「イリス! ああ、よく来てくれたわ。去年はうちの子を招いてくれてありがとう、それに手紙もたくさん送ってくれて…シリウスとはどう? うまく行ってる?」
8月3日。ジェームズに知らされた通り、他の3人も来るという日に合わせて、私はポッター家の暖炉にお邪魔させてもらった。内臓がなんとか元の位置に収まり、周りを見回すことができるようになった頃、最初に見えたのはユーフェミアさんの顔だった。
その顔はまた去年より老け込んで、体も小さく見えているような気がする。それでも私を見るなりジェームズそっくりの笑顔を輝かせ、私の手を取ってこうして質問責めにしてきた。
「ご無沙汰してます、ユーフェミアさん。今年もよろしくお願いします。シリウスとは…ええ、変わらず────」
「イタッ! なあ、君が煙突飛行を使うのはこれで何度目だ? いい加減目的地に着いたらすぐに暖炉を出ることを覚えてほしいな」
変わらず仲良くしています、と言おうとした瞬間、背中にものすごい衝撃を感じた。背骨が折れたんじゃなかろうかというほどの痛みに一瞬呼吸を忘れ、恨みがましく首を捻ると、そこには同じように痛みに顔を歪めるシリウスの姿がある。
3年生の時にも同じように暖炉の中で衝突事故を起こしたことがあったが────あの時と比べて、私達は共にかなり成長した。特にシリウスは背がかなり伸び、体格も成人男性のそれらしくなっていたので、ひとりで暖炉に入るのがやっとだったのだ。
「ご、ごめん、ユーフェミアさんと挨拶してたから、つい」
文句を言いながらも、シリウスは私の服についた灰をはらってくれた。なんとか自分が先に出て、私に手を貸しつつ火格子からも出してくれる。
「────まあ、まあ。見ない間にすっかり紳士になっちゃって」
ユーフェミアさんは、そんな私とシリウスの様を見て、まるで子供に初めて晴れ着を着せた時の母親のような顔をした。私達はといえば、この"当たり前"の流れを改めて温かい目で見られてしまうことに慣れておらず、どこか気恥ずかしい思いでわざと互いに別の方を向きながら「プロ…ジェームズはどこですか?」と訊いた。
「ジェームズなら今2階にいるわ。多分この物音は聞こえてると思うから、すぐ顔を出すと思うんだけど────」
ユーフェミアさんが言い終える前に、ドタバタと階段を駆け下りる音が聞こえ、ジェームズの顔がひょこっと覗く。
「ああ、やっぱり最初は君達だと思った。おいでよ、今こっちで最後の"傷痕"を開発中だから」
彼はこちらに来ることなく、階段の中腹からちょいちょいと手招きをした。
「傷痕?」
「まあ、見ればわかる」
わけがわかっていない私にシリウスは短くそう言って、さりげなく私の手を取ってジェームズの部屋へと向かった。
ジェームズの部屋はいつも散らかっている────のはそうなのだが、今年は殊更に雑多に積み上げられた箱にまみれており、もはや足の踏み場もないほどになっていた。
「何、これ」
箱には雑な字で『爆発』『臭い』『気を逸らす』『生き物』と書いてあ────生き物!?
「言っただろ、"傷痕"だって」
「今年は僕らにとって最後の年だからな。校舎の至るところにこういったものを隠して、あるいはわざとフィルチに没収させて、僕らの後継者へこれを遺すんだ」
「後継者って誰?」
誰か既に特定の人でも見つけているのだろうか、と思ったが、ジェームズはただ肩をすくめるだけだった。
「さあ? 少なくとも今の学生の中に僕らほど派手なことを好んでる奴らはいないだろうけど、でもきっと現れると思うんだ。10年後か20年後か知らないけど────"何もないところから笑いを生み出す新たな天才"がね」
「顔も名前も知らないそいつらが満を持してホグワーツに入った時、校舎内の至るところに仕掛けられた僕らの足跡を見つける。そうするとそいつらは、"先代にもここまでふざけた奴らがいたんだ"と知り、同じことを────いや、あるいは僕らを越えるような偉業を為すかもしれないな」
私は自分の笑顔が引きつるのを感じながら、せっせと爆発物錬成に励むジェームズを見下ろした。彼らを越える"偉業"なんて、考えたくもない。ただでさえシリウスとジェームズは間隙なく先生方の手を煩わせるのが大好きな問題児だったというのに、その上をいかれるとなると────。
気に入らない先生でも出てきた時に、思いっきりその先生に嫌がらせをした上でホグワーツを出奔するくらいのことはするかもしれない、なんて、予想できたのはそこまでだった。そんな人と関わりを持った人は、きっともっと大変で────そして、愉快な思いをすることだろう。
「あとはホグワーツに戻った後、隠し部屋に呪文を仕込んだりとかね。僕が使ってる上級呪文学の教科書にオリジナルの魔法を記述しておいて、特定の場所で唱えると僕らが作った魔法薬が大量に現れる、とか面白くないか?」
「隠し通路を1つくらい作ってみても良いかもしれないぞ。僕、北塔の4階のオペラ歌手の銅像の裏に、ちょっとした窪みを見つけたんだ。多分あれ、昔誰かが同じように通路を作ろうとして諦めた痕跡だと思う」
「良いね、じゃあ僕らも先代の意志を引き継いで完遂しよう」
次々と出てくる悪戯計画…というよりこれは、"遺産相続"のようなものなのだろうか?
ジェームズ達の前にもいたかもしれない、悪戯仕掛人。もちろん彼らは誰かの真似をしてあんな派手に遊び回っていたわけではないのだろうが────誰かのユーモアが、こうして世代を超えてまた誰かのユーモアへとつながっていく。そんな系譜が、その時私には見えたような気がした。
「あ、『生き物』の箱には触らないで。まだ大人しくさせられてないんだ」
「…念のために聞くけど、違法な動物じゃないよね?」
「まさか! ただのネズミやカエルだよ。ちゃんと調教が終われば、誰も怪我させることのないただの"魔力を持った小動物"になる」
「…それ、本当に合法?」
「"流通してるものと同じ"になるんだから、合法なんじゃないか? 魔力を持ってるって言ったって、自分の体の色を変えるとか、毛並みがふさふさになるとか、そんな程度だからね」
ピンク色のネズミやふさふさした体毛に覆われたカエルを想像して、思わずうっと吐き気を催した。確かに魔法界でそういう生き物を目にする機会なら何度かあったが、自発的にそんな機能を持った生き物を"生み出す"なんて、生態系への影響は大丈夫なんだろうか…(あとやっぱり違法な気がする)。
「あとはやっぱり、学期末に大イベントを開催しておきたいところだな」
「ああ、それは外せないな。無難にロケットで僕らの名前を空に飛ばして書かせるのも悪くないし、ここいらでいい加減フィルチをとっちめても良いかもしれないぜ」
「人を傷つける計画はナシだよ」
どこまでも彼らの計画が止まらないので、私はいよいよフィルチを攻撃しようとしたところで止めることにした。流石にそれは冗談だったらしく、2人も大人しく口を閉ざす。
その時だった。
ポン! と軽やかな音がしたかと思うと、突然今まで何もなかった(正確には『臭い』の箱が積まれた)ところにリーマスが現れた。途端、ベチャア…という嫌な音がして、箱に入っていた小瓶の液体がどろどろ流れ出す。リーマスが正確にその箱の上に着地してしまったせいで、中のものが潰れて割れてしまったのだ。
足元に液体をかけてしまったリーマス。たちまちジェームズの部屋は、腐った卵と生き物の死骸と何かが焦げたような臭いを合わせた────とにかくとても息の出来ない醜悪な臭いでいっぱいになる。
「ウ、ワ、なんだこれ!」
「バカ! よりによって『臭い』の上に着地するかよ!」
「ちょっと待て、エバネスコ! ほら、液体は消えたぞ、あとは…スコージファイ! 部屋も綺麗にして…全員で風を起こせ、プロングズは窓を開けろ!」
途端、叫びの屋敷もびっくりするほどの喚き声が狭いジェームズの部屋に響き渡る。あちこちで臭いを消そうとする魔法がかけられ、開けられた窓に向かって割れた小瓶も潰れた箱も全て放り投げられた。それはもう、唸る風の中にいるような感覚だった。
ものの数分で、嵐のような掃除は終わった。庭の方から細い煙が上がっていたことと、この騒ぎのせいで犠牲になったいくつかの『爆発』箱がジェームズの部屋を半壊状態にさせたことだけが問題だったが、まあ、怒られる役はジェームズに任せよう。
それにしても、成人して学校外でも魔法を使えるようになっていて本当に良かった。この臭いの中で消臭作業を手で行なわければならないなんて、考えただけでぞっとする。
────いや、でもこの騒動の原因はそもそもリーマスが学校外でも魔法が使えるようになったから姿現しをしてみせたところにあるんだから────。
「リーマス! たったほんのちょっとだけ歩けば着くところにまで姿現しなんて使わないでよ!」
「ごめんって、魔法が使えるのが嬉しくて試してみたくなったんだよ。それにジェームズの部屋、前はこんなに散らかってなかったし!」
「ジェームズの部屋が余計に散らかることはあっても綺麗になることなんてないって、あなたの方がわかってるでしょ!」
私の剣幕に、苦笑いしながらリーマスは何度も「ごめんよ」と言っていた。
「監督生同士のバトルってレアだな」
「ていうかこれ、僕もちゃっかり貶されてない?」
そのすぐ後に、ちゃんと階段を上がって来たピーターは、部屋としての体をなしていないジェームズの部屋を見て、挨拶より先に「ヒッ」と喉から恐怖の声を漏らした。
「なに!? 敵襲!?」
そのあまりの怯えようを見て、つい溜息をつく私達4人。
いつものことではあるが、ピーターが入ってくると勝手に気が抜けてしまうのって、本当になぜなんだろう。
結局その日の夜、予想通りにジェームズ(と、とばっちりでシリウス)がフリーモントさんのお叱りを受けることになった。そりゃあまあ、そうだろう。外出先から帰ってみたら、息子の部屋がグラグラ安定しない箱でいっぱいになっており、あちこちに爆発の跡と取りきれなかった臭いを染みつかせていたのだから。
このまま夜更けまでお説教が続くんじゃないかと、それはそれで疲れる思いでいたので、先に客間の寝室に上がらせてもらおうかと考え始めた頃に窓からスーッとふくろうが5羽飛んできてくれたのは本当にありがたかった。フリーモントさんの怒りが、ちょっとだけ鎮まる。
ホグワーツからの手紙だ。
お説教もここでおしまい。私達はそれぞれ、今年必要な教科書リストに目を通すことをようやく許された。
最終学年ともなれば、新たに買い足すものはほとんどない。教科書が1冊と、そろそろ大鍋が擦り切れる生徒も続出するだろうから、各自よく確認しておくこと、とだけ。
この手紙を受け取ったということは、そろそろリリーもこちらに来られるかなあ、なんて思っていると、男の子たちが一斉にわあっと歓声を上げる声が聞こえた。
顔を上げると、シリウス、リーマス、ピーターがそれぞれジェームズの手元を覗き込んで嬉しそうな顔をしている。
私も彼らに倣ってジェームズの手紙を見ると────教科書リストとは別の小さな封筒から覗くバッジが入っているのが見えた。なんだか、2年前と同じような光景だ。
「僕────"主席"だ!」
主席────ホグワーツトップの成績を持つ生徒の中でも、たった2人にしか与えられない栄誉ある肩書きだ。その地位は監督生より高く、真に優秀な生徒の証でもある。
ぶわっと、体中に鳥肌が立ったような気がした。
主席。ホグワーツのトップに、ジェームズが!
「おめでとう!」
「ありがとう、フォクシー!」
私は思わずジェームズの手を取って喜びを分かち合った。まさか私の友達が主席になるなんて! ようやく学校もジェームズの隠し切れない優秀さを認めてくれた!
────ここで、例えば1年生の時の私のままだったら────きっと、一番になれなかったことでお母様に何と報告すれば良いのか、と胃が痛み、ジェームズを妬んですらいたかもしれない。
でも、今の私は素直に彼が主席になったことを喜べた。だって、それが当然だと思っていたのだから。
そしてそう思えている自分のことが────そんな自分の成長が存外嬉しくて、私はまたひとつ、自分のことを好きになれたような気がした。
「でも主席って、男女1人ずつだろ? もう1人はイリスじゃないのか?」
シリウスが私の手元を覗き込んできたが、私の元に届いたのは例年と同じ教科書リストだけだ。
「ううん。私じゃないみたい」
「と、なると────」
「もう1人はきっと、急いでイリスに手紙を書いているところだろうね」
────もう1人の主席は絶対に、リリーだ。
「リリーも、そろそろ来てくれるよね? 楽しみだなあ、バッジを見せてもらうの」
ああ、なんて嬉しいことが続くんだろう。私の大好きな人達が、揃って学校の栄誉を与えられるなんて!
「リリーって、ジェームズが言ってる赤毛の女の子かい?」
「イリスととても仲が良いっていう」
ジェームズが主席になったニュースのお陰で、部屋をぶっ壊した罪はなくなったらしい。ポッター夫妻はそれぞれ「おめでとう」と温かいハグをしてから、リリーに関心を向けた。
「はい、すっごく賢くて、すっごく聡明で、すっごく頭の良い子なんです!」
「一応イリスも頭が良いって設定だったはずだよな? これ、全部同じこと言ってるぞ」
後ろでシリウスが余計なことを言っているのが聞こえたが、興奮している私がそれに取り合うわけもなく。リリーのことをべらべらと喋る私に、ユーフェミアさんは穏やかな微笑みを返してくれた。
「確か、ホグワーツからの手紙が来て、ダイアゴン横丁に行く日にうちへ寄ってくれるって言ってたわよね。イリス、その日はうんとおもてなししたいから、手伝ってくれる?」
「もちろんです!」
「ジェームズ、お前達はリリーが来るまでに部屋をちゃんと元通り整頓しておきなさい」
罪がなくなっても、罰までなくなったわけではないらしい。男の子達はたちまちしゅんと萎れ、「はあい」と返事をした。あの臭いが取れるまでに、一体何日かかるのだろうか…。
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