純粋理性に翻弄される
※卒業までキセキがなんやかんや仲良しだった世界線
一目惚れだった。
綺麗な瞳に吸い込まれたと、本気で思った。
そんなに目立つ訳ではないのに、知的で爽やかで洗練された雰囲気を強く感じる人――――
同じクラスのみょうじなまえという女性に、僕は恋をしていた。
席が隣な訳でもなし、日直を一緒にした事もない。そんな彼女にどうしてこうまで惚れ込んでしまったのかと訊かれれば……もう、雷が落ちたからとしか答えようがない。とにかくただのクラスメイト、では処理しきれない感情は日増しに募るばかりだったのだ。
そして、こんな時に思うのはいつも同じ事。
……彼女に話し掛けられたら良いのに。
この影の薄さ。絶対に彼女は自分に気づいていないだろう。もしかしたらクラス名簿などで名前くらいは把握しているかもしれないが、それにしても顔と名前は確実に一致していない。
話し掛けたいなら話し掛けてしまえば、と思うかもしれないが、事はそう簡単ではない。積極的に相手の事情も省みずアタックできる人なんていうのは、後先の事を考えるより今の恋愛に直進できる情熱家か ただの自信家だ。
残念ながら僕は情熱家でもなければ自信家でもなかった。彼女を好きという気持ちだけなら確かに熱情ともいえる火が胸に灯っているが、そもそも恋愛というものは自分1人でするものじゃない。
下手に近づいて、逆に彼女に嫌われてしまったら…という不安を煽る臆病な自分が内在している限り最初の一歩なんて踏み出せやしないのだ。
「みょうじ、この間のレポートの件で話があるんだが」
「あぁ、あの数学のやつだよね、了解」
悶々と一人語りをする僕をよそに、赤司君が彼女を呼んだ。
自分にも、赤司君のようなカリスマ性があったら良かったのにと思う。頭も良いし、堂々としている彼はよく彼女と会話を交わしていた。赤司君が「彼女は面白い考え方をする女性だね」と言って彼女を評価していた事も覚えている。
「ふむ…その定理だったら緑間がこの間同じ事を言っていたな」
「そうなんだ、じゃあ緑間を召還…ってちょうど良いところに。緑間やー!」
「召還とか聞こえたが…お前は俺をなんだと思っているんだ」
そこへ自然に入っていく緑間君。彼女に名前を呼ばれるだけでなくあんな風に冗談も言い合える仲だなんて、羨ましいと言わずして何と言おう。
「おいテツ、また溜息ついてんぞ」
「しかも目線は完全にみょうじさんでキープ」
図らずも溜息を吐いていたらしい。僕の前に座る青峰君と黄瀬君が揃って身を乗り出してきた。
「……2人は完全に後者ですよね」
「…は?」
「何がっすか?」
「その有り余る自信を融資してほしいです」
「……褒めてんのか、それ?」
どう考えても皮肉でしかないだろうに。
しかし無言の肯定を理解できない2人は目を見合わせた後に、再び僕の視線の先へと話題を戻した。
「つーかよ、ずっと見てないで いい加減話し掛けちまえよ」
「そうっすよ! 黒子っち良い人だし頭良いしイケメンだしいけるっしょ!!」
「………青峰君はともかく黄瀬君は黙ってください」
「えぇっ!?」
焦れったいのは解る。特にこの2人はバスケ以外でもとにかく攻めたがる典型的な肉食系だし、いつまでも足踏みをする僕をとっくに見兼ねてしまっているのだ。
でも、僕はそんなに大胆にはなれない。
存在すらろくに認識してもらえない奴がいきなりしゃしゃり出たところで変な顔をされるのがオチだ。
仮に彼女が僕を知っていたとしても、今度は話し掛ける題材がない。だって何の話をする? 本か? それこそいきなり過ぎる。授業のプリントでも貸してもらうか? いやそれくらいなら男友達に借りるのが普通だろう。
メアドを突然聞いても良いが、直接話し掛けた時以上に変に思われるのは目に見えているのだ。
「いやでも冗談抜きで、そこまで臆病になる必要はないと思うんすけどねぇ……。だっていきなり告るのとは違うじゃないっすか。今時メアドを訊いたり話し掛けたりするくらいで変な勘違いする人もなかなかいないっすよ」
黄瀬君の言う事はもっともだ。
「でも……」
続かない否定を、口癖のように呟く。黄瀬君も困ったように首を傾げてしまった。
「ったく、よく話した事もない女をそこまで好きになれるよな」
「……好きに、なってしまったんです」
そう。好きになってしまったから。
どんな人なのかもよく解らない。ただ、自分以外の人に向ける笑顔が綺麗だった。自分以外の人に掛ける声が綺麗だった。自分以外の人に触れる指が綺麗だった。
彼女の雰囲気が、純粋に好きだった。
「青峰っちだって会った事もないくせに堀北マイが好きじゃないっすか」
「会った事ならある」
「え、うっそ!! いつ! なんで!」
「いや、なんか夏祭りの時に偶然…」
…そういうのと一緒にされたくないんですけど。
勝手に盛り上がりだした自信家2人を視界から排除し、再び彼女を見つめる。
――でも、いくら話し掛ける内容を探したってもう無駄だ。いくら彼女との接点を探したってもう使えやしない。
楽しそうな笑い声を遠くで聞く事に、すっかり慣れてしまった。
もしかしたら、もう諦めろと神様に言われているのかもしれない。彼女は自分にとって、遠くから見ているだけの存在以上にはなれないと…。
「黒ちん、良いの? 話し掛けなくて」
不意に視界を遮られ、僕と彼女の間に紫原君が立った。巨体を無理に折り曲げて、座る僕の目線に合わせてきた彼の表情は、珍しく心配そうなもの。多分それは、今日が"今日"だから。
それを見ていたら、なんだかいつまでも中途半端な場所にいる自分が今までで一番嫌になった。
話し掛けられないくせに、視線だけはいつも向けている。気づく訳がないのに、気づいてくれるんじゃないかと期待している。
こんなに弱い自分を認められない狡い自分。なんて小さい男なのだろう。
でも。
「……良いです、もう」
「けどもう……」
「だからですよ」
我ながらぎこちない笑顔だ、と思った。
要は疲れてしまったのだ。
ただただ知られずに焦がれる事も、自己嫌悪に顔をうずめる事も。
「…そんな顔するくらいなら、俺だったら話し掛けちゃうけどな」
「………みんなそう言いますよね」
「黒ちんだって試合中よく言うじゃん。やってみないうちから諦めるのは嫌だって」
「……本当にそうです」
だから僕は自分が嫌なんだ。貼り付けた笑顔のままで、時間だけが過ぎていくのをわざと見逃す。
教室の端で赤司君と緑間君と話す彼女の笑顔は、
最後まで
本当に綺麗だった。
「まったく、卒業式までこんな小難しい話題を振られるとはな」
「洛山の先生から直々に渡された入学日専用の宿題なんだって。流石赤司だよね」
「最後にお前達の意見が聞けて良かったよ。2人とも、高校でもしっかりな」
「言われるまでもないのだよ」
「じゃ、私この後友達と卒業パーティーしてくるから!! じゃあね、卒業おめでとう!」
「ああ、おめでとう」
「元気でな」
さようなら、
遂にまっすぐ向き合えなかった
素敵な人。
純粋理性に翻弄される
(おい、みょうじ!)
(なに青峰、私急いでるんだけど。あ、卒業おめでとう)
(おー…じゃなくて、ちょっとお前と話したがってる奴がいんだけどよ)
(ちょ…青峰君!?)
(改まってなんだろ。どなた?)
(こいつこいつ)
(あの…もう本当に良いんでそういうのやめて下さ――――)
(あれ、誰かと思えば黒子じゃん。思わず身構えちゃった。なになに?)
(……えっ、僕を知ってるんですか?)
(知ってるも何も…クラスメイトだし)
(でも、話した事ないのに…)
(関係ないよ、そんなの! …ていうか、話ってまさかそれなの?)
(あ、いえ、あの、その………めっ、メアドとか…教えてもらえないですか…って…)
(ん? あぁ、もちろん良いよ!)
(うわ言ったー、黒子っちいきなり言っちゃったー!! 急・展・開っ!!)
(峰ちんもたまには良い事するね〜)
(そりゃ黒子っちの光っすからね! いくら諦めたふりしても諦めきれなかったっての、青峰っちは解ってたんすよ!)
(なんで黄瀬ちんがそんな偉そうにしてんの)
(そんな事よりどうしよう、卒業式であんな急展開起こされたら、この後見守れないじゃないっすか…)
(黄瀬ちんってめんどくさい)
(なんで俺!?)
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