8月2日。

「紅茶をどうぞ」
「ありがとうございます、ミセス・ラング」

────マクゴナガル先生が、我が家に3年ぶりに再びやってきた。

それはホグワーツからのふくろう便が届いた翌々日のこと。
先生はすぐに返事を返してくれた。

『8/2の15時に伺います』という、内容はそれだけ。そして本当に、その通りの時間に現れた。

「ご無沙汰しております、ミセス・リヴィア。この度はお招きありがとうございます」
「いいえ、こちらこそ突然お呼び立ててしまい申し訳ありません」

先生が本当に来ると思っていなかったのだろうか、お母様はまだ戸惑いから抜け出せていないようだった。

「────さて、今回はミス・リヴィアの進路の件で私からもお話を差し上げるということでしたが…具体的にはどういったご不安をお感じなのでしょうか?」

キビキビと話を進めていくマクゴナガル先生。態度こそとても丁寧で尊敬の念も感じられるけど、相変わらず威厳に満ちているその姿を見ているだけで、端の方で座っている私の背までピンと伸びる。

「ええ…実は、先日イリスが帰りました時に、魔法省への入省を希望する、と言い出したんですの。もちろん魔法界にとって魔法省への入省が名誉であることに違いはないと思っておりますわ。ただ、その────」

お母様が一旦言葉を止める。それが"リヴィア家に"メリットがあることなのか、と尋ねるのにどう言葉を選ぶべきか迷っているのだろう。

「私達は、魔法界のことを知らずに生きてまいりました。そのため、魔法省という政府組織が魔法界の最高組織であることは理解していながら、そこでイリスがきちんとやっていけるのか、親として心配でしたの。非魔法界…こちらの世界でも、政治界には汚職などの悪いニュースが続いておりますし、良いところばかりでないということは皆の目から見ても明らかでしょう?」

なるほど、そうくるか。
魔法界の政治は腐敗していないか。大事な娘を働かせても問題ないだろうか。

そんな言い方で、あくまで無知であるが故に心配になってしまうんです、という謙虚な親心を見せてくる。

「そうですね。魔法界における魔法省とマグルにおける行政機関はほぼ同じと思っていただいて構いません。その上で、ハードな魔法省への入省を希望する娘さんを案じることも当然でしょう。それこそ、第三者の魔法使いからの意見を求めるほどに心配なさるお気持ちも、よくわかります」

マクゴナガル先生は柔らかな口調で言った。
お母様の悲壮感漂う演技に惑わされているのか…それともあえて惑わされたふりをしているのか…まだ、私には判断がつかない。

「ですがお母様、汚職やスキャンダルを起こすのはいつだって"悪意ある個人"なのですよ。ミス・リヴィアの素行は3年間、寮監として特に厳しく見守っておりましたが、文句のつけどころのない生徒でした。政治の汚らしい面に自ら足を突っ込むような真似はしないでしょうと、私が請け負います」
「まあ…」
「そしてミセス・リヴィア。今の魔法省は、紀元前1000年以上前から確認されている魔法という存在、そしてそれを操る全ての生き物の叡智の結晶です。そのような場で働けることは、ええ、ミス・リヴィアにとって大いなる名誉となるでしょう」

…マクゴナガル先生は、やはり見抜いていた。
私のお母様が、何を求めているのか。
マクゴナガル先生に、何を言ってほしかったのか。

「何より私は、魔法省に志を持って入省したいと考えているミス・リヴィアを全力で支援したいと考えております。彼女は我が寮、いえ、我が校でも才女として有名な実力ある魔女です。今後も弛まぬ努力を続ければ、決して難しいことではないでしょうから」
「そうですか、それはとても心強いですわ。それから先生、イリスから聞いたんですが、ある程度地位を得た魔法省の役人はマグルの政府とも関わる機会があるとか…それは本当なんですの?」
「ええ。特に優秀な役人はマグルの行政組織にも深く関わります。ミセス・リヴィアがテレビで娘さんのお姿を見る日もそう遠くないかもしれませんよ」
「まあ!」

マクゴナガル先生は、私より、そしてお母様よりずっと口が達者だった。
私の家のことは粗方知っていたのだろうと思う。私がどういう家で育てられ、何を求められているのか、この3年で理解してくれていたのだろう(どういうやり方でかはわからないけど、先生はだいたい自分の寮生の家の事情を全員分把握しているらしい)。

的確に、そして信頼できるほどの自信を持って、お母様の不安を殴り飛ばしてくれた。
叡智の結晶。名誉。テレビに映るほどのキャリア。そしてそこにいるであろう、リヴィア家に相応しい男性。

完璧だ、と思った。
特に"ホグワーツのマクゴナガル先生"がお墨付きをくれた話なら、私のあの必死の演技なんかより100倍も説得力がある。

「わかりましたわ、そういうことなら夫とも相談してみます」
「ええ、それが良いでしょうね。せっかくの才能を埋もれさせてしまうのは、こちらとしてももったいない限りだと思っていますから」

マクゴナガル先生はダメ押しでそう言って、「それでは失礼いたします」と居間を出て行った。

「イリス、お見送りを」
「はい」

お母様に言われるまでもない。
玄関先で先生を呼び止め、扉を開けてから────深くお辞儀をした。

「先生、お忙しいのにありがとうございました」
「いえ、生徒の進路を応援するのが教師の役目ですから。────ですが、ミス・リヴィア」
「はい?」
「あなたには、本当はもっと何かしたいことがあるのではないですか?

マクゴナガル先生は、目をきらりと光らせて私を見た。
一瞬、心の中を覗かれているような気持ちになる。

私のしたいこと?

自由の苦しさを味わいたい。

自分をもっと感じたい。

幸せを見つけたい。

「────いえ、去年の進路に関するお話も、自分がどこまでチャレンジできるか試したかったのでご相談させていただいただけです。まだそこまでの具体的な展望はありません」

いくつも浮かんだ私の望み。それを全て胸の内にしまい、私はにっこりと笑った。
マクゴナガル先生は少しだけ動きを止めた後、「そうですか。ではまた何か迷った時には、いつでも相談にいらっしゃい」と言ってポンと姿くらましした。

居間に戻ると、お母様は私に気づき、小さく手招きをする。

「お父様とはもう話してあります。マクゴナガル先生のお話が信用に値する場合、イリスのためにロンドンのアパートを一室用意してあげなさいとのことでした。私のはとこが住んでいた部屋がそのままになっているから、そこを使うと良いわ。今は国外に働きに出ていて、あと5年は戻って来ないの。出発は来週で良いかしら?」

────私はその日、人生で初めて本当に私のためになる「私のため」という言葉を、お母様から聞いた。
今すぐ飛び跳ねてワーイ!って叫びたいのを堪え、お上品に礼をする。

「ありがとうございます、お母様。我儘を申してしまい申し訳ありません」
「いいえ、良いのよ。これも全てあなたがリヴィア家の立派な長女として成長し証。寂しいことだけど、良いことだわ」

お母様は心から満足したような顔をして、「さあ、お夕飯までお勉強していらっしゃいな」と私を部屋から追い出した。
居間を出ると、マクゴナガル先生にお茶を出したきり、お母様の判決が下るまでずっと客室で待ってくれていたパトリシアが、ハラハラした顔で階段を下りてくるところとかち合った。今日のことは、私から全て彼女に伝えていた。魔法界に残りたいと言ったこと、ロンドンで独り暮らしをしたいと言ったこと、そして本当はそれら全てが「家を出る」という目的の上に打ち立てられていること。パトリシアは私からその話を聞いても、全く嫌そうな顔をせず、むしろ「お嬢様が初めて自ら"こうしたい"と思えたことが叶うよう、お祈りしております」と言ってくれていた。

「パトリシア、私、来週この家を出るよ」
「お嬢様…!」

だから、この結果は私達どちらにとっても朗報といえた。
今までお世話になったパトリシアに対して簡単に「出て行く」と言うのはちょっとばかり恩知らずだろうかと思い、あまり笑顔が広がってしまわないよう気を遣いながら報告する。しかし、反応を見ると────パトリシアは、泣いていた。

「ああ、奥様に何を言われても堪えることしかできなかったお嬢様が…遂にお家を出て行かれるなんて…! 寂しいのに、パトリシアはとても嬉しゅうございます!」

お母様よりずっと心のこもった「寂しい」という言葉に、私も目頭が熱くなる。

「お嬢様、とてもご立派に成長なさいましたね。ホグワーツの生活がお嬢様のためになったようで、本当に良かったです」
「ありがとう、パトリシア。ロンドンに行っても手紙を書くね」
「ええ、ええ、ぜひふくろうでも郵便屋さんでもなんでも使ってくださいまし!」

私よりずっと私の家出を喜んでくれたパトリシアと笑い合って、自室に戻る。
そこには昨日からずっとうちにいるジェームズのふくろうが、羽づくろいをしているところだった。

『日付を指定するまで戻って来ないように言ってあるんだ。リーマスは18日にいなくなっちゃうよ』と書き殴られている羊皮紙が、私の机の上に広げられている。昨日の夜、これを読んだ時にはジェームズのこれでもかというほどの焦りが伝わり、私までなんだかそわそわしてしまったものだった。

『万事成功。12日の15時頃、そちらへ向かいます』

短い手紙を持たせ、「狩りに行かせてあげられなくてごめんね。ご主人様のもとへお帰り」とふくろうを送り出す。

私は遂に成功した。
去年から少し匂わせておいた。この日のために、マクゴナガル先生にふんわりとした進路相談だってした。
お腹の痛いことばかりでも"優等生"を貫き続けたのは、きっと全て、この時のためだったんだ。

未成年で、お金を稼ぐ手段を持っていない私には、完全な自立がまだできない。
それでも確かに、ようやく私は、自由への第一歩を踏み出した。

まずは一歩、13年間縛られていた家から、遂に出て行くことが叶ったのだ。



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