08
「暑いなー……」
朝は暑くて目が覚めた。冬物の毛布を乱暴にはねのけ、いい加減素早く着られるようになった制服に着替え、リビングに降りる。
ちょうどテレビでは天気予報をやっていて、東京の温度が昨日に比べて一気に7度も上がっているとの表示があった。化粧の濃いお天気お姉さんが「突然の夏日です。明日にはまた昨日と同じくらいの温度に戻る予報なので、体調管理に気をつけてください」と、締め括る。
「だぁー…ったく、体調管理の前に気温をちゃんと管理しろよ…割るぞ」
既に朝ご飯を食べ終えていたお兄ちゃんも、母なる大地にキレながらダルそうにしていた。
*
「秀徳っていつ夏服に変わるの?」
「6月の下旬」
「ふーん、来週じゃん」
「今年は梅雨入りと同時らしい」
「うっわそうなんだ。新しい傘買っとかなきゃ」
「壊したのか? 確か買ったばっかだったろ」
「いやほら私、こないだ喧嘩した時に折っちゃったじゃん。……お兄ちゃんのを」
「俺のかよ!!! あれ折られた後どこ探してもねぇと思ったら、あの時に…」
「うん、ごめん。思ったより悲惨だったから処分しました」
「………殺すぞ」
運良くそこで学校に着いたお陰で、私自身の殺処分は免れた。もしあの傘にお兄ちゃんの初恋の思い出が潜んでたらどうしようとか思いながら、今日も今日とて誰もいない教室に一番乗り。
ところが鞄の中から勉強道具を出した瞬間、重大な問題にぶち当たってしまった。
肝心の筆箱を忘れている事に気がついたのだ。
え、えー…1日どうしよう。
でも今なら時間的に、緑間が一旦教室に来る頃だ。やつは毎朝、練習前にこの教室へ立ち寄り、通学鞄をロッカー(鍵つき)に置いてから部室へ行くのが習慣になっている(どうせ部室にだってロッカーはあるんだからそっちへ行けば、って言ったら、ロッカーはごちゃごちゃしていて他人の物と自分の物が混同しやすいから好かないって言い返された)。
…うん、緑間に借りよう。
ナイスアイデアを思いついた時、ちょうど教室の扉が開いて緑間が入ってきた。私の方をチラリとだけ見て、すぐに教室後方のロッカーへ向かう。
「おはよう緑間、ちょっと頼みがあるんだけ―――」
「断る」
「早っ」
なんの頼みかも解ってないくせにーっ!!
「それより宮地」
歯軋りしている私なんて完全無視。緑間は鞄から何かをごそごそ取り出して差し出してきた。
「これを」
「………哺乳瓶?」
緑間が持って見せたのは何の変哲もない哺乳瓶だった。
…私が欲しいのはシャーペンなのに……。
「……あの、いきなりなんで哺乳瓶? 私、子供いないよ」
「おは朝を見ていないのか」
「おは朝? …見てたけど」
「だったら解るだろう。感謝しろ」
「いや感謝しろって…」
……ん、ちょっと待てよ。
"おは朝"と"訳の解らないグッズ"と"緑間"。この3つのワードには心当たりがある。
実際に見た事は数回しかないけど、高尾曰わく緑間はいつも持ち歩いているものがあって、それが―――…
「おは朝占いのラッキーアイテム?」
だそうだ。
緑間は至極当然と言った顔で頷いた。
「天秤座は今日最下位だ」
「…それ、私の星座なんだけど」
「だからこうして補正アイテムを持って来てやったんだろう、バカめ」
そりゃあ解らないのも仕方ない。私、天気予報しか見ないで出てきちゃったもん。
「とにかく持っていろ。運気が上がる」
ひとり納得する私に、再び哺乳瓶を突きつける緑間。有無をいわせない雰囲気に、つい受け取ってしまう。綺麗なそれは、まさか新品だろうか。
「なんで私の星座知ってんの?」
「…………なんでもだ」
頭の悪い濁し方をして、緑間は教室を出て行ってしまった。
「……なんじゃそら」
*
「あ、おーい宮地ー」
HR直前、緑間と一緒に朝練から戻ってきた高尾がうちのクラスに立ち寄った。その手に私の…今日忘れた筈の筆箱が握られているのを見て、思わず音を立てて立ち上がってしまう。
「そっ…それ私の! どしたの!?」
「なんか宮地さんの鞄に間違って入ってたらしいぜ。宮地に渡すように頼まれた」
返された筆箱には、「気をつけろ」って付箋がついていた。紛れもない、お兄ちゃんの筆跡。
思いがけずラッキーだった。(緑間の次に登校してきた)委員長から借りたシャーペンを本人に返し、高尾にもお礼を言っておく。
「わざわざありがと」
「筆箱なしで1日はキツいよなー、運が良かったじゃん」
運が良かった……。
そこで私は、今朝の出来事を思い出した。舞い込んだラッキーも、あれが元凶だと言われれば納得してしまうかもしれない。
「うん…哺乳瓶のお陰、かな」
「は? 哺乳瓶?」
不思議そうな顔をする高尾に、緑間から哺乳瓶を渡された事を話す。面白そうに聞いていた高尾は、緑間が私の星座を知っている理由を「なんでもだ」で片付けた辺りで遂に吹き出した。
「ぶは、何それ笑える。俺知ってるよ、真ちゃんが宮地の星座知ってる理由」
「え、なんでなんで」
「宮地さんだよ」
「……お兄ちゃん?」
突然出てきたお兄ちゃんの名前。意味が解らずに先を促すと――――
「真ちゃんがさ、どんだけ占いの結果が悪くてもアイテムで完璧に補正できんのは知ってるだろ? …まぁ効かなかった日もあったけど」
「話では嫌って程聞いてきたよ」
「うん、俺達バスケ部は何度もその効果を見せつけられてる訳でさ、真ちゃんのアイテムにはそれなりの信頼を寄せてんのよ。でな、こないだ俺、見ちゃったんだ」
「何を?」
「いっつもラッキーアイテムには渋い顔してる筈の宮地さんが真ちゃん呼び出して、"気づいた時だけで良いから、聖花の運勢が悪い時はなんかアイテム貸してやってくれ"って言ってんの」
あぁー、それで私の星座も一緒に教えたと………って、何その話!!
「気づいた時だけで良い、って保険もかかってるし、真ちゃんにはそれを無視するだけの余地があんのにさ、律儀だよな。まぁそれで宮地にラッキーがやってきたなら、真ちゃんも貢献しただけの価値はあったって事だ」
そんな事話してたなんて聞いてない。緑間のあの調子じゃ、お兄ちゃんは口止めしていたんだろうか。
それにしても…
「いろんな意味で効果抜群でした……」
今回は不意打ち過ぎた。優しさが不意打ち過ぎた。
高尾と別れた私は脱力しきって机に突っ伏し、にやけそうになる口元を隠した。
「緑間ー、早速運気上がったよ。ありがとね」
「そうか」
「もー…お兄ちゃん大好き」
「……またそれか」
帰り、お兄ちゃん好みの傘を買ってってあげよ。
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