中学が一緒というのは面倒なもので、地元の公立校を卒業していた私達はつまり学区が同じということでもあるので、ここから先更に5分程同じ道を辿らなければならない。
 
でも今日ばかりは、それがラッキーだと思っていた――――まだこの違和感を追及する余裕なら、ある。
 
「ねぇ、さっきの、本当はなんのつもりだったの?」
 
花宮の顔はもう笑ってなどいなかった。前を向いていて、歩く速度だって速い。
 
「さっきの?」
「三好君の話ばっかりしてきたの。あなたは人の恋愛話なんて面倒なことに自分から首突っ込まないでしょ。恋愛沙汰なんて一番面倒なんだから」

一瞬だけ後ろをついて行く私を振り返り、何を考えているのかわからない目で一瞥してくる花宮。
 
「…三好といつまでも付き合ってる理由を教えてくれたら教えてやるよ」
 
そして提示されたのはそんな条件。どんなに小さなことでもただでは教えないのが花宮らしくあり、聞いてきたのが私の個人的な事情だというのが花宮らしくないと思った。
 
「……恋愛ってどんなものかなーって思ったからだよ」
 
しかし私は特に考えることもなく、本当のことを教えてやる。
別に心の内を打ち明けてまで聞き出したいというほどのことでもないのだが、それと同じくらい嘘をつく必要だってない。この嘘にまみれた人間に私の嘘を教えたところで、こいつはそれを言いふらしたりはしないのだから。
 
「…カワイソ」
「花宮には言われたくないかな」
 
私のしてることなんかより、花宮が普段してることの方がよっぽど酷いのに。皮肉をこめて言ってやったところで、花宮はただ唇を歪めて笑うだけだった。
 
「で? 私が情報を差し出したら…なんて変な条件出してくるからには、そこまで三好君に固執する理由もちゃんとあるんでしょ? どういうつもりかちゃんと教えて」
 
世間話の可能性は失せたところで、改めて抱いていた違和感を口にする。別にそこまで気になることではない…と確かに思うことも事実だが、もし花宮が理由あって私と三好君の話を出してきたとして、会話の中で私が何か彼の手札を新たに増やしてしまったのなら、厄介なことに使われる前に把握くらいはしておきたい。
…三好君関連で彼が使える手札とか、厄介なこととか、これっぽっちも想像できないけど。
 
花宮は突然立ち止まった。少し遅れて歩いていた私は、花宮と並ぶ位置で立ち止まる。
 
「………」
 
無言で、見下ろされる。三好君より高い背。広い肩。暗い顔。
何度覗いても心を揺らしてくる意思の強い瞳に見つめられながら思うのは、やっぱりこの人はダメだ、という自分勝手な感情。
 
中学の時から知っていた。この人は、人を人とも思わない人。誰かを傷つけて、不幸にして、それを嘲笑う人。それを私が快く思っていないことなんてこの人はわかりきっていて、それでもこうして近づいてくるのには何か必ず裏がある、といつも警戒しているのに。今だってそう、こんなにも三好君との間を探られて、心を盗み見られているような気持ちの悪さを覚えて、ああ早くここから立ち去らきゃ、って思っていたのに。

そう―――――早くここから立ち去っていれば、何も現実が変わることなんてなかったのだ。

しかしそんな未来のことなんてわかるはずもなく、私はただこちらを見つめる花宮を訝しんで見つめ返すのみだった。

そうして彼は、すっと私に近づいて。
 
後頭部に大きな右手が触れたと思ったら、少しだけ引き寄せられた。
 
「────────え」
 
それから、何を考える間もなく、

唇に、柔らかい感触。
 
息が、止まった。
 
「……………こういうつもり」
 
永遠に感じられたそれはたった一瞬のことで、ぱっと唇も手も、体ごと離した花宮が相変わらずの笑顔でそう言った。
ぺろり、自分の唇をなぞる舌がやけにいやらしく見える。つい無意識に、生唾を飲んでしまった。
 
「じゃーな、また明日」
 
花宮は立ち止まることも振り返ることもなく帰って行ってしまった。取り残された私は一人、どんな顔をしたら良いのかわからないまま、いつまでもそこに立ち尽くしていた。

―――――今、何が起きた?



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