翌日、昼休み。
私達5人は必要の部屋に集合し、報告会を開く。リリーのお陰で、スネイプとぶつかったことが問題になることはないという確信なら得ていたものの、私はシリウス達から「マクゴナガル先生に何もバレてなかった」と聞けるまでは、とても落ち着ける気がしなかった。
「僕…朝からみんなに笑われた…」
最初の報告はピーター。いつもより一層縮こまって、真っ赤になりながら話している。
「ああ、最高だったぜピーター。"僕は弱虫の毛虫"〜ってな」
「き、聞いてたの!?」
「聞くもなにも、2階に降りた途端廊下の端まで響き渡ってたぞ」
「わああ…最悪…」
ひとまず、ピーターの作戦は何の問題もなく成功したようだった。歌うたいの呪いの後遺症も全く残っていないようで、本当に良かった。
さて、次はリーマスの番だ。
「僕の方はいつも通りだったよ。4人とも、本当にありがとう」
彼の報告は淡々としていた。そりゃあ、そうであってくれなければ困る。彼にはあくまで"いつも通りに"満月の晩を過ごしてもらわなければならない───その一心で、今回の作戦が立ち上がったのだから。
しかし、彼の言葉はそこで終わらなかった。
「でも、その後スネイプと揉めたって────イリスが、スネイプにシレンシオを唱えたって…」
「あー、その件なんだけど」
心配そのものの顔で私に詰め寄るリーマスを、私の隣にいたシリウスが腕を伸ばして遮る。
「僕達、今日マクゴナガルに一度も呼び出されなかったんだ。わざわざ目の前を歩いて"こんにちは"とまで言ったのに」
「僕らが礼儀正しくあいさつするなんて、いかにも怪しいだろ? 何かマクゴナガルの耳に入ってれば、その瞬間に僕らは呼び出されてるはず。でも、先生はちょっと変な顔をして"こんにちは"って返しただけだった。これはほぼ確実に、スネイプが黙秘を選んだと思って良い」
「あ、そのことについてなら」
私も小さく手を挙げて、シリウスとジェームズの言葉を引き継ぐ。
「昨日リリーと話したんだけど、リリーもあの行為についてはスネイプが悪いって思ってる。仮にスネイプが何か言ったとしても、リリーがスネイプの肩を持つことはないよ」
つまり、少なくともこの件において私達が不利になることはないということだ。
「良かった! 正直それを一番聞きたかったんだ! エバンズがこっち側に回ってくれるなら、スネイプもわざわざ先生に言ったりしないだろうさ!」
ジェームズが大きな声で当面の安心を喜んだ。私も、シリウス達が今日の午前を無事に過ごせたと聞けて、ようやく息をつく。
「エバンズってやっぱり良い子だよな! 公平で、勇敢だ! ああ、それなのにどうしてあんな弱っちいナキミソなんかと一緒にいるんだろう…」
「ありがとう、今回の件は全部イリスのお陰でなんとかなった。ひとまずしばらくは僕の人狼疑惑も鳴りを潜めるだろう。スネイプと揉めたって聞いた時には正直生きた心地がしなかったけど…そっちも、なんとかなったみたいだね」
ジェームズが一人で喜んだり落ち込んだりしている最中、リーマスが私の手をぎゅっと握って涙声でそう言った。私はまた、ここに至るまでのリーマスの受けてきた境遇を思い、その熱い気持ちが伝播するような感覚を抱いた。
私の不安なんて、彼のそれに比べたらちっぽけなものだった。規則破りと人権侵害とじゃ、そりゃあ重みが違うのも当たり前だ。改めて、事が丸く収まってくれて良かったと思う。
「うん、また同じような話を聞いたらいつでも薬を作るからね」
こちらも熱を込めてそう言うと、またもやシリウスが私達の間に立ちはだかった。さりげなくリーマスと私の手を引き剥がし、そのまま私の腕を掴んで高く天井の方へ伸ばす。
「今回の作戦の功労者、イリスに!」
まったく、なんでもかんでも大袈裟にやるんだから。
そう思いながらも、4人が盛大に乗っかって拍手をしてくれたのは、正直…嬉しかった。
「僕らに作戦の説明をしてくれてた時のイリス、カッコ良かった!」
「ああ、僕は後から聞いた身だけど、まさかイリスがそこまで考えてるなんて思ってなかったからなあ────ほんと、クレバーでクールって感じだったよ!」
「危ないことを引き受けてくれてありがとう。一度でも秘密をつっぱねようとしたことを詫びるよ」
ピーター、ジェームズ、リーマスがそれぞれに私を褒めてくれる。
「少しでも役に立てたなら良かった。…パン職人も、たまには仕事しないとね」
へらっと笑って、照れてしまった心をごまかした。
その日の夜、遂に明日からテストが始まるという緊張感で、談話室はいつもよりピリピリしていた。図書室で参考になりそうな本を借りてから寮に戻り、リリーの姿を探していると────。
「イリス、少し良いか」
シリウスに声をかけられた。
「うん、何?」
シリウスは談話室の人気のない方に私を連れて行き、小声で背中を屈めながら言う。
「君、本当はまだ気にしてるだろ。スネイプがあのことを誰にも言ってないか」
────スネイプがもし誰かに「リーマスから呪いを受けた」という話をしていたとして、それがもし、"リーマスが狼人間であることを知っている人"の耳に入ったとしたら。
たとえスネイプに魔法をかけたこと自体は"正当防衛"だからといって一蹴されても、"リーマスが満月の晩に平気な顔をして外をうろついていた"事実は、問題行動として残ってしまう。
そこにいた"リーマス"は"本物のリーマス"ではないことが、すぐにわかってしまう────。
当然、"偽リーマス"の捜索が始まれば、その時その場にいたのが私だとバレるのは時間の問題だ。
リーマスの物真似を自然にできるほど彼らと仲が良く、ポリジュース薬を調合できるほど高い技術を持っている生徒────自惚れるつもりはないけど、その対象が自分に絞られることは、わかっていた。
言うまでもなく、私は"表"では"優等生"だ。
規則を守り、先生の言いつけを聞き、年相応の安全な魔法だけを用い、勉強熱心で成績優秀な"模範生"なのだ。
そんな生徒が、狼人間を守るためにポリジュース薬を作り、飲み、あまつさえ正当防衛といえども他寮の生徒に呪いをかけた────。
そんなことが明るみに出たら、3年かけて構築した信頼が崩れるのは、あっという間だ。
ただ私はあの時、私を褒め称え、リーマスの無事を喜んでいる友達を前に、とてもそんなことは言えなかった。自分の保身のための言葉など、絶対に空気に少しでも混ぜないよう注意してはしゃいでいた。
────だからこの時、シリウスが"全てわかっていた"のだと知り、かなり驚いてしまった。
同時に、この人にだけは嘘をついても仕方ないと悟る。
だってこの人は知っている。私の浅ましさを。抜けきれない弱さを。
「…気にしてる」
失望されたかもしれない、と思った。
せっかく友情と誠意を示して、彼らからの信頼を勝ち取れたと思ったのに。
こんな姿を晒していたら、結局自分が一番可愛い人間なんだと、また思われてしまう。
「いざとなったらデニスがいるって、ジェームズも言ってただろ。心配するな。君に迷惑がかかるようなことにはしないから」
────なのに、シリウスの言葉は私の予想を大きく裏切る────擁護の言葉だった。
「…え?」
「聞こえなかったか? だから、いざとなったら────」
「聞こえた、聞こえたけど…なんで?」
「なんで、ってなんで?」
「友達を救うためとか大口叩いたくせに、結局自分の保身のことを考えてるような奴…いつものシリウスなら軽蔑してくると思ってたんだけど…違うの?」
思ったままを言うと、シリウスは大きな溜息をついた。そして、薄くて綺麗な灰色の目で、私の目をまっすぐに見据える。
「君は勘違いをしてる」
「勘違い?」
「良いか、確かに僕は自分の保身しか考えない腰抜けは嫌いだ。でも、友達を助けるために保身も安全も捨てて体を張った奴の、"本来の生き方"を守りたいと思わないほど、薄情じゃない」
「本来の、生き方…」
「…まあ、そりゃあ…昔はあったさ。君の生き方そのものを見下してたことも」
1年生の時のクリスマスを思い出す。
「でも、実際君の生き方が現実社会において"賢い"やり方だっていうのは、この3年で僕もよく理解した。だって君はその賢さをフルに使って、友達のピンチを何度も救ってきてるんだ。君のその保身スタンスがなければ、今までの僕らも、そして今回のリーマスも、今頃どうなってたかわからない。そうだろ?」
…シリウスがそこまで私を買ってくれているとは思わなかった。
いつもその言葉は皮肉にばかり満ちているから、私の小手先の"賢さ"なんて、彼らからしたらただの"八方美人"と揶揄されるものだとばかり思っていたのだ。
「その君が、今度は窮地に追い込まれそうになってる。…まあ僕個人の意見としては、スネイプが先生に何か言うとは思ってないけど…君がもし気になるっていうなら、そして万が一の確率で本当に"偽リーマス"の存在が露わになるんだとしたら、その時は僕達が全力で守るから、安心して良い」
────全力で守るから。
こんなに力強い言葉、シリウスの口から初めて聞いた。
頼もしいとならいつも思っていた。頭が良いし、私のことを誰よりも知ってるし、シリウスには元々それなりの信頼を置いている自覚がある。
でも、そんな風に言われるなんて。
守る、だなんて、そんな。
「────大丈夫だよ」
誰かが守ってくれる。
事実、私はいつだって誰かに守られて生きてきた。パトリシアもそう、リリーもそう、悪戯仕掛人のみんなにだって、私は助けられて、守られながら生きてきた。
でも、言葉になって出てくるだけで、こんなにも気持ちが動くのか。
しかもそれを言っているのが、"誰かを攻撃することばかり楽しんでいる"シリウスだったというのも────私に衝撃を与えているのかもしれない。
あのシリウスが、私を守ってくれると言った。
それだけで、私の胃にここ2日ずっとのしかかっていた重いものがすっと消えていくような気がした。
「大丈夫。もし偽リーマスの正体を探られ始めても、私、上手にかわせるから」
「そうなのか? 何か考えが?」
「うん」
────本当はそんなもの、なかった。
真実薬でも盛られたら終わりだ。まあさすがにそこまでしないとは思いつつ、私はもしマクゴナガル先生に呼び出された時に何と言えば良いのか、まだその時のことを想定しきれずにいた。
でも、シリウスの魔法の言葉が、私の心を軽くしてくれた。
「だから私の代わりに誰かを生贄にはしたりはしないで。"その時"が来たらまた、何か改めてお願いすることがあるかもしれないけど────」
「ああ、なんでも聞く」
シリウスは素早く頷いた。
ああ、優しいなあ。
スリザリン生への行動には眉を顰めることもあるけど、こうして私を大事にしてくれているシリウスは、やっぱり何よりも────優しくて、情に厚い最高の友達だ。
「ありがとう。自分ひとりでもなんとかできると思ってるけど、シリウスが守ってくれるならもう無敵だよ」
「でも、そんな簡単に────」
正直、シリウスが私の"生き方"をそこまで尊重してくれていることの方が意外だった。
絶対わかりあえないと思っていた。似ているからこそ、私達の考え方は交わることなく、平行線を辿ると思っていた。
でも、シリウスは今、私のこんなつまらない保身を「そんな簡単に片づけられることじゃない」と心配してくれている。
────シリウスも、少しずつ変わってきているんだ。
周りに反発することだけが"全て"で、周りを受容する生き方を「軟弱だ」と揶揄するシリウスは、ここにはいない。
「簡単だよ。────私を誰だと思ってるの?」
だから、そんな風にちょっと茶化してみた。
不安はまだ残ってる。でも、私だけ置いて行かれたくはなかった。
私だって、変わっていっているんだ。
"保身的"な生き方を、いつか"それが私の賢さ"と胸を張れるように。
今回みたいに、いざという時にはちゃんと優先すべきものを優先できるように。
大事にしたいものを、全部全部守れるように。
意外と私って強欲なのかも。友達も優等生のレッテルも、どっちも手に入れたいなんて。
でも、"賢い"と言ってもらえる私になら、きっとできる。いや、できるようにならなきゃ。
ハリボテの賢さじゃ意味がない。中身の伴った、本当の賢さを────強さを────私は、見つけていかなきゃ。
「────ああ、ヤリ手のパン職人だったな」
シリウスは笑った。その笑顔はまるで子供みたいで────少しだけ、可愛く見えた。
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