13.不幸に追われる



花宮との曖昧な関係を絶ってから、一週間が過ぎた。

私も花宮も、互いに目すら合わせない。登下校も、お昼の時間も、会ったりしない。
最初私は、これは悪い夢だと思っていた。あまりに呆気なく彼が去ってしまうものだから。あまりに前触れもなく終わってしまったから。

でも、無慈悲に過ぎていく時間がそれは現実なのだと私に絶え間なく告げてくる。どれだけ近くですれ違っても声をかけることはできない。どれだけ頻繁に彼がうちのクラスを訪ねてきても呼ぶ相手は私じゃない。

中学で別れた時も似たようなことを思った記憶がある。花宮は本当に私に関心なんてなかったんだなぁ、と。
私達が関わっていたのはただ偶然が重なった結果にすぎなくて、その繋がりを一度断てば呆気なく無関係の他人に戻っていく。

なんだか一緒に過ごした時間そのものが嘘なのだと言われているみたいで、とても虚しかった。長い長い幻を見ていたようだ。

そして不思議なことに関係がなくなったのは、花宮だけに限らなかった。バスケ部のメンバー…原や古橋、そして山崎までもが私に話しかけて来なくなったのだ。

花宮ほど自然じゃないけど、彼らにも避けられているような気がする。
声を掛けようと口を開いても、敢えて目を逸らすような素振りをして足早に去ってしまうのだ。

…花宮が何か言ったのかな。自分達の個人的な確執に他人まで巻き込む人ではないんだけどな。

気にしないように努めていても、やはり心は痛い。ぽっかりと穴が空いたように空虚な気持ちなのに、何もなくなったはずの胸が痛むのだ。

「えー、てっきり付き合ってるかと思ってたのにー」

クラスの子は私と花宮のことを揃って誤解していた。まるでノリちゃんみたいな反応だけど、彼女達は別に花宮の毒牙にかかってないから、興味本位でそう言ってくるだけ。

「でも花宮君さ、なんか雪葉にだけは態度違うと思わなかった?」
「あーわかる! なんかみんなに優しいんだけど、雪葉にだけは特に甘いっていうか〜」
「ま、うちら花宮君のことほとんど知らないけどね!」

多分それは私とつるんるのが"裏宮"だったせいで、他の人より気を許している素振りがそう見させていたに違いない、と思う。

「男女の喧嘩ってめんどっちいよね、友達なら尚更なんか仲直りしにくいっていうかさぁ」
「それなー、てか花宮君賢いから手強そう」
「ね、話し合うにもちゃんと整理してかないと泣かされて終わりそう」
「いやー、花宮君が女の子泣かすかー?」

泣かす泣かす。容赦ないよあいつは。

「まぁ泣かなくてもさ、幼なじみってか普通に仲良い奴と喧嘩したら凹むよね。ほら雪葉、おべんとあげるから元気出して」
「そーそー。まだ時間はいっぱいあるんだし、ゆっくり考えてちゃんと仲直りしなー」
「ありがと……好き…」

優しいクラスメイトのお陰で、その時ばかりは元気が出る。

でも、どうしてもこの大きな穴は塞がる様子がなかった。

…花宮が幸せになれるまでは一緒にいようって決めたのに。
私といることで余計幸せになれなくなってしまうというのなら、確かに離れていた方が良いんだろうか。

私を罵倒する花宮の顔、すごく歪んでた。苦しげで、まるで汚れたものを見るかのような目をしてた。

…そんなに嫌われていたんだ。私ってば何も知らずに、傍にいた。
自己満足だと吹っ切っていたはずなのに、今更こんなに悲しい気持ちになるなんて…情けない。

「まぁ花宮君のせいで雪葉取られてたうちらからすればー、別にこのまんまでも良いんだけどー?」
「こら、縁起でもない!!」
「あはは、ごめんそうだよね、私付き合いめちゃくちゃ悪かったよね」
「いいよん、花宮君と仲直りした後もたまには遊んでね」
「こちらこそだよ、ありがと」
「それにしてもさ、原とかまで雪葉無視するようになったのはさすがにやりすぎじゃない? 小学生かっての」

彼女達もそこに気づいていたらしい。私の代わりに怒ってくれるのはとてもありがたいことなのだが、それについては怒りより不思議な気持ちが先行していた。

「花宮はそういうこと指示するような人じゃないんだけど…」
「どっちかっていうと原達の独断って可能性があるんじゃない? わかんないけど」
「まあね、憶測で言うのも失礼な話だけど…でも雪葉からしたら寂しいじゃんね」
「うん…」
「あ、てか待って、そろそろ予鈴鳴るじゃん! とりあえず次体育だし早く行こ! 花宮君なんとかしよう会議はまた今度!」

ばたばたとお弁当を片づけ出す彼女達に隠れて、深い溜息をつく。
友人に恵まれたお陰で、毎日なんとか学校には来れている。でも私の失ったものはあまりにも大きく、楽しい未来というものはどうしても考えられなくなってしまっていた。

クリスマス…約束してたのにな。

「雪葉ー、早くー!」
「ご、ごめん、お手洗い行ってから行くから先に向かってて」
「わかったー、遅れないでねー!」

暖房の効いている教室から出ると、一気に冷気が襲いかかる。ぶるりと身震いしながら女子トイレに向かうその道中、向こう側から私の方をじっと見つめる男子生徒がいることに気づいた。

「…瀬戸? 何か用?」

近づいてみればそれは同じクラスの瀬戸健太郎。大きな体と仏頂面、それから人に被せる話し方のせいで彼をよく知らない人は敬遠しがちだが、うちのクラスにはよく馴染んでおり、誰とでもそれなりに仲良くしている姿が見受けられていた。

とはいえ私自身、瀬戸とはあまり話したことがない。バスケ部のメンバーであることは知っていたが、花宮はともかく原や古橋、山崎と一緒にいる時でさえ彼がそこに入ってきたことはなかったので、私の認識もバスケ部員というよりはクラスメイトとしての方が強かった。

「………あんまりこういうことに首を突っ込みたくなかったんだけど………」

言いにくそうに首の後ろを掻きながら、瀬戸は私から目を逸らした。

「……花宮と、あれで良かったの?」

彼の口から出たのは花宮の名前。どこまで知っているのかわからないが、良かったも何もあの時は他にどうしようもなかったし、良くなかったとして私にどうしろと言うのか─────到底瀬戸の短いその言葉だけでは察することができず、ただ私は唇を噛んだ。

「いやそりゃわかるよ、俺も花宮自身が動くべきだと思う。あんた達の事情をそこまで知らないとはいえ流石に今回はあいつが悪い。でも、あいつ強情だし」
「…全く意味がわからないんだけど」

少し刺々しい口調になってしまった。でも瀬戸は特に気にする様子もなく、むしろ私が理解していないことを理解していない様子で首を傾げる。

「…花宮と、喧嘩別れしたんだよね」
「…………うん」
「…………?」
「……ごめん、凡人にわかるように言って」

残念ながら瀬戸と私の頭の出来は全く違う。花宮のように経験則で予想することすらできないので、私と彼の会話のテンポは最悪だった。

「聞いてた話と違うな…」

いや、これはもはや会話をする気すらない。瀬戸は勝手に首を傾げ、「そういうことならまぁ良いや、ちょっと期待はずれだったってだけだから忘れて」なんて続ける。

「え、待って、そういうことって何? 期待外れってどういうこと?」

無様に的を得ない質問ばかり投げてしまったからだろうか、瀬戸は完全に興味を失った顔で私に背を向ける。

「ちょ、瀬戸…っ」
「こら藤枝、授業行けー」
「あ、す、すみません……」

廊下の向こうから現れた教師に一瞬気を取られ、その間に瀬戸は離れてしまった。

とぼとぼと体育館に向かいながら、ずっと考えるのは瀬戸の発言。

花宮とあれで良かったのか。
あれじゃない方法が他にあったとでも言うんだろうか。

今回はあいつが悪い、でもあいつは強情だから。
強情だから、なんだと言うんだろうか。

期待外れって、何を期待されていたんだろうか─────。

「藤枝さん、遅刻に対する言い訳は?」

…なんてことをぼんやり考えていたせいで、結局授業には20分近く遅れてしまった。










その日の放課後、委員会会議とその後の資料まとめ、そしてそこから先生の雑用の手伝いなんかを色々としていた私がふと暇になって時計を見た時には、すっかり20時を回ってしまっていた。

生徒の下校完了時間は20時半。そろそろ先生による最後の校内放送がかかるはず。

本当はもう少しやりたいことがあったのだが、仕方ないので帰り支度を始めることにする。
それにしても、今日は作業があまりに捗らなかった。ただでさえ気持ちが落ち込んでいるのに、昼にわけのわからない言葉の通り魔が現れたせいで余計な考えがずっと頭の中を占めていた。

花宮の言ってることも、瀬戸の言ってることも、まともに考えたところで意味なんてわかるわけがないってよく知ってるはずなのに。私はまだこの現状が変えられるような、私の知らない事実がどこかに落ちているんじゃないかと勝手に期待してるらしい。

「私の知らない事実って何さ、私がこっぴどく振られたって事実は変わらないのに」

誰もいないのを良いことに、こっそり独り言を呟いてみた。声という形で外に出せば、少しはこの胸の内の靄が軽くなってくれるんじゃないかと思って。でも実際は、耳からその言葉が再び体内に取り込まれて余計に重くなるだけだった。

とぼとぼと昇降口までの道を歩く。
すると体育館が見える階段を降りていく途中、ちょうど2階の踊り場まで来たところで開いている窓越しに体育館の中からバスケ部の連中が出てくるのが見えた。

「げっ」

地上からわざわざ2階の階段の窓なんて見るわけないとわかっていたのに、反射的にしゃがみこんでしまった。そうか、下校時刻ということは部活が終了した生徒も帰るということだ。

トイレに寄って少し外に出る時間を遅らせよう。間違ってもばったり会うなんてことにはなりたくない─────

「花宮ー、帰りにバッセン寄ってかねー?」
「いや良い」

…なんて考えた直後だったのに、花宮の短い声が聞こえた瞬間私は窓の桟から顔を出して階下を覗いてしまった。

原の誘いを一刀両断し、校門の方向へすたすた歩いて行く花宮。当たり前のことだけど、昨日とその姿は何も変わってない。当たり前のことなのに、それだけのことが胸を締め付ける。

……ん、花宮の向かってる先、誰かいる…?

「花宮君、遅いよー!」

目を離せないままに見つめていると、知らない女子生徒が、手を振って花宮を呼んでいるのが見えた。

「ああごめん、待たせたね」

花宮が彼女の元まで行くと、2人は並んで学校を出て行く。
私はといえば、その場にへたり込むことすら忘れて間抜けな中腰の姿勢で彼らの背中をずっと見ていた。

………………かの、じょだよね、あれ。

「っくく、花宮もひでぇことすんね。マドンナと縁切った直後に他の女の子引っ掛けるとかさ」
「そういう奴だろ、あいつは」

遠くで原と山崎の声も聞こえる。でも、脳は内容を理解してくれない。

どうせあの子だって利用するためだけに付き合ってるに違いない。そんな性格の悪い強がりを自分に言い聞かせてみても、ショックを受けている心を誤魔化すことはできなかった。
だって私は、利用されることすらできなかった。決して利用されたかったわけじゃないけど、あそこにいる見知らぬ彼女が私には許されない権利を持っているという事実は、私に避けられない虚脱感を突きつける。

そっか、彼女できたんだ。
名前のある関係は煩わしいんじゃなかったっけ。
意思のある信者は面倒なんじゃなかったっけ。

なんで私じゃだめだったんだろう。

うん、わかってるよ。
私はきっと、花宮のことを知りすぎた。
私はきっと、花宮を疑いすぎた。

もっとバカだったのなら、私は今頃花宮の隣で幸せな夢を見ていたのかな。
もっと賢かったのなら、私はあの時私の前から去った花宮の手を取り直すこともできたのかな。

もうわからない。
確かに私は彼の苦しみを傍で見ていたいと思った。彼のことを知りたかった。利害関係じゃなくて、もっと脆いところに触れたかった。私のことなんて見てくれなくて良い、報われなくて良いから、ただ隣にいさせてほしかったのだ。

でも、今それが揺らいでいるのを感じる。隣にいたいと願ったその理由が、もっと浅ましいエゴ剥き出しの欲に。
利用されるだけでも良い、傷つけられても良いから隣にいる理由が欲しかった、なんてそんなこと思いたくない。

思いたくないのに────ああ、私はどこまでも半端な人間だ。半端な人間だから、全てを取りこぼすんだ。そして後には、何も残らない。

何も、残らないんだ。



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