「まさか君がこんなに早く来るとは思ってなかったよ。もう少し天寿を全うして、顔もわからないくらいのお婆さんになってから再会するものだとばかり思ってた」
ジェームズは悲しみとも喜びともつかない口調で、"こちら側"へ来た私を歓迎した。その隣にはよく似た顔をしているリリーも立っている。
私はピーターを追っている最中、死喰い人の残党との戦闘に何度も巻き込まれてきた。ヴォルデモートがまだ生きていると信じている一定数の信者は、魔法省や騎士団の手から逃れながら必死でご主人様を探していたのだ。そんな状況下で、一時はリリー達にかけられた忠誠の術の秘密の守人とすら思われていた(つまりヴォルデモートを打ち倒した者に限りなく近しい)私と彼らが出会ってしまえば、まず戦いは避けられない。
それでも1年はなんとか生き延びた。ある時は逃げたり、ある時は無力化させて警察を呼んだり────そんな中、何人か殺してしまったりもした。
私は必ず死喰い人と出くわした時にはピーターの行方を尋ねていた。しかし彼らは口を揃えて、「あんな臆病者など知るわけがない。あいつさえ我が君に秘密を漏らさなければ、あのお方は力を失ったりなどしなかった」と彼を罵った。
なるほどヴォルデモートは忠誠の術を破りたがっていたはずなのに、いざ破られてみれば自分にその呪いが跳ね返ってきたものだから、一枚噛んでいたピーターのその忠実な献身が完全に仇となったと思われているのか。どこにも居場所のないピーターが死喰い人の誰かと一緒にいると考えるのはやめた方が良いかもしれない。
そこで私はやはり、鼠の暮らしやすい場所────下水道や深い森の中を重点的に探すようにした。
私を殺した男、ジンデルと出会ったのはそんな折のことだ。
もちろん1対1で決闘を申し込んだわけじゃない。もっと多くの死喰い人────見知った顔も合わせて6人の黒装束が、ある日暗闇の中から私を狙い澄ましているのが見えた。それこそ主人の命令さえなければあまり徒党を組まないはずの死喰い人が、寄ってたかってわざわざ私なんかのためにそこまで時間を割いてくれるなんて。ピーターの情報を持っていないのなら、お互い中身のない腹を探り合ったところで意味などないというのに。
ただ、敵さんに言わせれば「あのお方が行方知れずになった夜、お前とブラックはその現場に駆け付けたはずだ」とのことで。
アズカバンに収監されたシリウスを除けば、そこに関わっていて自由の身となっているのは私とピーターのみ。その実何の見当もついていないことは明白だったが、とにかく何かしら自分達のボスにまつわる情報を持っていることを願って、自称"最も忠実な部下"達は、私とピーターの捜索に力を注いでいるらしかった。
その戦闘中、たった1人で腹心レベルの相手を6人も抱えることには流石に無理が生じたのだろう────我ながら善戦していた方だと思っていたのだが、1人別の男が放った呪いを躱したところでジンデルの死の呪いがたまたま私の体に当たってしまい、気づいた時には知らない場所で眠っていた。
そして目覚めた時、最初に私の顔を覗き込んだのがジェームズとリリーだったというわけだ。
「ここは…どこ?」
「死後の世界へようこそ、フォクシー」
"死んだ後、ゴーストにならずとも意識を保ったままの姿であの世に留まれる"ということを知ったのは、その時が初めてだった。マグルの世界では、死ねば生まれ変わりがどうのとか、星になってどうのとか、そういったとにかく"死んだ人間は二度と自我を保てない"という説を皆信じていたので、まさか自分が死んだ後に親友と会えるなんて思ってもみなかったのだ。
「魔法使いにとっては割と常識だよ。死んだ人間は、生きてる人間を気が済むまで見守れるんだ。逆に生きてる人間だって、例えば…そうだな、一定の魔法を使った時に、死者を一時的に現世に呼び出すこともできたりする。だから賢くて物の道理をよくわかってる魔法使いにとって、"死"っていうのはそこまで怖いことじゃないんだ」
それを聞いた時、私はまずシリウスのことを想った。
死んだ時はあまりにも一瞬のことだったので何も考えられなかったが、私は彼の帰る場所を確保して待っていると約束してしまっていたのに。念のため、いつ私が死んだとしても彼に伝えたい言葉を伝えられるよう、指輪に細工をしてきているが────だからといって、無罪のままアズカバンで息をしているシリウスを放って勝手に死ぬなんて、私が私を許せない。
「────それなら、シリウスは私が死んでも…ちゃんと元気に生きててくれる?」
「さあ、それはパッドフットの精神力次第だよ。さっきの話はあくまで一定条件下で発動する限定的な話。死んだ者同士でさえあれば…そう、まさに今の僕と君みたいにもう一度会える可能性だってあるけど、あいつが生きてる限り死んでしまった君と触れ合うことはまずありえないからね」
心がズキンと痛む。
シリウスともう会えない。シリウスが生きている限り、私は彼と二度と言葉を交わせない。
シリウスにはもちろん生きていてほしいと思っている。でも────。
「────結婚しようって、言ってたのにな」
まだ彼との人生は"これから"だと思っていた。戦争が終わらなくとも、彼との小さな幸せを生み育てていくはずだった。
リリーがそっと私を抱きしめた。あまりに優しい抱擁に、私は彼女もまた、大切な宝物を"この世"に置いてきてしまったことを思い出す。
「…そうだね、残す側も辛いよね」
私がリリーを抱きしめ返すと、ジェームズが「僕らはハリーをここからそっと見守ろうって決めたんだ。せめてあの子が成人するまでは…って。だからパッドフットのことは、君に託すよ」と言った。
君に託すよ。
────それは、リリー達の結婚式で、私がジェームズにリリーを預けた時と同じような響きを持っていた。本当は自分が無二の親友として見守っていてやりたいけど、相手が君なら信用してその人生を任せるよ…と、そんな風に言われた気がしたのだ。
私はリリーを抱きしめたまま、ジェームズに笑顔を返してみせた。
「何はともあれ、あなた達にまた出会えて良かった」
ジェームズは"生きてる人間を気が済むまで見守れる"なんてことを言っていたが、シリウスの様子を常時見られるわけではないということに私はすぐ気づいた。願った時に彼の姿が見えるわけではなかったのだ。
ただ、"あの世"に留まって、空腹も眠気も知らない体のまま娯楽のように睡眠を取っている時、その夢の中で時折アズカバンの独房に座り込んでいる彼の様子が────夢か現なのかはわからないが見える時があった。
彼はいつも押し黙って、気を狂わされることもなく"そこにいた"。
私はなんとなく、彼なら正気を保ったままアズカバンを出てくるだろうと思っていた。それが無罪放免という正式な形かどうかはわからなかったが────彼が自分の無実を誰より知っていながら、大人しく監獄の中で死ぬとはとても考えられなかったのだ。もちろんアズカバンのセキュリティの厳重さはよく知っているのだが、もしかすると彼ならそんな要塞でも脱獄を遂げてしまうかもしれない、とすら考えていた。
彼が動いたのは、私が死んでから10年ほど経った頃のことだった。
『シリウス・ブラック アズカバン脱獄』
現世を騒がせるニュースが、ある時私の目に不意に飛び込んでくる。
────まさかとは思っていたが、本当に脱獄してしまうなんて!
「シリウスがアズカバンを脱獄した!」
「本当かい!? やった、あいつなら絶対やると思ってた!」
私はすぐジェームズとリリーにそのことを報告した。ジェームズはシリウスが脱獄する可能性を、私より強く信じていたらしい。驚きでも戸惑いでもなく、陰りのない歓喜の色を顔に浮かべ、リリーの手を無理やり取ってくるくると回りながら嬉しがっていた。
「ハリーと会えるかな、あの子ももう3年生になるんだ。大きくなってどんどん僕に似てくるハリーを見て驚かせてやりたいなあ」
「そうね。…それに、あの子には真実を知っていてほしいわ。シリウスは、最後まで私達が最も信頼していた友人のひとりだったって」
喜び一色に染まっているジェームズに対し、リリーは少し切なげにそう言った。私はピーターのことを思い出し、この10年ずっと気になっていながらも訊けずにいたことをこの機に尋ねてみることにした。
「────2人はピーターのこと、どう思ってるの? ここにいないってことは、まだあの人も生きてると思うんだけど…」
ジェームズとリリーは私の問いを受けて、顔を見合わせた。そして揃って返って来たのは、肩を竦めて小さく溜息をつく動作。
「まあ、仕方ないと思ってるよ」
「それにあの人は、ここには来ないと思うし」
「…どういうこと?」
ジェームズが「仕方ない」と言った理由も、リリーの言葉の意味もわからず問い返す私に、ジェームズがいつも通り"あの世"の仕組みを説明してくれる。
「ここに来るのは、有り体に言えば"光の魔法使い"だけだ。まあ、あえて幼い言い方をすれば、"罪のない人"って言えば良いかな。死喰い人に加担して、親友を裏切った男に"罪"がないとは思えない。そういう奴が行くところは、もっと別にあるんだ」
「じゃあ、さっきあなたが"仕方ない"って言ったのは…ピーターは死んだ後、そういう…地獄みたいなところで罰を受けるからって意味?」
「いや、それとこれとは別。もちろんそういう意味が全くないわけじゃないけど…。それ以前の問題として、僕達はあの時確かにワームテールを信じた。僕らの意志で信じてたんだ。その結果────あいつは裏切った、それだけのことさ。もうあいつのことを今更親友とは呼べないけど、親友だったあいつを信じようと決めたのは僕達の責任におけることだからね。そのことをどうこう言ったって仕方ない。そういう意味だよ」
…ジェームズらしい、と思った。
彼は一度も友人を疑ったことがなかった。そして、一度も自分の決断を後悔したことがなかった。
たとえ今はもう友人とは呼べなくとも、裏切られるその瞬間までは、ピーターは確かにジェームズの友人だったのだ。判断をしたのは自分なのだから、その結果も受け入れるしかないと、彼は彼で自分の末路をそうやって消化したのだろう。リリーはもしかしたら暫くピーターを激しく憎んだかもしれないが、今の彼女はジェームズと同じように穏やかな顔をしていた。
「ペチュニアにはもう少しハリーを可愛がってほしいと思ってるんだけど…。まあでも、ホグワーツでの生活が楽しいみたいだし…それにあの子、最高のお友達と一緒に規則破りを平気な顔してやってのけてるのよ。ジェームズよりはまだ大人しいようなものだけど、その暴れっぷりを見ていれば少しは気持ちも落ち着くわ」
「あの子が大人しいのは、親友のひとりに君達女性陣とよく似たストッパーがいるからだと思うよ、リリー、フォクシー」
「ハーマイオニーのこと? あの子、とっても素敵な子よね」
「ああ。それにロンも良い奴だな。パッドフットほど頭の出来が良いわけじゃないけど、ムーニーほど常識に拘らない。ちょうど良いハイブリッド型だ」
私達がそんなことを話しているうちに、シリウスはジェームズの願い通りハリーと再会し、その真実を詳らかにし────世間にはその存在を認められないまま、外の世界で隠れながら生きていくようになった。
そしてその翌年には、ヴォルデモートが復活するという私達にも衝撃をもたらす出来事が起きた。
ハリーはそこで直接ヴォルデモートと対決し、生還した。シリウスは騎士団の再発足のため、彼のお母様が亡くなった後ずっと空き家となっていた自分の実家を本拠地として提供した。
「まさか本当にまだ生きていたとはな…。しかもその復活にワームテールが手を貸してると来た。忘れたはずの怒りが戻って来そうだ」
そこからは、目まぐるしく日々が過ぎていった。稀に見える"向こう側"の世界を覗いては、私は毎回ジェームズ達と互いに、ハリーとシリウスが生きていることを報告し合う。
「第一次魔法戦争の時よりスピード感があるな。ヴォルデモートは焦ってるみたいだ」
「そりゃ、ハリーを殺したくて仕方ないんでしょ。生憎、騎士団の方だって人数も実力も格段に上がってるみたいだけど」
「ハリーにはまだこっちに来てほしくないな────。パッドフットならそろそろ来てくれても良いんだけど」
「ジェームズ! あなた、イリスの前で何ていうことを言うの!」
「リリー、別に良いよ。ジェームズが死を軽視してることなら私がここに来た日によーくわかったから」
「ごめんって。そんな怖い声で言うなよ、フォクシー。そろそろ暇になってきてさ」
私達には、彼らを見守ることしかできない。戦争の渦中にいる者の気持ちなら嫌というほどわかるというのに、誰よりも守りたい人を自分の手で守ることができない。そのことがもどかしくて、私達は毎日のように顔を合わせては無理やりに軽口を叩くことしかできなかった。
早く。
早くヴォルデモートを殺して、彼らに本物の安寧を────。
そう、願っていたある日のことだった。
現世を見ることができないものかと頑張って眠り、何も夢を見られなかったことに落胆しながら目を覚ますと────。
「ああ…まさか」
少し離れたところから、どこか懐かしくなるような、胸をぎゅっと締め付けるような声が聞こえてきた。反射的に声の出所を探ると、ちょうど"彼"もきょろきょろと辺りを見回し、私にその透き通った灰色の視線を据える。
「……」
"あの頃"より伸びた髪。"あの頃"より皺の増えた顔。"あの頃"よりやつれた体。
"あの頃"から全く変わらない────その瞳の、煌めき。
夢、を、見ているの……?
目が合うと、"彼"はまず体を強張らせた。それから、驚きに目を見開いた。ぱくぱくと口が何度か開閉し────それを私がじっと見つめている間に、表情を少しずつ崩していく。
そして"彼"は、長い沈黙の後────。
「…………よう、イリス」
────私の名前を、呼んだ。
どこかぎこちない顔で笑いながら、片手を挙げている。瞳は潤み、唇がひくひくと震えている。それにその声はひどく上擦っていて、それから少し早口にもなっている。
それはまるで、思いがけないところで再会を果たした恋人に一生懸命格好つけて挨拶をしたがる幼い少年のように。
でも、まさか。
こんなところに"彼"がいるわけない。
「────シリ、ウス…?」
半信半疑で"彼"の名を呼びながら、慌てて周りの景色を確認する。しかしそこは間違いなく、私が14年前に死んだ死後の世界だった。
彼はゆっくりと頷き────私の求めている人が自分であることを、認めた。
「────!!!」
まさか、目の前にシリウスがいるなんて。死者しか来られないはずのこの場所に、彼がいるなんて。
確かにこの顔も、この声も、この雰囲気も、全て私が何度も遠くから夢に見ていたものと同じだった。彼がいつかここに来てくれることがあったら、きっと彼は昨日の続きのような顔を装って私に会いに来てくれるんだろうなと想像したところまで、その通りだった。
じゃあ、それが意味することって、つまり────。
「…死んだ、の…?」
「ああ。ベラトリックスの呪いに当たってね。ハリーは生きてるから心配するな。まあ…ピーターもまだ生きてるけど」
シリウスは、私より14歳年を取った姿で、今度こそ上手に笑ってみせた。笑顔はとても綺麗なのに、その目尻には小さな涙が浮かんでいる。
「ムーニーやハリーを置いてきちまったことに未練がないわけじゃないけど────あいつらにはちゃんと頼もしい仲間がいるから大丈夫だ。それより僕はずっと……君に、会いたかった。ここにいたんだな。まさか…まさか、こんなところで会えるとは…いや、そういうのはよそう。これがたとえ死の間際に見せられてる都合の良い夢だったとしても、僕は君に会えて嬉しいんだから」
未だに彼のことが信じられない私は、堪らずそっとその頬に手を添えた。生きている人間の温かさはないが、触れられる。
私の動きに反応して、彼の手が私の手に重ねられた。まるで、彼も私の存在をその手で確かめようとしているかのように。
「────ただいま、イリス。君の元に帰って来たよ」
そして、いよいよ私達の間で交わされた小さくて重たい約束を翳されてみて────私の心にも、ようやく彼の存在がすとんと収まる。
「シリウス……」
────人が死んで嬉しいと思ってしまうなんて、不謹慎だろうか。
残された者はきっと悲しんでいるだろうに、彼がここへ来たことを喜んでしまうなんて、生きている人に怒られてしまうだろうか。
それでも、私は溢れる涙を止めることができなかった。
それでも、私は溢れる愛を隠すことができなかった。
シリウスの頬から手を離すと、私は思い切り彼を抱きしめた。
この時が来るまで、私は14年もの間ずっと彼を見守り続けていた。語り掛けることも、こして触れることもできず、伝えたいことを指輪に託して一方的に伝えたきり、"違う世界"から眺めていることしかできなかった。
シリウス、私があなたにどれだけもう一度会いたいと思っていたか。
私に向けられる顔を、私に掛けられる声を、どれだけ感じたいと思っていたか。
「シリウス! 会いたかった────!!」
いつの間にか、シリウスの後ろにはジェームズとリリーがやって来ていた。それに気づいた私がシリウスの意識をそちらに向けさせると、ジェームズがシリウスの肩をバンと叩く。
「大人になったな、パッドフット」
「中身は君達と同じ年齢だよ。アズカバンですっかり時が止まっちまってたからな。久しぶり、プロングズ」
「ああ、ハリーを守ってくれてありがとう」
「そりゃ、君達の大切な宝を放っておけるわけがないだろ。僕は途中で離脱したが、今は他の仲間があの子をしっかり見ていてくれてる。安心して良い。現実は外から見てるより遥かに安泰だ」
ジェームズと言葉を交わし、リリーとは握手をし、シリウスは嬉しそうに笑った。
「まさか君達まで待っててくれてるとは思わなかった。実際のところ、死んだらそれで終わりだと思ってたんだ。…これ、本当に現実か?」
「君までフォクシーみたいなことを言うんだな。死んだら"あの世"で死者と会えるなんて、常識だったはずだろ? これは現実、ちゃーんとしたリアルさ」
「そんな迷信…まあ事実だったわけだけど…とにかくそれを信じてた君の方が普通はおかしいんだよ」
シリウスとジェームズは、15年離れていたその時の差を感じさせない様子で、今度こそ昨日の続きのように会話をしていた。それがまた、不謹慎かもしれないとは思いつつ嬉しくて、私はリリーと目を見合わせて微笑む。
「────そうだ、そういうことなら……イリス、君にもうひとつ言っておきたいことがある」
ジェームズとの話がひと段落すると、シリウスは改めてこちらに向き直った。何かと思い彼の言葉を待っていると、シリウスはポケットから指輪を取り出す。
────それは、私が今際の際に魔法で彼宛のメッセージを封じ込めた婚約指輪だった。
もうひとつの宝物────彼からもらったブレスレットは、墓に入れたまま埋葬してもらったようで、死んだ時から私の手首についていた。しかしピーターを探す旅に出る直前、私はもしものことがあった時のために、ダンブルドア先生に「私が死んだら指輪はリーマスに預けてください。彼ならきっと、然るべき場所に私のこの宝物を置いてくれると思うので」と頼んでおいたのだ。シリウスに直接それを渡すことができなかったので、いつか恋人に託すため友人に預けるよう恩師に頼む…などというあまりに間接的な方法で、私は指輪に願いを託していた。
良かった。指輪はちゃんと、シリウスの元に戻っていたんだ。彼の"帰る場所"を、ちゃんと残しておいてくれていたんだ。
しかし彼の動きはそこで止まらなかった。指輪を取り出すと、私の前に片膝をついて跪くシリウス。
その様子に、ひとつの期待が芽生える。
もしかして、これって。
「──── 15年越しに夢を叶えよう、イリス」
そう言って、私に左手を出すよう促すシリウス。
「っ……」
泣いてしまわないように眉根をぎゅっと寄せながらそっと震える手を差し出す。彼は15年寂しげに揺れていた私の左手の薬指に、その指輪を────はめてくれた。
一度途切れた約束が、再び繋がる。
一度手放した幸せが、再び戻ってくる。
「結婚指輪を買いに行けなくてごめん。でも────ここで、結婚してくれるかい? 死んでしまったけど、もう子供も授かれないけど、それでも────死んだその後の世界で、もう一度君の隣を歩いても良いかい?」
そんなこと────。
「そんなこと、訊かないでよ。いつものあなたみたいに、自信満々な顔で私を連れて行って」
答えなら、ずっと用意していた。
私は、15年間忘れていた温もりが心の中に灯ったような気持ちでそう答える。シリウスは、また不器用な顔ではにかんでみせた。
ずっとこの日を待っていた。そしてその日は、永遠に来ないと諦めていた。
それが、今この場所で、こんな形で叶ってしまった。
ジェームズとリリーが温かく私達のことを見守っている。神父さんの祝福も、正式な入籍もなかったが、私達は15年越しに────ようやく、本当に添い遂げる約束を誓うことができたのだ。
死ぬって、そんなに怖いことじゃなかった。こんなことなら、警察に取り押さえられているシリウスと離別することの方が余程悲しいことだった。私は確かに死んで、今も現実を生きているリーマスや…毎年みるみる成長して大人になっていくハリーと言葉を交わすことはできなくなっていたが────最愛の人と再会し、こうして改めて"永遠"を共にしようとしている。
シリウスは私より随分と大人になってしまったが、それでもその瞳に宿る光は、昔から知っている一等星と同じ煌めきを持っていた。私の大好きな、一番明るく光る星。私だけのために輝く、地上の星。
「これからは、ずっと一緒だ」
"明日"を恐れずにその言葉を受け入れられることが、私は心から嬉しかった。堪えても流れる涙を、シリウスが愛おしげに拭ってくれる。
長い長い戦いの果てに、私達はようやく幸せの形を見つけることができたのだ。
────そして、現実世界でも、それから2年経つ頃に戦争が終結した。
ヴォルデモートは、今度こそ本当に死んだ。レギュラスの言っていた通り、彼は一度殺しただけでは死なない身になっていたということを知ったのは、ハリーが16歳になった年のこと。思った以上にこの戦いは困難を極めていたが、最後には予言の通り、ハリーがヴォルデモートを打ち倒したのだった。
「僕達の息子は誰よりも勇敢だった。予言がなくたって、傷がなくたって、あの子はきっとヴォルデモートを倒していたよ」
「DAを結成した時なんて、最高にワクワクしたわね。あれ、あなたにはきっとできなかったことだわ」
「なんてことを言うんだ、リリー! 僕だって仲間を集めて秘密組織を結成するくらい────」
「傲慢で嫌な奴で、ひとりよがりだった5年生の時のあなたに本当にそれができたと思う?」
「う…久々に聞いたな…そのセリフ…」
「ねえ、この2人って死んでから17年もの間、ずっとこのままだったのかい?」
「うん。こっちはなーんにも変わってなかったよ、リーマス」
────"こちら側"には、新たにリーマスが加わっていた。それが良いことなのかどうか、私にはまだ判断ができていなかった。聞けば、彼はあの後別の女性と恋に落ち、子供を授かった直後に亡くなったのだそうだ。まだ幼い子供を残してしまうという本人の苦しみは言わずもがな、彼を慕っていた"残された者"の苦しみを考えると、どうしても彼がここに来たことを喜んでしまうことに抵抗を感じる。
彼が結婚した女性とは、一度だけ挨拶を交わした。
「私、ニンファドーラ・トンクスって言うの…あ、もう結婚したからルーピンか。リーマスからあなた達の話はたくさん聞いてたから、一度会いたかったんだ。よろしくね」
とても気さくで明るい、元気な魔女だった。
「テッド…息子を置いてきてしまったことは心残りだよ。でもきっと、今度はハリーがテッドを守ってくれるだろう。私達が守った"世界"は、ちゃんと未来へと受け継がれて行ってるよ。安心して良い」
まるで学校の先生のような口調で、リーマスは微笑む。
「────そっか。私達はちゃんと────"私達が望んだ世界"の礎になれてたんだね」
志半ばで死んだことが、ずっと気がかりだった。旧友と再び会えたことを喜びながらも、残してきてしまった者のことを考えると、どうしても気持ちが沈んでしまっていた。
でも、死んだ私達の志は、きちんと受け継がれていた。
私達が求めた世界は、最後には望んだ形で実現されていた。
私達は、確かにあの世界に生きていたのだ。生きて、その痕跡を残していたのだ。
「さて、じゃあフォクシーがようやく吹っ切れたところで、お祝いでもしようか!」
私がやっと心から笑えるようになると、すかさずジェームズがどこから取り出したのか、バタービールを5本持ってきて私達全員の前にドンと置いた。
「お祝いって…何の?」
「なんだって良いさ。僕ら皆がもう一度再会できたことでも良いし、フォクシーとパッドフットの結婚祝いでも良い。ハリーの卒業祝いだってあるし、テッドの誕生祝いでも良いな。あっ、それに長かった戦争が終わったお祝いだってしなきゃ! おめでたいことはたくさんあるぞ!」
「…君の頭が一番めでたいよ、プロングズ。それにバタービールって、まるで僕達がまだ学生でもあるかのようじゃないか」
「そのつもりで用意したんだけどな。だって僕らの始まりはホグワーツだったんだから、たまにはフォクシーがいつも言うように、昔話に花を咲かせたって良いだろ?」
いつも通り勝手に物事を進めてしまうジェームズの、何も変わらないその様子に私達は呆れて笑うことしかできなかった。呆れながらも、そこに彼の提案を否定する者はいない。
私達はどっかりと座り込んで、バタービールのジョッキを勢いよくぶつけ合わせた。
「再び集まった僕らの友情と、長かった戦いの物語の終わりと、この世界の全ての幸せに、乾杯!!」
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