足音が消えたことを完全に確認してから、私とリーマスは部屋を急いで飛び出した。そこからは自分達の走る音も、声も、体にまとわりついた大量の埃も気にすることなく、先程スネイプ達が歩いてきた方へと駆けて行く。
「今の────」
「ポリジュース薬か何か…とにかく、中身は別物だと思う」
リーマスも私と同じ意見のようだった。
自分のことを「スラッギー爺さん」と呼び、スネイプに対して怯えたような表情を見せていたスラグホーン先生。
先生とスネイプのどちらにも乱暴な言葉を使い、「僕が変化しているレイブンクローの女」とハッキリ口にしたレイブンクローの女の子。
間違いない。
スネイプは本物である確率が高いものの────少なくとも他の2人は、見た目通りの人物ではない。
私自身が以前ポリジュース薬でリーマスになりすましたことがあるから、"それが実現可能"であることは十分に承知している。どういう理由か知らないが(偽スラグホーン先生は「調査」と言っていたっけ)、彼らは別人になりすまして、それぞれの"顔"がないとできないことをしようとしている。
「あのレイブンクローの生徒の本体、ちゃんとこの先にあるかな?」
私達は今、その生徒を救出するために走っていた。
乱暴な言葉遣いの人が言っていた、「今さっきぐっすり睡眠薬で眠らされた」という言葉が本当に"今さっき"起きた出来事なら、本体はこの先にあるはずだ。
「わからないけど────あの先にあるのは、今はほとんど使われてない空き教室だ。隠されてるわけじゃないけど、わざわざこんなところに来る生徒なんていないから、かなり昔に持ち込まれたらしい違法な道具とかが置いてあるのを見たことがある」
流石、既に"パトロール"済のリーマスの答えには淀みがなかった。そういうことなら、多少隠すものは大きいにしろ、この奥は"隠し場所"にうってつけということになる。
「どういうことだと思う? "調査"とか、"レイブンクローの談話室に忍び込む"とか────」
「どうだろう。ただ、懸念するならもう一つワードを付け加えた方が良いのは間違いないな」
「────"死喰い人"か」
「だってスラッギー爺さん、死喰い人は明らかに嫌ってるんだぜ。これがバレたら────」と言っていた偽スラグホーン先生。
これがバレたら? バレたら、何かマズいことになるの?
死喰い人を嫌うスラグホーン先生にバレてはならないこと────つまり、バレなければ死喰い人にとって何か有益になるようなことを、彼らはしようとしているってこと?
「あの噂、本当なのかな…。ホグワーツの生徒から死喰い人を出そうとしてるっていう、ヴォルデモートの動き」
「それも今の時点ではなんとも言えないな…。とにかくこの先で彼女の本体があるかどうか確認して、それからスリザリンとレイブンクローの寮に行かなきゃ」
「そうだね」
ひとまず考えることは後回しにし、私とリーマスは廊下の突き当たりにあるたったひとつの部屋に飛び込んだ。
そこは先程入った掃除道具入れなんかよりずっと狭い部屋だった。人ひとりがなんとか暮らしていけるかどうか、その程度の広さだ。おまけにそんな部屋の中は本や服や文房具────リーマスが言った通り、ありとあらゆる"隠し物"、あるいは"忘れ物"が雑多に積み上げられていて、とても特定のものを探せるような状態ではなかった。
しかし、探そうとしているものが"人間"ほどの大きさともなると────。
「いた! こっちだ、イリス! レイブンクローの生徒が倒れてる!」
咄嗟に背を向け合って、手近な道具類をかき分け始めた途端、リーマスが叫んだ。
探すまでもなかった。すぐに後ろを振り返ると、クローゼットに掛けられた大量のローブの隙間から、"人の脚"が覗いていた。
これで"ここに人がいる"とわかっていなかったら、私は悲鳴を上げていたかもしれない。
ただその時は"ここに人がいてくれている"という安堵で、ただひとつ溜息をついただけだった。
「エネルベート!」
リーマスが急いた口調で活性化の呪文を唱える。睡眠薬がどれだけ強力なものかなんて知らないが、少なくともリーマスの呪文よりは効果が弱かったらしい。少しの間を挟んで、7年生の女子は「う…ううん…?」と身じろいだ。
ゆっくりと瞼を開けると、まず私とリーマスが顔を覗き込んでいることに驚いたらしい。「キャッ!」と叫び、リーマスを突き飛ばした。それから辺りが薄暗い空き部屋だということに気づいた様子で、「何を…何をするつもり!?」と杖を出してくる始末。
「落ち着いて。私達、あなたのことを助けに来たの」
活性化させるためとはいえ杖を出していたリーマスは即座に杖をローブにしまい、私達は揃って両手を挙げた。言葉と仕草で敵意はないことをようやく理解してくれたのか、これも数秒ほどかけて、レイブンクローの生徒は杖を下ろしてくれた。
「────あなた達、グリフィンドールの監督生ね?」
「そう。私達はさっきクリスマスの飾りつけをしてる間に、スネ────スリザリンの生徒があなたに化けて、レイブンクローの談話室に忍び込む計画を立ててるところを見たの。だから急いで本人であるあなたを探しに来たんだ」
本当はもう少し落ち着いて話がしたかったのだが、状況が状況なのでそうも言っていられない。怯えた表情を消してくれたのは良かったが、彼女は私の言葉が信じられないというように「…何、それ」と今度は唖然としてしまっていた。
「ここに運び込まれる前、自分が何をしてたか覚えてる?」
「ううん、全然…。ただ、私は寮に戻ろうとしてひとりで歩いてただけなの。そうしたら突然後ろから何かの気配がして────気づいたらここにいて、あなた達がいたわ」
「ひとりで? その時周りに人がいたかどうか、覚えてる?」
「よ…よくは覚えてないけど、多分いなかったと思う…。だって西塔の先端に向かう生徒なんて、レイブンクロー生くらいのものでしょ? ただでさえ休暇前で人の往来が少ないのに…」
やはり、彼らは人がいない時を見計らい、"その場にひとりでいたから"という理由だけでこの生徒を利用したのか。
私は黙ってリーマスを見た。リーマスも黙って私を見た。
事情を知らない生徒がいる以上、私達が憶測で物事を話しすぎるのはあまり賢くない────ただ、これからすべきことなら確認した。
「イリス、君は彼女をレイブンクローの談話室へ」
「わかった。リーマスはスリザリンに…大丈夫?」
「大丈夫。ヘンリーなら協力してくれるよ」
最低限の会話だけを交わすと、リーマスは来た時同様素早い動きで部屋を出て行った。
「突然のことで驚いてると思うけど、誰かがあなたを利用してあなたになりすまし、レイブンクローの談話室に忍び込もうとしてる。これは事実なの」
「っ────…」
「だから、私はこれからそれを止めに行く。できればあなたにも協力してほしいんだけど────ええと────」
「…────ハリエットよ。ハリエット・クレイグ。事情はわからないけど、あなたの言うことを聞くわ。何をすれば良い?」
最初の衝撃から立ち直ったレイブンクロー生────ハリエットは、思っていたより呑み込みの早い女性だったようだ。さっと立ち上がると、私より先に教室を出て行こうとする。
「え、えーと…ただ談話室に帰るだけで良いよ。同じ人が2人もいたら、あんな場当たり的な変装がバレるのは一瞬だと思うし。でも念の為、あなたが"あなた"だって証明できる人がいれば良いんだけど────」
「そうね。途中でレイブンクロー生がいたら捕まえてから行きましょう」
恐ろしい現実への状況処理速度だ。これがレイブンクローの持つ叡智の素質が為す業なのだろうか。
階段を上がり、スリザリンの寮がある階まで戻る。走っている間に何事かをヘンリーと話しているリーマスの姿が見えたが(「スラグホーン先生ならさっき見たよ」、「突然で驚くだろうけど、あれは偽物の先生である可能性が高い────」)、私は何も声を掛けず、そのまま地上階へと上がった。
そのまま、まっすぐ西塔へ。
「あの────ハリエット?」
「なに?」
ハリエットの足取りには迷いがなかった。スリザリンか誰か────とにかく死喰い人の仲間になりかけている連中のすることを阻止するために、いち早く彼女には寮へ戻ってもらわないといけないので、彼女が協力してくれることは素直にありがたかったのだが────。
ちょっと、理解が早すぎない?
「あの、足を止めるつもりじゃないんだけど────どうしてこんなにすぐに信じてくれたの?」
信じてもらわないことには何もできないのだから、黙って受け入れれば良いものを、私の好奇心はついそんな道理を抑えて彼女に素直な疑問をぶつけてしまった。
ハリエットは目線だけこちらに寄越して、「何をそんなことを」と笑った。
「そんなの、あなたがグリフィンドールの監督生だからに決まってるでしょ!」
「え────?」
それだけ?
「お忘れ? うちの寮には、才媛と名高いマゴット姉妹がいたのよ」
「あっ…」
「姉からも妹からも、あなたの話は聞いてるわ。公平で、些か自主性には欠けるけど"監督生"という名に相応しい品格を持ってる生徒だってね。レイブンクローの生徒が信じるものは、自分の力で得た知識と経験のみ。そして自らが信じたものを、私達は疑わない。レイブンクローの体現者のようだった彼女達が"監督生として相応しい"とあなたを評価したのなら、その言葉がどれだけ現実離れしたものでも聞き入れる価値はあるのよ。もちろん、私だってレイブンクロー生だから、今はあなたの言っていることを"聞き入れる"だけで、"信じる"かどうかはこれから判断するわ。そのためにも、まずは談話室に戻らないとね」
────そんなところで、私はまたもや他者から知らない間に評価されていたのか。
モデルのような美人で、一見クールに見えるが話してみるととても気さくな姉のマチルダ。
顔はマチルダによく似ているが、もっとキビキビとしていて、でも少しだけ個性的なメイリア。
彼女達との交流がこんなところで良い方向に転ぶとは思っていなかった。
自覚していなかった"監督生"という肩書きが、今更になって私の背にのしかかる。
私が監督生でなければ、マチルダはともかくメイリアと知り合う機会はなかった。そして"グリフィンドールの監督生"として、他寮の生徒からその存在を覚えてもらう機会もなかっただろう。
「おっと…噂をすれば────メイリア!」
西塔の階段を上がる途中、ハリエットは4階の廊下の真ん中で飾りつけ作業にかかっているメイリアを見つけてくれた。
「ハリエット! それにイリスまで…どうして?」
「お願い、イリスに免じてちょっと談話室まで来てほしいの!」
メイリアは一瞬迷うようにハリエットと私を見比べた。
その間、わずか数秒。彼女はその場にいたもう1人の監督生、レイに「ごめん、少し空けるわ」と言ってこちらに走って来てくれた。
────ここにも、何も言わずに"聞き入れて"くれる人がいた。
「────まあ、自分で考えて信じたものなら疑わないって利点が裏目に出て、寮生同士の会話が疑い深くなっちゃう節はどうしてもあるんだけどね。でも第三者のあなたを引き合いに出したことで、その遅れもかなり縮まったわ」
「十分だよ、ハリエット」
疑い深いなんてとんでもない。
メイリアは、ハリエットと────そして、私の"監督生"という立場を信じてくれた。
グリフィンドールのように情で動くタイプでもなければ、スリザリンのように損得勘定で動くタイプでもない。彼女達はまさに自らの得た知識と経験に基づき────冷静に、そして瞬時に状況を見極めて、"自分のために"動く人達だった。
「走りながらで良いわ。どういう状況?」
「さっき、地下でハリエットの姿に変装した誰かを見た。レイブンクローの談話室に忍び込むって話が聞こえたから、急いで本物のハリエットを探して、今はこうして一緒に寮に戻ろうとしてるところ。メイリアには────」
「このハリエットが本物だって証人になれば良いのね。その上で、誰だか知らないけど…その不届き者に然るべき処罰を受けさせると」
────恐るべし、レイブンクロー。
「────でも、このハリエットが本物だって証拠は? その偽ハリエットが彼女の姿に変化することができたのなら、今一緒にいるハリエットだって偽物である可能性を排除できないわ」
メイリアの言うことはもっともだった。とはいっても私だって、ハリエットに会ったのは今日が初めてなのだ。彼女が本物であるかどうかなんて立証できない。なんなら私は"とりあえず談話室に2人のハリエットを遭遇させて死喰い人の企みを阻止できれば良い"としか思っていないので、そこまでちゃんと考えていなかった。
一緒には来てくれていながらどこか疑っている様子のメイリア。さてどうしたものかと考えていると、またもやそんな疑問を笑い飛ばしたのはハリエット本人だった。
「偽物がわざわざ聞き出さないような細かいプロフィールを公開すれば良いのね? 私は卒業後にコリーを飼って、その犬に初恋の人の名前────ジャスティンって名前を付けるつもりよ。これで良い?」
「ええ、ありがとう。その話なら、確かに3年生の時に一度聞いたわ」
スラスラとそんな"誰も興味を持って聞かなさそうな話"を持ち出すハリエットに、"いつその話を聞いたか"正確に答えるメイリア。この計画は私を起点に動いているはずなのに、なんだか私ひとりだけが置いて行かれているような感覚を抱いた。
すごい、頭が良い人って、こういう人のことを言うんだ────そんな場違いな感動を、止められずにいたのだ。
「さ、談話室に到着よ。偽物の私は今頃何をしてるのかしら────」
談話室の前には、鷲の形をした大きなドアノッカーがついていた。グリフィンドールのように合言葉を言わないと通れない仕組みになっているのだろうか。しばし前を走っていた2人(いつの間にか本当に私は置いて行かれていた)に合わせて黙っていると、やおら鷲の口が開いて言葉を発した。
「1人は持て余し、2人は十分、3人は駄目になるもの。これは何?」
────は?
「え、何────」
「ちょっと黙って」
太った婦人のように意味のわかることを言うでもなく、何か────何か答えを求められているらしいことはわかるのだが────まさか、それが合言葉?
「1人で持て余すもの…2人で十分で、3人になるとダメになるもの…そうね…"秘密"、とかどうかしら」
メイリアが少し考えた後、"答え"を口にした。
そしてその瞬間────。
「よくできた推理です」
────扉が、開いた。
中に入ると、爽やかな広い円形の部屋が目の前に広がった。壁にはアーチ形の窓と、そして青と鈍い金色のカーテンがかかっている。まるで星見に来たかのような、涼やかな夜を思わせる部屋だった。
そんな優雅な部屋の真ん中に────ハリエットが、いた。
談話室にいるのは、3人程度の少人数のグループがいくつか。そのうちのひとつ、3人組で集まっている様子の女子生徒に、何かしきりに話しかけている。
「あっ!」
私達3人が声を上げるのと、偽ハリエットが私達に気づいたのは同時だった。偽ハリエットはあからさまにギクリとした顔を見せたが、すぐに厳しい顔つきを────レイブンクロー生がよく授業中に見せるような表情になると、私達を威圧的に睨みつけた。
程良い人の気配に満ちていた談話室が、シン…と静まり返った。
誰もが、私達を見ている。いや、ハリエットと偽ハリエットを見比べている。
「あんた、何者よ」
偽ハリエットの声は────声自体はハリエットとよく似ていたが、今まで本物と会話をしてきた身からすると違和感しかない刺々しさがあった。よくもまあ、こんな猿真似で何事かを調査しようと思ったものだ。
「あんたの方が何者なの? 良いこと、私はレイブンクローの監督生、メイリア・マゴットです。この寮の生徒のことなら誰よりも見てきている私が言うわ。私の隣にいるこのハリエットだけが、唯一無二の本物であり、それ以外のハリエットは全て偽物だってね!」
メイリアの鋭い声が、偽ハリエットの出鼻を挫く。
とても奇妙な光景だった。数年前、私がリーマスになった時は、自分とリーマスを鏡で並べて見る機会がなかったから実感がなかったが────そうか、全く同じ人が2人いるという違和感は、こんなにも看過しがたいものだったのか。双子と言うにもあまりに似すぎている────というか、全く同じなのだ。髪の癖も、ほくろの位置も、体つきも、何もかもが。
偽ハリエットは早くも言葉を失っていた。
「────っ…それより、その監督生さんが他の寮の生徒なんて連れ込んで良いわけ? 私達レイブンクローの叡智を他の寮の者に漏らすなんて────」
そして、自分が本物だと証明するより"私という部外者"に目を向けさせる方が楽だと判断したのだろう。私を指さして、メイリアの言及には応えないまま叫ぶ。
しかし────。
「そのレイブンクローの叡智が、不当な方法で、素性もわからない者の手によって穢されようとしている現状をどうして見過ごせるというの!」
メイリアの喝は、談話室を痺れさせるほどの勢いで辺りに轟いた。低学年と思われる女子生徒が「ヒッ」と恐怖から小さな悲鳴を上げる(その様子が1年生の頃のピーターと重なって、なんだか可哀想に思えてしまった)。
偽ハリエットはもはやハリエットになりきることを諦めていたようだった。怯む様子のない本物のハリエットと、怯むどころか偽ハリエットを完全に威嚇しているメイリア、そしてそもそも本来はここにいるべきですらない部外者の私。それぞれを見比べて、事情はともかく自分が劣勢に立たされていることくらいは理解したのだろう。
何やら覚悟したような面持ちになったかと思うと、偽ハリエットはおもむろにローブに手を突っ込み────。
「ステュ────」
「インカーセラス!」
────魔法を、かけようとした。
しかし、そんなことはとっくに予想していた。
そもそも監督生のメイリアと本物のハリエットが乗り込んできた時点で、どう足掻こうが偽ハリエットが"偽物である"ことはすぐに割れる。スネイプ達とのあの会話を思えば、偽ハリエットがそこまでこの事態に対して悲観的に考えている様子はなく────つまり、不測の事態に対処する手段を"武力"しか持っていないことになる。
武力、つまり呪いだ。
だから私はこの機会を狙っていた。
偽ハリエットが追い詰められ、後先のことなど何も考えずに杖に頼る瞬間を。
私が杖を上げる行為が許される瞬間を。
結果として、偽ハリエットは私達を麻痺させようとしたが────私の体縛りの呪いの方が早かった。当然だ、予想していたのだから。どこからともなく現れた縄にきつく縛られ、偽ハリエットは悪態をつきながら床にバタンと倒れ込み、一切自由の利かない手足でジタバタともがいていた。
「あ、ありがとう…イリス」
驚いたようにメイリアが私に言う。ハリエットは怒った様子で偽ハリエットにズンズンと近づき、縛られた反動で放り投げられた杖を「フン!」と奪い取っていた。
「ここにいる人達に危害がなくて良かった。この偽物はどうする?」
「そうね…ポリジュース薬で変身しているなら、時間が経てば元の姿に戻るでしょうけど…下の学年の子もいる中でこんな無法者を放置するのは気が引けるわ…」
「かといって別の場所に移動して逃げられるのも嫌よ、私」
余程自分になりすまされたのが癪だったのだろう(クオリティも相当低かったし)、ハリエットは後から怒りが充満してきたといった様子で腰に手を当てている。
「────少し、思い当たることがあるんだ。この件、私に預からせてもらえないかな?」
そんな中で声を上げるのは少し勇気の要ることだった。
これは、私が"監督生"であり────そして、それ相応の信頼を勝ち得ていないと、思い通りには進められないことだ。
案の定、2人は不審そうに私のことを見た。自分の寮で起きた不祥事にどうしてグリフィンドールが首を突っ込んでくるのか、と言いたげなのは明白だ。
「もちろん、犯人が誰だったかわかった時には報告するし、フリットウィック先生にもちゃんと指示を仰ぐから」
まだ納得する様子はない。
仕方ないか、と思い、私はある程度の真実を明かすことにした。
あまり下手な噂を立てられても困るのだが────ここは、叡智の寮生の頭脳に期待を持つことにしたい。自分の力で得た知識と経験に基づいて物事を判断する彼女達の高尚な精神を、私も逆に信じたい。
不確かな情報だけで何かを断ずるようなことはしないと。
憶測だけで人々を恐怖に陥れるようなことはしないと。
その上で────必要とあらば、再びこうして協力してくれると。
「メイリアにはさっき説明しきれなかったんだけど────この件は、実は私とリーマスが"スリザリン生が複数の寮の内情を探ろうとしてる"計画を聞いてしまったから明るみに出たことなの。だからこれはレイブンクローだけの問題じゃないし、グリフィンドールだけの問題でもない。そういうわけで、この後はスリザリンに留まっているリーマスとも一度話を合わせて、本当に然るべきところに通告したいんだ」
ハリエットとメイリアは顔を見合わせ、まだ悩んでいるようだった。そりゃあ、そんな話を突然聞かされたところで信じろという方が難しいのだろう。自らの経験で得たもののみを信じる素質を持っている彼女らなら、尚更だ。
ただ、これ以上のこととなると私にもまだわからないことが多すぎる。そんな状態で他人にあれこれ言い触らしていては────それこそ、さっきのなぞなぞ合言葉のように、この大きな"秘密"がダメになってしまう。死喰い人が関わっているとなると、最悪の場合、無関係な他の生徒を更に危険に晒す可能性だってあるのだから。
「────ひとつ、尋ねて良い?」
メイリアが私に質問の許可を求めた。頷いて、彼女の問いを待つ。
「────もしハリエットに変化していた人間がグリフィンドールの人間だったとしても、あなたは下手にその生徒を庇い立てすることなく、本当に然るべきところに通告すると、約束してくれる?」
一瞬だけ、揺らぐ。
そうか────スネイプと一緒にいたせいで、ついスリザリン生の仕業だとばかり思い込んでしまっていたが────私の寮から犯人が出ることもありえるんだ。むしろ化けたうちの1人がスラグホーン先生になりすましているということは、スネイプ以外の生徒はスリザリン生でない可能性だってある。
どうしてそれを考えなかった?
自分と同じ寮に帰り、同じものを学び、同じものを食べて同じものを目指して切磋琢磨してきた────あの、グリフィンドールのうちの誰かが、今ここに縛られているかもしれないのだ。
私は、その時どうするんだろう。何を思うんだろう────。
しかし、すぐにそんな迷いは消えた。
「約束する。ゴドリック・グリフィンドールの騎士道精神と────それから、私自身の正義にかけて」
死喰い人が関わる案件。他の寮の談話室に不当に忍び込む行為。それがバレそうになった瞬間の、あの一方的な攻撃の構え────。
狙いはわからない。正体もわからない。
それでも、私にとって目の前の偽ハリエットは"敵"だと、私の理性と本能が同調して告げていた。
それならば、たとえ相手が誰であってもやることは変わらない。
私は(レイブンクローの2人の手前、名目的にグリフィンドールの名も出したが)、何より私の引いた"ライン"を必ず守る。
「────わかったわ。こいつはあなたに預ける」
すると、メイリアはそう言った。挑戦的な目だったが────そこに先程までの疑うような視線は、もうなかった。
「メイリアがそう言うなら、私からも特に反対しない。ただ、犯人がどこのどいつかだけは正しく教えて」
彼女に続いて、ハリエットも同意してくれる。こちらはキツい口調の条件つきだった。
「ありがとう」
「私達が"知"を尊んでいることと同様に、あなたとリーマスが"正義"を尊んでいることを信じる。いくらあなた達がちょっとした"悪戯"にはお目こぼしするような人達だったとしても────」
「大丈夫。明確に断ずるべきラインは、弁えてる」
「そう思ってるわ」
そして、私は偽ハリエットを浮遊呪文で空に浮かべ(ハリエットが「自分の姿が横たえた姿で浮かんでるのは気持ち悪い」と言うので、立ったままの状態で浮かせるのに苦労した)、再び地下牢に戻るべく談話室を出た。メイリア達は寮生に今の出来事を説明しないといけないから、と談話室に残るようだった。
「────…」
とてもこんな不気味な縛られ人形と一緒になんて、歩きたくないよね。
そう思った私は、偽ハリエットに目くらまし術をかけて、疑似的に彼女(?)を透明にした。
縛って杖を取り上げて失神までさせた上に目くらまし…と思うと、自分が偽ハリエットに対して行った処遇の一体どれだけが正当防衛になるだろう…なんて余計な考えまで浮かんでしまうが、「全部正当防衛!」と必死に言い聞かせる。
とにかく、スネイプと死喰い人が絡んで、先生や他の寮の生徒の目を欺いて何かを聞き出そうとしてるなんて、メイリアの言う通りとても見過ごしていられない状況だ。私がこの人を"罰する"ことはできなくても、罰するべき人のいるところまで"連行"することなら許される────んじゃないだろうか。
相変わらず肝心なところでグラつく自分の心を叱咤しながら、階段に足を掛ける。
その時だった。
「イリス! ちょうど良かった!」
階下からヘンリーの声が聞こえた。ここまで走ってきたらしい。息を切らして汗を垂らしている姿は普段のヘンリーからは、想像もできないほどの必死さが伺える。
「リーマスから話は聞いた! こっちはスラグホーン先生を起こして、先生の監視の下スネイプともう1人の偽先生を校長室に連れて行ったところだ! 僕はダンブルドア先生から君を連れてくるように言われてここへ────」
「わかった、ありがとう」
行き先変更、地下牢を通る手間が省けて良かった。
ただ、同時に────やはりこれは校長先生をも動かす大事件だったのか、と今更ながらに背筋が凍り付いた。
「リーマスや本物のスラグホーン先生は無事?」
「大丈夫。今、リーマスも先生も、犯人達もみんな校長室にいるよ。僕は…ごめん、言外に退室を促されてしまったから、このまままた寮に戻るけど────」
「私なら大丈夫だよ。心配ありがとう」
それでもまだ心配そうにしているヘンリーだったが、彼はちゃんと校長室の前で立ち止まり、寮の方へと戻っていく素振りを見せた。
「あ、そうだ。合言葉は────ガトー・ショコラ!」
去り際にヘンリーが合言葉を唱えてくれたお陰で、校長室の前のガーゴイルが飛びのき私に道を開けてくれた。
ここを通るのは約1年半ぶり────シリウスが、セクタムセンプラの呪いにかけられた翌朝以来のことだ。あの時も、こんな風に心臓をバクバク鳴らしながら階段が昇りきる瞬間を待っていたんだっけ。この先にいる人が平等で優しいお爺さんの魔法使いだということがわかっていても、どうしても死刑台に向かう囚人のような気持ちになってしまう。
私はまだダンブルドア先生と初めて間近で対峙した時に感じた、あの畏怖を忘れられずにいた。
やがて階段が止まり、私は校長室の扉の前に立った。
入室する前に、偽ハリエットの目くらまし術を解く。
────その頃には、ポリジュース薬の効き目は切れていた。そこには、名前も顔も知らない────いや、顔はどこかで見たことがあるような気がするか────?
とにかく、そこに横たわっていたのは、直接の面識はない生徒だった。
少なからずグリフィンドール生でなかったことに安堵して、私は校長室のドアをノックする。
「お入り」
ダンブルドア先生の声に応え、「失礼します」と言いながらドアを開けた。
中には、リーマスとスラグホーン先生、それからスネイプと────やはり顔だけならどこかで見たことがあるような気がするものの、会って話したことはない生徒が1人、ぶすくれた顔をして立っている姿があった。
スネイプともう1人の他寮生が、失神して縛られているハリエット"だった"生徒を見て、私に敵意を剥き出しにした視線を向ける。
「っ!」
「────さて」
しかし、ダンブルドア先生のいつになく厳しい声がそれを遮った。その一声で戦意を完全に喪失したように、2人はその場で項垂れる。
「これで全員揃ったようじゃの。それでは、説明してもらおうか────全員、順番に、見たことと、したことの全てを」
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