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異変が疑惑に変わり、そして確信になったのは、あのテストの結果が出てから1ヶ月が経った頃だった。
松ちゃんの様子が、明らかにおかしいのだ。
いや…松ちゃんの様子がどうとかそういうのじゃなくて、私はどうやら、松ちゃんに嫌われてしまったらしいのだ。
まず、話しかけても無視。
朝下駄箱で「松ちゃんおはよー」と声をかけても「………」って無言で通り過ぎるとか、教室を出て行こうとした彼女を「松ちゃんごめん、昨日の課題のことなんだけど―――」と呼び止めても「………」って大きな音を立てて扉を閉められちゃうとか。最初は聞こえなかったのかな、なんて思ってたけど、移動教室の授業でたまたま席が隣になった時、先生が「じゃあこの問題は隣の人と答え合わせをして」って言ったにも関わらず一番端の窓際の席にいた松ちゃんが前の人と無理矢理答案用紙を交換したことで、遂にああ私と会話する気がないのか、と悟ってしまった。
ちなみに松ちゃん、その時は当然前の人に「聖花とじゃなくていーの?」って言われてたけど、「うん、宮地さんは別の人とやるから」なんて勝手に言っていた。
続いて、それでも関わりを避けられない時の機嫌が物凄く悪い。
これも簡単な例。またまた移動教室の関係で松ちゃんの後ろの席に座った時、前回の授業の小テストが返されたんだけど…先生が横着して、各列の先頭の人にしかテストを渡さなかったことがあった。だから私のテストは先頭の人から後ろへとどんどん回され、最終的に松ちゃんから手渡される、はずだった。
「………」
それを、なんと松ちゃんは前の人から受け取るなりこちらを見ることもせず、ぱっと後ろに手を振って落としてきやがった…っと言葉が悪い、落としてしまった。ひらひらと不安定に落ちていく私のテスト。紙ってまっすぐ落ちないじゃん、だから松ちゃんの手元から乱暴に離れたテストはよくわかんない軌道を描いて私の遥か後方へと着地した。わざわざ立ち上がって後ろの方まで取りに行った私の方を、松ちゃんは最後まで振り返って見たりはしなかった。
なんだろうね、このいじめってほど悪質じゃないけどこっちのHPを少しずつ削ってくるやり方。私のことが嫌いなら放っておいてほしい。いやある意味必要以上に放ってはおかれてるか。
「やー、今日も空気が冷え切ってたなー。大丈夫か、聖花?」
「実害があるわけじゃないし、2人もいるし、全然問題ないよ」
「この際本人に問いただしたらどうだ」
「それが出来たら苦労しないっての。なぁ」
救いなのは、私の味方だと宣言してくれたこの2人がいつも通り傍にいてくれること。不幸なことに、松ちゃんに端を発した何人かも同じように私に冷たく当たってきていたので、ちょっと教室での居心地が悪くなっていたのだ。
そりゃ、そうじゃない子もいるよ? 委員長とかさ、あとはまぁ男子も関係ないからいつも通りなんだけどさ、でもあの女子の変な団結感ってなんだろうね。同じ女子が言うのもなんだけど、敵側に立たされるとこれがめちゃくちゃめんどくさい。
「靴隠したのもその松芝さんって子なのかねー」
これ以上の心配をかけたくなかったので、私は2人に靴を隠された日から自分の置かれた状況について決して自分からは話さなかった。でもここにいるのは同じクラスの緑間と、察しの良い高尾。2人は色々と気を回し、ここ数日はせめてお昼時だけでも安心して手足を伸ばせるように、と空き教室を占拠しては私を連れ出してくれていた。
「さぁ、でもわかんないうちから疑うのも悪いし…高尾ももう気にしないで」
「まぁそういう風に言えるのは聖花の美徳だけどさ、いつまでもこのままってのも性に合わないんじゃねーの? 宮地さんは良いよね、っていう意味深すぎる言葉を吐かれたのもあるし、無関係じゃねーと思うんだよなぁ」
高尾の発言がもっともだということはわかる。普通に考えたら、宮地さんは良いよね、それに比べて私はさ…と、要は皮肉というか僻みというか、何かしら自分の境遇と私の境遇を比べての発言だったことになるわけで…そういう負の感情は、相手を攻撃する原動力になりうる。私も言葉では疑いたくないなんて言いつつ、内心一連の嫌がらせは全部松ちゃんによるものなんだろうとあたりをつけていた。
「割と宮地さんファン説濃厚だったりして」
「…あるいは、成績の不振とかな」
肩をすくめて言う高尾の隣で、緑間がぼそりと呟いた。突然予想外の仮説を持ち出されたことに少なからず驚いた私は、「成績の不振?」と緑間の言葉を繰り返す。
「松芝の成績だ。入学当初は学年1位も狙えるところにいたが、だんだんと落ち込み遂には上位者リストから消えていただろう。聞けば今回のテストの順位は下から数えた方が早かったらしい」
「え、なに、それでずっと10位以内にいる聖花に嫌がらせ? それってただの逆恨みじゃん」
でも、それはおかしい。
もし本当にそんな理由だとして、松ちゃんは前回のテストまでは同じ10位以内にいたんだ。今回だけリストにいなかったからって誰かを恨んだりする? それにずっと10位以内にいるのは私だけじゃない。言っちゃえば目の前の緑間だってそう。なのにその中から私だけが選ばれたってことは、やっぱり別の理由があるって考えるのが自然だ。
「落ち込んだって言ったって…それでも10位以内にはいたんだから十分優秀じゃん。それが今回だけ成績不振だったからって…それこそ、偶然の不幸だったって考える方が自然じゃない? 別に松ちゃんが勉強できないとかじゃなくて…」
「俺自身が見たわけじゃないが…実際松芝は、高校に入ってからかなり成績が落ち込んできていたらしい。それまでのテストは範囲も限定されていたから何とか凌いできたが、今回のテストはこれまでの範囲全てが出題の対象だっただろう、そのせいでボロが出たと聞いた」
「で、でも…少しずつ点が落ちてくとかならわかるけど、そんな急に順位も点数も落ちるもの…?」
「難しくなる学習内容、間違った努力、理解が追いつかないことへの焦り、そういった小さな要因が重なることで、ある日突然転落するということはよくあることなのだよ。勉強も…バスケでも、同じことだ」
やけにそれが説得力を持って聞こえたのは、かつて彼がそんな人達をたくさん見てきたからなのかもしれない。帝光という超実力主義社会の中では、まさに"一瞬での転落"を経験し、挫折から立ち直れなくなってしまった人がそれはそれは多くいたのだろう。
「じゃあなに、松芝さんは高校入学してどんどん勉強についてけなくなったけど、今までは死ぬ気でなんとか縋りついてた、でも今回の…要は文字通りの実力が問われるテストにおいてはそれが通用しなくて一気に落ち込んだ、それで自信もプライドもズタズタになった……それなのに聖花は優秀なままだからうぜー…って?」
「あくまで可能性の話だ」
先月のお兄ちゃんの話が蘇る。
─────高校って小中で成功してた奴が軒並み成績落ちてくとこでもあるからな。受験ほどじゃないにしろ…お前も気をつけろよ。
小中学校では成績優秀者だった人も、同じような優秀者の集まる場では凡人になる。その中でも優秀でい続ける為には、同じ努力をしてるだけでは足りない……。
「けどさ、それなら真ちゃんも恨まれる対象じゃん。なんで聖花だけ?」
「同じ女だったから…とかか?」
「そっちのクラスの委員長もいつも上位だったよな」
「………」
高尾の追及が続くと、最後には緑間も反論できないといった様子で黙り込んでしまった。私も最初は高尾と同じように考えていたけど…でも、緑間が示した可能性は今や完全には否定できないものに思えている。
もしそれが本当なのだとしたら…いよいよ、私はどうしたら良いのかわからない。
「…ていうか、松ちゃんの成績のこと…なんでそんなに知ってるの?」
「たまたまだ」
そんな余韻を残しながらお昼休みが終わって、私達はそれぞれ午後の授業に出る。私が教室に入った瞬間、入り口の近くにちょうどいた松ちゃんのわかりやすい舌打ちが耳に残った。
*
「お兄ちゃん受験お疲れ〜!!!」
帰宅するなりお兄ちゃんの部屋に突撃すると、さして驚く様子もなくベッドで漫画を読んでいたお兄ちゃんは「おー」と短く返事をした。
今日はお兄ちゃんの最後の受験日。第一志望の入試は先日受け終わってたみたいだけど、まだ結果が出ないから今日の入試にも行くって昨日言ってた。そしてそれが終われば、全ての入試が終わるのだとも。
「長い間頑張ったね! 遊びに行こ!」
「めんどくせぇしうるせぇ、どこ行きたいんだよ」
「遊園地」
「…それ俺とお前の2人で行って楽しいのか…?」
「流石に嘘です、お兄ちゃん」
比較的落ち着いていたとはいえ、やっぱりこの受験期はどこか家全体に神経質な空気が漂っていた。まだお兄ちゃんの進学先が決まってない以上それが完全に緩むとはまだ思えないけど、それでももうあとは天命を待つのみ。お兄ちゃんの雰囲気も少し柔らかくなっているように思えたし、私もそれにほっとしてるところはあった。
「こないだ駅ビルに新しいカフェできたじゃん、あの可愛いマスコットキャラクターのいる。あそこ行きたい」
「わーったよ、週末な」
「いえーい、お兄ちゃん愛してる」
ここのところ私もちょっと気が張ってたから、単にお兄ちゃんとの久しぶりのお出かけっていうのはもちろんあったけど…正直、息抜きできるっていうのがとても嬉しかった。
向こうから攻撃してきたところを迎撃するのなら負けない自信がある。でも悪意だけは明確で、でもその理由も対処法もわからない状態で自分から行動を起こすのは苦手。早いとこその辺探って当てをつけて、学年があがる前に松ちゃんとは決着をつけておきたいところだ。
「お前の方はまだ終わってねーのか?」
ひとり決意を固める私に、お兄ちゃんはそんなことを訊いてくる。
「終わる…って何が?」
「この間から、何かと戦ってる顔してる」
…ばれてるだろうとは思ってた。
それでも深く訊かれなかったのは、きっとお兄ちゃんはこの様子を見て、私なら負けないって信じてくれたから。
例えばもっと状況がひどかったら。私にはとても立ち向かえないようなことだったら。きっとお兄ちゃんは、何を捨てても助けてくれたと思う。でも今はその時じゃない、だから黙って見守る─────そんな安心感と"理解されている感覚"が、今の一言だけで伝わってくるんだから不思議なものだ。
「…うん。まだ終わってない」
「そっか。なら週末のは決起会も兼ねてだな」
私の表情を一瞬だけ確認して、お兄ちゃんの視線はまた漫画に戻る。「楽しみにしてるね」と言って部屋を出た私の胸には、これまで以上の元気が湧き出ていた。
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