私達が聖マンゴを退院したのは、それから2ヶ月が経った頃────7月の始めのことだった。
症状はまるで別だったが、治るまでの期間はほぼ同じ。毎日のように見舞いに来てくれていたリーマスは「そんなところまでそっくりなんだね」と笑っていた。
シリウスから「結婚しよう」と言われた時、私は涙に目を滲ませながら頷いたものだった。ただ、現実的に考えてすぐに籍を入れることは難しい。シリウスが今与えられている"情報収集"の任務は長期化することが前提となっているし(私もどんな情報を集めているのかは知らないが)、私も魔法省の仕事に忙殺されている。7月に予定されている騎士団の会合を経て、ハリーの1歳の誕生日を祝い、秋頃になったら籍を入れて結婚式も盛大に挙げよう、という話になった。
「ジェームズの家で慎ましやかにやろう。でもその代わり、内装だけは派手にしたいな。南国風の飾りつけでも良いし、日本のスタイルに合わせてみても良い。ハカマ、一回着てみたかったんだ」
「せっかくならイギリス流にしないの? 一生に一度のことなのに」
「これまで散々伝統や格式を軽んじてきた僕らが今更英国風の挙式をするのか? いや、意外と皮肉が効いてて良いかもな。それに君はやっぱりキモノよりウェディングドレスの方が似合いそうだ」
「ええ…そういう意味で言ったんじゃないんだけどなあ…」
吹っ切れたシリウスは実に楽しそうだった。披露宴をどんな演出にするか、あれこれとアイデアを出しながらリーマスを毎日困らせている。
私達が結婚するという話は、翌日にはジェームズ達の元にも手紙で届けられることとなった。勝手に外に出られない彼らは私達を見舞えないことを詫びた上で、心からの祝福を送ってくれた。
『おめでとう! あなたからその報告を聞けることを心から待ち侘びていたの! それに会場を私達の家にしてくれるなんて…私にも晴れ姿を見せてもらえるのが本当に嬉しいわ。例のあの人と戦って聖マンゴに送られたって聞いた時には生きた心地がしなかったけど…あれからムーニーがよくうちを訪ねてくれていて、あなた達はちゃんと無事だって細かく教えてくれるので、今では安心しています。どうかゆっくり治して、万全の状態になったら世界中の誰よりも幸せになってね。』
リリーの手紙には相変わらずインク溜まりがたくさんできていた。私の身に一度に色々なことが起こりすぎたせいで焦っているのか、それともハリーがやんちゃをしているのか…おそらくそのどちらもだろう、と思いながら私は微笑んで手紙を眺める。
対してジェームズの手紙は簡潔かつ豪快だった。
『やったーーーーーーー!!!!!』
わざわざ2羽のふくろうがやって来たので、ジェームズもそれなりの文章を書いてくれているのかと勝手に期待してしまっていたが、これはこれでなんとも彼らしい。きっともう
、それ以外に思いつく言葉がなかったのだろう。シリウスと痛むお腹を抱えて笑ってしまった。
退院した後、私達はこれまで住んでいたところから東の方へ少し距離を離した地区に新たな家を構えた。10年以上空き家になっていたそこは、どこの村にも隣接しておらず、森の奥にぽつんと一軒だけ建っている。元は木こりか、相当な人嫌いが住んでいたのだろう。
この家は私達が入院している間に、ダンブルドア先生が見つけてきてくれた物件だった。マグルや大抵の魔法使いの目に見えないように、探知不能呪文を一通りかけた上で、私達はボロボロのその家に住み始める。
最初は大変だった。家具もほとんどなく、キッチンやダイニング、トイレには大量の蜘蛛の巣が張っていた。部屋は3つほどあるのでそれぞれ互いの寝室と客間にすることとし、私達はまずリハビリも兼ねて協力しながら家の掃除を徹底的に行った。
1週間もする頃には、その廃屋は人が住める状態にまで回復していた。やはり魔法が使えるとどんなことにでも役に立つ。壁にまとわりついていたツタを剥がすなんて作業を手でやっていたら、何ヶ月かければ良いものかわかったものじゃない。
家の中に降り積もっていた埃を追い出し、庭小人を駆除し、使えなくなった家具は消し去る。
「あー、久々にちゃんとした空気を吸った気がする」
淀んで滞留した空気の中でずっと作業をしていたので、ようやく窓から吹き込む風を肺一杯吸い込めるようになった時の爽快感は並大抵のものではなかった。日がな一日家の清掃を行っていたお陰で、退院する間際に付けられた義手もかなり体に馴染んだような気がする。
「あとは家具一式だな。明日にでも買いに行こう」
「明日は騎士団の会合があるから、その後でね」
私達は、キッチンカウンターを挟んで立ったままテイクアウトした夕飯を食べていた。明日は騎士団の2度目の会合があり────私達は、2年前にホグワーツの校庭でランチパーティーしをした時と同じように、再びホグワーツで会うことになっていた。
「知ってたか? アリスとフランクの間にも去年子供が生まれたらしいぞ。ネビルって名前の男の子らしい」
「へえ、じゃあハリーと同じ学年になるんだね。仲良くなれると良いなあ」
「グリフィンドールとスリザリンに入ったら希望は薄いな」
「もう、すぐシリウスはそういうこと言う…」
シリウスは聖マンゴで"話し合い"をして以来、すっかりいつも通りに戻っていた。皮肉屋で、スリザリン嫌いな彼のまま。私はそれを諫めたが、内心では(そんなシリウスのことを丸ごと好きになったので)いつも通りの彼のそんな嫌味を嬉しく思っていた。
「ハリーはどこの寮に入るんだろうな」
「やっぱりグリフィンドールじゃない?」
「ま、一択だよな」
「他の寮に入ってるところが想像できないな。私は逆にスリザリンに入って、あの排他的な空気を清浄してくれたりしたら格好良いなあなんて思うんだけど」
「あの可愛いハリーがスリザリンだなんて、考えただけで吐きそうになるからやめてくれ」
「だからそういう決めつけが良くないんだって。スリザリンは高潔で仲間想いの人が入るところなんだよ? ハリーにだって素質はあると思うな」
「まだ1歳なのに素質も何もあるかよ」
「えっ、それを言われたらこの話全部意味がないじゃん…」
そんなことを言いながら、床に寝袋を敷いて私達は眠る。
早いところ、ふかふかのベッドが欲しいと思った。どうせ新しい物を買うのなら、ホグワーツの寝室にあるようなベッドで眠りたいな。明日、マクゴナガル先生にどこからあのベッドを調達しているのか聞いてみようか。
────そして、翌日。
私とシリウスは、指定されていた13時ちょうどにホグズミードへと姿現しをした。
ホグワーツの校門の呼び鈴を鳴らすと、すぐにマクゴナガル先生が出迎えてくれる。
「久しぶりですね、リヴィア、ブラック」
「先生もお元気そうで何よりです」
「ええ、お陰様で。他の団員も皆集まって来ていますよ」
先生について、私達は校庭に向かった。そこには先生が言っていた通り、前回の倍ほどもあるかと思われる人数が揃っていた。
名前だけなら定時連絡において全員のものを聞いたことがあったが、顔を合わせるのは初めての人も多い。私は知らない人がこちらを物珍しげに見ているその視線が気恥ずかしかったので、シリウスの一歩後ろをついて歩いていた。
「パッドフット! フォクシー!」
見知った顔を探していると、ジェームズとリリーが笑いながら駆け寄ってきた。そのすぐ後ろには、リーマスとピーターもいる。どっと安堵が押し寄せた私は、ぱっとシリウスから離れてリリーを抱きしめた。
「久しぶり、みんな! 元気?」
「久々に外出できてもう最高にハッピーさ! これまでは透明マントでちょっとの散歩くらいならできてたんだけど、この間マントをダンブルドアに貸しちまってから家を一歩も出られなくなったんだ! だから僕、この日を本当に楽しみにしてたんだ!」
「ハリーは?」
「バチルダ…ほら、ダンブルドア先生の古い知り合いの魔女がいるって言ってたでしょう? 彼女が預かってくれることになったの。たった数時間のことなんだから、学生時代に戻ったつもりで楽しんでいらっしゃいって言ってくれたのよ」
リリーは言葉通り、少しやつれていながらも晴れやかな顔をしていた。ジェームズなんて、学生時代の何倍も元気なように見える。リーマスはほとんど毎日病院に来てくれていたのであまり変わりがないし、ピーターは────。
ピーターは、いつも通りに笑っていた。「久しぶりだね」と────そう言ってくれることに、私はなぜか泣きそうな気持ちになってしまう。
そうだ、一連の騒動ですっかり忘れてしまっていたが────。
ヴォルデモートは、秘密の守人がピーターであることを知っていた。
今私達の誰もが元気な姿でここにいるということは、あれ以来ヴォルデモートは私達の誰にも危害を加えていないということになるが、確実にその手は私達の間に潜む秘密の宝箱をまさぐっていた。小指の先がその秘密に触れた瞬間、彼は一挙にそれを暴くのだろう。そうなったら────こんな風に、全員で顔を合わせることは二度と叶わなくなってしまう。きっと私達の全員が、殺されるだろう。
「────イリス、どうかしたか?」
私の強張った表情に素早く気づいたシリウスが、隙をついてこっそり私にだけ聞こえるような声で尋ねてくる。
「…後で話すね」
この件は、皆には言わない方が良いだろうと思った。ジェームズやリリーに言ったところで彼らにできることはないし、ピーターに話してしまえば彼を却って怯えさせ、余計な行動を取りかねない。リーマスはそもそもピーターが秘密の守人であることを知らないのだから、彼にも話せることではない。
となると、私が頼れるのはもはやシリウスしかいなかった。私と彼とで、ピーターを命懸けで守るしかない。ダンブルドア先生に話すべきかここでも私は迷っていたが、下手に先生を動かしてしまうことで、やはりここでもヴォルデモートがピーターの動きを捉えやすくなるという本末転倒な結果を引き起こしかねないかという懸念が私の口を閉ざしたままにさせていた。
「やあ、直接話すのは初めてだね、イリス。去年、魔法省の煙突飛行ネットワークの情報を提供してくれてありがとう」
私達の輪の中に入ってきて、そうお礼を言ってくれたのは、私より少し年上と思われる中年男性だった。急いで記憶を掘り起こし、煙突飛行ネットワークの情報を提供したメンバーの名前を思い出す。
「ええと…あなたはもしかして、エドガー・ボーンズ?」
「当たり。ついでにこの間は死喰い人の出入りしてるバーでも戦ってくれてありがとう」
「こちらこそ。あなたが正確に情報を集めてくれていたお陰で、少なくとも9人は倒せたよ。まあ…残る1人の大本命を前に逃げちゃったんだけど…」
「何を言ってるんだ、ヤックスリー相手に互角の戦いをしたんだから、大健闘さ。しかも若い子らがそこまでの実力を持ってるっていうのは、その事実だけでも向こうを怯えさせるには十分だ。僕は詳細を知らないけど、何か貴重な情報も持ち帰ってきたってアルバスが随分と評価していたよ」
確かに貴重であることに違いはないが、私達が秘密の守人ではないことがバレていた、という秘密は、こちらにとってかなり痛手を被る情報だった。しかもその後、ヴォルデモート本人から守人の特定までされてしまったのだ。
私は、自分が明らかに劣勢に立たされていることを感じていた。
「私ともはじめましてね、イリス。マーリン・マッキノンよ。この間、例のあの人と戦ったって話、聞いたわ。聖マンゴにいたって聞いたけど…今は大丈夫なの?」
エドガーに微妙な笑みを返していると、彼の後ろからひょっこりとひとりの魔女が現れた。マーリン、彼女の名前も定時連絡で聞いたことがある。
「あなたの年で例のあの人とやり合って生き残るなんて、歴史に残る偉業よ。あなたが来るまで、ずっとその話で持ちきりだったの。きっと皆話を聞きたがるわ────。隣はシリウスね? イリスのパートナーの」
「ああ、お陰様で今度ようやく結婚することになってね」
「まあ、まあ! そうなの! それはおめでとう! じゃあもう今回の会合は実質あなた達のお祝いみたいなものだわ!」
マーリンはとても気さくに私達に笑いかけると、早速その話を他のメンバーにしに行ってしまった。後からエドガーも「おめでとう、2人とも」と言って、私達から離れて行く。
ちょうどその時、ダンブルドア先生が拡声魔法を自分の喉にかけ、「皆、今日は集まってくれてありがとう」とよく響き渡る声で言った。
「またこうして皆と顔を合わせる機会を設けられたことを本当に嬉しく思う。なんと、前回発足を祝ってから3年近く経っておる────この間に戦争が終わらず、我々と直接の関係はなくとも多くの命や人権が奪われてきた事実は真摯に受け止めねばなるまい。しかし、今日この時まで誰ひとりとして欠けることなく、増えるばかりの敵と勇敢に立ち向かってくれた君達のことを、わしは心から讃えたい。共に戦ってくれて、本当にありがとう。今日は────今度こそ騎士団の全員が集まれる唯一の日じゃった。ぜひ、名前しか知らなかった相手や、感謝を伝えたい相手とおしゃべりをし、あるいは旧友との親交を深め、楽しい時間を過ごしてほしい。では────乾杯!!」
グラスの小気味良い音を皮切りに、ダンブルドア先生の話を静かに聞いていた人々は再び賑やかさを取り戻した。何人もの魔法使いが、今度は私達に"興味本位"ではなく"これまでの戦闘を讃えるため"に挨拶をしてくれた。
特に私は先日ヴォルデモートと直接対決したばかりだったので、それがかなり話の大きな種になったらしい。誰もが私の前を通りがかる度、「イリス、例のあの人と戦った話を聞かせてくれよ」とせがんでくるのだ。
「すっかり英雄だな、フォクシー」
家からほとんど出られずにやきもきしているらしいジェームズが悔しそうに言った。ハリーを守ることが第一なので無茶ができないことはわかっているようだが、目立ちたがりな性分はやはり変わっていないらしい。
「ハリーが物心つく前にヴォルデモートなんて倒しちゃうから、安心して」
私はニヤリと笑ってそんな強がりを言った。彼もまた、私が本当はこういう形で目立つことを望んでいないことや、ジェームズが目立てる前に戦争そのものを終結させたいという強い願いを持っていることを知っているので、笑って「そうしたら僕は平和な世界でもっと何かデカいことをやらなきゃ!」と意気込んだ。
「ねえ、そんなことより、せっかくホグワーツに戻って来たんだからまた思い出話したいな」
「またか? イリスは本当に6人で集まると昔話ばっかりしたがるよな」
「だってあの頃が一番"私達らしかった"と思うんだもん」
卒業してから、私達は少しずつ変わって行った。ジェームズとリリーのように良い変化が生じたケースもあるし、リーマスやシリウスのように"外"に出たことで改めて自分の異端ぶりを嘆いてしまったケースもある。ピーターのように、一見何の変化も起きていないようでいて、その怖がり具合がエスカレートしていた…なんていうわかりにくい変化も。
私はそんな変化の全てに、そこはかとない寂しさを感じていた。良くない変化に良くない感情を持つのは当然なのだが、ジェームズとリリーが家庭を持ち、ハリーを生んで、"3人"で生きていこうとしていることが────嬉しく思うと同時に、なんだか彼らがとても遠いところへ行ってしまうような錯覚も起こしてくるのだ。
こんな感情、まるで幼い子供の下に妹や弟が生まれてくることで"親を取られた"と嫉妬するようなものじゃないか、と自分を諫めるのだが、それでもその寂しさは消えなかった。
だから私は、彼らと"ここでかけがえのない時間を過ごした"ことを何度でも思い出したかった。社会の残酷さなんて知らない、生死を懸けた戦いなんて知らない、"悪戯"にまみれたデタラメでハチャメチャな毎日のことを。
「そうだなあ…昔話といえば…あ、そういえば僕、まだ誰にも言ってないこと思い出した! 知ってたか? ハッフルパフの監督生のアンナ」
「覚えてるけど…なんでアンナ?」
「あの子、リーマスに惚れてたんだ」
「プロングズ!!」
リーマスが勢い良くジェームズを叱るが、彼はケラケラと笑うだけだった。
「僕さ、見ちゃったんだよ。7年生のクリスマス休暇に入る前、ヤドリギの下でアンナがムーニーに告白してるところ」
「えっ…それで、リーマスはどうしたの?」
「イリスまで…やめてくれよ、アンナに失礼だろ」
「はーん、つまりリーマスは思い出すのも失礼な態度を取ってしまったと」
私が彼の揚げ足を取ると、リーマスは顔を真っ赤にして「そういうわけじゃないけど、人の好意を話のネタにするのがそもそも失礼だろ」と正論極まりないことを言ってくる。
「リーマスがどうしたのって言ってたな、フォクシー。これが驚きなんだ。リーマスってば、好きな人が他にいるからって断ったんだよ! 後で誰が好きなのか訊いたのに、僕が聞き耳を立ててたことに怒るばっかりでムーニーってば何も教えてくれないんだ」
────そういえば、リーマスには学生時代、憧れていた人がいたって言っていたっけ。私もその話を聞いた時(ハリーのお披露目会の日)まで全くそんな気配すら感じていなかったので、その告白には相当驚いたものだった。しかしまさか、親友のジェームズ達にすらそれを言っていなかったとは。
「なあ、もう時効だろ? あの時誰が好きだったのか教えてくれよ」
「だから何回も言ってるじゃないか。君達の知らない人だって」
「ムーニー、君が一目惚れなんてロマンチックなことはしない性分だっていうのは知ってるんだ。君がそこそこの交流を持ってる人間だったら、君と四六時中一緒にいた僕が知らないはずないんだ。言ってみろって、絶対どこの寮のどんな子か当ててやるから」
「もう過去の話だよ。今更掘り返すなんて恥ずかしいことしたくないね」
リーマスは頑なだった。私も彼のような思慮深い人が好きになる子はどんな子なんだろうと────気になる気持ちは山々だったのだが、本気で彼は言いたくないようなのであまり茶々は入れられなかった。
「ピーターはそういう子、いなかったの?」
なので、話題を変えてやろうと私はピーターに話を振ってみることにした。すると、ピーターは一瞬で耳まで真っ赤になって「いっ、いなかったよ!」と嘘をついた。
彼の嘘はわかりやすい。顔中が真っ赤になって、両手の指をくるくると回し出すのだ。
「あ、僕知ってるぞ、ピーターが惚れてた子」
非情にも彼の嘘を暴いたのは、シリウスだった。
「えっ、誰?」
好奇心を抑えきれなかったらしいリリーがそう尋ねると、シリウスはニヤリと笑って「6年生のバレンタイン、全員でチョコレートの処分をしたの、覚えてるか?」と言った。
6年生のバレンタイン────寝室にチョコレートが積み上がって通れないほどになっていたので、本命用と呪い用とに仕分けしたんだった。
「あの時、ピーターになんかすごい誠実なメッセージを送ってきた子がいたらしくてさ。あいつ、あれ以来何かにつけて手紙を書くようになってたからある日それを横から盗み見たんだ。そしたらまあ、甘い甘いチョコレートより簡単に溶けそうなほど胸糞悪…いや、優しい言葉が並べ立てられててさ。事情を聞いたらその時の子からもらった想いへの感謝がだんだん恋に成長したんだって…お前、あの時最後泣いてたよな」
そりゃあ、泣きたくもなるだろう。こっそり手紙でお付き合い(?)をしていた子へ宛てた恋文を、学校一のモテ男に強奪された挙句、その文面を見て胸糞悪いと言われたのだ(シリウスは"優しい言葉"と慌てて良い繕っていたが、絶対その時は"胸糞悪い"と正直に言葉にしたに決まっている)。
「…あ、それってもしかして、下級生の子? ほら、あの────転んだ時にピーターがハンカチを貸してあげたっていう、ハッフルパフの…」
あの年のバレンタインは、呪いの指輪なんていう物騒なものが送られる形で終わってしまった明らかなハプニングデーだったが、そんな中で唯一ほっこりする話が、それだった。
「リーマス、見てこれ! 転んだ時にハンカチを貸してくれてありがとう、だって! 多分これ、去年のことだよ。僕、治癒魔法に自信がなくてハンカチを差し出すことしかできなかったのに…こんなことにまでお礼を言ってくれる子がいるんだなあ」
「へえ…ハッフルパフの2年生か。もしマグル生まれだったら去年はまだ治癒魔法に頼るって発想がそもそもなかったかもしれないし、とにかくそれだけ嬉しかったんだろうさ。そういうエピソードが入ってると返事を出すこっちも気合いが入るね」
ピーターの親切心に胸を打たれ、バレンタインにチョコレートを贈ってくれた女の子。ピーターはそのことを心から喜んでいるようだった。
「へー、そんなことがあったのか。それでいそいそと本人に会いに行ってみたら好みのタイプだった、ってとこか?」
「そ、そんなんじゃないよ…! 確かに可愛かったけど…」
「でも付き合ってるのか? って訊いたらそれは違うって言ってたよな。あんな胸糞悪い愛の手紙を書いておいて、結局付き合ってなかったのか?」
シリウスは今度こそ「胸糞悪い」とハッキリ言って、ピーターのお付き合いの真偽を訪ねる。ピーターはもじもじと指を絡ませながら、「付き合ってはなかったんだ」と言った。
「それにシリウスはまるで恋人に宛てる手紙、みたいな言い方をしてるけど…。僕、結局あの子に一度も好きだって言ってないんだ。デートとかもしたことないし…。あの子が僕のことを褒めてくれるから、君だって十分素敵だよってお返しをしてただけで…」
「えっ!?」
「好きだったのに言わなかったの!?」
「向こうもピーターのことが好きだってわかってたのに!?」
リーマス、リリー、私の声が立て続けにピーターを責め立てる。向こうの好意がわかっていて、こちらも少なからず良い感情を持っているというのに、それを言葉にしないというのは…一体どういう心境でそんな曖昧な関係を続けていたというのだろう?
「だ、だ、だって…! 考えてもみてよ、まだ13歳の女の子なんだよ!? ちょっと年上の生徒に優しくされたから好きだって思い込んでただけで、絶対僕の本質なんか見たら幻滅するに決まってるじゃないか…」
だんだん尻すぼみしていくピーターの言葉。彼らしいと言えば彼らしいのかもしれないが…。
「でも、ピーターはその子のことが好きだったんでしょ?」
「わかんない…。可愛いなあとは思ってたんだ。…でも、なんだか僕なんかと付き合ってるなんて噂が流れたら可哀想だなって思って…。ああやって、こっそり手紙のやり取りだけしてたんだ」
…なんだか、どちらも切ない話だと思った。
自信を持って好きでいるのに、"自分なんて"という自己否定感のせいでその想いを受け入れてもらえなかった彼女。
好意を持っているのに、彼女の立場が悪くなるなんて見当違いな勘違いをしたせいでその想いを受け入れなかったピーター。
「…お前、自分で思ってるよりずっとイケてる奴だったぞ。流石にそれはその子が可哀想だと思うぜ」
ジェームズが呆れたように言った。
「そうだな。ワームテールはちょっとばかし何に対しても怯えすぎだ。そんなんでよく騎士団に入ったよ、ほんと」
「そ、それは…皆がいるって思ったから…」
「まあまあ、過ぎたことを言っても仕方ないよ。ピーター、次に好きな人ができたら迷わずアタックしに行こう」
あまりにもピーターが責められているので、私はいつかリーマスに言ったようなことと同じ言葉を投げてその場を収めた。
「男どもはジェームズとシリウスが人気を二分してたのに対して、女子側はイリスとリリーがやっぱり目立ってたよね」
話題を変えようとしたのか、リーマスがそんなことを唐突に言った。ピーターへの集中攻撃をやめさせたいと思った私の意図を汲んでくれたのかもしれないが────え、いや、だからといって流れ弾を当てられても困ります…。
「そうなの? 私、ジェームズからの無茶苦茶な告白以外で誰かから好意を伝えられたことなんてなかったわ」
「スネイプがいたじゃないか」
「あれはまたなんか別って感じじゃない。イリスにはほら、ヘンリーがいたから、そっちならわかるんだけど」
「懐かしいなあ、ヘンリー。今何してるんだろ」
ほら、やっぱり学生時代の話をしていると少し心が落ち着く。
この時ばかりは大人にならないで済む。
話題を豊富に持っているジェームズと、それにすぐ悪乗りするシリウス。呆れた顔をしながらも彼らのことを止めはしないリーマスに、ただただ翻弄されるピーター。私とリリーはたまに会話に参加して、茶化してみたり、常識的な観点から怒ってみたり────。
それが、私達だった。私達の、日常だった。
だから私は、彼らと会う度に────そんな日常を思い出そうと、いつも必死になってしまうのだ。
「────さて、名残惜しい気持ちは山々じゃが、そろそろお開きとしよう」
ダンブルドア先生がそう言った時、私は再び彼らと会えるのはいつになるのだろうという不安で胸が押し潰されそうになった。逃避していた現実が一気に去来し、私の顔をあからさまに沈ませる。
それに気づいてくれたのは、やはりシリウスだった。
「またすぐ皆に会えるよ。秋になったらまた、プロングズの家にこっそり遊びにでも行って、ハリーの成長を皆で見ようじゃないか。な、プロングズ」
「ああ、もちろんだよ。くれぐれも気をつけて────でも、いつでも来てほしいな」
彼らは私を元気づけるようにそう言ってくれた。
「イリス」
そして最後にリリーが私を呼ぶ。
「私達は、ずっと一緒よ。何があっても、いつまで経っても、私達は10年前に出会った時から────ずっと、変わらず大切な友達として、ここに"在り続ける"の。だからどうか安心して、ね?」
「────うん」
別れが惜しい。寂しい。シリウスがいてくれるから、辛いと思うことはないけど────それでも、私にとってホグワーツで過ごした7年間は、何物にも代えがたい、私をいつだって支えてくれる全ての原動力だった。
「ダンブルドア先生、せっかく全員揃ったことですし、最後に写真を撮るっちゅうのはどうでしょう?」
おひらきの合図をしようとしたダンブルドア先生に、少し離れたところにいたハグリッドがそう言った。
「おお、それは良い案じゃな。カメラは持っておるかの? 記念に1枚、撮っておこう」
ハグリッドはにっこりと笑って、自分の小屋に一度行くと、すぐにカメラを取って戻って来た。三脚を立ててカメラを設置し、私達はぞろぞろとその前に並ぶ。
パシャリ。
小気味良い音を立てて、"私達の今"は永遠に形として残ることになった。
それぞれ名残惜しい気持ちを隠さずに別れの挨拶をしながら、家へと帰って行く。
「────また、必ず全員で会おうね」
私もシリウスと一緒に家に帰る間際、4人にそう念を押した。
返って来たのは、学生時代と全く同じ────屈託のない、笑顔だった。
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