「ピーター!」
急いでピーターに駆け寄り、「エネルベート!」と蘇生呪文をかける。
ピーターはすぐに目を覚ましたようだったが、それを確認した後はすぐに私も他の仲間と同じように────ピーターを囲むようにしてお互い背を向け、追撃に備えていた。
「まだ早いって言っただろ!」
「一気に厄介払いができるチャンスなんだぞ! 本当ならバレンタインの時にあいつら全員、"死の指輪"で呪えるはずだったのに…ただでさえ計画が遅れてるんだ、今更手段なんて選んでられるか!」
「バナマンの言う通りだ、あとはこの後でマゴットも締めればもうグリフィンドールとレイブンクローを守る盾はなくなるんだ────ステューピファイ!」
話し声、それから呪い。
シリウスが素早く「プロテゴ!」と唱えると、私達の前に現れた半透明の盾が失神呪文を防いだ。
声のした階段の裏側へ一目散に向かったのはジェームズとシリウス。後についで、私とリリーも一瞬目配せをしてから────彼らについていった。
蘇生したとはいえまだどこかぼうっとしている様子のピーターにはリーマスがついている。本当なら彼らにも一緒にいてほしかったが────仕方ない、まずは身の安全が優先だ。
「医務室に運んで、すぐにマクゴナガル先生を呼んでくる。僕達だけで対処するには厄介すぎるかもしれないから」
「わかった、お願い」
そう言ってリーマスとピーターと別れると、私達4人は揃って移動した。
そこにいたのは────驚いた、全員顔と名前が一致している人ばかりじゃないか。メルボーン、シモンズ、オーブリー、バナマン、クーパー、バロン、ローウェン────そして、スネイプ。
それは、奇しくも全員が死喰い人リスト作成計画に関わっている生徒だった。
彼らは全員私達に杖を向けている。
どうして? ────そんなこと、聞くまでもない。
この人達は今晩、私達を────ホグワーツを守る盾を、壊しに来たのだ。
しかも、彼らの会話の断片から────彼らが"バレンタインに指輪を贈ってきた"ことまで発覚してしまった。つまり彼らは、本気で私達を殺そうとしている(実際に届いた指輪はレプリカだったが、それでも視力を奪う程度の"呪い"は持っていたと、後から聞いた)。
目をかち合わせたのは一瞬だった。彼らはすぐに再び────ある者は「ステューピファイ」と唱えながら、ある者は無言で杖を振りながら────私達を失神させにきた。
杖先から飛び出す赤い閃光。
────体は、ちゃんと反応してくれた。
「プロテゴ!」
今度は私の射出した盾が、私達を守る。
しかしまるでそれが開戦の合図だと言わんばかりに────私に呪いを防がれた瞬間、8人の敵は一斉に散って、私達4人を狙い始めた。
「ペトリフィカストタルス!」
「エクスペリアームス!」
体を石にしようとしたメルボーンに、ジェームズの武装解除呪文がぶつかり、お互いの魔法は弾かれる。
「セクタムセンプラ!」
「二度も引っ掛かるかよ────フリペンド!」
オーブリーもこの時ばかりは実戦に加わることを承諾したらしい。またもシリウスに切り裂き呪いをかけようとするが、シリウスの射撃呪文がその閃光を散らし、それどころか完全に相手の呪いを打ち砕くと、オーブリーを2メートルほど後方へと吹っ飛ばす。
私の前に立っていたのは、5年生の3人だった。クーパー、バロン、ローウェン────直接対峙したことはないが、そこには攻撃の意思がありありと窺える。
────どうしよう。さっきはみんなを"守る"ために、咄嗟に体が動いただけだ。
でも思えば、こうして私が誰かと"敵意"を露わに杖を向け合い、本気の戦いに身を投じることなんて────初めてのことだった。
今まで、"誰か"を守るための戦いならできた。…というか、体が勝手に動いていた。
でも、今全身でハッキリと感じている。
これは戦争だ。
学校内における、光と闇の戦争なのだ。
ここにいるのは、闇の魔術に傾倒しているものとそれを阻止しようとする者────いわば、ここまでに出てきた全ての人間が揃った最終決戦にもなりうるのだ、と。
散々邪悪な魔法を憎むと言っておきながら、私の手は震えていた。
散々自分達の手でできることをしようと言っておきながら、私の体温はどんどん下がっていた。
怖い。
戦うの、怖い。
正当防衛でも、復讐でもなく、思想を武器に乗せてぶつけ合うこの戦いが────私は、無性に怖くてたまらなかった。
だって、私はまだホグワーツの生徒なんだよ? 10代で、社会の中ではまだまだ未熟で、使えない魔法だって多くて、シリウス達みたいに自分でそれを生み出すこともできない。
知識も体力も、センスだって全然足りてない。お人形のように生きてきた11年を経て、ようやく今人間6年目になった私なんかに────何ができるっていうの────?
「大丈夫だ」
思考が負のスパイラルに陥ってしまったその瞬間、私の肩を優しく抱く何かがあった。
シリウスだ。視線と杖腕はオーブリーに向けたまま、私を強く抱き寄せて囁いてくれる。
「君は僕が守る。でも、君はきっと────本当は、僕なんかに守られるような弱い女の子じゃないんだ。イリス、自分が誰だか思い出せ。ここに立っているのは誰だ?」
自分が誰だか思い出せ。
ここに立っているのは────誰だ。
うん、とりあえず退学処分になるような真似だけは絶対にやめよう。規則はできるだけ破らないようにしよう。あ、あと先生たちの評価はやっぱり上げておくことにしよう。
だから────それ以外の部分では、もう少し────自分の気持ちを、外に出してみても良いんじゃない?
1年生の時、初めて家の教えが間違っているんじゃないかと疑った。
家の教えに従っているだけでは、私はどんどん自分のことを嫌いになってしまうんじゃないかと思った。だから、まずは思ったままに行動しようと────自由を、感じてみようと思った。
恐怖による服従を支持する人、一方的な差別や呪いを楽しみ進んで人を蔑む人。
ここにまず、私の"許せないライン"を引くことにしよう。
2年生の時、必要の部屋であらゆる本を読み漁って、ようやく見つけた自分という形。
まだそれは先人の思想を寄せ集めて、私に一番マッチしそうなものを継ぎ接いだだけの借り物同然だった。
私は"何も知らない大人から優等生に見えていれば"それで良いから。規則と友達なんて、天秤にかけた瞬間片方の重みで壊しちゃうよ。
3年生の時、リーマスが狼人間であるという秘密をあえて暴露しに行った私は、彼を守るために一時的に優等生である自分を捨てた。
守りたいものが何なのか。自分を誇れる自分になるためにはどうしたら良いか、そこに活路を見出していた。
「私はね、遊び感覚で誰かを呪う人が嫌いなの。ステータスだけで相手を判断して蔑む人も嫌い。一方的に人を傷つける人も嫌いだから、本当は私もこういうことはしたくなかったんだけど────でも、私の大事な友達を傷つける人は、もう"人"だと思わないから」
4年生の時、私はオーブリーにそう言って呪いをかけた。あれはシリウスが"セクタムセンプラ"という、当時はまだ謎に包まれていた呪文で切り裂かれた直後のことだった。完全に衝動的な怒りに突き動かされ、ジェームズの制止が入るまで私は彼を徹底的に痛めつけようとしていたわけだが────その時、自分でもそれまでに築いてきたハリボテの私の"形"がようやく自我を手に入れられたと思った。
そして5年生になって、私はその"形"を操れるようになった。
ステータスだけで相手を差別する人が許せない。
それから、邪悪な魔法を楽しんで使う人も許せない。
最後に、友人を傷つける者を許さない。
そう言って、"自分のライン"を決めたのは随分と前のことのように思うが────そこにちょっとの修正が加わって、より"現実"と適合した形になったのは、5年生が終わる時のことだった。
世の中には、一度無力化しただけでは全く意味のない人もいる。
そこで私はラインを引き直した。杖がなければ無力というわけではない。怪我を負ったからそれ以上攻撃してならない、なんてそんなことは言っていられない。
思想が"思想"として留まっているうちは糾弾できないが、それが"行動"になった瞬間、その相手と私は明確な敵となる。
思い出せ。
この5年半で、私が築いてきた"私"を。
この5年半で、私が目指してきた"私"を。
────右腕につけていた、シリウスからの深紅のブレスレットが目に映った。
キラキラと、薄暗い玄関ホールでも変わらない煌めきを放つ、私のお守り。
「守るよ」といつだって言ってくれたシリウスの言葉が幾重も私の脳裏にこだまする。
私は、しゃんと背筋を伸ばした。前を向き、3人の5年生に向き合う。
「────私は、イリス・リヴィア。ホグワーツのグリフィンドールで監督生を務める、稀代の優等生だよ」
さあ、そんな優等生にわざわざ歯向かう劣等生たち。
愚かにも"優等生"に歯向かったことを、後悔するが良い。
「ディフィン────」
「シレンシオ!」
私の体を裂こうとしたバロンを遮り、3人揃って同時に黙らせる。まだ無言呪文の使えない3人は、口をぱくぱくとさせては杖を振り回しているが、小さな火花が散るばかりで全くこちらに攻撃を届かせられていなかった。
「エクスペリアームス!」
次いで、すぐに武器を取り上げる。途端、彼らの杖はすっぽり私の手元に収まり────自分のものを含め、4本の杖を手に入れることに成功した。
「インカーセラス!」
私自身の杖で、3人を縛り上げる。
そして改めて周りを見ると────メルボーンとシモンズの2人を相手どっているジェームズ、オーブリーとバナマンを相手にしているシリウス、そして────スネイプとリリーが杖を向け合っているのが見えた。
「リリー…っ!」
呪いを絶えず掛け合っているシリウスとジェームズとは違い、スネイプとリリーはまるで時を止めた空間にいるように、ぴたりと杖を互いの喉元に向けたまま立っていた。スネイプの顔はまるで灼熱の炎に焼かれているかのように苦痛に歪み、リリーは冷静な顔を装いながらもその額に脂汗をかいていた。
バナマンの放った爆破呪文をすんでのところで躱し、リリーの元へ駆け寄る。
スネイプは私がリリーの肩を叩くと、どこかほっとした表情を浮かべながら私に杖先を向けた。────まるでリリーには冗談でも杖を向けたくないが、その相手が私なら気負わずに済むとでも言いたげだ。
「イリス…」
リリーの声はかすれていた。
当然だ。彼女がスネイプに呪いをかけられないのは、私が5年生3人組に呪いをかけられなかったあの一瞬より遥かに深刻で、悲哀に満ちた迷いが彼女の手を止めているからなのだ。
単なる口喧嘩の延長で縁を切るのとはわけが違う。言葉の上では既に対立していたとしても、互いにそれでひとつでも呪文を放ってしまえば────彼女達の間には、本当に、二度と修復できない決定的な傷がその身に刻み込まれてしまうだろう。
それを躊躇わないほど、彼女は大人じゃない。
そこで過去の楽しかった思い出を綺麗に忘れられるほど、彼女は正義を振りかざせない。
彼女は気高いグリフィンドールの勇敢な魔女である以前に、公平で、心優しく、そして誰よりも友人を大切にしている────ただの17歳の、女の子なのだ。
スネイプが何やら杖を振る動きが見えた。────わからないが、無言呪文の類だろう。向けられている先が私である以上、それが優しい魔法であるはずがない。
この間1秒以下。私はスネイプが杖を僅かに動かした瞬間、無言で私とリリーの前に盾を張った。
「イリス……」
「大丈夫だよ」
さっきシリウスが私を励ましてくれたように、私もリリーの肩を掴む手にぎゅっと力を込める。
「スネイプ」
そして、一瞬だけ手首のブレスレットを見てから────盾を決して消すことなく、スネイプに語り掛けた。
「あなた達の目的はわかってる。ホグワーツ内から未来の死喰い人を出すために全ての寮を嗅ぎ回ってるんでしょ。そしてここにいるのは────」
そう言っている間に、オーブリーの呪いがこちらに発射された。盾を途切れさせないよう意識を二分するのはかなり気力も体力もいることで────何よりそんなことをした試しがなかったので全く自信はなかったのだが────私はリリーから手を放し、ピアースから奪った杖でもう1つの呪文を放った。
「フィニート・インカンターテム!」
オーブリーの呪いを強制的に打ち切る。案の定、ひとつの体でふたつの呪文を操るのに私の精神も身体もまだ十分とはいえず、オーブリーの呪いを断ち切った瞬間盾も消えてしまった。
まずい。私には彼らと話をする必要があるというのに。
────これもまだ試したことのない強い魔法だ。使えるかどうかわからないが────少なくとも、これ以上2つも3つも同時に呪いを行使するよりはましだろう。
「プロテゴ・マキシマ!」
それは、プロテゴ────盾の守りの呪文を極限まで強めた最大防御の呪文。
魔法を跳ね返す威力が上がることはもちろん、その効果範囲も広がる。
今や半透明の盾は、私とリリーを円形状に包むかのように広がっていた。
体力の消耗は著しいが、これで全方向からの呪いに耐えて"話"を続けることができるようになるだろう。
スネイプはまだ黙っていた。私がプロテゴ・マキシマを唱えたと知るや、すぐに呪いをかけても無駄だと悟ったようだった。流石、シリウス達をして「呪いの扱い方はピカイチ」と言わしめるだけのことはある。
「────ここにいるのは、そのグループのメンバー全員。今日はその反対勢力だとハッキリわかっている私達が揃っているところを狙って襲撃してきた。そんなところでしょ」
「だったらどうした。休暇で人の減っている期間が一番最適だったんだ。お前達さえいなければ事はもっと簡単に運んだものを、ここまで引き延ばさせられて────」
「それで、あなた達のリーダーは一体誰なの?」
苦々しげに言うスネイプの言葉を遮り、こちらの聞きたかったことを尋ねる。すると彼の表情はますます険しくなった。まるで最大の侮辱をされたとでも言いたげだ。
最後の質問については、ちょっとしたハッタリの目的もあった。彼らが個別に指示を受けて動いている可能性を捨てきれないまま、それでも私は「そこにリーダーがいるはず」と言ったのだ。
リーダーがいるのなら、その生徒の尻尾を踏みつければここで彼らを一網打尽にすることだってできるかもしれない。でも、個々で動いているとなったら────それこそネズミ取りが始まってしまうだけだ。あとどれだけいるのかもわからない闇の勢力を、また背後に注意しながら探す日々が始まってしまう。
「────この中で、まともに他人を使えるのは僕しかいない。そんなこともわからないほど愚鈍な頭で僕達を嗅ぎ回っていたのか?」
スネイプはここで、「自分がリーダーだ」と言ってみせた。私の口からは、小さな溜息が漏れた。
やはりリーダーは存在していたのか。彼らはリーダーの統率の下、ちゃんとグループを組んで動いてくれていたのか。そして────私達はありえないと言っていたが、そのリーダーとは、スネイプのことだったのか────。
いや、本当にそうなのか────?
私の疑問は、「嘘よ」というリリーの震える声に答えを得た。
「スネイプ、あなたは決して上級生を従えられはしない。それに神経質なあなたじゃ、あんな杜撰の計画の数々には耐えきれない。他人を使うことはできても、他人の失敗さえ計画に組み込んで、各々の能力に合わせた指示を出す────あなたには、そんな度量はない」
スネイプを知り尽くしているからこそ放たれるその事実は、明確に彼を傷つけたようだった。私はそこまで根拠もなく「スネイプがリーダーじゃない」とは言い切れない。でも、わかる。リリーはずっとスネイプの背中を見てきたからこそそれが言えるのだ。言ってしまえばリリーとスネイプの関係そのものが、彼がこのグループのリーダーではないということへの証拠になっていた。
リーダーがいるのに、それはスネイプではない?
じゃあ、一体誰が────そう思って辺りを見回した時、再びスネイプが絞り出すような声を出す。
「っ…どうして、わかってくれないんだ」
スネイプは一瞬泣きそうな表情を浮かべ、そしてそれが嘘のようにまた険しい顔に戻った。
「闇の帝王もリリーも、何もわかってない。僕はもっとやれるんだ。僕はもっと、偉大なことができる。人を使うことだって、────なんなら人なんか使わなくたって、死喰い人を集めることなら僕ひとりにお任せいただければそれで十分だったのに────」
私は彼の声を聞いて、去年暴れ柳にふらふらと向かっているスネイプの姿を思い出した。
誰の声も届かない。誰の姿も目に入らない。誰に語り掛けているのかもわからず、ただ胡乱に自分の力を誇示しようとするその様は────。
まるで、闇に魅入られた亡者のようだった。
「────…」
「どうしてあいつなんかが首謀者になるんだ。どうしてあいつなんかが僕より先に闇の帝王のお手を取りに行くことが許されるんだ。僕はただ、僕のことを見て欲しいだけなのに────」
「リリー、ここは私に任せて、ジェームズの援護を」
「いいえ、イリス」
一人で悲しみとも嫉妬ともつかない言葉を吐き続けるスネイプ。小声でリリーにそう言うと、キッパリとした彼女の声が私の背をまたしゃんと伸ばした。
「これは、私が決着をつけるわ」
「……良いの?」
杖を交えたらもう戻れない。いや、もう既に修復など不可能なところまで彼らは遠くへと引き離されたが、かつては誰よりも信頼し仲を深めたその相手に杖を向けることの辛さなら────私だって、わかっているつもりだ。それ相応の覚悟がないと、腕を上げることすらできないはず。
「良いの。むしろ彼は、私が相手でないとダメ」
リリーの表情を盗み見る。スネイプをまっすぐに睨みつけている彼女の顔は、まるで幼い子供が粗相をしでかした時にそれを叱ろうとする、母親のように見えた。
「────…わかった」
これは確かに私達全員の問題だが、その前に彼女にとってこれは、リリーとスネイプの問題でもあるのだ。
それならば…覚悟を決めた彼女の前で、私が下手に手を出すことは、もうできない。
「3つ数えて防御魔法を解くよ。私はそのままシリウスとジェームズの方へ行くから────リリー」
「ええ」
「信じてるよ」
リリーは微笑んだ。
「私も信じてるわ、イリス」
1、2、3。
宣言通り、3つ数えた後に私は盾を消し去った。その瞬間、リリーの杖から赤い閃光が迸る。スネイプは虚ろな独り言を言っていても、現実から目を逸らしていたわけじゃないらしい。素早く真っ白に輝く閃光でリリーの呪文を弾き、何やら叫びながらまた呪文を射出した。
「リリー! 君なら、君なら真に正しいことを理解してくれると思っていたのに!」
「ええそうよ! 真に正しいことは、あなた達に抗うことだとね!」
────ああ、胸が痛い。悲しみでどうにかなってしまいそうだ。
でもきっと、リリーの方が辛いんだろう。
私は彼女の言葉を信じ、改めてシリウスとジェームズの加勢に加わった。
お互い7年生を含めた相手を2人ずつ受け持っているわけなのだから、かなりの劣勢に立たされているのではないかと不安が体をかすめたが────。
「ほら、どうした、ご自慢の爆破呪文は全然当たらないぞ! そんなコントロールでよくクァッフルをゴールに通そうなんて発想が浮かんだな!」
「これで気高く狡猾なスリザリンを名乗るとは、組み分け帽子もそろそろ引退を考えた方が良いんじゃないか? 攻撃がワンパターン過ぎてすぐ飽きちまうな!」
余裕な笑みさえ浮かべる2人が、合わせて4人の敵とまるで"遊んでいる"かのように対峙していた。
「フォクシー! 5年生どもは────」
「ハッ、瞬殺だったな。さすが優等生」
そう言っている間にも緑やら赤の閃光が体のあちこちを狙ってくるので、私はろくに言葉を返せなかった。まるで曲芸師の見習いにでもなったみたいだ、と思いながら、軽やかに一方の呪いを躱しながら一方に呪いをかけるシリウスとジェームズの傍までなんとか近寄る。
ちょうどジェームズがメルボーンと呪いをぶつけ合っているところに、シモンズが別の呪いをかけてくる。防ごうかと腕を上げるより早く、ジェームズは無理やりメルボーンの呪いとつながっていた自分の閃光を断ち切り(その瞬間、2人をつないでいた呪いそのものが消滅した)、シモンズの呪いを妨害呪文で受け止める。
「────こんな感じで、いなすことならできてもこっちから仕掛けることがなかなかできないんだ。悪いんだけど、片方任せて良いかい?」
「そのつもりで来たよ」
またしてもジェームズに呪いをかけようとしたメルボーンに、私は無言で杖を振って金色の閃光を直撃させた。途端、彼は床に這いつくばって動けなくなる。何度も起き上がろうと手足をバタつかせるのだが、見えない力で地面に押し付けられているかのように彼は何度もビッタンビッタンともがいていた。
「打ち上げられた魚みたいだな。流石フォクシー、君が来てくれた瞬間形勢逆転だ」
ジェームズが嬉しそうに歓声を上げた。私がメルボーンの武器を取り上げている間に、彼のその声がまるでブーストになったかのように呪文の威力が増し、妨害の呪いを食らったシモンズはメルボーンと同じように床の上にひっくり返った。
「ペトリフィカストタルス!」
そして、ジェームズの石化魔法が2人に直撃する。2人はそれぞれ仰向けとうつ伏せの姿勢になったまま、憎しみの顔だけそのままに、体をぴくりとも動かさなくなった。
「よし、今度は3対2だ。シリウスも相当手こずってたからな、僕らが来れば1秒で────待て、エバンズは?」
5年生と同じように7年生の2人をホールの隅の方へ放り投げたところで(もちろん魔法で)、ジェームズがようやく冷静な頭を取り戻したのか、血相を変えてリリーの方を見た。リリーはスネイプの呪いを時に防ぎ、時に躱しながらその太陽のような赤髪を振り乱してホール中を駆け回っていた。
覚悟を決めたリリーは強かった。スネイプの呪文を的確に避けながら、自分も負けじと麻痺呪文、石化呪文、爆破呪文────あらゆる攻撃をスネイプに仕掛けている。
「リリーは大丈夫! あれはリリーとスネイプの戦いだから、私達はシリウスを────」
「ダメだ、エバンズは正攻法で戦ってるのに、スネイプは自分で考えた呪文ばかり使ってる! それにあいつの闇の魔法は────エバンズ!」
あいつの闇の魔法は────他の追随を許さないほどに、強力だ。
ジェームズはきっとそう言いたかったんだろう。
しかし、もはやその言葉が最後まで紡がれることはなかった。
私が「あっ」と声を漏らした瞬間には、彼は駆け出し、リリーの前に立ちはだかって────。
「本当はこんなことなんてしたくないんだ。でも一瞬で解放するから…それにこれは本気にさえならなければたいした苦痛を生まない…。下手に裂傷呪文や石化呪文を唱えるよりずっと楽なことなんだ…。君はただ、僕達のしようとしていることがどれだけ偉大なことなのかわかってくれたらそれで良いんだ…。だから────クルーシオ!」
────許されざる呪文のひとつ、相手を拷問し苦痛に悶えさせる呪文、"クルーシオ"をその身で一身に受けていた。
「うっ…」
ジェームズの苦悶の声が唇の隙間から漏れる。彼はリリーを庇って、許されざる呪文をその胸に直撃させてしまったのだ。
「ポッター!」
スネイプが何事か呟いていたようだが、聞いていた"許されざる呪文"の効果よりは随分と威力が弱いようだった。少し息が浅くなっているが、ジェームズは呪いを受けながらもすぐに体勢を立て直す。それでもリリーはあらん限りの声を張り上げて、彼の名前を呼んだ。
────それがいけなかったのだろうか。
呪いを受けたのがジェームズとわかった瞬間、スネイプの憎悪が唐突に爆発した。
「っ……ポッター!! お前さえいなければ!!!」
すると、ジェームズに当たっていた光が3倍もの大きさに膨れ上がった。反撃のために杖を上げていたはずのジェームズは、急に苦しげな表情を浮かべ────杖を、取り落としてしまう。
「ぐ、う…あああああああああああ!!!」
私がメルボーンを地面に押さえつけた時とは、全く違っていた。床でのたうち回り、呼吸さえろくにできないだろうにその合間で小さな悲鳴を漏らしながら、ジェームズは我を忘れて暴れている。
「だ、だい…じょ…ぶだから…!! エバンズ…ここ…はなれ、て…!!」
それでもジェームズは、一心にリリーのことだけを案じていた。
…これだ。
さっきはリリーが相手だと思っていたから、手加減していただけなんだ。
これこそが────教科書でしか見たことのない、"許されざる呪文"。
拷問にしか使われない、ただの苦しみを味わわせるだけの"クルーシオ"、相手を意のままに操る服従の呪文"インペリオ"、そして相手を一瞬で死に至らしめる、最も忌避されるべきと言われていた────"アバダケダブラ"。
これらは他の魔法と違い、明確に"魔法使いの人権を奪うもの"として禁忌魔法に指定されていた。
ジェームズが受けている苦しみがどれほどのものなのか、私にはわからない。しかし箒から落ちても、階段で足を滑らせても、敵から不意打ちの攻撃を受けてボロボロになっても…全く消えることのなかった彼の瞳のきらめきが────今はすっかり消え失せていた。
「ポッター、どうして、あなた…!」
リリーが駆け寄ろうとするが、ジェームズは「だ、だめだ…!」と────ああ、まだ意識があったのか────彼女を制止した。
「こっち…ぼく、にまかせ…きみたちは……パッド…を……」
こんな状態でシリウスに加勢しろと言うのか。あまりに見ていられない凄惨な光景を前に、一歩踏み出した時だった。
リリーが今度こそ、私の肩をがっしりと掴んだ。
「言ったでしょ、信じてって」
「でも」
「あいつは許されざる呪文を使ったわ。もう、こっちも我慢の限界」
「リリー…」
「一瞬で片づけてそっちに行くから、あなたはブラックを援護して」
今までリリーがこんな声を出すところを、見たことがなかった。
確かにいつだって彼女の声は決然としていて、明暗のハッキリと分かれた聞いていて気持ちいい音だった。
だからこの時もきっぱりとした声ではあったのだが────なんだろう、この背筋が凍る感覚は。
彼女は今、怒りに支配されていた。
「ロコモーター────…さあ、銅像達よ、動いて────」
怒り、憎しみ、それから少しの悲しみ。
6年間抱え続けていた彼女の感情が、今、爆発する。
「私の怒りはホグワーツの怒り。私の憎しみはホグワーツの憎しみ。────あなたなら、きっと戻って来てくれると信じていたのに! 例のあの人さえいなければ、闇の魔法があなたを誘うことだってきっとなかったのに!!!」
玄関ホールに置かれていた銅像が数体、ギギギと軋みながら動いた。ジェームズを血走った目で見降ろすスネイプは、もはや丸腰同然だ。一瞬ジェームズへの呪いを解いて、ズンズンと押し寄せる銅像を粉砕する呪いをかけるが、銅像は足だけになっても、手だけになっても、スネイプへの行進をやめなかった。
そして、彼がそちらに気を取られたその一瞬を、リリーは見逃さなかった。
「フリペンド!」
途端、スネイプの腰が大火傷を負って後方へと飛ばされた。階段にモロに頭をぶつけ、ガンッ! という嫌な音が鳴る。
「エ────エクスペリアームス…!」
彼女は泣いていた。頭を強く打ったことで気絶しているスネイプから杖を取り上げ、次いで私がフェルトンとピアースにかけたものと同じように縄で彼の体を縛る。
「もう私…こんなことになるなら……彼と友達になんてなりたくなかった…」
それはあまりに悲しすぎる独り言だった。私が何を言うより早く、彼女はジェームズの元に駆け寄る。まだ呪いの効果が残っているのか、体中が耐えがたい苦痛に苛まれているといった顔の彼の頭を膝に乗せ、歌うように痛みを和らげる魔法を唱えている。
スネイプを背にして、ジェームズのことだけを見て、彼女はただ────静かに、涙を零していた。
「────バナマンも死の呪いを何度も撃ってきた。あいつら、本気だな」
────いつの間にか、シリウスが私の隣に立っていた。同じように遠くから、リリーとジェームズを見つめている。
後方を振り返ると、クーパー、バロン、ローウェン、メルボーン、シモンズが横たわっている山の上に、更にバナマンとオーブリーが追加されていた。
私がスネイプ達に気を取られている隙に、シリウスは敵をひとりで戦闘不能にまで陥れた。
彼だってスネイプの「クルーシオ」と、その後に続いたジェームズの叫び声を聞いていなかったわけじゃないだろうに。
それでも彼は、目の前に集中し続けた。自分の敵を、見失わなかった。
私がリリーを信じたように────いや、それ以上に、彼らも互いを信じていたのだろう、と思う。
これこそが、本当の社会における戦いだということなのだろうか。
仲間の窮地でも、自分のなすべきことをまずしなければならないという────。
「…ひとりでやったの?」
「エバンズが銅像を動かした時、あいつらが揃ってそっちに意識を向けたからな。呪文の切れ目を狙ってまとめて武装解除するなんて造作もないことさ。────それより、プロングズが心配だ」
「────行かなくて、良いの?」
「いや、あそこはエバンズに任せよう。僕はマクゴナガルを呼んで来るから、君は念のためにオーブリー達が動き出さないか見張っておいてくれ」
シリウスはなんということはないように言って、さっさと崩れかけた階段を昇って行こうとする。しかしその無表情さが却って不自然で────私は、彼もまたジェームズが受けた被害を見て苦しんでいるのだろうと悟る。
だから、これは僥倖だったのかもしれない。
「何事ですか!」
階段の上から、マクゴナガル先生が現れた。リーマスがようやく先生を見つけ出してここでの騒動を報告してくれたのかもしれないし、リリーが銅像まで持ち出して轟音を立てながら戦ったその物音がたまたま耳に入ったのかもしれない。まだ校務中だったのか、授業の時と同じローブを着たまま、先生は慌てきった顔で私達の元まで駆け降りてくる。
「────まずは全員医務室へ運びましょう。リヴィア、ブラック、あなた達は無事のようですね。スリザリンの生徒を運ぶのに協力してくれますか?」
「はい」
「わかりました」
「それから、エバンズは────」
「私が一緒に付き添います」
マクゴナガル先生がリリーの元へ行こうとするので、私はすぐにそう言って彼女の足を止めた。いけない、今のリリーに不用意に近づいたら、今度こそ彼女の心が壊れてしまう。
「マクゴナガル先生、ここにいるのはホグワーツの内部から死喰い人を輩出しようとしているメンバーなんです。今すぐダンブルドア先生に────」
しかし今度はマクゴナガル先生が私の言葉を切る番だった。まるで全て事情はわかっているというように、片手を小さく挙げて重々しく頷く。
「ええ、ダンブルドア校長にはもう伝えてあります。ですから、ここで起きたことの処理もそうですが…まずは何よりもあなた達を回復させることが第一優先です。話はその後で聞かせてください」
「…はい」
改めて見ると、校内はひどい有様になっていた。壁はあちこちが砕かれ、階段は三段ほど粉々になり、リリーの動かした銅像もバラバラになって散らばっている。今更ながら、大広間を最後に出たのが私達だけで良かったと思った。関係のない生徒が私達のめちゃくちゃな呪いの応酬に巻き込まれていたらと考えると、ぞっとする。
それから私とシリウスとマクゴナガル先生の3人で、気を失っている…あるいは動きをぴたりと止められているスリザリン生をそれぞれ浮遊させたり、魔法を解いたりして医務室へと誘導した。私は最初、スリザリン生の呪いを解いたらまた攻撃してくるのではないかと恐れていたが、マクゴナガル先生の前でまだ戦う気は流石になかったらしい。しおしおとした顔で、オーブリー達は自力で歩いてついてくる。
私は最後にリリーの元へと行った。ジェームズはまだ痛みに耐えるような顔をしているが、意識はしっかりしているようだった。彼の顔に涙をぽたぽたと落とすリリーを逆に励ましている。
「大丈夫さ、このくらい。10歳の時に家の2階から落ちた時の方が余程痛かったよ」
「でも────私のせいで────」
「違う、違う。スネイプの恨みを買ってたのは僕なんだ。あんな呪いをかけられるべきは君じゃない。あんな邪悪な魔法と向き合うべきなのは、僕の方なんだ」
私はリリーの肩にそっと手を乗せた。彼女は泣き腫らした目で私をゆっくりと見上げる。そして自分の注意を引いてきたのが私だと気づくや否や、ジェームズの頭を膝に乗せたまま、私の膝に抱き着いて泣き声を上げた。
「違うの────スネイプは、セブは────あんな人じゃなかった────!」
「うん、大丈夫だよ。全部わかってるから。戦いも終わった。まずは医務室に行こう、みんないるよ」
本当は、何もわかっていなかった。
リリーのまっすぐな気持ちも、スネイプのリリーを想うあまり歪んでしまった切ない恋心も、ジェームズのスネイプへの感情も、何も私にはわからなかった。
でも、この場ではそう言うしかなかった。2人でジェームズの肩を支えながら起き上がらせ、3人で医務室に向かう。遥か前の方で、マクゴナガル先生とシリウスがスリザリン生を引き連れているのが見えた。
どうしてこんなことになっちゃったんだろうね、リリー。
ただ誰かのことを好きだって思える、それだけで良かったはずなのにね。
私にはやっぱり、社会における本物の戦いなんてよくわからない。
人によって考え方が違うことなんて当たり前なんだから、ただただそれを"あるもの"として放っておけば良いだけの話なのに。
[ 99/149 ][*prev] [next#]
←