朝のうちに渡せよ
これは決してあいつの為なんかじゃない。
確かに今朝"練習が終わったら言いたい事があるねん"とは言われてたけど、全然それが気になるからとかじゃない。
ただこれはたまたま帰り道に体育館を通るだけなのであって、全然全然、今朝の意味深な言葉なんて気にしてないから!
早足で廊下を歩きながら、あたしは体育館へと向かっていた。
理由は先述の通り、朝にあいつから放課後に体育館へ来いと言われたからだ。
あ、違う、だから通り道に体育館があるだけで……あぁもう、嫌になっちゃう!!!
あたしとあいつは、中学の時からの知り合いだった。
もう今年で高3になるあたし達は、幸か不幸か6年間同じクラスになり続けている。更に何の因果か中1の時に同じ委員会に入って以来、なんとなくずっと一緒にそれを続けてきてもいた。
そして極めつけは顔良し、頭良し、運動神経良し、それ全てを台無しにするくらい性格悪し、
そんなあいつにあたしは、この6年の中でどうしようもなく惚れ込んでしまっていたのだ。
そうだよ、あたし、あいつの事が好きだよ。
だから嫌なんじゃん!
好きな人に言いたい事があるから、なんてもったいぶった事言われたらどうしても期待しちゃうんじゃん?
でも理性的に考えたらすぐ解るんだよ。
あいつはあたしに恋愛感情なんて持ってない。
なんか結構一緒にいる率の高い奴くらいにしか認識してない。
だから期待して行ってでもみな、絶対"今朝お前の落としたハンカチ拾ったんやけどな、"とか言われるのがオチなんだ(朝のうちに渡せよ)。
解ってる、解ってるけど……!
あたしの足はどうしても急いじゃうのだった。
*
ツッコむ準備を万全にして、あたしは体育館の扉をそっと開いた。
「おー…………ぃ…え、」
しかしそこで見たのは、つい呼び掛ける声も途中で終息するような光景。
練習はもう終わっていたらしく、バスケ部の連中はみんないなかった。ただひとり、あいつを除いて。
そして当のあいつはと言うと――――…
「どうして? こんなに好きなのに…」
絶賛、女の子と密会中だった。
嘘でしょ?
これ…多分あたし、凄くいちゃいけない場面だよね?
早く行かなきゃ、ちょっと時間を置いてからまた何食わぬ顔でここに来よう…その判断が、頭ではすぐにできたのに、体は動いてくれなかった。
そうこうしている間にも謎の美少女はあいつに涙声で迫り、2人の距離がどんどん縮まっていく。
待って待って待って待って、この展開って、え、近すぎない? あのまさか、えっと、キ――――――
「あ、みょうじさんこんにちは!」
「んきゃあああああ!!!!」
動揺しまくりながら現状把握を試みるあたしの背中に、突如鈴を転がしたような声が響いた。驚きのあまり変な叫び声を上げてしまう。
「も、桃井さん……」
「ご…ごめんなさい、驚かせちゃったみたいで…」
口元を押さえながら振り返るあたしに、桃井は申し訳なさそうに頭を下げる。きっとあたしの叫び声の方が驚かせちゃっただろうに、良い子だなぁ。
って、感心してる場合じゃなかった!!!
逃げる事もできず、出て行く事もできなかったあたしは今、完全に中を盗み見ていた姿勢になってしまっている。そんな状況でこんな素っ頓狂な声を上げてしまったら―――――
「お、おいなまえ……?」
あぁ、やっぱりね…
桃井の方を向いていたので、体育館側の様子は見えない。でも、解った。
謎の美少女をとりあえず残して走ってきたあいつが今、あたしのすぐ背後で珍しく戸惑ったような表情をしている事が……
「……いま、よし」
「…お前、いつからおった?」
「いない、あたしいない!」
「はぁ?」
訳が解らないと言いたげな口調に限界を感じ、あたしはばっと振り返った。
今吉の、見慣れた筈の、でも酷く遠く見える顔。彼の胸元に人差し指をつきつけて、気がつけば何も考えずに怒鳴っていた。
「い……言いたい事ってリア充なりましたーだったのね、おめでとう! てゆーかあんた可愛い彼女何泣かしてくれてる訳、サトリとか言われてんならその能力最大限解放して幸せにしてあげなさいよ!! どーせあたしなんて、あたしなんて女子力ゾーキンなんだからさーっ!!! ざまあみろ!!」
言いたい放題叫んで逃げ出す。照れとか期待とかを乗せて歩いた廊下はおかしいな、つい数分前の事なのに…
期待しちゃダメだとは思ってた。今吉があたしを女として見てない事も解ってた。
でも、心のどこかで願ってた。
恋人にはなれなくても、今吉の隣にずっといられるって。女子力雑巾でも、バスケ≫≫≫≫≫あたしでも、変わらずに今吉は、笑ってくれるんだって。
バッカみたい。今吉だって好きな人ができたらその子を一番大事にするに決まってるし、こんな名前のつけがたい関係なんかを大切にしてくれる訳がないのに。
「ったく、そんな子なら泣かせんなよなー…」
代わりにあたしがいくらでも泣いてやるんだからさ。
闇雲に走り、空いた適当な教室に飛び込む。夕暮れの日差しがやけにロマンチックで、心の中の悲しい想いが一気に溢れ出した。
窓辺に立ったまま、静かに流れ出した涙を乱暴に拭う。目尻が痛かったけど、心の方が痛い。こんな液体でこの痛みが消えてくれるんなら、もうどうなったって良いと思ってた。
だから、
「……あんまり乱暴すんなや」
そう言って手首を誰かに捕まれても
「放っておいてよ! ゾーキンに構ってる暇があったら見回りの教師に見つかって説教されちゃえ!」
相手が誰なのか考える余裕もないままに言葉を叩きつける事しかできなくて
「……アホか、ほんま」
気づいた時にはもう
「――――え、」
あたしは今吉の腕の中にいた。
………これはどういうことでしょう。
「今吉…………?」
「…見てたんやな」
後悔するような、呟き。それを聞いて、戸惑いに押さえつけられていたちくちくが再び胸を刺し出した。
「…見てたよ。可愛い子が今吉に迫ってんの。……なんで言ってくれなかったの?」
「………あのなぁ、」
「別にあたし、今吉が彼女作ってもからかわないよ? それより変な気遣われる方があれだし、あれ。なんかあれ。なに?」
言葉がつっかえてうまく出せない。今吉ならこんな時、もっともらしい事をすらすらと並べ立ててすぐすり抜けるのに。
ていうかあんた、彼女置いてこっち追い掛けてちゃダメでしょうが。
そんな事を考えて、せめて涙だけは引っ込めなきゃと思っている間、今吉は何故かずっと黙ったままでいた。
「……なんか言えよ」
それから腕を離せ。こんな時にまで上がる心音を聞かれたら、それこそ死にたい。
「………とりあえず、ワシの話が終わるまで一切口出ししないって約束し」
「は? 話も何も――――」
「や く そ く」
耳元で低く威圧的に囁かれ、全身がぞくりと震える。
結局拒絶する事は叶わず、よく解らないままにあたしが小さく頷くと今吉はやっと解放してくれた。
なんでも良いけどこれ今更馴れ初めとか話し出したらどうしよう。引っ込めた涙がまた出そうだ。
「……ま、とりあえずお前、相当嘘が下手やな」
色々考えながら身構えていると、今吉が最初に言ったのはそんな軽口だった。
ていうか嘘って…
「嘘って別にあたしは」
「やーくーそーく」
「………どーぞ」
反論しようとした瞬間睨まれる。蛇を前にした蛙のような気分で続きを促した。
「あの女子な、ワシの何でもないで」
次いで出てきた言葉に、やっぱりあの子は今吉の何でもないんだぁ……って…
………何でもない!!!!!!?
「今朝ワシは自分に体育館まで来いって言うたやろ、実はその後ワシもあの子に呼び出されてん。まぁ内容は見た通り告白やったし、ちゃんとお断りしたで」
じ…実にあっけらかんと言ってくれるが翔一くんよ、
なんだって!?
「じゃ、じゃああれは…」
「可哀想やけど一方的にぐいぐい来られた、としか言えへんな」
「な……なんだ…」
へたりと膝から力が抜け、あたしは座り込んでしまった。
「やから可愛い彼女は泣かしてへんつもりやってんけど…結局、泣かしてしもたな」
そして今吉はそう言うとしゃがみ込み、あたしのまぶたをなぞった。くすぐったさにきゅっと両目を瞑る。
正直、安心した…。束の間かもしれないけど、また今まで通りの片思いができるんだ。
ただそれにしてはなんとなく引っ掛かるんだけど…なんだろう。
「今からでも能力最大限解放して幸せにしてやりたいんやけど、間に合うか?」
え、だからそれってどういう………
「………え?」
「……ほんま察しの悪いやつやな…。ま、こうなったら言わん訳にもいかんからええけど」
察し、というか1つの予想はできていた。あまりにも超展開過ぎて、脳が噛み砕いてくれないだけなのだ。
しかしあたしのそんな動揺は解り切ってるとでも言うように、今吉はさらりと"言いたい事"とやらを口にした。
「なまえの事、好きやねん。ゾーキンでもなんでも、とにかく好きや」
泣かしてないつもりだったのに、泣かしてしまった。
今からでも幸せにしたい。
そして、好きやねん………て………
あ…………
「ありえない………」
「は?」
「ありえない! 今吉があたしみたいな短絡的雑巾を好きって言うなんて、地球が逆回転するくらいありえない!」
「ほんなら今地球は逆回転してんのとちゃう?」
「するかバカ!!」
バカバカバカ、と何度も言いながら、何故かあたしの涙は再び溢れ出した。霞む視界の先で今吉が、あぁ…こんなに優しい顔をしているのは初めて見た―――。
「嫌いな奴の6年間も隣におれる訳ないやろ。いつ言おうかずっと悩んでたんやで、これでも」
「あ……あたし、でも、だって…」
「まぁ信じてへんのは解ってた。けどお前もワシの事好きやろ? やから何も問題はないねん。時間掛けて解らせたるから」
笑いながらまぶたをなぞっていた手を頭に乗せる。ぽんぽんと撫でるその掌は嫌になるくらい暖かくて、もうあたしの思考回路は正常に働いてくれていなかった。
「ば……バレてたんだ…あたしの気持ち」
「当たり前やん」
ずっと願ってた。今吉の隣にいたいって。
恋人じゃなくて良いから、ずっと好きでいたいって。
それが、こんな…
こんな、落として上げる!! みたいなタイミングで叶ってしまうなんて…
「キセキ過ぎて吐きそう…ていうか夢オチフラグぅ…」
「おいおい、ゾーキンが自ら床汚してどないすんねん。あと夢やないぞ」
「ゾーキン言うな……うぅ…」
「えー…ほんまに吐くんか…」
涙やらなんやらでぐちゃぐちゃになったあたしに、吐かせないとでも言うつもりだろうか、今吉はそっと唇を寄せてくる。
さっき体育館で見ちゃったみたいな綺麗な光景とは似ても似つかない涙+キスのシチュエーションだけど、あたしにはこんなんでも充分だ。
っていうか本気で涙が止まらないんですがどうしてくれよう。
今吉の顔すらもうちゃんと見えなくなってしまったあたしは、きっとこれは6年間我慢し続けてきた分が一気に流れ出ちゃってるんだ、そう自分に言い訳をして、
今吉の胸に思いっ切りしがみついて長いこと泣いてやったのだった。
朝のうちに渡せよ
(ねぇ、どうせあたしの気持ちに気づいてたんなら、もっと早く言って欲しかったんだけど)
(んー? 実はほんまはもうちょい焦らしたろって思てたんやで。でもあんな場面見られてしもたら……まぁ、要らん誤解させっぱなしにだけはしたくないやん? せやから今日言ったのに免じて、もう贅沢言わんといて欲しいくらいなんやけど)
(いや何その論理飛躍。…ん? ちょっと待って、今日言うつもりがなかったんなら、今朝のあれは何? 言いたい事があるって)
(あぁそれな、これや)
(……ハンカチ? ってそれ、あたしがこの間なくしちゃったやつ!)
(今朝たまたま拾ったんよ。すぐ渡しても良かってんけど、折角やし、もったいつけて呼び出して、"告白されんのかな、そうやけどそない期待したらあかんよな"って悶々としてるなまえの顔を拝んだろーって思てな)
(………朝のうちに渡せよ)
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