レギュラスが私を訪ねて来た後、私は3日の休みを取り付け、週末と合わせて5日間の自由をもぎ取った。私のいる部署のありがたいところは、あまりにも人が忙しすぎて逆に1人が3日いなくなった程度では誰も気づかないというところだった。上官ですら嫌味を言う暇がないらしく、私の休暇申請は思った以上に素早く通った。
こんなことになるなら、もう少し早く休みを取っておけば良かったと思う。
私は彼が"いなくなった"後で初めて、彼の捜索に本腰を入れていた。
とはいえ、彼の足跡はそれでも掴めない。
今まで通ってきた治安の悪い地区とやらを、もっと入念に調べてみる。
薄暗い細い路地も、家と家の間の隙間でさえも、そこを"ちゃんと見られれば"彼の家があると信じ、日がな一日私はずっと歩き回っていた。
しかし、日曜日になっても彼の家も、そして彼自身の姿も見つからなかった。
そして1ヶ月が経つ頃────私は遂に、レギュラスが本当に"この世から消えた"ことを最有力な事実として受け入れざるを得なかった。
レギュラスが私の家を訪ねる────つまり、敵の方から私の前に現れた後で、私がまたも"何も見えていない目"で彼の鼻先を掠めようものなら、今度こそ彼は私に不意打ちで攻撃を仕掛けてくるのだろう。
それなのに、私は柄の悪いマグルのチンピラに少しばかり絡まれたくらいで、彼が生きているなら感じるはずの殺意をどこにも感じられなかった。
そして、可能性は低いがまだ彼が生きており、そして私に攻撃する意思もないのだと本気で言うのなら、「失敗した」とそれはそれでまた会いに来るはずだ。
それさえもなく、ただひとりで一度来たことのある場所をうろうろと歩き回る私が何も成果を得られないというのなら────生死に関わらず、彼は本当に二度とこの表舞台には顔を出さないつもりなのだろう。死んだのか、それとも"死んだ"ことにして隠れて生きるか、どちらかを選択したということになる。
だから私は、休み明けに最後に役所で怪しんでいた魔法ゲーム・スポーツ部の人間にカマをかけて(部署を訪ねた時、「あなたの秘密は知っている」とひとりしかいなかったオートレッドというその男性に杖を向けてみたところ、彼は即座に私に向けて杖を抜いた)、ダンブルドア先生に"お土産"を持ってレギュラスの報告をしに行くことにした。
魔法をかけられるより先に彼の杖を奪って体を縛り、目くらまし呪文と姿くらまし防止の呪文をかけて日中は自分のデスクの傍においておく。
────ああ、死喰い人を捕まえるのって、こんなに簡単だったんだ。
レギュラスの姿を捉えることに比べてしまえば、何も難しいことなんてなかった。
それなのに私は、こんなことにばかり時間を割いて、彼の居所ひとつ掴めずに、運が良ければもっと何か話すことがあっただろうあの人をみすみす"逃して"しまった。
レギュラスに対しては、どんな感情を抱いたら良いのかまだわかっていない。
敵だとは思っている。いくらヴォルデモートに失望したと言われたところで、「手段も目的の先で得られる成果も違う」と言われてしまえば、彼を騎士団に引き入れることは絶対にできないし、それは騎士団側にとってもメリットのある話にはならないことだろう。
ただ、私の頭の中には、どうしてもまだ学生時代の、あの理想を朗々と語るレギュラスの姿が残っていた。
もちろん、良い友人になれるとは一度も思ったことがなかった。私と彼は、どこまで行ってもわかり合えないと、それは割り切っていた。
それでも────。
「────"ちょっとした冒険"をする時、それを共有してくれる人がひとりもいなかったら…つまらないだろう」
あの言葉を聞いた時、私は「彼もひとりで死んでいくのは悲しいと思ったんじゃないだろうか」と思ってしまった。
誰にも死を知られない。死の真相も知られない。世はきっと、帰らないレギュラスを「闇の帝王に恐れをなして逃げようとし、殺された」というあまりに度し難い噂を流すことだろう。
もしかしたら、彼は自分自身に「誰にも言ってはならない」と言い聞かせつつ、「学生時代から彼のことをよく知っており、何か危険が及んでも(そもそもは敵であったはずの)私なら害がないと考え、その突拍子もない話を秘密のままに共有できる相手」として私を選んだのではなかったのだろうか。
彼の思想をよく知った上で、否定はしてこなかった私。その行動には躊躇いなく杖を向けても、彼の"人間的"な部分を徹底的に排除しきれなかった、甘い私。
私なら、そんな秘密を抱えて墓まで持って行けると────幼かったレギュラスの中には、私が(あまりにも異様な形ではあるが)"同類"に見えていたのではないのだろか。
私は、その日の帰りにオートレッドを連れてホグワーツの城のすぐ外まで出向いた。
念のため、失神させてから彼の目くらましを解く。彼は私に捕らえられた時のままの姿でこてんと力なく首を傾けていた。
それから紙で折った飛行機に『ダンブルドア先生 お話があります。無力化はしていますが敵を連れているので、校内には入らず外でお待ちしております』と書いて校長室まで飛ばした。今はイースター休暇が明けて、学期末試験に取り組んでいるところのはず。いくら敵の杖も意識も奪ったとはいえ、校内に持ち込むような真似はしたくなかった。
10分もしないうちにダンブルドア先生は現れた。私が連れているオートレッドを見て、「イリス、こやつが君が言っていた魔法省内にいる死喰い人かね?」と即座に状況を呑み込んでくれる。
「はい。おそらくヴォルデモートに何らかの情報を流していたことは間違いないと思われたので、魔法省に突き出す前に尋問した方がよろしいかと思い、こうして連れてまいりました」
「そうじゃな。スパイにはまず死ぬ前に聞かねばならぬことがたくさんある。今は使われていない叫びの屋敷に置いて、ミネルバにバトンタッチすることとしよう」
私は再びオートレッドに目くらまし呪文をかけると、ダンブルドア先生についてそのままホグズミードを歩き、叫びの屋敷へと向かった。屋敷に貼り付けられている木の板をダンブルドア先生は器用に取り外し、中にオートレッドを閉じ込める。何やら複雑な杖の動き方をさせたかと思うと、頑丈な足枷を彼に嵌め、部屋の中にも闘争防止と思われる防御呪文を施し、そして入口には来た時同様木の板を取り付け直した。
「ありがとう、イリス。魔法省での仕事はとても忙しいと聞いておる。それにも関わらずこうして政治が汚染されていくことを防いでくれたことが、わしは本当に嬉しい」
「もったいないことです」
帰りに、「良ければわたしのところで少し茶でも飲んで行かぬか」と言われたので、私はお言葉に甘えて校長室へ寄ることにした。
玄関ホールから校長室へ行く道すがら、たくさんの生徒が笑い合いながら廊下を走っているのが見えた。何人かの礼儀正しい子は、私を見てすぐに外来者だと気づいたらしく、ぺこりと一礼してくれる。
────私も、まだ1年も前にはここにいたはずなのにな────。
なんだか、そこにいる子達がとても幼く見えてしまった。外の争いを知らない子達。世の残酷さを知らない子達。テストや寮同士のいがみ合いに疲れてしまうことはあっても、自力で解決し、疲れの合間に仲間と笑い合い、"これから強くなっていく"子達────。
今更ながら、ダンブルドア先生達がこんな子供が軽率に言った「騎士団に入りたいです」という戯言をよく聞き入れてくれたものだ、と改めて感謝の念を覚えた。
私だったら、箱庭の中で安全に暮らしている子からそんなことを言われたところで、「ちょっとした冒険気分じゃやってられないよ」と跳ねのけてしまっていただろう。
「この間、海外に旅行していた友人がロシアンティーの茶葉をお裾分けしてくれてのう。ちょうど誰かと一緒にお茶をしながらおしゃべりしたいと思うてたのじゃ」
何も変わらない校長室に入り、椅子を勧められ、瞬く間に目の前には湯気の立つ紅茶とクッキーが置かれていた。
「最近はどうかね? なんだか少しばかり疲れたように見えるが────。友人達とは、会えてるじゃろうか?」
ダンブルドア先生は、心から私を気遣ってくれているようだった。先生は先生なりに、私達を卒業後すぐに騎士団に引き入れたことが正しかったのか、きっとまだ見定めきれていないのかもしれない。
しかし、それがいくら子供のバカげた理想論から始まったものだったとしても、私は自分の今の生き方を後悔したことなどなかった。大人から見たら、自分を過大評価しているだけだと諫められても仕方ないかもしれない。しかし私は、いつだって本気だったのだから。
だから────そんな"世間話"より、私には先生に伝えなければならないことがある。
「リリー達とは、7月の結婚式に会う予定なんです。全員、揃って」
「それは良いことじゃ。なかなか大人数で集まることが難しい中、その再会の日が新たな家庭の生まれる日とは、まことにめでたい」
「はい。────ただ、先生。友人ではないのですが────私は先日、レギュラスに会いました」
ダンブルドア先生の動きが僅かに鈍った。ここ半年、何の報告もできずにいた"レギュラス"という名を、私から口にしたのが珍しかったからだろう。
「────彼は、どうしていたかね」
…一発目に、一番痛いことを訊かれる。
ここに来るまで、私はダンブルドア先生に何と報告しようか迷っていた。というよりも、そもそもこの話を報告するべきなのかと迷っていた。
レギュラスは、私と彼が会ったことについて一切ダンブルドア先生に伝えないでほしいと言っていた。もし何か言わなければならないのなら、「家の前で偶然会った」と、そして「闇の帝王に恐れをなして逃げようとした」と伝えてほしいと、そうも言われている。
私は────。
「すみません。すぐに逃げられてしまったので、消息は掴めませんでした。ただ────……彼はおそらく、もう死んでいると思った方が良いかと思われます」
覚悟を以て、"穢れた血の"私に"頼み事"なんてしてきた彼の意思を、最大限に汲みたかった。
その上で、私は"騎士団の私"としての判断を下すことにした。
レギュラスの意思は最大限に尊重したい。
でもこれは、レギュラスと私の戦いではないのだ。あくまでこれは、ヴォルデモートとその対抗勢力との戦い。
いくら「個人間での秘密事」と言われており、私がその秘密を守るとしても────世の存続に関わることである以上、その全てを"秘密"にすることはできなかった。
レギュラス、ごめん。
あなたの話の全てを秘密にするには、私は少し大人になりすぎていたのかもしれない。
彼が彼の愛する人達のために決意した"不名誉な死"という名誉ある決断をしたというのなら、最低限その覚悟は守りたいと思う。
「会ったのは1週間ほど前、私の家の前です。尾行に気づいていたレギュラスの方から、私を訪ねに来ました」
でも、今の私には守らなければならない世界がある。今の私には、何を捨ててでも打ち倒さなければならない敵がいる。
もうあの頃のように、自分の好奇心と保身だけで誰かの意見を傾聴しているような、大人しいイリス・リヴィアは────彼もきっとわかっていることだろうが────とっくに消えてしまっていたのだ。
「彼は私に、"もう尾行の必要はない"と言いました。"これからヴォルデモートに"────」
一瞬、言葉を選ぶための間を取る。ダンブルドア先生は何も言わない。
「"ヴォルデモートに果たし状を渡してくる"と行って、すぐに消えました。1週間ほどかけて付近と目星をつけていたところを全て洗い出しましたが、本人も、魔力の痕跡も何も残っていませんでした」
────私は、彼の頼みを忠実には聞き入れなかった。
「ヴォルデモートに離反した」というその言葉だけで、ダンブルドア先生がどこまで汲み取ってくれるかはわからない。私がそれ以外に聞いた話なんて全て曖昧なままだったので、あの会話をまとめるならこういう他ないと思ったのだ。
「ヴォルデモートに恐れをなして逃げようとし、捕えられて殺された」という話なら、確かに最も筋が通っており、レギュラスの望んだ「誰にも真実を知られない死」がもっと後に静かに広まって終わるだけになっていただろう。
しかしこの言い方なら、レギュラスが何かしら"ヴォルデモートを倒す手段を持っている"ことだけは伝わるはず。たとえその結果が「愚かしくもヴォルデモートに逆らおうとして殺された」という不名誉な結論に同じように帰したとして、過程におけるレギュラスの決意はまるきりひっくり返ることになるだろう。
────情報筋の何一つない私には、レギュラスのあの日の表情と言葉のひとつひとつを、どう伝えれば良いのかわからなかった。
本当なら、全てを伝えるべきだったのだろう。レギュラスが泣きそうな顔をして笑っていたことも、"私"という個人と最後は学生時代のように対等な立場で話をしようとしていたことも、────彼が殺すつもりなのは、ヴォルデモートの"一部"にすぎないという謎の言葉も。
でも、それをダンブルドア先生に報告することは不要だと、はっきり感じていた。
私はただ、「レギュラスがヴォルデモートに果たし状を突き付ける…つまり、それができるだけの武器を持っていること」を伝えられれば良い。レギュラスが、逃げたのではなく、己の主だったものに刃を向けようとしたことを伝えられれば良い。
騎士団の役割としては、それさえ守っていればもう十分なはずだ。
私は、先生にこう言っておくことで────結局、死喰い人など全く関係のない"レギュラス・ブラック"という一人の人間が"イリス・リヴィア"という一人の人間に打ち明けた"最後の思想"だけは、彼の望んだ通り、私ひとりの中で閉じ込めておくつもりでいた。
「果たし状…」
ダンブルドア先生は何か考え込むように呟いた。
「つまり、レギュラスはヴォルデモートに反旗を翻すことにしたわけじゃな? その上で、騎士団の助力を仰ぐでもなく、共に戦おうと知識を分けることもなく、一人でヴォルデモートを倒しに行ったのじゃな?」
「…おそらくですが、レギュラスが何らかの理由でヴォルデモートについていけないと判断したところで、彼の理念が騎士団の物と合致するとは思えません。学生時代から何度も話し、それは私もわかっています。だから彼にとっては…騎士団がどうしているだとか、世界がどうなっているかとかそういったことは関係なく、ただ彼のプライドを賭けて、己の主に刃を突き付けようとしただけなんだと思います」
「繰り返すようじゃが、君は彼がどんな手段でヴォルデモートを倒そうとしているのかは聞いていないのじゃな?」
「はい、聞けませんでした」
腹の内側を這いずり回って探るような、痛い視線が向けられる。青い瞳にはクリスマスの朝に煌めくような鮮やかな光はなく、まるで私を通して"敵"の姿を見ようとしているかのような厳しい目が私の目を射抜いた。
────嘘はついていない。
だって私は、レギュラスがどんな手段でヴォルデモートを倒そうとしているのかは、本当に知らないのだから。
「────レギュラスの遺体は、見つかったのじゃろうか」
「少なくとも、私は見つけられていません。ただ1週間が経ち、未だヴォルデモートがこの世に存在しているということは────彼は、ヴォルデモートによって殺されたものと決断づけることが最も有力な推測になるかと」
「そうじゃのう…。ただ、それはヴォルデモートが"一度では死なない身"ではない限り、という仮定を挟むことになるが」
ダンブルドア先生の言葉に、私の背筋がぞくりと総毛立った。
知ってるんだ。この人もまた、レギュラスと同じようにヴォルデモートが一度殺しただけでは完全には殺せない可能性を考えているんだ。
「大丈夫、どうせダンブルドアならすぐ同じ答えに辿り着くだろうさ」
彼の言った通りだった。私がこんなに曖昧なことをちょこっと口にしただけで、きっとこの老人の脳内には今まで蓄積された経験や誰かとの会話が総動員して彼に何かの結論を出させようとしている。
「────先生、その────。一度では死なない、とはどういう意味でしょうか?」
レギュラスに訊けなかったことを、訊いてみる。この言い方なら、レギュラスが全く同じことを言っていたことは伝わるまい。
先生はいつも私が質問した時に見せるような、好奇心に溢れた表情を見せてはくれなかった。ヴォルデモートの考えていることが先生の予想を超越でもしていたのか、今日は一層その皺が深く刻み込まれているような気がする。
「…わしも深くまで知っているわけではない。しかし────最も邪悪な魔法使いの中には、今言った通り一度殺しただけでは死なない体に自らを改造させることが可能なのじゃ」
「で、でも…どうやって…?」
「それは…わしもこれから詳しく調べねばならぬのう…」
驚いたことに、先生の口からわざと濁すようなことではなく、本当に先生自身にもまだ自信がないかのような口ぶりで聞かせられるのはこれが初めてだった。
何か余程高度、あるいは非人道的なやり方なのかもしれない。それを思うと、やはりその真相にダンブルドア先生より早く辿り着き、自らの命を捨ててまでヴォルデモートの一部を滅ぼしに行こうとしたレギュラスの静かな怒りが────私の中に灯る。
「イリス、辛い任務だったことと思うが、長きにわたりご苦労じゃった。レギュラスの生死はいずれわかることとなろう。今しばらく、元の魔法省内の調査に専念しておくれ」
「…わかりました」
いただいた紅茶を飲み終えると、私は校長室を出るべく立ち上がった。
「イリス」
暖炉をお借りしようと、自分の持っている煙突飛行粉を取り出しながらダンブルドア先生に背を向ける私に、先生はそっと声をかけた。
「なんでしょうか」
「────レギュラスは、君の敵である前に、君の友だったのじゃな」
「どういう、意味でしょうか」
「彼がどうやってヴォルデモートを殺しに行くのかわからないと言った瞬間、君の目に怒りを見た。君が彼にどんな複雑な感情を持っていたのか、わしにはとても推し量れぬが────おそらく死んでいるのであろう彼の意志は、今君に受け継がれたのじゃろう。そしてわしは、決してそれを非難することはない。君は、君の思うままに生きておくれ。その生き方が我々の目的と離れてしまわぬ限り、君が何を思おうと、我々は君を騎士団の誇り高いメンバーのひとりとして快く受け入れるからの」
先生の目には、いつも通りの煌めきが残っていた。
私は何か言うべきか躊躇い、口を開きかけたが────すぐに閉ざした。
今は、何も言えることがない。
「────ありがとうございます。失礼します」
別れの挨拶としてそれだけ伝えると、私は暖炉に入って自宅近くのバーまで帰り着いた。
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