11.不幸に付け入られる
花宮と共に歩く帰り道、駅前の大通りにさしかかったところでこちらをじっと睨みつけている集団がいることに気づいた。数は5人。みんなそれなりに背が高く、体格も良い同世代くらいの男子だ。
「ねえ、花宮、あれ」
「井口南高のバスケ部の連中だ」
ろくに見向きもせずに言い切る花宮。その様子で、なんとなく全貌が見えた。
先週、霧崎第一は他校と試合をしていたと聞いた。どうせその相手から恨みを買ったとか、そんなところだろう。
「雪葉、先に帰ってろ」
「え、別に良いよ」
「お前は関係ないだろ」
自分の引き起こしたことだから当然逃げも隠れもせずに受け止める、以前花宮は自分のプレーについてそう言っていた。潔いんだかせこいんだかよくわからないけど、花宮がそう言うなら好きなようにさせようと、特に何も言わずにおいたことを覚えている。
そして私はそんな花宮の隣にいることを決めたわけだから、本当ならここで堂々とあなたと一緒にいると言ってやりたいところなんだけど…もし後日私をダシに花宮に危害を加えるなんてことになったら、きっと私は抵抗できずに相手の良いカモになるし、それは却って花宮に迷惑をかける。
……いや、でもまぁこれは……
「もう既に遅くない?」
見れば、その井口南高の生徒だという男子達はこちらに大股で向かってきていた。当然視界には私も入っている。
「…………はぁ、良いから今だけでも離れてろ」
そんな忠告は無視した。
「おい、花宮」
「先日はよくもやってくれたな」
「なんだ、女連れか? せこいプレーをする奴らは女にもせこい手使ってるってか?」
……霧崎第一の民度の低さは自他共に認めていること。とはいえ彼らもなかなか…あまりマナーがなっている連中とは言えない雰囲気があった。
何より、頭が悪そうだ。
「何の用?」
表とも裏ともつかない微妙な顔の花宮。その冷たさに一瞬相手はたじろいだようだったが、すぐに勢いを取り戻して今度は私の方を品定めするように眺めだす。
「彼女は意外と地味系じゃん」
「てかこの子知ってんの? 自分の彼氏が相手チームのプレイヤー怪我させて楽しんでる下種だって」
「はは、だったら趣味悪。てか今言っちゃったから知らなかったらかわいそーなことしたな」
言い返してやりたい気持ちを抑え、できるだけ感情を殺し、じっと相手の目を見つめる。
「お前らは潰す価値もなかったけどな。負け惜しみならコートの上で聞いてやるから邪魔すんなよ」
花宮もただひたすらに淡々と、相手の挑発をいなす。花宮にとってはコートの上だけが戦場であり、その他では一切相手に手出しをしないという謎の決まりがある。しかも潰す対象はいつだってバスケに一生懸命な人達。つまり潰す価値のなかったらしい彼らは、バスケをお遊び程度にしか思っていない奴らということ。
まあとはいえ、私にその"バスケに懸ける想い"の軽重を判断する資格はない。まして霧崎第一のキャプテンの傍にいる者としては、もはやバスケについて何かしらを口にする資格がそもそもない。
私はただ、この場の成り行きを黙って見守ることしかできないのだ。
「負け惜しみ? んな可愛いもんじゃねーよ。俺らはお前に復讐しに来ただけだ」
「キャプテンが折られた腕、お前の腕で返してもらうぜ」
「………………」
どう考えてもこんな大通りでやることではないし、下手をすればこの仇討ちは共倒れになって終わる。乱闘騒ぎが起きたとなれば彼らの学校の名にだって傷がつくのだ。
「…あんなもん青アザ程度だろ。つかなんだ、それはお前らのキャプテンの命令か」
「んなもん関係ねーだろ! 俺らはお前に恨みを抱いてる、それで十分だ!」
花宮は飛びかかってきた男子をひらりとかわす。受け身を取れずに地面に転んだ男子を越えて、また別の男子が向かってくる。それをまたかわして、かわして、かわし続ける。
決して自分から手は出さなかった。その動体視力と予測能力、そして身体能力で攻撃を軽くかわしていくだけ。
それはもう見事なもので。相手がどれだけ果敢に攻めてきても、一発も当たらないのだ。
そのうち彼らは花宮をまともに相手どることができないことに気づき、矛先を私に向けたようだった。こちらを睨みつけ、拳を構えて殴りかかってくる。
「っ…」
当然、それが予想できない花宮ではない。素早く私の前に回り込むと、庇うように片腕で私を抱き寄せ、空いたもう片方の手のひらで相手の拳を受け止めた。
「!?」
まさか正面から受け止められるとは思っていなかったのか、男子は驚いた顔をして一瞬怯んだ。
「………花宮、もう良い?」
「ああ」
私にまで手を出そうとしたことでこの勝負の結果は明白になった。花宮の許可を得た上で私は大きく息を吸って───────…
「きゃーー!!!!」
と、叫んだ。
道を通る人の目が、一気に集まる。特にここは学校も近い大きな駅前。交番だってあるし、この声を聞きつけて警察がやって来るのも時間の問題だ。
そうなれば花宮はともかく私には何の罪も、狙われる謂われもないので、彼らに勝ち目はない。
「くっ、なんだこの女、今更─────」
「お、おい、流石に目立ちすぎだ!」
「くそ、これで終わりと思うなよ!」
井口南高の生徒は、尻尾を巻いて逃げて行った。
「んっんっ……突然叫ぶと喉が痛いな……」
人目を集めてしまったので、一応傍目には被害者面をしつつ、私は花宮に肩を抱かれながら駅へ向かった。改札付近まで来る頃にはその人通りの多さが幸いして元通り私達に目を向ける人などいなくなり、彼の手も離れる。
「一応しばらく警戒しろよ、お前に狙いを変える可能性もある」
「そうする」
「暫く一人で登下校するのやめろよ、部活が終わるまで待ってろ」
「え、嫌だよ遅いじゃん」
「身の危険を回避するためなら早い」
まるで親のようなことを言うこの人でなし。でもそんな風に言うってことは、一応自分の撒いた火種のせいで起きてることっていう自責の念があるんだろうか。
「大丈夫、人通りの多い道を選んで帰るし、ちゃんと周りにも気をつけるから」
「あのなぁ…」
「それより花宮の方が危ないのはわかってるよね? あなた被害者の前に加害者なんだから、集団リンチとかされても庇えないよ」
「庇うな、拗れるから」
「…………」
自分のしたことに責任を持つその潔さは嫌いじゃないけど、私が彼を不幸だと思ってしまうのはこういうところ。
そんなに苦い顔をして言うくらいなら、最初から加害者になんてならなければ良いのに。ラフプレーに頼らないと勝てないほど霧崎第一のチームが弱いなんて、きっと誰も思ってないのに。
相手を潰すという行為は紛れもなく彼自身が望んでやっていることだけど、その先に手に入る勝利があまりにも虚しすぎて、彼を苦しめている。
どうしようもない人だ。そのどうしようもない生き様が、愛おしい。
「…庇わないけど、傍にはいるね」
「いなくて良い、うざったいから」
花宮は嫌そうに言ったけど、その顔はあまり歪んでいなかった。それが嬉しかったのだろうか、私の心は少しだけ、弾んでいた。
それから1ヶ月、私を一人で帰らせたくないと言い張る花宮をなんとか説き伏せつつ、今まで通りの日常を過ごしていく。幸いにして井口南高の生徒の影は見えず、私の警戒は杞憂に終わっていた。
街はもう12月。クリスマスムードに溢れている中で、乱闘騒ぎの気配はさすがにないか。
「花宮がだいぶ悩んでたよ」
と言うのは原。下校前に生徒指導の先生に呼ばれたと言う花宮を待っている時に偶然会っただけなのだが、口にされた言葉は案外重みのあるものに思えた。
「なんで?」
「こないだ井口南の奴らに絡まれたんだって? 今回はさすがに守るけど、花宮の傍にいることで今後もずっと危険に晒すようならむしろ距離を置いた方が良いのかな、みたいなこと言ってた」
「…それこそバカバカしい」
「マドンナならそう言うと思うよーって俺らも言ったんだけど、あれは結構いらいらしてたね」
花宮なら、いずれそういうケースが出ることだって予想できているものだと思ってた。危険なんて全部承知で、私を傍に置いてるものだと。
というか、花宮が私を傍に置いてる目的ってその程度のことで止められるようなものだったわけ?
「花宮は、自分の意思でああいう敵を作るような真似をして、自分自身で責任を負ってるよね。だから私もそういうのの是非については何も言う気がないし、実際言わずにやってきた」
「うん」
「だから、私がどこに自分の身を置くかは、私が決める。私だって、自分の意思で、自己責任で生きていく」
原の風船ガムがぱちんと割れた。ひゅう、と茶化すような声が割れたガムの隙間から漏れる。
「やっぱマドンナかっこいーね。そんなに花宮のこと好き?」
うん、好きだよ。
本当の言葉を胸の奥に押し込めて、にっこり笑う。
「雪葉、帰るぞ」
その時ちょうど花宮が来てくれたお陰で、それ以上原に何かを追求されることはなかった。
「じゃあね、原君」
「うん、おつー」
花宮は今度追加される新しい校則について、先生から意見を求められていたらしい。さすが優等生の風紀委員、どれだけ性格が歪んでいても表面が綺麗に繕われているおかげで先生からの評価は抜群だ。
「改めて考えると花宮が校則遵守してるのって笑えるよね」
「るせえな、処世術だよ」
指定のコートをきちんとボタンも留めて着ている花宮は、不機嫌そうに一言だけ言った。
「処世術って…じゃあそのまま大学も推薦とか狙うの?」
「何言ってんだ、推薦じゃ実力より低いとこしか行けねえだろ」
「だよねー。花宮は東大一択って感じする」
「あるいは海外」
「…………本気?」
「さーな」
まぁでも、花宮なら十分狙えるんだろう。寂しいけど、行くと言われたらそっかぁって淡々と見送る自分の姿しか想像できない。
「お前は大学どこ行くの」
「んー、都内のどこか…私数学苦手だし、文系科目で私立を狙うかなぁ」
「学部は?」
「まだ決めてない」
冬が明けたら私達も3年生。いよいよ、本格的に未来のことを考えなくてはいけなくなる。
ああ、憂鬱。この何も考えなくて良い時間がずっと続けば良いのに。毎日がお休み、毎日が自由。
…お休みといえば、今年ももうあと少しで終わりだ。来週には終業式があり、短い冬休みに入ることになる。
「もうすぐ冬休みだね。花宮は冬休みもずっと────…」
「………来週の土曜、付き合え」
「…えっ?」
ほんの雑談の延長でそんなことを言ったら、脈絡もなくそんなことを命令されてしまった。私の予定なんてお構いなしなのはいつも通りだけど、休日に誘われるのは初めてだ。少し、そわそわする。
「来週の土曜…って何日だっけ」
「何日だろうが暇だろ」
「花宮は部活ないの?」
「ないから言ってんだよ、バァカ」
「まあそれなら良いけど…でも何、突然」
ええと、今日が13日の火曜日だから、来週の土曜は………あれ、もしかして…………
「……24日…………?」
12月24日にわざわざお誘いがかかる、この意味がわからない程鈍感ではない。
「……………」
「……………………花宮、その日何の日か、知ってる?」
「バカにしてんのか!」
食い気味で怒られてしまった。
でも、その日に誘われる意味がわかるからこそ、花宮が私を誘った意味がわからなかった。
なんで?
クリスマスに彼女いないのが寂しいから?
いやでもこいつはそんなことを言うような人間じゃないし、いや、本当になんで?
「…何をお企みで?」
「企んでねえ」
いや待てそもそも2人と考えるのが早計だ。部活の面子と何かするのにまた興味本位で私が呼ばれてしまっただけかもしれない。
「他に誰が来るの?」
「誰も来ねーよ! なんださっきから! 来たくねえならはっきり言え!」
花宮、絶好調で怒ってる。
でも私としても、このくらいの予防線は張っておかないと浮かれてしまいそうで困るのだ。
好きな人にクリスマスデートに誘われるなんて、生まれて初めてだから。
「行く、行きたいです」
「………フン」
「だって花宮にそんな誘われると思ってなかったんだもん。中学の時だってなかったし」
「まぁ、あの時は………」
なんとなく、気持ちはわかる。
私達は互いを探るのに精一杯で、それどころじゃなかったから。
じゃあ、今は?
今こうやって誘ってきてるのは、どうして?
「…理由を聞いても?」
「保留で」
「…私があなたとバイバイしない限り教えてくれない疑問シリーズね」
体よく回答を断られた私は思わず溜息をついた。
「…じゃあ勝手にデートのつもりで行くけど、それで良い?」
「…勝手にしろ」
短く返事をした花宮の耳が少し赤い。
……まさかね。
そんな風に、少し浮かれてしまっていたのが悪かったんだろうか。
あるいは最初から、花宮と一緒に歩いていたせいで、油断してしまっていたんだろうか。
もう今となっては何が悪いのかわからないけど、とにかく私はその時、花宮とのデートには何を着ていこうかってそればかり考えていたのは事実。駅前の大通りに差しかかって、人ごみに揉まれながら、花宮の少し後ろを歩いていた。
そうしたら、突然人の波の中から伸びてきた手に、腕を捕まれた。
「!?」
声を上げる暇もない。人の群れの中をぐいぐい引っ張られ、私の体はいとも容易く腕を引く方へと流されていってしまう。
花宮の姿は、あっという間に見えなくなってしまった。
「ちょっ、離して────!」
迷惑そうに私にぶつかりながら歩く人々。それが途切れた時、やっと相手の顔が見えた。
「!」
それは、1ヶ月前にも見た顔。
「ちょっと、協力してもらうよ」
井口南高の、男子生徒だった。
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