わたしは、自分が魔女だと聞いて、それはなんてすてきなことなんだろう、って思っていた。
でも、お母さまにとってはそうじゃなかったらしい。
「魔女だなんてそんな…得体の知れないもの…。だいたいご近所さんにはどう説明するの? この子はもうチェルトカレッジへ行くと言ってしまっているのに…名前も聞いたことのないような学校へ通わせて、しかも学ぶものが魔法だなんて…」
それっきり、お母さまはわたしに対して口をきいてくれなかった。「とにかく、お父さまが帰ってからこの話はします」とパトリシアにきっぱりと言って、部屋に引きこもってしまったのだ。
「大丈夫ですよ、マグル…ええと…魔法を使わない方々は、最初は皆様こうして戸惑われるものです。時には…そうですね、確かに最後まで受け入れられない方がいらっしゃることも、完全には否定できないでしょう。ですが、リヴィア家にはこのパトリシアがおります。奥様と旦那様がお話される時、もしお嬢様に不利になるような話が出ましたら、きちんと正しいご説明を差し上げますからね」
取り残されたわたしに、パトリシアがそう言ってなぐさめてくれる。
「お嬢様は、ホグワーツへお行きになりたいでしょう?」
行ってみたい。魔法という素敵な力が使えるなら、使ってみたい。
でも────。
「……お母様が許してくれるかどうか……」
わたしがそれを決めることは、できない。
パトリシアはいつも通りあいまいなわたしの言葉から、隠れた気持ちを抜き取ってくれたみたいだった。にっこり笑って、「お嬢様さえお嫌でなければ、パトリシアは全力でお手伝いしますよ。ホグワーツはとても素敵なところですから」と言ってくれた。
「パトリシアは、ホグワーツを知ってるの?」
「ええ、知っていますとも。わたくしも魔女でしたからね」
さらりと付け加えられた新事実に、あんぐりと口が開く。
パトリシアが────魔女?
だからホグワーツも、マクゴナガル先生のことも知っていたの?
だからさっき、「正しい説明ができる」なんて言ったの?
パトリシアは、うちでほぼ住み込みで働いてくれているお手伝いさんだ(夜と週末だけ、実家の家族の元に帰っている)。パトリシアの旦那さんのお母さんが元々、わたしの家の家政婦さんをしていて、今は彼女がその仕事を引き継いだらしい(だからパトリシアがここで働き始めたのは、ちょうどわたしが生まれるちょっと前くらい)。
確かに魔法でも使ってるんじゃないかと思うほど手際の良い仕事ぶりは、物心ついた時からずっと見ていた。それに、パトリシアは魔女みたいな真っ黒い格好が好きな人でもあった。だけど────まさか、それが本当だったなんて。
「あれ…でも、マクゴナガル先生は、魔法界と非魔法界は厳しく分けられていて、存在を隠されてるって…」
どうして魔女が、普通にわたしの家で働いていたんだろう。
そう尋ねると、パトリシアは「お嬢様は本当に賢くていらっしゃる」と困ったように笑った。
「私の娘は…あー…魔法が使えない子でしてね、マグルの世界で暮らす為に私も一緒に魔法界を離れる決心をしたんですよ」
「そうなの…」
非魔法族から突然わたしのような魔女が生まれるなら、魔法族から魔法の使えない子どもが生まれることもよくあるんだろう。魔法が使えないお子さんと一緒に暮らすなら魔法を使わない、魔女であることを言わない、という魔法界の社会のルールを、ここでわたしはよく理解した。
何より、誰より信頼しているパトリシアがそう言うんだから、ホグワーツっていうところは本当にすごいんだと思う。どうすごいのかはわからないけど、もしお母さまが良いよと言ってくれるのなら…パトリシアの素性が魔女でもマグル(?)でも、どちらでも良い。わたしの胸は、そちらの期待にふくらんでいた。
ちなみに、マクゴナガル先生が入学した時、パトリシアは7年生で、さらに監督生? っていう偉い生徒だったんだそうだ。マクゴナガル先生の方も、新入生ながらとっても賢い生徒だったから学校中の有名人で、そんな2人はごくごくたまに会話をすることもあったらしい。ただ、「もっとも寮が違うので、そう仲が良かったというわけでもないんですけどね」というところの意味はよくわからなかった。寮が違うと、何か困ることがあるの?
────そして、来たる9月1日。
わたしは、キングズクロス駅に、大きなカートを持ってお母さまと一緒に立っていた。
そう、マクゴナガル先生がいらしてから約1ヶ月、わたしは無事にホグワーツ行きを許してもらえたのだ!
大きなカートに大きなトランクを積み込む姿なんて絶対目立って仕方ない。そう思っていたのに、ホームにはそんな子どもたちでいっぱいだった。わたしのようにトランクだけを入れている子もいれば、ふくろうやカエルを連れている子すらいる。
ここから9と3/4番線に行くためには、9番線と10番線の間にある柱を通り抜けて行く、って聞いてるんだけど────慣れた様子で柱の中に吸い込まれていく家族、それを見て不安そうに小走りになって後に続く家族が見えた。魔法族のひとも、非魔法族のひともごちゃ混ぜになっているのが一目でわかる。なるほど、ああやって本当のホームに行くのか…。
「…すごいわね、最初は人が消えるなんて、って思ったけど…本当に"こんなところ"に隠されたもう一つのホームがあったなんて!」
お母さまは上機嫌だ。わたしは何を言ったら良いかわからず、「そうですね」とだけ返した。
わたしをホグワーツに行かせてくれた一番の助っ人────パトリシアは、今日は子どもの学校行事があるという理由で、ずっと前からこの日はうちに来ないことが決まっていた。だからここにいるのは、お母さまとわたしの2人だけ。
でも言うまでもなく、パトリシアの熱心な説明がなかったら、わたしは今ここにいなかったと思う。
最初は誰かが仕組んだ嘘だと思っていたお母さまとお父さまは、案の定わたしを「そんな学校へやるなんて」と言っていた。
でもパトリシアが、毎晩家に帰る前にホグワーツがいかに歴史ある学校か、そこで学べる事がいかに名誉か、といった"魅力的な説明"を、これでもかというほどに聞かせてくれていたようだった(詳しい話の内容は知らない。「大人の話だから」とお母さまに居間を追い出されてしまっていたから)。
それから(パトリシアの言葉を助けてくれるように)、マクゴナガル先生が来た日から相次いでホグワーツからの手紙が運ばれてくるようになった。驚くべきことに────それを運んできたのは、郵便の配達員さんではなく、"ふくろう"だった。
"マグル向け"と添え書きされた"魔法界とはなんたるか"という説明書。必要な教科書や備品のリスト。それを買う場所の説明。当日の電車のチケット。
どんどん目を逸らせなくなっていくお母さまとお父さま。パトリシアはどうやら、簡単な魔法まで2人の前で見せたらしい。
最終的に教科書類を買う"ダイアゴン横丁"とやらに実際に連れられてみてはじめて、2人も魔法界の存在を認め────そして、魔法界におけるホグワーツの立ち位置を理解してくれたようだった。
本当は非魔法族の人の家には、誰かホグワーツの人がやってきて全て説明してくれるらしい。でも、わたしの家の場合はパトリシアがいたということで、全部済んでしまった。きっとお母さまとお父さまにとっては、そちらの方が好都合だったんだと思う。だってパトリシアは、お父さまが子どもの頃からお勤めしてきていた家政婦さんが太鼓判を押した、"信頼できる人"だったから。
それに元々、お母さまとお父さまは、非現実的なことが嫌いというわけではない。
ただ"得体の知れないところ"でわたしがこれまで通り"優等生"────つまり"自慢の娘"として誇れるかどうかということを、何より疑っていただけ。
ホグワーツがいかに優秀な魔法使いを生み出しているかを知り、そこが魔法界の中で最も優れている場所だということも(主にダイアゴン横丁の経験で)理解した2人は、最初のとまどいなどどこへ行ったのかと言いたくなるほどの熱で、わたしの入学を許してくれた。
ホグワーツに行けること自体は嬉しかった。パトリシアに何度もお礼を言った。
それでも、お母さまが"魔法使いは特別なのだ"と思ってくれることは、必ずしもわたしの気持ちを軽くしてくれなかった。
お母さまはどうやら、わたしが"特別な力を持っている上に特別な場所でその訓練を受けられる"という事がいたく気に入ったらしく、「そのホグワーツ? とやらで主席になってきなさい。良いですか、これは必ずあなたの為になるから送り出すのよ。試験で落第なんて取ってリヴィア家の恥を晒さないでちょうだいね」と言い出す始末。
せっかく魔法を学べるようになったと喜んでいたのに、そう言われた瞬間またわたしの胃がシクシクと泣き出してしまった。
「……奥様ではないですが、寮生活というのは確かにお嬢様の為になるかもしれません」
入学前日、「明日はお見送りができず申し訳ありません」と前置きして、パトリシアははげますようにそう言った。
「ご両親にはお話ししていないホグワーツの魅力は、まだまだたくさんあります。何かあったら…何もなくても、いつでもふくろうに手紙を持たせて飛ばしてくださいね。奥様に言えないようなことはパトリシアがちゃんと黙って墓場まで持って行きますから」
"両親に話していない魅力"ということはつまり、あの場所には"優等生らしくない"ちょっとした冒険もたくさんつまっている、ということなのだろう。
パトリシアの言葉を聞いているうち、わたしの顔がゆっくり笑えるようになる。
「…ありがとう、パトリシア」
一度だけ握手を交わして、家に帰って行くパトリシアを見送った。
「では、しっかりやるのですよ、イリス。くれぐれも粗相はしないように」
「はい、お母さま」
昨夜のパトリシアの顔を思い浮かべながら、上手な笑顔を作ってお母さまにお別れの挨拶をし、わたしは汽車に乗り込む。
自分の常識が通用しない世界は不安や心配でいっぱいだけど、それでもなぜか、家にいる時よりかは軽い気分でいられるんだから、不思議なものだ。
汽車の中は生徒でいっぱいだった。上級生だろうか、体の大きな生徒もたくさんいて、コンパートメントはすでにわきあいあいとした空気が完成されているところばかりだったので、重いトランクを引きずりながら一生懸命静かな場所を探す。
すると、後方に1つだけ、誰もいないコンパートメントを見つけた。
ほっと安心して、トランクを荷物棚に置き、ゆったりと座り込む。
途中でまだぎくしゃくとした雰囲気の────おそらく非魔法族出身の子同士で固まったんだろうコンパートメントも見てきたから、自分と同じ境遇の子が多いことはなんとなく察していた。同時にきっと同世代の、すでにこの環境に慣れているんだろう魔法族出身の子たちが、おずおずと自己紹介をしているところもたくさん見てきた。
そんな子たちと情報交換ができないのは少し残念だったけど(「できるだけ早めに優秀なお友達を作るようにね!」というお母さまの声が頭の中で響く)、仕方ないからホグワーツに着くまではひとまずここでひとり────。
「ここ、座っても良いですか?」
────と思っていた矢先のことだった。
初めての旅行気分で外の景色を眺めるわたしに、1人の女の子が声を掛けてきた。
深くて豊かな赤い髪。目はきれいなアーモンド型で、赤とよく似合う明るい緑色。とっても可愛い子だった。それなのに表情は…まるで今にも泣き出しそうなくらい悲しげなものだから、わたしもビックリしてしまった。
「もちろん、えぇと…どうぞ」
ぎこちない笑顔で自分の前の席を指し示すと、女の子はそれ以上のぎこちない笑い方をして入ってきた。入口に近いところに座っていたわたしと、1つ分席を離して一番窓際にちょこんと腰かける。
…なんだか、とても気まずかった。同い年くらいの、それも女の子だったから、名前とか…ホグワーツに4つあるという寮の話とか、いろいろできるかなって思っていたのに。これじゃあとてもじゃないけど仲良くはなれそうにないなぁ。
たまにチラッと視線を向けてしまうのでさえ失礼になりそうで、どうしたら良いんだろうとしばらくグルグル考えていたら────あ、大変。この子、ついに泣き出しちゃった…。
人見知りってほどじゃないけど、初対面の人にあれこれ話しかけるのは得意じゃない。でもこれは、どうしたって放っておけなくなってしまった。
「あ、あのっ、どうかしたの……────」
そして次の瞬間────
「ね、ここまだあいてる?」
突然コンパートメントの扉が開き、外から2人の男の子が顔を覗かせた。今口を開いたのは、ハシバミ色の目を輝かせて笑っている、くしゃくしゃの黒髪の子。「この後誰も来ないようなら、相席しても構わないかな?」と尋ねてきた。そのすぐ後ろには、仏頂面をしたとてもきれいな顔立ちをした男の子がいた。その子ももう1人と同じ黒髪で、目は灰色。そして片割れより、少しだけ背が高い。
話しかけようとした言葉を遮られたのと、その知らない男の子があんまりにもニコニコしていたのとで、すっかりわたしは困ってしまった。そうこうしている間に女の子はフイッと窓の外の方を向いてしまい、完全に他人をシャットアウトしちゃったみたい。
だからしょうがなく、わたしが頷いた。
1人の男の子はわたしと女の子の間に座り、もう1人がその向かい側にゆったりと座った。両側に知らない女子が2人いるのも嫌かなって思って移動しようとすると、間にいた男の子(ハシバミ色の目がとってもきれい)は、「あぁ、そのままで良いよ」って笑って言ってくれた。
「それより彼女、きみの友達? どうかしたの?」
少し落ち着いて、外がのどかな田舎の風景になった頃、ハシバミ色の子がこっそりわたしに尋ねてきた。赤髪の女の子は、相変わらず窓の外にだけ視線を向けて、静かに泣いている。
「わ────わかんない。わたしもさっき初めて会ったんだけど、ずっと悲しそうで…」
「ふぅん…」
「なぁ、ジェームズ。それよりこの後さ────」
ちょっとだけ顔をしかめたハシバミ色の子に、灰色の目をした男の子がすぐさま話しかけた。どうしようもないって思ったのか、それから2人は女の子にまったく構わず、楽しそうにいろいろな話を始める。
たまーにこっちにも質問が来るけど、魔法界のことはあんまり解らない。そう言ったら2人はとても驚いた顔をしていた────どちらも、生まれた時から魔法界にいたらしい。
それからは逆に、いろいろなことを教えてくれた。
「ホグワーツはイギリスの魔法使いなら大抵みんなそこへ行く学校なんだ。全てを教えてくれるんだよ」
ハシバミ色の子…ジェームズ・ポッターは、得意げに両腕を広げてそう言う。わざとらしい仕草を鼻で笑うのは、灰色の目のシリウス・ブラック。
「ただ、いろいろ面倒な校則があるらしい。それも卒業するまでにいくつ教えてもらえるか…楽しみだ」
「破った数でも勝負するかい?」
見るからに悪ガキ、って言葉のしっくりくる2人は一気に馬が合ったみたいで、ずっと笑っていた。確かに話は面白いんだけど、わたしはどうも窓際の女の子が気になってしょうがない。
放っておいてほしそうな雰囲気があるから、この騒がしい2人をおいて話しかけるのもちょっと迷惑になりそうだし…。
そう思っていたら、再びコンパートメントの扉が開いた。今度入ってきたのは、顔色が悪くてあまり健康的に見えない男の子。ポッターとブラックの話では、まだ到着までにしばらく時間がかかるってことになってたけど、もうこの子はすでにホグワーツの制服を着ている。
この子も魔法界に詳しいのかな?
男の子は何も言わずに中へ入ると、まっすぐ女の子の目の前に座った。女の子はちらりと不健康そうな子の顔を見て、またすぐに外を見てしまう。
でも、それだけでは終わらなかった。ポッターとブラックがあまりにもうるさかったから何も聞こえなかったけど、どうやら窓際の2人はお話をしてるらしいのだ。
知り合い、いたんだ。
じゃあ…あの子とケンカして泣いちゃってた、とかかな?
それで仲直りに来たんだったら安心だな。
そう思って、わたしも今度はポッターたちの話をちゃんと聞こうと身を乗り出す。しかし、ポッターがその直後に口を開いた時、それはブラックへの返事なんかじゃなかった。
「スリザリン?」
え? スリザリンって…あの、寮の名前?
わたしからは、小声で話している赤髪の子と不健康な子の会話は聞こえない。でも状況から見て、ポッターが2人の話に割って入ったのは明白だった。たぶん、2人のうちのどちらかが「スリザリン」という言葉を発して、ポッターがなぜか敏感にそれに反応したんだろう。
「スリザリンになんか誰が入るか! むしろ退学するよ、そうだろ?」
わたしとブラックを見ながら高らかに言うポッター。
ムスッとしているブラックの顔を見ながら、わたしは突然出てきたなじみのない言葉に、みっともなく視線をオロオロさまよわせてしまう。「そうだろ」って言われても…。
でも状況をわかっていないのはわたしだけみたいで、そこにはなんだか余計に緊張した空気が流れていた。
えっと、別に今わたし…寝てたとかじゃないんだけど…なんでこんなに話についていけないのかな…。
答えられないわたしと、明らかに固まっている窓際の2人に代わって、ブラックが不機嫌そうに口を開いた。
「僕の家族は、全員スリザリンだった」
するとジェームズがものすごく驚いた顔をする。え、なんで? スリザリンって確かに聞いた話だとちょっと怖そうだけど、でも、そこに入ることってそんなに悪い事なの?
「驚いたなあ。だって、きみはまともに見えると思ってたのに!」
「たぶん、僕が伝統を破るだろう。きみは、選べるとしたらどこに行く?」
「"グリフィンドール、勇気ある者が住まう寮"! 僕の父さんのように」
ポッターとブラックの会話を聞いていると、どうやら2人の間でスリザリンこそが"悪"で、グリフィンドールが"善"っていう共通の認識があるらしい。
するとそれまで黙っていた不健康そうな子が、小さく鼻を鳴らした。本当に不愉快そうな…こっちまで嫌な気分になる反応だ。
当然勢いの良いポッターがそれを無視するはずもなく。
「文句があるのか?」
…どう見てもケンカを売ってるよね、これ…。
どうやらさっきのピリッとした空気にわたしがついていけなかったのは、ひとえに窓際の2人の会話が聞こえていなかったから、らしい。
「いや。きみが、頭脳派より肉体派が良いならね────」
「きみはどこに行きたいんだ? どっちでもないようだけど」
ポッターだけでなくブラックまで加勢したことで、今度こそ悪くなっていく車内の空気。
ついに耐えきれなくなったのか、今ではすっかり涙が止まった女の子が急にガタンと立ち上がった。
「セブルス、行きましょう。別なコンパートメントに」
髪と同じくらい顔を赤くして、女の子は不健康そうな男の子…セブルスをつれて行ってしまった。わたしの目の前を通る時にちょっと目が合うと、「ごめんね」って謝って出て行く。ポッターが赤髪の子の声色を真似ながら、セブルスが目の前を通る時に足を引っかけようとする。
「まーたな、スニベルス!」
何も悪いことをされていないのに、そして何も悪いことはしていないのに、なんだか心が痛くなった。他のコンパートメントはほとんど他の生徒で埋まっていたけど、ちゃんと別の…もう少し落ち着ける場所が見つかると良いな。
2人の姿が見えなくなった後で改めてポッターとブラックを見ると、そっちの2人はもう女の子とセブルスの事なんてすっかり忘れてしまったように、別の楽しい話を初めていた。
「? リヴィア、どうしたの?」
自分でもわかるくらい困った顔をしていたわたしに気づき、ポッターが尋ねてくる。
言いたいことはいっぱいあった。
どうしていきなりあんなことを言ったの、スリザリンってそんなに悪い所なの、何かあの男の子と昔に嫌なことでもあったの、女の子の方は泣いてたよ────
「……う、ううん。なんでもない」
でも結局どれも言えなくて、わたしはそんな適当な返事しかできなかった。それがまた悲しくて、せっかくの汽車の旅が台無しになってしまった。
降り立った先では大きな男の人が待っていた。ビックリしたけど、その人の目はキラキラしていて、そしてとても優しかった。そのままわたし達は湖まで連れられ、そこから船に乗って、大きな大きなお城へと向かう。そこでも赤髪の子とセブルスの姿は見えなくて、何故かポッターとブラックと一緒のままだったけど、その2人は特別わたしに興味を持っているようではなかった。2人で楽しそうに会話して、たまにその情報をわたしとも共有してくれる。そんな感じ。
お城の玄関まで辿り着くと────扉の中から、1ヶ月前に見たマクゴナガル先生が現れた。あの時は妙ちきりんに見えていた格好も、このすごく…神秘的なお城の中では、とても似合っているように見える。
「ご苦労様です、ハグリッド。ここからは私が引き受けます」
わたしに向けられたわけでもないのに、マクゴナガル先生の厳しい声には自然と背筋が伸びる。ハグリッドと呼ばれた大きな男の人は礼儀正しくお辞儀をして、わたしたちみんなに「頑張れよ」と笑いかけてから、どこかへ消えた。
「入学おめでとうございます。これから新入生の歓迎会が始まりますが、席に着く前に、皆さんには組分けの儀式を行っていただきます。既にご存じの方も多いでしょうが、我が校にはグリフィンドール、ハッフルパフ、レイブンクロー、スリザリン、4つの寮があり────」
マクゴナガル先生が、寮の説明を簡単にしてくれる。これからわたしたちは、そのうちのどの寮に属するか決める儀式を行うらしい。
やっと来た────わたしの7年間が、ここで決まるんだ。
そっと隣を見ると、ちょうどブラックと目が合う。だらけきった顔を見ていたら緊張している自分がおかしくなってきて、ついひっそりと笑ってしまった。
空中に浮かぶろうそく、ピカピカに磨き上げられた食器、たくさんの上級生────魔法に満ちた大広間に入ると、全員の視線がこちらに集まった。自分がこの輪に入る事を意識すると、心臓がドキドキと高鳴る。
特に正面に並ぶ先生方の列の中央に座っている白い先生。キラキラとした青い瞳は、ここからでも優しい温度を感じる。何も言われなくても、あの先生が一番偉いんだろうなって、簡単に想像できた。
マクゴナガル先生の引率で連れてこられたのは、先生方が座るテーブルの前に置かれたイスに乗っている、古びた帽子の前。
あれがどうやら"組分け帽子"らしい。
何やら歌い出した時は驚いたけど、内容はマクゴナガル先生がさっき聞かせてくれたものと同じ────各寮の説明と、"帽子"がそれぞれに相応しい寮を判断するというもの。
それが終わると、どんどん生徒の名が呼ばれていった。
「アルベルト・ロジャー!」
最初に名前を呼ばれた子がよろよろと前に進み出て、イスに腰かける。
そして帽子を被った途端、
「ハッフルパフ!」
大広間中に響き渡る声がとどろいた。その声量に、びくりと肩をすくませる。
う、わ。こういう感じで決まるんだ。全校生徒と先生の前で────7年間過ごす場所が────。
列が短くなっていくのを見ているうちに、さっき忘れたはずの緊張が戻ってくるのを感じた。
「リヴィア・イリス」
ついに来た。
マクゴナガル先生の厳しい声に呼ばれ、ドキドキ心臓を鳴らしながらイスに座る。帽子を被るとギュッと視界が暗くなった。
「ふーーむ……」
聞こえてきたのは低い声。どうやら帽子が喋っているらしい。
「これはまた…なかなか素質のある生徒だ…。聡明で、協調性もあり……慎重だがどこかであっと驚くような冒険を望んでいるね?」
「冒険……?」
思わず聞き返す。冒険だなんて、わたしの人生とは一番関係ないことなのに。
「そうだ。決められた通りにばかり動くのはつまらないと思わんかね?」
「でも、お母さまが」
無意識に呟いて、胃がキュッと縮んだ。忘れていたのに、朝に見たお母さまの顔が、脳にこびりついて離れなくなる。
「ここはホグワーツだ」
帽子は短くそう言った。わたしのシクシク泣いている胃は、一瞬穏やかに笑ったような気がした。
「ホグワーツ………」
「今まで知らなかった世界へひとりで来て、それでもまだ竦んでいる君に相応しいのは…そうだね――――…グリフィンドール!!!」
大きな拍手が聞こえた。帽子を脱いでふらふらと、わたしを歓迎してくれる笑顔の中へ歩いて行った。名前も知らない上級生が椅子を引いてくれ、すとんと収まるなりかぼちゃジュースを勧められる。
「ようこそグリフィンドールへ! 喉渇いたろ?」
この時しゃきしゃきと快活に世話を焼いてくれたのは、5年生のミラという女性だった(近所で仲良くしていたミラと同じ名前だ。穏やかなあっちのミラとは違って、こっちのミラはとても気が強そう)。
「グリフィンドールは勇気のある生徒が集まる寮なんだ。まぁ…一概に言える話でもないけど、こうして同じ寮になったみんなで一緒に頑張っていこう」
ミラがそう言って笑うと、彼女の更に隣に座っていた男性も「わからない事があったらなんでも聞いてくれよ!」と楽しそうに話し掛けてくれる。
勇気のある生徒が集まる寮────ちょっとだけそれが引っかかったけど、頭がぼうっとしているわたしにはまだ、その理由を考えるだけの余裕はなかった。
全員の組み分けが終わり、真ん中にいた白い先生────名前はダンブルドア、というらしい────ダンブルドア校長の号令で、一瞬にして目の前のお皿に豪華な料理が現れる。
「うわぁ…」
すごい、こんなところにまで魔法が。
「きみはマグル出身なの? じゃあきっと驚くことばっかりだったろうね!」
ミラがお肉を豪快に食べながら、ずっとわたしのことを気にかけてくれている。もちろんわたしだけじゃなく、彼女の周りにいる新入生全員に温かい言葉をかけていた。
「は、はい…その…駅とか…」
「アハハ、私もマグル出身だから気持ちはよくわかるよ。最初に柱を通った時、怖かったもんなあ。でもホグワーツじゃ、あんな驚きなんて簡単にひっくり返るようなことが毎日起きるんだ! 楽しみにしてると良いよ!」
後で聞いたところによると、ミラは"監督生"という下級生を指導する立場の人だったらしい。なるほど、道理でわたしたちのことをことさら気にかけてくれていたわけだ。
夕食後、グリフィンドールの談話室に案内されながら城内をてこてこ歩いている中に、ポッターとブラックと────それから、あの赤髪の子の姿も見かけた。
セブルスは、同じ群衆の中にはいなかった。
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