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「良いか2人とも、心して聞くんだぞ」
朝からずっと言うタイミングを窺っていた話をしようと、私はできるだけ厳かな声を出す。でもわかるかな、温めていたとっておきの話をする時って、めちゃくちゃ内心興奮しない? もうほんと、少しでも気を抜いたら超早口になって手汗とかかいちゃいそう。要は、この話は私にとってそのくらい大切ってこと。
綺麗なお弁当とおいしそうなお惣菜パンをそれぞれ口に運んでいた緑間と高尾は、私の神妙な様子を見て手を止めた。
私はすっと息を吸い、心をこめて2人に告げる。
「今日はお兄ちゃんのお誕生日です」
どや顔で、一音一音はっきりと発音して、さあ2人はどんなきらきらした顔をしているだろうかと反応を見てみると──────
「うわその煮物めっちゃうまそうじゃん、わーけーて」
「ただではやらん。代わりの物を何か寄越せ」
…聞いちゃいない。
「ちょっと! 心して聞けってば!」
憤慨して机をばんばん叩くと、そこで初めて私の存在を認知した、とでも言うかのように高尾がこちらに向き直る。うぐぐ、声を掛けた時は一応こっちの方に注目してたくせに。
「いやまぁ、なんとなくわかってたけどさ。聖花の大事な話はだいたい大事じゃないんだよなぁ」
「大事じゃん!」
「俺10日後に誕生日!」
「あー……………うん、オメデト」
「ほら見ろ全然興味ねーじゃん!」
「高尾の誕生日とお兄ちゃんのお誕生日を一緒にする方が悪いよ」
宮地清志という人間が世界に生を受けたという重大な事実を、もう少し世の人々は深刻に受け止めるべきだと思う。というかもうあの人の素晴らしさは人間レベルじゃない。この平成の世にして未だ息づく神の御使い的な、でも天界で暴力事件起こして堕とされたみたいな、そう、その様はまるで─────…
「平成のルシファー…」
思わず呟いた最高の二つ名に返ってきたのは、高尾のぶっと牛乳を吹く汚い音だった。
「汚いなー!!」
「いや、唐突に何!? 平成のルシファー!? どうした、高校に進学してなお中二病拗らせて! 真ちゃんかよ!」
「俺は中二病ではない!」
突然巻き込み事故に遭った緑間が不機嫌そうに反抗する。そのせいで私が最初に言いたかったお兄ちゃんのお誕生日の話からはどんどん逸れていっちゃう。
「もー、良い!? もう一回言うからちゃんと聞いてね!?」
「宮地さんの誕生日なのはわかったから落ち着けよ」
どうどうと両手を軽く上下に振って私を一旦黙らせてから、高尾は「で?」と続きを促す。
「…で、とは?」
「いや、宮地さんの誕生日だから…何?」
「…別に、そんだけだけど」
特に続きも何もなかったので、ちゃんと言いたいことが伝わったことに満足した私はお弁当を食すことを再開した。
「いや……え? なんかパーティーとかするから来いみたいのじゃなくて?」
拍子抜けした顔で高尾が言うその気持ちはわからないでもないけど、そもそも今の時期の彼らにそんなことを求めるつもりはないし。
そう、時期的に、お兄ちゃんの誕生日は"非常に祝いづらい"のだ。
「…なんだろう、単に心の準備をしといて的な」
「心の、準備」
ネットとかだったら大量の草を生やしていそうな言い方をする高尾を睨みつけながら、「お兄ちゃんのお誕生日は国民の祝日同然だもーん、周知させたかったんだもーん」とわざと子供みたいに言う。
「あー良いなそれ、誕生日が祝日システム。学校…はもう来ちゃったから、放課後の部活、休みになんねーかな」
「オフになったところで今練習は休めんだろう」
「それもそーだけどさ」
────お兄ちゃんの誕生日が祝いづらい理由。
彼らは11月11日現在、ウィンターカップの都予選真っ只中にいた。
正確には、祝いづらいというのは語弊がある。おめでとうと声をかけたり、プレゼントを渡したり─────そういう"お祝い"自体はもちろんできるけど、例えば高尾が言うようにパーティーを開くとか、栄養価を無視した豪華な料理を食べるとか、そういうのが少し難しいということ。
そりゃあ全国のブラコン代表として兄の誕生日は知らしめたかったものの、所詮私の願望はそこまで。大切な、彼らの人生を懸けた試合が続くこの時期に、特に何か行動を起こしてほしいなんて思っていなかった。
「聖花は宮地さんの誕生日、なんか祝ったりすんの?」
「いやぁ、今年は流石に厳しいかな。お兄ちゃん毎日残って練習してるし。もちろんおめでとうは言うんだけど、こう…お誕生日会的なのは…」
「宮地さんそういうとこ特にストイックだしな」
「そうそう」
なんならスタメンじゃなかった去年までだって、この時期は特に力を入れて練習していたくらいだから。自分の誕生日すら忘れて、レギュラーやスタメンの人達の熱意に負けないようにって、毎日毎日夜遅くまで自主練をしていた。
そういうわけだから、本当はお兄ちゃんが一番喜ぶことを考えたい…けど、そういう浮かれぽんちなイベントは諦めることにしていた。時間や手間のかかることは、全部ウィンターカップが終わってからだ。
高尾もそれはわかっているんだろう、応援したい気持ちと少しの寂しい気持ちが混ざって複雑な顔をしている私に深く理解を示すように、うんうんと大きく頷く。それからわざと明るい話題を探すように、「でも逆に聖花の誕生日ってなったら、宮地さんが持ちうる全てのデレ値を消費して全力で祝いそう」なんてへらへらと笑いながら言った。
「やーもう、それはもう、当然ですよーもーう」
「やっぱな。どんな感じなん?」
そこで思い出すのは前回の私の誕生日。
「んー…オフの日にずーっと食べたかったパフェ奢ってもらった」
そう、あの時はおしゃれな都心のカフェに連れて行かれ、私がずっと食べたい食べたいと騒いでいた有名なパフェを食べさせてもらったのだ。
「聖花、40秒で支度しろ」
朝、まだ夢の中にいた私をそう言って起こしに来た時はどこぞの空中海賊がやってきたものかと臨戦態勢をとったものだったけど、その時のお兄ちゃんの格好がものすごく格好良かったものだから、すっかり戦意喪失したんだっけな。
「ど…え、何? どっか行くの?」
「勝負服で来いよ。玄関にいるから」
よくわからないが勝負というからには負けてはいけないんだろう。そう思って出来る限りのおしゃれをして玄関まで出て行き、そのままお兄ちゃんについて行った先こそが、雑誌で見て以来ずっと行ってみたいと思っていた、大人気のカフェだった。
「え、ここ…!」
「行きたいっつってたろ」
「う、うん…でもいつも予約でいっぱいだから、突然行っても…」
「予約なんざ取れたから来てるに決まってんだろ、アホか」
呆気に取られている私をよそに、お兄ちゃんはずんずん店内に入っていき、本当に「予約していた宮地です」なんて言い出す始末。そうしてあっさり席に通されてしまったものだから、私の驚きはその時点でもうメーター振り切っていた。考えてみてよ、だってそのカフェ、半年先まで予約埋まってるとかいう噂だったんだよ!? いやまぁ確かに私も結構前から騒いでたから、ありえない話じゃないんだけど……
「お兄ちゃん気持ち悪い…私別に何もしてないのに…きっとこれから何か途方もない悪事の濡れ衣を着せてくるに違いない………」
「失礼なこと言う奴は今すぐ帰れ」
「ごめんなさい黙りますパフェ食べたいです」
「…前からそう言ってたろ」
やっぱり私が行きたいって言ってたの、聞いててくれたんだ。
私の為にパフェを頼んで、自分はコーヒーだけを頼んだお兄ちゃん。やがてパフェとコーヒーが運ばれてくると、それと同時にお兄ちゃんは小さな鞄から小さな包みを取り出した。
小さな立方体の白い箱。綺麗に結ばれた赤いリボンには、私が大好きなアクセサリーショップの名前が入っていた。
「誕生日祝い、少し遅れたけど」
ぶっきらぼうに、でも私の目をまっすぐ見て、お兄ちゃんはそう言った。
プレゼントの中身は小さな髪飾り。私の一番好きな色のリボン。結び目からは、小さなパールのついたチェーンがささやかに揺れている。
「かわいい……」
お兄ちゃんは何も言わなかったけど、口の端が少しだけむず痒そうに震えていた。それもそのはず、だって私、絶対その時世界一幸せそうな顔してたはずだもん。
そしてその間抜けな顔は、結局その日1日元に戻らなかった。パフェは最高においしくて、プレゼントは最高に可愛くて、そしてお兄ちゃんは最高にイケメンだったわけだから、まぁ当然でしょ。
ああ、今思い出しても良い思い出──────というのに、なぜか回想から戻ってみれば高尾と…緑間まで、呆気に取られたような顔をしてこちらを見ていた。
「…なに?」
「……そんだけ?」
「…そんだけ」
「………意外だわ」
なぜ?
「いや俺言ったじゃん、持ちうる全てのデレ値を消費して全力で祝いそうって。なぁ真ちゃん」
「…正直、もう少し派手なものを予想していた」
いやもう少し派手ってむしろ何を想像してたんだ。パーティールーム借り切って巨大ケーキと大量の風船、クラッカーと数え切れないほどのプレゼント…とか? いやいやいや、さすがにキャラ考えて。
「我、宮地清志の妹ぞ? 派手なパーティーより、日頃から私が望んでた小さなお願いを、好きな人に叶えてもらえることこそが幸せなのだよ」
そんな大仰なお祝いなんていらない。そんなことより、私が本当に嬉しいものを、嬉しいやり方で、嬉しい人がもたらしてくれることが何よりも幸せ。それを一番わかってるのは、他でもないお兄ちゃんだ。
てか他のご兄弟の話を聞いてると、2人で誕生日のお祝いにどこか出かけるってこともそもそも珍しいみたいだしね。このお兄ちゃんのおもてなしだって、十分に豪華なんじゃない?
「あ、なるほどーそこまで聞いて理解。やっぱ宮地さんは俺らの知ってる…いやこの場合は知らないの方が正しいのか? …とにかく予想通りの宮地さんだったわ」
「えへへ、褒めてる? 褒めたよね?」
高尾も緑間ももうこの気持ち悪い私の反応にはすっかり慣れたと言わんばかりに、しれーっと無視して食事を再開する。私も私でどん引きされるこの展開はいつものことだったから、特に気にすることなんてなかった。
*
その夜。
「お兄ちゃーん、起きてるー?」
お風呂上がりのタイミングを狙ってお兄ちゃんの部屋を訪ねると、中から「おー」という返事が聞こえてきた。
扉を開けると、案の定お兄ちゃんはストレッチ中だった。ストレッチしながら床に広がっているのは数学の教科書。これだから努力家ってやつは。
「どうかしたか?」
「うん、お誕生日おめでとう」
特に前置きもなくそう言いながら、用意していたプレゼントを差し出す。
お兄ちゃんは足を広げて前屈したまま固まった。私の手にあるプレゼントを見て、唖然としている。
「……はっ?」
「ウィンターカップ終わったら、何かおいしいもの一緒に食べに行こうね。だから今日は、気持ちだけ」
中身はボールペン。あまり高いものは買えないけど、だからこそ、気軽に使ってもらえたら良いなと思って。
それから、包みには一緒に手紙も入れておいた。いつもお兄ちゃん大好きなのはアピールしてるけど、それにしたってきちんと改まって気持ちを伝えるには、やっぱりこういう特別な日が一番だから。
お兄ちゃんは「開けて良いか?」と私にことわった上で包みを開け、ボールペンを取り出した後にまたぼけっとそれを見つめていた。一緒に入っている手紙と交互に見比べ、それから私の方を見上げる。
「…………さんきゅ」
…思ったより、喜んでくれてるみたいだ。すっごくわかりづらいけど、思ってもみなかったところで嬉しいことをされた時、お兄ちゃんはいつも動きが停止する。冷静になってからはじわじわとその喜びがこみ上げてきて、だんだん唇がぷるぷる震えて…ほーら、ちょっと笑ってる。
「これ、お前が書いたのか?」
「あ、そっちの手紙は後で読んで! 恥ずかしいから!」
「朗読するわ、えーと、…」
「うわあああこの鬼がああああ!」
そこで逃げるように部屋を出てしまったから、その後のお兄ちゃんの様子はもうわかんなかった。
でも、多分、気持ちは伝わったと思う。
お兄ちゃん、生まれてきてくれてありがとう!
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