14.不幸に溺れる



「………瀬戸」

朝のHR前、瀬戸が部活の朝練帰りに居眠りを始めようとしているのを妨げながら、私は声をかけた。

「…昨日、部活終わりにあなた達を見たんだけど」
「あ、あれ見てたんだ」
「花宮のこと待ってたあの子、かの」
「彼女だよ」

私の言葉を待たずに肯定してくる瀬戸。容赦のない答えに私は思わず怯んだ。

「彼女っていうか…カモ?」
「私の代────」
「代わりのつもりかな」
「…………昨日のあなたの言葉の意味は何? 花宮とあれで良いのかって、他にどうしろって言いたいの? 期待外れって、私は一体何を期待されてたの?」

瀬戸は、私の言葉に自分の言葉を被せてこなかった。珍しく何かを考えているかのように、私の目を見つめる。

「………頭は良い方だと思ってたけど、肝心なところで働かないんだな。…いや、花宮のせいで働かないように教育されたのか?」
「………は?」
「…どうしてもわかんない?」

何もわからない。

「なんかもうマジで救いようがない…」
「…わかんないなりにバカにされてるなっていうのは理解した」
「お、賢い」

眠そうな顔で笑う瀬戸に、もはやそれ以上ヒントを与えてくれる気はないようだった。

「はーい、みんな席についてー」

私が諦めたのと同じタイミングでチャイムが鳴り、担任が入ってくる。

「さ、みんなおはよう。今学期最後のHRを始めるよ!」

───────その日は、今年最後の登校日だった。









その日学校から帰った後は、すぐに力尽きて寝てしまった。次に起きたのはもう翌日の太陽が沈んだ頃。体も心もなんだか疲れきっていたせいで、そのまま気づけば私は二度寝をかましていた。

そうして、その更に次に起きた時。

「…うそじゃん…」

遮光カーテンの隙間から申し訳程度に漏れ入る光の感覚から、なんとか今が日暮れだということを悟る。でも二度寝する前は日が暮れる頃だったわけだから…知らない間にもう1日経っていたわけだ。流石に寝すぎた。身も心も怠い。

ふと、時計に表示された日付を見る。

─────12月24日、土曜日の16時。

今日は、花宮とデートに行くはずの日だった。

きっと今頃あの子と出かけているんだろうな、と思う。だって彼女なんだから、それが当たり前だ。

彼女、か…。

結局私は彼女ですらなかった。名前のつけられない関係に甘んじたのは自分の意思だ、それなのに今それが酷く苦痛に思えてしまう。
何も言われてなければ特に惨めな思いをすることもなかったのに、下手に約束なんかしていたせいで私の心はちくちくとささくれ立つ。

私は溜息をつき、ベッドから起き上がるとクローゼットの服を手に取った。

「…何やってんだろ、私」











────2時間後、向かった先は都心部。
大きな駅のあるところなら買い物で時間を潰せる。クリスマスムード一色の街は案の定カップルに溢れていたが、私はその中をひとり寂しく歩いていた。

あのまま暗い部屋にいても、花宮との"もしも"が頭を占めて苦しくなるだけ。だったら、喧噪の中に身を置いて少しでも気分を紛らわせた方が楽なのではないだろうか。あるいはもういっそのこと、落ちるところまで気分を落として惨めになりたい。
そんなとち狂ったことを考えた私は、支度をしてひとり繁華街へと繰り出していた。

友達でも誘えば良かったのかもしれない。でも彼氏持ちはみんなそっちに行ってるし、そもそも貰っていたお誘いを先に断っていたのは私。今更声をかけられる人などいなかった。

夕食時のお陰で店の客足は比較的少ないように思われた。バーゲンセールの明るい看板が立ち並ぶ店々を 何を買うでもなく歩きながら、楽しそうなBGMをひたすら聞き流す。中には春物を置いている気の早い店なんかもあった。

…春が来たら、もう少し気分も楽になるんだろう。
人の順応性とは恐ろしいものだ。そういえば中学で花宮と別れた時だって少なからずショックがあったはずなのに、もう今じゃ全く思い出せないんだもんな。
今だけ、今だけ悲劇のヒロインになることを許してほしい。大丈夫、そのうちちゃんと立ち直るから。

店員の甲高い声に見送られながらその店を出て、ふらふらと次の目的地を探して歩く。

そして最初の角を曲がった時、見知った影が2つ、視界に飛び込んできた。聞き覚えのある声も2つ、鼓膜を震わせた。

「ねえ、ご飯どこで食べる?」
「予約した店があるんだ、イタリアン」
「ほんと? ありがと〜!」

…………!

花宮と、その彼女が、こっちに向かって来ている。

反射的にビルの陰に隠れてしまった。一瞬花宮と目が合ったような気もしたけど、彼らはそのまま私が潜む建物を通り過ぎて行く。
ほっと息をつき、それから未練がましく、2人の後ろ姿を見つめた。

腕組んで歩いてる…。彼女の服、女の子らしくて可愛いな。よく笑う明るい子だし、とにかく私とは全然違う雰囲気の子だ。

傍目から見ればその2人はとてもお似合いで、それがまたひどく胸を締め付けた。
私、何してるんだろう。自分を追い詰めるためにこんなところまで来ておいて、何を一人前に傷ついてみせたりしてるんだか。こうなることだって予想できたはずなのに、後ろからまるでストーカーみたいに眺めたりして、惨めどころの話じゃないじゃん。

花宮、すごく優しく笑ってた。いくら表宮だといっても、あんな優しい顔はなかなか見たことのないもの。きっと彼女だから向ける顔なんだと思う。

「……………」

…もう帰ろう。やっぱりこんな日に外をうろつくなんて、私には無理だった。いくらなんでも街中で泣き出すのは恥ずかしい。

建物から身を出し、駅に向かって歩き出す。
その瞬間、後ろから突然肩を叩かれた。

「お姉さん、一人ですかー?」

振り返るとそこには、なんだか軽そうな男が一人。人懐こい笑顔で私を見下ろしている。

「………はあ」
「あー良かった、実は俺、友達と待ち合わせてたんだけどドタキャンされちゃったんですよー。このまんま帰るのもやだなーって思ってたとこなんで、良かったら一緒にご飯でもどうですー?」

あー、わかりやすいナンパ。
気持ちはありがたいけど、今私はとてもそんな気分じゃないのだ。

「いや、私もう帰るとこなんで」
「えー、帰るだけならちょっと付き合ってくださいよ! もちろん奢りますし! 良い感じのバル、予約してたんで〜」

食い下がってくるナンパ男。申し訳ないけど面倒だなという気持ちが何より勝っている今の私の笑顔は、とんでもなく引きつっているはずだ。

「いやほんと…」
「ちゃんと終電までには帰しますし! ねっ!」

どうしよう、問答無用で逃げるか…あるいはもういっそ、ついて行ってしまおうか…?

「藤枝、そんなところにいたのか」

迷っていたところに、突如として私の名前が聞こえてきた。確かに覚えのある声音に驚いて振り向くと――――…

「もー、みんな待ってんだけどー?」
「早く行くぞ!」

ナンパ男の後ろから現れたのは、古橋と原、そして山崎だった。
無論私達は待ち合わせも約束もしていない。みんな待ってる、とか早く行くぞ、とか言われても何のことだかさっぱりわからない。
――――わからない、ということはつまり、彼らは偶然ここに現れ、私を見つけ状況を把握し、助け船を出してくれたということになる。

ここ数日、ずっと避けられていた友人が手を差し伸べてくれたという事実。
それは、単に困っていたところを助けてもらった…という字面以上に嬉しいことに思えてしまった。

「…あ、えと、友達が迎えに来てくれたので…これで」
「…帰るっつってたじゃん」

もっともな文句を吐きつつ、それでも自分より体格の良い男3人が相手ではさすがにどうやっても押せないと察したか、ナンパ男は人混みの中へと消えていった。

「何してんの、ひとりで」
「…いや、その…暇を持て余して」

どうせ彼らは私と花宮が今どんな状況に置かれているか全部知っているに決まってる。案の定彼らは粗末な言い訳を聞くなり顔を見合わせ、かわいそうなものを見る目で私に視線を戻した。

「あー…そうだ、遊びに行くとこだったんだよね? 助けてくれてありがとう…もう私は帰るから、また新学期にね────」
「……………一緒に行こっか」

別れを言いだした私の行く手を遮ったのは原。

「俺達、これからカラオケ行ってクリスマスパーティーすんだよ。帰るだけってくらいなら暇だろ? 行こうぜ」

山崎も私の背中を押し、4人で再び街の喧噪の中に戻る。

「で、でも」
「こういう日くらい楽しんだってばちは当たらない」
「古橋はもう少し楽しそうにした方が良いと思うけどね」
「…してるだろ?」
「…………私のこと、無視してたんじゃないの?」

混乱するままに素直な問いを投げると、山崎の 私の背を押す力が少しだけ弱まった。

「…悪いな、ちょっとこっちも色々あってさ…。どっちかってーとこれもただの一時休戦、みたいな…?」

…つまり、今日が終わったらまた私達の距離は開くということ。
色々、って何なんだろう。花宮が絡んでいることはほぼ確信しているけど、そこにどんな事情があるのかということまでは、私には推測しきれていなかった。

「ま、別に俺ら誰もマドンナのこと嫌いになったわけじゃないから、あんま気にしないで」
「……気にしないで、って」
「あ、向こうから来んのあれ瀬戸じゃね? あいつまた寝坊してやんの」

瀬戸が現れたことで彼らの意識は完全にそっちへもって行かれ、結局私の疑問が解消することはなくなってしまった。

「あれ、藤枝もいる」
「さっき拾った」
「お前ら藤枝とつるんで良くなったの?」
「今日は俺達アウトローだから!」
「…アウトローなのはいつものことじゃね? アウトローっつーか、身勝手っつーか…」

私という異分子がいるのにも関わらず彼らは相変わらず楽しそうにしながら、やがて駅前の大きなカラオケ店へと入っていく。断る隙すらないまま、ついて行ってしまう私。

「予約してた原でーす、一人増えたんでお願いしまーす」

通された部屋は広いパーティールーム。料理とかケーキとか後で色々来るから、とそれだけ言って、彼らは早速曲を入れ始めた。

…仲間に入れてもらったのは嬉しいけど、なんだか突然のことすぎてついて行けていない。

「てか花宮も大概だけどマドンナが想像以上にダメージ受けててわろた」
「結局やっぱ花宮のこと好きなんじゃんお前」

今の私にはもはや山崎の言葉に否定する気力も材料もない。論より証拠、というわけだ。

「ねー、花宮に何て言われたの?」
「…花宮は何て?」
「いや、ただ雪葉とは縁を切ったから、って。なんかつきまとってくるのがうざいとか、利用してただけなのに、とか色々もしゃもしゃ言ってた」

何度聞いても懲りずに傷がじくじくと痛む話だなぁ、なんて思う。遠慮する様子など全く見せずに花宮のことを訊いてくる原以外は、みんな好き勝手に運ばれてきた料理を食べたり曲を入れたりと楽しそうにしている。

「…そんな感じだよ」
「うへえ、容赦ねー」

原の乾いた笑い声はシャウトする山崎の大声にかき消された。

「てかそんな酷いこと言われてまだ好きなの? マゾ?」
「えー…そうなの?」
「いや自分のことやないかーい」

そこからも何かあれやこれやと文句を言われているらしいことはわかったが、いかんせん周りの音が大きいせいであまり聞き取れなかった。ついでに言えば、原の目が見えないのもうまく彼の意図を汲めない原因になっていると思う。
「花宮が」とか「俺は最初から」とか「だって誰がどう見ても」とか、なんとか聞き取れた言葉の断片を繋ぎ合わせては、「仕方ないじゃん」とか「私だって」とか適当な返事を返す。

「…で、さっき花宮と彼女がデートしてるの見ちゃってさ」
「うわ…かわ…そー……そいえば…花宮も…デート…言ってた…彼女と…」
「顔と言葉が合ってないんですけど。可哀想って言うならもっと可哀想そうに言って」
「あ、でもこの後合流するよ」

原の大声が、ちょうど曲が終わった時にわんと響く。
それまで騒音の中にいながら適当な会話ばかりしていたせいで、必要以上に静まりかえったような錯覚を覚えた。

…合流する?

「…誰が?」
「花宮」
「…………彼女は?」
「たぶんあれは振ってから来るね」
「いや、案外言いくるめて来る説」
「え、だってあの子のこと全然気に入ってなかったじゃん」
「だからでしょ、下手な振り方して拗れる方がめんどくさいし」

デンモクを持ちながら瀬戸が横槍を入れて来たが、私はそれよりその会話のあまりの不自然さが気になってしまう。

「ま、待って、彼女ってそんな…そんないい加減な感じなの?」

私の必死の問いに彼らは目を見合わせ、それから揃ったかのように哀れみの視線を向けてきた。

「………なんか、これいい加減藤枝がかわいそすぎね?」
「ま、実際無駄なんだよなあれ」
「俺は別にそこまで親切にする義理もないと思うんだが」

全くついていけないまま、彼らの謎の会議を呑み込む。
無駄って何が? 親切って何に?

「…花宮は嘘をついた…って俺が言ったのは覚えてる?」

そうして、戸惑う私に向かって改めて口を開いたのは瀬戸。確かについ数日前、そんなことを言われた記憶がある。でもそんなことは最初から私だってわかっていたことで…。

「誰に何の嘘をついたか、ちゃんと考えた?」

だからそれは、私を利用するために体の良い友人(あるいはそれ以上の)面をして近づいてきた、っていうたちの悪いゲームのことを指しているのであって――――
私が答える前にこの表情から何かを読み取ったか、瀬戸は憚ることもなく大きな溜息をついた。

「…な、何」
「冷静に考えてさ、花宮の行動は不自然だと思わない?」

花宮の行動が…不自然?

不自然も何も、花宮ははっきりと私への嫌悪を口にしたじゃないか。
改めて考えるのは余計に自分を落ち込ませるだけなのでできればしたくなかったのに――――と心の中で悪態をつきながら、一連の流れを反芻する。

今まで傍にいたのは花宮が生きていくのをより容易くするために私を利用していたから。でも、他校の生徒に狙われても私がめげなかったことで、思ったより私が彼に心酔しすぎていることを知り、嫌になって突き放した。

「不自然なところなんてどこにも…花宮ならまぁやりかねないなぁと…」

瀬戸の眉がひくりと上がる。納得していないのは明らかだ、ということは余程"花宮の言動には不自然な部分がある"という彼の結論に、彼自身は確証を持っているらしい。

「俺、花宮と違って馬鹿に付き合い続けられるほど忍耐力ないんだけど」
「いや勝手に吹っかけられて勝手にイラつかれても困るから」
「よく考えろよ。花宮にフラれた時率直にどう思った? そもそも花宮はいつからその、なに…ゲーム? とやらを始めた?」

どう思ったか、いつからあんな茶番を始めたのか。
瀬戸に振られた疑問を口の中で繰り返し、花宮の言動を思い返す。

不自然なところ、不自然な――――「待って…」

不自然、と言って良いほどはっきりした感覚ではないけど、"花宮らしくない"と思ったポイントなら、確かに思い当たる節がある、かもしれない…。

花宮に散々言われてどう思った?
もちろんショックだった。悲しかったし、嘘であってほしいと願った。
でも、冷静になって考えると、こうも思うのだ。

"発言の全てが、あまりにも突発的すぎる"と。

花宮は、普段なら全ての行動に綿密な計画を立て、相手に気取られないうちに自分の糸に絡め取って行く。まんまと蜘蛛の巣にひっかかり、逃げられなくなった獲物を笑いながら嬲るのだ。
そして仮にその計画が破綻すれば、彼は破綻したという"事実"を罵り、怒りに狂いながらも、即座に効果的な次の手を打っていく。

それが、今回は最初からあまりにも"言い訳"がすぎるのだ。あまりにも次の手が"荒すぎる"のだ。

計画性がないとはさすがに言わない。
でも、私を利用すると言う割には今まで花宮のためになることを何もさせてこなかった。
他校の情報収集も、彼女のふりも、花宮の駒らしいことなんて私、何もしていない。
それどころか、三好君しかり、井口南高しかり、逆に私が花宮に助けられてばかりだった。

様子を見ながらこれから利用するつもりだった?
完全に否定はしない。でもそれにしては、花宮とつるんでから半年以上の時間が経っていることを考えると、彼の行動は不自然なほど遅いと言わざるをえない。花宮は確かに計算高いし慎重に行動する方だが、決して我慢強いわけではない。
そこまでして私という存在に執着する理由がない限り、もっと手っ取り早く利用できる別の存在を探すという選択の方が花宮の性格的には合っているはずだ。

そして、"私が花宮に心酔しすぎる"というエラーが彼のシナリオ上に発生した時の、それに対する処置が大雑把すぎることも気になる。
私が「花宮の傍にいる」と発言した時から気になっていたとは言うが、よくよく時系列を考えてみればクリスマスデートに誘われたのはその発言をした後のことだったはず。切り捨てる可能性のある相手にそんな誘いをかけるほど、花宮は飢えているわけでも暇なわけでもない。

本当に、あの日の花宮は突然豹変したようにしか見えなかった。思いついたように暴言を吐き、まるでその直前に見せた優しい顔を隠すように私を切り捨てたように見えてならなかった。

もう1つ、瀬戸が言った"いつからこのゲームを始めたのか"という話についても不思議なところがある。

そもそもの話、彼が私に近づいて来たのは、私が三好君と望まない関係を持ったと思いこんで以来のことだった。
花宮がもし最初から私を利用するつもりでいたなら、高校に入ってすぐ…いやそれどころか中学の時に別れてからすぐにでも、何かしら上手に取り繕う策を講じてきたはず。

花宮らしくない、その場凌ぎと言えてしまうような言動の数々。

「…確かにそうかも」
「……………わかった?」

瀬戸が、まるで悪戯が見つかった子供のような顔で笑う。ばっちり目が合った時、全てを見透かすその視線にどきりとしてしまった。私の答えまで把握した上での、この笑顔。

「…………え、何、今ので何がわかったの?」
「花宮ほどじゃないけど、藤枝は頭良いんだよ」
「散々花宮から聞いて知ってる」
「いや、てかお前さっき藤枝のこと馬鹿呼ばわりしてたじゃん」

何やらバスケ部のみんなが話していたが、私は私でぐるぐると今までのことを思い返していた。

「でも、そんなの何の為に…」
「そりゃ、不自然とわかってても、嘘をついてでも、守りたいものがあったからっしょ」

守りたいもの?

「多分花宮って、藤枝が思ってるより単純な人間だよ。長年の調教でそんな風には思えなくなってるだろうけど、もう少し肩の力抜いて考えてみな。もし花宮の一連の行動を、花宮じゃなくて…そうだなぁ、例えば……ザキのとってるものだと仮定したら、どう思うよ」
「なあおい、これ遠回しに俺が今いるメンツの中で一番単純って言われただろ」

気がないくせに三好君と付き合ってる私になぜか怒ってきた花宮。
なぜかまとわりついてきて、ピンチの時には助けてくれて。
気づけばいつも隣にいて。
ノリちゃんの時には悪意を向けられたけど、それ以外の時はいつもなぜか心配されてた。

そんなの、花宮じゃなかったら…

「相当私のこと好きじゃんって思いますね」

恋愛の意味でもそうじゃなくても、単純に私のことが好きじゃなかったらそこまでできなくない? っていうのが率直な感想。
瀬戸はぶっと吹き出した。

「くくっ…わかってんじゃん」
「いや、でもそれはあくまで花宮じゃなかった場合の話でしょ? 花宮に限って――――」
「だから言ってるじゃん、あいつはそんなに複雑な奴じゃないって」

…納得できない。
仮に瀬戸の言うことが正しくて、本当に花宮が私のためを思ってくれていたのだとしたら、確かに私に近づいてきたことや三好君と望まないまま付き合ってることに苦言を呈したくなる気持ちはわかる。他校の生徒に狙われれば心配するというのも道理だろう。

「でも、ノリちゃんのことは? 私のことを大事にしてくれてるならあそこで私から友達を奪うなんて真似しないはずだし、それに今回だっていきなり縁を切られる必要性がわからないんだけど」
「ノリちゃんって何? ……あ、則本? え、なに、則本のことあんたまだ友達だと思ってんの? 花宮のこと寝取ろうとしたのに?」
「だってノリちゃんは…待って、今なんて?」

花宮を寝取ろうとした、って…ノリちゃんが?

「あ、その話知ってるわ。なんだっけ、付き合ってた彼氏がマドンナに惚れたって理由でフラれて、逆恨みしたから花宮寝取ってマドンナに攻撃しようとしたんしょ? 馬鹿だよねー、花宮がそんなん許すわけなくね? っていう」
「原、お前詳しいな」
「いやその元彼がうちのクラスの奴だったんよ。ちなみにそいつ、元カノをフッた後マドンナにアピろうとしたんだけど、これまた花宮がなんかしたらしくて声かける前に撃沈したとかいうオチつき。ウケるよね」
「何されたんだか想像するだけでこえぇな」

待って待って、情報が追いつかない。
つまり、ノリちゃんは本当に花宮に惚れていたわけじゃなくて、元彼にフラれた腹いせに私と花宮に近づいたってこと?

私のことが好きになってしまったからという理由で彼氏にフラれたノリちゃん。
当然、私のせいでフラれたと思い私を恨むだろう(ていうか私はその彼氏のことなんてこれっぽっちも知らないんですけどね?)。
どうすれば復讐できる?
私にも同じ思いをさせれば良い。
どうすれば私も同じ思いをする?
私の好きな人を、ノリちゃんに惚れさせてしまえば良い。
私の好きな人は誰?
――――そこで選ばれたのが、花宮だったというわけだ。

花宮とノリちゃんが付き合えば、花宮のことが好きな私(ノリちゃんの仮定)は傷つく。
ノリちゃんは最初から花宮のことなんて好きでもなんでもなかった。ただ彼女は、私を傷つけることだけを目的にしていたんだ。

じゃあ、花宮がノリちゃんをこっぴどくフッた上に私にまで「あの女とはもう付き合うな」なんて言ったのは――――その真相を、全て知っていたから―――?

そういえば、と、花宮に振られた(?)後のノリちゃんの反応が不自然だったことを思い出す。
花宮は彼女を振る時、私までもがノリちゃんに恨まれるような言葉をぶつけたとかなんとか言ってたけど、その割に彼女は私を恨むというより―――…なんだろう、私に怯えているような顔をしていたのだ。怒りからの無視じゃなく、恐怖からの忌避、というような。

花宮がノリちゃんを怖がらせたと聞いて、どうしてそんなことをしたんだろうと思っていた。
花宮がノリちゃんと私を引き離すようなことをしたと知って、何が彼をそう動かしたんだろうと思っていた。

ノリちゃんが、私を傷つけようとしていることに気づいていたから――――だから、そんな行動をとったと…本当にそういうんだろうか。

「つくづく過保護だな、花宮って。キモいわ」
「恋は盲目ってやつ?」
「えー使いどころ合ってんのかそれ」
「他に質問は?」

突然明かされた真実にドキドキと心臓が脈打っている。一方なんてことのない顔で続きを促す瀬戸に、私は平静を欠いたまま回らない頭を必死に動かす。

「え、だから…なんで私と縁を切るなんて言い出したのかって…」
「それについては俺らの発言を思い返してください、以上!」

次の疑問に答えたのは原だった。答えた、と言ってもそれは答えになっているのかどうかわからないようなものだったが。
俺らの発言って……いつのことだろう。花宮と私の関係について彼らが言及した時を思い返し、そして思い出したのは――――

「…あっ」

そうか、そういえば原が井口南の奴らに最初に絡まれた時の話をした時、
「今回はさすがに守るけど、花宮の傍にいることで今後もずっと危険に晒すようならむしろ距離を置いた方が良いのかな、みたいなこと言ってた」
…と言っていた、気がする。

もしその言葉を真実として受け取るなら?

「花宮は、私を守る為に…?」

原は嬉しそうにうんうんと頷いていた。
…そんなこと、信じろと言われても難しい。花宮が私を守ろうとわざわざそんな芝居を打つなんて、普通考えられない。

「………」

でも、そういえば古橋も言っていたっけ。

「もう少し、目の前の事象を素直に受け止めても良いと思う」

……どうしよう、彼らの言葉がここにきて全て繋がってきてしまうなんて。
本当に、花宮がそんなことをするんだろうか。誰かを守りたいだなんて、そんな人間じみたことを考えるんだろうか。それも、私なんかのために。

「…ちょっと、情報過多で処理しきれない…」
「よっぽど毒されてたんだな、お前」

…私、そんなに花宮に恩を売ったっけ。
仮に彼らの言っていることが正しいとして、花宮が私のために色々と世話を焼いてくれたのだと認めても、今度はそこまでしてもらえるほどの理由が思い当たらない。
私を大切にしてくれていたとは言うけど、そこまで想ってもらえるような人間じゃないのだ、私は。あの花宮のお眼鏡にかなうような人間とは、とても。

それに、私のことが大切だと言うのなら、あんなに早く他の女の子と付き合うっていうのもなんだか違和感がある。例えば今日その女の子をフッてからここに集合するという花宮の話を聞いて、彼らは「その程度のものだから」と笑っていたじゃないか。
だったら、距離を置いた直後に別の女の子の元へ行かれてしまうような私だって"その程度"の存在だったと言えるのではないだろうか。

「…もう一つ、訊いても良い?」
「ん?」
「…私のことを大切にしてくれていたというなら、どうして今、花宮は他の女の子と付き合ってるの?」
「……………藤枝は、どうして他の男と付き合ってたの?」

瀬戸が言っているのは紛れもなく三好君のこと。
どうして私が花宮を想いながら他の男と付き合っていたことを知っているのかはわからなかったが、それより私は、

「…………好きっていう気持ちを…塗り替えたくて……………」

…もし花宮が、私と同じ理由をもっていたのだとしたら。

「花宮と、話してみる?」

心臓がばくばくと飛び出しそうなほどに鳴っている。答えは出ているのに、なぜか頭の中がひどく混乱していた。

「あ、てか花宮から電話だわ」

原がそう言った瞬間、大きな着信音が鳴り響く。部屋はカラオケ機械から流れるPR動画のせいで既に騒音が溢れていたが、花宮からだというその着信音はやけに鮮明に耳に入ってきた。

「んー終わったー? うん、うん、みんないるよー。え? 場所? うん駅前のカラオケボックスー。あ、てかじゃあ迎えに誰かやるよー」

何やら無責任なことを言って電話を切った原。それから彼が向き直ったのは私の方だった。

「てことだから、マドンナよろぴく」
「………え?」

何をよろしくされたのかわからない…いや、正確にはわかっていたのだが、理性が理解を拒んでいた。

「だから、花宮のこと迎えに行ってきて。今東口の前にいるんだってさ」
「な、なんで」
「今花宮と話すって展開になってなかった? てかマドンナは関わんなきゃいーからともかく、いつまでも花宮がぐずぐずしてんの見てんのかなりダルいんだよね」
「そんな、急には無理…」
「無理かどうかは行ってから考えたらどうだ」

わかりやすく動揺してしまう私に、古橋までが便乗してくる。まるで私を放っておいたら機を狙いすぎて逸するだろう、とでも言いたげに。
なんとなく、突き放すように乱暴なその言い方が彼らなりの優しさということは伝わってきていた。

でも、今花宮と会ったところで私に何が言えるだろう。花宮のやってることが矛盾に満ちているから、それを指摘したから、どうなるというんだろう。

「…………」

私が俯いて何も言えなくなってしまったせいで、その場に一瞬沈黙が降りる。傍にいるだけで良いという考えで自分を保っていた私にとって、その願いすら傲慢なのだと突き放されてしまったことは(それが勘違いかもしれないと気づいた後でもなお)想像以上に大きいダメージとなっていたらしい。花宮に問いたいことはたくさんあるはずなのに、すっかり臆病になっていた。

「……これ、やるよ。どうしてもダメだったら呼べ」

そんな私の顔を上げさせたのは、山崎だった。彼はあまり私と花宮の間のことを自分からあれこれ言ってきたことがなかったので、意外な人の意外な申し出に正直少し驚かされた。

山崎が私に差し出したのは、小さな紙切れ。そこには10桁の数字…携帯の番号が書かれている。

「これ…」
「俺の携帯」
「えー、ザキなに甘やかしてんの、色目?」
「使ってねーよ! このままじゃ話が進まねえって思っただけだ!」

しばらくその簡素な紙切れを見つめる。
…ここまで友人達がしてくれている………なら、私も腹を括らなければならないかもしれない。

「…………東口、だよね…?」
「行く気になったか」
「…………山崎君、ちゃんと携帯見ててね」
「へーへー」

私は、部屋を出て行った。

夜風が身を切るように吹き付ける。街行く人はみんな楽しそうに笑っていた。

心臓はまだうるさい。手足の先は冷えて感覚がない。この間まであんなに会いたいと思っていた人なのに、いざ会わなければならないとなったら、どこまでも我儘な私の心はそれを拒絶し出す。

人混みをかき分けながら横断歩道を一つ渡る。その先は、もう東口の前だった。

帰る人、これから遊ぶ人、駅前は更に人でごった返している。そんな中から一人を見つけるなんて、なかなか至難の業─────そう思ったらなぜか少しほっとしてしまった。多分私は、彼と会うまでの時間を少しでも長く引き延ばしたいと思っている。

時間をかけて、駅前の通路を歩く。
そしてそろそろ端までいこうかという頃、遂に私はガードレールに寄りかかりながら立つ男の見慣れた姿を見つけてしまった。

綺麗な長めの黒髪。部員の中ではむしろ小柄に見えるのに、こうして街中で見るとやはり大きく見える。マフラーに顔をうずめて眉間に皺を寄せながら携帯をいじっている姿は、とても寒そうだ。

花宮は、悲しくなるくらいいつも通りの様子でそこにいた。

「……………」

声を掛けようと口を開いて、手を少しだけ上げて、でも、喉から出たのは乾いた呼吸だけだった。

はなみや。

それだけ、たったそれだけで良いのに。

怖い。
あれ、今日ってこんなに寒かったっけ…?
手が、震える。

自分の近くで、自分の方に顔を向けながらいつまでも立ち竦んでいる人間がいることを不審に思ってか、花宮は私が声を掛けるより先に私の存在に気づいてしまった。

「──────!」

視線が合った瞬間、大きく目が見開かれる。携帯が手から滑り落ちたのにも、気づいていないようだった。

「………花宮、その」

ああやっと声が出た。

「………………」

しかし花宮はすぐに顔をしかめてわざとらしく舌打ちすると、素早く携帯を拾って私を避けながらすれ違い、そのまま歩き去ってしまった。

「……………」

取り残された私は、一人間抜けな顔で立ち尽くす。街の喧噪が耳に入らなくなってしまったのは、自分自身だけに集中していないと、この場で座り込んで泣き出してしまいそうだったから。

花宮の顔、すごく嫌そうだった。虫でも見るような目で見られて、つい怯んでしまった。

……そもそも私は、あんな風に花宮を呼び止めて、何て言うつもりだったんだろう。
花宮は嘘をついてるって、責めるつもりだったんだろうか。まだ私の中ですら疑念でしかないのに?

花宮が、私を本当に憎く思って突き放したわけじゃない。
花宮は、私を守りたいと思って突き放してきた。

そんな、そんな都合の良すぎる夢物語を手放しで信じるには、私と花宮はあまりにも歪んだ時間を過ごしてしまっている。彼の行動に矛盾しかなくても、彼の言葉に理由が見出せなくても、"私の理解の及ばないことを考えている"花宮の言動には強大な力を持っている。

彼の飴は信じてはならない。彼の鞭だけが真実だ。

そんな教訓を自らに叩き込んできた私に、今の状況を覆すことは何よりも難しいことのように思えた。

「……そりゃ、避けられるよね………」

誰にも聞こえないほどの小さな呟き。それを受け止めた私の手は寒さのあまりもはや麻痺していた。

「あ…山崎君に……電話…………」

携帯とメモを取り出して、番号を打ち込んでいく。

でも、それは途中で止まってしまった。

「……………」

今話したら、泣いてしまいそう。

どうせ花宮に迎えはいらない。彼らも、花宮の顔を見たら色々と察するはず。

教えてもらった番号を、携帯に打ち込む。それから一度だけコールを鳴らして、すぐに切った。そのまま心の中で優しい知り合い達に詫びながら、携帯をポケットにしまう。私からの着信を見れば、彼らなら全て理解してくれる。ごめんなさい、勇気もないのに、誠意さえ見せられなくて。

重い足を引きずりながら、そのまま駅の階段を降りる。

惨めになりに行こうとした当初の目的は見事達成だ。もうこうなってしまったら、どうしたって私は花宮ともう元になんて戻れない。
そんな絶望感が、帰りの電車に揺られる私の目尻から小さな涙を落としていった。



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テーマ「推しとの恋」
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