02
「なんでお前までこの時間なんだよ」
「だってお兄ちゃん朝練じゃん」
「だからなんでだって訊いてんだろ」
朝から激を飛ばし合う私達の間に、母さんが2つの皿を運んできた。
「喧嘩も良いけど、朝ご飯はしっかり食べて行くのよ」
もきゅもきゅとサラダを咀嚼しながら、私は寝ろ寝ろとうるさいお兄ちゃんの言葉を全てシャットアウトするに徹する。
解ってはいるんだ、それが新しい環境に投げ込まれたばかりの頃に、無理な早朝登校を繰り返して体調を崩したりしないように…と思ってくれている兄心故の言葉なのは。
でも私はお兄ちゃんと一緒に学校行きたい訳だし、こう見えて体は丈夫だという自負もある。
「どんだけ早くても、私はお兄ちゃんと登校したいです」
「…お前ってマジ病的だな」
「彼氏ができたらお兄ちゃんなんてすぐ見捨ててあげるんだから、少しくらい甘えさせてよ」
「ははは、彼氏とかできるもんなら作ってみろ。……そいつ殺す」
(素直じゃない)お兄ちゃんはその後結局折れ、私の支度をイライラしながら待っていてくれたのだった。
優しい。
「っていうか、まだ仮入部期間なのに朝練やるなんて凄いね」
「ま、自主練だけど」
「そんな事だと思った。木村さんと一緒?」
「よく解ったな」
桜はその色をだんだん青へと変えていっている。
入学式から1週間が過ぎた。今ちょうど仮入部期間の真っ最中である秀徳では、毎日勧誘の嵐、嵐、嵐。スポーツ推薦で入学した生徒に限ってはもう全員それぞれの部に入部したらしいけど、私みたいなのはまだまだ迷っている段階だった。
そういえば、と、バスケ部の入部事情をふと思い起こす。
「うちのクラスにキセキの世代の人がいるんだけど、バスケ部には来てる?」
そう。なんという偶然か、私は"あの"キセキの世代の1人――緑間真太郎君と同じ学校…どころか同じクラスになってしまったのだ。
キセキの世代―――中学バスケ界の王者。それは中学バスケを知る者なら必ず耳にした事のある名前。もちろん私もバスケットプレーヤーの妹として一通りの中学、高校バスケについて知識を培ってきたので、キセキの名もよく知っていた。秀徳だって歴戦の王者、もしかしたら誰か来るかなあってわくわくしてたら…やっぱり来たよ。
緑間君といえば、高弾道3Pシュートを得意とする元帝光中バスケ部SG。更に幸か不幸か緑間君は私の前の席なので("みどりま"と"みやじ"だからね)、物理的にはこの1週間、結構近くで過ごしていたりして。
そもそも私は彼らを知ってるといっても、それはテレビや雑誌の中での話。つまり"よく知っている"というのはあくまで"有名人として"の感覚なのだ。
そんないわゆる向こう側の人が目の前に現れてみてよ。そりゃそわそわするって。
そういった訳で私はだいぶにこにこしながらその話を持ち出したんだけど、反してお兄ちゃんの表情は苦々しげだった。
「俺いつかあいつの事轢くかも」
「………例え犯罪者になってもお兄ちゃんはずっと私のお兄ちゃんだよ」
まぁ…確かに、言われてみれば変な人かもしれない。
ただの事務的な会話や勉強の話題ならまとも、どころかかなり優秀なのが解るんだけど、んー…そうだね、お兄ちゃんとは相容れないタイプかもね。
「聖花、さっきの彼氏云々の話だけど」
「? うん」
「お前に彼氏なんか絶対できねぇけど、もしまかり間違ってできたとしても緑間だけはやめろよ。冗談抜きで」
「いや、無理だし」
私なんかじゃあんなキラキラした人には釣り合わないからね、言っとくけど。
学校へ入って体育館へ向かうお兄ちゃんと別れ、ひとり教室へ入る。静かで薄暗く、いつも見ている教室のそれとは少し違う顔に、思いがけず溜息が漏れる。
うーん、勉強はかどりそー。
―――私はこれといって突出した才能に恵まれなかった。多分勉強も運動も人並みだと思うけど、だからこそ何をするにも苦労する。
努力は辛い事だからあまり好きじゃない。でもその先に何か自分だけの武器が見つかったら格好良いから(お兄ちゃんのバスケなんかが良い例だ)、私は今日もとりあえず教科書を開くのだ。
目下私の意見としては、知識こそが最強の武器、である。
それに加えて今日からはお兄ちゃんとも学校に来れて、教室を支配もできちゃうなんて、やっぱり早起きは三文の得なんだろうな。
にまにましながら(ひとりだから誰にも憚らない)シャーペンを手にした瞬間、教室の扉ががらりと開いた。急いで真顔を作った。
「………宮地」
真顔に戻して良かった。
……教室の入口にいたのは、今し方考えを巡らせていた緑間君その人。
「緑間君…」
それにしてもよく私の名前を覚えてたなぁ。何か話し掛けるべきだろうかと迷っている間に、緑間君は鞄を机に置いて、私の開いている教科書を一瞥した。
「早いな」
「緑間君だってそうじゃん。朝練?」
「まぁ…そんなものなのだよ」
「キセキの世代ともなると人一倍ストイックそうだもんね」
なんとなく言った言葉だったけど、予想以上に緑間君は驚いていた。動作を止めて不思議そうに私の顔を覗き込む。
「…知っているのか?」
「……は?」
ごめん、は? とか言っちゃった。
「……自分達が有名なのは…一応解ってる、よね?」
そう尋ね返すと、緑間君は躊躇なく頷いた。
「だが、それはバスケ界の中での話だろう。バスケと関係のない人間にまで知られていると豪語する程自惚れてはいない」
あ、なーるほど。
「私自身は確かにバスケやんないけど、んー…好きで中学バスケと高校バスケの事を色々調べてたの。だからキセキくらいは知ってるよ。…てかむしろ、よく私がバスケと関係ないって解ったね」
「運動をする奴の筋肉がない」
「……………セクハラだ」
ぼそりと呟いたのに緑間君には聞こえたらしく、心外だという表情で睨まれてしまった。ロッカーの中からバッシュケースを取り出し、憮然とした表情で教室を出て行く。
……今の、緑間君と交わした最初の会話だったなぁなんて思い当たったのは、2時間目の途中のことだった。ごめんセクハラとか言って……いや、私は悪くないよね、でも。たぶん。
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