リリーとジェームズの子供────ハリーが生まれてから、1ヶ月が経った。
その間、私は────ハリーが生まれる数日前に、ユーフェミアさんとフリーモントさんが龍痘で亡くなったという報せを聞いていた。

「おじさんとおばさんが…?」

この訃報には、シリウスも愕然としていた。ジェームズ曰く、「僕のところにはすぐ連絡が来たけど、リリーが出産を間近に控えていたから誰にも言ってなかったんだ」とのこと。両親が心配で仕方なかったろうに、それでも新たな家族を守ることを決めたジェームズの覚悟の強さを思い知り、私はそっと涙を流した。

毎年私達を実の子供のように温かく迎え入れては、おいしいご飯を食べさせ、広い庭で存分に遊ばせてくれていたユーフェミアさんとフリーモントさん。もうあの笑顔が見られないのかと思うと、辛くて苦しくて────私はその報せを受け取った晩、シリウスに抱きしめられながら一晩中泣いた。

「幸せだったと思うよ、2人も。プロングズっていう最高の子供に恵まれて、そいつがリリーっていうこれまた最高の魔女と結婚して────孫の顔は見られなかったけど、少なくともハリーがもうすぐ生まれるってこともわかって────あの2人はきっと、プロングズが自分の手元を離れて新しい家族を築いたことに、ちゃんと安心して逝ったんじゃないかな」

そう言うシリウスの声も、涙に震えていた。
亡くなる命もあれば、生まれる命もある。

私は最後に彼らと会った、去年の年末のことを思った。
どうか、どうか────あの優しい2人が、天国でも穏やかに私達を見守ってくれていますように。

私達は翌日、2人のお墓に花を持ってお参りに行った。そこにはたくさんの花が置かれていて、彼らがいかに周りから愛されていたのかを、その時初めて知ったのだった。
愛を注ぐだけでなく、注がれてもいた老夫婦。私にとっては、もうひとつの家族のようなものだった。

「さあ、僕らが泣いてたらおばさんが心配する。あの2人は誰かに殺されたわけじゃなく、天寿を全うして健やかに亡くなったんだ。笑って送り出そう」
「…うん、そうだね」

そんなことがあった後ではあったが、ジェームズとリリーが2人の死を受け入れ、新たな命をこの世に生みだしたのだ。悲しんでばかりはいられない。
私とシリウス、リーマスとピーターは、4人の都合が合う日をお互い知らせ合った上で、同じ日に彼らの家を訪問することにした。

ゴドリックの谷の入口に姿現しをする。私は自分に目くらまし術をかけ、シリウスは「その辺を通りがかってたやつから髪をもらった」と言って、全く見たこともないマグルの人間に変装していた。
村の入口には、見たことのない男性と女性のカップルが立っていた。
シリウスがそのカップルに近づき、「有事の時に忘れてはならないことは?」と尋ねた。

すると、カップルの男性の方が、突然話しかけられたにも関わらず穏やかに微笑み────「笑顔、だろ」と答える。

「久しぶりだな、ムーニー、ワームテール。といってもこの姿じゃ全然久しぶりって感じがしないけど。むしろはじめましてか?」
「変な感じだな。イリスは一緒か?」
「ああ。ここで目くらまし術をかけて立っているよ」

カップルの男性────リーマスは、シリウスが指さした方に向かって小さく手を振った。

────ゴドリックの谷に私達全員が姿を現してしまえば、嫌でも目立つ。最悪死喰い人にその情報が入ってしまったら、こぞってここへ押し寄せ、たとえ秘密の守人であるピーターが何も口にしなかったとしても、村ごと焼き払ってしまうことだろう。

それを防止するため、私達はそれぞれ変装して集まることになっていた。村の前で待ち合わせ、いつかシリウスが言っていた「有事の時こそ笑顔を忘るるなかれ」という言葉を合言葉に、互いの素性を確認する段取りだった。カップルの男性がリーマスだということは、彼が連れている女性はピーターといったところだろう。

「そっちの女がワームテールだっていうのは、君と仲良く腕を組んでることを証拠にするってことで良いか?」
「うん。僕だよ。3年生の時、"僕は弱虫の毛虫"って歌を作った僕」
「はは、傑作だったな」

すっかり自分が本物であることを証明することにも慣れ切っていた私達は、ピーターがピーターであることの証明を笑いながら聞き入れ、それから揃って村の中に足を踏み入れた。

「ポリジュース薬の効果はちゃんと調整してあるか?」
「もちろん。この時間なら、ジェームズの家について10分もしないうちに元の姿に戻るよ」
「ムーニーの魔法薬の調合はいまいち信用ならないからなあ…」
「僕も手伝ったよ!」
「余計に心配だ」

冗談を交わしながら、1ヶ月半ほど前に来たばかりのジェームズの家に行く。

他の3人は全員変装して声まで別人になっているので、唯一自分の姿のままでいる私がドアをノックした。

「われ、ここに誓う。われ、よからぬことをたくらむ者なり」

ジェームズの家に入れてもらえる合言葉はこれ。彼ら悪戯仕掛人が生み出した至高の作品といって良い"忍びの地図"を顕わにする言葉だ。私達6人が全員揃う時にだけ、この言葉は使われる。言う度に学生時代の楽しかった思い出が蘇るので、私はこの合言葉が大好きだった。

扉はすぐに開いた。ジェームズは知らないマグルのカップルと、人ひとり分の距離を置いてまた知らないマグルの男が立っているのを見て、ぶっと吹き出した。

「その辺の下手な不審者よりよっぽど不審だな、君達」
「仕方ないだろ。誰のためにこんな真似をしてるかお忘れかね?」
「いや、いや。覚えてるとも。さ、入って」

通されたのは、彼らの寝室だった。大きなベビーベッドが真ん中に置かれており、リリーがちょうどその中にいる赤ん坊にカラカラと音が鳴るおもちゃを振って見せている。

「リリー!」

私はすぐ目くらまし術を解いてリリーの元へ駆け寄った。まだポリジュース薬の効き目が切れていない3人は、このまま彼女のところに普通に行って良いのか迷っているらしく、部屋の入口でモタモタしている。

「イリス! 来てくれてありがとう! それに────そこにいるのは、シリウスとリーマスとピーターね? ふふ、変な格好」
「仕方ないじゃないか、マグルの流行なんてわからなかったんだから」

マグル生まれの私が用意した服を着ているシリウスはともかく、リーマスとピーターの服装は少なくとも20年くらい前に流行していた若者の服とシニア向けの服をごちゃまぜにしたヘンテコなコーディネートになっていた。リリーに笑われたリーマスが赤くなって言い返している。

「それより、この子がハリー?」
「そうよ。近くで見てあげて。ジェームズそっくりなの」

私はリリーの肩を抱き、彼女の隣でベビーベッドの中を覗き込んだ。

────赤ちゃんが、こちらを見て笑っていた。

頭の上にちょろちょろと生えている髪は、くるんと癖を作っていた。ふくふくとしたほっぺたが焼き立てのパンみたいに見える。というか、全体的にパンみたいな形をした赤ちゃんだった。手はクリームパン。足はコロネ。お腹はスイートブール。

でも、リリーの言う通り────こんなにまるまるとしているのに、どこか見ているとジェームズを思い起こさせる雰囲気を持っている子だった。なんだろう、髪が似ているのは明らかなのだが、鼻の形だろうか、それとも耳だろうか、唇だろうか────僅かなパーツが、ジェームズに若返り薬をしこたま飲ませたらこんな風になるだろうなと思わせてくる。

ただひとつ、ジェームズとは全く似ていないところがあった。

赤ちゃんがじっと私を見つめる。
その目を、私はよく知っていた。

「…リリーの目だ」

アーモンド形の、明るいグリーンの瞳。その目にじっと見つめられると、まるでその奥にリリーがいるような気がしてしまい、私は思わず隣にちゃんとリリーがいるか確認してしまった。

「そうなの。目だけは私に似たのよ。こうして見ると、グリーンの目って意外と可愛いのね」
「こうして見なくてもリリーは可愛いよ!」
「ふふ…イリス、そういう意味じゃなくって」
「この子、すっごく可愛い。ハリーって言うんだよね?」
「ええ、呼んであげて。まだ自分のことだとはわかってないみたいなんだけど、たまに名前を呼びながらあやしてるとね、すごく楽しそうに笑うのよ」
「へえ…はじめまして、ハリー。私はイリスっていうの、よろしくね」

私の声に呼応するように、小さなハリーはにっこりを笑った。

「ぷあー!」

ハリーが上機嫌に喃語で何かを喋ると、さっきまでリーマスとピーターの格好の不自然さを笑っていたはずのジェームズが矢のように飛んできた。

「今"パパ"って言った!?」

あまりの勢いに私とリリーはつい一歩後ずさってしまった。

「…言ってた?」
「えーと…ぷあーって聞こえたような…」
「パパとは?」
「言ってないと思う…」

リリーと悲しい真実を囁き合っている声は、ジェームズには全く聞こえていないようだった。彼はひとりでわいわい楽しそうに何かずっとハリーに話しかけている。

「もうパパがわかるようになったのか! 偉いなハリー! パパはここだぞー!」

しかしジェームズの声が大きすぎたのか、ハリーはびくんと体を強張らせると、大きな声を上げて泣き出してしまった。

「ああもう、だから大きな声を出しすぎないでっていつも言ってるのに!」

リリーがジェームズを押しのけて、ハリーを抱きかかえた。ゆらゆらと揺りかごに入れているようにゆったりとした動きでハリーをあやしているリリーの様は、まさに絵に描いたような母親の姿をしている。

「リリーって良いお母さんだね」
「だろ? 人としても、女の子としても、奥さんとしても、母親としてもリリーは最高なんだ!」
「泣かせた張本人がよく言うよ」

私が自慢げにしているジェームズに一言釘を刺したところで、リリーは"星に願いを"を歌い始めた。ハリーへの子守歌だ。

「聴いたことのない曲だな。マグルの子守歌か?」
「そうだね。こっちで有名な童話に出てくる歌なんだ」

リリーの歌声は程良く低く、落ち着いた優しい声だった。今までずっと対等な友達として付き合っていた私の、知らない顔。

弱い者を無条件に守り、無知な者に無償の愛を注ぐ。

母親とは────母親とは、こういうものなのか、と私はその時初めて"母親"というものを見たような気がした。

「泣いたらリヴィア家の名前まで泣きますよ」「ぐずっている声がご近所さんに聞こえたら恥ずかしいでしょ」────流石に自分が赤ん坊の頃のことは覚えていないが、まだ言葉を理解できていない妹に、お母様がそんな風に言っていたことを思い出す。

子守歌は、パトリシアが代わりに歌ってくれた。泣いた時に抱いてくれたのも、パトリシアだった。だから私は知識としてそういった子育てに効く手法を知ってはいても────こうして、本当の母親が子供をあやす姿を見るのは初めてだった。

やがてハリーはすやすやと眠りについた。驚くほどに大人しい子だ。リリーがそっとベッドにハリーを戻し、ジェームズをキッと睨んで「くれぐれも静かにね」と叱りつける。先程までの聖母のような顔が一気に般若のようになったのが面白くて、私はこっそり笑ってしまった。

それから私達は、ダイニングに置かれているベビーベッドにハリーが収まったことを確認してから、そのすぐ傍のテーブルについて紅茶を淹れた。ピーターがおいしいケーキを買ってきたというので、それも一緒に開け、談話室にいる時のように6人でテーブルを囲んで座る。

「意外と快適そうじゃないか。来た時はだいぶ古臭いと思ってたけど」
「掃除も頑張ったし、ちょっと手も加えたんだ。ところどころ柱が危なっかしく傷んでるところとかもあったしね」
「照明も可愛いシャンデリアだね。これはリリーの趣味?」
「そう、取り寄せたの。どうせ家にこもっていないといけないなら、ちょっとでも気分の明るくなるようにデザインしたくて」

以前はそれなりのお金持ちが住んでいたのだろう。確かに建物自体は古びているが、壁の装飾やドアノブの意匠など、リリー達が手を加えていない部分も十分凝った造りになっていることがよくわかる。そこに彼女達が自分達の好きな家具やインテリアグッズを(相当揉めただろうな…)お洒落に置いているので、たとえここがちょっとした博物館や美術館のような、いわゆる"鑑賞のための建物"と言われても納得していたことだろう。

ピーターが持って来てくれたケーキは本当においしかった。
リーマスがいる以上、彼に"秘密の守人"としてどんな暮らしをしているのか、危険は及んでいないかということを尋ねることはできなかったが、彼の顔色はそこまで悪くないように見えた。今のところ、私とシリウスがうまく囮になれていると思って良いだろうか。

私達はいつも通り学生時代の思い出話をした後────今度は、ハリーの話題でもちきりになった。

「男の子が生まれたらハリー、女の子が生まれたらコーネリアって名付けようと思ってたんだ」
「リリーのお母さんの名前だね。でも、じゃあハリーはどこから持ってきたの?」
「僕の遠い祖先にハリーって人がいたんだよ。僕も色々自分の家系の名前を調べてみたんだけど、ハリーが一番語感が良くてさ。ハリー…ハリー…良い響きだろ?」
「うん、可愛い」

ジェームズはとにかくハリーが可愛くて仕方ないようだった。好きなものの名前を3秒に一度呼ばないと死んでしまう病はまだ治っていないらしい。

「ハリーは僕によく似てるんだ。でも目だけはリリーと全く同じ! あれを見てるとまさに僕とリリーの子なんだなって、僕はとっても幸せな気持ちになるんだよ」

何も言わずともその顔だけでお気持ちはよくわかります。

「それにハリーはきっと、クィディッチの最高のプレーヤーになると思う! いや、僕がそう育てるぞ!」
「ジェームズ、ハリーのやりたいことをやらせてあげなさいよ。私に似たらきっと箒に乗りたいなんて一度も言わないと思うわ」
「うん…そっか…それもそうだな…。あっ! でもリリーも観るのは好きだろ? もしプレーしたくないって言われたら、一緒に試合観戦に行くんだ! それから効率の良い悪戯の仕方も仕込んで────」
「もう少し有意義なことを教えてあげて。小さいうちは基礎からよ」
「何言ってるんだ、応用をやってくうちに基礎が身に着くんだよ!」

早くも教育方針の違いで大喧嘩をしているポッター夫妻を、私達は呆れ返った目で見ながらケーキを口に運んでいた。もはや誰も口を挟もうとしない。この2人が何においても意見を対立させることなど最初からわかっていたので、今更それを仲裁する気にもなれなかったのだ。

「どんな子になると思う? プロングズとリリーのハイブリットだぜ」
「まず頭が良いことは間違いないな」
「あと、きっとみんなから好かれる子になるよ」

ジェームズとリリーを放置することにした私達4人。こちらもこちらで、ハリーがどんな子になるか勝手に予想し合っていた。

「リリーも意外と冒険好きだからね。規則破りとか案外平気な顔してやっちゃいそう」
「マクゴナガルの"ポッター!"が二世代に渡って響き渡るわけだ。最高だね」
「フィルチに没収させた忍びの地図は回収してくれるかな?」
「いつかプロングズがけしかけるだろ」
「ハリーにもみんなみたいな友達ができると良いね」

ジェームズと瓜二つの才能と圧倒的なカリスマ性を持つシリウス。大人びていて上品で、みんなのまとめ役になってくれるリーマス。3人のやることが大好きで、時々誰よりも大胆なことをするピーター。

悪戯仕掛人の4人を見ているのが、学生の頃から私は大好きだった。
ハリーもそんな風に、卒業した後もずっとこうして一緒にケーキを持ち寄って食べられるような友達を作ってくれたら嬉しいと思う。

「ガールフレンドはどんな子だろうな」
「ジェームズとリリーの子がモテないわけないもんね。顔があれだけジェームズに似てると、どうしてもリリーみたいな子を連れてきそうな予感ばっかりしちゃう」
「頑固頭で気の強いタイプか」

そんなところまで話が派生したところで、私は一旦お手洗いを借りることにした。そこもリフォームしたのかはたまたしていないのか、まるで宮殿のトイレを見ているように広々としていた。

お手洗いから出て来て席に戻ろうとすると、そこにリーマスだけがいないことに気づいた。

「あれ、リーマスは?」
「ハリーを見てくれてるわ。ダイニングは少し騒がしいから、寝室に移動させたの」

リリーがそう言うので、そろそろ夫婦喧嘩にも飽き、かといってハリーの未来を予想し合うネタも尽きてきていたので、私は寝室の方へ行ってみることにした。

「リーマス?」

リーマスは寝室に置かれたもう一つのベビーベッドにもたれ、眠っているハリーをじっと見つめていた。
その表情がどこか悲しそうだったのが気になって、私はつい声をかけてしまう。

彼はぱっとこちらを見ると、すぐにいつも通りの笑顔に戻った。

「どうかした?」
「ううん。暇になったからこっちに来ただけ。────よく眠ってるね」

小声で会話をしながら、私はリーマスの向かい側に立ってハリーの寝顔を見つめる。
生まれたばかりの小さな赤ん坊。ジェームズとリリーの命を少しずつ分け与えられて、この世に現れた新たな命。

毎日死んでいく人がこれだけ多い中で、ひとつの命が生まれることの、どれだけ尊いことか。すうすうと小さな寝息を立てて安らかに眠っているハリーの顔は、まるで天使のようにさえ見えた。

────だからこそ、リーマスがどうしてこの健やかな赤ん坊の寝顔を見て悲しげにしていたのかが、わからない。

「リーマス、訊いて良い?」
「なんだい?」
「さっきここに入ってきた時、リーマスがすごく悲しそうな顔をしてた気がして。…どうかしたの?」

リーマスはハリーから目を逸らし、私をまっすぐに見た。いつも何かを憂いているような瞳が、僅かに揺れている。

「────そういうつもりじゃ、なかったんだけど」
「うん」
「ただ────…」

リーマスは言いにくそうに、再び俯く。言いたくないなら言わなくて良いよ、と言おうとしたところで、彼は結局口を開いた。

「────僕には、絶対に手に入らない幸せだなって思って」
「……」

そうか。
リーマスはハリーを見て、幸せを感じると共に、自分の境遇と重ね合わせて悲しい気持ちになってしまっていたんだ。
もちろんリーマスは人間だ。相応しい女性がいれば、子供を授かることだってできる。

ただ、リーマスはちょっとばかり"癖を持った"人間だった。
狼人間から生まれてくる子供がどんな特性を持っているのかは知らない。3年生の時、狼人間については散々調べてきたが、彼らは皆一様に、自分の血が子孫に継がれていくことを恐れ、子を授かろうとしなかったそうだ。

そんな社会の中で生きてきたリーマスも、きっと子供を望まないのだろう。たとえ心が望んでいたとしても、彼のあまりに良心的過ぎる理性がその願望を抑え込むはずだ。

「ジェームズ達には言わないでくれよ」
「当たり前だよ」

そんなこと、言えるわけがない。リーマスだって、こんなおめでたい場で自分の話なんてしたくはないだろう。だからここでひとり、幸せの形を眺めながらひっそりと悲しみに暮れていたのだ。

「ホグワーツでも、僕は誰とも付き合わなかっただろ」
「うん」
「実はさ、良いな…って思ってた人はいたんだ。この人と付き合うことができたらきっと幸せだろうなって…憧れてた人が」

それは初めて聞く話だった。リーマスがそこそこモテていることは知っていたものの、彼の方からそんな風に誰かに感情を向けるような仕草を見せたことはなかった。

「そうだったの?」
「はは、その驚きようを見るとうまく隠せてたみたいだな、良かった。好きな人はいたんだけど…僕はほら…こんなだからさ。まともに付き合えるわけがないって思ってたんだ」
「そんなこと…」

私は友人としてしかリーマスと付き合ってきていないけど、彼が狼人間であるからといって何か不利益を被ったことなんて一度もなかった。

「リーマスが好きになるような人だったら、きっとリーマスが狼人間ってことだって、当たり前に受け入れるんじゃない? まともに付き合えないなんて…私はそうは思えないよ」
「ありがとう、イリス。君がそう言ってくれるのは本当に嬉しいよ。そうだね…確かに彼女に本当のことを打ち明けても、君と同じことを言ってくれるんだろうね。でも僕は────僕が、許せなかったんだ」
「どうして?」
「だって、僕が誰かを好きになって、その人も僕を好きになってくれたとしたら────僕はきっと、その先を望んでしまう。幸いにもすぐ別れるようなことになれば良いけど、君達やジェームズ達みたいに卒業しても変わらず愛し合えるような関係になってしまったら────きっと僕も、結婚をして、子供を授かりたいって思うようになってしまう」

リーマスがあまり女性をとっかえひっかえするとは思えない。彼の言いたいことは私にもよくわかった。
わかった上で────でも、やっぱりどうして、と思ってしまう。

「それじゃいけないの? 生まれてくる子が直接噛まれるわけじゃないし、理論上は生肉を好むようになるとか、満月の晩は眠れなくなるとか、そのくらいの現象しか受け継がないんじゃなかった?」
「イリスは本当に狼人間のことについてよく調べてくれてるんだね。そう、"理論上"は確かにそうなんだ。だけど────狼人間の子が、社会に受け入れてもらえるとは思えない。それに何もこれは子供だけの話じゃない。狼人間の彼女、狼人間の妻…そんな噂が、世間でどう扱われるかは想像できるだろ。僕と特別な関係になってしまった人を、他ならない僕が不幸にしてしまうんだ。そんなの…耐えられないよ」

リーマスは自嘲するような笑みを浮かべ、ハリーの頭を優しく撫でた。

「────でも私は、シリウスと付き合ってるよ。"ブラック家の長男"が世間でどう言われてるかは知ってるでしょ?」

この人はあまりにも悲観主義すぎる。かなりのネガティブを自称している私ですら驚くほど、彼は自分のステータスを嫌っているようだった。…まあ、ホグワーツでの日々を思えばそうなる気持ちもわかるのだが。

でも、周りが何と言うかなんて、そんなことはどうでも良いのだ。
大切なのは、本人達が幸せであるかどうか。

私も昔は周りの目ばかりを気にして生きていた。できるだけ他人に不快感を与えないよう、極限まで自分を薄めて生きていた。
それを覆してくれたのは、他ならないあなた達だったのに。あなた達がいてくれたお陰で、私は"私が幸せであるかどうか"を大切にできるようになったのに。

「シリウスは自分で"世間から認められるべき人間"であることを証明できるだろ」
「できてないけどね」
「でも僕は違うんだ…どう足掻いても、自分が人狼であることは変えられない。今まではただ幸運だっただけで、満月の晩になったらいつ誰かを噛んでしまうとも知れないんだよ」
「20年近く噛まずに生きてるのに、これから噛むかもしれないなんてそんな可能性の低いことを心配してるの?」
「それは、だって…両親や、君達がいたお陰じゃないか」
「だから今度はそれが、彼女や奥さんや…新しい家族になるんじゃないの?」

リーマスは全く引かなかった。私の言葉にひとつも納得してくれている様子がない。
でも、私だって引くつもりはなかった。私は間違っていることを言ってるとは思わない。確かにリーマスの境遇を考えればそう思ってしまうのも仕方ないことかもしれないし、そんな彼から見れば私はただの理想論者でしかないのだろう。

────でも、理想を語って何が悪い?

どうせリーマスのことだから、どれだけ誰かと親密な関係になったところで少しでも噛んでしまう"リスク"が生じた時点で離れていくに決まっている。私は彼の並大抵でない自制心の強さを、よく知っている。
だったら、そのリスクを感じる前までは、もう少し自分に素直になっても良いんじゃないだろうか。リーマスが自分を律さなければならないのは、月にたったの1日だけ。だったら、残りの30日は他の人と同じ幸せを感じたって良いんじゃないだろうか。

「リーマス、あなたはちょっと憶病すぎるよ。9年一緒にいる私が自信を持って言うけど、あなたは決して危険な人なんかじゃない。だって危険が伴う唯一の日には、あなたが自ら隔離されに行くんだから。それならどうして、何も危険のない日にまで人を遠ざけるの? 好きな人が自分のことを好きになってくれるかまでは保証できないけど────少なくとも、あなたが何かを望むことは誰にも咎められないと思う」

あなたが好きな人に「好きだ」という権利は、あって当たり前なのだ。
あなたが好きな人と付き合いたい、結婚したい、子供を授かりたい…そんな願望を持つことは、当たり前に許されて良いことのはずだ。

それを聞いた相手がどんな反応を示すのかは知らない。でも、反応を待つ前から過剰に自分を抑え込むのは────多分、あまり精神衛生上良くない(これは体験談だ)。

────そう、私とリーマスにはそんな共通点があった。
つい自分を引っ込めてしまう癖。物事をなんとか丸く収めようとして、自分を犠牲にしてしまう癖。私の場合はあまりそんな自分が好きじゃなかったから、少しずつ変えていこうとしたけど────。

「リーマス、私もそうだったからよくわかるんだけど…我慢するのって、辛くない?」
「…辛くなんか、ないよ」
「嘘。だって辛くなかったら、ハリーを見てあんな顔しないよ」

リーマスの表情が固まる。図星を突かれて困っている顔だ。

「リーマスはもう少し"普通"の定義の幅を広げても良いような気がするなあ…。ちなみにその好きな人、今はどうしてるの?」
「別の人と付き合って幸せにしてると思うよ、多分」
「そっか。じゃあそれは仕方ない。失恋は誰だってするからね。その代わり、もし次に好きだと思える人がいたら、今度はデートに誘ってみたり、好きだって言ってみたりしたらどう?」
「…僕に、そんなことが…」

何度言わせるつもりなのか。
できるに決まっているじゃないか。

ジェームズがリーマスの特性のことを"ふわふわした問題"と呼んでいたのを、まさか聞いていかったとは言わせない。要は、彼のことを理解している人から見れば、彼が狼人間であることなんて、ちょっとした行儀の悪いウサギを飼っている程度の問題にしかならないのだ。

リーマスは私の顔を見て、言いたいことを察してくれたらしい。困ったような顔をして、「まさか君に"自分を解放しろ"なんて説教される日が来るなんてなあ」と笑っていた。

「お節介なのは承知してるんだけどね。リーマスがウジウジしてるのを見てると、どうしても昔の自分を思い出しちゃって」
「そんなシリウスみたいな言い方、やめてくれよ」
「そりゃ、あれだけ長く一緒にいれば影響されるよ。私としてはあんまり歓迎したくないんだけど…あの人とにかく口が悪いから…」

あまり口調は移らないように意識しているつもりだったが、端々に彼の影響が出ているらしい。余計なところで頭を痛めていると、リーマスはようやくちゃんと笑ってくれた。困ってもいないし、悲しんでもいない、いつものリーマスの笑顔だ。

「────いきなり勇気が出せるかはわからないけど、少なくとも君みたいに言ってくれる人がいるっていうだけで、だいぶ救われるよ。ありがとう、イリス」
「また誰か素敵だと思える人に出会えると良いね」
「そうだね…」
「そしたら最初に教えてね」
「えー…余計な茶々入れない?」
「そんな、シリウスとジェームズじゃあるまいし…私は自主性を重んじるよ。リーマスが本気で"何もしたくない"って言うなら、もうこれ以上言わないし」

でも、そうじゃないんでしょう?
リーマスだって、好きな人と結ばれたいっていう願いがあるんでしょう?
だからハリーを見てあんな顔をしてたんでしょう?

「────そうだね。本当は僕も、"普通"の幸せを手に入れたいよ」
「だったら、そうなれるように誠実に協力するよ」

今までずっとジェームズとリリーの仲を取り持ってきた私は、自信を持って答える。あの時は本当に、骨を何本折れば済むのかと本気で自分の身を心配したくらいなのだ。リーマスの恋路を応援することなんて、あれに比べたらなんてことはない。

「……僕もいつか、君達みたいに誰かを好きだって言える日が来るのかな」
「来るよ。人を遠ざけない限りね。────私がジェームズとリリーの両方から別々に言われた言葉、知ってる?」
「なに?」
"好きになっちゃう時は好きになっちゃうもんなんだよ"。あとはほんの少し、素直になれば良いだけ」
「…結構あの2人って、似てるよね」

よくわかるその感想に私が笑っていると、隣からリリーとジェームズがやってきた。

「盛り上がってるみたいね。ハリーはどう?」
「良い子にして寝てるよ」
「フォクシー、そろそろリーマスとの逢瀬は終わりにしないと君の忠犬が機嫌を損ねるぜ」
「おっと、大変だ」

私はぱっとベビーベッドから離れると、リーマスに目配せをして部屋を出た。

「イリス」

後ろから、リーマスに呼ばれる。

「ん?」
「────ありがとう」

私はただ黙って笑った。この話は、私とリーマス2人だけの秘密だから。



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