05



夜、授業で出された課題の為に教科書をめくっていると、ドアがコンコンとノックされる音が聞こえた。投げやりに返事をすると、そっと内開きのドアを開けてお兄ちゃんがゆっくり顔を覗かせる。

「どしたの?」

なんだかいつもより顔が険しい。何か怒られるのだろうか、とこっそり臨戦態勢を取りながら、相変わらず部屋には入ろうとしないお兄ちゃんの言葉を待つ。

「…今日さ、お前」
「うん」
「なんかした?」
「うん? なんかって?」
「俺のクラスの女子に」
「…………」

お兄ちゃんがドアノブを掴んだまま部屋に入っていなかったのを良い事に、私は返事をしないでスッと立ち上がり、勢い良くドアを閉めた。

「!! っおい、聖花!!」

急いでしまっていなかったストーブをドアの前に置き、自分も渾身の力を込めてドアが開かないよう押す。

やばいやばいやばいやばいやばい、昼休みに女の人を脅迫じみたやり方で追い払ったの、バレたんだ!!!!

やばいよーどうしよう、中学時代に同じ事があった時、限度を超えてキレるなって怒られた挙句にお兄ちゃん、相手の女の人に殴り込みに行っちゃったんだよ(棚上げも甚だしい! ちなみに殴り込みってのは言葉のあやで、実際暴力ではなく私以上に威圧しただけなんだけどね…って呑気に言ってる場合じゃない!!)。

2年の差のお陰で、お兄ちゃんが卒業した後はそういう露骨な八つ当たりはなくなっていた。だからすっかり油断していて、今日の昼についプチッといっちゃったんだ。あああ、まったく私の考えなし!

「聖花、それは肯定と捉えるぞ」
「……なに、あの女の人達が何か言ってたの?」
「俺の方見ながらヒソヒソ話してたんだよ。それで妹がどうのって聞こえたから」
「聞こえたから……リンチした?」
「バカお前、リンチは複数が1人を潰すんだよ。数的には寧ろ逆だろ」
「いやそこじゃなくて!!」

お兄ちゃんは決して暴力は振るわない。だからあの女の人達の心配はいらない。
でも、お兄ちゃんは自分の所為で私が暴れる事を物凄く嫌う。私の事も怒るけど、その後で自分の事もむちゃくちゃに責める。

怒られるくらいなら良い。ただ私は、お兄ちゃんに自分を責めないでほしかった。

「今日が初めてか?」
「…初めてです」
「何か実害は?」
「…全くありません」
「お前は何をしたんだ?」
「……………」
「オイ」
「………暴力は、振るってません」

ギギギ、と軋む音がして、扉を押し返す力が急に強くなった。
私の腕力はともかく、ストーブなんてそんな簡単にどかせるものじゃない。
だというのに、お兄ちゃんは少しずつ少しずつ、扉を開けてくるのだ。

「え、うそっ、やだ運動部! ちょっと入って来ないでセクハラ!!」
「もう諦めろこのバカ」

あゝ無情。

お兄ちゃんはあっさりストーブをどかし、私もどかして、部屋の中に入ってきてしまった。それから私の頭から爪先までを眺め(多分怪我がないか確認してる)、それからベッドの端に腰掛ける。

こうなったらもう仕方ない。私は低い天井を仰ぎ、どうにかして和解する道を探そうと椅子に座り直した。

「手は出してないんだな」
「……や、ちょっと…」
「はぁ!? だってお前さっき、暴力は……」
「暴力じゃない! 暴力じゃないけど……こう、肩をね、きゅって……」
「………」
「逃がしたくなかったし……」
「……あのなぁ…」

お兄ちゃんの目が怖い。轢くか刺すか落とすかで迷ってる目だ。

「今日は俺が悪かった。軽そうな調子で来られてイライラしてたから、こっちも考えずに答えてたんだ」

あー…あれだ、"宮地君くらいの人となら付き合ってもイーヨー"みたいなタイプだったんだ、多分。

「…でも、出来ればそういう呼び出しには応じんな、マジで」
「………」
「返事」

だってさ、なんかそういうの嫌なんだもん。
自分が好きな人に振られたのを他人の所為にしてさ。……まぁ実際、私の所為らしいけど。
でも、お兄ちゃんだって好きな人がいた事なかった訳じゃない。私の所為で恋愛できないなんて、そんな事はない。
今回は本当に、単純に、何も考えず私を引き合いに出しちゃったんだろう。

それだって、普通の人なら振られても自力で立ち直る。漫画や小説の中で、誰かを呼び出してまで自分が振られた事を責めるのは、いつだって性格の悪いお馬鹿さんだった。

だから私はそういう人には屈しないと決めた。呼び出されても負けない。私が怒られるくらいならちょっと文句言うだけで我慢するけど、今回みたいにお兄ちゃんまで悪く言われたら容赦しない。

「聖花」
「…む、無理っす兄さん」
「は?」
「だってああいうタイプってしつこいんだもん! 私誰かに守ってもらうようなタイプじゃないし、助けなんてもん待つくらいなら自力で反撃する!」

お兄ちゃんが私を威圧的に睨みつけるから、私も負けじと睨み返した。

「……はぁ」

すると、暫く続いたにらめっこの末に、お兄ちゃんは深い溜息をついた。諦めたように髪をかきあげ(ここで「やんセクシー」とか言ったら絶対 はたかれるんだろうな)、今度はひどく心配したような顔で私を見る。

「俺が、気をつけるから」

あ、しまった。墓穴掘った。

「俺の問題で、お前を傷つけさせたりはしない。約束する」
「いやあのね……ううん…私こそごめんなさい」

譲る気はなかったけど、お兄ちゃんに謝ってほしい訳でもなかった。

「別に傷つかないよ、私。女同士だから滅多に暴力沙汰にもならないし…」
「そういう問題じゃ、」
「これからは絶対手を出さないから」
「聖花」
「お兄ちゃんの問題って言うけど、私が呼び出された時点でそこからは私の問題になるんだから…放っておいて」

何度も遮ろうとするお兄ちゃんを逆に遮りながら、結局最後まで言い切った。どう言えばお兄ちゃんはスッキリしてくれるだろう。
っていうかね、あの女の人達がいつまでも私の話なんかしなきゃこんな事には……いやいや、そもそも私が肩を掴んだりしなきゃこんな後ろめたくはならなかったんだ。責任転嫁良くない。

「悪かったよ。お前の名前出して」
「良いよ。気にしてない。大事にされるの嬉しい」

お兄ちゃんはもう1つ溜息をついて「バカ」とだけ言うと、部屋を出て行った。

教科書をまた手に取る気力なんか失せた私は、ベッドに移動して仰向けに勢い良く寝転がる。
そして、これからの対策を練らねばなぁ、と、授業課題の為に使っていた勉強脳をお兄ちゃん脳へとシフトチェンジするのであった。



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