クリスマス休暇中、シリウスと離れていたことは、私にとって多面的に幸いした。
リリーやジェームズ達から、私の知らないシリウスの話を聞かされて────そして、それを十分頭の中で揉み解す時間も与えられて────私はなんとか、彼が帰ってくるまでに"シリウスはどうやら私のことが好きらしい"ということを客観的に呑み込めるようになっていた。
ただ、それに対する自分の答えが出ていない以上、やはりどう接するべきかという迷いは残っていた。
相手が自分を好きでいてくれているのに、どっちつかずな態度でいるのは失礼なんじゃないだろうか。そう思っているのに、早く結論を出そうと焦れば焦るほど、私はどんどん自分の気持ちがわからなくなっていくようだった。
「やあ、イリス。休暇中にいい加減"あの日"僕が言いたかったことくらいは理解できたか?」
休暇明け、帰って来たシリウスは(隣にリリーがいるにも関わらず)わざわざ談話室で私にそう話しかけてきた。リリーはあえて無視をしてくれていたけど、読んでいる本を持つ手が小刻みに震えていた。彼女は私が悩み続けていることを知っているから、こんなタイミングで堂々と"返事をする場"を設けられたことに、きっと私と同じくらい戸惑ってくれているんだろうと思う。
「あー…うん、一応」
「それで、君はどう思った?」
いきなり核心を突かれて、ドキリとする。
どうする? 曖昧な気持ちのまま、付き合ってみる? それとも不誠実なことを言うくらいならいっそ潔く断る?
────いや、でも、この人と本気で話す時に嘘をつくことは───きっと、私にはできない。
少し迷ったけど、私は結局この間にずっと考えていたことを素直に話すことにした。
「時間はかかったけど、理解した。でも正直、付き合えるかどうかはわからない」
「わからない?」
「シリウスのことは好きだけど────…」
「男としては見られない?」
本当はもう少し根深い問題になるんだけど、今ここでそれを言って喧嘩になるのもどうかと思ったので、私は嘘をつかず、しかし真実も語らないまま黙ることにした。
「なるほどね、わかった。それじゃ、約束通りもう一度ちゃんと言うよ。僕は君のことがずっと好きだった。付き合ってほしい」
理解したとは言っても、改めて言われると顔が一気に熱くなる。
やっぱり、本当だったんだ。
本当に、シリウスは私のことが好きだったんだ。
隣にいたリリーは、本にぐっと顔を近づけて表情を隠した。
「あー…えーと…」
「いや、君の気持ちはもう聞いたから良い。僕は引き続き君と付き合えるように最大限の努力をするよ。君はぜひ今まで通り"友達"として仲良くしてくれ」
彼はそれで納得したのか、たいして傷つく様子も見せずにニヤリと笑った。
相変わらず、その胆力というか…きっと自分に自信があるんだろうな、と私は彼の反応を感心半分、呆れ半分で見ていた。
自分の中に迷いを残していることには罪悪感を持っていたけど、当のシリウスが気にしていないなら良いか。結局そんな風に結論づけることにする。
ただ、シリウスはその話が終わっても私の前から動かなかった。どこか落ち着かない様子でいるので、まだ何かあるのかとこちらも彼から視線を逸らさずに待ちの姿勢を取った。
「────それより、君に報告したいことがあるんだ」
「うん、どうしたの?」
まるでさっきの告白云々の話はただのついでだったとでも言いたげだ。本当に私の気持ちはどうでも良い(というか、単純に私に何も期待していなかった)んだなと思いながら、彼の"報告"とやらを聞く。
シリウスはとても嬉しそうな顔をしていた。彼がこういう顔をしているのは、あまり見たことがない。喩えるなら、まだ幼い男の子が誕生日プレゼントをもらった時のような顔だ────人並み以上に大人びた表情ばかりしている彼がこんな顔をするなんて、随分と珍しいことのように思える。
「僕、あの家を出てきてやった!」
──── 一瞬の、考える間。
家を出た。
家を────出た?
それって、"ただ休暇が終わったからホグワーツに帰って来た"っていうことじゃなくて────。
じゃあ、シリウスが今年は"家に帰省していた"のって────。
「本当!?」
つい、私も大きな声を出してガタンと立ち上がってしまった。リリーのこちらに向けられた視線を一瞬捉えたけど、彼女はそれでも黙って成り行きを見守ってくれていた。
「ああ、僕も言ってやったんだ! いい加減この家にいたら気が狂う、僕はもうここには帰らないと!」
談話室で叫んで差し支えないのか心配になるほどの声量で、浮かれ切った様子のシリウスが吠えていた。笑っている。嬉しそうに、晴れやかな顔をして────まるで、生まれ変わったような顔をして。
「おいおいパッドフット、そういうのはまず僕らに一番に報告するのがスジじゃないのか?」
すると、彼の大声を聞きつけたジェームズ達が駆け寄ってきて、シリウスの肩をバシッと叩いた。もちろん、リーマスとピーターもいる。
「ああ、悪い悪い、イリスに夢中ですっかり君らのことを忘れていたよ、親愛なるプロングズ」
悪びれる様子もなく、シリウスは上機嫌なままジェームズに叩かれていた。そして両腕をバッと広げ、「さあ、これで僕も自由だ!」と大きく胸を張る。
「今の、本当かい? 家出したって」
「そうさ、僕はやった! そもそも最初から家出するつもりで帰ったんだ! 計画通り、僕は両親と人生で一番の大喧嘩をして、最後にそれはもうドラマチックに我が家の敷地を永遠に去ってやったぞ!」
わあ、とリーマスとピーターからも歓声が上がる。
「すごいぞ!」
「かっこいい!」
私は、シリウスのお母さんの顔を知らない。でもなんとなく、私のお母様の顔をもっとキツくして、体も大きくして、真っ黒なローブに身を包んだ、それこそ昔話に出てくる"悪い魔女"のようなものを想像していた。
そんな"お母さん"と喧嘩して、今まで抱えていたもの全てを爆発させて、家を捨てたシリウス。それまでだって小さく反発してはいても、ここを出た瞬間に"不自由"になっていたシリウス。
言葉の上では、意識の上では、スリザリンや純血主義に真っ向から反対していても、血筋はそんなシリウスを決して許してくれはしなかった。彼の心がどれだけ自由であろうとも、体はずっと、ロンドンの暗い家に縛られていた。
────それが、今この時、何もかもから解放された。
私でさえ、あんなに葛藤したのに。あんなに悩んで、あんなに考えて、緊張と怖さを堪えてようやく半分自立したようなものだったのに。
ああ、どうしてこの人は────いつもそんな"障害"をこんな軽々しく飛び越えてしまうんだろう。
あまりの鮮やかさに、私の気持ちまでもが高揚した。
ずっと見ていた。シリウスがどれだけ家を出たがっているか、よく知っていた。
シリウスがどれだけ呪われた場所で耐えていたのか、4年以上も私は、その想いを共有してきていた。
だから────私も今、彼と同じくらいの解放感に包まれていた。
「シリウス!」
勢いに身を任せ、頭を空っぽにした私は、その喜びのまま無意識でシリウスの大きな胸に────大きく腕を広げられたその体に、飛び込む。
「!?」
「!?」
「!?」
「!?」
ジェームズ、リーマス、ピーター、そして会話にこそ参加していなかったもののずっと横目で様子を見ていたリリーが、揃って目を驚きに丸く見開いた。
でも、そんなの何も気にならなかった。
今さっきまで私のことが好きだとか、でも私は好きかどうかわからないとか、そんな会話をしたことなんて忘れていた。シリウスの態度と同じく、私にとってもそんなことはもう"どうでも良い話"になっていた。
だってこれは、私達どちらにとっても10年以上に及んだ戦いの勝利宣言なのだから。
シリウスだけが当たり前のように私を抱きしめ返し、そのまま軽々と私を持ち上げて、その場でくるくると回った。
「僕もようやく君と同じステージに立ったぞ、イリス! 僕らはこれで本当におんなじだ!」
「おめでとう、シリウス! すごいね、頑張ったね! でもどうやったの? 今までは金銭的な問題や場所の問題があるって言って────」
「ああ、この間ホグズミードに行った時、実はジェームズの両親への手紙にちょっと追伸を付け加えたんだ! 17歳になるまでの間だけ、部屋を貸していただけませんかって! 資金はアルファードが────覚えてるか? 僕の叔父!」
「もちろん! アンドロメダさんとアルファードさんが、シリウスの味方の親戚だって!」
「そう! そのアルファードが、僕に資金援助をしてくれたんだ! そのお陰でジェームズの両親にちゃんと払うべきものを払って、成人してからの生活拠点も探せるようになった!」
「ああ、本当に長かった! でもシリウス、勝ったね!!」
「ああ、僕らは勝ったんだ!」
10月からこの日までずっと微妙な距離感を保っていた私達。でも今は、そんな空白なんて嘘のように、周りをそっちのけにして互いの勝利を喜び合った。
他のグリフィンドール生は、最初こそ突然爆発した私達の声に注目していたものの────もういい加減私と彼が頻繁にくっついたり離れたりしていることには慣れていたのだろう、早々に「ああ、またあそこが何かしてるな」といった様子ですぐに視線を逸らし興味を失っていた(何人か、シリウスのファンの子だけが恨みがましげに私を睨んでいたけど、今の私はそれさえ気にならなかった)。
「…これ、何?」
「さあ、愛の抱擁じゃない?」
「これで付き合ってないとか、マジ?」
「まあ…この2人の距離感がよくわからないのは今に始まったことじゃないしね」
男の子達が何かを言っているのかは聞こえたけど、シリウスの"勇敢な報告"の前にはどんな言葉も雑音にしかならなかった。
やった、シリウスも遂に自由になったんだ!
まだお互い未成年、大人の力を借りないとその自由は手に入らないことなんて最初からわかってるけど────。
自由であると錯覚できる程度の、都合の良い機動性。
自由であると陶酔できる程度の、些細な選択権。
私達は確かに、"自由の素質"を手にしたのだ。
そしてそのことの尊さを、きっとこの場で誰よりも知っているのが、私とシリウスだったのだろう。
周りの子は不思議そうに、「どうして家出しただけでそこまで喜んでるのだろう」とでも思っているのかもしれないけど────これは、私達が14年間望み続けてきた瞬間。
それこそこんな風に抱き合ってくるくる舞うくらいじゃ足りない程、私達は新たな人生を喜んでいた。同じ喜びを感じていることを、お互いがわかっていた。
「だから来週のホグズミード、また僕とデートしてくれ」
「え、そういう話?」
「そういう話」
シリウスはようやく私を下ろしてくれた。冷静になって自分のしたことの恥ずかしさが一気に襲い掛かってきたけど、それでもやっぱり嬉しいものは嬉しいもの。ちょっとの照れくささが残りながらも、私は彼の自由を前にどうしても笑顔を引っ込められずにいた。
「…うん、良いよ。お祝いしよ」
だから、普段ならもっと迷っていたであろうそんな提案も、すっと受け入れてしまった。
言ってから、「あっ、待って」とリリーの方を見る。
リリーはすっかり娘を見る母親ののような顔で「良いのよ、行ってらっしゃい。私はメリーと行くわ」と言ってくれた。
「エバンズ、僕と行くっていう選択肢もあるけど────」
「そんな選択肢はないわ」
あっさりフラれたジェームズはその後ずっとシリウスのことを恨みのこもった目で睨みつけていた。
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