そんな日常で。
※高3設定
「もうすぐ卒業だね」
時刻は夕方の5時。校舎の3階からは早めの芽をつけた桜の木がよく見えた。これじゃ卒業前に満開になるかな。
なんとなしに言ってみた冒頭の言葉だけど、隣の奴は返事をしなかった。まぁ、いつものこと。
「赤司はどこに進学するの?」
名前と疑問符をつけてみて、初めて読んでいた本から顔を上げる。
返ってきた言葉は…なんと、海外の有名大学だった。
日本のトップじゃ満足しないってか。
「やっぱりお父さんの会社、継ぐの?」
「いや、与えられた場所で功績を上げても意味ないだろ。海外でビジネスの何たるかをちゃんと学んだら会社を立ち上げ、いずれは父を越えるつもりだ」
「はー…それでお父さんの会社は平気なんだ…。あ、そういえばこないだ資金がどうとか言ってたけど、それはその準備?」
「父の会社だって大企業だ。継げる能力と信用のある社員くらいいる。それと資金の話はその通り、大学を出てから始めたんじゃ遅いからな。下積みなら今からでも充分できる」
赤司の話はいつだって淀みない。前を向き、時間を惜しみ、自分の限界を知りながらそれを越えようと努力を欠かさない。
そんな人間がどうして私のような人間(本当、同じ人間と言っちゃいけないくらい差があると思っている)に目を留めるのかは未だに解らない。
しかし現実に私は、帝光中時代に赤司と出会い、3年間振り回された挙げ句「洛山へ来い」と堂々のあと3年ひきずり倒すぞ宣言をされた身である。
こうして放課後に残って一緒にいるのも6年目。中2頃から2年くらい人が変わったように物騒な怪物になってた時期もあったけど、その時も私はずっと隣にいた。ハサミを持ち出されたらカッターを、土下座させられたら靴に唾を。私は私なりに彼の支配に抵抗を続け、そうして無事戻ってきた元の赤司の傍で、今こうして再び平和な日常を謳歌している。
もちろん最初はなんであんな完璧人間の選ぶ奴が私なんだと戸惑いや恐れを抱いたけど、そんなもの6年もやっていれば日常になるのも必然。恐れなんて今じゃ後ろ足で蹴ってやれる。
だから、だからこそ、今更もう考えられない。
この桜が咲ききる前に、私の日常は、私の描いた7年目は、
「……壊れるんだ」
考えの末に思わず口をついて出た私の言葉。赤司は逃してくれなかった。
「何がだ?」
いつもみたいに無視してくれて良かったのに、赤司の赤と橙の目はあまりに鋭く澄んでいる。
「…………私の当たり前は、あんたの隣であんたの無理難題に従う事だから」
素直に言うのはなんとなく耐えられず、こんな端っこだけを伝えるに止まったけど、聡い赤司への答えなんてこんなもんで充分だ。
あぁ、これも6年目だからこその考えなんだろうな。
────そう、それが全部当たり前だったのに。
当然といえば当然だけど、私の進学先は赤司と違う。まず国から違う。
そしてこれも当然、進学してしまえば私の赤司の隣にいた当たり前は壊れてしまう。
もう会う事すらないかもしれない。
どうしてこんなに傍若無人なのって何度も苛立った。
特に赤司の人格が変わってからは(緑間は「赤司の中には2人いる」なんて言ってたっけ)、本当に手がつけられない喧嘩ばかりしてた。
それが、そんなムカつく毎日が、こんなに今惜しいなんて。
「……」
赤司は何も言わない。
その沈黙が痛くて、よく解らないけど急に目頭が熱くなった私は桜を見ながらつい続きを口走っていた。
「6年も続いた刺激が急になくなったらそりゃ寂しいわ!! もう赤司ん所に就職しようかな────ぁ」
進学なんかやめてさ、それは辛うじて呑み込んだ。しかし言ってから後悔しても、もう走った言葉は取り戻せない。
ああああ、嫌だ嫌だ。
これじゃあ、変わらないままでいたいって言ってるようなものじゃん。ていうかこれプロポーズ? いやまぁ、実際赤司の隣ポジションも不変も願ってはいるんだけど。
いるんだけど、それはきっと赤司がとても嫌うものだ。(あとついでに赤司は私と結婚とか全く考えてないに違いない。)
前へ進む為には、変わらないままじゃいられない。日常を、当たり前としちゃいけない。
私の今の言葉は常に前進する彼にとって、切り捨てるべき思考に他ならない。
だから────
「…………なまえの今の能力じゃ僕の経営を支えるには不安が残る」
────あ、あれ?
なんか今のって不変願望を軽蔑されたというよりは────
ただバカにされた、だけじゃ…(てかやっぱりプロポーズ無視…)
と思ったら口答えはもう条件反射。
「なんかずれてるし失礼だわ!」
切なさは一転、普段の殺意に戻る。
そう、普段の。
(────やっぱり…この感覚は捨てられない、か…)
「…はぁ…。君の考えてる事なんて大抵解る」
さっきまでのバカにした口調が一転、赤司は私みたいに外の桜を眺めながら口を開いた。
「どうせ僕ともう会えないかも、とか、6年一緒にいた当たり前が来年いきなり消え去る事が不安だ、とか、挙げ句の果てにはそんな考えは僕が嫌う考え方そのものでしかないんだろうな、とか後悔してるんだろう」
「………完璧、です」
「…だが今ので解っただろ」
躊躇してる響きは一瞬だった。
「僕も同じだよ。なまえの考えてる事は、6年もあれば完全に解るようになる。君が無駄に怒りでエネルギーを消費したり、カッターなんかで僕に逆らおうと愚かな事を試みたり、それは君同様、僕にとっても日常であり、当たり前だ」
……こ、これはどういう事でしょうか。
あの赤司がこんなに切ない声を私に届けてる事や、日常と当たり前を同義としている事。
にわかには信じがたいけれど、目の前の彼が夢でも幻でもない以上、今の私にはただ呆けたような表情で続きを待つしかなかった。
「不変は確かに望まない。そこに進化はないからだ。しかし6年もあれば不変が生まれると解っていながら、俺が中学の時からずっとお前に執着してきたのは何故だ? ただの気まぐれのような寄り道感覚で俺が無駄な時間を過ごすと思うか? 否だ。俺には解っている」
答えなんて期待していないように(答えられない事を解っているかのように)赤司の独白は続く。
「────そしてなまえ、お前も解っている筈だ。最初は逃げようとしていたのに、3年前に進路を強要した時の答えはこうだった────解ってる、そうだと思って願書はもう出した────お前は俺に引きずられる体を取りながら、最終的には俺を選んだ。そうだろ?」
脳が次第に情報処理を再開する。
赤司の言葉は実に私の神経を響かせていった。
解る、解ったよ、あんたの言いたい事。あと口調が中学時代に戻ってるの気づいてる?
「大学では日常が崩壊するだろう。でもそれは一時的なものだ。俺には解っているからな」
そしてもう一度同じ台詞を言って、私をニヤリと見据える。まったく、芝居がかった態度が本当に好きだね。
「大学で、海外に対抗できる程の力を身につけてやる。そしてあんたのちっぽけな会社には私がいないとやっていけないって言わせてやるわ」
寂しさの刷毛口に呟くのではなく、意志を持った宣戦布告。
あぁ、赤司には最初から見えていたんだ。
私という人間が、赤司を選ぶ事を。
私という人間が、最終的には赤司を支えるまでに成長する事を。
だから赤司は、生涯私を隣に配置する事を決めて、あの時私に声を掛けたんだ。
────つくづく恐ろしい目だよ。
全ての条件が赤司の尺に当てはまっていたから今があるのだと思うと、掌で転がされているようなムカつく状況なのになんとなく頬が綻んでしまう。
「ポストは開けておく」
そして赤司も満足げだったから、まぁそれで良かったんだろう。
それから本を閉じ、帰り支度を始めた赤司に倣って私も窓を閉める。
ま、これからの4年は日常を日常と噛みしめる為の休憩時間って事で、受け入れますか。
先にすたすたと歩いて行く赤司に早足でついて行き、室内の電気を消した。
「ビジネスも、プライベートも…な」
そこで飛び出したそれは教室を出る瞬間、なんの脈絡もなく呟いた赤司の言葉。
しかしその意味を掴み取った瞬間、私は思わず廊下に立ち尽くしてしまったのだった。
そんな日常で。
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