5年生になって初めてのホグズミード行きは、10月の下旬となった。

「えっ! この日、金曜日の午後じゃない!」

朝、掲示を見たリリーがいきなり叫び出す。

「何かあるの?」
「スラグ・クラブよ。私、行くって言っちゃったの。えー…」

明らかにホグズミードに行きたがっている様子だが、義理堅いリリーはきっと約束を破れないはず。結局「どうする?」と訊くと、予想通り「ごめんなさい…私、やっぱり約束は破れないわ…良かったらポッター達を誘って…」と項垂れた。

リリーと一緒に遊べないのは残念だけど、先約があるなら仕方ない。
かといってひとりで談話室にいるのもつまらないので、彼女が言った通り次はシリウス達に混ぜてもらおうかなあ、なんて考えていた矢先のことだった。

1限から2時間続いた呪文学の授業終わり、フリットウィック先生に呼ばれ、次回の授業の話(デモンストレーションで相手役になってもらえる? という頼み事だった)をしてから最後に教室を出たところ、ちょうどその出口のところにシリウスが1人で立っていた。

「シリウス? どうかしたの、ジェームズは?」
「先に地下牢に行ってる」
「なんで?」
「────僕が、君を待ってたから」

シリウスが私を待ってた?
何か約束でもしていただろうかと頭を捻るが、特に思い当たる節がないので素直に尋ねることにする。

「何か用?」

彼はそこで黙ってしまった。何か言い淀んでいるようだ。
言いにくいことなのだろうか。私、何かまた知らない間にトラブルに巻き込まれてる?

「…その」
「…はい」

緊張が伝播して、つい敬語になってしまう私。

「次のホグズミード、一緒に行かないか」
「はい。……はい?」

今、なんて?

「ホグズミード?」
「ああ」

まさかもうリリーが行けないことを聞きつけたんだろうか。
そういうことなら話が早くて助かる。…けど、それってそんな深刻そうな顔をして言うこと?

「あ、うん。嬉しい、ありがとう。ちょうど私も誘おうと思ってたところで…」
「そうなのか!?」

シリウスの顔が途端に明るくなる。余計に構えたことを損した。
まさか私がひとりになるとわかっていて、断るなんてありえると思ってるの?
いや、シリウスのことだから、私が「彼らは何か企んでるに違いない」と思い込んで断る可能性を考慮したのかもしれない。私達、信頼し合ってるけどお互いに信用ないもんね。
だったらリーマスでもピーターでも、"私が信用してる人"に声をかけさせれば良かったのに。

「良かった。じゃあ金曜日、13時に談話室で」
「オーケー」

約束を取り付けた上で、向かう先は一緒なのでそのまま並んで歩く。

「知ってる? ハニーデュークスのハロウィンパック。私あれ欲しいんだよね」
「…なんか君、いつもハニーデュークスの話してないか?」
「おいしいじゃん」
「おいしいけど」

そんな会話をしながら地下牢へ。なんとか始業ギリギリに間に合い、私はリリーの元へ、シリウスはジェームズ達の元へと、お互い離れた席に着いた。

「ブラックと一緒だったのね。ホグズミード、行けそう?」
「うん」

そう言うと、リリーはあからさまにホッとした顔を見せた。

「良かった。楽しんでね」
「うん、リリーも何か良い話があったら後で教えて」
「もちろん」

机の向こう側では、なぜかニヤニヤと笑いながらハイタッチしているシリウスとジェームズがいた(やっぱり何か企んでる…?)。
よくわからないけど、あの人達はいつも楽しそうで何よりだ。その楽しみをきちんと共有できれば良いんだけど…ホグズミードでいつも彼らが何をしているのかわからないので、ちゃんとついていけるかどうか、少しだけ不安だった。

今日の課題は安らぎの水薬。OWLにもよく出る課題ということで、生徒の気合いも十分に入っていた。
かくいう私も、魔法薬学の授業は嫌いじゃないので、どちらかというとワクワクした気持ちで材料をテーブルに並べていった。リリーという天才が隣にいてくれるから安心感もあるし、スラグホーン先生は面白いし、単純に魔法薬という科目そのものがとても神秘的だと思う。

ただひとつ困るのが────この授業は毎回スリザリンの生徒と合同で受けなければならないということ。

私には、シリウス達にとってのスネイプみたいな、いわゆる"宿敵"はいない。
でも、マグル生まれで、成績だけは良くて、学校が誇るカリスマと仲が良い…というステータスは、特定の敵こそ生まないものの不特定多数から嫌われるに十分すぎた。

しかも今年は監督生になってしまったせいで、余計に注目の的になっているようだ。
ほーら、だって今まであまり気にせずに済んでいたドイルの視線が、今日はとっても痛い。向こうも向こうで、学期の始めに私という存在を目の前で認知したことで余計に恨みが増したんだろう。更に付け加えるならさっき私、シリウスと2人で一緒に教室に入って来ちゃってるしね。

作業を進めながら、私はスネイプの様子もチラリと窺った。
前回の満月からまた1ヶ月が経とうとしている。まだもう少し日はあるものの、彼は今月もまた校庭を張り込む予定なのだろうか。

────どうして彼はそこまでリーマス…というか、悪戯仕掛人に執着するんだろう。
やっぱりリリーのことがあるからかな。リリーが悪戯仕掛人(特にジェームズ)を気に入っていないのは一目見ればわかることだと思うんだけど、いかんせん彼らは"学校中の有名人"だ。それに反して、スネイプはいつも日陰を歩いているような、目立たない生徒。魔法薬学はリリーと同じくらいのレベル(つまり、試験で300点取って来ちゃうレベルってこと)なのに、なぜかスラグ・クラブでスネイプの姿を見たことがない、と前にリリーが言っていた。

スネイプは防衛術、というか呪いの類に関しても非常に長けている生徒だった。防衛術の授業でグリフィンドールとスリザリンが一緒になることはなかったので、実のところ最近まで知らなかったんだけど、彼としょっちゅう杖を突き合わせているシリウスとジェームズ曰く、「あいつは7年生でさえ手こずる呪いを簡単に使ってくる」とのことで。

当然それだけの素質があるなら、スラグホーン先生が放っておくはずがない。それなのにスネイプがそういった場に出てこないのは────簡単な話、彼が"周りからあまり好かれていない"からだった。

もちろんスリザリン生は別。彼らは仲間をとても大事にする人達だし、(付き合う相手はアレだけど)スネイプが特定のスリザリン生と一緒にいる姿なら何度も見たことがある。
でも、彼は決して目立つ生徒ではない上に、そういった邪悪な魔法を好む人とつるんでいるせいで、他寮の生徒からは完全に嫌われていた。

彼はいい加減気づかないんだろうか。
そうやって闇の魔術に傾倒していけばいくほど、リリーの心が離れてしまうことに。
リリーの心を取り戻そうと躍起になればなるほど、それが却って彼女を失望させてしまうことに。

ねえ、そろそろまずいよ、スネイプ。
闇の魔術のすごさを見せつければ、リリーが褒めてくれると思ってるのか知らないけど。
悪戯仕掛人がズル賢くて"善良"ではないことをただ暴けば、リリーが戻ってくると思ってるのか知らないけど。

そのどちらも、正解じゃないんだよ。

もしあなたが"そんなこと"でリリーが笑ってくれると思ってるなら、あなたはリリーのことを何もわかってない。
あるいはあなたが扱う"邪悪な魔法"が、幼い頃リリーが笑ってくれていた"ちょっとした魔法"と同じものだと思ってるなら、あなたは(少なくとも私やリリーの基準に合わせると)大きな過ちを犯している。

まだ今はリリーという"友人"がいるから、彼にとってそれが"過ち"と思う余地がある限り、スネイプとリリーが再び手を取り合える日が来る可能性もあると思う。

「人という生き物は、得てして自分が思うておるより頻繁に間違いを犯すものなのじゃ。そしてその時肝心なことが、間違ったことをした時にそれを正してくれる友人がいるかどうかじゃ」

去年のダンブルドア先生の言葉が蘇る。

スネイプ、もしあなたがリリーを"友人"と思っているのなら、そしてそれ以上の関係を望んでいるのなら、どうか彼女の言葉を聞き入れて。

でも、もしそうでなく…あのマグル差別をする人達の方こそを"友人"と思っているのなら────もう、どれだけ後悔しても取り返せないところにリリーが行ってしまうのも、当然のこととして受け止めてもらわなければならない。スネイプにも、そしてリリーにも。

時間通りに、私の安らぎの水薬は完成した。ちょっと途中で思考があちこちに飛んでしまっていたせいでギリギリになってしまったけど、なんとか今回も100点は取れるだろう。

痛い視線の合間を掻い潜りながら、薬を提出する。なんとか無事に授業が終わり、昼食をとりにリリーと一緒に教室を出ようとした────その時だった。

「イリス」

後ろから、名前を呼ばれた。振り返るとそこにいたのは、スリザリンの監督生のヘンリーだ。ホグワーツ特急で初めて会った時と同じような気取った口調だったけど、相変わらずこちらを見下しているような雰囲気はない。

「どうかした?」
「今、ちょっとだけ時間を貰っても良いかな?」

隣にいるリリーをチラッと見ながら尋ねてくるヘンリー。彼の姿を見たリリーは一瞬戸惑ったような顔をしたものの、私が普段通りの態度を取っていたからか、「じゃあ私、先に行ってるわね」と言って気を遣ってくれた。

「うん、良いよ。どうしたの?」

2人になったところで、改めて用件を訊く。

「────次のホグズミード行きが来週にあるだろ?」
「うん」
「良かったら、一緒に行かないかい?」

────これは驚いた。
まさかスリザリンの監督生から直々にデートのお誘いがあるとは…。

新入生歓迎会の日、こうして彼が私に話しかけてきた時のことを思い出した。
前から良いなと思ってたとか、仲良くしたいとか────。

まさか彼は、本当に私に気があるんだろうか?

でも私は、改めて"モテの権化"のことを思い出していた(言わずもがな、シリウスとジェームズのことである)。
好意に紛れた悪意は存在する。シリウスが毎年バレンタインにチョコに紛れた呪いを食らっているところを見れば、そんなことは嫌でも学習するというもの。ジェームズだって、あれでいてクィディッチの選手に選ばれ、いよいよ学校内で大きくその活躍が目立ち始めた頃、ラブレターと称した呪いの手紙が届いたことが何度かあったのだ。彼の瞬発力のお陰でどれも特に大きな事件にはならなかったが、ちょっとでも手紙から手を離すのが遅ければ、彼の指は焼け爛れ、その日のクィディッチ戦ではとてもまともに箒を握れなくなっていたことだろう。

スリザリンに偏見を持ちたくないとは思いつつも、私が基本的に彼らから良く思われていないことはじっくり身に染みてわかっていた。だからどうしても、他の寮の子より警戒してしまう。それこそ、何か企んでいるのではないかと。

「────ごめん、先約があるんだ」

ひとまず、本当の理由で無難に断っておくことにした。話の内容次第では、もう少し彼の真意を深堀りしてみよう────。

「エバンズ? それとも…ブラック?」
「シリウスの方だよ」
「ねえ、やっぱり2人って付き合ってるのかい? だって、エバンズじゃなくてブラックの方と約束してるなんて────」

ヘンリーは疑うように私のことを見ていた。

「ああ、それはたまたまだよ。リリーにはもう別の予定が入っちゃってて、たまたまその直後にシリウス…っていうかあの4人組に誘ってもらったから一緒に行くことになったってだけ」

肩をすくめて、潔白を表明する。そういう関係じゃないって前にも言っているのに、疑い深い人とは本当にどこまでも疑い深いものらしい(どこかのスネイプみたいだ)。

「そ、うなのか…」

その表情は沈痛なものだった。本当に残念そうな顔をしている。
────これが演技だというなら、私はきっと拍手して口笛も吹いていたことだろう。彼のしゅんとした顔に、私の警戒心が薄れる。それと同時に、ここまでつっけんどんな態度は取らなくて良かったかもしれないという、ちょっとした罪悪感も沸き起こった。

だから、私は少しの勇気を持って"踏み込んで"みることにした。
もしかしたら、この人は────"歩み寄れる人"かもしれないと思ったから。

「ねえヘンリー、でもどうして私のことを気にかけてくれるの? 仲良くしようとしてくれるのは嬉しいけど…でもほら、私って結構嫌われてるし…マグル生まれとか、人気者のシリウス達に媚びてるとか…」

そう尋ねると、ヘンリーは困ったような顔をして────それから、少しまた鼻を赤くして話し始めた。

「僕の方こそ、"スリザリンだから"っていう理由で結構他の寮の人から嫌われているよ。でも、僕自身は血筋や所属なんて全く気にしていないんだ。そもそも僕の母はマグルだしね。帽子がなぜ僕をスリザリンに入れたのか、正直僕もわかりかねているくらいさ────」

────その話し方はスリザリンっぽいけどね。
ちょっと話が逸れるけど、私は組み分けされた寮ごとに話し方の特徴が現れてきているな、とこの5年弱で感じ始めていた(多分、その寮の中で育つことで自然と癖づいたものが、下級生に受け継がれてしまうんだろう)。

グリフィンドールは声が大きくて、自信のある声。
レイブンクローはキビキビと、どこか厳しさを感じる声。
ハッフルパフは穏やかでゆったりとした声。
そして、スリザリンは────ちょっと気取ったような、気品のある声。

ヘンリーは、言っていることこそ穏やかで中立的な立場のものだったけど────悪い意味でよく慣れた"スリザリン流"の口調で出てくるそれらの言葉に、私はどうしても違和感を拭いきれずにいた。こういうのがきっと良くないんだろうとは…わかってるんだけど。

「だから僕は、君がどこの生まれで、誰と仲良くしていようがそんなことは気にしていないんだ。ただ、君がとても頭が良くて美人だなって思ってたから、個人的に気になっていただけさ。そしてまだフリーなら、僕がぜひその右手を取る役に立候補したいと思ってね」

ヘンリーの表情は真剣だった。気取った仕草で、まるで私にダンスの相手を求めるように手を差し出してみせているけど、それだって冗談でやっているようには見えなかった(普段シリウスとジェームズが冗談でこういうことをするので、大仰な仕草への耐性は十分についていた)。

ようやく私は彼の言葉を信じようという決心がついた。
ただ、それが本心による好意だったとしても、私の答えが変わることはない。

「ありがとう。私を生まれだけで判断する人が多い中で、そう言ってくれる人がいることはとても嬉しい。それに…私のことをそんな風に褒めてくれてありがとう。本当に光栄だけど────でも、ごめんなさい。私はまだ、誰にも手を取ってもらう気がないの」

例えばこれが悪意を隠した好意だったとしたなら、当然お断りだ。
でも、たとえ本当に本気でヘンリーが私のことを好きでいてくれるのだとしても、私はその気持ちに応える気はなかった。

それは何も、彼がスリザリンだからというわけじゃない。
いや、その点に関してはむしろ、「やっぱりスリザリンにも平等性を持っている人はいるんだ」という安心感さえ抱いていた。スリザリンだから悪と決めつけなくて良かった。誰の意見も等しく聞く姿勢を持ち続けていて良かった。対立しているはずの派閥の中にも手を取り合える人がいるということが、純粋に嬉しい。

でも、それとこれとは違うのだ。
私はヘンリーを好きにならない。それはまだ彼のことをよく知らないからかもしれないし、単純に感覚が合わないと思ったからかもしれない(友人としてなら彼の価値観には大いに賛同するが)。

それに────私は、なぜだかわからないけど────彼に「右手を取る役に立候補したい」、つまり「付き合ってほしい」と言われた時、ある人の顔を思い浮かべてしまった。

本当にどうしてだか、わからないんだけど。
でも、告白された時に別の人の顔を思い出すってことは────他の男の子のことを考える余裕があるくらい、相手のことを気にしてないってことでしょ?

だから私は、丁寧にお断りした。

「そうか。それは残念だ」

ヘンリーは悲しそうな顔をしていた。でも、ぐっと顔に力を込めて、笑っている。

「でもまだ"誰にも"手を取らせるつもりがないというのなら、僕は諦めずにいようと思う。まだ僕らは互いのことをよく知らないし────君さえスリザリンを、そして僕を嫌っていなければ、まずは友人として親しくしてもらえないだろうか?」
「あ、それはもちろん。私こそ、生まれや交友関係で嫌ってこない人と仲良くできるのは嬉しいよ。お互い監督生同士だし、これをきっかけにグリフィンドールとスリザリンが少しでも歩み寄れると良いね」
「ああ、それを願っているよ」

────ここまできて彼が悪意のある人だったら、ちょっと悲しいなあ。
私は初めてできた"スリザリンの友人"に、大きな期待を寄せていた。
グリフィンドールとスリザリンが歩み寄れれば、なんていう大規模な話じゃなくても良い。

私はただ……。

「じゃあ、私、リリーを待たせてるから行くね」
「ああ、また」

そう、ただ…。

「────イリス」

ただ、差別や邪悪なものを嫌いだと言う一方で、"スリザリン"という枕があるだけで杖を向けて攻撃することを厭わない"彼"に、その矛盾を認識してほしかったのだ。動かない証拠を持って、「ただあなたの家の思想が強すぎただけで、サラザール・スリザリンの純血主義思想は歴史を経るごとに薄れてきている」と伝えたかったのだ。

告白された時につい思い出してしまった、理由はわからないけど…きっとそれだけ大切に思っている、

「…………いたんだ、シリウス」

────彼に対して。



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