翌週金曜日、夜。
「じゃあ、作戦の通りに」と言い合って、私達はそれぞれの持ち場に散らばった。
私とリリーはまずスラグホーン先生の元へ。ちょうど都合良く(おそらくリリーがそうなるよう自然に計らってくれたのだろうが)、その日の夕方に一度先生の部屋を訪ねるよう言われていたので、私達は時間通りにドアをノックした。
「ほっほう! 今日はイリスも一緒なのかね! 君は2年生の時に一度パーティーに出席して以来顔を出してくれないものだから、私も随分寂しく思っているのだよ。毎年の試験成績に加え監督生としての堂々とした振る舞いには日々感心していてね。それに聞いた話では、国際魔法協力部に入省しようとしているとかなんとか────」
「あー先生、すみません、それでご用というのは────」
会うなり長々とどれだけ私を恋しがっていたかという演説を始めてしまったので、リリーがやんわりと遮ってスラグホーン先生の最初の目的を思い出させる。
「ふむ、そうだった。リリー、君はこの後レギュラスに会いに行くんだったね?」
「はい、そうです。ジェームズから頼まれて、クィディッチの練習試合のスケジュールを渡しに行くので」
「成程。予定が変わっていないのなら、あの時"ついでに何か彼に用があれば請け負う"と言ってくれたその優しい心遣いを、私もありがたく受け取ろうかと思ってな。次のパーティーの招待状と────それから、これもお願いできるかな?」
そう言って先生が差し出してきたのは、両腕に抱えるほどの大きさの木箱だった。
「大きさがこれなので苦労をかけてしまうんだが…中身はそうたいしたものじゃないから、君でも軽々運べると思うぞ。ただ────」
「いえ、良いんです。先生もお忙しいことは存じていますし、私がどうせレギュラスに会いに行くなら、用は一度に全部済ませた方が良いでしょう?」
「ああ、本当になんて君は優しい子なんだろうね! リリー! 私の私的な荷物を運ばせるなんて、紳士としてあるまじきことではあるんだが…いやはや、そう言ってもらえると非常にありがたい! お礼にグリフィンドールに10点をあげよう!」
「そんな、先生。このくらいいつでも代わりますから、言ってくださいね」
「ありがとう、リリー。そういえばこの間のパーティーでは────」
「先生、すみません。レギュラスとの約束に遅れてしまうと悪いので、そろそろ行きますね」
「おっと! そうだったそうだった、せっかく頼まれてもらうのにレギュラスとの仲を悪くしてはいけないな。さあ、次の授業でまた素晴らしい魔法薬を見せてくれることを期待しているぞ、2人とも!」
スラグホーン先生はリリーに再度遮られても全く気分を害した様子がなく、それどころか喜んで私達を退室させてくれた。リリーの腕には先生から渡された木箱が、そして私の手には次のスラグ・クラブの招待状がある。
「その中身、何か知ってる?」
「この間のスラグ・クラブでね、レギュラスが"霧を発生させる薬草"に興味を持ってるって話を偶然聞いてたの。ちょうどスラグホーン先生がその薬草を手に入れたって聞いてたから、もし良かったらレギュラスにも見せてあげたらどうですかって提案したのよ。ほら、見ての通りこの薬草って結構大きいから…」
なるほど、それで"中身は軽いけどそこそこの容量が必要な入れ物"にその薬草を入れてリリーに持たせたのか。スラグホーン先生のツボを抑え、必要な情報を利用し必要な場面で的確に用いる────リリーの人心掌握術には舌を巻くばかりだった。
「とりあえず、これで彼の両腕を塞ぐことはできそうね。あとはジェームズ達がどうやって彼の目を逸らすかが肝心なんだけど」
「まあ、そういうことにかけてはあの2人を信頼してるから」
私達はそのままクィディッチの競技場へと向かった。ジェームズの報告通り、ちょうどスリザリンチームは練習を終えたところのようだ。グッドタイミング、それぞれ制服に着替えたらしいスリザリン生がぞろぞろと更衣室を出てくる場面に立ち会うことができた。
じろじろと、不躾な視線が私達に向けられているのを感じる。去年度の戦争で私達の名前は悪い意味で学校中に広まり、特に仲間意識の強いスリザリン生を(正当防衛とはいえ)めためたに痛めつけた私達の評判はいよいよ地の底に落ちていた。それまで表立って私達を軽蔑していなかった生徒まで、私達に侮辱的な視線を送ってきているのが見える。
しかし私達の今日の目的はレギュラスあくまで1人だ。屈辱的な視線や悪口にひたすら耐え、最後にレギュラスが出てくるのを待っていた。
今年になって、スリザリンチームのキャプテンはレギュラスになっていた。キャプテンである彼が更衣室を最後に出ることは(ジェームズが「キャプテンは最後に付近の見回りをしてから帰らないといけないから必ず最後に出てくるよ」と言っていたことから)わかっていたので、私達は6人の選手が更衣室から出て行った後も、残りの1人が現れる瞬間を待ち続ける。
────そうして、何分か経った頃。
お目当てのレギュラスがようやく更衣室を出て来てくれた。
彼は私達にすぐ気づいた。嫌悪にまみれた視線を向け、しかし何を言うでもなく、何を仕掛けるでもなく、ただ無視をして目の前を通り過ぎようとしてしまう。
「レギュラス、待って。あなたに用があって待ってたの」
そんな彼を足止めしたのはリリーだった。彼女が木箱を持ち上げてみせ、ついでに私もスラグ・クラブの招待状を見せると、レギュラスは鉛でも入っているんじゃないかと思うほど重い足取りでこちらに近寄って来てくれた。
「それ、スラグホーンからの頼まれ事だろ。なんでお前達が持って来てるんだ」
「ジェームズから、今度の練習試合のスケジューリングも頼まれてるのよ。グリフィンドール側の予定を書いた紙を渡さなきゃいけないって言ってたから、どうせならってことで、スラグホーン先生の頼まれ事も一緒にまとめて私が引き受けたってわけ。あなただって、何度も私やらジェームズやらスラグホーン先生やら、色んな煩わしい人に呼び出されたくはないでしょう? さぞやお忙しいことでしょうし」
ここで下手に友好的な態度を取らないリリーの選択は正しい、と思った。
直接レギュラスと敵対したことはなくても、彼の純血主義思想はもう私達全員が知っている。私達と彼が相容れないことなんて、とっくの昔にもうわかりきったことだったのだ。
レギュラスはフンと鼻を鳴らし、ひったくるようにして木箱と招待状を受け取った。
「用はこれだけか?」
「ええ、お騒がせして悪かったわね。さっさと安心できる寮に戻ってお眠りなさいな」
────その言葉が、悪戯開始の合図だった。
「お眠りなさい」と言ったら、レギュラスの手と目を塞ぐ────それが、私達が事前に決めていた段取り。だからリリーがその言葉を発した瞬間、何かしらの騒動が起きてレギュラスの気を逸らす算段なのだが────。
気配を殺すように、レギュラスの背後に迫る灰色のネズミがいることを確認する。よし、こっちは準備万端だ。あとはシリウスとジェームズが何かしてくれれば────。
その瞬間だった。
唐突に、まるで暗幕を垂らしたような"闇"が私達を覆った。
星明かりのない夜、なんて生温いものじゃない。まるで網膜に直接黒インクを塗られたような、一分の光もない完全なる闇が視界を遮ったのだ。
「わっ!」
「え?」
「何も見えない!」
私達3人分の、戸惑う声が響く。目を瞑っていても、瞼を通して映る僅かな光を頼りに人間は平衡感覚を保っている。しかし今の私達は(声からして全員が)その僅かな光すら奪われていたので、漆黒の世界の中で私はバランスを失い、つい尻もちをついてしまった。
と、その時、ぺたんと座り込んだお尻を支えるために手を地面につくと、指先に何か固い物が触れる感触を覚えた。
これがシリウスとジェームズの言ってた"騒ぎ"? 全員の視界と三半規管機能を奪って、文字通り手も目も塞ぐってこと? 私が転んだ直後にドサッドサッと2つ分、地面に何か重い物が落ちたような音が聞こえたので、リリーとレギュラスも同じように真っ暗闇に囚われて転んだのだろうと推測する。
じゃあ────この指先に当たってるものが鍵だっていうの?
試しに手を伸ばして、感触を確かめる。複雑な細い形の、重たい────鍵だ。微妙にルビーの鍵とは形状とは異なる気もするが、先端の歪みも、持ち手部分に何か更に固い宝石のような石がはめこまれている部分も、よく知っている。
でも、こんな真っ暗な視界の中ではとてもそっくり呪文なんて唱えられない。言わずもがな、模造品を作るのならその"正規品"を知らないと意味がないのだ。
どうしようか。ルビーの鍵ならイメージで思い出せるから、ここは違和感に気づかれないことを祈ってルビーの鍵を模倣し、色変え魔法で石の部分だけ緑色に変えてから返そうか────いや、それではリスクが高すぎる────それでもやらなければならないのか────?
一瞬で様々なことが頭を駆け巡る。しかし、シリウス達が生んだこの闇が、どのくらいの時間持続するのかはわからない。考えている暇がない以上、多少の危険は覚悟で────!
そう思った時だった。
暗闇に覆われた時と同じくらい唐突に、私の視界が開けたのだ。
辺りは既に太陽が沈み、夜になっている────が、先程の光の全くないインク染みのような黒に比べれば、まるで夏の日差しに照らされているように周りのものがハッキリと見えた。リリーとレギュラスは戸惑った様子で座ったままあちこちをペタペタ触っている。まだ彼らの目は見えていないらしい。
一体どういうことだろう────そう思ってきょろきょろと見回すと、更衣室の裏手からリーマスの顔が覗いた。
「早く!」
声には出されなかったが、口の動きと手の動きでそう言っているのがわかった。
鍵のすぐ傍にはピーターもいる。ゼエゼエとおよそネズミらしくない荒い呼吸をしながら、しきりに私の手の甲を引っかいていた。
────なるほど、そういうことか。
世界を闇に包んだ瞬間、ピーターは予定通りレギュラスのローブから鍵を盗み出し、私の手元までなんとか渾身の力で運んでくれた(もしかするとこの闇は、人間の視界だけを覆うものだったのかもしれない)。しかし鍵をすり替えなければならない私までもが盲目になってしまい、魔法をかけられなくなってしまった────それに気づいたリーマスが、急いで何らかの方法で私の闇を取り除いてくれたのだろう。
私は3秒だけ使って、エメラルドの鍵を観察した。やはりルビーの鍵とは微妙に形が異なる────が、一度見てしまえば模倣は難しくない。
私は無言で杖をエメラルドの鍵に向け、そっくり呪文を唱えた。すると本物のエメラルドの鍵のすぐ隣に、全く同じ鍵がもうひとつ出現する。
ほっと溜息をついて、私は本物の方を自分のローブのポケットにしまいこんだ。そして急いでレギュラスの足元に鍵を投げ出すと、再び元の位置に戻って座り込み、ぺたぺたと辺りを触りながら盲目人間の真似をし始めた。
────遠くから状況は見ていたのだろうか────すると、その次の瞬間、リリーが「今のはなんだったの!?」と言ってすくっと立ち上がった。レギュラスも混乱したように辺りをきょろきょろと見回している。どうやら2人の闇も振り払われたらしいとわかったので、私もぺたぺた座り込んで地面を這うことをやめ、呆けた顔をし周りを見回してみせた。
「今────何が起きた?」
素知らぬ顔をして、2人に尋ねる。
リリーは「知らないわ。突然何も見えなくなって────私、あなたが何かしたのかと」とレギュラスに濡れ衣を着せている。
「僕が何かするはずないだろう、こんな目立つことをするなんて、兄さんでもあるまいし────」
そう言いながら、彼は足元の鍵に気づいたようだった。ハッとした顔をしてから左胸に手を当て、そこにあるべきものがないことにようやく気付いたのだろう。急いで鍵を内ポケットにしまおうとしていたが────なぜか、鍵はまたポケットの中をするりと貫通して足元に落ちた。
「何、それ?」
レギュラスの不審な動きを見咎めないのは却って不自然になると思い、何も知らない風を装って尋ねる。レギュラスは「なんでもない」と言うと、今度は右側のポケットにその鍵を大切そうにしまった。
「実家の鍵だ。ところで今の闇はお前達のどちらにも関係ないのか?」
「ないわよ」
「あるわけないでしょ」
私達2人とも、揃って白を切る。レギュラスはまだ疑い深い眼差しで私達を見ていたが、"何も知らない"私達がそれ以上言えることなどあるはずもなく。
「ジェームズがまた何かしたのかな」
「さあ…あるいは何かそういう性質を持った魔法生物がこの辺りにいたとか?」
「わからないけど、ひとまずマクゴナガル先生に相談してみましょう」
「そうだね」
そう言ってあくまで"被害者"であることを装い通し、私達はレギュラスの前を立ち去った。
「じゃあ、ちゃんと頼まれたものは渡したから、よろしくね」
レギュラスは最後まで、私達を睨みつけたままだった。
「────あー…焦った、まさか私の視界まで奪われるとは」
────談話室に戻った後、私はそれまで緊張して張りつめていた心の糸がプツンと切れたようにどっと安堵が押し寄せてくるのを感じていた。ソファにぐったりと背を預け、ローブのポケットから本物のエメラルドの鍵を出す。
「リーマスの助けがなかったらすぐ気づかれてたよ、ありがとう」
「いやいや、僕は要らないかもって思ってたから、役に立つ場面があって良かったよ」
「あの闇、なんだったの?」
リリーがジェームズに尋ねると、ジェームズは真っ黒に染められたまん丸のインク瓶を取り出した。
「見ての通り、インク玉さ。一定以上の高さから落とすと、その高さに比例した範囲に黒インクが広がるんだ。インクとは言っても服や地面に色がつくわけじゃない。真っ黒に染めるのは、君達が体感した通り、"視界"なんだ」
「そしてこっちがそのインクを取り除く白インク。これも上から落とすことで、対象範囲の闇を綺麗に消し去ってくれる」
シリウスがジェームズの置いたインク瓶の隣に、白いインク瓶を置いてみせた。
「透明マントを被って箒に乗って、上から君達の視界を奪えるようにこれを落としたんだ。効果のほどは?」
「完璧よ。完全な暗闇って平衡感覚を失うのね。猛烈な吐き気がして、立っていられなかったわ」
リリーがすっかり狼狽した声で言う。
「良かった。これ、僕らが夏に作った試作品だったんだ」
そうだろうね。こんなもの、どこのどんな店でも見たことがないんだから。
「フォクシーの視界まで奪われるのが難点だったけど、このインクは通常の払拭呪文でも拭うことができる。対象範囲外にいたムーニーに、フォクシー目掛けて"テルジオ"を唱えてもらって、君の視界だけ一足先に戻したんだ」
「なるほどね」
「ピーターもお手柄だったな。インクが広がる外側からのスタートダッシュ、レギュラスに気づかれない手癖の悪さで鍵を盗んでイリスの元に持って行く。鮮やかだったぜ」
褒められたピーターは「えへへ」と笑っていた。
「そういえばレギュラス、最後に鍵をいつものところにしまおうとして落としてたけど、もしかして────」
「あ、うん。ついでに左ポケットの底を引っかいて破いておいたんだ。ポケットから勝手に鍵が落ちるなんて不自然だと思ったから…元々ポケットはほとんど破れてて、転んだ拍子にズボッと完全に抜け落ちちゃった、ってことならレギュラスも納得するかなって」
いつも思うが、彼は自分のことを過小評価しすぎなのではないだろうか。閃き、咄嗟の機転、そして噂話を集めるすばしっこさ、どれをとっても他の悪戯仕掛人を凌駕する能力を持っているのは間違いなかった。
「すごいね、ピーター。そんなこと、私考えもしなかったよ」
本当に、この4人の手腕には6年以上驚かされてばかりだ。慣れるということを知った試しがない。
「まあなんにせよ、これで邪悪な目的に使われていた創設者達の遊び心は、無事純粋な者の手に戻ったわけだ」
「僕らはスリザリン生じゃないからこれを使えないだろうけど、また校舎のどこか適当なところに隠しておこう」
こうして、レギュラスとヴォルデモートをつなぐ道を無事絶てた私達は、ジェームズの宣言通り、安心してクリスマスを迎えることができるようになったのだった。
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