翌日、空き時間に期待を込めて、私とシリウスとジェームズは施錠されたきり一度も開いたことのないという扉に向かった。ワクワクしながら昨日見つけたルビーの鍵を差し込────もうとしたのだが、先端の曲がっている部分でガチッと止まってしまう。
「────あれ、開かない」
「やっぱりこれに合致する扉を探さなきゃいけないのか」
しかも扉の前でそんな話し合いをしていたら、廊下の向こう側からフィルチが歩いてくるのが見えたので、私達はそそくさとその場を退散するしかなくなってしまった。
「必要の部屋に行ってみるか? レギュラスがそれを持ってそこに入ったってことは、この鍵が開く扉もそこにあるのかもしれない」
ジェームズの提案で、夕方にもう一度私達はチャレンジしてみることにした。
人気のない、8階の廊下。バカのバーナバスの前で私は「このルビーの鍵で開けられる扉が必要です────」とブツブツ呟きながら廊下を3往復した。
目を開けると、そこには見慣れた扉が鎮座していた。
「開いた!」
「よし、中にこれと合う扉があるんだ!」
私達は今度こそ、期待に胸を膨らませて部屋を開ける。
すると────。
「うわ、なんだこれ」
「扉だらけ────?」
そう、そこは"扉"の部屋だった。
壁一面に所狭しと扉が並べられているのはもちろんのこと、裏側に何もないただの"扉"まで、なんとか人ひとりが通れるくらいの隙間だけを空けて置かれていたのだ────しかも、その広さもちょっとした劇場が作れるくらいのホールくらいはあるだろうと思われた。
「なんだこれ…扉だけってどういうことだ? 開けるも何も、向こう側がすっかり見えてるじゃないか!」
「いや、ここはホグワーツだ。そこにあるのがただの"扉だけ"だったとしても、開けてみたら向こう側は違う世界に繋がってるかもしれな────参ったな、これおそらく、全部に鍵がかかってるぞ」
シリウスの言う通り、手近な扉に手を掛けてみたが、どれもガチャガチャとうるさい音を鳴らすだけで、決して開きはしなかった。
「じゃあ────まさかこれ全部を試していかないといけないってことか?」
ジェームズが今度は鍵を手にして扉に向き合うものの、こちらも10枚ほどの扉を試してみて結局全部が合わなかった。
「全部開かないじゃないか! こんなひどい数の扉を全部試そうとしてたらあと3年はかかるぞ! 留年しろってのか!」
「おかしいな…イリス、必要の部屋を開ける時にちゃんと"この鍵に合う扉が必要だ"って言ったか?」
「うん、言ったよ」
「なら、それに合う扉が必ずあるはずなんだ。それなのに、出てきたのは無数の鍵が合わない扉だけ────。"部屋が現れない"ならわかる、この鍵に合う扉はないってことだからな。でも、部屋は現れたんだ。この鍵に合う扉は必ずある────なのに、どれも合わないっていうのは────」
ブツブツと言うシリウスの独り言は止まる気配がなかった。少し苛立った様子のジェームズが「つまり?」と尋ねると、「わけがわからないってことさ」とだけ言って肩をすくめてしまった。
わけがわからない。まったくもってその通りだった。
必要の部屋は、私の「この鍵に合う扉が必要」という願いに応えた。
それなのに、中にあるのは鍵が合わない無数の扉だけ。
この部屋が入室者を試すような真似をしたのは見たことがない。この部屋はいつだって、何かを必要とする者に必要なものを必要な分だけ的確に与えてきているのだから。
「──── 一旦これは持ち帰ろう。プロングズの言う通り、ここでバカみたいにひとつひとつ試す暇はない。今出揃ってる"わからないこと"を並べて、何か新しい案が出た時が、もう一度この鍵を取り出す時だ。それまでは別のやり方で愚弟の企みを暴くことを考えた方が、まだ時間効率的にも良いだろ」
シリウスの言うことが現状最もまともだと思えたので、私達はがっかりと項垂れて必要の部屋を出た。
「まあ、気を落としても仕方ない。明日は今年度初のクィディッチ公式試合だし、僕は気合いを入れなきゃ! 君達も観に来てくれるよね?」
「そりゃ、まあ」
「うん、行くよ」
「見てろよ、明日勝ったら、その次の日のホグズミード行きをリリーに申し込んでるんだ。名ビーターだったフーカスが抜けたのは痛いけど、去年入れたソロンがこの1年でかなり鍛えられたお陰で、今年入れた新ビーターともうまく連携を取れるようになってる。期待しててくれ────」
それきり彼は自分の話で夢中になってしまったので、結局それ以上鍵についての話が進むことはなかった。彼らの言う通り、手がかりが全くない状態なのであれば、あまりこのことばかりに囚われるべきではないのかもしれない。思えば私がレギュラスの姿を見かける時は決まってただの偶然でしかなかったということもある。それならば、と私は再びレギュラスとどこかで出くわす"偶然"を待つことにして、シリウスと一緒にジェームズの"クィディッチ"と"リリー"が混在した要領を得ない話をずっと聞き流していた。
翌日のクィディッチ杯は、グリフィンドール対ハッフルパフの試合だった。
選手達は流石にいつも通り殺気立っているが、お互いに温厚な関係を築いて来ていたグリフィンドールとハッフルパフの試合ということもあって、どことなく全体の雰囲気は穏やかだ。
実況はいつも通り、メイリアの機械的でところどころ個性的な声が淡々と試合状況を語っていく。
結局その日の試合は160-120という僅差でグリフィンドールが勝利した。
歓声に呑まれながら、隣にいるリリーがいつも以上に喜んでいるのを見て、私はふと昨日ジェームズが言っていたことを思い出した。
「見てろよ、明日勝ったら、その次の日のホグズミード行きをリリーに申し込んでるんだ」
一息の合間に何度も「クィディッチ」「リリー」と繰り返し出てくるので最後の方は完全に混乱していたのだが、確かに彼はそう言っていた。
と、いうことは────?
「リリー、明日ジェームズとデートするの?」
周りの叫び声に負けないように大声で尋ねると、リリーは「ええ、そうよ!」と答えた。
「あの人ったら、まだ"条件付き"じゃないと私がデートに応じないって思ってるみたい! 別にこっちはそんなことしなくたって、もう受け入れる準備はできてるのに!!」
────おや、おや。
ちょっと時間が経っただけでそこまで進展していたなんて、親友はビックリだよ。
試合後、談話室の喧騒を避けて寝室に上がったところで、私は改めてリリーの心境を問い質すことにした。
「リリー、ジェームズのこと好きなの?」
どう前置きしたら良いかもわからなかったので、私は彼女をここに連れ込むなり直球を投げてしまった。しかし私の様子からある程度その質問は予想していたのか、彼女は恥ずかしそうにはにかむだけで、驚いたり怒ったりする様子は見せなかった。
「好きかどうかは…正直わからないの。だってほら…私、今までずっとジェームズのことを嫌ってたし、ようやくまともに会話ができるようになったのだって、つい最近のことだし」
そんなことなら、多分リリー以上に理解している。私が知りたいのは、散々そんな態度を取っていたのに(だってバレンタインデーの段階ですらまだ渋っていたのに!)、急にデートを喜んで受け入れるようになったこの"数ヶ月"の話なのだ。
私みたいに、最初から憧れの気持ちがあって、日常を積み重ねて好きになった…という説は、リリーの場合ありえない。リリーが積み重ねてきた日常は"嫌悪"だ。その先に恋が生まれ…ないとは言い切れないが、少なくとも"気づいたら好きになっていた"なんて、彼女の頑固頭が許すはずがない。
「あのね…怒らないで聞いてくれる?」
今まで私の方が怒られても当然な話をしてきた身。今更リリーにお説教なんてできるはずもなかったが、そんなに前もって訊かれてしまうと、つい身構えてしまう。
どんな話が出て来ても平静を装おうと固く誓った上で、私は頷いた。
「…きっかけはこの間、ほら、イースター休暇の終わりにちょっとした乱闘が起きたでしょ?」
「うん」
「その時にね、自分の身も顧みずに私を庇って許されざる呪文を受けた彼を見た時なの」
「…へ?」
平静などどこへやら、間抜けに訊き返してしまった私の様子を見て、彼女はすぐに顔を真っ赤にして「ごめんなさい! 不謹慎よね、昔の友達がかけた呪いの犠牲になった人を好きになるなんて!」と言っている。
「いや…違うよ、今のは…」
今の反応は、正直なところもっとぶっ飛んだエピソードが明かされると思っていたところを予想以上に"納得のしがいがある話"を持って来られ、気が抜けてしまったせいで出たものだった。
「そっか…あの時かあ…」
私でさえ、スネイプを甘く見ていたからな。リリーを必要以上に苦しめないと思って、だったらあの2人の戦いに割って入ってはいけないと────良く言えば彼女を信頼していたが、悪く言えば彼女を放置してもいたのだ。
そこにジェームズは、無理やり介入していった。
ジェームズはスネイプを逆に過大評価していた。スネイプの、リリーへの繊細な気持ちになど気付かなかった、その鈍感さが却って幸いしたのだろう。リリーにだって残酷な呪文をかける可能性は十分にある、と踏んでいたのだ。
あの2人の間にどんな確執があろうが知ったこっちゃない、僕はエバンズを守るんだ────あの時は、そんな彼の心の声が聞こえたようだった。
言わばジェームズは、互いに"過去"に囚われていたリリーとスネイプに"今"をもたらした。今や我々の間には歩み寄る余地などない、リリーは闇の魔術でお前に心を寄せることなどないと────身を以て証明してみせた。
そこにどんな苦痛があったって構わない。どれだけ痛めつけられても、どれだけ苦しめられても、この身が残る限りリリーを守る。そんな強い意志を目の前で見せつけられて、心の揺らがない人間が果たしてどれだけいるのだろうか。
「不謹慎なんかじゃないよ。ジェームズは、何の下心もなく、ただ純粋にリリーのことが好きで、守りたくて、その前に自分の身なんてどうだって良いって思ってただけだろうし。それにリリーが好意で応えるっていうんなら、むしろジェームズは報われたんじゃないかな」
まあ、それもこれも今ジェームズが元気だからこそ言えることではあるんだけど(階下から「ポッターキャプテン!」、「よっ! 1000年に一度のヒーロー!」と聞こえてきた)。
「ま、まだ好意って言って良いのかはわからないのよ? ただ、ジェームズは…私が今まで思ってたみたいな人とはちょっと違うのかもって…。友達になら、なれるかもって…」
「それで"友達"とデートに行くの?」
「もう! わかった、わかったってば! ええ、あの時ジェームズは確かに他の人と全く違う存在になったわよ! でも、ほら…吊り橋効果ってあるでしょ?」
恐怖体験を一緒にすると、その心の鼓動を恋によるものと勘違いするっていうアレか。
「あれの一種かもしれないとも思ってるの。だからデートのお誘いは受けるし、あなたがいる時なら一緒の席につくこともあるかもしれない。でも私、慎重に考えるつもりよ。だって5年間、私はずっとあの人をただの傲慢な嫌な奴としか思ってなかったんだもの。その5年を否定することは簡単じゃないわ」
私には「好きになっちゃう時はなっちゃうのよ」みたいなことを言っておいて、自分のこととなると途端に慎重になるんだから。
でも、その気持ちはなんとなく理解できた。
私にとっても11年間刷り込まれてきたリヴィア家の教えを────私の11年を否定することは、とても難しかったから。
「だから、あんまり下手なことを彼に言わないでね」
「わかってるよ、私はリリーの味方だから大丈夫」
────ちなみに、その翌日、またリリーが帰るなり文句なのか惚気なのかわからないマシンガントークを延々と聞かせてきたことは言うまでもない。ジェームズはいよいよ紳士的で大人びたデートを諦めたようだった。又聞きでも容易に想像できてしまうほどのジェームズ節に振り回されるリリーの図。それでもやっぱり彼女の顔はどこか楽しそうで────私は半分子守唄のようにそれを聞きながら、ベッドの中でリリーの心が少しずつ熟れてきていることを確信していた。
寝入りにリリーとジェームズのデートの話を聞かされていたからだろうか、その晩私は、2人が結婚式を挙げる夢を見た。シリウスとリーマスとピーターと、4人で2人を取り囲んでお祝いしている。ダンブルドア先生はもちろんのこと、マクゴナガル先生もこの日ばかりは嬉しそうに笑っていた。しまいにはケンタウルスやらトロールやらまでお祝いに駆けつけてきたものだから、会場はしっちゃかめっちゃかになってしまい大変だった。
その後、リリーとジェームズは揃って「このままハネムーンに行ってきます!」と言って、どこからともなく現れた扉を開けて別の世界へ行ってしまった。おかしいな、ガーデンパーティーをしていたはずなのに、突然広場のまっただ中に壁も柱もないただの扉が1枚だけ現れて、彼らを扉の向こう側────不思議なことに、その先には海が広がっているようだった────へと連れ去ってしまったのだ。
「わあ、すごいね! この扉、裏から見ても何も景色が変わらないのに、ドアの向こう側だけ景色が違う!」
私が感動してそう言うと、シリウスがニヤリといつもの笑みを浮かべてひとつの鍵を見せてくれた。
それは、ルビーのはめられた綺麗────どこかで見たことのある────へんてこな形をした鍵だった。
「これがあれば、どこにでも行けるんだ。どこに行きたいかさえ願えばそれで良い。必要の部屋とよく似てるだろ?」
────あれ、なんだかこの件────すごく既視感があるというか────。
「そうなんだ! 魔法って本当にすごいね!」
────その瞬間、私は目を覚ました。
「────これだ」
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