6月末、試験のシーズンがやってくる。
生徒たちは空き時間のほとんどを費やして談話室や図書室にこもるようになっていた。
先生たちも、生徒からの質問や試験前の準備に追われている────つまり、校舎内は今、絶好の探索チャンスということだ。
私は周りの引きこもり方に反比例するように、必要の部屋に行く頻度を増やしていた。
3月頃、レギュラスと話して"スリザリンの正当性"について一理あるものと思った私は、それから狂ったようにホグワーツの、そして魔法界の差別の歴史について調べていた。
もちろん、メインの調査目的はホグワーツ創設者達の思想と、それを受け継いだ者達の思想について。でも意外と、ホグワーツそのものが辿ってきた足跡を辿るのも面白かった。しもべ妖精をホグワーツに取り入れた時期のこととか、グリフィンドール寮は昔別のところにあった、なんて記述もあったのだ(シリウス達なら昔のグリフィンドール寮がどこにあるのかも知ってるのだろうか)。
試験勉強なら、ちゃんと門限前に寮に戻った後にやってるから問題ない。リリーは私が度々いなくなることを不審に思っているようだったけど、図書館に行ったり先生に質問をしに行っているのだと納得しているようだった(もしここで素直に「何をしてるの?」と訊かれたらこちらも本当のことを話そうと思っていたけど、自分の中で答えが出るまで自発的にこの話をわざわざしようとは思わなかった)。ちょっとだけ寝不足なのと、頭をいつもフル回転させてることで、疲れはたまってるけど────でも、今の私の探求心の前に、そんな疲労なんて気にしてはいられない。
実際、より深く調べてみると、スリザリンの言葉はだいたい私があの日予想した通りの(つまり、マグルは"正しい統治"に敷かれ、より強くより"善い"者によって支配されるべきという)思想であり、確かに理解の余地があるものでもあったんだけど────それでも、それはあまりに極端な考えすぎる、と言わざるをえなかった。
スリザリンは、魔法使いは結束し、正しき統治のもと力のない者は排除すべきと考えていた。魔法の使えない者は素質がない者、だからより強い者によって支配されることによって"より善い世界"が生まれると考えていたらしい。
ただ、実際にホグワーツが創立したのは993年。魔女狩りが行われ、機密保持法が制定されるよりはるか前のことだ。
つまり、マグルが魔法使いを排除する前から、既に一部の魔法使いはマグルを自分より弱い者、軽視しても構わない者とみなしていたことになる。
彼らはきっと知らなかったんだろう。マグルが"魔法"を使えない代わりに"科学"を発展させてきたことを。先天的な力のない者を、それだけで侮るべきでないということを。
スリザリン、あるいは機密保持法により暗がりへ追いやられた"強大かつ狡猾な魔法使い"がマグルを蔑視する気持ちも、客観的な視点に立てば理解できないものではない。ただどうしても、共感はできなかった。レギュラスの言っていた言葉を噛み砕いた日には納得できたような気もしたが、彼らの"純血であることこそ魔法使いの証"という言葉は、ちょっと時代遅れのような気がする。仲間や家族を大事にする精神は良いと思うんですけどね、外側への対応があまりに排他的だよね。
その点、グリフィンドールはマグル差別に当初から反対していたらしい。差別反対運動も率先して行っていたそうだ。騎士道を持つ者であれば、誰でも関係なく学ぶ資格はあると唱えていたらしい。…裏を返せば、"臆病者はこの高尚なホグワーツから去れ"と言われているみたいでもある。その項目を読んだ時、私はついギクリと身をすくませてしまった。改めて思うんだけど、どうして帽子は私をグリフィンドールに選んだんだろう。
レイブンクローは、機知に富んだものを迎え入れるべきと言っていた。こちらも出自は関係ない、ただ知性こそが最大の武器と考えていて────そのせいで、なんと寮内では互いを蹴落とすようなあまりフェアじゃない行いが目立っていたらしい。確かにレイブンクロー生は単独行動が多いというか、他の寮生みたいに"仲間たちとワイワイ談笑している"姿をあまり見かけないと思った。自分が一番賢いんだってアピールするためには手段を選ばないってやつね。これもちょっと、賛成しかねる。
最後のハッフルパフは、勤勉と調和を重んじる人だった。魔法が使える者でさえあれば、等しくこの学校で学ぶ権利があると────この時点では、一番共感できる意見だと思った。それに、闇の魔法使いをほとんど排出していないことでも有名らしい。誰もが一度は闇の魔術にひかれる瞬間が来る、なんてどこかの本に書いてあったけど、それが本当なら、ここの生徒は本当にすごいと思う。
ただ────読んでいて思った。ハッフルパフの生徒は、もちろん全員とは言わないけど────ちょっと、争いを嫌いすぎる傾向があった。いざという時に杖を抜くことをためらってしまう。人をつい信じてしまう。
それは確かに美点なんだけど…私でさえこの2年間で何度か危険な目に遭っていて、それこそ私はゴドリック・グリフィンドールもさじを投げるであろう臆病者なのに、とっさに杖を抜いたことも、人と衝突したこともあった。あの時私が杖を抜いていなかったら、あの時私がシリウスとケンカしていなかったら、私はきっと、友達をもう何人か失っていたことだろう。
中立地点に立って、魔法界の歴史を調べつくして、差別思想も魔法使いの立ち位置もあらかた理解したところで、私が出した結論は────。
「誰も良い人がいない!」
必要の部屋に誰もいなかったのを良いことに、私はつい大声で叫んでしまった(声に反応する本が奥の方で「うるさいぞ!」と返事をしてくれた)。
いや、みんな良いところはある。確かにそれはそうだ。
でも、諸手を挙げて賛同できる人は誰もいなかった。みんな良いところも悪いところもあって、理解できるところもあれば絶対共感できないところもあった。
考えてみれば、そんなこと当然だ。
何もそこまでさかのぼらなくたって、私の身近にもそんな人であふれていたじゃないか。
シリウスは賢いし友達思いだけど、皮肉屋。
ジェームズは明るくて楽しい人だけど、自慢が多い。
リーマスは上品で大人っぽいけど、いつも一歩引いていて自己主張をしない。
ピーターは純粋で優しいけど、臆病。
リリーでさえ、賢さも楽しさも優しさも上品さも兼ね備えてるけど────あの頑固っぷりには、ちょっと困る時がある。
みんな私の大事な友達だ。でも、大事な友達にでさえ、良いところも悪いところもある。
つまりはそういうことなんだ。
スネイプやマルフォイに対してはかなり嫌な気持ちを持っていたけど、彼らにもきっと、良いところはあるんだろう。出した結論は、そんなものだった。
さて、その上で考えをまとめよう。
私がスネイプやマルフォイを好きになれない理由────たぶんそれはすごく単純で────向こうが私を嫌ってるから。
上手に世渡りしようと思っていたけど、嫌われてしまったものはもう仕方ない。
昔の私なら、"誰からも好かれること"にやっきになっていたかもしれないけど、私はもうそれに何度か失敗して(この間のスネイプみたいにね)、"昔の自分"のままではやっていけないことを知った。
まだ少し自分が嫌われてるっていうショックはあるけど、仕方ないって何度でも言い聞かせよう。
あと、スリザリン側の意見も悪いばかりじゃないとは思ったけど、やっぱり恐怖で人を従わせたり、わざと差別を助長させるようなやり方は好きになれない。
スリザリン生全員がそうってわけじゃないから、ここは慎重に見極めたいんだけど────恐怖政治を良しとする人や、差別を楽しんでいるような人がいたら、その人とは絶対に距離を置こう。
そもそも私、呪いとか好きじゃないしね。杖を抜かなきゃいけない時だって、できるなら攻撃じゃなくて防御のためにそれを使いたいって思う。
そうだな…今まで見てきたスリザリン生はだいたい私達をグリフィンドールだからっていう理由で見下してきていたから、あんまり仲良くなれそうな人はいなさそうだけど…。
ただひとり────スリザリンの"正当性"について考えるきっかけをくれたレギュラスとは、機会があればもう一度話してみたいと思う。まあ、シリウスの言う通り彼も純血主義なのだとしたら、私を相手にしてくれるかどうかわからないけど。
恐怖による服従を支持する人、一方的な差別や呪いを楽しみ進んで人を蔑む人。
ここにまず、私の"許せないライン"を引くことにしよう。
そのラインを越えられたら、それが"私の思ったこと"が口から転び出てくる時だ。
でも、それ以外の人は…うーん、良いところも悪いところもきちんと客観的に見極めなきゃ。敵ができるのも嫌われるのも仕方ないとしたって、同じことを自分からしたいとは思えない。
だって、人には良いところも悪いところもあるんだから。
良いところが噛み合えば────リリーや悪戯仕掛人みたいな人がいれば、その人とは良い友達になれそうだなってわくわくする。
悪いところで折り合いがつけられない人がいたら────できればそんな人はいてほしくないけど、もうそれは仕方ない。仲良くなるのを諦めよう。
こんなところかな、と、頭の中の考えを整理する。
でも、これって言うのは簡単だけど、ちょっと理想論過ぎるというか…行動しようとするとかなり難しくない?
許せないラインから身を引くだけなら簡単だけど、それ以外の部分ではすごく気を遣うというか…。だいたい今の結論に入ってた"自分の意見"だって、決められたのはごくごく一部の排除ラインだけじゃない?
それ以外の全部の人には客観的な視点を持って接するなんて、それじゃやってること自体はまるで今までの優等生ぶった私と同じ────。
「なかなか刻み込まれた教えから逃げるのって難しいんだろうなって思うけど…でも、大丈夫。私が"私の意見"としてあなたに言うわ。あなたは間違ってない。厳しく育てられたせいで身に付いた優しさも、したたかさもそのままに────あとはただ、思ったことを言ってしまえば、それだけで良いの。それだけであなたは、すぐ"自分のために生きるあなた"になれると思うわ」
その時、クリスマス前にかけてもらったリリーの言葉を思い出した。
身に付いてしまったものは、そのままに────。
そっか。
今までの自分の何もかもを、まるっと否定しなくても良いのか。
例えば、誰とでもうまくやっていくために自分の意見を殺すっていう自分は嫌い。
でも、できることなら敵を作りたくないって思う自分は、そんなに嫌いじゃない(だって敵って増えるほど厄介になるだけだよね?)。
例えば、人の顔色ばっかりうかがっていつも怯えてる自分は嫌い。
でも、上手に世渡りするために無害な顔をする自分は、そんなに嫌いじゃない(だってそのお陰で、何度か友達を助けられたから)。
嫌いな自分は否定して、嫌いじゃない自分を受け入れる。
私は、私の中にもラインを引く必要があるんだ。
リヴィア家で教えられたことの全てが私を殺すわけじゃない。
きっとあの傲慢な教えの中には、私が一番"楽しく生きていく"ために有効なものもあるはず。
自分の嫌いな部分は捨てて。
自分の嫌いじゃない部分はそのままに。
────そこで私が得た答えは、"顔の使い分け"だった。
基本的には"優等生"のままで良い。無害な自分を演じて、人当たり良く、敵を作らないような私でいる。
でも、それはただヘラヘラして空気に溶け込むわけじゃない。
どれだけズル賢いと言われても良い。笑顔を浮かべた裏で、ちゃんと人間観察をするんだ。
その上で、その人の良いところと悪いところをそれぞれ見極める。
良いところが噛み合うか、悪いところでも折り合いをつけられるか、判断する。
傲慢だって、またどこかのスネイプに言われてしまいそうな考え方だけど。
そうだね、そういう意味では私はすごく傲慢で、強欲なんだろう。そして、誰よりも臆病なんだろう。
ラインを越える人には杖を向けることも辞さない。
折り合いのつかない人との関係は諦める。
折り合いがつく人には無害な顔を装って有利な関係を作る。
噛み合う人とは────やりたいことを思いっきり一緒にやって、全力で楽しもう。
こんなにたくさん、使い分けられる?
あくまで前提は"イイコ"であるスタンスを貫きながら、そんな器用なことができる?
"自分の在り方"を定めたところで、まだ及び腰な昔の自分が囁いた。
大丈夫だよ。だって私は"優等生"なんだから。
時折私の背中を押してくれる本能の声が答えた。
そんな皮肉に、ひとり笑ってしまう。
思った通り、自分らしく生きるっていうのは、"自分がないまま生きてきてしまった"今の私には相当難しそうだ。
でも────"最初にして最後の課題"。
どんな試験の難問より難しいそれに、私は────2年かけて、その時ようやく答えを見つけた。
うん。徹底的に歴史と思想を追い求めて、ようやく"これ"と思えるものが見つかった。
そのことに、私はたぶん────人生で一番、満足していた。
そうこうしているうちに、試験は最終日を迎えた。
最後の科目は薬草学。今年1年学んできたことを存分に書きつづった。羊皮紙が足りなくなるんじゃないかと思うくらい書いてやった。
試験をおろそかにする気は一切ない。でも、ちょっと浮かれていた。
私にとっては、私という人間を見つけることが最優先課題だったから。その課題を終えられた今、目の前の"インプットした知識をアウトプット"する作業なんてただ楽なものでしかなかった。
防衛術だって、去年から変わらずリーマスが教えてくれていたから、問題なし。
変身術と呪文学はきっと、今年も100点以上の評価をもらえるだろう。
「なんだか調子が良さそうね」
完全にハイになっている私を見て、リリーが不思議そうに言った。去年の様子を見ていたリリーは、試験の結果を気にしてビクビクしていた私が今年は打って変わってウキウキとしているものだから相当不審に思ったんだろう。
「そんなに出来が良かったの?」
「ううん、そういうわけじゃないんだけど────」
私、ようやく自分の信じたい"思想"を見つけられたんだよ────そう言おうと思った瞬間、視界が突然グラリと揺れた。
「イリス!?」
リリーの叫び声がどこか遠くに聞こえた。なんだか、耳に膜が張られてて、音がよく聞こえない。目の前が急に白黒の光をチカチカと放ち、足に力が入らなくなる。
────あ、そういえば、この2週間、ずっと私────寝てなかったんだっけ────。
やけにウキウキした気持ちが長続きすると思った。
最初の3日くらいはすごく眠かったけど、1週間もする頃には慣れていたから、私はつい、試験勉強と思想育成の両方に"全力"を傾けていた。
ああ、バカだなあ、私。
これ、"私"が見つかったから喜んでるんじゃなくて、ただ睡眠不足と栄養不足で頭がイカレてただけじゃん────。
そう自嘲した時には、もう何もわからなくなっていた。
意識が、沈む。
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