冬の待ち人
私の通う高校と涼太の通う高校は割と近くにある。
中学時代から恋人として交際している私達は、当然同じ学区…そして家も近所にあるという事で、進学後は毎日涼太が私の高校の門まで迎えに来てくれ、そこから2人一緒に帰るのが普通になっていた。
体育会系の部活で忙しい彼と帰宅部の私が何故共に下校できるかといえば、それは私が部活の代わりに生徒会に属しているから、の一言に尽きる。
もちろん毎日仕事がある訳ではないし、同じく毎日部活がある訳でもない涼太とスケジューリングが合わない事はままある。
しかしそんな時には短文のメールを送信し、今日は先に帰る、また逆に今日は先に帰れ、などの旨を伝えればそれで充分だった。
今日はなまえっちを目一杯堪能できないんスね、残念…というような未練たらたらの返信が律儀に寄越された後、私達は別々に帰るだけなのだから。
ただその日は、いつもと勝手が少しだけ違っていた。
寒い寒い冬の日、今日は涼太の部活は休みだと聞いている。
なんでももうすぐウィンターカップなる大会を控えているらしく(弱小の我が校は殆ど話題に登らないが)、選手の安全やら士気やらを確保する為、彼の学校のバスケ部は大会直前にまで激しい練習を連続しないらしい。
調整という名目の休養を与えられた放課後、デートのひとつでも洒落込みたいと涼太はわんわん吠えていたが、生憎こちらは年末の監査で生徒会業務が忙しいのだ。
私だって涼太と久々に町をぶらぶらしたり、一緒にカフェで話したりしたい。
けど、今はこちらが優先だ。
後ろ髪を引かれる思いで私はメールを送信。
『年末の生徒会予算監査で今日は忙しい。ごめん、先に帰って。』
特に大会前なら、下手に待って体調を崩されても困る。
まぁいつものように返信の文面いっぱいに無念の思いを綴って、ファンの手をかいくぐりひとりで帰るんだろうなぁなんて思いながら、私は携帯を目の届く所に置いたまま書類を手にした。
1分、2分、3分―――――
「…………おっそい」
思わず口に出た言葉は、隣で作業していた同輩の役員を怯えさせてしまったらしい。
自分の仕事が遅いと言われた、そう勘違いしぺこぺこ謝るその子に苦笑いで謝罪を返し、改めて携帯を弄ぶ。
『新着メール なし』
あの涼太が。
いつもメールをすれば1分と経たずに返信を寄越す涼太が。
今までこんな事はなかった。
そりゃあもう、鬱陶しいわとツッコみたくなるくらい。
それが、今日は返信が来ない?
事故? 事件? いやまさか。
初めての事態に脳は混乱し、書類の山に判子を押す作業は何度も中断されてしまう。
涼太の笑顔が浮かんでは消え、浮かんでは消え――――嫌な予感とそれを潰す希望が相俟って、私はもうその日何度目か知れない溜息をついた。
(いやいや、でも、今日はたまたまそういう日なのかもしれないし。初めてだから戸惑ってるだけで、今後もちょくちょくこういう事起こるかもしれないし。ていうか涼太だからこんなに混乱してるだけで、他の人相手なら昼送ったメールに翌日の朝返信されても別段気にしないし。ね、気にしすぎだよ私)
半ば無理やりにも思えたけれど、とにかくそうやって自分を納得させた頃には、同輩は既に半分以上の仕事を終えていた。
「…………ごめん」
そうして果てしない雑務はやっとこさ終わりを告げ、疲れながらも達成感を伴って労をねぎらい、同輩達が帰って行って。
私は書類を執務室へ提出してから漸く荷物をまとめはじめた。
長く単調な仕事は慣れる事により捗りこそするものの、肩が凝るような感覚と目の疲れはどうしても避けられない。
体を伸ばしながら窓に近づき、戸締まりを確認しようと手を挙げた所で。
私の動きは止まった。
「―――――えっ?」
視界の先、校門の前。
灰色の男子制服、背が高くすらりとしたシルエット。
そして綺麗な金色の、髪。
「りょー………え、なんで?」
名前を呟き終えるより早く、疑問が。
どうして、だって、先に帰れと言ったのに。
なんで涼太がうちの学校の前にいんの…?
慌てて携帯を見るが、新着メールは相変わらずないまま。
まさか涼太、朝から家に携帯を忘れて行ったのかと一瞬思ったが、そういえば今日は授業中にメールを送ってきて散々私に説教されたじゃないかとすぐに思い出す。
ますます募る疑問と、凍えるように寒いこの気候の中でまさかずっと立っていたんじゃないかという別の意味の寒気が揃って背中を押してくる。
できる限り急いで支度を済ませ生徒会室を飛び出し、校門まで一直線。
恋人の後ろ姿へ、焦らす事もせずに声を掛けた。
「っ………涼太!!」
涼太は弾かれたように振り返り、いつものあの笑顔を向けてきた。
暗くても解る程に鼻の頭、赤い。
「なまえっちー! お疲れっス!! もうお仕事終わったんスか?」
「終わったんスかじゃないよ馬鹿涼太! 帰れってメールしたの、見てないの!?」
ねぎらってくれるのにも構わず怒鳴ると、きょとんとした表情で涼太は自分の携帯を取り出し、驚いたような声を小さく上げた。
「うわっ、本当だ、今初めて見たっスよー。でも今日は俺も別の用が入ってさっきまで学校いたんで、何も問題ないっス!!」
左手で前髪の先弄ってんの、しょーもない嘘つく時の癖。
「もしかして、それ気遣って急いで来てくれたんスか?」
息が切れてる私を慈しむような目で見てくるけど、触れては来ない。
「…………」
その手、どーせ冷え切ってんでしょ。
メール見て、私が遅くなるって解ってたのにずっと待ってたんだ。
それも、自分を待って寒空の下に長い事いたなんて知ったら私が自責するって見抜いた上で、下手な嘘までついて。
そんなに私と一緒にいたかったんだ、と考えればそれまでだけど、いつもとは絶対に違うその見え透いた行動に、私は別の意味を見いだしていた。
「………ちょっとだけ……でも、待ちぼうけさせてたんじゃないなら安心した。帰ろっか」
ウィンターカップ前で、ナーバスになってんのかもね。
今回の大会はキセキの世代が集合する特別な大会だ、と少し前に興奮して話していた涼太。
もちろん楽しみやリベンジの気持ち、やっと生まれたチームとの勝利を望む姿勢…そんな前向きなものが一番彼の心を占めているんだろうけど。
それよりも、もっと奥深くの、涼太自身も気づかない所で。
(…そーゆーとこ、可愛いよね…)
まだ見た事のない、敗北を土台にした勝利という高み――――それを知らず知らずの内に意識して、安定感を失ってしまっているのだろう。
だったら私にできる事なんて。
「はい、手」
背後で涼太に見えないように冷たい風の中右手を振る。
外気にたっぷり晒して冷え切った手を差し出すと、涼太は少しだけ目を見張ってから躊躇いがちに指先を揺らした。
「だいぶ冷たいんだけど…まぁ、繋いでるうちにあったかくなるかなって。駄目かな」
そんな風に言いながらも、有無を言わせず涼太の左手を取る。
案の定即席で冷やした右手なんかじゃ比べものにならないくらい涼太の左手は凍りついていたけど、何も気づかないふりをしてそのまま歩き出す。
暫く私に引きずられるようにして呆気に取られていた涼太も、そのうち顔に笑みを取り戻してきた。
「……涼太もお疲れね」
「なまえっち………」
それから涼太は、堰を切ったように今日の学校での出来事を話してきた。
暴力的なんだけど頼れる先輩の事、授業中に携帯を弄っていたら私だけでなく先生にも怒られたという事、隣のクラスの子は可愛いけど私程じゃないらしい事(その子に謝れ)…
私はそれを聞きながら、繋いだ右手に温もりが戻ってきているのを感じていた。
(待っててくれて…頼ってくれて、ありがと)
言葉や行動では何の慰めもできない私だけど、せめて涼太自身も気づかない彼の不安を、人知れず溶かしてあげられますようにと願いながら、私は隣を歩く可愛い恋人に寄り添って、寒い通学路を歩くのだった。
冬の待ち人
(今夜は一緒に鍋やろっか)
(やるやる、やるっす!)
(何鍋?)
(トマト!)
(………可愛いなほんと)
(え?)
(なんでもない)
どっちが彼女だか解りゃしねーなw
って中学時代は青峰あたりに言われてれば良い。
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