男は家の窓を突くふくろうを家に招き入れた。
『1982年11月25日 日刊予言者新聞』
ふくろうが運んできたのは、今日の新聞だった。
男は見出しの面になど目もくれず、"闇の魔術に関する報道"の面を真っ先に開く。
『イリス・リヴィア 死亡』
面の端の方に知己の名を見つけた男は、一瞬その題に小さな溜息をつき、そして内容を読み進めた。
『昨日未明、魔法省国際魔法協力部所属のイリス・リヴィアがセント・ジェームズ・パークの森の奥で死亡していることが確認された。
リヴィアは魔法省入省後、業務の傍らで死喰い人の捕縛に協力するといった第一次魔法戦争(1970-1981)における一定の功績を挙げ、世間からは好意的な評価を得ていた。
1981年11月1日、シリウス・ブラックによるマグル大量虐殺事件後から行方不明となっていたリヴィアは、同事件との関与も疑われていた。しかし数日後に逮捕された死喰い人のノーマス・ジンデルの供述により、ジンデルがリヴィアを殺したことを自白し、リヴィアの潔白が改めて明らかになった。
リヴィアは身寄りがなかったため、共同墓地に埋葬される予定となっていたが、ホグワーツ魔法魔術学校校長のアルバス・ダンブルドアの計らいにより、生前親しかったリリー・ポッター及びジェームズ・ポッター夫妻の墓の隣にその骨を埋めることとなった。』
男はその記事を読み終えると、戸棚に置いていたひとつの指輪を手にすると家を飛び出した。途中で花束を3つ買い、つい1ヶ月程前に来たばかりの場所へと赴く。
行き先は、ゴドリックの谷。
いつも閑静なこの村は、訪問者になど目もくれない。男は誰にも見咎められることなく村の中を進むと、教会の裏にある墓地に歩を進めた。
迷いのない足取りで墓の合間を縫って進み、男はひとつの墓の前でようやく足を止めた。
『イリス・リヴィア 1982年11月24日没 高潔なる魂は永久に』
その隣には、男が先月花を手向けたとある夫婦の墓が立っている。
「…やあ、イリス。こんなところにいたんだね。僕も随分君のことを探したつもりだったんだけど…まさかいつの間にプロングズ達と一緒にいたなんて思いもしなかったよ」
夫婦の墓に2つの花束を置いた後、男は目の前の墓にも1つの花束を置いた。
そして────男は、戸棚から出した後、ここまでポケットに入れていた指輪を改めて取り出し、墓の上に置いた。
「ダンブルドアが、君の遺品の一部を僕に預けてくれてたんだ。これをどこに置いておくべきか、わしより君の方が知っておるじゃろうって言ってね。でも困ったよ。こんな大事な物、君達のあの仮住まいだった家に放置しておくわけにもいかないし、かといってずっと僕が持っているのもなんだか変だろう? だからようやく相応しい場所が見つかって本当に良かった。これは────シリウスだけが取り外せるように、それ以外の人には絶対に持ち出せないように、魔法をかけておくからね」
男はそう言うと一旦立ち上がり、複雑な動きで杖を振り、白いキラキラとした粉を指輪にかけた。その後、再び屈みこんだ男が指輪を墓石から取り上げようとした時には、その指輪はまるで墓石と一体になったかのようにぴくりとも動かなくなっていた。
「これで良し。これでシリウスの"帰る場所"ができた。まあ…プロングズ達を裏切ってヴォルデモートのスパイに成り下がった君達のためにこんなことをしてやる義理なんて本当はないんだけど…。でも、おかしいね、君達には何か別の考えがあったって信じてる僕もいるんだ。だからこれは────君のために僕がしてやれる、最後のことだと思う」
男はそう言うと、両手を組んで暫しの黙祷を捧げた。
「────なあ、どうして君はヴォルデモートなんかに協力したんだ? プロングズもリリーも死んで、ワームテールも死んだ…それが、本当に君の望んだ"未来"だったのか? 僕にはよくわからないんだ…君とシリウスがプロングズ達を裏切るとは、とても思えない。だって────君達のことは、ずっと見ていたんだから。誰よりも高潔で勇敢で、"ヴォルデモートにだけは屈さない"と何度も声を上げていた正義感の強い君達が、今更寝返るなんて…何か余程の事情があったんだろう? それなら、僕に話してくれれば良かったのに────。こんな形じゃなく、何か他のやり方で君達の"新たな理想"を実現させる手伝いができたかもしれないじゃないか」
悔しさが声に滲む。墓石は、当然何も答えない。
「────まあ、仮に僕が何かに気づいたとしても、君達はきっと話してくれなかっただろうね。僕もそれが正しいと思うよ。何か大事な決断をする時には人に話して変に惑うより、自分でキッパリ決めて突き進んでしまった方が良い」
物言わぬ墓石と会話をしているつもりなのか、暫く墓石が喋るのを待つかのように沈黙した後、男は自嘲気味に笑った。
「不思議だね。友人を3人も奪われたのに────僕はまだ、"君達には何か考えがあったのかもしれない"なんて思ってる。…どうしても、憎めないんだ。君達はもはや敵に回ってしまったというのに…僕はまだ、ホグワーツでの楽しかった日々を忘れられないんだよ、イリス」
その時、男の目から一筋の涙が零れ落ちた。男はまるでそんなことには気づいていないとでも言うかのように、涙を拭うこともせずに墓石との対話を続ける。
「ねえ、イリス。どうして君はそんなに早くに死んでしまったんだい。しかも死喰い人との戦いで死んだなんて────あまりに君の死には矛盾が多すぎると思わないかい? 僕はまだ、君に訊けていないことがあまりに多すぎるんだよ。君と話したいこともまだまだたくさんあった。君とやりたいことだってたくさんあったんだ。君にとって僕はただの無害な友人だったかもしれないけど────僕にとって君は、最高のパートナーだったんだ…なんて言ったら、シリウスに怒られるかな? でも本当だよ。僕は君と一緒に監督生をやれたあの3年間がとても楽しかったんだ。プロングズ達と一緒に遊んでる時とは少し違う、とても穏やかな時間を君は僕に与えてくれた」
男の独白は続く。生前、彼女の恋人を気遣うために憚られていた言葉が、今になって男の口を流暢に滑らせていた。
「君は僕の憧れだったんだ。迷いながら、立ち止まりながら、それでもがむしゃらにもがいて"自分"を貫いた君のことを、心から尊敬していた。だからかな、今になっても君のことを心底恨めないのは。────ずるいと思うよ、君は…僕に、親友殺しに加担したその真意を問わせることも、糾弾させることもせずに勝手に逝ってしまったんだから。この気持ちは君が生きている限り一生伝えないつもりだったけど────好きだったんだ、君のことが、ずっと。だから────」
男は初めてそこで声を詰まらせた。
男はずっと、憎悪と愛情の板挟みに遭って苦しんでいた。彼女に対して過去抱いた憧れがあまりにも眩しくて、それなのに親友を奪ったことへの憎しみが強すぎて、その真逆の感情が男の情緒をずっと狂わせていた。
────男はこの1年、ずっと彼女を追っていた。少しでも情報が手に入らないかと、新聞やラジオを聴いていたのはもちろん、自らあまり治安の良くない場所にも赴いて噂話の欠片を集め続けていた。
その結果が、これだった。
男が彼女の尻尾を掴む前に、彼女は二度と男の手の届かないところへ行ってしまったのだ。
男からしてみれば、それは拷問のような仕打ちだった。
知りたいことを何一つ聞けず、せめて元気に生きていることだけでも確認したいという願いも叶わず、彼女は"向こう側"へ行ってしまった。
親友が3人殺された。残りの2人のうちひとりはアズカバンへ収監され、もう1人は死喰い人との戦闘の果てに死んだ。
────男は、たったひとり取り残されていた。
「イリス…何も君まで僕から離れて行かなくたって良かったじゃないか。シリウスはいつあそこから出てこられるのかわからないし、他の親友は皆死んでしまった。僕はこれからひとりで一体どうやって生きていけば良いのか…もうわからないよ…」
男にとって、5人の親友はその世界の全てと言っても過言ではなかった。
幼い頃から周りと隔絶され、真っ当に生きることすら諦めざるを得なかった男。平等で慈悲深い老人のお陰でなんとか普通の学校に通うことができるようになりながらも、男はまともな友達などできないだろうと幸せの中に巣食い続ける不幸に項垂れていた。
そんな男に最初に手を差し伸べてくれたのが、生まれて初めてできた3人の友人だった。男の抱える問題を知っても気にしないどころか、対等に付き合える方法を模索して数々の法を破ってのけたのだ。
次に彼を救ったのが、今目の前にいる彼女だった。彼女は男の秘密を知ってなおそれをひとりで守り続け、かと思えば男の人権が失われそうになった時には全てのリスクを振り捨てて男を守るために全力を尽くした。
最後に男の手を取ってくれたのは、隣に眠る夫婦の妻の方だった。彼女もまた、男の秘密を知りながら沈黙を貫いていたひとりだった。
男は彼らに支えられて、初めて生きている心地を味わったのだ。彼らなしでは、男はきっと今こうして地に足をつけて生きることすらできていなかったことだろう。
だからこそ、そんな友人達が全員バラバラに散ってしまったことが、男にとっては身を引き裂かれるような痛みをもたらしたのだ。
殊更、淡い憧れを抱いていた彼女の訃報は、男を酷く憔悴させた。
「────また来るよ、イリス。僕はまだどうやら、君の死を受け入れられていないみたいだ。今度はもっと、話したいことをたくさん用意してくるから────。いつか、君が"こっち側"に遊びに来ることがあったら、どうか僕の質問に答えてほしい。君の考えを、聞かせてほしいんだ」
男はそう言うと、すっと立ち上がり墓地を後にした。
男が真実を知るまで、あと12年。
その間────男はずっと、親友の死への悲しみとそれを手引きした裏切り者への憎しみ、そして唯一憧れを抱いた者への恋慕の情を、拗らせ続けることだろう。
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