それから1週間後。
予定通り20時に、私達は必要の部屋で集合した。

目の前には金色の液体で満たされた大鍋が鎮座している。ほんのりと香るのは、獣の臭いだ。

「魔導書通りの出来になってるな」
「金貨より輝く金色、仄かな獣の臭い、不規則に輪を描いて立ち上る煙────うん、全部完璧だ」
「呪文詠唱はみんな、大丈夫?」

最終確認で尋ねると、彼らはそれぞれ長い呪文を正確に唱え、金色の動物のような形をした光を────ピーターでさえ、美しく放った(彼の光は他の2人に比べて少し小さいような気もしたが…大丈夫、これはあくまで"本人の素質に従った姿"を映し出しているだけ。同じだけ眩しく輝いているし、色も美しい透き通った金だ。何も"間違い"はない)。

「うん、全員良い感じだね」

薬は完成した。呪文も唱えられるようになった。

全てが完璧だ。私達の3年間は、この日達成される。

「じゃあ…いくよ」

些か緊張した顔のジェームズが、大鍋の中の液体を掬い上げた。
大丈夫。大丈夫。何も失敗する要素がない。何より無鉄砲な彼らがここまで根気強く続けてきた唯一の真剣な研究なのだ。成功しないなんてそんなこと、あるわけがない。

それでも聞こえるのは、金色の液体が小さなゴブレットに注がれる音だけだった。
きっかり3つ分、コポコポ、コトンとテーブルに置かれる音も。

彼らは真剣だった。誰の冗談も皮肉も挟まれないまま、黙ってジェームズがゴブレットを3人に回す。
リーマスは倒れてしまうのではないかというほど青ざめた顔でそれを見ていた。

「それじゃあ────我が友、リーマスに永遠の友情を誓って」
「リーマスに」
「リーマスに」

3人がゴブレットをかちんと合わせる音がした。私も何も持たないまま、両手を祈るように組んで「リーマスに」と呟く。

大丈夫だ。私のかけた魔法は全て正しかった。唱え方も、杖の振り方も、呪文が与えた効果も、全て魔導書に載っていた通りになっている。ジェームズの用意した材料も、シリウスの調合も、ちゃんと正しく行われているはず。

そして直後、彼らが杖を手に取り、それぞれその先を自分の体に向けた。
バラバラに唱えて誰かが混乱するといけないので、彼らは声を揃えて長い呪文の詠唱を始めた。単語を切りながら、正確に発音するのを黙って聞く。

大丈夫。ピーター、合ってるよ。大丈夫だよ。

すると、途端に彼らの体内から、強い光が噴き出した。視界を全て奪うような金色だ。
今や、部屋中があまりにまばゆい光に満ちていた。世界中の黄金を集めて、空気中に溶かして放ったような凄まじい色だった。

大丈夫だ。成功する。絶対に、彼らは動物もどきになれる。

あまりの眩しさに堪えきれず、ぎゅっと目を瞑った。目を瞑っても眼裏を照らす金色の光が、とてもこの世のものとは思えなくて…それが無性に怖かった。瞼なんかじゃ塞ぎきれない、洪水のような光。
今彼らは、人間ではない"何か"になろうとしているのだと────否が応にでも、実感させられる。

やがて、金色の光は薄くなっていき────そして、完全に消えた。
さっきまで目が潰れるほどの光の渦に巻き込まれていたので、反対に今度は真っ暗闇の中に放り出されたような錯覚を抱く。まだ目を開く勇気が出ないまま、私は瞼の裏が闇に慣れるのを待っていた。

ワン!

その時、さっきまで4人の男子生徒しかいなかったはずのところから、唐突に"犬の声"が聞こえた。

────犬の声?

おそるおそる、目を開く。自然な室内灯に慣れるまでにまた何度か瞬きをし────。

「わっ!」

目の前に広がっていた光景に、私は思わず大きな声を上げてしまった。
そこには、熊ほどの大きな黒い犬と、立派な角を持った牡鹿がいたのだ。

「シリウス…ジェームズ…?」

毛並みの艶が、"彼"の黒髪とよく似ていたから。
まるで見せつけるように枝分かれした立派な角が、"彼"の性格とよく似ていたから。

黒い犬にシリウス、牡鹿にジェームズ、と声を掛けると、2匹はそれぞれ私の手に鼻先をくっつけた。

「せ…成功だよ、イリス…」

横からリーマスが声を震わせながらそう言った。

「…ピーターは?」

シリウスとジェームズが成功したのはわかった。それはそれで十分喜ばしいことなのだが…私は今、ピーターの姿が見えないことにとてつもない不安を感じていた。
どこへ行ったの? まさか、失────

「チュー」

か細い鳴き声が聞こえた瞬間、バッと振り返る。
────すると、テーブルの上に、1匹のネズミがいるのが見えた。

「………ピーター?」

ネズミがまるで怖がるように震えながら、前足をこちらにおずおずと出した。私は人差し指で、その足先の爪を受け止める。…ネズミは、ちゃんと私の呼びかけに応えてくれた。

「大丈夫だった…。全員ちゃんと、動物もどきになれたんだ…!」

再度、リーマスが(自分に言い聞かせるようにも聞こえた)私の肩に手を乗せた。今や声だけでなく、その手も小刻みに震えていた。
ようやくそこで、私も深い息をつく。

良かった。私の2年間と、彼らの3年間と、そしてリーマスの10年間は────この瞬間、ようやく報われたんだ。

長かった。たまにしか訪れなかった私でさえその作業量の膨大さに忙殺されるかと思ったのに、これを毎日のように続けていた彼らの気持ちは一体どれほどのものだったのだろう。
────言葉では確認できなかったけど、はしゃいでリーマスを押し倒す犬と、倒れたリーマスに角をグリグリと押し付ける鹿と、その周りをくるくる回ってチューチュー鳴いているネズミを見れば、彼らの感情はこちらにもよく伝わって来た。

友情は、報われた。永遠の友情が、ここに立証されたのだ。

見ると、リーマスは床に仰向けに寝転がったまま泣いていた。
私達がいることなんて全く気にならないというように、声を上げて涙をぼろぼろとこぼしていた。

「リーマス」

私も、獣達の間に入り込み、倒れたリーマスの手を握る。

「まっまさか…本当に、ど、動物もどきになるなんて…。…まさか…本当に、僕にこ、こんなと、友達ができるなんて…! まさか僕が、ひ────ひとりぼっちじゃない日が来るなんて!!
「…良かったね、リーマス」

ずっと孤独だったリーマス。
何も悪いことはしていないのに、狼人間だからという理由だけで差別され、迫害されてきたリーマス。

私には、彼の気持ちを推し量ることはできない。

これまでの人生、彼がどれだけ辛く、惨めで、やりきれない想いを背負ってきたのか────それを、心から理解することはできない。

それでも彼の涙が、ようやく彼の凝り固まった孤独感を解してくれたのだと悟った。

友達を作ることさえ許されなかった。
ひとりぼっちでなくなることさえ信じられなかった。

そんな彼の諦めきった人生を、生き地獄を、この3匹の獣が救った。
"生きていること"すら許されない狼人間を、それでも友と呼び、限られた時間の全てを賭して、"同じ獣"になった。

彼にとって、それは一体どれだけ得難いものだったのだろう。
彼がずっと上品で、誰に対しても物腰柔らかだったのは────もしかすると、彼もまた、"誰にとっても無害な自分"を演出していたのかもしれない、と思った。
まともな人付き合いなんてできない。まともな友達なんてできない。まともな人生なんて送れない。

そんな風に諦め、地下の奥深くで眠っていた彼を、3人は友情という糸で引き上げた。

「狼人間なんてそんな問題、大したことないさ。リーマスは良い奴だよ。僕らが友達であることに、それ以外の理由が何か必要か?」
「君はどう見ても普通の魔法使いだ。一月に一回姿が変わったところで、"僕らのリーマス"は何も変わったりなんてしない」
「リーマスは優しいよ! それでね、すごく頭も良くて、教え方も上手なんだ! 僕はたまに世界中の人がみんなリーマスみたいだったら良いのにって思うよ…」

いつか言っていた、そんな彼らのまっすぐで嘘のない言葉は、リーマスの心をようやく溶かしてくれた。
彼らの覚悟と友情が、リーマスの心をようやく動かしてくれた。

「あっ…あり、がと…う…!」

しゃくりあげながら何度もお礼を言うリーマス。
シリウスが嬉しそうに吠えていた。ピーターはリーマスの指をがぶがぶと噛んでいる。ジェームズは相変わらず自分の角を見せつけるようにリーマスの体を刺している。

私は黙ったまま、彼の手を握っていた。
大丈夫だよ。もうあなたは、一人じゃないよ。










「さて、僕としてはあのイカした姿のままでも良かったんだけど────」
「意思の疎通が取れないだろ」
「────とシリウスが言うので、改めて人間のつまらない姿に戻って、異名会議を始めたいと思います」

それからたっぷり30分、彼らは獣の姿を堪能し、リーマスを散々泣かせてから、また人間の姿に戻った(全員髪がボサボサになっているのが面白かった)。

「まず僕、ジェームズは牡鹿になった」
「格好良かったよねえ」
「鹿は跳躍力に長けてるって言うしね。飛ぶのが巧いジェームズなら鳥とかになるかとも思ったけど…なるほど、鹿か」
「これ見よがしな角の生え方がまさにジェームズって感じ」
「自己顕示欲の塊だよな」
「フォクシー、シリウス、それは悪口」

そこで改めて、私達はジェームズの渾名を考える。
角の立派な牡鹿、か────。

「そうだな…"プロングズ"とかで良いんじゃないか? さっきは茶化したが、せっかく良い角生えてんだから、それをアピールしていこうぜ」

少しの沈黙の後、シリウスがそう言った。

「プロングズ…うん、悪くないな。じゃあこれから僕はプロングズだ」

ジェームズは気に入ったらしい。流石相棒、ツボは掴んでいるというわけか。

「じゃあ次、シリウス。黒い大型犬だったな」
「シリウスが犬ってちょっと意外だったなあ。僕、本当に獅子とかになると思った」
「番犬みたいだね。忠義に厚いけど、外敵には容赦なく牙を剥く感じが」
「獅子より恐ろしいぞきっと。大人しい顔で惹きつけておいて、スリザリン生を見たら誰かれ構わず襲い掛かる可能性が高い」
「人間の時もよく吠えてるしね」
「ジェームズ、イリス、お前らのは悪口だ」

またもや怒られてしまったけど、私は気にせずシリウスの渾名を考える。

「グリムとかは?」
「死神犬? なんか縁起悪くないか?」
「ファングとか」
「あー…牙か、悪くないな」
「…パッドフット」

その時私が呟いたのは、"肉球"という言葉だった。
大型犬といえば、パッと見怖いけど、実は情に厚くて心を許した相手には懐っこいイメージだ。
そういえば、親戚の家にいた犬も大きかったけど、肉球がぷにぷにしていて可愛かったなあ…。

そんな連想ゲームの末に出た単語は、場を静まり返らせてしまった。

「あ、いえ、どうぞファングで。結構です」
「────いや、パッドフットが良いな。可愛いじゃないか」
「なんだか親しみやすくて良いと思う!」
「それに何より、イリスのフォクシーって名前を考えたのはシリウスだ。シリウスの命名権はイリスにあると思うな」

3人に加勢され(最後のリーマスの言葉はかなり効いたらしい)、シリウスは折れた。

「わかった。僕はパッドフットで良いよ。自分の"足跡"を残し続けてやるって、そう考えればまあ、悪くない」

そうすると、最後はピーターだ。

「ネズミか…前歯とか…灰色とか…」
「デカ耳…尻尾…」

ネズミの特徴を挙げながら、うんうん唸る私達。

「そういえば君の尻尾、なんかミミズみたいだったな」
「ミミズ!?」

シリウスの言葉に、ぴょんとピーターが跳ねた。

「ミミズの尻尾、ワームテール、でどうだ?」
「ええ…なんかみんなみたいに格好良くない…」

しゅんと落ち込むピーター。シリウスが冗談で言ったのは明らかだったのでフォローを入れようとすると、

「知ってるかい? ミミズって落ち葉や野菜くずなんかを食べるんだけど、それが生ゴミの廃棄量を減らして、上質な土壌を作ることに貢献してるんだって。ミミズは地球を救う掃除屋さんなんだよ」

シリウスの冗談をおかしな方向にフォローしたのはリーマスだった。

感激のあまり頭がおかしくなってしまったのだろうか。言い出しっぺなのだから軌道修正してくれと思いながらシリウスを見ると、彼もまさか自分の意見が肯定的に捉えられるとは思っていなかったらしく、面食らった顔をしているばかりだった。

「そうなのか…! うん、じゃあワームテールで良いよ! 僕は目立たないけど、地球を綺麗にするネズミなんだね!」

ピーターもすっかりその気になってしまったようだ。ジェームズだけが声を殺して笑っていた。
…まあ、本人が良いなら良いか。

「ああ…なんだか生まれ変わったみたいだよ…僕、今日が人生で一番幸せだ! ありがとう、プロングズ、パッドフット、ワームテール、フォクシー!」

何よりリーマスが本当に────子供のようにはしゃいでいたので、私達はもうそれ以上茶々を入れることはやめにした。

その後、マクゴナガル先生から呼ばれていると言っていたリーマスを先に送り出すと、私達は"会議"の続きを行うことにした。

「正直、ここでリーマスが離脱してくれたのはありがたかったな」
「あんな嬉しそうな顔されてる中でこんな話したくないからな」
「────今月の満月は2週間後だ。どうする?」

内容は当然、スネイプのこと。

「囮になるなら僕が一番適任だろうな。犬ならそこら辺にいるから────」
「いや、逆に僕達全員"人間のまま校庭に出る"っていうのはどうだ?」

シリウスの提案を退けたのは、この間彼と同じようなことを言っていたはずのジェームズだった。

「僕達全員が…人間のまま?」
「そう。今まではリーマス1人が姿を消していたから怪しまれてたんだ。でも、僕ら全員が外で遊んでいれば、またバカなことをやってるって思われるだけで済む。まあ僕ら3人はマクゴナガルに怒られるかもしれないけど────リーマスの正当性は認められるし、スネイプも納得するんじゃないか?」

果たしてそうだろうか。3年生の時、リーマス(私)を見せても疑いを捨てなかったスネイプが、そんな簡単なことで諦めるだろうか。

「────でもまあ、確かにやってみる価値はあるな」

これで解決すると断言することは、誰にもできなかった。どうせどんな案が出たところで、スネイプの出方が未知である以上、この迷いが吹っ切れるわけじゃない。
ただひとつだけ確実に言えることがあるとするなら────私達に"動物もどき"という新たな手札が加わったことで、できることがいくらか増えたということだろうか。

「2、3ヶ月それで様子を見よう。僕達がバカをやってるだけだって思うほどあいつもバカだったらそれで良いし、」
「────もしそこまでバカじゃなかったら?」
「…別の手を考えよう」

神妙な顔をしてシリウスが言う。

「しばらくは様子を見るけど、どうしてもあいつが諦めないって言うんならこっちも相応の報復を考えるからな────」

私にはどうしても、彼の言う"別の手"が暴力行使になるのではないかと────そんな気がしてならなかった。
そして同時に、スネイプがそこまでバカじゃないだろうとも、これは半ば確信に近い形で考えていた。

まずは2週間後が、最初の勝負だ。どうにか穏便に乗り切れれば良いのだが。



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