3日後、満月の日がやってきた。
リーマスは今日も辛そうだ。来週から試験も始まるから心労も溜まってるだろうし、そうでなくたって髪がパサパサで目が落ち窪んでいるのを見るのは、こちらとしても心が痛い。
「さて、作戦の最終確認だ」
朝一で必要の部屋に集まり、ジェームズが指揮を執る傍ら、私はドロリとした黒い泥を混ぜていた。
「今日は防衛術、変身術、呪文学を受けた後、午後には魔法生物飼育学と薬草学が入ってる。薬草学が終わったら、一旦全員が必要の部屋に直行。イリスには早速リーマスになりきってもらうわけだけど────グリフィンドールの制服は僕がさっき予備のものを拝借してきたから、それを使って。靴だけはリーマス本人のを使おう」
「んで、そのリーマスはジェームズのマントを被って、いつも通り暴れ柳へ行くと。あ、昼のうちにマダム・ポンフリーに付き添いは今後一切いらないって言っておけよ」
続くシリウスの言葉に、リーマスが重々しく頷く。
「よし。そうしたら、僕がピーターに歌うたいの呪文をかける。ピーター、呪文をかけられてから医務室に行くまでは一切喋るなよ。どうせマダム・ポンフリーにはすぐバレるだろうけど、少しでも時間は稼いだ方が良い。医務室の前まで行ったらこの混乱薬を飲んで、あとはもう気分のままに歌って踊って騒げ」
「わ、わかった…!」
「そして僕とシリウスとイリス…リーマスになったイリスが、校庭を散歩する。あとはそこで偶然出会ったスネイプと楽しくお喋りをして、談話室に戻るだけだ」
今日は一瞬も気が抜けないな、と思った。
「イリス、何度も言うようだけど…」
「何度も聞いたから大丈夫だよ」
リーマスが心配そうに私の方を見ていた。この計画が成立した時から彼は、私がこの作戦に噛むことを良く思っていなかったのだ。
危険だとも、無謀だとさえも言われた。
「でも、もし調合を少しでも間違ってたら…」
「イリスが魔法薬の調合を間違えるかよ」
いい加減な口調だったけど、私を信頼してくれているシリウスの言葉が嬉しい。
「それに、変化してることがスネイプにバレたら…」
「そうならないようにリーマス、髪の毛何本かもらっておいて良い? 継続して飲んでいればバレないから」
「君は僕の癖や言葉をそこまでよく知らないだろう」
「お気づきでないようなら申し上げるが、イリスは僕らの中では一番リーマスに近い喋り方と動き方をするぞ」
私達全員に心配事を一蹴され、最終的にピーターに「僕も怖いけど頑張るから、リーマスも頑張ろう!」と言われたことで折れた。
「…みんな、すまない。僕のためにここまで…」
「なーに言ってんだよ。僕が自分の楽しい学園生活を守るためにやるんだから!」
「まさにその通りだ、友よ。君の問題は僕らの問題。その代わり、僕らの問題は君にとっても問題。…最初からそうだったろ?」
「僕、課題手伝ってもらったお礼がまだできてなかったし…!」
「私は友達の尊厳を守るっていう自分の信条をちゃんと貫きたいんだ」
そう、これは全員自分のためにやっていること。
もちろんリーマスのために動いたという事実は間違ってない。そこに根差すものが友情であることも間違っていない。
でも私達は全員、"リーマスと友達である自分"のプライドに懸けて、この計画を承諾した。
「…わかった、ありがとう。くれぐれも気を付けて」
一番辛いはずのリーマスは、そう言って疲れた笑顔を浮かべた。
薬草学の授業が終わった。私のチームは最後まで片づけに追われてしまっていたので、結局私が解放されたのは授業が終わってから10分程経った頃だった。
「イリス、今日も忙しい?」
「ごめん、今日まで忙しい」
「わかったわ。ご飯、少し談話室に持って行くから後で良かったら食べてね」
女神かと見まごうほどの笑顔のリリーに見送られながら、私は温室を飛び出した。
出たところでジェームズにちょいちょいと手招きされ、マントを被せられる。
「シリウスとリーマスは、先に忍びの地図で周囲を見ながら必要の部屋に向かってる。僕は君を安全に連れて行かなきゃいけないから、ここに残ってたんだ」
「ごめん、ありがと」
ジェームズにぴったりくっついて、8階へ。
(ジェームズは私がひっついても余計な動きひとつしなかった。私もシリウスとの連帯行動で慣れたからか、あまりドキドキしていない。そうだよ、本来忍び歩きとはこうあるべきなんだよ。ほら、だっていつもより速く移動できてる気がする。)
必要の部屋を開けると、既にぐったりした様子のリーマスが奥のソファに座っていた。シリウスは動物もどきの薬を作りながら私達を待っていたらしく、入室するなり「着替えはあっちのスペースでできる。服もかけてあるから使って」と言った。
昨日のうちに何本か切らせてもらっていたリーマスの頭髪を鍋に入れる。すると泥のような液体は、ブルーベリージャムのような綺麗な青紫色に変化した。
「すっごい、この色って入れる人によって変わるのかな」
「だったら納得だよな。リーマスはグリフィンドール生だけど、冒険者っていうよりは賢者っぽいし。ほら、レイブンクローとのハイブリットだよ」
感心したように騒いでいるシリウスとジェームズを横目に、私はドリンクボトルにその液体を流し込んだ。そしてシリウスが指した方向には────なんと、昨日まではなかったはずのスペースに、カーテンで仕切られた簡易更衣室があるではないか。
本当にこの部屋は便利だな、と思いながらカーテンを閉め、急いで自分の制服を脱いだ。たたむ時間も惜しみながら適当に脱いだ服を投げ出し、ラックにかかっていたブカブカの男子用制服を身に着ける。
その後で────痛かったらどうしよう、と一瞬よぎった迷いをぶんぶんと振り払い、私は薬をごくんと一飲みした。
その時の感覚は────誇りも友情も全て忘れ、「ああ、飲まなきゃ良かった」と思えるほどの、苦痛だった。
見た目はともかく、味はあまり良くない。子供の頃に飲んだ風邪薬みたいな味だ。
途端、体が捩れる。同時に胃も焼ける。息が苦しくなり、皮膚が爛れて溶けていくようにさえ見えた。
「────────っ!」
思わず、声にならない叫び声を上げる。
どこか遠くの方で、リーマスの呻き声が聞こえた。苦しんでいることを悟られたくなかったのでできるだけ声は抑えたつもりだったけど、それでも外に私の悶絶している様子は伝わってしまったらしい。
「イリス!?」
「大丈夫か!? 開けるぞ!?」
しかし、ジェームズとシリウスが血相を変えてカーテンを開けた瞬間、私の拷問も唐突に終わった。
「だい───大丈夫…」
余韻が残っていたせいで息は切れていたけど、痛みはもうない。
それより、自分の発した声が思った以上に低かったことに驚いた。
「わ、今これ、私がリーマスの声になってるってこと?」
「声はリーマスだけど喋り方が女っぽすぎるな。リーマスはもう少し柔らかい感じで、保護者みたいな声してる」
「こんな感じかい?」
「そうそう、うまいぞ」
「さすが女優だな」
「初めて言われたんだけど」
褒められているのかよくわからないまま、私はリーマスの靴を履いた。
すごい。さっきはブカブカだった制服が、今はぴったりと収まっている。見上げるばかりだったシリウスやジェームズの顔がすぐ傍にあるのも、なんだか違和感があって面白い。自分だけ高い台に立たされたような気分だ。
「大丈夫か? どこか痛いところや苦しいところはないか? 君まで狼になりそうな感覚とか…」
「ああ、ないよ。ポリジュースでコピーできるのは見た目だけ。今の僕は健康そのものさ」
わざと本人の目の前で口調を真似てみせると、リーマスはようやく安心したように笑ってくれた。
「リーマスとリーマスが喋ってるのを見るのってなんか変だな」
「ああ、双子ってこういう感じなのかな」
シリウスとジェームズがこわごわと話している。
さて、冗談はここまでだ。
「じゃあリーマスは透明マントを被って暴れ柳へ行って。シリウス、ジェームズ、私…僕達も行こう」
「オッケー。予備の薬は持ってるね?」
「もちろん」
「あとはピーターがうまくやってくれるかだな」
「一応医務室を覗いてから行こうか」
先に透明になったリーマスを外に出してから、私達は忍びの地図を見ながら階下へと降りて行った。
玄関ホールに降りる前、2階の医務室へ続く廊下に立ち寄る。
「ぼ〜〜くは〜〜〜〜よわむしの〜〜〜〜ケムシ〜〜〜〜!!」
「落ち着きなさい、ミスター・ペティグリュー!」
「お〜ちつけな〜いんだよ〜〜〜。た〜〜すけて〜〜マダ〜ム・ポンフ〜リ〜!」
…姿が見える前に、首尾は上々だということがわかった。
「僕は弱虫の毛虫…か」
「悪くないな。ひどい音痴なことを除けば」
「戻った時にいじめたりしないようにね」
「リーマス、リーマス! いやあ良いね、本物のリーマスみたいだ、今の言い方」
「当然だろう、本物のリーマスなんだから」
この人達ほどじゃないにしろ、私だって3年間リーマスと一緒に過ごしていたのだ。ちょとした言動を真似るくらいなら簡単なこと。
ピーターはうまくやってくれている。私達も、そのまま校庭へと向かうことにした。
6月になって、日も伸びてきている。ただ時間も時間なので、今は夕暮れの日差しが柔らかく校庭を照らしていた。
「リー…あー…あの子は大丈夫かな」
「大丈夫だろ。さっき窓から見てたけど、一瞬暴れ柳の動きが止まったのを見た」
さすがシリウス、ぬかりがない。
「それなら良かった」
「スネイプは?」
「いないみたいだ」
まさか、直接校庭には出ず、どこか高いところから校庭を見下ろしてでもいるのだろうか。
「薬、多めに持ってきて良かったな」
「うん。とりあえず真っ暗になるまでこの辺を散歩してよう」
そんなことを言いながら、校庭を散策する。禁じられた森の淵を回ったり、湖の中にいるイカを探したり、森番のハグリッドにあいさつしたり(私はよく知らなかったけど、シリウス達は危険生物が見られるからと、頻繁にハグリッドを訪ねているらしかった)、校庭中をぐるぐると回りながらスネイプを探す。
しかし、日が暮れて、夕食を取ろうと生徒達の大半が大広間に集まるようになっても、スネイプの姿は見えなかった。
「どうなってると思う?」
「ひとつ、結局尾行は諦めた。ふたつ、高いところから見下ろしてる。みっつ、これから現れる」
「2か3だな。スニベリーが諦めるとは思えない」
「"リーマス"、薬は?」
「うん、あと2時間は大丈夫」
「オーケー。じゃあもうしばらくウロウロして────」
「待って」
校舎の入口のすぐ近くから、男女の声が聞こえてきた。咄嗟に私は2人を黙らせる。
「ねえ、あの声、リリーっぽいんだけど」
「てことは…」
「相手はスネイプか?」
あの2人が会っているところに出くわすのはあまり良い方法とは思えなかった。リリーが泣いている可能性もあるし、何しろ私達がこうして2人の間を邪魔するのは、今回が初めてではない。スネイプがキレる可能性だって大いにあった。
でも、シリウスとジェームズは止まってくれなかった。私を置いて、ずんずん声のする方へ行ってしまう。
やがて、スネイプの方が先にこちらに気づいた。シリウス、ジェームズを憎たらしそうな目で見て────そして、私を見て驚愕に目を見開く。
「ルーピン!」
「…僕に何か用かい?」
こうなってはもう仕方ないので、私は再び"女優"になることにした。
どうしていつもジェームズに杖を向けるのに、今日ばかりは僕を最初に呼ぶんだい? …そんな感じで。
「朝見かけた時には随分と体調が悪かったようだが…どうしてこんなところにいる? 医務室に行った方が良いんじゃないのか?」
「ほうほう、スリザリンの生徒ともあろう方がお優しいことだ。いや、押しつけがましいこと、かな?」
「なんてこったい、リーマス。体調が悪いならどうして僕らに言ってくれなかったんだ?」
シリウスとジェームズが挑発しながらも私の方を見る。2人は実に楽しそうだった────実際、楽しくて仕方ないんだろう。
「いや? ちょっと試験前で寝不足だったから確かに午前中はあまり優れなかったけど…今はこの通り、元気さ」
「元気? 毎月この時期になるとあんなに憔悴しているお前が、今日に限って元気なのか?」
「スニベルス、お前はリーマスのストーカーか? リーマスの体調の良し悪しをそこまで気にしてるとは…リーマス、もしかしたらこいつ、君のこと好きなのかもしれないぞ?」
リーマスならなんと言うだろう…うん、多分今のジェームズの言葉は無視するだろうな。
「気遣いはありがたいけど、僕は元々あまり体が強くないっていうだけなんだ。悪くなるのが一定間隔かどうかなんて自分でも把握してないし、酷い時はちゃんとマダム・ポンフリーに診てもらってるから、問題ないよ」
「マダム・ポンフリーに校庭で病気を診てもらっているのか?」
スネイプの攻撃は止まらない。なかなか引き下がらないな、と心の中で少し苛立ちが募った。
これがリーマスになりきっているからなのか、それとも純粋に友達のことにここまで踏み込まれるのが嫌なのかはわからない。…おそらく、どっちもそうなんだと思う。
「誰と僕を見間違えたのかは知らないけど、僕の病気のことがそんなに気になるなら、君も校医になれば良い。マダム・ポンフリーはいつも人手が足りないって嘆いていらっしゃるからね」
「だ、そうだぞ。スネイプ」
「一体誰と見間違えたんだい? 好きになったあまり"誰でもリーマスに見える病"に罹ったのかな?」
「黙れ!」
スネイプが叫んだ。仕掛けてきたのは自分のクセに、とこの時ばかりはいつもの同情心がさっと冷える。
「ジェームズ、リーマス、もう戻ろうぜ。スニベルスは愛しのエバンズと逢瀬中なんだ。邪魔しちゃ悪い」
「そうだな。こんな陰気臭いところに長居したら僕らの鼻にまでスニベリーの脂がねっとりくっついちまうし」
「ポッター!」
リリーの怒った声が響く。その顔は────ああ、やっぱり泣いている。
スネイプがコソコソと私達を嗅ぎ回ろうとしていることは許せないけど、だからといってシリウス達の最後の捨てセリフ────あれはあんまりだ。度が過ぎる挑発にリリーの涙が加わったことで、私はついオロオロと視線をさまよわせてしまった。
いけない、いけない。今の私は"リーマス"だ。冷静に、手を出さず、上品に成り行きを見守らなきゃ。
「エバンズもそんな鼻くそ野郎さっさと捨てて、こっちに来いよ。僕ら、イリスとは結構楽しくやれてるぞ?」
「当たり前でしょ! イリスにまでこんな失礼な接し方をしてるようだったら、私はいよいよあなたに呪いをかけるわ!」
「おー、こわっ」
思いがけないところでリリーの友情を感じ、私の勝手に抱いた戸惑いが勝手に少しだけ引いていく("リーマス"としてはありがたいことなんだけど、"イリス"としては複雑な気持ちだ)。
結局なんとか沈黙を貫きながら、ケラケラ笑いながら玄関ホールへ戻って行くシリウスとジェームズについて行く。言葉は呑み込めたけど、心が「どうしてもリリーのことが心配だ」と言って聞かないので、最後に一瞬だけと思い、チラリと後ろを振り返った。
その時────。
スネイプが杖を構えているのが、見えてしまった。
「コンファン────」
「シレンシオ!」
唱え終わる前に、スネイプを黙らせる。
それは一瞬の攻防だった。
コンファンド。────効いていれば、私達のうちの誰かが"錯乱"させられていた。
対して私がかけたのは、人を黙らせる呪文。
咄嗟の判断だった。
だって、見たらスネイプがこちらに杖を向けていて、錯乱呪文を唱えようとしていたから────。
「リーマス!?」
ジェームズが慌ててこちらに駆け戻ってくる。
シリウスは「あーあ」という顔をして、ダラダラとその後ろからついてきた。
スネイプはまるで息さえできないというかのように顔を真っ赤にしながら、何事かを喋っているようだった。もっとも、声帯を封じているので声は出ないんだけど。
「…ルーピン…」
リリーは愕然としたようにこちらを見ていた。
ああ、やってしまった。
どうしよう。スネイプが後で「ルーピンに呪いをかけられた」と言ったら。
当然のことだけど、先生達の中には、リーマスが狼人間であることを知っている人もいるはず。
そのリーマスが満月の晩、元気いっぱいな体でスネイプに消声呪文をかけたなんて知られたら────すぐに"違う人間がポリジュース薬でリーマスになりすましてスネイプと喧嘩した"ということがバレてしまう。
それに、一体誰が私の味方をしてくれるだろう。
スネイプが呪いをかけてこようとしたから黙らせた。これは正当防衛だ。
でも、シリウスとジェームズはそれを見ていない。
スネイプは当然、「自分は何もしていない」と言うだろう。
そうしたら、その時リリーは────どちらの味方をするのだろう。
これがもし"私とスネイプ"の対立だったら、彼女は公平にものを見てくれるかもしれない。
だって、明らかにスネイプが杖を出して声を発する方が早かったのだから。
でも────ここにいるのはリーマスだ。リリーが大嫌いなポッター一味のひとりだ。
彼女が友達を庇う可能性が…うん、正直…ないとはいえない。
「どうしたんだよ、突然」
「スネイプが君らに錯乱呪文をかけようとしてたから、ちょっとだけ黙ってもらうことにしたんだ」
「は?」
シリウスが杖を出そうとするが、これ以上騒ぎを大きくしてはならないとその腕を止める。
「もうやめよう。呪いの応酬が始まったら先生方が出てくる。スネイプも、あんまり後ろから卑怯に不意打ちするようなことはしないでくれ」
それだけ言って、私は逃げるようにシリウスとジェームズを必要の部屋まで連れ帰った。
必要の部屋は、いつになく静かだった。
誰もが同じことを考えていることがわかる。
「────とりあえず、当初の目的は達成したな」
重い沈黙を破ったのは、シリウスだった。
「ああ、それに関してはイリスの機転のお陰で100点満点中200点だ。"リーマスを校庭で見た"っていう証言がマルフォイのものしかないなら、"見間違い説"は十分ありえる」
「誰と僕を見間違えたのかは知らないけど」という言葉は、我ながらよく咄嗟に出てきた"らしい"セリフだったと思う。それこそシリウスが言うように、"元々の計画"だけを考えれば、これは大成功とも言える結果に終わった。
ただ、その過程で新たな問題が発生してしまった。
「スネイプ、今日のことを先生に言うと思うか?」
「さあ…エバンズ次第じゃないか? あいつがスネイプに肩入れするとなったら、向こうに味方ができるわけだから、それはもう尾ひれ背びれをつけて"向こうが勝手に呪いをかけてきた"って話を吹聴するだろうさ」
「一応確認なんけどさ、イリス、」
「私から仕掛けたんじゃない」
「だよねえ。いや、ちょーっと僕らも言い過ぎたとは思ったよ」
「ちょっとじゃないよ、あんなの。一番ナイーブな日にあそこまで挑発する必要なんてなかったのに」
「ごめんって。リーマスが狙われてるって思ったらイラッとしちゃって」
文句を言っている間に、徐々に自分の体が縮んでいくのを感じた。ワイシャツがだぼだぼになり、袖や裾の中に手足が収まっていく。座っているので目線の変化は立っている時ほど顕著じゃなかったものの、髪が伸び、そして周りが少しだけ見えやすくなった。リーマス、意外と視力がそんなに良くないのか。
「とにかく、スネイプがなんやかんや言うようなら、僕らだって"リーマスのしたことは正当防衛だ"って主張する」
「僕らの意見をどれだけ束にしたところで、エバンズ1人の発言力には敵わないさ。それに、問題はそれだけじゃない」
「…満月の晩にリーマスが元気にしてる、そっちの方が問題だよ」
まさか"リーマスが元気でいてくれること"が仇になるなんて、思いもしなかった。
当然ダンブルドア先生や我らが寮監のマクゴナガル先生、そしてマダム・ポンフリーはリーマスの正体を知っているだろう。他の先生がどうかまではわからないものの、今回の件が"スリザリンとグリフィンドールの対決"という構図である以上、少なくともマクゴナガル先生の耳には入ってしまうような気がしてならなかった。
「どう言い訳する? また"見間違い"って通すには無理があるぞ」
「マクゴナガルが知ったらまず偽リーマスを探し出すだろうな。ポリジュースは言うまでもなく規則違反だ。僕とシリウスはもはや良いとして、リーマスと…何より君が困ったことになる」
2人の気遣わしげな視線がこちらを向いた。
「規則と友達じゃ、天秤にもかけられないよ」
なんとか笑って、いつか言った言葉を繰り返した。
しかし、それが私にとって大問題なのは間違いない。彼らの手前絶対にそんなことは言いたくなかったが────確かに、私がこの件に関わっていることがバレるとまずいのだ。
「まあ、いざとなったら少なくとも君は無関係だって言い通すさ。リーマスに化けたのは…そうだな、2年のデニスとかどうだ? あいつ、僕のファン一号だってもんのすごい騒いでるんだ。あいつなら僕らの規則破りの片棒を担がせようとしたら飛び上がって喜ぶよ」
「関係ない人を巻き込むのは良くない。大丈夫、もし私だってバレても、ちゃんと私はそれを受け入れるから」
「でも」
「良いの」
────このケースを予想していたわけじゃない。
でも、危険が伴うことならわかっていた。
その上で私は選んだんだ。
友達の尊厳を守るために全力を尽くすと。
その結果生じた罪の部分だけ彼らになすりつけるなんて、できるわけがない。そんなことをしたら、私はきっと一生私を許せなくなるだろう。
「とにかく、明日になってマクゴナガルが僕らを呼び出すかどうかだな。リーマスには明日朝一で話しておくよ」
「昼になったらもう一度ここへ集合しよう。各自何かしら情報を手に入れたら、報告すること」
結局そんな形で、その日はお開きとなった。
忍びの地図で先生達の位置を確認しながら談話室へ戻る。今夜2人と行動を共にしていたことがバレると面倒なので、東塔まで戻った時点で彼らとは別れ、私は回り道をして寮へ帰った。
中には数人の上級生がいた他に、リリーが夕食をテーブルに置いて待っていてくれた。
「おかえりなさい」
リリーが少し充血した目で微笑む。
途端に私はさっきの騒動を再びありありと思い出し────胃がぎゅっと痛くなった。
ただでさえスネイプとの話で涙目になっていたリリー。そこに大嫌いなジェームズが現れて、また一悶着起こして去って行かれたのだ。ストレスがかかって仕方ないことだろう。
「夕食、ありがとう。リリーは食べた?」
「ええ、少しだけね」
「じゃあ私もここでありがたくいただくね。…ところで、涙の跡がついてるけど…どうかしたの?」
あくまで何も知らない体を装って尋ねる。リリーは一瞬迷うように私を見て、それから"私が今体験してきた話"を聞かせてくれた。
「それで────私、信じられなかったわ。セブが────背中を向けてるのによ? もうどこかへ行こうとしてる3人に向かって、錯乱呪文をかけたの!」
信じられない、という言い方だった。
「えっ…じゃあ今3人は」
「いいえ…。ほら、ルーピンは防衛術が上手でしょう? きっと何か違和感に気づいたんだわ────セブが呪いをかけ終える前に、"シレンシオ"を唱えて言葉を止めたの」
「そう……」
本当はもっと残酷な呪いをかけても良かった。
友達の秘密を卑劣に暴こうとしただけでなく、背中に向けて呪いを放とうとするなんて、どう考えても真っ当な魔法使いのすることじゃない。たとえリリーの友達でも、許されざることだと思った。
でも────ここでも、私は弱かった。
できることなら傷つけたくないと。
そして、あまりおおごとにしたくないと────そう思ってしまったのだ。
あくまで防御に徹するだけ。絶対に攻撃はしない。
その範囲の中でなら、何をしたって結局は正当防衛になるだろうと思った。
スネイプのやっていることは姑息極まりない。公平に判断すればこっちの非はない。
────そう"なる"ように、弱い呪文を選んでしまった。
「私、ポッター達の言い方、大っ嫌い。あんなんじゃセブに"呪いをかけてください"って言ってるのも同然よ。でも、だからってセブが呪いをかけようとしたことに味方するつもりもないわ。やり合うにしたって、正面からじゃないとダメ」
まだ涙の跡を残しているリリーは、それでも毅然とそう言った。その言葉を聞いた瞬間、私はこの公平な魔女のことを少しでも疑った自分を恥じる。あっちこっちの立場に勝手に惑わされて、オロオロと突っ立ってるばかりの私とは正反対だ。
リリーは「シリウス達の味方はしない」という元々の立場を明確にした上で、それでも「今回のスネイプの行動は認められない」と、矛盾のない(そして私達が決して不利にならない)立場を表してくれた。
「そうだね、後ろから不意打ちは良くない」
この様子なら、スネイプがたとえ先生に言いつけても、リリーが私達の正当防衛を主張してくれるだろう。改めてリリーの人格に憧れると共に、リーマスが不当に罰則を受けることはなさそうだ、とひとまず安心した。
とは言っても、そもそもこの話がマクゴナガル先生の耳に入ってしまうこと自体が問題だという点は変わらない。
どうかスネイプが、"事を荒立てない"というアイデアを思いついてくれますように────。
なんだか落ち着かない気持ちのまま、私はその日眠れない夜を過ごした。
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