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それは夏期講習の最終日の事。講義が終わってランチに誘われたので、いつものチャリア組と一緒に喫茶店へ向かった。
「―――海?」
「そっ。聖花も一緒にバイトやんねぇ?」
聞けば、高尾の親戚に夏期は海に店を出している人がいるらしい。
「女子1人で心もとなかったら委員長とか誘って良いからさ、海の家のアイドルになってくれって」
「おぉアイドル…なんときらびやかな響き…」
「じゃあOK?」
「もちろんOK!!」
こうして思いがけない私の海旅行が決定した。去年買った水着が着れなくなる前で良かった。
「あ、委員長〜、夏に高尾の親戚さんの店で一緒にバイトしない? 海だよ!」
「ごっ、ごめん、夏はずっと旅行だから都合がつかないんだ…」
こっちは玉砕した。
*
「流石の人混み……」
世間はお盆休み。家族連れやカップルなどなど、浜辺は人でごった返していた。
「よう和成!! お、そっちが噂の真ちゃんと聖花ちゃんか!! 今日はいっちょよろしく頼むわ!!」
威勢良く迎えてくれたのは、赤い前掛けとバンダナが良く似合うお姉さん。この人が高尾の言っていた親戚らしい。若い。
「…真ちゃん?」
緑間は自分の呼び名が不服だったらしいけど、お姉さんは気にしない。私達にはウェイターと客引きをお願いしたいと言って、店開きの準備を再開した。
「昔っからこの人、自分の店持つのが夢だったらしいぜ。店長とか呼んでやればとりあえずご機嫌は取れっから、頑張ろうな」
「おー!!」
午前9時、店長の構える焼きそば屋が開店した。
*
「焼きそば3つ、たこ焼き4つです!」
「おいしい焼きそばいかがっすかー? 今ならお待たせしませんよーっ」
「……ごゆっくりどうぞ」
店内は慢性的に混雑していた。客の回転も良いので、私達はバタバタと休む事なく走り回る。
「いやー、やっぱイケメンと美人がいてくれると違うねー」
「またまたー、店長ってばお上手!」
「はっは、本音だって。それに和成から聞いたよー、聖花ちゃん イケメンの兄貴がいるんだろ。聖花ちゃんは兄貴に似たんだな」
「私、あと5倍のお客さん呼んできます!!」
「お……おう、店に入りきる人数ずつでよろしくな」
水着にパーカーにエプロンという自分でも訳の解らん格好で、高尾とウェイター役をバトンタッチ。店の外に出て客引きを開始した。
(ちなみに緑間はどうしても愛想笑いが出来なかった為に、淡々と料理のお運びだけをこなす事になった)
「おいしい焼きそばどうですかー!? 今ならお待たせしません、しかもイケメン高校生の笑顔もついてくる!! ……なんつって」
あからさまな文句に引き笑いしつつ、声を張り上げる。効果があったんだかなかったんだか、客は一定のペースでほぼ切れる事なく入っていく。この混雑も悪いばかりじゃない。
「よー焼きそば屋さん、やってる?」
「はい、そりゃもう!」
後ろから若いお兄さんの声がしたもんで、ここぞとばかりに元気良く返事をした。ぜひ入ってもらおうとそっちに振り返っ――…振り返、ろうとして。
「――――っ!!」
ぞわり、戦慄した。
お兄さんは3人組。そのうちの一番派手な人(鼻ピアス初めて見た!!)が、私の腰を指先で つつっと撫でたのだ。
「ちょ、何ですか!?」
慌てて後ずさり、声を荒げる。
しかしそれが逆効果だった。
店の裏手側に逃げ込んだ私をガラの悪いチンピラども(お兄さん、だなんて言ってられるか)は回り込んでまでして追い詰めてくる。
とん。
背中が壁にぶつかった。周りは人目につきづらい岩場。
…まずいな。誰かが裏口のドアを開けてくれたらすぐ見つかるんだけど、さっき買い出しに行ったばかりだからそれも望めない。
大声を上げてみようか。…いや、客の喧騒と鉄板の焦げる音にかき消されてしまう。それでうるさい、って痛い事されちゃ本末転倒だ。
「お嬢ちゃんさ、さっきからずっと1人で客引きしてたっしょ。何、バイト?」
「………どいてくれませんか」
「ダメだよー、海にまで来てやる事がエプロンパーカー着用のバイトなんて。そんなツマンナイのやめてさ、お兄さん達とイイ事しよーよ」
ナンパならもうちょっと軟派にやってくれよ! なんだこの脅迫じみたシチュエーションは!!
「そういうの興味ないんで…っ」
きっぱり断ってチンピラの肩を押す。通路を作るつもりでやったのにどう勘違いしたか、チンピラは逆に私の手首を掴んだ。
そうしてぐっと自分の方へ引き寄せ、反対側の手で私の腰を抱きぁああああ気持ち悪い!!!
「ちょっと!! 離せ!」
「こんな良いカラダ持て余すの、もったいないよ〜」
「余してナンボじゃ!!!」
やっぱり女相手にするのとは訳が違う。びくともしない体を、苛立ちと焦りが同時に襲ってきた。
やだ、怖い、
助けて――――!!
「俺の連れに何か用か」
視界がさっと明るくなった。痛い程に握られていた手首はあっさり解放され、いやらしく腰を撫でていた手も離れる。
代わりに、筋肉質で骨張った綺麗な手が、いつの間にやら震えていたらしい私の肩を抱く。こっちは、不思議と嫌な感じがしなかった。
聞き慣れた声にそっと上を見上げると―――――
「………緑間…」
チンピラは突然、自分の腕の中から私が消えて驚いたようだ。遥か頭上の緑間を暫く唖然として見つめ、しかしすぐに気を取り直して凄んで来る。
「なんだァお前、この子の彼氏かぁ?」
「けけっ、ここで男が来たからって引き下がるような安い人間じゃないんでね、俺達」
「まずはテメェにヤキ入れてから、彼女じっくり寝取ってやるよ!!!」
緑間は酷く不機嫌な顔をしていた。いつもの、言いたい事はたくさんあるのに、むしろありすぎて、全部呑み込んでいる時の顔。
そういう時、緑間はいつも言うんだ。
「………"焼き"ならまず俺が入れてやろう」
―――とりあえず一番、言っておきたい言葉だけを。
「あ゛ん? テメ何言って―――!!!」
緑間に掴みかかろうとしたチンピラが、突然悲鳴を上げながら仰け反った。砂浜を転げ回りながら悶絶している。
「っおい!! 何してくれてんだゴラ!!」
「焼きを入れると言っただろう」
完全に動揺しているチンピラに対して、静かに立っているだけの緑間。
その手には、ほのかに煙を立ち上らせている焼きそば用のコテがあった。
「そんなもん、一発避けりゃ――っっっ!!」
す、凄すぎる。緑間は2人目のチンピラが向かってくると同時に長い手を伸ばして額にコテを押し付けた。そうして3人目の方に小さく向き直ると、1歩だけ足を踏み出して、今度は頬にジュ。一瞬だから火傷すらしていないだろうけど、衝撃だけは絶大だ。
「来い」
チンピラ達が立ち上がれないでいる間に、緑間は私の手を引いて、人の多い浜辺にまで戻ってきた。
「……これはもう使えないな。買いに行くぞ」
「え、買いに…って」
「すぐそこにホームセンターがある。汚い人間の皮膚に当てた、そんなコテで作った食品に値段をつける気か?」
そうして何をするよりも先に、ホームセンターへ直行。
私、なんだかさっきから されるがままです。
*
「…赤司は、人の行動をこれでもかという程に読む奴だった」
幾つかコテが並んでいる棚の前に立ち止まり、品定めをしながら緑間が唐突に口を開いた。
赤司君って、帝光時代の部長さんだよね?
「数手なんて温い、数十手も、時には数百手も先を読む事が出来た。相手には、何一つ行動させなかった」
何の話をしようとしているのか解らない。私はただ黙って買い物かごを持つに徹していた。
「あそこまで低俗な奴でないと 赤司の手法を真似出来ないというのは癪だが…――――宮地、あいつらに何かされたか?」
直後、いきなり私への質問。黙ったまま首を振った。
「そうか」
「……なんで来てくれたの」
「騒いでいる声が聞こえた」
「うそ、店内にまで響いてたの?」
「いや、たまたま料理の方を任されていた時、微かに聞こえた程度だ。俺以外にはまず聞こえなかっただろう」
ようやく選んだコテを私の持つかごに入れ、緑間は真摯な眼差しで私を見下ろした。
「怪我がなくて、良かった」
その瞬間、我慢してきた恐怖と安堵にどっと押し潰されて、膝の力が抜けてしまった。
店内に座り込んでしまうのだけは堪えて立ちながら、目頭がぐっと熱くなるのを感じる。
「…………ありがとう、助けてくれて」
「気にするな」
―――緑間の傍がこんなに落ち着くなんて、知らなかった。
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