18
13時半。13時に仕事を終えてから急いで昼食を取り、八ツ橋君が現れるのを待っていた。
「聖花、ごめん遅れて!!」
時間ぴったり。八ツ橋君はここまで走って来たのか、軽く息を切らしている。
「遅れてないよ。ゆっくり来て大丈夫だったのに」
「や、女の子を待たせたら たとえ時間通りでも遅刻だろ」
「紳士通り越してタラシだなぁ、八ツ橋君は」
「げっ…マジ?」
そう言いながらも八ツ橋君は嫌そうでなくて、むしろ楽しそうな笑顔。
「じゃあ行こうか」なんて言って私に歩幅を合わせてくれる気遣いも、とても自然だった。
………本当に、八ツ橋君は私が好きなんだろうか。
お兄ちゃんとは違うクラス主催の劇を視界に入れながら、私はぼうっと考える。
もしかして、実は誰か別の人の事が好きで、手伝って欲しいとか。
−−−いやそれならそうと早く言ってくれる筈。こんな、まさに文化祭を楽しむ為だけに一緒にいるような態度は逆に不自然だ。
じゃあ、本当に衣装組で思い出作りをしようとしてるとか。
−−−いやいやそれなら誘われた時の真っ赤な顔はどう説明をつける。超フレンドリーで物怖じしない八ツ橋君が赤い顔でどもるなんて初めての事だった。
「学生レベルとは思えなかったよなー!」
あー…じゃあやっぱりそういう事なのか?
「なんか小腹すいたなー。聖花は? 昼飯いつ食った?」
常識的に考えたらそういう事なんだけど…なんかもう、勘違いだったら恥ずかしいじゃん!!
「聖花っ!」
「え、はいっ!!!」
「大丈夫? ボーッとしてるぞ」
「うっ…うん、超大丈夫!」
だめだ、自惚れという名の雑念があああ………。
「えーと、なんだっけ。オバラさんを食った?」
「………は?」
八ツ橋君は私が頭でも打ったんじゃないかと思ったらしく、冷たいジュースやらお菓子やら(あ、昨日のラスクだ)買ってきてくれた。
「お、お化け屋敷あるじゃん。聖花はこういうの平気?」
「あ? え? いや、それよりこっちの催し物の方にしない? ダンス部すごいらしいって噂だよ!」
「はは、苦手なんだ。じゃあ行ってみなきゃな」
「ちょ、ちょっと接続詞いいいいいい!!!」
*
「八ツ橋君…末代まで恨む………」
「え、それはリアルに怖いんだけど」
お化け屋敷こそ学生レベルじゃない程の出来だった。怖すぎて死にそう。今夜はお兄ちゃんに徹夜で話に付き合ってもらうか。寝たら最後 絶対夢に見る。
「あれ、聖花?」
するとその時、遠くからお兄ちゃんの声が聞こえた。あまりにもタイミングが良すぎて、一瞬自分の妄想が具現化でもしたかと思った。
「お兄ちゃん!」
「まーたこの辺うろついてんのか。しかも男と一緒とか……」
制服に着替えているという事は、もう公演は終わったんだろう。お兄ちゃんは私に何か言いたげな顔をしていたのに、八ツ橋君を一瞬見てからすぐにくるりと向こうを向いてしまった。
「……ま、あと少しで終わりだしな。楽しんで来い」
「え? あ、はぁ…どうも」
あまりにもあっさりとした去り方に(本当、なんで話し掛けてきたんだってくらい)、私の返事も気の抜けたものになる。
「………すごいな、聖花の兄さん」
八ツ橋君は八ツ橋君で、どう思っての結論か解らないけど そう呟いてるし。もしかして今この2人、何か交信してた!?
じっと八ツ橋君を見る私(睨んでない。断固として睨んでない!!)。すると八ツ橋君も真面目な顔をして私に向き直った。
「……あのさ。もう文化祭も終わりじゃん。聖花の兄さんも言ってたけど」
「うん、そうだね。そろそろ後夜祭の会場に行く?」
「それなんだけど………後夜祭の間ずっとじゃなくて良いんだ。むしろ3分とか…そんなもんで良い。………俺に時間をくれないかな」
改まった口調と申し訳なさそうな表情。忘れかけていた緊張が再び私の中に甦り、自然と背筋が伸びていた。
「…………良いよ」
*
連れて来られたのは茜色の空が綺麗な屋上だった。後夜祭のセッティングに追われる実行委員がありんこのように動いているのを眺める事で、私は極力 八ツ橋君の顔を見ないようにしていた。
「………あのさ、聖花」
やっと八ツ橋君が口を開いたのは、屋上に着いてから5分くらい経った後の事。あと5分もすれば後夜祭スタートのアナウンスが入る筈。グラウンドには既にそれを待ちきれないらしい生徒が集まり出していた。
「…とりあえず今日、付き合ってくれてありがとう」
「あー……いいえ、こちらこそ。お化け屋敷は抜きで楽しかったよ!」
顔を見ないのも失礼かと思って振り返る。八ツ橋君は私を真っ直ぐ見つめていた。その顔が赤いのは空の色の所為だろうか…この時ばかりは解らない。
「それでな、こんな所までついて来てもらった理由なんだけど……言いたい事があって」
「……うん、何?」
八ツ橋君はくっと下を向いてしまった。自分の心音ばかりが頭蓋骨を連打する。っていうかこれは心臓じゃなくて頭の方の血管が脈打ってるのかな。つまり…全身が今とんでもなく跳ねていると。
私がパニックになってどうする。でも結構本気でそうなってしまいそうだから早く言って八ツ橋君……。
「…………俺、聖花の事……好きなんだ」
あぁ。
何故か ほっと吐息が漏れた。嬉しさも切なさもなく、ただ脱力感だけが体に負荷をかける。
「前から可愛いなとは思ってたんだ。けど、きっかけは実は5月の頃でさぁ…」
「ごがつ…?」
「そ。聖花、怖そうな女の先輩に呼び出されてたろ」
「えーと、お兄ちゃんに振られた人だっけ」
「そう。実はあの時、俺…あの階段のすぐ上にいたんだ」
ほらー、だから誰かに見られるような場所に呼び出すなって(心の中で)言ったのに。
「助けなきゃって思ってる間に、聖花は自分で解決してた。理不尽な事を言われても自分を見失わず、しっかり立ち向かってた。……まぁ、俺もちょっとあの時の聖花は怖かったけど…でも、強い子だなって、思ったんだ」
へへ、と恥ずかしそうに笑う八ツ橋君。まさかあんな自由すぎる振舞いをそんな風に捉えていてくれたなんて。
「そ…そんな事で好きになってくれたんだ……」
「いんや、まだあるよ。――――聖花、兄さんの事が大好きだろ?」
「うん? そうだね」
「俺も3年に姉さんがいるんだ。で、俺…本当は姉さんの事、尊敬してるのになかなか素直になれなくてさ。だから全身であんなに兄さんを慕ってる聖花がちょっと羨ましいっていうのもあった」
「で、でもそれは」
「うん。直接は好きになった理由と関係ないよ。でもよく言うじゃん、自分にできない事を簡単にやってのける人は眩しく見えるって」
……思ったよりべた褒めですな…。
「……今だから言うけど、この文化祭も進んで聖花と同じ係に立候補したんだよ。仲良くなって、もっと好きになれたら良いなって思ったから」
「そ、そうだったの!?」
「うん。それでやっぱり、俺の予想通りだった。聖花は誰に対しても同じだけの親切な笑顔を向けてくれる人だった。ろくに話した事もなかった俺にも…俺自身が会話好きってのもあるかもしんないけど…最初からまっすぐ向き合って、これ以上ないくらい真面目に取り組んでくれた」
文化祭なんだから当たり前じゃん…とは言わなかった。八ツ橋君がそういう態度を評価してくれるって言うんだから、素直に受け取る。
「強いだけじゃなく、優しいだけでもなく、ユーモアもあって努力家。こんなに良いと思った子は初めてなんだ。だから予想通り、俺はもっと君の事が好きになった」
「そっ…か、買い被りだよ」
素直に受け取るとか考えた直後だったけど、ちょっと流石に美化しすぎじゃない?
私はただのブラコンで、自分の友達と楽しい事が大好きなだけ。なんでも一生懸命っていう姿勢だって、お兄ちゃんの背中を見て学んできた事だ。
「そんな事ない。俺はね、何度でも言うけど君が好きなんだよ―――聖花」
そこまで言われてきゅんとしない女子がいる?
もちろんいるだろうけど…私はきゅんとしてしまった。
でも、それと"好き"は違う。
好きって言ってもらえて、こんなに自分を認めてもらえて本当に嬉しい。でも私は、八ツ橋君に同じ気持ちを返す事はできない。
「………ありがとう。私の事を肯定してくれて。すごく嬉しい…………けど、ごめんなさい。応えられない…」
私達のすぐ後ろで、フォークダンスの音楽が大音量でかかり始めた。生徒の楽しそうな笑い声も、耳の奥が小さく受容している。
「………うん」
八ツ橋君は大きな溜息をついて、それでも笑ってくれた。「やっぱり…そうだよね」なんて続いて聞こえた言葉は、きっと私に向けられたものじゃない。
「まぁ…実は解ってたんだ。俺じゃきっと友達止まりだって。でも、言いたかった。ごめんな、俺のエゴで困らせちゃってさ。…でもありがとう、聞いてくれて。……受け止めてくれて」
「私こそ……」
友達としてなら好き。大好き。
でも今これを言ってしまうのはあまりにも失礼な事だから、私は俯いた。
ごめんなさい。でも、ありがとう。
「良かったらこれからも友達でいてくれると嬉しいな。解ってた答えだった訳だから、俺はもう気にしないし。あ、聖花って呼び方もそのままで良い?」
「…もちろん」
「やった。………じゃあもう、そんな申し訳なさそうな顔しないで。俺は後から行くから、後夜祭…混ざって来なよ」
それは"もう1人にしてくれ"と言いたい八ツ橋君が絞り出した、切ない優しさに聞こえた。私はただ頷いて校舎に戻る。
そして扉を開けると、そこでしゃがんでいた高尾と目が合った。珍しくその顔には何の表情も浮かんでいない。
「……聞いてたの?」
「八ツ橋から知らされてたんだ」
その声にすら、何の表情もなかった。
「真ちゃんが、昇降口で待ってる。あいつは何も知らないから、高尾は来ないとか適当に言っといてくんね?」
「……解った」
「ごめんな、俺みたいな部外者が出てきて」
−−−−八ツ橋が、もしもの結果になったら耐え切れないって言うからさ。
高尾は最後にそう囁いて、私と入れ違いに屋上へ出て行った。
私は唇を噛み締めて、1段1段階段を降りる。
辛かったけど、辛いと思う事すら八ツ橋君への侮辱になってしまいそうで。
昇降口に立つ"何も知らない"緑間を見た瞬間、涙が1つ溢れてしまった。
「遅いのだ…………何を泣いている」
「あくびのし過ぎ」
「寝不足か? 確かに顔色も悪いな」
「頑張ったって事でしょー! 明日は休みだし、ゆっくりするわ。行こう!!」
「高尾と一緒じゃないのか?」
「あー…高尾はちょっと来ない」
「……来ない」
「来る途中で私と正面衝突して階段から落ちたから、保健室にいるの。私の所為です、つまり」
「……お前達は本当に馬鹿だな」
………うん、私もそう思うよ。
*
「……どうよ、ちょっとは落ち着いた?」
「いや、むしろなんか時間が経つ程に傷ついてる。なんちゃって」
「ま、フラれた後で言うのは残酷だけど、聖花を選んだ眼には自信持って良いと思うぜ」
「お前マジ残酷だわ……。つーか高尾はそんな事言って、あの子をそういう目で見た事ないの?」
「俺か? んー……ま、命の方が惜しいからパース」
「……はぁ?」
「そういやお前ら、さっき宮地さんに会ったろ。……いや、尾けてたんじゃなくてマジで偶然だからそんな目で見んなよ…」
「会ったよ。………すぐ見抜かれたよ、そんで」
「うっそ、宮地さんに?」
「うん。ちょっと俺の目 見た瞬間に適当な事言って行っちゃった。すごいな、ありゃ。尊敬したくもなるわ」
「………本気の恋なら邪魔はしないって意味か」
「なんかさっきからお前、ちょくちょく意味解んない事 言ってるぞ」
「気にすんなって。お前だって姉さんをもっと素直に尊敬すりゃ良いじゃん。ちょっと見たけど今日めっちゃ格好良かったぜ」
「あぁ……性転換劇だっけ。見においでって言われてたけど、結局ばっくれちゃったわ」
「それどころじゃなかったもんな。…じゃあ後で写真やるよ」
「あんの?」
「おう。しかも聞いて驚け、委員長が持ってたのを貰ったんだけど−−−−」
「…なんで委員長?」
「なんとお前の姉さんと聖花の2ショットなんだ」
「………は!?」
「宮地さんとお前の姉さん、同じクラスらしい。偶然楽屋に行った時 意気投合したんだと。ほらこれ」
「……………高尾」
「お?」
「これ、くれ」
「……………はは、お前ってホント良い奴…」
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