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本日、3月9日。
秀徳学園では、卒業式が執り行われる。
 
「ふえええん卒業しないでよおおおおう」
「ふにゃふにゃした声上げんな潰すぞ」
「なんでお兄ちゃん卒業するのよおおお私まだ1年しか一緒に通ってないよおおおうえええん」
「3年生だからに決まってんだろ、むしろ卒業できない方が困るわ!」
「聖花ごめんねー、母さんがあと2年早く産んであげられたら同じ学年だったのにねー」
「母さんはまずお兄ちゃんを産んでくれてありがとう」
 
今日も朝から宮地家は賑やか。お兄ちゃんの卒業を祝うより先に惜しみすぎている私に、容赦ない攻撃が食らわされる。
 
「4月から私一人!? 一人で登校すんの!? ヤダーお兄ちゃん一緒に秀徳行こうよ〜〜〜〜〜」
「ざけんな大学は反対側だ」
「私の為に回り道しようよ〜〜〜ふえ〜〜〜ん」
「………」
「お、なに、検討の余地あり!? っしゃあ!」
「目に見えて元気になってんじゃねーよ、呆れて返す言葉がねえだけだ!!!」
 
ばしんと頭を叩かれる。私の細胞がたくさん死んだ。
 
「うう…じゃあせめて大学でもバスケ続けてね…」
「言われなくともそのつもりだ。既にその話は出てる」
「えっ、入学前に大学からのオファー!?」
「そういうんじゃねーけど、……まあ、楽しみにしてろ」
 
事情はよくわかんなかったけど、お兄ちゃんがこれからもバスケを続けるというならまあ許してやろう。
 
朝食を終える頃には、お兄ちゃんは支度を終えて私を待ちながら目に見えてイライラしていた。まぁ起きた時からずっとイライラしてるけど。なんなら多分、母さんの胎内にいた頃からお兄ちゃんはイライラしていたに違いない。
 
「…今日卒業生は登校早いんだけど」
「え、まじかごめん急ぐわ」
 
謝りつつも、この1年で一緒に登校するのがすっかり当たり前になっていたことに、嬉しさと…そしてやっぱり、少しの寂しさを感じた。
もちろんあれだけぎゃんぎゃん騒いだのは冗談。お兄ちゃんが行きたい大学に受かったことも、相変わらずの良い成績で卒業を迎えたことも、私は絶対誰より喜んでる自信がある。
 
でも、これは3年前…中学を卒業するお兄ちゃんを見送った時と同じ感覚。
やっとお兄ちゃんに追いついた、ずっと憧れてた同じ制服を着て、同じ学校で勉強できる、って浮かれてた矢先にお兄ちゃんはささっとまた遠くへ行ってしまうのが、どうしても寂しかった。
 
下の子は上の子を追いかけ続ける生き物だって誰かが言ってたような気がするけど、私も例に漏れずそう。ずーっと追いかけて追いかけて、背中が見えても一瞬でまた見失う。
 
要はこれは、私のわがまま。
同じ"秀徳"という道の上にいたお兄ちゃんが、そのレーンから外れて一段上のレーンを歩いて行く…それを、なすすべなく見ていることしかできないのが、寂しくて、悔しいだけ。
 
早く私も────私も、お兄ちゃんと同じところへ行きたいのに。
 
「もう学校行ってもお兄ちゃんがいないなんて寂しいな〜〜〜」
「家に帰ったらいつでもいんだろ」
「ふえ〜〜んお兄ちゃんが何もわかってないよ〜〜〜う」
「だからそのふにゃふにゃした嘘泣きやめろっての」
 
あと支度急げ、と再び怒られて、やっと私は制服のリボンに手をかけた。
こうやって急かされるのも、今日が最後なんだ。
 
 

 
 
「いや他人なら惜しむのもわかるけど、家族の卒業って実質なんも変わんなくね?」
「お前もかカズーナリ…」
「何それブルータス?」
 
何もわかってない奴第2段、高尾一成。在校生は自由参加の卒業式に来てるだけ偉いけど、私は君こそもう少し先輩の卒業を惜しんでいると思ったよ!!!
 
「って言ってもな〜、惜しむのは12月の引退式で済ませてるっつーか、どうせ先輩達ほとんど関東圏の大学じゃん」
「あー、そうか引退式があったんだっけね」
 
実質部活の後輩としては、卒業式よりそっちの方が"先輩がいなくなる"ことを実感するイベントなんだろう。けろりとした様子の高尾を睨みつつ、それ以上の文句を言うのはやめた。
 
「宮地さんこそ今日なんか気合い入ってたりした?」
「ううん、いつも通り怒ってた。私の脳細胞は順調に死滅していってる」
「だからそんなもんなんだって」
 
ま、卒業式なんて実際高尾の言う通りそんなもんだ。うちのクラスだっていつも通り、卒業を意識してる人なんて………あれ?
 
「委員長?」
 
おかしい人、一人だけいました。
明らかに挙動不審な様子できょろきょろそわそわとしているのは、委員長。今日も可愛い。

「委員長おはよう、どうしたのそわそわして」

高尾と緑間から離れ、委員長の席まで出張する。委員長は私が声を掛けるなりびくーんと背筋を伸ばし、震える声で返事をしてくれた。
 
「お、おは、よう! だだだ、大丈夫、だよ…!」
「…大丈夫には見えないんだけど」
「きょ、今日卒業式だと思ったら、その…緊張しちゃって……」
 
緊張の意味はよくわかんなかったけど、卒業式のせいでどうしてもいつも通りにしていられない…そんな気持ちなら、心当たりはある。
お兄ちゃんファンとして名高い委員長の、まさに緊張しきった顔を見ながら、私の心は同志を得た喜びに少しだけその寂しさを紛らわしていく。
 
「お兄ちゃんが卒業するの寂しいよね、わかるわかる。委員長好き」
「あ、ありがとう…?」

委員長は突然の告白に戸惑いつつも、私の発言を深く考える余裕すらないようだった。

「委員長は第二ボタンとか貰わなくていーの?」
 
と、そこに軽快な声が割り込んでくる。
振り返ると、面白そうな顔をしながら私達の友情劇を見ている八ツ橋君と目が合った。文化祭以降、彼はそれ以前と全く同じ距離感で、良い友人として私と付き合ってくれている。
 
「だだだだだだだいにぼたん!?」
 
委員長は八ツ橋君の言葉を聞くなりひっくり返ってしまった。でも私はその案がとても素敵なものに思え、「それ良いね!」と八ツ橋君に乗っかる。
好きな人の第二ボタン、それは"卒業"というワードからは切っても切り離せない、青春の思い出。いつの世も浪漫を感じさせずにはいられない素敵な贈り物なのだ。あーあ、私も好きな人がいたらなぁ。
 
「うん。姉さんが言ってたけど、宮地先輩のボタン、既に結構予約入ってるらしいよ」
「あーそうだよね、やっぱりお兄ちゃんはモテ………ってなんだって!!!!?」

第二ボタンの浪漫について感じ入っていたら、八ツ橋君てばとんでもない爆弾を投下してきた。

何が好きな人がいたらなぁ、だ! 何がやっぱりお兄ちゃんはモテるなぁ、だ!
第二ボタンの予約!? 予約って何!? うちのお兄ちゃんのボタンって完全受注生産の限定記念品なの!?

「あ、うん…そこで誰よりも先に聖花が叫ぶのがもう…らしいよね」
 
八ツ橋君のお姉さんは、お兄ちゃんと同じクラスに所属している。まぁだから、八ツ橋君のお姉さんがお兄ちゃんのボタン状況を把握してるのはおかしくない、どころか信憑性のある情報ですらあるんだけど……

いやはや知らなんだ…いやお兄ちゃんがモテるのはもうよく知ってるけど…そんなことになっていたとは…。
完全に出遅れた。ぬかっていた。ここはもうこのお兄ちゃん愛も家族愛的な…こう敬愛的な…そういうのにカウントして私もボタンの予約を入れるべきなのだろうか…? いやでもボタン…はさすがにガチ恋勢に対して失礼だから、もう少しこう…誰にも迷惑かけないような部品…学ランの部品ってなんだ…?
 
「ホックか…? 私もホックとか予約すべきだったか…?」
「妹がボタンねだるのも前代未聞だけど…なんでホック?」
「首に近いから」
「狩る気だこの子…!」
 
私は私で真剣に悩んでいたけど、委員長はそれ以上に真剣な面持ちで黙り込んでいた。とりあえず後でホックを予約する方向で落ち着いた私はそれに気づき、委員長の眼前で手を振ってみる。委員長、気づかない。

もしやこれは…マジでやる気なのでは…? いや別に私がマジじゃないってわけじゃないんだけど……。
 
やがて、委員長は覚悟を決めたようにすっと背筋を伸ばした。あまりにも真面目な表情に、関係のない私もついつられて姿勢を正す。
 
「聖花ちゃん」
「はっ、はい」 
「卒業式が終わった後、宮地先輩の教室に行くの…ついてきてくれませんか!」
 
……思わず、八ツ橋君と顔を見合わせてしまった。
多分、八ツ橋君も最初は冗談のつもりだったんだろう。委員長が真剣にお兄ちゃんファンをやっているのはみんな知ってるけど、それと同時に、その気持ちを恥ずかしさのあまり全然伝えられず、いつも委員長が陰からもだもだしているだけなのもみんなが知っている。こんな風に行動を起こすと自分から宣言するのなんて、初めてのことだった。

最初の驚きを通り越すと、だんだん嬉しさが心の中にこみあげてくる。
大事な友達が振り絞った勇気に、関わらせてもらえるのだ。嬉しくないなんてこと、ある?

…うん、それに3年生の教室には、私もちょっとした用があるし。余計に断る理由が見当たらないや。
 
「……もちろんですとも!」
 
委員長と同じくらい力をこめてそう答えると、委員長は花のような笑顔を浮かべた。
 
 

 
 
「─────秀徳学園卒業式を開式いたします。開式の言葉──────」
 
大講堂いっぱいに生徒を擁し、秀徳学園の卒業式が厳かに始まった。間延びした司会が滞りなく式を進めていく。先生の話とか、校歌とか、そういうお決まりの進行の後に──────
 
「卒業証書、授与」
 
卒業証書の授与が始まった。
人数が多いから証書が一人一人に手渡されるわけじゃないけど、点呼だけは全員行われる…そう聞いていた私は、そわそわしながらお兄ちゃんのクラス、そしてお兄ちゃんの名前が呼ばれるのを待つ。

クラス担任の先生が名簿を読み上げ、呼ばれた生徒は凛々しく返事をしてその場にさっと立つ。あの人達みんな、秀徳学園で3年間過ごした先輩達。いろんな思い出を作って、一生懸命勉強…した人はして、泣いたり笑ったり、そうやって大人になって…これから新しい世界へ飛び立っていく人達。
 
たった2年しか変わらないのに、とても大きく見える背中だった。私は2年後、あんなに大きい背中を後輩に見せられるだろうか。あんなに堂々と、声を発して立っていられるだろうか─────
 
「宮地清志」
「はい」
 
お兄ちゃんの名前が呼ばれた。お兄ちゃんはいつも通り─────少しだけ、堅い声で返事をする。やっぱり両隣の人と比べるとだいぶ背が高い。目立って見えるお兄ちゃんの背中は、物心ついた時からずっと目標にしてきた、一番大きな背中。
 
隣の緑間がちらりとこっちを見たのが伝わってきた。多分私が感極まって泣き出さないかって心配してる(ちなみに彼が心配してるのは私の心じゃなくて頭である)。
泣きはしない、泣きはしないけど──────ちょっと、胸が熱くなってしまった。
 
式自体はとても退屈。どれもこれも儀礼的だし、毎年やってるから今年もやりました感が見え見え。
だけど、点呼の時だけはちょっと危なかった気がする。物語の登場人物に感情移入してそのバックグラウンドを勝手に想像する時みたいな気持ち。あの人達にはいろんな人生があったんだろうなとか考えると複雑な気持ちになる。

「………よしっ」
 
でも、あんまり感傷に浸ってはいられない。私は小さく自分に声をかけ、気持ちを切り替える。
なぜならば、私にはこの後重要な任務が残っているのだから。
 
「い・い・ん・ちょ〜!」
 
今日は元々自由登校なので、特にHRのようなものもなかった。卒業式後は名目的な引率をしてくれた担任の先生が「じゃ、気をつけて帰るように」とだけ言って、流れ解散。私はばっと委員長の元へ駆け寄り、お兄ちゃんのクラスへ行こうと手足をばたばたさせてみせる。
 
「なんか今日はクラスの人とパーティーするんだって。だからその前に会いに行こ!」
「あの…でもそれなら、迷惑になるのでは…」
「もー、さっきの勇気はどこ行ったの! 学校出る前なら全然問題ないんだから、頑張ろう!」
 
ファンといえど好きな人にボタンを貰いに行くなんて、相当な決心だったに違いない。多少無理を通してでも、私は委員長の望みを叶える覚悟だ。
 
「………頑張る」
 
委員長は少し迷った末に、立ち上がった。「うまくいくよ、頑張れ!」と送り出してくれた八ツ橋君にも背中を押されるように、3年の教室がある階へ移動する。
 
お兄ちゃんのクラスが見えてくるにつれ、委員長の歩みが遅くなる。ああまで大きな声で宣言した以上帰ることはできないけど、逆にあれで勇気を使い果たしたとばかりにその表情が沈んでいく。最後の方は半ば私が委員長の背中を物理的に押しながら向かう羽目になった。
しかし教室の前まで来たところでいい加減腹を括ったらしい、口の中で何度も「今日が最後だから…今日が最後だから……」と呟きながら、失った勇気を取り戻していくのが見えた。
 
「さて……自分で呼ぶ? 私が呼び出そうか?」
「じっ、自分で…頑張る……!」
 
委員長…成長したなぁ……。最初は応援してますの一言すら言えないって泣いてたのに(泣いてはいないな)。
 
「あれー、聖花ちゃんと委員長ちゃんじゃん。久しぶり」
 
意気込む委員長と見守る私の後ろから声をかけてくれたのは、八ツ橋君のお姉さん。会うのは文化祭でジュリエットの格好をしたお兄ちゃんの元へ突撃した時ぶりだったけど、あの時と同じように気さくに笑いかけてくれた。
お手洗いから戻ってきたところらしい彼女は、ロミオの服装に身を包んでいなくても、男装用のメイクをしていなくても、十分すぎるほどのイケメン美人だった。ちなみに委員長が委員長呼びなのは、私が委員長委員長言うのを気に入ったから、らしい。
 
「わぁ八ツ橋さん! ご無沙汰しています、ご卒業おめでとうございます!」
「ありがと〜、2人はまた宮地君に会いに来たの?」
「ふふふ、委員長頑張ってます」
「お、なるほど。茶々は入れない方が良さそうだ」
 
委員長がお兄ちゃんファンだということを知っている八ツ橋さんは、すぐさま察して一歩引いた。茶々は入れないと言いつつ、教室に入るでもなく微笑ましそうに見守っている様は友人の恋路を見守る高校生そのもの。私も委員長の背中からはがれ、八ツ橋さんの隣に待機することにした。

八ツ橋さんに対して挨拶もままならないほど緊張している委員長。ぷるぷると震え、私と八ツ橋さんを交互に見つめ、それから泣きそうな顔を一瞬だけして――――
 
「あっ…あの……」
 
委員長、行った! 教室の中に声かけた!
 
「み、宮地先輩………い、います…か…」
 
委員長、言った! 最後の方ほとんど声掠れてたけど、お兄ちゃんを呼び出した!
 
「きゃー」と同じく掠れた声で言うのは八ツ橋さん。私と彼女は廊下の柱に隠れるようにして事の顛末を見守っている。
 
「宮地ー、女の子来てるー」
「後輩ちゃんー?」
 
お兄ちゃんのクラスの人達が優しいのは文化祭の時から知ってた。今回も誰も笑ったり茶化したりすることなく(多分みんな内容は察してる)、お兄ちゃんを呼んでくれているみたいだ。
 
少しの間があって、お兄ちゃんが廊下に顔を出した。委員長を見て「あぁ…聖花のクラスの…」と彼女の名を口にする。それから目敏く私と八ツ橋さんの存在に気づいて、小さな溜息をついていた。
 
「…八ツ橋さん、これ私達、会話聞いちゃって良いんでしょうか」
「なんか純粋な乙女心に土足で踏み入ってる感あるよね…ちょっと外す?」
 
そう言って、私たちはその場をそろりそろりと離れた。校舎と別の校舎を繋ぐ渡り廊下の前にある、少し広いスペース。ソファや水槽などが置いてあるそこは、ちょっとした談話スペースのようになっている。
 
私達はソファに腰を下ろし、委員長の帰りを待つことにした。
 
「いやー、あの子本当に頑張ったね。先輩のボタン貰いに行くなんてなかなかできないよ」
「私もそう思います。…でもお兄ちゃん、ボタンの予約がたくさん入ってるって八ツ橋君が……」
「そうそう。同級生が2人と、あと2年生の後輩が1人。すごいよね、今日びボタンなんて1つ売れれば十分だってのに…ていうか本来そうあるべきなんだけど…宮地君、そんなもの昨日までに軽〜く凌駕してた。さすがに1年生は委員長ちゃんしか見てないけど、あの様子じゃ私達クラスメイトも知らないところで別の予約が入ってるかも」
「ひえー、我が兄ながら…」
「誇らしい?」
「はいっ!」
 
元気良く返事をした私に対して、八ツ橋さんは面白そうに笑っていた。笑った顔、八ツ橋君とよく似てる。
 
「────文化祭以降ね、弟がよく話しかけてくるようになったんだ」
「八ツ橋君が、ですか?」
「そう。なんか妙だなー、って思ってたんだけど、どうやら君の影響だったみたいで。ずっと姉さんに憧れるあまり反発していたけど、聖花を見てたら素直な方が良いなって思った…とかそんな感じのことを、こないだ打ち明けてくれたんだ」
 
誰にでも屈託ない笑顔で接する八ツ橋君が誰かに反発してる姿は思い浮かべられなかった。でも、その話をする八ツ橋さんはとても嬉しそう。きっとその話は本当で、八ツ橋さんは八ツ橋君のことがずっと大事で、だから悩んでいたりしたのかもしれない。
 
「別に反発されたからってどうってわけじゃなかったけど、やっぱり1人しかいない弟だし、仲良くできるのは嬉しいなって思って。だから機会があればお礼を言いたかったんだ。ありがとう、聖花ちゃん」
 
私なんて、度を超したブラコンってだけなんだけどな。そんな何の役にも立たない自己満足の感情が、誰かの幸せに少しでも貢献できたなら、私もとっても幸せだ。
 
「……お役に立てたなら、嬉しいです」
「弟はきっと今も、君を人として尊敬してると思う。そういう意味では、前と何も変わらないほどに好きだと思う。……これからも、どうぞよろしくね」
 
全く関係ないのに、私はその時、八ツ橋さんとお兄ちゃんを重ねて見ていた。下の子を思う優しい心。八ツ橋さんの私への気遣いと八ツ橋君への愛情が、とても心地良い。
 
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
 
心からそう答える。その時ちょうど折良く、廊下の向こうから委員長が戻ってくる姿が見えた。
 
「聖花ちゃんんんんんん!」
 
珍しく興奮しているみたいだ。
 
「ぼ、ボタン貰えた!!!! 貰えたよ!!!!」
「わぁ、おめでとう!」
「良かったね、どこのボタン貰ったの?」
「左袖です!!」
 
ひ、左袖……。

つい、八ツ橋さんと目を見合わせてしまった。
…どうやら、八ツ橋さんの事前調査以外にもボタンの予約は入っていたらしい。
 
「私、これ一生の宝物にする…。これがあれば何でも頑張れる気がする………聖花ちゃん、ほんとにありがとう………。八ツ橋先輩も、ありがとうございます……」

ボタンって、二番目だから意味があるんじゃなかったっけ…と浮かんでしまった悲しい意見をさっと頭の中で打消す。きっと委員長にとっては第二ボタンの意味なんて関係なくて、ただ尊敬するお兄ちゃんとの形ある思い出ができたっていう事実が嬉しいんだろう。

「私は何もしてないよ。それは委員長ちゃんが頑張って手に入れたお宝」
「うんうん。私もすっごく嬉しいよ」
 
泣き出しそうなほどに喜んでる委員長の姿を見ていると、自然と私も笑顔になった。そんなに喜んでもらえて、きっとお兄ちゃんも内心嬉しかったことだろうな。
 
「あの、さっき緊張しすぎて全然言えなかったんですけど…八ツ橋先輩、ご卒業おめでとうございます!」
「うん、ありがとう。来年からは君達も先輩だね、楽しんで」
「ありがとうございます!」
 
じゃあね、と言って八ツ橋さんは来た時同様軽やかに去っていった。委員長も小さな金のボタンを大切そうに握りしめて、私の方に向き直った。
 
「ほんとに、ほんとにありがとうね聖花ちゃん! このお礼は絶対するよ……と、とりあえず戻ろうか?」

一瞬、3年生の教室の方を見やる。朝 委員長に付き添いを頼まれた時から迷ってはいたんだけど――――少し考えてから私は、まだここに残ることに決めた。

「あ、えーっと…先に帰ってて! 私も挨拶したい人がいるから!」
「わかった! じゃあ、また明日ね!」
 
委員長を先に帰して、向かった先はお兄ちゃんのクラス…の少し先の教室。
 
「あの…」
 
教室の扉から顔を覗かせると、一番近くにいた先輩が気づいてくれた。
 
「大坪さん、いますか」
 
私が呼んだのは大坪さん。最初に気づいてくれた先輩が教室の奥の方に声をかけてくれ、大坪さんも私の姿を見るなり笑顔で近づいてくれた。
 
「聖花ちゃん、久しぶり」
「ご無沙汰してます、ご卒業おめでとうございます」
「ありがとう。どうした、宮地関係の何かか?」
「いえ……」
 
3年生の教室に用があった理由。
私は、大坪さんに会いに来たのだ。
 
「……お礼を、言いたくて……大坪さんに」
「俺に?」
 
こくんと頷く。
思えば大坪さんには、とてもお世話になったと思うから。
 
入学前から、大坪さんは私のことを可愛がってくれていた。
中学2年生の時、ストバスに行くというお兄ちゃんについて行った先で話しかけてもらったのが、初対面だったっけ。頻繁に会っていたわけでも、何か特別なことをしてもらったわけでもなかったけど、会えば楽しくお話をしてくれて、"宮地の妹だから"と言いつつも"聖花"という名を一度で覚え尊重してくれた、そのことがとても嬉しかった。
 
「大坪さんにはたくさんたくさんお世話になりました。今年の夏は合宿にも連れて行っていただいて…少しでも手伝わせてもらえて、本当に嬉しかったです。ありがとうございました」
 
大坪さんは、私がお礼を言いにわざわざ教室を訪ねてくるなんて思ってもいなかったんだろう。私だって、付き合いが濃かったとはいえない相手に対してそんなことをしても良いのかな、って少し悩んだところはあったし。
 
「……聖花ちゃんも、成長したなぁ」
 
でも、大坪さんは驚きの表情をその顔から消した後、とても自然に微笑んでくれた。わしわしと大きな手で私の頭を撫で、嬉しそうにそう言ってくれる。
 
「宮地のこと、よろしくな。残りの高校生活も楽しんでくれ」
「はい」
 
この人がこんなにも安心感を抱かせるのは、やっぱり秀徳のような強豪校でキャプテンを務めていたから…なのかな? いや、それともこれがこの人の持って生まれた性格なのか……うーん、どっちもかな。
 
迷いつつも最後にお礼が言えて良かった、と想いながら、ぺこりとお辞儀をしてから教室に戻る。
 
…お兄ちゃんだけじゃない、大坪さんに、木村さんに、他の3年生の先輩……バスケ部以外でも、八ツ橋さん………思えば、たくさんの先輩にお世話になってきた。
 
「……………意外と、寂しいかも」
 
感情が溢れてきたので、呟いて発散してみる。
たったの1年だし、私は緑間や高尾のように部活の密な思い出があるわけでもない。それでも、思い出は辿れば辿るほどに蘇ってきて、後ろ髪を引いてくる。
 
夏合宿も文化祭も、楽しかったな。試合を見に行くのも毎回待ち遠しかったし、プライベートで会った時もすごく良くしてもらった。
 
「お、戻ってきた。飯食いに行こうぜー、その後ストバスー」
 
教室に戻ると、高尾と緑間が待っていてくれた。見慣れたその顔を見て、余計センチメンタルな気持ちが募る。
 
「…どうかしたか?」
「先輩達の卒業に今更ショック受けてる…」
「宮地さんだけじゃなくて?」
「じゃなくて……」
 
高尾も緑間も、笑ったりしなかった。少しだけ口角を上げて、「そうか」「聖花は良い奴だなー」って言うだけだった。
 
外では桜の蕾が膨らんできている。満開になった花の花弁が風に乗って大空を舞うのは、まだもう少し先の話だ────────。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「うわっ、ボタンない! これもはや学ランじゃない!」
「るせえな」
「ひえーモテ男こわーっ! あ、妹にはホックちょうだいね」
「良いけど首は狩らせねぇぞ」



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