07
うちが、試合に負けた。
インターハイ、予選リーグ決勝戦だった。
相手は、新設校だった。
*
なんとなく、ピリピリしたものは感じていたんだ。試合前、いつもならラッキーアイテムを弄って、爪ばっかり気にして、お兄ちゃんや大坪さんにどやされている緑間が、この時ばかりは違っていたから。しきりに相手チームのベンチばかりを見ている。
―――そういえば、少し前に高尾から聞いたっけ。相手チームには帝光時代のチームメイトがいて、緑間とその彼とは元々馬が合わなかったんだとか(月バスのキセキ特集はちゃんと読んだし、たまに試合すら見に行っていたのに、私はその黒子君という人に全く心当たりがなかった)。しかもその元チームメイトの相棒…火神君とやらが、それ以上に緑間と合わないタイプらしい。
「だっからさー、真ちゃんってば思っくそ気にしてるくせに強がってツンツンしちゃってよ。面白……話しかけづらいったらありゃしねぇ」
「高尾、本音漏れてる」
…成程ね。確かにあれは近づきたくないオーラ纏ってる感じだわ。
まぁでも、緑間が調子を落とす事なんて滅多にないし、今回も大丈夫だろう。
………と、思っていたら。
「…え」
負けた。
どうして? 何があった?
誠凛は確かに強い。地区トーナメントの規模でいえば確実にあそこはダークホースといえる。
でも、あんなに差をつけていたのに。逆転不可能とは言わないけど、普通ならあのまま秀徳が勝っていた。
それなのに、負けたのは。
普通じゃない、何かがあったから。
「…………あの11番…」
そう、誠凛には圧倒的イレギュラーといえる選手がいた。10番も緑間と互角に渡り合うトンデモルーキーだったけど、それ以上に私の目にはあの11番が脅威として映った。
緑間の元チームメイト…やたら影が薄くて弱そうなのに、どうしてそこまで固執してるんだろうと思ったら………。
この試合に勝ったら、お兄ちゃんにタックルしに行く予定だった。それで高尾とハイタッチして、緑間の肩もべしんと叩くつもりだった。
まだ決勝リーグなんだから喜んでる場面じゃないって言われるかもしれないけど、でも勝ちは勝ちでしょ、って笑ってやる筈だった。
のに。
選手でもマネージャーでもない私には、彼らと喜びは共有しても悔しさは共有できない。部外者のかける言葉なんて、敗者にとっては刃物にしかならないのだ。
敗者なんて言い方、それこそ無神経だって思う?
でもね、秀徳だって一応王者を名乗ってるんだ。負けが許されないと言われるくらいには、強さを誇ってるんだ。
だから、安い慰めのような言葉は彼らには決して使えない。負ける事実にも価値はもちろんあるけど、彼らへの敗者という呼称はなんら変わりない。
控え室へ引っ込んだ秀徳のメンバーを見送ってから、私も立ち上がった。体育館なんてもう見向きもせずに、外へ出る。
あぁーあ、雨まで降っちゃってさ。
今日は帰って大人しく寝よう。お金はあるし、夕飯を外で食べて行っても良いな。
……もし出くわしても、お兄ちゃんとは目を合わせるだけで良い。言葉や気遣いの態度なんか、余計なだけだ。
「………ん?」
買ったばかりの傘を広げた所で、遠目に見慣れた緑の長身人間が見えた。雨に濡れるのもおかまいなしに、屋根のない壁に寄りかかって放心している。
緑間……人一倍プライドも高いし、何より中学時代は無敗を誇ってきたキセキの一員だったんだ。多分、他の人達より今日の敗戦に強く憤っているんだろう。
話し掛けたくなかったので、傘を少しだけ前に倒してわざと遠回りする道を選んだ。緑間の前を通らずに済むように。
「……宮地」
―――と思ったのに、こういう所で空気の読めない緑間はわざわざ声を掛けてきた。あのね、なんの為にあんたに背を向けて見つからないようにしてたと思ってんの。
「……や、そこにいたんだ」
……なんていうのは、言わない。
「来ていたのか」
「まぁね。秀徳の試合はコンプリートしてるし」
「………」
「…秀徳のバスケ、好きだからさ」
「………」
緑間は何も言わなかった。かといって中の控え室に戻る気配もないので、私はぴしゃぴしゃと彼の隣まで歩いて行く。
見上げた先の長い睫毛に水滴がいっぱい。眼鏡も絞ったら水が滴りそう。いや、その前に割れるか。
「お疲れ様」
「………あぁ」
―――誠凛は強かった。うちに勝てるだけの努力を、惜しまずに一生懸命してきたに違いない。
だから今回試合に負けたのは、それがそうなる運命だったからなんだ。
…緑間のポリシーに従えばそんな言葉が出るけど、きっと今はそれも残酷になるだけなんだろう。
なんだかんだ言って、こういう時の私って冷静だよなぁ。…部外者丸出しで一番ムカつく。
ちょっと自分に対して怒りのようなものが わいてきたけど(普段あれだけ無表情な緑間がこんな顔してるから、余計実感しちゃうんだ)、それこそ今はそんなものを表に出すべきじゃない。私は冷静に頭を回している自分を、ひとまず正当化してやる事にした。
そして、
「ねぇ緑間、私はもうまっすぐ帰るけど…」
良かったら一緒に駅まで帰る?
チームメイトの元へ戻らないのは、もしかして"戻れない"からなのだろうか。そう思って声を掛けるとその瞬間、
ピリリピリリ……
緑間のポケットから小さな着信音が響いてきた。
「……電話?」
「………すまない」
「良いよ、出て」
緑間が通話ボタンを押すと、間髪入れずに女の人のテンション高い声がキンキンと空気を震わせた。
『あーミドリンひっさしぶりー! どーだった試合ー!? 勝ったー!? 負けたー!? あのねーこっちは』
………え、女の人っ!!?
容赦なく電話を切る緑間だけど、逆にそれができる仲って事は…
「……か、彼女さん?」
「違う」
おぉ、否定はやっ。
ピリリピリリ……
「って……また?」
「なんなのだ、いい加減に…」
再び着信音。緑間はうんざりした顔で携帯を耳に当てた。文句を言い掛けていた口が、向こう側の声を受信した瞬間止まる。今度は何も聞こえてこなかった。さっきの女の人のテンションが低くなったのだろうか。
「……青峰か」
へぇ、青峰さんっていうの。
…………アオミネサン?
え、青峰ってあの青峰? キセキの? いやでもさっきは女の人の声だったし…。別人? いやいや、緑間の反応的に同じ番号っぽかったし、青峰なんて名字そうそういないし、……そんじゃまさか、青峰君てばあんなガタイであんな高い声だったとか?
混乱する私をよそに、緑間は青峰君(仮)とどんどん会話を進めていく。黒子がどうだとか、そんなワードが聞こえてきたから、多分今の試合の話をしてるんだろう。ならやっぱり、電話の向こうはあの青峰君かな。
二言三言交わし、緑間は溜息をついて電話を切った。
「今の……青峰って…」
「あぁ、キセキの世代の1人だ。そういえば4月にお前は……」
「じゃ、じゃあ最初の女の人は?」
「…………桃井だ。青峰の幼なじみで、帝光中にいた頃 バスケ部のマネージャーをやっていた」
「あぁ、桃井さんか…」
すっかり失念していた(ゴメン桃井さん)。美人マネとしてキセキと一緒に取材されてたの、月バスで見たわ。…どーりで。
「…それで、さっき何か言い掛けていなかったか」
「あ……うん、だからね、」
「おーい、真ちゃーん。宮地も一緒かー」
っ、なんというタイミングの悪さ!! 今度は高尾か!
…まぁでも、この人が来てくれれば私が駅まで付き添う必要もないよね。オーケーオーケー。
「…いや、なんでもないわ。やっほー高尾っ」
高尾もいつもよりは暗い雰囲気だったけど、流石ムードメーカーと言うべきか……少しだけ、確実に、この場が和んだような気がした。
「やっぱ来てたのか、宮地」
「うん。……お疲れ様」
「サンキュ。つか悪いな、話の途中で割り込んじまったか?」
「ああいや、良いの。この子を連れて帰ってあげて」
緑間の肩をぽんと押す。緑間には心外だって顔をされたけど、高尾は優しい笑顔を浮かべた。
「もう先輩達、解散したぜ。明日は10時に集合して一度ミーティングだってよ」
「……そうか」
「もうこの際さ、飯でも食って帰らねえ? どーよ、宮地も一緒に」
「……ううん、私は良いや。お金…持ってないし」
「…そっか。じゃまた明日な。そういや宮地さんがまた真ちゃんの逃走でキレてたから、よろしく」
「えー、とばっちりじゃん緑間ァー」
「そもそも俺は逃走してないのだよ」
喧嘩しながらどこかご飯の食べられる所へ向かう2人。
強いなぁ…王者は。
冷静で部外者で、嫌になるくらい負けを負けとして実感している私の頬を、雨じゃない温かな水滴が伝った。
*
「ただいま」
結局、夕飯を食べずに帰ってきてしまった。高尾の誘いを断った時点で、もう食欲自体が失せたのだ。
家の中は暗かった。父さんはまだ仕事、母さんも朝からこの間 病気にかかってしまったおばあちゃんの様子を見に行っている。お兄ちゃんならいる筈だけど、さっきも決めた通り今日話し掛けるつもりはない。
まっすぐ自分の部屋へ入り、お風呂にだけは入ろうと着替えを取った。
するとなんという事か、脱衣所に向かう途中、その脱衣所から出てきたお兄ちゃんと鉢合わせてしまった。
「遅い」
「…ごめん」
「ったく…夕飯とっくに冷めただろうが。試合後の選手に冷えて固まった飯を食わすな」
お風呂から上がったばかりなのか、お兄ちゃんは上半身裸。湯冷めしちゃうよ、と頭では思いつつ、つい私はその場で固まってしまった。
「……ご飯…食べてないの?」
だって、とっくに帰ってた筈なのに。
「……悪いかよ」
「…………わ、悪くない」
なんかもう…これじゃいよいよ私の立場がないじゃん。
冷静なんじゃなかったの?
部外者には関係ないんじゃなかったの?
ただ黙って、お疲れ様って気持ちで頷いて……それだけじゃなかったの?
情けない。
とりあえず無理にでも笑顔を作ろうと試みる私。でもそれより早く、お兄ちゃんがこっちに一歩寄り、私の事を強く抱きしめた。
石鹸の匂いがする。
あぁ……そうだね、もう試合は終わったもんね。
「………ありがとな、聖花」
「………」
「いつも、そうやって……」
「………」
やめてよ、こういう時だけお礼言ってくんの。
また泣きそうになったけど、選手の前でだけは泣いちゃいけない。どれだけ自責する事で免罪符を作っても、そこだけは譲っちゃいけない。
私は黙って自分の着替えを握ったまま、お兄ちゃんに抱きしめられていた。
「………お疲れ様」
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